Re: リアンクール岩
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/16 00:41 投稿番号: [12431 / 18519]
>ahirutousagi2さんも、太政官指令にある外一島が現在の竹島=独島を示していると考えていたことは了承しました。
現在の目から見れば太政官指令にある外一島は伺書の内容を見る限り竹島=独島を指したと考えられます。しかし当時に視点を戻すと地理的認識において外一島は現在の鬱陵島の位置で想定されていたと私は考えています。繰り返しますが、アルゴノート=竹島であり、ダジュレー(鬱陵島)=松島です。
島根県・内務省・太政官の一連の資料で言えることは、そこに記された外一島が「松島」である、というところまでであって、リアンクール岩が意識されたとまでは言えないということです。
私は太政官判断において三島認識あるいは鬱陵島あたりに竹島・松島を考える地理的な誤認の可能性は排除すべきではないと見ています。その理由として、次のようなものを私はこれまであげて来ました。
1.この時期に発行された地図。勝海舟(1867)、橋本玉蘭(1870)、陸軍(1875)、文部省(1877)、どれをとっても松島(独島)=リアンクール岩との認識は見られません。
2.軍艦天城の調査による鬱陵島=松島の規定(1880)。
3.1883年の太政大臣三条実美による鬱陵島=松島の理解。
もちろん伺書と太政官に独自に提出された史料を原則的に対象として竹島・松島を規定すべきである、したがって三島認識や地理的な誤認を考慮すべきでない、とするのであればそれはそれで一つの見識であります。
しかしその原則まではいったんは認めるとしても、それが松島=リアンクール岩との理解にはつながりはしないのです。(例えば、上記陸軍や文部省の地図でリアンクール岩が描かれず鬱陵島の位置に竹島・松島が描かれたように。)
半月城さんが太政官に提出された史料に則って太政官判断の外一島を「松島」と規定することについては私はまったく否定しません。私もそう理解しています。しかし、太政官の理解が松島=リアンクール岩であると規定するには、何ら根拠が伴わない、と申し上げているのです。
>ましてや、リアンクール岩という用語は、太政官指令当時の公文書にはほとんどなかったようで、わずかに竹島=独島に該当するホウリルロックという語が登場する程度です。
私は地理的な認識を申し上げているので、島の名前は便宜的なものです。また、ホウリルロックは江戸末期、明治期の地図では松島=鬱陵島を指す場合もあります。リアンクール岩の方が分かりやすくて使っているに過ぎません。
太政官指令当時の公文書にどのような名があろうと何ら問題はありません。私が問題にしているのは太政官指令の外一島の地理的(位置的)認識そのものです。そして実際に三年後に松島=鬱陵島が確定するに至っているのです。
現在の目から見れば太政官指令にある外一島は伺書の内容を見る限り竹島=独島を指したと考えられます。しかし当時に視点を戻すと地理的認識において外一島は現在の鬱陵島の位置で想定されていたと私は考えています。繰り返しますが、アルゴノート=竹島であり、ダジュレー(鬱陵島)=松島です。
島根県・内務省・太政官の一連の資料で言えることは、そこに記された外一島が「松島」である、というところまでであって、リアンクール岩が意識されたとまでは言えないということです。
私は太政官判断において三島認識あるいは鬱陵島あたりに竹島・松島を考える地理的な誤認の可能性は排除すべきではないと見ています。その理由として、次のようなものを私はこれまであげて来ました。
1.この時期に発行された地図。勝海舟(1867)、橋本玉蘭(1870)、陸軍(1875)、文部省(1877)、どれをとっても松島(独島)=リアンクール岩との認識は見られません。
2.軍艦天城の調査による鬱陵島=松島の規定(1880)。
3.1883年の太政大臣三条実美による鬱陵島=松島の理解。
もちろん伺書と太政官に独自に提出された史料を原則的に対象として竹島・松島を規定すべきである、したがって三島認識や地理的な誤認を考慮すべきでない、とするのであればそれはそれで一つの見識であります。
しかしその原則まではいったんは認めるとしても、それが松島=リアンクール岩との理解にはつながりはしないのです。(例えば、上記陸軍や文部省の地図でリアンクール岩が描かれず鬱陵島の位置に竹島・松島が描かれたように。)
半月城さんが太政官に提出された史料に則って太政官判断の外一島を「松島」と規定することについては私はまったく否定しません。私もそう理解しています。しかし、太政官の理解が松島=リアンクール岩であると規定するには、何ら根拠が伴わない、と申し上げているのです。
>ましてや、リアンクール岩という用語は、太政官指令当時の公文書にはほとんどなかったようで、わずかに竹島=独島に該当するホウリルロックという語が登場する程度です。
私は地理的な認識を申し上げているので、島の名前は便宜的なものです。また、ホウリルロックは江戸末期、明治期の地図では松島=鬱陵島を指す場合もあります。リアンクール岩の方が分かりやすくて使っているに過ぎません。
太政官指令当時の公文書にどのような名があろうと何ら問題はありません。私が問題にしているのは太政官指令の外一島の地理的(位置的)認識そのものです。そして実際に三年後に松島=鬱陵島が確定するに至っているのです。
これは メッセージ 12426 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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