Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/01/09 08:10 投稿番号: [12408 / 18519]
ahirutousagi2さん
私としては、1877年の太政官の認識は以下のように断定して良いと思います。
●リアンクール岩は版図に含まれない。
たとえ、松島とリアンクール岩を別の島と認識していたとしても、松島だけを版図外とし、リアンクール岩を版図内とする理由が見当たらないからです。しいて可能性を挙げると次の二つですが、どちらもあり得ないことは明白です。
a. リアンクール岩が日本領であることを示す歴史的資料があるが、松島には無い。
b. 松島が朝鮮領であることを示す歴史的資料があるが、リアンクール岩には無い。
(厳密に考えると、bは絶対あり得ないとは言えませんが、その場合、歴史的資料の松島=リアンクール岩であることが分かった時点で、リアンクール岩は版図外となります)
ただ、ご指摘の渡辺洪基のように太政官・内務省とは別に、現竹島=独島に対する領有意識があった可能性はありそうです。それらが具体的にどういうもので、日本の国家としての意思を考える際にどういう位置付けになるかについては、もっと勉強してから考えます。
今はとりあえず、太政官が竹島・松島を地図上のどこに比定したかに関わらず、太政官指令から言えることは何かを考えていますので、その論点についてはノーコメントとします。(実際、勉強が足りなくてコメントできないし)
追伸.
「第○号 竹島考証」という文書をきちんと読んだことが無いのですが、ネット上、もしくは公共図書館で見ることができるものでしょうか。
これは メッセージ 12405 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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