◆コリア関連書籍◆
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
優良トピにつき
投稿者: namu_de_hitoansin 投稿日時: 2001/08/15 17:20 投稿番号: [200 / 3669]
夏休みage
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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恐ろしや
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/08/02 19:29 投稿番号: [199 / 3669]
日帝を賛美すると、こんな仕打ちをうけちゃうんだ。
http://www.ggume.com/dogkim2.jpgチョクパリも軽蔑する国籍私生児
キム・ワンソプの犬のごとき姿を公開する。
この憎らしい犬コロは、自分を産んでくれた祖国と父母、そして兄弟、友達を裏切り、それでも足りずに売っぱらった、人間であることを拒んだ稀代の悪漢!
こいつのはらわたを掻き出し、挽きつぶし、歴史の前に頭を垂れることを知らぬ日本の犬どもに撒いてやろう!
これは メッセージ 189 (bosintang さん)への返信です.
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「味噌・醤油・酒の来た道」
投稿者: tuka_chan 投稿日時: 2001/08/01 02:41 投稿番号: [198 / 3669]
1986年10月4、5日に富山市で行われた第四回日本海文化を考える富山シンポジウム「食文化−創造と伝統」の講演及び座談会の内容を再編集したものです。中国・韓国・沿海州・蝦夷・縄文・日本海沿岸部等の食文化や、すし・日本酒についての講演が載っています。
韓国については金宅圭教授が「韓民族の食文化」と題して
1.古代において主食と副食が分離した。
2.統一新羅〜高麗時代に自生または外来の要素が韓民族の食文化に複合され、また細分化された。現在の韓民族が食べている食品、食文化の基礎はこの時代にほとんどできあがっていた。
3.朝鮮時代は社会階層や社会規範が少なからず食文化に反映された。
と講演しています。
正直、読み物としては少々面白い内容ではありません。味噌と醤油の歴史について興味があったのですが、あまり載っていませんでした。ただ日本酒についてはなかなか勉強になりました。
日本の麹は1粒1粒バラバラになっている米を蒸してそれに麹の種を加えてカビを生やしている「散麹」というタイプで、これに対して中国、韓国、フィリピン、インドネシア、ネパール、チベット等ではムギやヒエ、アワ、コウリャンといった穀物原料を先ず粉砕してから(それを蒸したり煮たりせず)生のまま水で練ってそのままにしてカビを繁殖させる「餅麹」と呼ばれるタイプだそうです。「散麹」は日本以外には見られないタイプで、カビの種類も「散麹」はコウジカビ、「餅麹」はクモノスカビで、微生物の分類上コウジカビとクモノスカビは全く種類が違うそうです。
「・・・大陸の酒造りの手法が日本に入り、それが今日の日本酒になったという根拠は、少なくともこの麹造りから見ましても、無理な感がいたします。」だそうです。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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金時鐘の少年時代
投稿者: Anastasia99 投稿日時: 2001/07/26 10:29 投稿番号: [197 / 3669]
大阪在住の詩人・金時鐘が、92年か93年秋頃発行『思想の科学』に書いた文章を読みました。
日帝植民地朝鮮での少年時代は楽しかったそうです。遊びまわったふるさとの景色、夜の暗闇に浮かぶちょうちん行列の興奮、今もあまやかに思い出すことばかりだそうです。
しかし、ふと気がつくとそれは朝鮮の山河を背景としているにもかかわらず、みな日本語による、日本的な風景であり、それが悲しいのだと彼は書いています。朝鮮人として生きているにもかかわらず、少年時代の記憶から母語と母国の風景が欠落していること、それが恨であるということなのでしょう。
どんなことでも多面的に語るのは難しいことです。少しでも「あのころはよかった」と言えば「親日派」となり、「売国奴」と呼ばれてしまう。
そもそも「親日派」=「売国奴」という構図がすんなり成り立つのがおかしいと思いますけどね。誰もそんなことを考えないのでしょうか。
これは メッセージ 194 (bosintang さん)への返信です.
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>公的な場
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/26 01:43 投稿番号: [196 / 3669]
>以前はご返事、ありがとう。
いえいえ。祭祀の件でしたよね。
>全然そうは思えなかった
誘導尋問的ってほどではないかもしれない。ただ、「日本人が悪いことをしたか」ということを聞くときに極端な例をだして否定的な答えを引き出そうとしているように感じたところがありました。
でも、韓国人の中で彼女の思惑通りの答えをしてくれたのは、最初の一人だけじゃないかなあ。
中で、息子がそばにいるから言いたいことが言えないかのように描いているところがあったけれども、あれもちょっと臭い。
彼女は韓国では札付きだし、本にする前提でのインタビューなら、息子がそばにいようがいまいが、やっぱり警戒するでしょう。
>>あの時代に対する肯定的な証言は、韓国側からはいよいよ出にくくなりそう。
>もともと出てないと思うけど。内部的には密かに出ていたかもしれないが、公的に、しかも日本に面と向かって植民地支配の長所を公的に語れる雰囲気など最初から無かったんじゃないでしょうか。
たしかに公的な場では、なかったかも。
ソウルの日本人社会では少し前まで、日帝時代を生きたおばあさんが、よく派出婦として出入りしてたけど、そういう人の中に肯定的な話をする人が多かった。もっとも私的な場だけど。
>これから政府の中枢に入りつつある世代は女史と同じで、最も反日教育が激しく、かつ、漢字を知らない世代。
その世代はそもそも実体験がないから仕方がないですね。
Msg99で紹介したけど、日帝の最大の不幸は、「愛国者を一夜にして裏切り者にした」ことだったと思います。
これは メッセージ 195 (kankokujin_ni_tyuui_seyo さん)への返信です.
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>bosintang
投稿者: kankokujin_ni_tyuui_seyo 投稿日時: 2001/07/26 00:59 投稿番号: [195 / 3669]
以前はご返事、ありがとう。
>「よき関係にあったこと」を強調したいあまり、質問が多少誘導尋問的になっているところが、惜しい。
そうかな?
オレには全然そうは思えなかったけどね。むしろ、日本がした「悪行」を告白した韓国人の思想背景を女史がフォローした(解説した)、という感じだったと思うがね。
誘導尋問するくらいなら、日本に対するネガティブなイメージばかりを語った、映画監督の証言など載せなかったと思うけど。
>昨今の雰囲気だと、あの時代に対する肯定的な証言は、韓国側からはいよいよ出にくくなりそう。
もともと出てないと思うけど。内部的には密かに出ていたかもしれないが、公的に、しかも日本に面と向かって植民地支配の長所を公的に語れる雰囲気など最初から無かったんじゃないでしょうか。
韓国の若者はとにかく、これから政府の中枢に入りつつある世代は女史と同じで、最も反日教育が激しく、かつ、漢字を知らない世代。そのような人々でも、公的に「あの時代に対する肯定的な証言」を語れる人が韓国にいるのでしょうか?
これは メッセージ 194 (bosintang さん)への返信です.
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>歴史の歪曲とは何か
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/25 23:08 投稿番号: [194 / 3669]
前に紹介していただいた呉善花『生活者の日本統治時代』を読みました。
>歴史的事実といわれるものについても、一言も言えずに死んでいった人々が見ていた事実が欠落している
本書におさめられている証言は、日帝35年を実際に体験した人が、どんどん少なくなっていくなかで、貴重な証言といえるだろうけれど、「よき関係にあったこと」を強調したいあまり、質問が多少誘導尋問的になっているところが、惜しい。
昨今の雰囲気だと、あの時代に対する肯定的な証言は、韓国側からはいよいよ出にくくなりそう。
まさに「一言もいわずに死んでいく」ってことになっちゃうね。
実際にはいろんなドラマがあったはずなのに。
これは メッセージ 191 (Anastasia99 さん)への返信です.
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警告!!
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/25 22:52 投稿番号: [193 / 3669]
前に紹介した〈日帝時代は我々にとって祝福だった〉は大丈夫だけど、同じ著者の別のコラムのいくつかが、戦闘的愛国者によってハッキングだか、クラッキングだかされて、プラクラがどうのこうので、とにかく危ないらしい。
気をつけてくださいね。
これは メッセージ 189 (bosintang さん)への返信です.
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すごいね。
投稿者: hehenonomoheji 投稿日時: 2001/07/23 16:13 投稿番号: [192 / 3669]
韓日翻訳ソフトってすごいね。ばっちり、訳してくれた。読みました。
この論文もすごいね。
本当に怜悧な日帝評価ですね。反日教育を乗り越えてのここまでの到達、お見事。
先のクルマ氏の論文のなかの戦前の日本と独立以後の韓国をだぶらせた
結論も私には少しショックだったけどよく考えれば、なるほどと納得。
最近、増えてるって。あははは。
韓国のITの成長がなければ、こういう意見も発表の場がなく、
韓国ITの発展は本当にすばらしい結果をもたらしそうですね。
これは メッセージ 189 (bosintang さん)への返信です.
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歴史の歪曲とは何か
投稿者: Anastasia99 投稿日時: 2001/07/23 15:18 投稿番号: [191 / 3669]
中島みち『日中戦争いまだ終わらず』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%93%FA%92%86%90%ED%91%88%82%A2%82%DC%82%BE%8F%49%82%E7%82%B8
マレー半島において日本軍兵士が南洋華人に対して何を行い、何をなさなかったかを膨大な資料と生存者へのインタビューにより考察した、赤城大人ご推薦の労作。
報道や戦記などの出版物で事実を歪曲した記述を目にした筆者が、その部分について記述の間違いを指摘しようとすると、職業軍人であった舅は、軍人たる者は弁明や反論をするべきではないといさめたそうである。過去を語ることのできる人たちのこうした心理について、中島はあとがきで指摘している。(p.447)
歴史そのものは、多くの埋もれたり抹殺されたりした事実によって動いているのであり、後世にいわる歴史として遺っているものなど、その事実のほんの一部でしかなく、それも、その次の時代を支配する権力の構造や時代の雰囲気により、遺ったり消えたり定めないものであり、歴史的事実はあっても歴史の真実などと言うものを誰が見きわめることができようか。そしてその歴史的事実といわれるものについても、一言も言えずに死んでいった人々が見ていた事実が欠落しているというのに、黙って戦うことにより一般人を守ることを職業としているものが、その任務を果たせなかった以上、一言も言うべきでない、ということだったのではないでしょうか。
歴史的事実に関しては、慎重かつ謙虚に裏付けのとれる事実を中心として取り扱うべきであると再認識した次第です。
トピずれ失礼いたしました。合掌。
これは メッセージ 168 (bosintang さん)への返信です.
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>たった一人の韓国人?
投稿者: yamaneko_army 投稿日時: 2001/07/23 08:40 投稿番号: [190 / 3669]
>〈日帝時代は我々にとって祝福だった〉
これには驚いた!この文章を書いた人物が韓国社会から抹殺されないことを願います。
これは メッセージ 189 (bosintang さん)への返信です.
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たった一人の韓国人?
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/23 07:43 投稿番号: [189 / 3669]
これは メッセージ 185 (Kmechan さん)への返信です.
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>おもしろいよ
投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/07/23 04:20 投稿番号: [188 / 3669]
阿呆の見本としてはね、確かに。でも阿呆は見飽きた。食傷気味。
これは メッセージ 187 (Kmechan さん)への返信です.
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おもしろいよ
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/07/23 04:06 投稿番号: [187 / 3669]
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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調査中
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/07/23 02:30 投稿番号: [186 / 3669]
>しかし、自分では根拠を示さないのに、他人への追及は厳しいね
だから数字は難しいと言っているでしょ
まあ2箇所ほどたずねているから
返事がきたら公開するよ
金大統領にもメ−ルしたよ
楽しみにね
これは メッセージ 184 (bosintang さん)への返信です.
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信用しない
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/07/23 02:25 投稿番号: [185 / 3669]
>土地も米も韓国人によって否定されちゃったけど、どうする
たった一人の韓国人?のいうこと
単純に信用するほど馬鹿じゃない
これは メッセージ 184 (bosintang さん)への返信です.
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コーヒー=久米ちゃんへ
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/22 17:50 投稿番号: [184 / 3669]
これは メッセージ 183 (coffee200721 さん)への返信です.
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土地調査事業の再評価
投稿者: coffee200721 投稿日時: 2001/07/22 17:15 投稿番号: [183 / 3669]
これらの細かい数字のもとになっている
資料の出所は?
これは メッセージ 181 (bosintang さん)への返信です.
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やっぱり久米ちゃんでしたか
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/22 16:04 投稿番号: [182 / 3669]
>3.1運動の原因は米不足が原因ではない
>アメリカ大統領ウイルソンの民族自決宣言を契機に一般民衆が自然発生的に始めた
独立運動である。
本論を読めば、米不足だけが原因なんて言ってないでしょう。それにウィルソンだけじゃなくコミンテルンの影響もあったはずなのにそれを明記しないのが歪曲だと言っている。
>当然独立運動なんだから愛国心の発露だろう
愛国心の発露だけで説明するのは無理があるということ。
>大正デモクラシ−と朝鮮の文化統治となんら関係ない
なんでそんなことが言い切れるの?
>1910年集会取締令により言論、出版、集会、結社の自由はなくなった。
>1911年朝鮮教育令により朝鮮の歴史、地理の変わりに日本語、日本の地理・歴史そして修身が教えられた。
11年の教育令では普通学校(4年)の必須科目に歴史地理がなかったけれど、それは日本の尋常小学校にもなかったから。日本の地理、歴史が科目として登場したのは普通学校が6年制になった1920年から。
日本語の授業は1906年の学制改正のおり、週6時間が必修になっている(国語=韓国語の時間数と同じ)。
教育については次が詳しいよ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=TR&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=138>>糧穀を収奪したという部分,韓半島から糧穀を略奪していったという記述において,ほとんど歪曲の極致を見せる。知ってのとおり,植民地朝鮮で民族資本が形成された時期は,日本へ大量の糧穀を輸出した時期と一致する。朝鮮内の糧穀が日本市場に売られたことが,民族資本形成に大きく寄与したという事実を,なぜ否定するのか?
糧穀の「輸出」を「収奪」と言うのは,まさに「侵略」を「進出」と言うのに匹敵する言語道断の物言いだ。
>大多数の民族資本家は完全な零細企業である。
民族資本の大企業としては京城紡績株式会社(地主資本)と平壌メリヤス工場(商人資本)だ有名だね。国史教科書にも出てる。
>1942年ごろには資本総額に対して
96%が日本資本の日本人経営
朝鮮人経営の資本は1.56%しかない
だから統計で見るかぎり、民族資本形成に大きく寄与したとはいえない
ていうことは「1920年代、民族企業がだんだん活気を帯びていくとき、民族実力養成運動の一貫として全国的に展開されたのが朝鮮物産奨励運動だった」(国史(下)165ページ)のなかの「民族企業がだんだん活気を帯びて」いったというのが歪曲ということになるね。
で、輸出を収奪というのは歪曲じゃないの?
>産米増殖計画の結果1919年と1932年を比較すると小作農が37.6%〜52.7%へ増加し自作農が減った分だけ日本人地主が増加した
自作農の減少が日本でも起こったことは、あの論考にあったとおり。日本人地主が増えたとしても、依然として地主の圧倒的多数は朝鮮人だったよね。
これは メッセージ 175 (Kmechan さん)への返信です.
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土地調査事業の再評価⑤
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/22 14:22 投稿番号: [181 / 3669]
最後に地税負担について。
収奪論の立場に立つ研究者は、「事業」によって地税負担が増したことを強調する。
その論拠は、地税賦課方式が変わり、実際に地税収入が増加したこと、地税賦課の基準になる法定地価が時価より高く設定されたことに置かれている。
これもまた、歴史的事実に反した推論だ。
「事業」後の1918年の地税は、17年より13%増えたが、これは18年の米価が17年より60%以上増えたことを考えれば、それほど大幅なものではない。
また、法定地価が時価より高く決められたわけでもない。
日帝は、地価を、その土地から期待できる純収益に基づいて決めた。純収益は、総収穫から経費55%を控除した金額から、租税公課金を引いたもので、収穫量に穀価を乗じて算出する。収穫量はさまざまな斟酌率を掛けるので、実収穫量より低く表れる。穀価は道単位で決められるが、1911−13年の収穫後4か月間の中等品卸売価格の平均が用いられた。収穫後の穀価は1年の中では安い時期だ。総督府のサンプル調査でも、法定地価は全体的に時価より安かった。
地税は、上記の方法で算出された地価に、一律1・3%を賦課した。これは、日本国内に比し、地主に有利だった。地価算定式から逆算すれば、地税は総収益の5%以下で、これは地租改正後の日本と比べ、6分の1の水準にすぎない。
また累進税が適用されなかったため、大土地所有者は負担を相対的に軽く感じたはずである。もっとも、地税賦課方式の変更にともない、地域、地目によっては、税負担が重くなった場合もある。
私は、「事業」により近代的土地所有が確立されたと見る。これにより資本主義が農村に浸透する契機となった。
なお、この評価は「植民地美化論」とは無縁である。
(了)
これは メッセージ 180 (bosintang さん)への返信です.
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土地調査事業の再評価④
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/22 13:54 投稿番号: [180 / 3669]
紛争地はすべて国有とされたか?
申告で紛争が起きた場合、いったん和解を勧め、和解に至らなければ、紛争地審査委員会で査定した。査定に不服な場合は、高等土地調査委員会に申請できた。
紛争地総数は33、937件99、445筆、うち国有地に関連するものは64、570筆(64・9%)で、大きな比重を占める。また、紛争地は200筆あたり1筆の比率で発生し、けっして少ないとはいえない。
紛争地問題は、収奪論の有力な根拠になってきたが、これは日帝が、民有地を強制的に国有地と申告し、そうした「収奪」に反対する朝鮮農民の主張は紛争地審査委員会で一方的に黙殺され、国有地とされたという推論の基礎になっている。
しかし、このような推論もまた事実に反する。
大韓帝国樹立後、政府は財政強化のために「光武査検」といわれる国有地調査を実施した。そのとき、多くの民有地が公土(国有地)に編入され、紛争が発生した。この紛争は、内政院の強圧的姿勢のため解決を見ず、1908年、日帝によりすべて国有駅屯地に編入された。日帝はこの土地に対し駅屯地実地調査を行い、それによって作成された「度支部所管国有地台帳」が「事業」の基準帳簿になった。すなわち、事業における紛争地は、光武査検のときの紛争が持ち越されたものだ。国有地紛争が起こった原因は日帝が事業を通じて民有地を略奪しようとしたからだ、という収奪論の主張には、このような歴史的観点が欠落している。
また、紛争地処理において、総督府が一方的に有利だったわけでもない。京城府の国有地紛争では60%が国有地と査定され、その比率は高いほうだが、金海郡では44%、パチョン郡では8・9%にすぎず、国有地化された比率が低い地域もある。
査定に不服な場合は、高等土地調査委員会に不服申請ができたが、受け付けられた申請の半分以上は、取り下げ、または差し戻され、9、388件(46・6%)が審査対象になった。そして、その92・1%は、不服申請した人の主張が受け入れられた。
また、不服申請地(2、872件)は原紛争地(33、937件)の10%にも満たず、これまで考えられていたのと違い、紛争地の大部分が査定に承服したことがわかる。紛争地調査に不服な農民が大挙不服申請をしたはず、という収奪論の推論は、このような基礎統計の確認さえ怠ったものだ。
「事業」における紛争地調査が、日帝の土地略奪を通した国有地創出に寄与したという収奪論の主張は、誤った事実認識に基づいている。
これは メッセージ 179 (bosintang さん)への返信です.
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土地調査事業の再評価③
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/22 13:53 投稿番号: [179 / 3669]
次に、土地申告書の不正によって土地所有権を奪うことができかどうか。
申告書は地主本人が作成するのが原則だが、申告書を調べると、その筆跡から、地主総代など何人かの、文字がわかる人々によって代理作成されたことがわかる。しかし、この代理作成過程で、地主総代が恣意的に土地所有者を変えることは不可能だった。
総督府は土地申告の正確を期し、申告漏れを防ぐため、1910年に作成された課税台帳を土地申告書の基礎とした。課税台帳は1910年から実際の課税に利用されていた帳簿であり、土地申告書が実際の土地所有状況から外れて作成される可能性はほとんどない。
また、地主総代は、彼らの政治的・経済的地位からみて、現実の所有関係を変更できるほどの力はなかった。ある事例研究では、地主総代26人中、1坪の耕地ももっていない者が10人もおり、5町歩以上の土地をもつのは3人にすぎなかった。地主総代は、その名が与えるイメージとは違い、地主階級の代表でも、地域社会の有力者でもなかった。
これは メッセージ 178 (bosintang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/179.html
土地調査事業の再評価②
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/22 13:52 投稿番号: [178 / 3669]
収奪論の論理は、①土地申告の際の不正と無申告地の略奪、②不法な所有権変更に対し農民が紛争を提起しても受け入れられなかった、③土地調査以後、農民の地税負担が増えた、と要約できる。
収奪論者は、農民の中には、土地申告制度を知らなかったり、知っていても漢字や日本語がわからず申告できなかったり、日帝に対する反感のゆえにわざと申告しない人が多かった。それらの無申告地は国有地に編入された。また、土地申告書が提出されていないことを知った地主総代が、それらの土地を自分または自分の関係者名義にした場合があった。などと推論している。
しかし、これらの推論は事実に反している。
まず、無申告地について。
申告期間が過ぎても、申告が妥当だと認められれば、土地申告書は受理された。無申告地は、別途行われた調査で地主が判明すれば申告を勧誘し、申告の意思がないことが確認された場合に無申告地として処理された。無申告地は9、335筆で、全体2千万余筆の0・05%に過ぎなかった。
無申告地は、わずかだったとはいえ、国有地に編入されたのは事実だ。しかし、ある事例研究によれば、無申告地は墳墓地、雑種地が大部分で、性格上、本当に持ち主が不明だった可能性が高い。したがって、無申告地の存在だけでは、土地略奪の証拠にはならない。
これは メッセージ 177 (bosintang さん)への返信です.
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土地調査事業の再評価①
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/22 13:51 投稿番号: [177 / 3669]
※
別トピへの投稿のコピペです。
以下は、韓国の高級言論誌「創作と批評」96年夏号に掲載された、趙錫坤「収奪論の近代化論を超えて−植民地時代の再認識」から、悪名高い「土地調査事業」に関連する部分についての抄訳です。
http://www.changbi.com/magazine/s-096/s-096-%c1%b6%bc%ae%b0%ef.html「事業」についての一般的は認識は「日帝が朝鮮の土地を略奪するための措置」と要約できる。収奪論によれば、「事業」は、期限付きの申告制により行われ、その手続きは複雑で、申告できなかった人が多かった。この略奪により、全国の農土の約40%が略奪され、日本人にただ同然で払い下げられた。耕作権を失った朝鮮農民の一部は海外移住を強いられた、とされる。
このような収奪論に対し、宮嶋博史、Gragertなど、海外研究家から疑問が出され、国内においても土地申告書の実証的研究が進み、申告制を悪用して、それまでの土地所有関係を無視して土地略奪をするのはほとんど不可能であり、事業の結果生まれた国有地は、全体(490万町歩)の2・6%に過ぎなかったと指摘されている。
このような実証的研究にもかかわらず、収奪論は今も健在で、最近公刊されたチョ・チョンレの小説「アリラン」でも、「事業を妨害したら裁判なしに死刑」「総督府は朝鮮の土地の45%を占める最大の地主になった」などと描かれている。45%という正体不明の数字もそうだが、地主総代に暴行を加えたという理由だけで、面の駐在署長が農民を裁判なしに死刑に処せるという想像力には恐れ入る。
こんな小説が出てくる背景には、事業が「片手にピストル、片手に測量器で進められた」(シン・ヨンハ、1982)などと書いてきた「収奪論」がある。
これは メッセージ 166 (bosintang さん)への返信です.
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おいおい粂ちゃん
投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/07/22 03:55 投稿番号: [176 / 3669]
「日本人」である君は日本で教育を受けたのではないの?だとすると君もおかしなことを言う人間に含まれることになるのだけど。
それとも国籍は日本だけど、教育は外国で受けた?
これは メッセージ 175 (Kmechan さん)への返信です.
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日本で教育受けるとおかしなことを言うね
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/07/22 03:44 投稿番号: [175 / 3669]
>3・1運動が,時期的に日本国内(植民地朝鮮を含む)で糧穀不足騒動が全国的な騒擾になり,日本全国でデモと騒擾が頻発した時期と一致するということを,わが国の若者たちは知らない。直接・間接的に,糧穀不足についての不安が万歳運動へつながったという事実を知れば,わが国の学生たちは,韓国人の愛国心の足りなさを恨み嘆くだろうか?
とんでもない。日本国内におけるの不安は略奪と放火にいたったが,韓国においては独立を要求する肯定的な方向に流れていった。どうして3・1運動の原因を,必ず愛国心の発露としてだけ表現しなければならないのか
3.1運動の原因は米不足が原因ではない
この人ほんとに韓国人か?
最後の26代皇帝高宗が日本人により毒殺された疑いを背景に
アメリカ大統領ウイルソンの民族自決宣言を契機に一般民衆が自然発生的に始めた
独立運動である。
当然独立運動なんどだから愛国心の発露だろう
>いわゆる文化統治というものが,愚民化政策だったと固く信じる学生たちに向かって,大正デモクラシーという日本の民主化政策の延長線上で朝鮮の文化統治が始まったということを,どのように説明したらいいだろう?
3・1運動以後,激烈な抵抗によって文化政策が生まれたというのは,ちょっとした歪曲ではないか
大正デモクラシ−と朝鮮の文化統治となんら関係ない
1910年集会取締令により言論、出版、集会、結社の自由はなくなった。
1911年朝鮮教育令により朝鮮の歴史、地理の変わりに日本語、日本の地理・歴史そして終身が教えられた。
そして朝鮮社会停滞論等により朝鮮民族の自立と発展を否定した。
3.1運動によりハングル文字の普及、朝鮮語辞典の編纂、韓国史の研究等民族の自覚を
促す現象があらわれたのは、事実ではないか、どこが歪曲しているのか
>糧穀を収奪したという部分,韓半島から糧穀を略奪していったという記述において,ほとんど歪曲の極致を見せる。知ってのとおり,植民地朝鮮で民族資本が形成された時期は,日本へ大量の糧穀を輸出した時期と一致する。朝鮮内の糧穀が日本市場に売られたことが,民族資本形成に大きく寄与したという事実を,なぜ否定するのか?
糧穀の「輸出」を「収奪」と言うのは,まさに「侵略」を「進出」と言うのに匹敵する言語道断の物言いだ。
>1928年民族別工場統計によれば
工場数
資本金
日本人
2425(45.4%)
499(90.8%)
朝鮮人
2751(51.5%)
25(4.6%)
であり朝鮮人工場では
労働者50人以下
が
97%
100人〜199人
が
0.7%
200人以上
0.3%
大多数の民族資本家は完全な零細企業である。
1942年ごろには資本総額に対して
96%が日本資本の日本人経営
朝鮮人経営の資本は1.56%しかない
だから統計で見るかぎり、民族資本形成に
大きく寄与したとはいえない
産米増殖計画の結果
1919年と1932年を比較すると
小作農が37.6%〜52.7%へ増加し
自作農が減った分だけ日本人地主が増加した
又小作で生活出来ない人が増え、工場や鉱山へ労働者なったり、中国や日本へ移住
あるいは火田民となって、焼畑農業するかしかなかった。
これは メッセージ 155 (bosintang さん)への返信です.
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>プロフィ−ルは正直に書け
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/22 02:40 投稿番号: [174 / 3669]
これは メッセージ 171 (coffee200721 さん)への返信です.
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bosintangさん
投稿者: minaosoujoumon 投稿日時: 2001/07/22 02:06 投稿番号: [173 / 3669]
色々と勉強になります。
感謝申し上げます。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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>これも嘘だろう
投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/07/22 01:19 投稿番号: [172 / 3669]
bosintangの名前で検索して見たら、兄がソウル駐在の日本人だということは分かるよ。少しは過去ログ読んだの?
これは メッセージ 171 (coffee200721 さん)への返信です.
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これも嘘だろう
投稿者: coffee200721 投稿日時: 2001/07/22 00:52 投稿番号: [171 / 3669]
>はい、そうですけど…。
>住所: 在ソウル
プロフィ−ルは正直に書け
でないとあなたの意見は信用できない
これは メッセージ 168 (bosintang さん)への返信です.
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翻訳ありがとう。
投稿者: hehenonomoheji 投稿日時: 2001/07/21 18:13 投稿番号: [170 / 3669]
ごめん文字化けしてしまって。
次のやつ、翻訳ソフト探します。読んで、みたいから。
なんせ、久しぶりの韓国語で、単語次から次にわからないもので。
しかし、韓国人でこういう論評がでてくるなんて、韓国の未来も明るいね。
ほんと、若者っていいね。安心した。
この評論の紹介と翻訳、ありがとう。
これは メッセージ 168 (bosintang さん)への返信です.
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翻訳˘ɬąŕŠ。
投稿者: hehenonomoheji 投稿日時: 2001/07/21 18:03 投稿番号: [169 / 3669]
析沙税 酔井鉢 左陥 希 巷辞錘 依精 酔軒 切重税 酔井鉢, 酔軒 切重税 督獣什闘 視 亜 焼艦希劃.
これは メッセージ 168 (bosintang さん)への返信です.
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>あなた日本人だろう
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/21 17:29 投稿番号: [168 / 3669]
はい、そうですけど…。
ヤフーに今日登録したんですか?
なんかいい本があったら紹介願います。
ここ、そういうトピですんで……。
これは メッセージ 167 (coffee200721 さん)への返信です.
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総督支配下の元で?
投稿者: coffee200721 投稿日時: 2001/07/21 16:25 投稿番号: [167 / 3669]
>朝鮮人地主と商人たちの米の買い占め売り惜しみを
総督支配下の下で?そのような事が出来るか
銃剣の下?
あなた日本人だろう
韓国人のようにみせて、韓国を悪く言う
そういう輩が多いね
これは メッセージ 166 (bosintang さん)への返信です.
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誰による収奪だったのか?9
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/21 16:00 投稿番号: [166 / 3669]
結局、虚ろな無答の山彦の中で筆者が下すことのできた代案的仮説はこれだった。
「1910年代から20年代にかけての日本領朝鮮における経済政策は、産業化に必要な資本を蓄積するために1890年代末、1900年代に日本で立案された農業政策と軌を一にした。これによって日本は農業資本の蓄積を通じた産業化に成功し、またこれを借用した日本領朝鮮の経済政策においても、ある程度効果をあげ、朝鮮人地主と商人たちの米の買い占め売り惜しみを通しての資本蓄積が可能になった。これらの資本は結局、日本領朝鮮における産業化の基礎となった……」
はたして、筆者の代案的仮説は100%デタラメだと思うか?
じゃあなぜわが国の史学者たちは、矛盾した歴史記述をしなければならなかったのか?
米穀の日本流出を通じた資本蓄積という事実を隠蔽し、地主と商人たちの米買い占め売り惜しみを通じた資本蓄積を隠蔽しようとしたのか?
その理由は簡単だ。社会主義学派では日本領朝鮮における抗日民族主義運動を「反帝、反資本主義運動」と定義している。すなわち
日本帝国主義VS朝鮮民衆
という対決の構図ではなく
資本家(=地主と商人)VSプロレタリア
と定義しているのだ。社会主義学派のこのような主張もあながち間違った主張ではないというのが筆者の見解だ。考えてもみろ、どうやって被搾取者の身分であんなに多くの資本を蓄積することができるのか?
反共という国是の前でひどく悩んだ歴史学者たちの苦悩が、活き活きと伝わってくる。いくら社会主義学派の主張を受け入れがたいといっても、だからといって「民衆を搾取してそれによって富を蓄積した朝鮮人地主階級」の罪を、同じ被搾取階級の立場で、同じ抵抗をした多数の日本民衆に押しつけるのは、あんまりじゃないか?
もちろん、南と北に分かれて凄絶な思想闘争を繰り広げてきたわれわれの屈折した現代史を振り返れば、理解できないでもない。でも、民族内部の矛盾について反省するどころか、他の民族に罪をなすりつけるのは、はたして妥当なことなのか?
ナチのユダヤ人虐殺と哲学的にどれほど違いがあるか?
民族の純粋性を守るために罪なきユダヤ人を虐殺したナチと、民族内部矛盾を隠すために極端な反日感情をでっちあげるのと……。
読者諸賢よ、あなたたちにあらためて聞く。はたして貧しい朝鮮の民衆たちを搾取し、かれらの米を奪い、富を築いた奴らは誰か?
http://www.ddanzi.com/ddanziilbo/46/46so_3002-1.html※
これに続く3・1運動についての論考の翻訳予定はいまのところありません。
http://www.ddanzi.com/ddanziilbo/46/46so_3002-2.htm
これは メッセージ 165 (bosintang さん)への返信です.
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誰による収奪だったのか?8
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/21 15:58 投稿番号: [165 / 3669]
(3)誰が誰を搾取したのか?
筆者も自分なりに考えてみたが、どう考えても1917年から1920年代にかけての日本領朝鮮の経済状況についての国史(下)の記述は、矛盾そのものだ。地主と商人階級は資本を蓄積して民族企業を設立したが、当時、朝鮮は年間農業生産量の3分の1に近い穀物を日本に提供(?)していたという。これは明らかに矛盾した記述ではないか?
農業国ゆえほかの生産物もない国(当時は日本の一地域だったが)で総生産物の3分の1に近くを無償で略奪されたなら、当然経済は破綻寸前だったはずだ。つまり、総生産領の3分の1以上を略奪される地域は、どうやったって好況を望むべくもなかろう。ところで、地主と商人階級はいかなる金で工場を立て、銀行を興し、企業を運営し、民衆はいかなる金でその生産品を消費したというのか?
ひょっとして、日本に輸出したのか?
国内経済が「収奪」によってそんなにも疲弊していたのなら、当然工場を建て、企業を経営して利益を出す方法は日本市場しかあるまいが、一足先に工業化した日本の製品とはいかなる手を使って競争しようと、むやみに創業をしたのか?
そのときもベンチャーブームに乗って「シタマチ(ソウル明洞の日本式名称)バレー」のようなところで、徹夜で算盤をはじきながら財テクに熱中した「ベンチャー企業家」たちが存在したとでもいうのか?
ならばベンチャー資金はだれが出してくれたのか?
そして民衆は、いかなるお金で「朝鮮人の製品は朝鮮のもので!」という新しい消費者運動(消費者運動なんてもの自体が植民地的矛盾じゃないか?)に立ち上がったというのか?
朝鮮民衆の消費力がそれほど強かったのか?
総生産の3分の1を略奪されながら?
朝鮮の土地は打ち出の小槌か?
米がどこから湧きだすのか?
じゃなきゃ造幣廠をまるごと一つ、日本人からもらったのか?
では、ここで読者諸賢に聞きたい。はたして、貧しい朝鮮の農民から米を奪っていった人々は誰だと思う?
そしてそれで資本を蓄積し、富を積み上げたのは誰だと思う?
日本の貧しい漁村の村婦たち?
帝国主義日本の軍国主義統治に逼迫され、騙され、抑圧された日本民衆たち?
これは メッセージ 164 (bosintang さん)への返信です.
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誰による収奪だったのか?7
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/21 15:22 投稿番号: [164 / 3669]
さあ、まとめの時間がきた。これまでに確認された事実を列挙しよう。順次的かつ論理的に。
〔中間のまとめ〕
1
伝統的な農業国、朝鮮の主要生産品は米だ。
2
毎年、平均して生産量全体の3分の1から2分の1ぐらいの米が、日本領朝鮮から日本本土へ流出していった。
3
1917年から19年の日本経済圏(日本および日本領朝鮮、日本領台湾)における買い占め売り惜しみによる米価上昇は、史上例のないほどだった。
4
日本において、米の買い占め売り惜しみにより利益をあげた階層は、主に地主と商人だった。
5
日本領朝鮮で朝鮮人地主と商人による創業ブームがおこったのは1920年以降で、これは日本経済圏で米価暴騰があった直後だ。
6
当時、日本は経済的に朝鮮に投資するほどの余力がない「戦後不況」に見舞われていた。
さあ、結論を急ごう。
これは メッセージ 163 (bosintang さん)への返信です.
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誰による収奪だったのか?6
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/21 15:21 投稿番号: [163 / 3669]
まだピンと来ないか?
当時日本領朝鮮は「日本経済圏」の下にあった。日本の農業経済政策は、「産業化」という時代的使命を前にした日本帝国主義者たちには「産業化のために一生懸命働く労働者階級を食べさせ生かす程度の水準」から立案、執行されたのだった(後にわが国の自慢の朴大統領がこれをパクる。パクり方も優れていて「政府米制度と米穀買い付け制度」によって糧穀流通量を適切に調節するというアップグレードも行った。賢い人だ)。このような馬鹿げて安易で過酷とさえいえる農業政策のお陰で、米価は暴騰し米の買い占め売り惜しみが横行していたのだ。
現在、大韓民国の書店で簡単に求められる「歴史新聞」という新聞形式の歴史書をのぞいてみてほしい。ここには、朴某がどうやって米の買い占め売り惜しみを通じて大金を手に入れたかを詳しく説明した囲み記事が載っている。筆者は、タンジの原稿料があまりにも安いためにこの本が買えず、書店でチラチラ立ち読みした。ああ。原稿料引き上げへの道はあまりに遠く険しい。
もっと面白いことが国史(下)に載っている。165ページの説明だ。
「1920年代、民族企業がだんだん活気を帯びていくとき、民族実力養成運動の一貫として全国的に展開されたのが朝鮮物産奨励運動だった」
1920年代、日本領朝鮮の経済は活気に満ちていた。重苦しい朝鮮総督府統治のもとで地主と商人階級の民族企業の設立が活発になり、またこれらの生産と発展のために「物産奨励運動」まで起こっている。ところで、偶然なのか?
日本の米騒動で米の買い占め売り惜しみを行っていたのは地主と米穀商人だ。そして、日本領朝鮮で民族企業を起こした資本もまた、主に地主と商人階級によって形成されていた。また、日本で米価格が最高値(日本経済統計総覧引用)をつけたのは1920年で、朝鮮でいわゆる創業ブームが起こった1920年代と、時期的にあまりにも近接している。何か臭わないか?
やけにぴったりじゃないか。なかには「その創業に使われた金、ひょっとして日本系資本じゃない?」といぶかる読者がいらっしゃるかも。これに対しては「日本史研究」を引用することで答えよう。
「大戦が終わり、列強の生産力が回復するにしたがい、輸出が後退し、1919年からは貿易収支が輸入超過に転じた。特に重化学工業は輸入が増加し国内生産を圧迫した。1920年には株式市場が暴落し、綿糸、生糸の販売が不振になり、価格が暴落した。それによって紡績、製糸事業は操業短縮などの不況に見舞われた。これを一般に戦後恐慌と呼ぶ」
これは メッセージ 162 (bosintang さん)への返信です.
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誰による収奪だったのか?5
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/21 15:20 投稿番号: [162 / 3669]
(2)1920年代の経済状況
次に、日本の教科書をみてみよう。実教出版の日本史教科書247ページの内容だ。これは「寄生地主制の確立」という小項目の単元からの抜粋だ。
「政府の農業政策も地主の経済的利益を中心に執行され、日清戦争後、土地整備などのための金融機関として、政府によって日本勧業銀行や府県農工銀行などが設立され、耕地整理法も制定された。
このような流れのなかで、地主は農村においての支配勢力としての位置を固めると同時に、蓄積された利益を農業以外の工業、金融などに投資したり、自ら事業を興したりした。こうして1900年前後には寄生地主制が確立し、地主階級は新興資本家階級とともに国家の支配体制を支える重要な地位を占めるようになった。
寄生地主制のもとで、農業生産の大部分は、収穫の5割以上に達する小作料負担に苦労する小作農や、零細な土地を耕作する自作農など、貧しい農民たちによって担われた」
上の抜粋は、日本の農業政策についての概要説明の中から引いたものだ。つまり、小農小産から巨農多産政策へ日本の農業政策が転換されていく過程で、日本が近代において経験した農村経済の疲弊を説明した文章だ。なんかピンとこないか?
1999年4月発行の山川出版社「日本史研究」(日本の大学の日本史の講義で使われる教材)を見れば、1873年の日本の農村における小作農と自作農の比率は27.4対72.6で、自作農の比率がずっと高かった。しかし、この数値は1932年には47.5対52.5と、小作農の比率が急激に増加する。すなわち、日本政府は政策的に地主階級を育成したことがわかる。
日本の農業政策のあくどさは、次を見ればさらにはっきりする。次は、実教出版の「高校日本史」から抜粋した日本の「米騒動」の説明だ(283ページ)。
「1918年8月上旬、富山県魚津、西水橋、東水橋などで、数百名の主婦と娘たちが立ち上がった。北洋漁業で働く漁民の妻や娘だった。かれらは「食べ物を分けてくれ」と隣人たちといっしょに村長、地主、米商人の家に押し寄せ、米の買い占め売り惜しみをやめ、米の値段を下げるように要求した。このニュースは新聞に報道され、全国に広がり、騒動は全国に波及した。漁村の米騒ぎが工場労働者、鉱夫、非差別部落民、建設・港湾労働者を中心とする大規模騒動に発展した。
米騒動は4大工業地域を主な舞台に1都3府38県(ほぼ全国)に広がり、70万人以上が参加したと推定されている。このころ、労働者の増加と都市人口の増大、1917年の米収穫減と一部地主と米穀商人たちの買い占め売り惜しみなどが原因となり、米の価格が暴騰、庶民生活を苦しめていたのだった」
これは メッセージ 161 (bosintang さん)への返信です.
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誰による収奪だったのか?4
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/21 14:05 投稿番号: [161 / 3669]
二つ目の疑問がわく。糧穀収奪によって、農村経済が崩壊したというが、地主たちは健在だったのか?
地主とは、土地をたくさん保有する人のことだ。地主とは、一般に「小作農制度に基盤をおいた大規模農場を所有する農民」にあたる。地主は自分の土地から産出される糧穀に基づいて富を創出するからだ。ならば、日帝の「糧穀収奪」によって農村経済が「破綻」に陥ったというが、どこから出たお金で伝統的な「農業に基盤していた」地主階層が「大規模設備工場」(たとえば紡績工場、メリヤス工場、ゴム靴工場、鉱山、精米所、醸造所等々)を建設したというのか?
しかるに、日本領朝鮮の米穀生産の3分の1が「収奪」された。米穀の販売して資本を蓄積したはずの地主階級は、じゃあどうやって「収奪」を逃れ「富」を蓄積できたのか?
わが国は解放後の1960年代まで、伝統的な農業国だった。農業国で米穀生産量の3分の1を奪われるということは、経済の破綻を意味する。なのに経済が破綻するどころか、資本蓄積がされたって?
小作農は、収穫の50%以上を小作料として納めた。では、小作農の収入50%から米穀を収奪していったのか?
いや地主の取り分50%から収奪していったのか?
これもやはり、筆者はどうしても答えを見いだすことができなかった。どうか、ご存じの読者の方々、情報提供メールをくださるようお願いします。
これは メッセージ 160 (bosintang さん)への返信です.
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