Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/09 10:56 投稿番号: [12409 / 18519]
>「第○号 竹島考証」という文書をきちんと読んだことが無いのですが、ネット上、もしくは公共図書館で見ることができるものでしょうか。
ネットでは読めるかどうかは分かりませんが、県立図書館のような比較的大きい図書館やそれなりに資料をそろえているような大学図書館などで見ることができます。
竹島考證 : 上・中・下 : 国立公文書館内閣文庫所蔵「外務省記録」
東京 : エムティ出版, 1996.4
278p ; 26cm
注記: 明治14年8月奉命取調の複製 ; 表紙の版次:保存版
SBN: 4896145194
別タイトル: 竹島問題
著者標目: 外務省<ガイムショウ>
さて、
>リアンクール岩は版図に含まれない。
ですが、私はちょっと違和感があるのです。さしたる違いはないのかもしれないのですが、私は「リアンクール岩は版図内とも版図外とも示していない」という認識です。太政官の判断が松島=ダジュレーであったとすれば、そう考えられるものと思います。ですから、無主地が妥当かと。
仮に現竹島=リアンクール岩と太政官が判断したとすると、例えばすぐに思いつく範囲で、次のようなことはどのように整合的にとらえ得るでしょうか。
1.軍艦天城によって松島=鬱陵島となったこと。
2.明治16年に太政大臣三条実美が「北緯37度30分、東経130度49分に位置する日本称する松島、一名竹島、朝鮮称する鬱陵島の儀は…」としていること(鬱陵島渡航禁止令)。
3.1905年に「他国に於て之を占領したりと認むべき形跡」がないとして日本に編入したこと。
もしも太政官が松島=リアンクール岩と正しく理解したとすると、三年後の天城の踏査で松島=鬱陵島との誤りが決定的になったということで、さらに太政大臣三条実実はそれを踏襲して誤った規定のままで(元来の太政官判断とは反する形で)禁止令を発し、さらに日本は1905年に太政官判断をほごにしてリアンクール岩を「侵略した」ということになりそうですが、ずいぶんとおかしな話です。
単純に太政官判断が鬱陵島までの地理的認識で竹島・松島(つまりアルゴノート・ダジュレー)と考えたとすれば、上記の流れに全く不自然な部分はありません。
>たとえ、松島とリアンクール岩を別の島と認識していたとしても、松島だけを版図外とし、リアンクール岩を版図内とする理由が見当たらないからです。
そうでしょうか。可能性としては、
1.当たり前に日本領であると考えた。(渡辺洪基のように)
2.岩にすぎず、この時は無頓着であった。(だから後に1905年に編入した。)
3.地理的に不明な部分があり、将来の調査を待つこととした。(実際に三年後に調査[鬱陵島]した。)
松島=鬱陵島までを版図外としたとして、リアンクール岩を必ず「版図外」と規定して断言する必然性は、私はないと思います。
ネットでは読めるかどうかは分かりませんが、県立図書館のような比較的大きい図書館やそれなりに資料をそろえているような大学図書館などで見ることができます。
竹島考證 : 上・中・下 : 国立公文書館内閣文庫所蔵「外務省記録」
東京 : エムティ出版, 1996.4
278p ; 26cm
注記: 明治14年8月奉命取調の複製 ; 表紙の版次:保存版
SBN: 4896145194
別タイトル: 竹島問題
著者標目: 外務省<ガイムショウ>
さて、
>リアンクール岩は版図に含まれない。
ですが、私はちょっと違和感があるのです。さしたる違いはないのかもしれないのですが、私は「リアンクール岩は版図内とも版図外とも示していない」という認識です。太政官の判断が松島=ダジュレーであったとすれば、そう考えられるものと思います。ですから、無主地が妥当かと。
仮に現竹島=リアンクール岩と太政官が判断したとすると、例えばすぐに思いつく範囲で、次のようなことはどのように整合的にとらえ得るでしょうか。
1.軍艦天城によって松島=鬱陵島となったこと。
2.明治16年に太政大臣三条実美が「北緯37度30分、東経130度49分に位置する日本称する松島、一名竹島、朝鮮称する鬱陵島の儀は…」としていること(鬱陵島渡航禁止令)。
3.1905年に「他国に於て之を占領したりと認むべき形跡」がないとして日本に編入したこと。
もしも太政官が松島=リアンクール岩と正しく理解したとすると、三年後の天城の踏査で松島=鬱陵島との誤りが決定的になったということで、さらに太政大臣三条実実はそれを踏襲して誤った規定のままで(元来の太政官判断とは反する形で)禁止令を発し、さらに日本は1905年に太政官判断をほごにしてリアンクール岩を「侵略した」ということになりそうですが、ずいぶんとおかしな話です。
単純に太政官判断が鬱陵島までの地理的認識で竹島・松島(つまりアルゴノート・ダジュレー)と考えたとすれば、上記の流れに全く不自然な部分はありません。
>たとえ、松島とリアンクール岩を別の島と認識していたとしても、松島だけを版図外とし、リアンクール岩を版図内とする理由が見当たらないからです。
そうでしょうか。可能性としては、
1.当たり前に日本領であると考えた。(渡辺洪基のように)
2.岩にすぎず、この時は無頓着であった。(だから後に1905年に編入した。)
3.地理的に不明な部分があり、将来の調査を待つこととした。(実際に三年後に調査[鬱陵島]した。)
松島=鬱陵島までを版図外としたとして、リアンクール岩を必ず「版図外」と規定して断言する必然性は、私はないと思います。
これは メッセージ 12408 (te2222000 さん)への返信です.
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