Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/01/14 07:54 投稿番号: [12411 / 18519]
ahirutousagi2さん
「竹島考證」の情報をありがとうございます。278ページもあると簡単にはコピーも通読もできなさそうですが、適当な機会がないか、今後は気にしたいと思います。
さて、私は#12408で次のように書きました。
>私としては、1877年の太政官の認識は以下のように断定して良いと思います。
>
>●リアンクール岩は版図に含まれない。
しかし、この表現は少々拙かったようです。
明治政府のリアンクール岩に対する認識としては、以下の5つの可能性があると思います。
a. そもそも存在を認識していない
b. 存在は認識しているが、帰属について明確な認識がない。
c. 朝鮮領であると認識している
d. 日本領でも朝鮮領でもないと認識している
e. 日本領であると認識している
私は「a-dのどれかである」という意味で上記●を書いたのですが、読み返してみると●は「リアンクール岩を版図外と考えている」、つまり「cまたはdのどちらか」という意味にも取れます。
また、ご指摘の以下の可能性も否定できないので「断定して良い」という判断も適切ではありませんでした。
>1.当たり前に日本領であると考えた。(渡辺洪基のように)
(ただし、可能性としては低いと思っています。リアンクール岩をこのように考えて松島をこのように考えない理由は、本州からの距離の差くらいしかなさそうですが、果たして両者の差がそのような微妙なものだと太政官が考えたかどうか疑問です)
なので、私の意見を以下のように修正します。ついでに前に書いたことも並べて示しておきます。
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1877年の太政官指令からは、少なくとも以下のことが言える。
●太政官が調べた江戸時代の記録の中に、松島が日本領であることを示す記録は無かった。
●当時の太政官にリアンクール岩が日本領であるという明確な認識はなかった可能性が高い。
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これは メッセージ 12409 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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