>tinopureさん
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/26 20:36 投稿番号: [3287 / 18519]
私の考えはすでに記したとおり、李奎遠による以下の文書の解釈が根拠になっています。既出ですが念のためもう一度書いておきます。
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松竹于山などの島を現地仮住の同胞たちは、みな近傍の小島をこれに当てている。しかるに根拠となる地図もなく、また案内の指標もない。晴れた日に高いところに登って遠くを眺めると千里を窺うことができたが、ひとかけらの石も一握りの土もなかった。すなわち鬱陵を于山と称するのは、済州を耽羅と称するごとくである。(半月城氏読み下し)
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これの解釈には二つが可能です。
①松竹島・于山島を住民たちは近傍の島をあてている。しかし、根拠となる地図も指標も無い。[その島を見ようと]晴れた日に山から遠くを見渡したが石ひとかけら見えなかった。
②松竹島・于山島を住民たちは近傍の島をあてている。しかし、根拠となる地図も指標も無い。[ほかに島はないかと]晴れた日に山から遠くを見渡したが石ひとかけら見えなかった。
①の場合は松竹島は竹嶼、于山島が独島という主張です。半月城さんはこの立場でしょう。しかし文章が大変まずくなります。松竹島はすぐそこにあり、于山島は遠くよく見えない島ですが、ここでは「両方見えない」となっています。とても不自然な内容です。
②の場合は松竹島は竹嶼、于山島は観音島にあたります。李奎遠としてはそれほど近傍の小島が由緒ある「于山島」と確定することは断言を避けたのでしょう。そしてほかの島はないかと見渡したのです。①よりは普通の解釈でしょう。
李奎遠は独島の存在に気づいていなかったのです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=3160
これは メッセージ 3286 (tinopure さん)への返信です.
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