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白善菀『若き将軍の朝鮮戦争』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/12/09 23:01 投稿番号: [280 / 3669]
>只この恩恵を受けた少数の人達が基盤となり今日の韓国の繁栄があるのも事実です。
現在のいくつかの大手財閥が植民地時代の少数の民族資本家であるという事実
朝鮮人の総督府吏員や朝鮮殖産銀行の行員などにより、行政や銀行の発展が図られたのも事実ですね。

>どのような政治や政策にもプラスとマイナスがあるということでしょうか

なんか、久米ちゃんと話が通じそうな気がしてきた。

私もちょっと前に日本に行って何冊か仕入れてきました。今読んでるのは白善菀『若き将軍の朝鮮戦争』。

10冊の本、お勧めがあったら紹介してください。

金哲『韓国の人口と経済』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/12/09 22:56 投稿番号: [279 / 3669]
1965年、岩波書店ですか。よく手に入れましたね。

>詳しくは再度投稿させていただきます。

期待しています。

>マーク・ピーティ『植民地』

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/12/09 16:07 投稿番号: [278 / 3669]
買いました。
今月は10冊ほど
正月はゆっくり読書しようかと

p.338
「親・植民地号」という汽車に乗れば、乗客の眼前に現れるのは病院や学校、橋や道路
住宅建設の現場や農業試験場、灯台や電信所などある。
座席で彼が話しする相手はかっての植民地官吏たちであり、彼が読むのは
増大する人口や生産物資についての統計と、健康管理や公衆衛生の向上についての報告書である。
この汽車に乗った乗客が、帝国の熱烈な賛同者となってしまうことになんの不思議もない。
しかしこれと反対に「反・植民地号」という列車に乗り込むと、全く違った旅になる。
乗客が目にするのは、都市のスラムやごみ捨て場、汚染された川や丸裸となった森、
警察官の残虐な行為や強制労働の場面である。
座席で話しかける相手も悲観的な経済学者や、投獄された政治犯、激高する小作人であり、
読むのは社会的不正や大衆の不満についての報告書、経済差別や貧困についての統計である。

「親・植民地号」と「反・植民地号」どちらも事実として解釈できる
ということでしょう。
そうすると恩恵を受けた人と被害苦しみを
受けた人とどちらが多いか、それは圧倒的に後者でしょう。
約250万の移住者、約40万の軍人、軍属、農民の生活苦、
日本人官憲による多数の死者や投獄者、
にすれば恩恵を受けた人は少数でしょう。

只この恩恵を受けた少数の人達が基盤となり今日の韓国の繁栄があるのも事実です。
現在のいくつかの大手財閥が植民地時代の少数の民族資本家であるという事実
朝鮮人の総督府吏員や朝鮮殖産銀行の行員などにより、行政や銀行の発展が図られたのも事実ですね。

どのような政治や政策にもプラスとマイナスがあるということでしょうか

岩下 彪 『少年の日の敗戦日記』

投稿者: oouzukouzu 投稿日時: 2001/12/05 10:37 投稿番号: [277 / 3669]
---- 朝鮮半島からの帰還 ---- 法政大学出版局 2000年8月15日 初版発行

第二次大戦中、北朝鮮に住んでいた著者の一家が、現地で体験した、
敗戦、抑留、脱出、引き揚げ等の経験を記録したものです。

著者略歴によると、1931年生まれ、東京工業大学、東京学芸大学に勤務され、
1995年定年退官、現在、東京学芸大学名誉教授とのこと。

第Ⅰ部、第Ⅱ部、第Ⅲ部に分かれ、
第Ⅰ部は、著者が鎮南浦(平壌南郊、大同江下流北岸)中学に入学した、
昭和20年4月から昭和20年8月下旬まで、子供の目線での記録。

第Ⅱ部は、故郷の黄海道殷栗郡殷栗面(大同江河口南岸、金山浦、南8㎞)に、
8月下旬から21年4月下旬の脱出までの抑留生活を、現在の大人の目線での記録。

第Ⅲ部は、北朝鮮脱出記で詳細な日記風記録で戦後すぐ、出版したものを加筆修正されたもの。

著者の父君は、黄海道の田舎の小規模日本人小学校校長から地主に転じた人物で、
自身、殷栗では2町歩のリンゴ園を経営。

北朝鮮西部の田舎の、比較的穏やかだった、引き揚げ事情を知るには、うってつけの書物と考えます。

>> >>不思議なんだけどKmechan

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/12/02 02:28 投稿番号: [276 / 3669]
ありがとうございます。
良い勉強になりました。
資本主義と社会主義についての議論する
トビではないので

参考にさせていただきます。

bosintang 先生

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/12/02 02:24 投稿番号: [275 / 3669]
昨日、今日と日本では雅子様女児誕生
でマスコミはにぎわっていますが
韓国ではどのように報道されていますか

「韓国の人口と経済」金   哲著
という本が手に入りました。
先生は読んだことがありますか

簡単に紹介すると人口は朝鮮総督府の資料
にあるほど急激な増加はしていない。
1910年の総督府の人口は少なすぎる。
又著者の推計によれば人口の自然増加率
は日本とそれほど違わない
食料事情の悪化が原因で大量の移住者を
産み、出生率の改善もあまりみられず
殖民時代2倍以上の増加はなかった
と記述しています。

詳しくは再度投稿させていただきます。

れ:>: >>不思議なんだけどKmechan

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/11/30 04:20 投稿番号: [274 / 3669]
>>物事はすべてプラスマイナスゼロというゼロサムセオリー(マルクス主義の根本原理)では人間の行動はわからない。非零和が人間行動の本質(である面もある

>とはどういう意味ですか

労働者から搾取したものを支配者・資本家が享受する。これを制度化したのが国家。そこでは、奪った量と奪われた量はプラ・マイゼロ(ゼロサム・零和)。というのがマルクス主義の資本主義についての根本的な考えではないですか。

ところが人間世界はそんなに単純に割きれるものっではない、というのが私の考えです。   (ノン・ゼロサムセオリー・非零和)

更に複雑なことに、搾取をなくしたはずの共産社会で実際おこなわれていることは、一部特権階級の「搾取」。これまさに、資本主義社会のゼロサムと同じじゃないの。否定されたはずの。

10年程前、エリティンが、「告白」の中で書いていたかなあ。   「共産党書記局に行ってみたまえ。そこにないものはない。世界中のあらゆるものが手にいる」。「共産党の指導部の連中は、このような贅沢をするために共産党員になったのか」というようなこと書いていたと思うけど。

「少数支配の法則」はどんな社会でも時空を超えて避けられない現実として存在しているけど。

>: >>不思議なんだけどKmechan

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/30 03:01 投稿番号: [273 / 3669]
>これは、左翼の考えることじゃないの。 私は、彼女達は(特に日本人慰安婦の場合は)自発的、積極的に砲弾運びやったと思うよ。自分達と同じ九州出身の兵隊のために。

命令されて行動した場合もあるでしょうが
戦場では生きる為に積極的に
協力したでしょうね。
朝鮮人、日本人共に

>左翼的思考の結論が大概誤るのは、彼らが人間というものの本質を理解していないから。

左翼、右翼という決め付けは好きではないですが、労働者、農民の立場でみるか
支配者の立場でみるかの違いだと
思いますが

人間の本質とは自分が役立っていること
周りから尊敬の目で見られること
自分は他人とは違い一段上なのだと
いうことかな

参考に教えてください。

>物事はすべてプラスマイナスゼロというゼロサムセオリー(マルクス主義の根本原理)では人間の行動はわからない。非零和が人間行動の本質(である面もある

とはどういう意味ですか

>一応秦郁彦の数を信用すると

秦郁彦の書物を取り寄せ中なので
12月後半に本屋に入荷するらしいのですが
読んだら又意見を書きます。

日本人はるかな旅

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2001/11/29 21:25 投稿番号: [272 / 3669]
NHKスペシャル「日本人はるかな旅」を編集したもの。
素人にもわかりやすく、読み出したら面白い。最新の科学的データに基づいているので、とても興味深く参考になりますよ。

韓カテではトピズレのような気もしますが、「日本人は百済から来たのか」トピもあることだし、よしとしましょう。
日本人と韓国朝鮮人、渡来人の関係を考えるうえで参考になります。

第1巻マンモスハンター、シベリアからの旅立ち定価1800円
第5巻まで出る予定なので全部で9000円の出費となります。

>>不思議なんだけどKmechan

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/11/29 05:38 投稿番号: [271 / 3669]
仕事中なんで、簡単な返事だけど。

一応秦郁彦の数を信用すると、最大で15,000人として、そのうち日本人が4割だから6,000人、朝鮮人慰安婦が2割で3,000人。
日本人慰安婦もいたようだ、というには多すぎる。

>個人的には日本人慰安婦も証言してほしいと思いますが世間体を考えると無理でしょう

世間体というより、「強制連行」ではなかったらからじゃない。強制連行についての証言?   そんなの出てこないんじゃない。   もし嘘をつけばすぐばれるからね。

婦女子が苦難にあったというのは何も慰安婦だけではなくて、南洋開拓家族の婦女子もそうではないの。   たとえば、サイパンやフィリッピン。(もちろん満州も)。

>命令されて酷使したことは考えられます


これは、左翼の考えることじゃないの。 私は、彼女達は(特に日本人慰安婦の場合は)自発的、積極的に砲弾運びやったと思うよ。自分達と同じ九州出身の兵隊のために。

左翼的思考の結論が大概誤るのは、彼らが人間というものの本質を理解していないから。   物事はすべてプラスマイナスゼロというゼロサムセオリー(マルクス主義の根本原理)では人間の行動はわからない。非零和が人間行動の本質(である面もある)。

>不思議なんだけどKmechan

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/29 04:28 投稿番号: [270 / 3669]
参考にしてください

http://www.saesparam.com/jugun/shogen/

>『従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実』

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/29 03:49 投稿番号: [269 / 3669]
>、「母が養父に売った」という意味ですか、それとも「養父が業者に売った」という意味ですか?

養父が業者に売ったということでは

>不思議なんだけどKmechan

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/29 03:38 投稿番号: [268 / 3669]
>日本人慰安婦のことは言わないんだろう

日本人慰安婦がいたことは確かですが
あまり若い人はいず将校相手がほとんどで
少数だった。
朝鮮人は始めて売春するものが多く
病気の不安が少なかった。
又日本人慰安婦の証言はないので
よく分からないということでは
個人的には日本人慰安婦も証言してほしい
と思いますが世間体を考えると無理でしょう
証言している朝鮮人慰安婦は独身で、
親戚もいないひとが多い

>朝鮮人慰安婦はひどい仕打ちを受けたというのなら分かる。

一日多くの兵隊を相手にし、居住場所も限定され外出の場所も限られ、賃金も払われなかったり、軍票だったり、かなり不自由
な生活だった。

>前に何度か書いたのだけど、雲南のラモウで日本軍守備隊が玉砕したときに、20人の慰安婦のうち、15人の日本人慰安婦は青酸カリで自決したけど、5人の朝鮮人慰安婦は中国軍側に逃げ出して助かっているよ。

そういう場合もあるでしょう
だからすべての戦場でそうであったとは
いえない。
沖縄やフィリピンでは軍と一緒に行動し
最後集団で自決した場合もあります。

中国戦線でもある中隊長が占領した町では
軍規は厳しく守られ、虐殺や強姦もなく
町の人々に感謝された部隊もあります。
しかしこのような例はまれな例です。

>砲弾運びや看護婦役をやっていたらしいのだけど、これを左翼は、日本軍は慰安婦達を砲弾運びにまでこき使ったなどと馬鹿なことをいっている。

命令されて酷使したことは考えられますね

『従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/28 22:43 投稿番号: [267 / 3669]
>養父が業者?
父親が亡くなって生活に困り母親が再婚したのでは
金学順さんからみれば養い親でしょう
養子とかできたのではないのでは
養い親という意味で養父といっている。
「養父に売られた可能性が自然」
(従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実   P75)

私はその本を読んでいないのですが、「母が養父に売った」という意味ですか、それとも「養父が業者に売った」という意味ですか?
日本語は難しい。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/contents/-/books/4272520504/250-2978849-6172242

宮田節子他『創氏改名』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/28 00:40 投稿番号: [266 / 3669]
創氏改名についてのリンク、ありがとう。

そのもとになってる
①宮田節子、金英達、梁泰昊共著『創氏改名』(明石書店)
②金英達『創氏改名の研究』(未来社、朝鮮近代史研究双書15)
③樋口雄一『戦時下朝鮮の農民生活誌1939〜1945』(社会評論社)
のうち、①は、私のネタ本の一つです。
金英達氏は、鄭大均とともに帰化推進派の在日研究家だけど、女性関係のもつれから一昨年だったか、刺殺されてしまったらしい。創氏改名の専門家だっただけに残念です。
③も面白そうですね。

「1940年の行路死亡者が3534人」というのは初めて知りました。インドやベトナムとは桁が違いますが。

そういえば、名字トピで、日帝期の飢饉はほとんどが豊作飢饉と書きましたが、

「農家,特に小作農の中には,秋の収穫期に小作料と借用食糧および債務利子を支払えば,あとには稲を脱穀した台と籾を入れていたパガジしか残らないという,惨憺たる状態にあるものも少なくない……。自ら食糧を生産しながら,自身はこれを食べることができず,端境期になると,もっぱら草根木皮で生命をながらえることが多い」(京城日報社編『朝鮮年鑑』1940年版)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=4z9qbfma4nlbebbz&sid=1835396&mid=184

に描写されている1939年は、記録的な凶作だったそうです。

やはり、創氏改名についてくわしい『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか』(金一勉、三一書房、1978)に載ってました。

慰安婦の話しをどうして知ったか

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/11/27 23:35 投稿番号: [265 / 3669]
中国大陸に兵隊で行っていた高校の老教師がかなり詳しく授業中に話していた。

今日の稼ぎはどのくらい?などと聞くと札束(もしくは軍票)を示して、今日は今のところこのくらい、などといっていたなど。

>一部の反日日本人が

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/27 22:55 投稿番号: [264 / 3669]
>韓国挺身隊問題協議会などの女性問題の運動家たちによって表面化し1990年5月謝罪と補償を求める共同声明を発表6月6日の国会で政府は認めず1991年11月韓国慰安婦たちは東京地裁へ提訴、この結果マスコミも取り上げるようになりある学者の調査研究の結果政府も認めたのが事実でしょう。
一部の反日日本人が騒ぎ立てたとはこの調査研究した学者やこれに協力した日本人をさすのですか

慰安婦騒動のきっかけは、90年11月の韓国挺対協結成に先立つ、89年5月、『朝日ジャーナル』に出た意見広告、「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式陳謝せよ」でした。広告主は「朝鮮と朝鮮人に公式陳謝を100人委員会」。
で、そのメンバーの一人青柳敦子が、「朝鮮人戦争犠牲者のなかから日本政府を相手取って「公式陳謝と賠償」を求める裁判を起こす原告になってくれる人を探し出す」ことを目的に、訪韓。そのときは成果がなかったものの、青柳氏は原告探しに精力的に動き、二度目の訪韓時に説明会を開いて「裁判費用、一人10万は日本側が用意するから10人の原告を揃えてほしい」と訴えて、ついに原告12人を得て、90年10月、日本政府への公式陳謝と賠償を求める裁判が提訴された。
その後、青柳氏は弁護士ではないという理由で、サハリン残留韓国人問題で名を馳せた高木弁護士主導のもとに起こされたのが第二次訴訟(91年11月)、つまり金学順さんはじめ3名の元慰安婦を加えた35人の原告による提訴だったわけです。

そのあたりのいきさつは↓を読んでください。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=16

>>久しぶりですね

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/27 22:53 投稿番号: [263 / 3669]
>>慰安婦の存在は、当事の人の常識でした。当たり前のことでありながら、話題が話題だけにだれも好んで話そうとはしなかったことを、当時をよく知らない世代が、あたかも「隠されてきた事実を今明るみに出した」かのように騒いだものにすぎません。
>私は両親からも、復員したおじさんからも又会社の古い社員からもそのような話は
聞いた事はありません。

だから、「話題が話題だけにだれも好んで話そうとはしなかった」のでしょう。

>私は日本の戦争について小学校高学年のころから色々な書物を読みあさりましたが慰安婦の存在じたい知りませんでした。

読書が足りなかったのでしょう。田村泰次郎『春婦伝』(1948)、伊藤圭一の一連の戦場小説は兵士と慰安婦の交情を描いた作品。慰安婦騒動が勃発するまえ、1989年までの慰安婦関連作品は単行本135冊だって(アジア女性基金『慰安婦関係文献目録』)。

>>だが反日日本人が編み出したあまたな画策の一つだったこの問題に、韓国側がすぐ乗ったうえ、かつて慰安婦だった老女まで動員して運動を“盛り上げ”ようとしたのは、何ともあざとくあさましく、多くの日本人に“韓国人はいやらしい”と思わせ、その評価を限りなく落とさせた(この手のことをマスコミは取り上げないが、心ある人は気づいているはずである)。あれは人間の正常な倫理的羞恥感覚の、限界を超えるものだった。当時、私は日本人慰安婦についても、同じ様なことが起こるのかとハラハラしたが、日本はそこまでは落ちていなかったのでホッとしたものである」
>日本軍人が利用しながら「あれは人間の正常な倫理的羞恥感覚の、限界を超えるものだった。当時、私は日本人慰安婦についても、同じ様なことが起こるのかとハラハラしたが、日本はそこまでは落ちていなかったのでホッとしたものである」
というのは人を殺しながら訴えられたら論理的感覚を欠くものであるというようなもので日本人の行いをなにしとつ反省していない。倫理的羞恥感覚の、限界を超えるようなことを利用したのは日本軍人ではないですか。このような文章は吐き気をもようしますね

「人間の正常な倫理的羞恥感覚の、限界を超えるもの」というのは、自己の主張(反日)のためなら、老女の気持ちも考えずに担ぎ出す(そして自らはまったく傷つかない)、韓国と日本の運動家の振る舞いのことですよ。

泥棒に対するリンチの例

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/11/27 09:08 投稿番号: [262 / 3669]
>泥棒されたからといって犯人に暴行したり困らせたりする人間は少ないでしょう

世界標準ではそうでもないみたい。ジャカルタポストという新聞の社会面に今でも頻繁にでていることなのだけど、泥棒をつかまえてみんなで殺してしまうということは頻発するみたい。   一番おおい、「殺されるどろぼう」はモスクでの靴泥棒。礼拝のときはみんな靴を脱いであがる。   靴一足で殺さなくてもいいと思うのだけど、殺してしまうらしいよ。

不思議なんだけどKmechan

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/11/27 05:50 投稿番号: [261 / 3669]
どうして日本人慰安婦のことは言わないんだろう。これがどうしても不思議。

日本人慰安婦は大事にされたが、朝鮮人慰安婦はひどい仕打ちを受けたというのなら分かる。しかし、仄聞した限りではそんなことないのじゃないかな。

日本人慰安婦はかわいそうではないが、朝鮮人慰安婦はかわいそうだとする理由がなにかあるの。

前に何度か書いたのだけど、雲南のラモウで日本軍守備隊が玉砕したときに、20人の慰安婦のうち、15人の日本人慰安婦は青酸カリで自決したけど、5人の朝鮮人慰安婦は中国軍側に逃げ出して助かっているよ。

このとき日本人慰安婦は、朝鮮人慰安婦達に、あんた達はお逃げよ、といったらしい。このとき日本軍が、おい、朝鮮人慰安婦、にげんるんじゃない、などといったとは到底考えられないね。あのときの九州出身の兵からなる龍兵団の勇敢な戦い振りを見ると。

日本軍守備隊も本隊と連絡をとり、慰安婦達だけは護衛をつけて、安全な場所に送り届けようとしたらしいのだけど、すでに雲南軍50万に囲まれてしまったらしい。慰安婦達も、途中で捕まって殺されるよりは、兵隊さんたちと一緒にいたい、といったらしい。

砲弾運びや看護婦役をやっていたらしいのだけど、これを左翼は、日本軍は慰安婦達を砲弾運びにまでこき使ったなどと馬鹿なことをいっている。

>慰安婦関連本

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/27 05:29 投稿番号: [260 / 3669]
>金學順の証言に出てくる「養父」というのは業者です。朝鮮の家族制度には「異姓不養」の大原則があって、めったなことで他人を養子にはしない

養父が業者?
父親が亡くなって生活に困り母親が再婚したのでは
金学順さんからみれば養い親でしょう
養子とかできたのではないのでは
養い親という意味で養父といっている。
「養父に売られた可能性が自然」
(従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実   P75)

>李玉『朝鮮史』他

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/27 05:00 投稿番号: [259 / 3669]
>でも、農民は死ななかった。
日帝時代、記録に残るような大量餓死はなく、人口は倍増した

創氏改名の行われた1940年の朝鮮では、、行路死亡者(いわゆる行き倒れ)が3534人もいた。日本も食糧難の時代だったから同じ年に666人が死んでいるが、当時の日本の人口が朝鮮の約3倍だったことを考えると、率から言えば朝鮮は日本の実に約15倍ということになる。餓死者は氷山の一角だろうが

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/sousikaimei.htm
より

shinkuuboakagi555 さんへ

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/27 03:54 投稿番号: [258 / 3669]
>この貧乏が私の性格や考えに影響を与えたとは思わないね。確かに子供時代は普通の生活レベルだと思うが。

したがって、人間の感覚や感じ方や考え方は、後天的なものはあっても、先天的なものも多いのかな、とも思うね。貧乏を経験しても、左翼にもならなかったし、朝鮮人にむやみに同情することにもならなかったし。ついでに言うと、私の田舎の小さな町にも朝鮮人は何人かおり、私の町内にもいたよ。

そうですかありがとうございます。
強烈な貧乏生活を送ればそれなりの
影響が後の人生においてあると
私は考えます。

一部の反日日本人が

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/27 03:46 投稿番号: [257 / 3669]
日本軍に受けたことはいつも胸の中にありました。それを死ぬまでに
暴露してスッとした気持ちになりたかったのです」と名乗り出た理
由を緊張した面持ちで彼女は語った。

韓国挺身隊問題協議会などの女性問題の
運動家たちによって表面化し1990年5月謝罪
と補償を求める共同声明を発表
6月6日の国会で政府は認めず1991年11月韓国慰安婦たちは
東京地裁へ提訴、この結果マスコミも取り上げるようになりある学者の調査研究の
結果政府も認めたのが事実でしょう。

一部の反日日本人が騒ぎ立てたとは
この調査研究した学者やこれに協力した日本人をさすのですか

反日とはどいう行為行動を指すものと
お考えですか

bosintang先生

>久しぶりですね

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/27 03:13 投稿番号: [256 / 3669]
>慰安婦の存在は、当事の人の常識でした。当たり前のことでありながら、話題が話題だけにだれも好んで話そうとはしなかったことを、当時をよく知らない世代が、あたかも「隠されてきた事実を今明るみに出した」かのように騒いだものにすぎません。

そうでしょうか
うわさとして一部の人達の間で密かに語られたのであって、それを当時の常識であったというのは
うわさが常識であるはずがありません。
それが事実であると国民
に衆知されたのは、最近の学者の調査の結果でしょう。
私は両親からも、復員したおじさんからも
又会社の古い社員からもそのような話は
聞いた事はありません。
私は日本の戦争について小学校高学年のころから色々な書物を読みあさりましたが
慰安婦の存在じたい知りませんでした。
日本軍が強姦しまくったというのは
小学生のころから知っていましたが

>だが反日日本人が編み出したあまたな画策の一つだったこの問題に、韓国側がすぐ乗ったうえ、かつて慰安婦だった老女まで動員して運動を“盛り上げ”ようとしたのは、何ともあざとくあさましく、多くの日本人に“韓国人はいやらしい”と思わせ、その評価を限りなく落とさせた(この手のことをマスコミは取り上げないが、心ある人は気づいているはずである)。あれは人間の正常な倫理的羞恥感覚の、限界を超えるものだった。当時、私は日本人慰安婦についても、同じ様なことが起こるのかとハラハラしたが、日本はそこまでは落ちていなかったのでホッとしたものである」

日本軍人が利用しながら「あれは人間の正常な倫理的羞恥感覚の、限界を超えるものだった。当時、私は日本人慰安婦についても、同じ様なことが起こるのかとハラハラしたが、日本はそこまでは落ちていなかったのでホッとしたものである」

というのは人を殺しながら訴えられたら
論理的感覚を欠くものであると
いうようなもので
日本人の行いをなにしとつ反省していない。
倫理的羞恥感覚の、限界を超えるような
ことを利用したのは日本軍人ではないですか

このような文章は吐き気をもようしますね

謝ります  shinkuuboakagi555さんへ

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/27 02:46 投稿番号: [255 / 3669]
>bosintang兄のいわんとすることは、
「もし日本官憲、軍が朝鮮半島から慰安婦を強制徴集するようなことをしていたのであれば、日本の敗戦に際して、日本人が朝鮮半島から本国に引き上げるときに、朝鮮人は、過去の朝鮮人慰安婦の徴集に対する報復を、引揚げつつある日本人にしたであろう。しかしそんな報復はなかった。このことは日本の官憲、軍による朝鮮人慰安婦の強制徴集がなかったことのひとつの証拠になるのではないか」といっているのではないの。

どうもご指摘頂きましてありがとうございます。
あなた様の言われるとうりでしょう
はやとちりのようです。
ごめんなさい。

日本人引き揚げの時の様子を記述した
書物がないのでよく分からないのですが
日本人の引き揚げは日本軍や官憲の引き揚げをさすのか
日本人の民間人をさすのか
両方をさすのか分かりませんが
当時の朝鮮は日本同様食物も不足し
若い男は軍や労働者として日本やそれ以外
の地域に行き残っていたのは、子供や女性
老人が多かったということ
又これでこの国が朝鮮人のものになると
いう喜びも大きく暴行して恨みをはらそう
などとは当時とても考え付かなかったのでは

日本人が迫害を受けなかったから傍証になるというのは少しどうでしょう

泥棒されたからといって犯人に暴行したり
困らせたりする人間は少ないでしょう

久しぶりですね

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/25 23:51 投稿番号: [254 / 3669]
読書は進んでますか?

私の文の誤読の件は、すでに他の方に指摘していただいたので措くとして、

>日本に来ている朝鮮人には慰安婦の実態はわからなかったのでは
日本においても戦後50年もたってようやくあかるみになったのですから

近年の慰安婦騒動は、一部の反日日本人が「再発見」し、騒ぎ立てたこと。慰安婦の存在は、当事の人の常識でした。当たり前のことでありながら、話題が話題だけにだれも好んで話そうとはしなかったことを、当時をよく知らない世代が、あたかも「隠されてきた事実を今明るみに出した」かのように騒いだものにすぎません。

もしまだお読みでなかったら、これ↓をお勧めします。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=223

あとがきに次のような一節があります。

「従軍慰安婦が政府の強制動員によるものでないのは、当時の空気を少しでも吸った人なら、誰でも知っていることである。だから『文藝春秋』92年7月号の「対決・日韓経済摩擦」という座談会で韓国人の出席者が、また、同誌93年3月号で退任間際のノ・テウ大統領が、口を揃えたかのように「従軍慰安婦問題は日本の言論機関が騒ぎ出し、韓国人の反日感情に火をつけた」と迷惑そうに語っている。
だが反日日本人が編み出したあまたな画策の一つだったこの問題に、韓国側がすぐ乗ったうえ、かつて慰安婦だった老女まで動員して運動を“盛り上げ”ようとしたのは、何ともあざとくあさましく、多くの日本人に“韓国人はいやらしい”と思わせ、その評価を限りなく落とさせた(この手のことをマスコミは取り上げないが、心ある人は気づいているはずである)。あれは人間の正常な倫理的羞恥感覚の、限界を超えるものだった。当時、私は日本人慰安婦についても、同じ様なことが起こるのかとハラハラしたが、日本はそこまでは落ちていなかったのでホッとしたものである」

>あなたは貧しい生活の経験がありますか
一週間も水だけで生活したことがありますか
金が一銭もない明日は食事があるだろうか
と思うような経験がありますか

ありません。
私を育ててくれた昭和ひとけたの両親が、必死で働いて日本の高度成長を実現してくれたおかげだと思っています。

西欧の植民地喪失と日本

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/11/25 17:06 投稿番号: [253 / 3669]
この題名の本(オランダ人自身の書いた珍しいもの)が言っていることがまさにそうですね。(草思社)

足の曲がった黄色いサルにおいしい植民地からいとも簡単に追い出され、最終的にそれを喪失したことがオランダ人の反日感情の理由ではないのか、ということですね。

こちらこそどうも

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2001/11/25 16:44 投稿番号: [252 / 3669]
赤城さんとダブるなんて光栄ですよ.

ところで,先日,東京出張に合わせてムルデカを見てきました.懸案だった靖国
参拝も済ませてきたのですが,展示館(名前失念)が来年,新装オープンするそう
ですね.零戦が展示されるそうなので,完成したら再度訪問したいと思いました.

ムルデカは,オランダ人が見たら怒りそうな演出でしたが,黄色人種により植民地
から追い出されたオランダ人がどれほど強烈な屈辱感を味わったか,ちょっとだけ
クリアーに見えてきました.オランダには,今でも反日感情を持っている人々が
いますが,この屈辱感がその理由なんでしょうね.

ありゃりゃ、yusura氏とダブリ

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/11/25 16:24 投稿番号: [251 / 3669]
yusura氏のレス見ずに投稿してしまいました。

あれ、Kmechan、また誤解

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2001/11/25 16:21 投稿番号: [250 / 3669]
>どんな関係があるの
慰安婦連行と早く帰国したいという気持ちと
過酷な労働や生活からはやく逃げたかったのでしょう。

これ、bosisntang兄の原文の誤読じゃないの。

bosintang兄のいわんとすることは、
「もし日本官憲、軍が朝鮮半島から慰安婦を強制徴集するようなことをしていたのであれば、日本の敗戦に際して、日本人が朝鮮半島から本国に引き上げるときに、朝鮮人は、過去の朝鮮人慰安婦の徴集に対する報復を、引揚げつつある日本人にしたであろう。しかしそんな報復はなかった。このことは日本の官憲、軍による朝鮮人慰安婦の強制徴集がなかったことのひとつの証拠になるのではないか」といっているのではないの。

引揚げるのは朝鮮半島に居た日本人だよ。
Kmechanの誤読だね.

>人間貧しさを経験するかどうかで
もののとらえかたや、そこからの考えが
大きく違ってくると思いますが

私は貧しさを経験したのだけど、もし経験していなかったらどうなっていたのかな。高校二年生の時に職人のおやじが病に倒れて長期入院。かなり家族の数の多かった私の家は収入が途絶え、即生活に困ったね。近所の人は生活保護を受けたらどうかなどといってくれたのだけど、お袋がそれをことわった見たいだね。

どうやらこうやら私は東京の大学に入学したが(国立で授業料の点で助かった)、家からは一銭の仕送りも無し。おかげで、バイトバイトで卒業が何年か送れたけど。
知人のところに金を仮に行く電車賃がなくて結構な距離を歩いたこともあったが。腹をすかせたことはもちろん多数回。

この貧乏が私の性格や考えに影響を与えたとは思わないね。確かに子供時代は普通の生活レベルだと思うが。

したがって、人間の感覚や感じ方や考え方は、後天的なものはあっても、先天的なものも多いのかな、とも思うね。貧乏を経験しても、左翼にもならなかったし、朝鮮人にむやみに同情することにもならなかったし。ついでに言うと、私の田舎の小さな町にも朝鮮人は何人かおり、私の町内にもいたよ。

Kmechan,誤解してるよ.

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2001/11/25 15:53 投稿番号: [249 / 3669]
お久しぶりです.早速ですが,誤解したままレスしてますよ.

朝鮮から引き上げて行く日本人に対して,朝鮮在住の朝鮮人から報復が無かった,
と言ってるんだよ.

ところで,横レスになるけど,僕は貧乏を経験したことは無いけど,貧乏な生活を
思いやる想像力を持ってるよ.想像力というのは思考活動の基本だよね.物理現象を
理解するときにも,想像力が何よりも一番大事(数学的能力よりもずっとね).
流体力学を理解するために,流体になってみる必要は無い.

経験至上主義を主張するということは,kmechan は,当時韓国併合を決めた日本の
指導者の気持ちや,祖国の為に日本に積極的に協力した朝鮮人の気持ちは,僕には
理解不可能です,と言ってるのと同じなんだよ.更に言えば,併合されている時の
朝鮮民衆のことも,Kmechan には正しく理解できない.経験してないんだからね.

だとしたら,Kmechan とは議論するだけ時間の無駄だよね.

ご無沙汰しております。

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/11/25 15:17 投稿番号: [248 / 3669]
>なお、敗戦後、朝鮮からの引き揚げに際して、韓国人による日本人への報復はほとんどなかった。私は、これが官憲、軍による「慰安婦強制連行」がなかったことの傍証になると思います。もしあったら、あれほど誇り高い韓国人が報復しなかったわけがない。

どんな関係があるの
慰安婦連行と早く帰国したいという気持ちと
過酷な労働や生活からはやく逃げたかったのでしょう。
慰安婦のことを思う余裕はなかったと思う
低賃金や過酷な労働に対する怒りより
早く祖国へ帰りたいという気持ちが強かったと思います。
日本に来ている朝鮮人には慰安婦の実態は
わからなかったのでは
日本においても戦後50年もたってようやく
あかるみになったのですから

bosintang先生
あなたは貧しい生活の経験がありますか
一週間も水だけで生活したことがありますか
金が一銭もない明日は食事があるだろうか
と思うような経験がありますか

人間貧しさを経験するかどうかで
もののとらえかたや、そこからの考えが
大きく違ってくると思いますが

キューポラのある街

投稿者: ttn5a822_urimasu 投稿日時: 2001/11/18 01:13 投稿番号: [247 / 3669]
は吉永小百合が出演した記念的な映画で、朝鮮人の事も描かれていました。大好きな映画でビデオでも時々見るのですが、韓国語に訳した本や韓国語に吹き替えたビデオは存在するのでしょうか。

慰安婦関連本

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/13 00:29 投稿番号: [246 / 3669]
巣(?)をちょっと拝見しましたが、いわゆる従軍慰安婦にも関心をお持ちのようで。

あれについて論じるならこの本↓をお勧めします。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=105

話はそれからでしょう。その近辺に関連書籍を何冊か紹介してあるので、参考にしてください。
河野談話の舞台裏を知りたいのならMsg71がいい。

金學順の証言に出てくる「養父」というのは業者です。朝鮮の家族制度には「異姓不養」の大原則があって、めったなことで他人を養子にはしない。たまに家系が断絶しそうなときに親戚の男子を養子にはしても、養女はまずない。当時は、遊郭の業者が形式上養父となって貧しい家庭から娘を買い取るのが一般的でした。

事情は日本も似たようなもの。
戦地や満州にいた日本人慰安婦は、同じように身売りされた東北貧農の娘が多かった。悲劇の引き金は凶作であることもあったが、豊作と安い朝鮮米の流入による米価暴落、いわゆる豊作恐慌もあった。皮肉ですね。

なお、敗戦後、朝鮮からの引き揚げに際して、韓国人による日本人への報復はほとんどなかった。私は、これが官憲、軍による「慰安婦強制連行」がなかったことの傍証になると思います。もしあったら、あれほど誇り高い韓国人が報復しなかったわけがない。

つけくわえれば、引き揚げに際し、満州および半島の38度線以北では、日本人の婦女子の多くがソ連軍によって陵辱されましたが、ソ連軍からの女性提供命令に対し、プロの女性たち(慰安所の慰安婦)が頼まれたり、志願したりして、一般子女の身代わりになった話も多数伝わっています。

ありがとうございました

投稿者: kazumi246 投稿日時: 2001/11/11 02:20 投稿番号: [245 / 3669]
そうだったんですか。
収奮のことはもうすでに議論されてたんですね。
今ごろここに来るのも何かの縁のような気がします。
じっくり読んで研究します。
ただ今日は自分の巣(と言っていいのか?)でいわれのない中傷・誹謗を受けてしまったのがショックになってるので今日は何も手がつけられません。
相手にして真に受けてもしょうがないんだって頭ではわかってるけど、なんかショックが抜け切れません。
こういう時は何か発散できる事をして(カラオケとか)頭を切り替えてそれからこの問題に取り組みたいと思います。
いろいろお世話していただきありがとうございました。
いぬなべさんには自分が知りたかったこと以外に学んだ事があります。
大切なことなので自分の胸に刻んでこれからを歩いていきたいと思います。
今自分の中に一つの疑問がもやもやとあるんですが、今の状態では冷静に考える事が出来ません。
極秘で行いたいので今度落ち着いたらメールを発信します。
その時はまたなにとぞよろしくお願いいたします。

収奪?

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/10 02:13 投稿番号: [244 / 3669]
産米増殖計画とは、米騒動を契機に、内地、植民地で同時に行われたもので、土地改良(灌漑、畑から水田への転換、開墾・干拓)と、農事改良(米の品種改良、肥料の増施)を主眼としていました。しかし、あてにしていた民間資本が集まらず、総督府は巨額の投資をするはめになり、そのうえ、増産が軌道に乗った1929年には、世界恐慌にともなう農業恐慌が日本を襲い、日本国内の米価が暴落、朝鮮米輸入反対運動が起きます。総督府は朝鮮農民の現金収入を確保するために米輸出を強行しますが、結局1934年以降、この計画は中断されました。

>農民に作付転換などを強要

というのは、畑から水田への転換のことを言ってるのかな。
灌漑設備ができて、それまで米が作れなかったところで換金価値の高い米ができるようになったら、農民にとっては歓迎すべきことのように思えるけど。

で、「収奪」ですが、大辞林によれば、収奪とは「(権力をもつ者が)うばいとること。とりあげること」となってますね。
いくらなんでも農民から米を奪い取ったってことはないでしょう。

朝鮮の農家は戸数割合でいえば、
1918年で、
地主3.3%
自作農19.6%
自小作農39.3%
小作農37.6%
地主には日本人が含まれますが、日帝時代末期で、面積比で耕地の25〜30%が日本人の所有だったそうです。

20年代から30年代中盤にかけて、大量の米が朝鮮から日本に移出されますが、米の流れを概観すると、自作農は生産した米から自家消費分を除いて商人に売り、小作農は収穫の約50%を小作料として地主に納め、残ったぶんから自家消費分を除いて商人に売り、また地主は小作人から小作料としてとった米を商人に売り、その商人がいちばん有利な市場である日本に売った、というところでしょう。

これを収奪と呼ぶのには無理がある。

教科書には
「日帝の土地収奪によって小作農に転落した農民は、日本人地主に収穫量の五○パーセント以上を小作料として納めただけでなく、さまざまな税金と肥科代金までも負担させられた。」
という記述がありますが、不思議ですね。日本人より多かったはずの朝鮮人地主は、小作料をとらなかったのでしょうか。

参考に、日本の小作料は、
1885年:収穫の58%
1910年:54%
1920年:49%
50%の小作料は、内地並みですね。

『キーワード 日本の戦争犯罪』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/10 01:50 投稿番号: [243 / 3669]
これね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4639012977/qid=1005324004/sr=1-4/ref=sr_1_0_4/249-9048835-9737943

私は読んでないけど、著者は朝鮮史の専門家ではないですね。朝鮮に関する部分は韓国の公式見解の引き写しじゃないかな。

ちなみに、韓国の公式見解はここで読めます。

http://members.tripod.co.jp/ST22/k/7.htm#7-3-1

「土地調査事業によって不法に奪い取られた土地は全国農地の約40バーセントにもなった」

これについては、趙錫坤が否定的な研究を発表しています(このトピのMsg177〜181に翻訳あり)。

「彼らは工業化の推進にともない生産が不足するようになった食糧を、韓半島より収奪する、いわゆる産米増殖計画を立て、これをわが国の農村に強制した。一九二○年からの一五年計画によって推進された食糧増産計画には無埋があり、結果的には計画した増産量を達成できず中断するはめとなった。
  しかし日帝の米穀収奪は目標どおりに遂行され、この計画が中断された一九三三年でも、増産量をはるかに超過した量を収奪していったのである。そのためにわが農民の大多数は飢餓線上であえぎ、満州に新しい生存基盤を探し求めての流浪の旅に出るか、火田民に転落するほかはなかった。当時農民は米を収奪されだだけでなく、増産に投入された水利組合費、肥料代全、穀物運搬費なども負担させられ、二重の苦痛にあえいだのである。」

このような「収奪論」にたいしては、車氏が疑問を提示しています(Msg149~166参照)。

とりあえず、読んでみてください。

おー いえす

投稿者: kazumi246 投稿日時: 2001/11/10 01:19 投稿番号: [242 / 3669]
>ようするに、日帝時代に、日本は朝鮮から収奪したのか、ということでしょうか?

そうです、そうです。
すみません。

別トピの投稿で発見した本を図書館で借りてきたのですが、

キーワード   日本の戦争犯罪      雄山閣
     小田部雄治   林博史   山田朗

です。

?

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/09 19:17 投稿番号: [241 / 3669]
>私が今まで読んだ本にけっこうみつけてしまう
「1919年の3・1独立運動後、文化政治の導入し、日本は朝鮮を食糧と工業原料供給として農民に作付転換などを強要していた。」
なんですが、これって結局農民が借金の返済として納めた米が日本に流れていった、もしくは日本が収奮したってことになるんでしょうか?

質問がちょっとわかりにくいんですが。

もう少し整理していただけると……。

ようするに、日帝時代に、日本は朝鮮から収奪したのか、ということでしょうか?

あと、上のような内容をどんな本で見つけましたか?
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