マサビュオー『新朝鮮事情』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/09 01:20 投稿番号: [236 / 3669]
当時の朝鮮人のなかでいちばん多かったのは農民だから、農民の生活について見ると、フランス人の研究者はつぎのように書いてます。
「日常生活の不安定な状態は、それに対する本能的な反応として、驚異的な出産率をもたらしたが(これがまた不安定な状態を定着させる結果となったのだが)、それは同時に朝鮮の農村文明を特徴づける社会機構にその根源を持っていた。人口が増加してある一定の数に到達すると、農民はその結果、窮地に追い込まれる。
そして、最初に食糧不足が顕著になってくる。農村労働の主目的である食料は貧弱であり、スープや穀物粥は、飢饉の際には野草の薄粥によって代用される。ごくわずかの魚、少量の肉と砂糖は、動物性たんぱく質、脂肪、炭水化物の乏しい朝鮮人の食生活の特徴である。
彼らには蓄える余裕すらなく、その日暮らしに追われていた。
唯一の資本は土地と家屋であった。それを売り払うことは生活を失うことである。それゆえ農民は刈り取りまえにその収穫を売却するが、その結果、高利の金を借りることになった。飢餓の際に農民を餓死から救うことができるのは高利貸しだけであり、その権力は大きかった。彼らは年利100%、ときには6ヶ月の利率100%とといった高利で貸付を行う。返済のできない農民は、また別のところで高利の借金を余儀なくされる。
貧農はそのため一生を高利の借金にうまって暮らすのであった。
しかし、地主の土地を管理する管理人は、よりいっそう過酷であった。村民の相当数は自作農であるが、耕地の平均半分は不在地主の所有であり、残りの大部分は旧家の所有であった。一般的に言って小作料は収穫の半分であり、時によってそれ以下、あるいはそれ以上(ことに南部の豊かな土地で)であった。
商人が農民にとって第三の敵であった。商人は強力な同業組織を持ち、物価の操作に長じているので、時機を選んで穀物の売買を行うことができた。多くの中間業者が介在するので、農民の手に入るのは、平均して最終価格のわずか4分の1程度の金額にすぎなかった。たとえ不平を訴え出ても官僚組織の壁にぶつかった(官僚はしばしば自分自身が大地主であった)。」
『新朝鮮事情』(J.プズー=マサビュオー、白水社)
これは メッセージ 235 (bosintang さん)への返信です.
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