観音島
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 18:38 投稿番号: [3285 / 18519]
>何故ならば、「観音島」がいかにも取ってつけた名前だからだ。 「観音島」と呼ばれる前は「石島」だったと考えるのが、半月城風に言えば、妥当だな。
李奎遠調査の折の地図、即ち19世紀末の地図によれば、観音島は「島項」とされています。しかし、これは「島のうなじ」という意味でどうも島の名前ではありません。現在もこれにあたるseom-mokは、観音島の対岸、鬱陵島の地域を指します。
可能性としては李奎遠は観音島の名称を記すのを避けて広くこの地域を指すものとして「島項」を用いたか、または当時に観音島が「島項」と呼ばれていたものが現在は鬱陵島側の対岸の地名になったかのどちらかですが、おそらく前者ではないかと思います。
では、李奎遠がなぜ、観音島の名称を避けたかですが、この調査の折には住民たちは于山島の名称を観音島にあてていたのではないかというのが私の推測です。そうすると、実は1899年のラボーテの調査、1900年の「石島」まで、すべて脈絡はつながるのです。
また「島のうなじ」が「首」を指すとすれば「頭」にあたるはずの観音岩は竹嶼よりは小さくとも位置として重要視されたともいえそうです。この岩が後に「観音岩」となったのも、そうした信仰のような考えが反映されているのかも知れません。
これは メッセージ 3283 (Gaenara さん)への返信です.
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