竹島

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人間の目が確認できる距離は

投稿者: kkohshien2 投稿日時: 2004/01/26 23:01 投稿番号: [3296 / 18519]
物理的に40km。

それが水平線や地平線と呼ばれる。

従って鬱陵島から竹島は水平線のはるか向こうあり視認不可能です。

形便

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/26 23:00 投稿番号: [3295 / 18519]
これの解釈については、愚生は半月城氏の説を支持します。
下条説の様には読みません。一寸無理ですね。

見える範囲

投稿者: tinopure 投稿日時: 2004/01/26 22:50 投稿番号: [3294 / 18519]
>倭の所謂松島は我が国の于山島であり韓国領土ですから、郡守の見える範囲の韓国領たる無人島を...
禹用鼎、李奎遠は見えなかったようですが、群守は見えたんですかねぇ。

あくまで個人的にですが   計算式はともかく鬱稜島から竹島は見えないと思っています。

==   島根県竹島は日本の領土   ==

「皇城新聞」

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/26 22:49 投稿番号: [3293 / 18519]
調査の主目的は鬱陵島であったでしょうから、その辺が反映された記事と見れば違和感はありません。
興味を惹いたのは、「古に牛形無角な水獣が有りて名を可之と云う」の下りくらいですか。
音から察するに「可支」でしょうから、或いはラボーテは獨島と鬱陵島とを混同していた可能性はありそうです。

禹用鼎の報告書

投稿者: tinopure 投稿日時: 2004/01/26 22:35 投稿番号: [3292 / 18519]
確かに見たこと無いですねぇ。
ぐぐってみたら

一九〇〇年(明治三十三年)四月、鬱陵島における日本人の雑居問題が起り、大韓帝国政府は禹用鼎を現地調査に差し向けた。その禹用鼎が六月に提出した報告書では、調査の対象は鬱陵島本島に限られ、現在の竹島には全く触れられていない。

http://ww1.enjoy.ne.jp/~koukokutenbo/takesima_waga_ryoudo.htmから抜粋

で、続いて
同一九〇〇年十月二十五日、鬱陵島を「鬱島」と改称して、その行政区域を確定した「勅令四一号」を発布し、郡守を常駐させる。
  一九〇七年(明治四十年)刊の張志淵の『大韓新地志』では、「鬱島」の位置を「一三〇度四五分から三五分に至る」と認識していたのである。
  鬱島郡守の沈興沢は「本郡所属の独島」としていたが、右に記したように、大韓帝国では自国の極東を東経一三〇度三、四〇分台としていたので、「東経一三一度五五分」に位置する竹島は、最初から大韓帝国には所属していなかったのである。
  それがどうしたことか、江原道観察使署理の李明来を介して、沈興沢の報告書が中央に上申されると、「独島領地の説はまったく無根に属す。該島の形便と日人の行動如何を更に査報せよ」と指示したのである。
  しかし、「本邦所属の独島」とした鬱島郡守沈興沢が、鬱陵島から九二キロも離れていた独島を本郡の「外洋百余里(約四〇キロ)許りに有り」とした点や、大韓帝国政府が「独島領地の説は全く無根に属す」とする一方で、「この島の形便」を報告せよと訓示した事実は、島根県の官吏一行が来訪する直前まで、独島を正確に認識していなかった証拠である。

先ほどと重複していますが、最後の一説に注目します。

観音島 II

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 22:33 投稿番号: [3291 / 18519]
>李奎遠調査の折の地図、即ち19世紀末の地図によれば、観音島は「島項」とされています。しかし、これは「島のうなじ」という意味でどうも島の名前ではありません。現在もこれにあたるseom-mokは、観音島の対岸、鬱陵島の地域を指します。

「島項」は島(鬱陵島)の首の後方の部分と言う意味で島名として、半月城風に言えば、妥当だな。 前方の「Seom-mok」地域は朝鮮語で文字通り、島(鬱陵島)の首と言う意味だ。

>調査の折には住民たちは于山島の名称を観音島にあてていたのではないかというのが私の推測です。

そうではないな。 文盲で教養のない当時の島住民が表現できたのは、石から成る島「石島」と竹が生い茂る島、「竹島(日本の竹島ではなく、鬱陵島の東、1.5キロにある島)」だ。

>「本島官制改編請議書」

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 22:13 投稿番号: [3290 / 18519]
この資料は私も未見でした。公開されているのでしょうか。どうも聞かない資料ですが…(沈郡主・李斉純らの独島関連行政文書はなぜか存在が知られるも未公開)。どこかネットや単行本で手軽に見られるものであればぜひ読みたいです。

>李奎遠の報告が勅令41号の根拠になったと思われる痕跡は今のところないでしょう。

李奎遠の報告は勅令に直接には関係ないと思います。しかし、私が注目しているのはそこに独島が意識されておらず、于山島がどうも観音島に見えるという点です。

そして、1899年に禹用鼎を団長として調査団が派遣されましたが、それに同行したのがフランス人・ラボーテでした。ラボーテは帰島して「皇城新聞」に記事を載せています。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=2772

ここには「蔚珍之東海に一島が有り、曰く鬱陵である。其の附属した小六島の中で最著なのは于山島・竹島であるが、大韓地誌に曰く、鬱陵島は古の于山国である。四方が百里あり、三峰が律兀たるが、所産は…」とあります。「最著」は最も目立つぐらいかと思います。

この記事を見ると内容は全てにわたって鬱陵島のことに一貫しています。于山島の話は何も出てきません。私はこの于山島も実は観音島だったのではないかと思っているのです。

竹島・于山島が「最著」として並べて書かれていることも、于山島が独島であれば不釣合いな感が有ります。独島は最著というほどに目立つ存在でもなく、山に登って運がよければ見える程度なのですから。

あくまで禹用鼎ではなくラボーテによる記事なのかもしれませんが、この調査を受けて公布されたのがほかでもなく勅令41号でした。

ついでですが、大韓帝国学部編『大韓全図』『大韓輿地図』(ともに1899年)でもともに島の北東の島を「于山」としています。ご丁寧なことに前者の地図では于山より大きい島が南に記されてもいます。ともに観音島に一致しています。

私はこういう全てのことが全てつながっていると考えています。ただし、于山島が歴史においてつねに観音島であったかどうかは分かりません。おそらく竹嶼でもあったものと思います。

石島=獨島説に懐疑的

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/26 21:57 投稿番号: [3289 / 18519]
下記を参照のこと。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=2746

気持ちは分かるが

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/26 21:27 投稿番号: [3288 / 18519]
石島=獨島説に懐疑的なのは愚生も同様ですが、少しずれてる感じですな。

李奎遠の報告が勅令41号の根拠になったと思われる痕跡は今のところないでしょう。
とすれば、禹用鼎の調査報告内容に関心がありますね。
残念ながら愚生は未見ですが、鬱陵島からの帰還後に内部大臣へ提出したと云われる「本島官制改編請議書」を検討すべきと思いますな。

>tinopureさん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 20:36 投稿番号: [3287 / 18519]
私の考えはすでに記したとおり、李奎遠による以下の文書の解釈が根拠になっています。既出ですが念のためもう一度書いておきます。
------
松竹于山などの島を現地仮住の同胞たちは、みな近傍の小島をこれに当てている。しかるに根拠となる地図もなく、また案内の指標もない。晴れた日に高いところに登って遠くを眺めると千里を窺うことができたが、ひとかけらの石も一握りの土もなかった。すなわち鬱陵を于山と称するのは、済州を耽羅と称するごとくである。(半月城氏読み下し)
------
これの解釈には二つが可能です。
①松竹島・于山島を住民たちは近傍の島をあてている。しかし、根拠となる地図も指標も無い。[その島を見ようと]晴れた日に山から遠くを見渡したが石ひとかけら見えなかった。

②松竹島・于山島を住民たちは近傍の島をあてている。しかし、根拠となる地図も指標も無い。[ほかに島はないかと]晴れた日に山から遠くを見渡したが石ひとかけら見えなかった。

①の場合は松竹島は竹嶼、于山島が独島という主張です。半月城さんはこの立場でしょう。しかし文章が大変まずくなります。松竹島はすぐそこにあり、于山島は遠くよく見えない島ですが、ここでは「両方見えない」となっています。とても不自然な内容です。

②の場合は松竹島は竹嶼、于山島は観音島にあたります。李奎遠としてはそれほど近傍の小島が由緒ある「于山島」と確定することは断言を避けたのでしょう。そしてほかの島はないかと見渡したのです。①よりは普通の解釈でしょう。

李奎遠は独島の存在に気づいていなかったのです。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=3160

横レス失礼いたします

投稿者: tinopure 投稿日時: 2004/01/26 19:04 投稿番号: [3286 / 18519]
観音島が石島かどうかの証にはなりませんが、
石島が独島でないという間接的な証明になるものがあります。

既出ではありますが   以下抜粋しました。

1899年に刊行された、玄采による『大韓地誌』によれば、大韓帝国の極東は東経130度35分とされ、また、戦後の1946年に崔南善によって刊行された『朝鮮常識問答』では、韓国の領土を「島嶼を加えれば東経130度56分23秒から124度11分00秒」としています。
つまり、東経131度55分に位置する竹島は韓国領ではないことになるのです。
また、1900年の「勅令41号」に記述がある鬱陵島の属島「石島」(註:韓国はこの石島も現在の竹島であると主張している)についてですが、1907年の張志淵による『大韓新地志』によると、鬱陵島の範囲は「東経130度45分から35分に至る」としています。
つまり、「石島」は今の竹島ではなく、また竹島は鬱陵の属島ではないということになります。

http://hyper2.amuser-net.ne.jp/~auto/b19/usr/cha2maru3/brd1/comdsp.cgi?583&&&4   から

以上、横レス失礼いたしました。

〜李奎遠がなぜ、観音島の名称を避けたかですが、この調査の折には住民たちは于山島の名称を観音島にあてていたのではないかというのが私の推測です。そうすると、実は1899年のラボーテの調査、1900年の「石島」まで、すべて脈絡はつながるのです〜

この部分、鋭い推理ですね。驚嘆しました。   なるほど〜〜〜!!

観音島

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 18:38 投稿番号: [3285 / 18519]
>何故ならば、「観音島」がいかにも取ってつけた名前だからだ。 「観音島」と呼ばれる前は「石島」だったと考えるのが、半月城風に言えば、妥当だな。

李奎遠調査の折の地図、即ち19世紀末の地図によれば、観音島は「島項」とされています。しかし、これは「島のうなじ」という意味でどうも島の名前ではありません。現在もこれにあたるseom-mokは、観音島の対岸、鬱陵島の地域を指します。

可能性としては李奎遠は観音島の名称を記すのを避けて広くこの地域を指すものとして「島項」を用いたか、または当時に観音島が「島項」と呼ばれていたものが現在は鬱陵島側の対岸の地名になったかのどちらかですが、おそらく前者ではないかと思います。

では、李奎遠がなぜ、観音島の名称を避けたかですが、この調査の折には住民たちは于山島の名称を観音島にあてていたのではないかというのが私の推測です。そうすると、実は1899年のラボーテの調査、1900年の「石島」まで、すべて脈絡はつながるのです。

また「島のうなじ」が「首」を指すとすれば「頭」にあたるはずの観音岩は竹嶼よりは小さくとも位置として重要視されたともいえそうです。この岩が後に「観音岩」となったのも、そうした信仰のような考えが反映されているのかも知れません。

独島

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 18:15 投稿番号: [3284 / 18519]
>torto   tokto   方言はともかく発音はほぼ同じ。

竹島をtortoと呼ぶこともあるのですか。私はないと思いますよ。tolseomでしょう。要するに、韓国側が言っているのは、「tolseom、tokseom→石島、独島」でしょう。なお、この主張にどれだけ客観性・説得力があるかはやはり疑問です。

だから

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 18:02 投稿番号: [3283 / 18519]
>観音島の名前は石島ではなかったはず。

観音島が何時から観音島と呼ばれるようになったのか、が今後の争点になるな。

何故ならば、「観音島」がいかにも取ってつけた名前だからだ。 「観音島」と呼ばれる前は「石島」だったと考えるのが、半月城風に言えば、妥当だな。(笑)

粗面岩で形成されていても

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/01/26 17:54 投稿番号: [3282 / 18519]
観音島の名前は石島ではなかったはず。
石島という名前であったというなら、
その資料を示さなければなりません。
そうでなければあの辺りは、鬱陵島の本当も含めて、粗面岩で形成された崖だらけです。

石島=観音島

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 17:47 投稿番号: [3281 / 18519]
>鬱陵島のすぐ東横に「石島」という島があるのですか? 見たことないですが・・・・

お前の細い目を大きく広げて見れば、見えるだろうな。(笑)

鬱陵島のすぐ東横の「石島」って?

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/01/26 17:43 投稿番号: [3280 / 18519]
>それは鬱陵島のすぐ東横の「石島」を「独島」とも書くと言っていることに他ならない。(笑)

鬱陵島のすぐ東横に「石島」という島があるのですか?
見たことないですが・・・・

一人離れた島という認識

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 14:51 投稿番号: [3279 / 18519]
は新論だな。 石島の石を「Tok」と発音するために「独」をあてて「独島」と書くと言うのが韓国の主張だが、それは鬱
陵島のすぐ東横の「石島」を「独島」とも書くと言っていることに他ならない。(笑)

また自爆か

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 14:33 投稿番号: [3278 / 18519]
>漢字表記はあとからついて来るものです。 発音が先にあってのことでしょう。

観音島にも先に発音があって、後で漢字表記になったってことか? (笑)

発音が先にあってのことでしょう?

投稿者: jaway 投稿日時: 2004/01/26 13:45 投稿番号: [3277 / 18519]
>torto   tokto   方言はともかく発音はほぼ同じ。漢字表記はあとからついて来るものです。

区別すらしていなかったんでしょ?
どっちがどっちでも構わない名称だったって事ですから。
なので、この論は半島側文献が無意味だと言うのと同じです。(笑)

石島観音島説は成り立たない

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/01/26 13:26 投稿番号: [3276 / 18519]
>「石島」は何時から「観音島」と呼ばれるようになったのか?

そうそう。
これが明らかにされなければ、石島=観音島説は成り立たない。

観音島に限らず

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/01/26 13:20 投稿番号: [3275 / 18519]
鬱陵島を観光船で回ってみてください。
取り巻く島々はすべて石の島ですよ。
そして100メートル足らず東にあって日々イカ漁に出ているあの島も石島です。
いいえ鬱陵島自身も、船から見ると屹立した岩に囲まれた石島の趣です。
torto   tokto   方言はともかく発音はほぼ同じ。漢字表記はあとからついて来るものです。
弟子屈   知床   こんなの皆、あとから漢字を当てたものですよ。   近世になってからね。
日本も韓国も、地名の漢字認識は同じようなものです。
一人離れた島という認識で独島という漢字を当てたのは、
国の後ろにあると言う認識で国後と当てたのと同じで、クナシリという発音が先にあってのことでしょう。

という事は

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 13:16 投稿番号: [3274 / 18519]
韓国が証拠として提示する1900年の「大韓帝国勅令第41号」が意味の無い紙切れということだ。

では、「石島」は何時から「観音島」と呼ばれるようになったのか?

観音島

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 12:09 投稿番号: [3273 / 18519]
は、「主に粗面岩で形成されています」とあるな。 正に、「石島」だ。

http://kr.encycl.yahoo.com/final.html?id=18249

石島=観音島

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 08:49 投稿番号: [3272 / 18519]
鬱陵島=于山島

「独島」はチョンの捏造だ。 おはよう、日本!

半月城さん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 01:42 投稿番号: [3271 / 18519]
書き込みを改めて読みました。どうも誤解があるようですね。私が竹島=アルゴノート島、松島=ダジュレー島とする意味をどうもなかなかうまくご理解いただけないようで残念です。

簡単に言うと、私の理解は、
①元禄時…竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩
②1877年…竹島=アルゴノート島(鬱陵島と考えた)、松島=ダジュレー島(于山島と考えた)、(リアンクールは単なる岩礁と理解)
③1880年…竹島=鬱陵島(竹嶼)、松島=鬱陵島、(リアンクールは単なる岩礁と理解)
ということです。

半月城さんの理解は、
①元禄時…竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩
②1877年…竹島=鬱陵島、松島=リアンクール岩
③1880年…竹島=岩(竹嶼)、松島=鬱陵島
といったところでしょうか。

では、半月城さんは、なぜ③で正式に松島が鬱陵島になったとお考えでしょうか。単に地図の混乱による間違いで、政府がそれをそのまま批判もなく正式見解にしたに過ぎないというご意見でしょうか。

私はもとより②の「外一島」で日本は鬱陵島の位置までのみを版図外としていたのであり、リアンクール岩を松島とは考えていなかったため島名の混乱(松島=鬱陵島)をただす必要はなかったと考えます。

ともあれ、天城が調査した時点で島の地理は全て明らかになったはずですが、調査のあと松島=リアンクール岩という理解が省庁から出てきたという話もどうも聞きません。

半月城さんは、②のときは内務省・太政官ははっきりと竹島=鬱陵島、松島=リアンクール島と把握していたが、③では政府は島名の混乱をただす意志はなく、そのまま受け入れたということでしょうが、私は違うと考えるということです。

ついでですが、質問があります。日本の竹島編入を知った沈郡主から江原道観察使署吏の李明来に報告が行き、さらに報告を受けた朴斉純が日本が独島で何をしたかを知らせるように指示した一連の行政文書ですが、これは文書が存在するにもかかわらずなぜか公開されていません。公開されない理由が分かりましたらお教えいただけませんか。

今度は魚?

投稿者: jaway 投稿日時: 2004/01/26 01:01 投稿番号: [3270 / 18519]
以前、犬を竹島に送って、海鳥を壊滅させたくせに。

日本側の妄言

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/26 01:00 投稿番号: [3269 / 18519]
って、お前らチョンどもが妄言・妄動をしているんだろうが、朝鮮日報よ。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/01/25/20040125000030.html

ところで、商号の中の「朝鮮」の由来は「朝貢が鮮(少ない)」から漢人が命名したのだが、お前らの国定教科書には、そう書いてあるのか? (嘲)

民主党や社民党

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/25 18:35 投稿番号: [3268 / 18519]
>「韓国の「実効支配」の既成事実化に道理がないという見方も正しいものです。私としてはもっとも反日に近いであろう共産党でさえ韓国の武力占拠を非難していることを安心をもって見ました。」

思うことはわかるが、共産党の意見に安心をみだすのは国民としては情けないな。

社民党はさておいて、民主党だが、福岡選出議員の学歴詐称が国民に与えるイメージダウンは避けられない状況だから、これを機に国民に信頼される政党の立て直しに励んでもらいたいところだね。

大韓帝国勅令

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/25 18:05 投稿番号: [3267 / 18519]
>「古来「于山島」であった島が「石島」として権威ある大韓帝国勅令に記載され、それが僅か数年にして「独島」に変化した経緯」

を証明するには偽証の天才技が必要になってくるな。(笑)

>風が吹けば

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/25 16:09 投稿番号: [3266 / 18519]
私は理解を助けるためにさしあたり「大日本國沿海略圖」でご理解くださいと申し上げましたが、これを提示したことがそんなにご不満でしたでしょうか。直接の因果関係を聞かせろとのことですが、私は島根の附属書類だけでなく当時の周辺資料・情況から整合的に内務省・太政官の判断を考えるべきとするのであって、その一環としてこの地図も参考にしてもよろしいものと考えるだけです。

私が竹島=アルゴノート島、松島=ダジュレー島とする根拠は今まで記して来たとおりです。大体要約すると、
①三年後の天城の調査で鬱陵島が松島とされ、それがそのまま確定するに至ること。それにはそれだけの背景を考えうるということ。
②外務省の混乱だけでなく、当時、地図において文部省・陸軍までも鬱陵島を二つの島として記していること。
などです。

さらに、ついでに言うと、後に中井のアシカ猟請願の件につき内務省がリアンクール岩を「韓国領地の疑いあり」として渋ったことも興味深いところです。「外一島」でリアンクール岩が放棄されていたなら内務省は決して「疑いあり」という態度ではなく断固として反対したことでしょう。(おそらくリアンクール岩の所属は「外一島」以降その後1905年まで必ずしも正式には規定されず無主島と考えられたのでしょう。)

さまざまな周辺情況から、私は内務省・太政官が原則的に島根県の提示した竹島・松島を本邦外としつつも、地理的には必ずしも正確に把握していなかった可能性が大きいとするのであり、いずれにしても三年後の天城の調査以降は松島が鬱陵島に確定され、ここ(鬱陵島)までが明確に朝鮮領とされたと考える次第です。

>さらに ahirutousagi2さんは「竹島」伺書の付属書に動植物の宝庫であるかのごとく詳細に記された「竹島」が、実は存在しない「架空の島」であったと主張するにいたっては、あいた口がふさがりません。

何度も申し上げましたが、竹島・松島は当然に存在します。地籍として原則的にそれらの島を日本は「本邦外」としたのです。しかしおそらくリアンクール島が「松島」に該当するとは思っていなかったのでしょう。その向こう側に松島と竹島が別に二つあると考えていたのではないかと思います。竹島がなかったと言っているのではなく、竹島・松島を別の島に比定していたと申し上げているのです。

>もっともそのように考えるのは自称「竹島問題研究家」のみのようです。ahirutousagi2さんもその部類ですか?

私は単に竹島問題に関心を持って一ヶ月の入門者です。で、だからと言って、塚本孝氏の意見をそのままに受け入れることが真たる理解者とおっしゃるのでしょうか。私は私が読んだ資料の範囲で自分で判断するだけの話です。誰かの側につかないといけないものなのですか。もちろん、勉強を深めていけばまた考えも変わるかもしれません。それはそれだけのことです。

>学術的な論証を欠如した自称「竹島=独島問題研究家」の主張は一事が万事、そうした主張にいちいちコメントするのは時間の浪費かなと感じ始めています。

私のこの太政官判断の理解が大西俊輝と共通する部分があるからそのようにおっしゃるのでしょうか。ちなみに、私が大西俊輝を読んだのはこの考えに至った後のことで別に影響は受けていませんし、他のところで私は大西氏には同意できない部分もあります。細部的なことを話をするのにいちいちレッテル張りをする必要もないでしょう。「…研究家/研究者」のレッテルがそんなに重要ですか。

>風が吹けば桶屋がもうかる

投稿者: mekatarami 投稿日時: 2004/01/25 16:03 投稿番号: [3265 / 18519]
>落語で「風が吹けば桶屋がもうかる」という演目がありますが、
>ここで落語以上のオチをひとつ聞かせてください。

>あいた口がふさがりません。

>そうした主張にいちいちコメントするのは時間の浪費かなと
>感じ始めています。


半月先生、相変わらずですなァ。
日頃は冷静な研究家を気取っていても、いざ急所を突かれると、衣の下の
鎧が見え隠れしますなァ。
彼の国のお人にしては、と思わせるところもあったのに、
所詮お里が知れる、いうことなんですかなァ?

ahirutousagi2さん、ええとこ突いたはりますよ。
半月先生の下手糞な皮肉を引き出すっちゅうのは、議論が真に迫った証拠です。
皮肉も一種の才能ですからな。才能の無い人が無理に皮肉を言おうとすると、
こういう恥をかくっちゅう典型みたいなもんですなァ。

ところで半月先生、古来「于山島」であった島が「石島」として権威ある
大韓帝国勅令に記載され、それが僅か数年にして「独島」に変化した経緯、
なんぞわかりましたかいなァ?

夢の海洋資源開発(2)

投稿者: hakanosita 投稿日時: 2004/01/25 14:55 投稿番号: [3264 / 18519]
既に実験プラントも稼動している温度差発電は、特に有望です。電力だけでなく漁業資源・真水を得ることもできます。電力は、プラントの大きさにもよりますが、火力発電システムより安くなるでしょう。
今後のさらなる技術の進展が望まれますが、現時点では海洋温度差発電の設置場所は、発電効率から北限は北緯30度くらいまでの急に深くなる海岸を持つ地域であり、日本では鹿児島・沖縄・太平洋の離島が有望と思われています。
残念ながらウリナラの国の立地条件では、適した場所がなく、発電プラントの重要な中核技術は日本が持っています。

21世紀の半ばには、安価で豊富な電力に裏打ちされた、競争力がある日本経済が実現されるでしょう。

無知な私の質問なのですが

投稿者: neoriver504 投稿日時: 2004/01/25 14:06 投稿番号: [3263 / 18519]
頭のあまりよろしく無い私が疑問に思ったのですが

あらゆる資料の公平性とか中立性なる物はこの際関係無いのでしょうか?
他の事はともかくこの問題は歴史上の事実のみを検証していけば解決するような気がするのです。

その事実が問題であってそこへ至る経緯やら事情やらは問題ないような気がするのは
私が無知なだけなのでしょうか?

公平性中立性に拘らないとあらゆる情報には双方の側にベクトルがかかっている為
結局結論が出ないように思います。

獨島問答 Q49

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/01/25 13:47 投稿番号: [3262 / 18519]
獨島問答Q49.(鬱陵島再開拓)
   そうであれば朝鮮国王と大臣たちはこの時どのような対応をしたのか?   鬱陵島「空島政策」と「捜討政策」を廃棄して「再開拓政策」を採択して施行したのか?

ANS.朝鮮の朝廷は、まず駐朝鮮の日本公使・花房義質に抗議書を送り、ついで従来の鬱陵島「空島政策」を廃棄すると同時に鬱陵島「再開拓政策」を採択した。
   鬱陵島検察使の李奎遠は 1882年陰暦6月5日、国王に復命書を呈して謁見する席において、日本人が鬱陵島に「日本国松島」云々の標木を立てたことにたいして駐朝鮮の日本公使・花房と日本の外務省に抗議文書を発送することを建議した。
   国王はこれを採択し、政府をして即刻日本公使と日本外務省に抗議文書を送るよう命じた。しかし 1882年7月「壬午軍乱」がおき、すべての政策が一時停止になった。「壬午軍乱」がいったん収拾されるや、領議政・洪淳穆は鬱陵島「再開拓」が急務であるとし、1882年陰暦8月20日、鬱陵島再開拓方案を国王に建議した。

   その要旨は
(1) 鬱陵島は絶海のなかにあっても土地が肥沃なので、まず志願する民を募集し、農耕地を開墾するようにし、
(2) 開墾した農耕地にたいし5年間免税する特恵を与え、次第に民を増やし集落をなし、
(3) 嶺南と湖南の漕運船(歳穀を運ぶ船)が鬱陵島に入り材木を切るのを公的に許可し、
(4) 鬱陵島官吏には、検察使・李奎遠の推挙を受け堅実な者を島長に任命し、移住民の規律と秩序を保つようにし、
(5) まず設邑(邑の設置)した後、つぎに設鎮(軍事駐屯地を設置)する意向をあらかじめ講論し、江原道観察使に命じて移住民保護の準備をさせる、
というものであった。国王は即刻この建議を允許した。

   こうして 1882年陰暦8月20日、鬱陵島「空島政策」は廃棄され歴史的な鬱陵島「再開拓政策」が採択された。朝鮮の朝廷は李奎遠の推挙を受け、咸陽で朝鮮人参と薬材を求めて早くから鬱陵島に出入りしていた全錫奎を島長に任命して、鬱陵島再開拓事業を準備した。

>共産党

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/25 13:46 投稿番号: [3261 / 18519]
そうですか。「竹島は、古くから日韓両方の文献に登場しています」に関しては議論が進行中であるところですが、「長くどこの国の領土としても確定されない無人島のままでした」というのは基本的に私は同意する部分です。

「韓国は、一九〇五年の日本の領有手続きそのものが無効だとして」いる点は、いったんは相手の主張に耳を傾ける姿勢を持つことも野党としてはそんなにおかしな話でもないかと思います。

検討がどのようになされ、どんな結果が出るかという問題は別問題として、検討そのものは悪いこととは思いません。議論も受け入れないようでは100%ウリナラ論の韓国と大して変わらなくなってしまいます。

韓国の「実効支配」の既成事実化に道理がないという見方も正しいものです。私としてはもっとも反日に近いであろう共産党でさえ韓国の武力占拠を非難していすることを安心をもって見ました。で、むしろ民主党や社民党のほうが心配になってきた次第です。

風が吹けば桶屋がもうかる

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/01/25 13:45 投稿番号: [3260 / 18519]
   半月城です。
   ahirutousagi2さん、RE:3153
  ahirutousagi2さんは、内務省や太政官が判断した「竹島」伺書にある「松島」(文末参照)は、実は鬱陵島であったと速断し、その裏付けとして伺書の付属資料とはまったく無関係な「大日本國沿海略圖」を持ちだしましたが、一体全体その地図は松島、竹島を放棄した太政官指令と具体的にどのような「直接の因果関係」があるのでしょうか?
   落語で「風が吹けば桶屋がもうかる」という演目がありますが、ここで落語以上のオチをひとつ聞かせてください。

   さらに ahirutousagi2さんは「竹島」伺書の付属書に動植物の宝庫であるかのごとく詳細に記された「竹島」が、実は存在しない「架空の島」であったと主張するにいたっては、あいた口がふさがりません。
  「版図の取捨」を「国家の重大事」と認識していた内務省や太政官が、よりによって架空の島を「竹島」と考えて放棄したとなれば、何ともマヌケな政府です。
   もっともそのように考えるのは自称「竹島問題研究家」のみのようです。ahirutousagi2さんもその部類ですか?   ちなみに竹島=独島問題の研究者は、たとえ竹島=独島を日本領と考える人ですら、塚本孝氏のように明治政府は竹島=独島を放棄したと結論づけています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm093.html#No.672
   学術的な論証を欠如した自称「竹島=独島問題研究家」の主張は一事が万事、そうした主張にいちいちコメントするのは時間の浪費かなと感じ始めています。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「由来の概略」
   磯竹島、あるいは竹島と称する。隠岐国の北西120里(480km)ばかりの
ところにある。周囲およそ10里(40km)である。山は峻険で平地はすくない。
川は3条ある。また滝がある。しかし、谷は深くうっそうと樹木や竹が繁り、
水源を知ることはできない。
   多く目にふれるのは、植物では五りょう松、紫檀、黄蘗(おうばく)、椿、
樫、桐、雁皮(がんぴ)、栂(つが)、竹、マノ竹、コラフ(ニンジン)、蒜
(ひる)、カンドウ(ツワブキ)、ミョウガ、ウド、百合、ゴボウ、グミ、フ
ボンシ(草イチゴ)、虎杖(いたどり)、アラキパである。
   動物では海鹿(うみしか)、猫、ネズミ、ヤマガラ、鳩、鴨、ヒワ、ノガ
モ、鵜(う)、ツバメ、ワシ、クマタカ、タカ、ナヂコアナ鳥、シジュウカラ
の類である。
   そのほかには、辰砂、岩緑青などを見る。魚貝類は枚挙にいとまがない。
なかでもアワビと海鹿が代表的な物産である。アワビをとるのに、夕方に竹を
海に入れ、朝これを引きあげれば、アワビが枝や葉にビッシリ着く。その味は
絶倫とのこと。また、海鹿一頭から数斗(50リットル)の油が得られる。
   次に一島あり。松島と呼ぶ。周囲30町(3.3km)である。竹島と同じ船路
にある。隠岐をへだてる80里(320km)ばかりである。樹木や竹は稀である。
また、魚や獣(アシカか)を産する。

れ:夢の海洋資源開発

投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2004/01/25 12:25 投稿番号: [3259 / 18519]
>おそらく21世紀半ばには、玄海灘を境にして西が20世紀の技術の国・東が21世紀の技術の国となるでしょう。


う〜ん、いい言葉だ。

豚に真珠

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/25 12:04 投稿番号: [3258 / 18519]
>おそらく21世紀半ばには、玄海灘を境にして西が20世紀の技術の国、東が21世紀の技術の国となるでしょう。

正に、「朝鮮人に竹島」だな。(笑)

夢の海洋資源開発

投稿者: hakanosita 投稿日時: 2004/01/25 10:15 投稿番号: [3257 / 18519]
横レス失礼します。
21世紀の日本がさらに発展するためには、日本近海の海洋資源開発が必要と考えています。

メタンハイドレードは、水圧が高い深海にあり・深海での海水の流れから(南極から太平洋を縦断して日本近海へ向う)、日本近海では太平洋沿岸の深海に豊富にあると予測されています。採取可能な埋蔵量は、現時点では全く不明なので、絵に描いた餅になる可能性もありますが、採算ベースにのれば、日本はエネルギー自給国となり(輸出も可能でしょう)、中東の石油の重要性は低下します。
さらに海洋資源は、メタンハイドレードだけではなく、マンガン団塊・海洋温度差発電(発電コストは、従来より安くなります)・プランクトン豊富な海洋水による漁業資源の養殖等、さまざまなものがあります。

メタンハイドレードをより有効に利用するには、車社会に代表される燃料を燃やして動力を得るガソリンエンジンを、電気モーター化かまたは、触媒による燃料の貯蔵等が必要となります。この面の研究が企業ベースでも進んでいるのは、日本とアメリカです。
海洋資源を安定的に取り出すには、さまざまな先端技術が必要(ロボット技術、深海の水圧・腐食に耐える素材技術、触媒技術、海洋土木技術、etc)であり、その技術が無い国には、豚に真珠となります。
ウリナリの国には、充分な技術的蓄積がなく、地理的特性からみて今後も熱心な研究がおこなわれることはありません。

おそらく21世紀半ばには、玄海灘を境にして西が20世紀の技術の国・東が21世紀の技術の国となるでしょう。
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