◆コリア関連書籍◆

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我儘をきいて頂きありがとうございます

投稿者: kazumi246 投稿日時: 2001/11/09 10:51 投稿番号: [240 / 3669]
感謝感激雨霰です。
あなたのような親切なひとが居てくださって本当に助かりました。goodytwoshoesさんに感謝。

>人はみな、それぞれの立場があるから、「〜寄り」じゃない、純粋に客観的な見方というのが、そもそもあるかどうか。

確かに言われて見ればそう思います。
いろんな角度から視点を持って考えてみたいです。
とりあえず今の所、一つ疑問に思ってしまった事があるんですが、私が今まで読んだ本にけっこうみつけてしまう
「1919年の3・1独立運動後、文化政治の導入し、日本は朝鮮を食糧と工業原料供給として農民に作付転換などを強要していた。」
なんですが、これって結局農民が借金の返済として納めた米が日本に流れていった、もしくは日本が収奮したってことになるんでしょうか?


私の我儘な要求に応えてくださるのにかなりの時間がかかったんじゃないでしょうか?
どうもご迷惑をおかけしましたの謝罪と共に感謝します。
すみませんでした、そしてありがとうございました。

若干トピ違いですが…

投稿者: niche_sac 投稿日時: 2001/11/09 02:17 投稿番号: [239 / 3669]
ノリゲやメドゥプの作り方(組み方?)を紹介している書籍はないのでしょうか?
日本では「韓国組紐」などと呼ばれてはいますが、日本の組紐とは全く違い、
模様や色彩の美しさに、韓国を訪れた際には必ずお土産に購入しています。
出来るなら自分でも作れたらと思うのですが…。
ご存じの方いらっしゃいましたら、宜しくお願いします。

朴泰赫『醜い韓国人』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/09 01:44 投稿番号: [238 / 3669]
いちばんいいのは、日帝時代の生き証人の話を聞くのがいいんだけど、あまりいいのがないね。

Msg17に紹介していただいた呉善花『生活者の日本統治時代』も、登場する人が、ほとんど当時のエリートたちばかりで、庶民の代表とは言い難いし、朴泰赫『醜い韓国人』は、本の成立過程に問題が多すぎる。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=6abffaj4afa1a1a1j4zffchf3sa1k&sid=1835396&mid=96

当時の小説なんかを読むのがいいかもね。

李玉『朝鮮史』他

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/09 01:31 投稿番号: [237 / 3669]
日帝時代の農民の窮乏を伝える資料はいろいろある。

「わずかばかりの畑に飢えた麦でさえ成熟するまで待ちきれずに,まだ実も固まらない乳熟期に刈り取って精白し,されにこれを粉にして粥を作ってすすっている有り様だ。それでもまだ麦ができるようになれば多少とも潤うけれども,4〜5月のいわゆる春窮期には,草の芽を摘み,木の根を堀り,木の皮を剥ぎ,アカシヤの花をとってやっと生命をつないでいる。だからだれもが弾力なくふくれあがって栄養不良となり,むさ苦しいオンドルで水ばかり飲んで寝ころんでいる。ある農業指導員から『農民はもっとも多忙な田植えのときさえ,粟飯でも二度三度食べているものはほんのわずかでしょう』と聞かされて驚いた」(1933年6月12日「大阪毎日新聞」)

「ただでさえ不足がちの,朝鮮人消費用の米は減っていき,大多数の人々は,草根木皮を食べて生きなければならぬありさまであった」(宇垣一成総督の1934年の談話,李玉『朝鮮史』1982クセジュ文庫)

「過去多年の搾取誅求に悩まされて,心のうちは著しく荒廃し,いわゆる酔生夢死,奮発心も感激性もすり減って希望も理想も意気もない」(宇垣総督)(鄭在貞『新しい韓国近現代史』)

「農家,特に小作農の中には,秋の収穫期に小作料と借用食糧および債務利子を支払えば,あとには稲を脱穀した台と籾を入れていたパガジしか残らないという,惨憺たる状態にあるものも少なくない……。自ら食糧を生産しながら,自身はこれを食べることができず,端境期になると,もっぱら草根木皮で生命をながらえることが多い」(京城日報社編『朝鮮年鑑』1940年版)

でも、農民は死ななかった。
日帝時代、記録に残るような大量餓死はなく、人口は倍増した。

http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=TR&action=m&board=1835396&tid=4z9qa1a6dabaafbfma4acffckdcbfma4xbcu baaa1a6hbfbeja49a4kbel&sid=1835396&mid=577

ぼくは、このような状況が現出したのは、長い日帝時代の一時期、限定された地域のことだったのだろうと思ってます。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=a4a4a4a4a4aba42a4sa4ka47a4mffckdcbfm &sid=1835396&mid=165

マサビュオー『新朝鮮事情』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/09 01:20 投稿番号: [236 / 3669]
当時の朝鮮人のなかでいちばん多かったのは農民だから、農民の生活について見ると、フランス人の研究者はつぎのように書いてます。

「日常生活の不安定な状態は、それに対する本能的な反応として、驚異的な出産率をもたらしたが(これがまた不安定な状態を定着させる結果となったのだが)、それは同時に朝鮮の農村文明を特徴づける社会機構にその根源を持っていた。人口が増加してある一定の数に到達すると、農民はその結果、窮地に追い込まれる。
そして、最初に食糧不足が顕著になってくる。農村労働の主目的である食料は貧弱であり、スープや穀物粥は、飢饉の際には野草の薄粥によって代用される。ごくわずかの魚、少量の肉と砂糖は、動物性たんぱく質、脂肪、炭水化物の乏しい朝鮮人の食生活の特徴である。
彼らには蓄える余裕すらなく、その日暮らしに追われていた。
唯一の資本は土地と家屋であった。それを売り払うことは生活を失うことである。それゆえ農民は刈り取りまえにその収穫を売却するが、その結果、高利の金を借りることになった。飢餓の際に農民を餓死から救うことができるのは高利貸しだけであり、その権力は大きかった。彼らは年利100%、ときには6ヶ月の利率100%とといった高利で貸付を行う。返済のできない農民は、また別のところで高利の借金を余儀なくされる。
貧農はそのため一生を高利の借金にうまって暮らすのであった。
しかし、地主の土地を管理する管理人は、よりいっそう過酷であった。村民の相当数は自作農であるが、耕地の平均半分は不在地主の所有であり、残りの大部分は旧家の所有であった。一般的に言って小作料は収穫の半分であり、時によってそれ以下、あるいはそれ以上(ことに南部の豊かな土地で)であった。
商人が農民にとって第三の敵であった。商人は強力な同業組織を持ち、物価の操作に長じているので、時機を選んで穀物の売買を行うことができた。多くの中間業者が介在するので、農民の手に入るのは、平均して最終価格のわずか4分の1程度の金額にすぎなかった。たとえ不平を訴え出ても官僚組織の壁にぶつかった(官僚はしばしば自分自身が大地主であった)。」
『新朝鮮事情』(J.プズー=マサビュオー、白水社)

マーク・ピーティ『植民地』②

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/09 01:11 投稿番号: [235 / 3669]
>当時の朝鮮人たちの実生活を「日本寄り」でもなく「朝鮮寄り」でもなく第三者として見つめたようすを詳しく書かれた本はありますか?

なかなか難しい注文ですね。
第三者としてふさわしいのは日本、朝鮮以外の人の書いた報告だけど、日帝時代のものはあまり多くない。

Msg227に紹介した本はアメリカ人の書いたもので、日本の植民地支配について詳しい分析がされているものの、当時の朝鮮人たちの実生活についてはあまり載ってない。
ただ、こんな記述がありました。

「「親・植民地号」という汽車に乗れば、乗客の眼前に現れるのは病院や学校、橋や道路、住宅建設の現場や農業試験場、灯台や電信所である。座席で彼が話する相手はかつての植民地官吏たちであり、彼が読むのは増大する人口や生産物資についての統計と、健康管理や公衆衛生の向上についての報告書である。
  この汽車に乗った乗客が、帝国の熱烈な賛同者になってしまうことに何の不思議もない。
  しかし、これとは反対に「反・植民地号」という汽車に乗り込むと、全く違った旅になる。乗客が目にするのは、都市のスラムやごみ捨て場、汚染された川や丸裸になった森、警察官の残虐な行為や強制労働の場面である。
  座席で話しかける相手も悲観的な経済学者や、投獄された政治犯、激昂する小作人であり、読むのは社会的不正や大衆の不満についての報告書、経済的差別や貧困についての報告書である」

人はみな、それぞれの立場があるから、「〜寄り」じゃない、純粋に客観的な見方というのが、そもそもあるかどうか。

我儘な要望ですが

投稿者: kazumi246 投稿日時: 2001/11/08 11:34 投稿番号: [234 / 3669]
レスありがとうございます。
当時の朝鮮人たちの実生活を「日本寄り」でもなく「朝鮮寄り」でもなく第三者として見つめたようすを詳しく書かれた本はありますか?

>私も知りたいと思って、いろいろ調べたりしています

ご多忙中にすみません。

>お願い

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/07 20:26 投稿番号: [233 / 3669]
はじめまして。

>日韓併合において統治された側、朝鮮人たちの生活・その他、いろんなことを知りたいので

私も知りたいと思って、いろいろ調べたりしています。
でも、難しいですね。実際にあの時代を体験したわけじゃありませんから。

で、具体的にどのようなことをお知りになりたいのでしょうか。

本の推薦ぐらいならできるかと思います。
ここ、そういうトピですので。

bosintangさん  お願いがあるのですが

投稿者: kazumi246 投稿日時: 2001/11/07 08:56 投稿番号: [232 / 3669]
はじめまして。よろしくおねがいします。
実はあなたのことをgoodytwoshoses さんに紹介していただいたのですが一つ尋ねさせてもらってよろしいでしょうか。

日韓併合において統治された側、朝鮮人たちの生活・その他、いろんなことを知りたいので教えて下さいませませ。
どうぞよろしくお願いします。

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/05 23:57 投稿番号: [231 / 3669]
>朴裕宏
???−1888   日本陸軍士官学校生徒

>1911年韓国併合の時、大韓帝国から日本陸軍士官学校に留学していた生徒が
夜の青山墓地に集まり「これから如何しようか」と密談した。
と記述があります。
では彼らは何故に夜の青山墓地だったのでしょうか、
士官学校の先輩朴裕宏の墓の前に集まったのではないでしょうか。

う〜む、おもしろいですね。
ありうる話だと思います。

金玉均は、81‐84年に日本に三たび往来しながら、徐載弼ら50余名の日本留学生派遣に努力し、実現させたそうです。徐載弼は戸山陸軍学校に留学したから、朴裕宏もその50余名の一人だったかもしれない。

朴裕宏が死んだ88年といえば、金玉均は札幌に幽閉中ですね。

金玉均はクーデターに失敗したあと、日本に亡命。日本政府は彼の亡命を,対清外交の障害とみて86年8月から小笠原諸島,88年8月からは北海道札幌に幽閉しました。
朴裕宏は死の床で、自分の恩人、金玉均のことが片時も頭から離れなかったのではないかな。

朴裕宏先生、少し判り更に謎が深まる②

投稿者: piment999 投稿日時: 2001/11/02 23:30 投稿番号: [230 / 3669]
朴裕宏日本陸軍士官学校生徒

此れだけでしたが、私の少ない記憶の一つだけ蘇りました。

山本七平「洪思翊中将の処刑」この中に
1911年韓国併合の時、大韓帝国から日本陸軍士官学校に留学していた生徒が
夜の青山墓地に集まり「これから如何しようか」と密談した。
と記述があります。

では彼らは何故に夜の青山墓地だったのかでしょう、
士官学校の先輩朴裕宏の墓の前に集まったのではないでしょうか。

朴裕宏先生の墓の左面に「光武四年」とあります。
この年は1900年ですから韓国併合の年には既にあったでしょう。

後の洪中将始め大韓帝国軍人の留学生は、朴裕宏先輩の墓があるからこそ
夜の青山墓地に密かに集まり今後を論議したのではないだろうか。

しかし、故山本七平さんの「洪思翊中将の処刑」には大韓帝国軍人朴裕宏先生の名前は出てきません。

これは不思議な事であり、ミステリーです。

このへん楽しみながら、今後も調べてみたいです。

朴裕宏先生、少し判り更に謎が深まる①

投稿者: piment999 投稿日時: 2001/11/02 23:01 投稿番号: [229 / 3669]
犬鍋さんオレガンマニエヨ

本等にお久しぶりです

さて、過日「朴裕宏」さんの話題を出しましたが。。。結局誰か分かりませんでした。

数日前、青山墓地を通り掛かり金玉均先生と朴裕宏先生に線香をあげました、

ついでに、もしかしたら管理事務所でなら朴裕宏先生の事が少しは判るかと訪ねました

青山外人墓地区の著名な人の事は説明リストがあるようです。
墓参りマニヤのサービスでしょう(笑)

朴裕宏先生は暫く調べて、本等に簡単な記録がありました。

朴裕宏
???−1888   日本陸軍士官学校生徒

これだけです

訂正

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/10/31 02:17 投稿番号: [228 / 3669]
節の刀→武士の刀

マーク・ピーティ『植民地』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/10/30 23:22 投稿番号: [227 / 3669]
>【朝鮮半島の日本の安全保障】
〈申請〉
>東アジアの地図を見てみよう。日本はユーラシア大陸から少し離れて、海に浮かぶ島国である。この日本に向けて大陸から一本の腕が突き出ている。それが朝鮮半島だ。朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり、後背地をもたない島国の日本は、自国の防衛が困難となる。この意味で、朝鮮半島は日本に絶えず突きつけられている凶器となりかねない位置関係にあった。

〈修正後〉
>東アジアの地図を見てみよう。日本はユーラシア大陸から少し離れて、海に浮かぶ島国である。この日本に向けて大陸から一本の腕が突き出ている。それが朝鮮半島だ。朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり、後背地をもたない島国の日本は、自国の防衛が困難となると考えられていた。

>「凶器」という表現はいかにも不穏当。削除は妥当でしょう。なんでわざわざそんな表現を使ったんだろう。

理由がわかりました。

「日本陸軍初期の参謀顧問を務めたプロシャのメッケル少佐は、日本にとっての朝鮮の戦略的な重要性を確信し、もし朝鮮がロシアのような大国に支配されれば、日本の心臓を狙う短剣のようなものになると指摘した。しかし、朝鮮の愛国者がそれを聞いたら、日本列島こそ朝鮮の心臓に対する節の刀のようなものだと反論を加えたに違いなかろう」
(マーク・ピーティ『植民地帝国50年の興亡』読売新聞社、20世紀の日本4、1996)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/contents/-/books/4643960280/250-7124984-6953860

黒田勝弘『韓国を食べる』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/10/29 12:09 投稿番号: [226 / 3669]
黒田勝弘『韓国を食べる−「食」から見た韓国人』(光文社1,300円)

産経黒田特派員の最新刊

http://kodansha.cplaza.ne.jp/hot/shyohyou/2001_gweek/ta.html

〔韓国語版〕
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2001/10/13/20011013000002.html

なお、犬が食べたい人はお早めに。
一斉手入れが近いらしい。

http://japanese.joins.com/php/article.php?sv=jnews&src=soci&cont=soci0&aid=20011028213011400

>鐵甚平『三韓昔がたり』

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2001/10/25 01:05 投稿番号: [225 / 3669]
>原典に忠実に、安っぽい脚色なしに、平易でありながらも格調高い日本語で綴られている。

私もこの書好きです。

韓国を知る本は。。。と聞かれると『三韓昔がたり』を筆頭に進めてます。

ファジャンシルへ   イロナナダ@KOJO

鐵甚平『三韓昔がたり』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/10/25 00:35 投稿番号: [224 / 3669]
1942年、学習社刊

鐵甚平というのは、金素雲が戦前に使っていたペンネーム。

戦争中の日本の子供たちにむけて、『三国史記』『三国遺事』から精選した、古代朝鮮の歴史物語が40編ほど紹介されている。
原典に忠実に、安っぽい脚色なしに、平易でありながらも格調高い日本語で綴られている。

ところで、金素雲自身はペンネームを「鉄甚平」とつけた。
当時は、創氏改名キャンペーンによって「金」という姓ではとても本を出せる状況になかった。「鉄」(金を失う)には、そうしたことへの無念さが込められている。
しかし、無神経な編集者が、俗字よりは本字のほうがよかろうという、余計な親切心を出して著者に無断で「鐵」に訂正し、そのまま出版されてしまった。

講談社学術文庫版の解説でこのエピソードを紹介しているのが、名うての右派論客、小堀桂一郎(ドイツ文学者)であるところも面白い。
氏は、この本が金素雲の手になるものとはしらずに、少年時代、同書を愛読していたそうだ。

金素雲『三韓昔がたり』(講談社学術文庫688、1985)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061586882/qid%3D1003937466/250-6755095-4045047

>>田中 明『物語 韓国人』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/10/15 00:04 投稿番号: [223 / 3669]
田中明の文章に迫力があるのは、彼が半島に生まれ、望むと望まないとにかかわらず支配者階級の息子として数年を過ごしたことに対する原罪意識があるからだと思う。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=87

韓国で数年すごしただけの通りすがりの観察者が書く体験記とはわけが違う。

関川夏央も黒田勝弘も古田博司も、コリアについて確かによく調べてるけど、迫力という点で田中明には勝てない。彼らは好きでコリアにのめりこんでいった人たちで、原罪意識とは無縁だ。

意外に似てるのは佐藤勝巳かもしれない。

若き共産党員として、北の楽園説を信じ、帰還運動に積極的にかかわり、後に北の実態を知るに至り、韓国も含めた、コリアへの激越な批判者になる。その批判のトーンには、自らが犯した取り返しのつかない過ちへの自責がある。

在日二世、鄭大均の文章もまた別の意味の重みがある。彼のコリア批判は、その一言一言がわが身に刻まれる。

自らが痛みを感じつつ書く文章は、読むものの心に迫るものがある。

>田中 明『物語 韓国人』

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2001/10/14 06:17 投稿番号: [222 / 3669]
「現実よりも観念を重んじ、道徳的な装いで相手を指弾する -- - 儒教と華夷思想が、かってリアリズムの世界にいた韓国人を変容させた」と説く筆者は、元朝日新聞記者。産経の記者でなかった事が悔やまれる。

「朝鮮・韓国ナショナリズムと小国意識」

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2001/10/03 06:50 投稿番号: [221 / 3669]
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20011003k0000m040159000c.html

この本を読まれた方は、おられるのかな?

>ご相談

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/10/03 00:11 投稿番号: [220 / 3669]
「ヤシの葉でできたモルディブの小屋のあいだから見た夜空を別にすれば、ここ北朝鮮ほど星空をよく研究できる所はほかにない。漆黒の闇なのだ」(ノベルト・フォラツェン『北朝鮮を知りすぎた医者』瀬木碧訳、草思社2001)

来訪者さんへ
今年は、ソルラルに北朝鮮とならんで星空がきれいな島へ行ってしまったため、秋夕は金欠。ソウル市内某ホテルの秋夕激安パックで、のんびりとしておりました。
私の投稿はリンクフリーです。ご自由にお使いください。

ご相談>犬鍋さん

投稿者: raihousha2001 投稿日時: 2001/10/02 15:22 投稿番号: [219 / 3669]
秋夕休みはいかがお過ごしでしょうか。

私のHPに、犬鍋さんの翻訳された「韓国人の手による韓国教科書批判」
を紹介したいですが、(このトピックのレス149から155までの部分を)

リンク、或いは直接掲載で紹介したいと思っておりますが、宜しいでしょうか。

ゾウさん

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/09/30 22:50 投稿番号: [218 / 3669]
フォローありがとう。

あの方面は疎いもので、助かりました。

また、何か本を紹介いただけるとありがたいです。

『朝鮮語大辞典』角川書店

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/09/30 22:48 投稿番号: [217 / 3669]
ユンボギの日記の訳者、塚本勲氏は辞典も出してますね。

絶版らしいが、『朝鮮語大辞典』(角川書店1986、大阪外国語大学朝鮮語研究室編)

私は使ったことないけれど、使ったことのある人の話では
「なんか例文が暗いと思ったら、『ユンボギの日記』からの引用が多いからだ」
とのこと。

ま、あれだけの大辞典を小4の日記だけで作るわけにいかないでしょうけど。

なお、『ユンボギの日記』(1965)のあとがきによれば、同書は日本人が、日本語に翻訳しておおやけに刊行する最初の本だそうだ。
これは驚き。

>日韓横断鉄道について

投稿者: kokkiri99 投稿日時: 2001/09/24 15:47 投稿番号: [216 / 3669]
こんにちは。いつもはROMしているだけですが、面白そうなテーマだったので、ちょっと調べてみました。

http://www.iijnet.or.jp/IHCC/prj.html
http://www.d5.dion.ne.jp/~hk-net/sankei.htm

李潤福『ユンボギの日記』2

投稿者: Anastasia99 投稿日時: 2001/09/23 00:26 投稿番号: [215 / 3669]
うっかりはりつけ忘れ、失礼いたしました。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9974648718

李潤福『ユンボギの日記』

投稿者: Anastasia99 投稿日時: 2001/09/23 00:23 投稿番号: [214 / 3669]
ご紹介くださった『韓くにのこどもたち』の内容を読んでいて思い出しました。こどもたちも変化していきますね。

  「教鞭」については、以前李圭泰が朝鮮日報のコラムに、「かつては親たちが木の枝で作った鞭を教師に差しだし、これで子どもを躾けてくれと頼んだものだった」と書いていたのを読んだ記憶があります。

  体罰が少なくなりつつあるというのは、学校が民主的になっているということなのか、教師と生徒・教師とPTAの間に最早信頼関係は成立しないということなのか、はて。

日韓横断鉄道について

投稿者: tyacha 投稿日時: 2001/09/22 15:55 投稿番号: [213 / 3669]
こんにちは
日本と韓国の海の下を結んで鉄道を通す計画がすすめられているようなのですけど、詳しいホームページとか書籍とか御存じないでしょうか?
子供の頃マンガの中でみた記憶しかないので。

ポシンタンさん、有り難うございます

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2001/09/22 14:27 投稿番号: [212 / 3669]
面白そうな古典作品なのに日本語の翻訳本が無いのですか

残念だな〜、
ポシンタンさんが翻訳して出版したらどうですか、韓国マニアの人数分は間違いなく売れると思うのですが。

>フンブとノルブ、うさぎの肝、沈清伝なんかの有名なお話はいろいろな本で紹介されていると思いますが。

これは、ご指摘の東洋文庫の「パンソリ」で読みました。

また、判らない事や知りたい事がありましたら、ご指導よろしくお願いします。

古城

古典文学

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/09/22 12:42 投稿番号: [211 / 3669]
初めまして。

ヤフー百科事典によれば、

「松泉筆譚」
朝鮮後期の学者シムジェが、韓国、中国のさまざまな文献や、自らの見聞から著わした随筆集。
http://kr.encycl.yahoo.com/final.html?id=95778

「於于野譚」
朝鮮光海君時代に於于堂柳夢寅(1559~1623)が書いた野談集。
http://kr.encycl.yahoo.com/final.html?id=110041

「大東野乗」
朝鮮時代の稗官文学書
http://kr.encycl.yahoo.com/final.html?id=44355

だそうですが、上記が訳された本を、私は知りません。

幽霊や怪奇を題材にした韓国の古典で日本語で読めるのは、白水社『朝鮮幻想小説傑作選』(1990)にある「禽獣会議録」(ただし開化期)か、第三文明社『韓国古典文学選』(1990)の「金モ新話」「九雲夢」ぐらいではないでしょうか。

東洋文庫の『朝鮮小説史』のなかにもいくつかの小品が訳されています。

フンブとノルブ、うさぎの肝、沈清伝なんかの有名なお話はいろいろな本で紹介されていると思いますが。

ポシンタンさん、みなさん教えてください

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2001/09/21 23:01 投稿番号: [210 / 3669]
古城ともうします。
よろしく、ご指導をお願いします。

韓国の古典で面白い本があるようです。
幽霊や怪奇を題材にした書物で、日本の雨月物語のような物でしょうか。

「松泉筆談」と「於千野談」です

それと…怪談物では無いようですが「大東野乗」もです。

ハングルは挨拶程度しか理解できませんので
日本語に翻訳出版された物は無いでしょうか。

チャル   ブッタクハンミダ@古城

田中明『物語 韓国人』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/09/14 23:22 投稿番号: [209 / 3669]
田中明『物語   韓国人』(文春新書)
本体価格   680円   頁数   200
ISBNコ−ド   4-16-660188-1
発売日   8月21日

だれか読んだ人いませんか?

http://www.bunshun.co.jp/newseller/extra0108/4166601881.htm

都鍾煥編『韓くにのこどもたち』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/09/09 14:59 投稿番号: [208 / 3669]
都鍾煥編『韓くにのこどもたち−韓国の綴り方教室−』(鈴木友子・崔明姫訳、亜州1990)

不思議な本です。
1980年代前半、韓国農村の中学2年生の作文を翻訳出版したものですが、なぜこれを90年代の日本に翻訳紹介しようとしたのかが、訳者あとがきを読んでもわからない。
貧困、家庭内不和、家族愛、貧困からの脱出願望、農村生活、学校生活……。これらがありのままに描かれ、当時の韓国社会を理解する一助にはなりますが。

15〜20年前の韓国の学校の実態がかいま見られる作文。

「ぼくは試験が大嫌いだ。ぼくには嫌いというよりも、怖いといったほうが正しい。
学校で、「試験が好きな人」と尋ねると、百人が百人、「試験なんてきらいだ!」と答えることは明らかだ。どうしてかといえば、生徒の全員が「試験のあとには“愛の鞭”が待っているから……」と答えるだろう。これが、ぼくや他の生徒が試験をきらうほんとうの理由であり、正直な答えだ。
……ほかの日でも同じ気持ちになる日がある。通信簿をもらう日だ。その日も先生からしかられたり、ぶたれたりしないだろうかと心配する。
そんな日をなくす方法がある。勉強していい点数をとるか、でなければ試験をなくすかのどちらかだ。試験をなくすことはできないから勉強するしかないが、それも簡単ではない。机に向かうだけで急に眠くなるからだ。とにかく一生懸命勉強して試験がきらいでないようにしたいが、どちらにせよ試験はいやだ。
ぼくは最後にこう叫びたい。「ぼくたちは試験なくして生きられないのか!」」

試験が悪かったり、成績が落ちたりすると、鞭打たれたようです。「教鞭」が文字通り生きてた時代だったんですね。体罰については、近年社会問題化し、なくなりつつあるようです。

日本酒の歴史

投稿者: tuka_chan 投稿日時: 2001/09/02 13:05 投稿番号: [207 / 3669]
日本酒の歴史についてネットで検索してみました。

麹を使っているということで中国からの流れというのは確かですが、「日本酒」というものは日本独特のものみたいです。

http://www.kikumasamune.co.jp/toshokan/index.html

http://www.japansake.or.jp/sake/index.html

http://www.sakejapan.com/

>たまには逆スタンスの本も読もう

投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/09/02 04:15 投稿番号: [206 / 3669]
>「人は完全な客観的立場には立ち得ない」とほかのトピに書きました。

マンハイムのいう「人は存在拘束性から逃れられない」ということですね。このseinsgebundenheitは英語でなんというのだろうと思ってマンハイムの「イデオロギーとユートピア」の英語版をひっくり返したら、situationally determined とexistentially determinedがあったので、多分これだね。

>この先入観なしにってのがまた難しいんだけどね。

むつかしい。先日古本屋で家永三郎の「太平洋戦争」(岩波全書)があったので立ち読みしたけど、気分が悪くなったので買わなかった。でも、左翼の本は「トンでも本」と思って読めばいいかなとも思っているけど。いや、これも先入観。

たまには逆スタンスの本も読もう

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2001/09/02 01:07 投稿番号: [205 / 3669]
「日本による朝鮮支配の40年」姜在彦をお勧めします。
この人、朝までテレビの生討論によく出てくる。

「人は完全な客観的立場には立ち得ない」とほかのトピに書きました。

人が男あるいは女に生まれ、ある時代のある国民に生まれ、ある階級やある人種に生まれた以上、考え方だってものの見方感じ方だって何らかの属性と環境に支配されています。

でも「できるだけ客観的視点に立とうと努力すること」は必要だと思います。

これは左右双方に言えることだけど、たまには逆スタンスの本も先入観なしに読んでみよう。
この先入観なしにってのがまた難しいんだけどね。

中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/09/01 23:15 投稿番号: [204 / 3669]
中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書1966)にも酒の話がありました。麹を使った穀物酒は、茶、絹、漆、柑橘、シソとならぶ東アジア照葉樹林文化の一つだそうです。ただし、照葉樹林の帯よりやや広く、インド東北部山地からシナ北部、インドネシアまでが含まれるとのこと。韓国も少なくとも南部は含まれるでしょう。
バラ麹は日本にしか見られないが、「麹を使った酒造りという点ではまぎれもなく照葉樹林的な酒である」

なお、酒の製法の伝来ルートについての言及はありませんでした。

散麹と餅麹

投稿者: tuka_chan 投稿日時: 2001/08/24 02:26 投稿番号: [203 / 3669]
散麹と餅麹は形状が違うだけではないそうです。

製造方法
  散麹=1粒1粒バラバラになっている米を蒸してそれに麹の種を加えてカビを繁殖させる
  餅麹=穀物原料を先ず粉砕してから(それを蒸したり煮たりせず)生のまま水で練ってそのままにしてカビを繁殖させる

またカビの種類も
  散麹=コウジカビ(Aspergillus oryzae)
  餅麹=クモノスカビ(Rhizopus)

と異なるようです。少なくとも日本の麹は、伝来した麹をそのまま繁殖させて使い回しているのでは無いみたいですね。

また酒の製造方法も日本と大陸では異なるようです。

「大陸の麹の酒は、得られた麹と、麹以外の蒸した穀類原料、それに水の三者を容器に入れて仕込むのでありますが、日本の場合には、蒸した米と米麹と水の三者を一度に全部容器に仕込むのではなく、先ず元(酒母)を立ててから次にモロミを仕込みます。このモロミを仕込むのにも、蒸した米と米麹と水の三者を『添仕込み』、『仲仕込』、『留仕込』というように三回に分けて仕込む独特な方法であります。この日本酒独特の仕込み方法も、日本で編み出された方法といえるのではないでしょうか。」

こうしてみると百済伝来の日本酒説よりも、中国伝来の朝鮮酒説という方が妥当な気がしますが。

百済伝来説は古事記の応神記に「百済びとの須須許理が造った酒はおいしい酒であった」という記述が元になっているみたいですね。ただこの時代の酒は「口噛み酒」であったため、今の麹で造る日本酒とは直接は関係ないみたいです。

>鄭大聲『食文化の中の日本と朝鮮』

投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/08/24 00:35 投稿番号: [202 / 3669]
>「それまでは「口噛み酒」という酒があった。

猿の中にこの方法で酒を造って酒盛りするという話しがありましたね。木の実や果実を使って。何で見たのかなあ。

私が下戸です。

鄭大聲『食文化の中の日本と朝鮮』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/08/23 22:19 投稿番号: [201 / 3669]
>「・・・大陸の酒造りの手法が日本に入り、それが今日の日本酒になったという根拠は、少なくともこの麹造りから見ましても、無理な感がいたします。」だそうです。

標題本では、古事記の記述を根拠に、酒の百済伝来説をとってますね。バラ麹と餅麹の違いにも言及していますが、むしろカビを利用するという手法の共通性に着目して、半島渡来説の補強材料としているようです。

おもしろかったのは、半島からこの新しい酒が伝来する以前の酒の製法。

「それまでは「口噛み酒」という酒があった。これは女性、正式には未婚の女性が蒸し米を口中でよく噛んで壺にはく。幾度も噛んでそれをためて酒にした。ご飯類をよく噛むと唾液中のアミラーゼが米のでんぷん質を糖化して甘くなる。これを壺にためておくと自然に存在する酵母菌の発酵作用が進み、糖がアルコールになる、という手法であった。」

この酒は近年まで鹿児島、沖縄にその名残があり、また、類型が台湾、東南アジア、ポリネシア、アメリカ大陸と環太平洋地域に広く分布していたとのこと。

あんまり旨そうじゃないね。
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