>Q48コメントへのレス(半月城さん)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/19 00:50 投稿番号: [3160 / 18519]
>王(3島認識)、鬱陵島(通称)=鬱陵島(本島)+芋山島+松竹島
>李(マクロ的に2島、ミクロ的に3島認識)、鬱陵島=芋山島、松竹島=松島+竹島
李にはマクロもミクロもありません。二島論でしょう。「松竹島のほかに松島竹島があるということではありません」と言っているのですから。
>ちなみに「島項」は訓読みにすると「島のうなじ」になりますが、これに相当する韓国語の Seom Mokは現在でも鬱陵島と観音島間のノドのような場所の名として使われています。
鬱陵島の岸のところではないですか。
>ahirutousagi2さんの憶測に反して、李奎遠が記した島「島項」は于山島とは無縁です。それとは別に于山島や松竹島について李奎遠はこう記しました。
あいにくですが、憶測からあまり外れていません。まさかここに于山島と出ているとはもとより考えていませんでしたから。「島項」という地名で満足です。地図の東側がどの画像を見ても切れているのは不満ですが。何か意図でもあるのでしょうか。
>李奎遠は松竹島=松島竹島については竹嶼に比定することを避け、不明なままとしました。もし松島竹島のうち「竹島」を竹嶼にしたら、「松島」をどうするのか、これを観音島にするわけにもいかないので、扱いがむずかしかったためと思われます。
>一方、于山島についても高所からの単なる目視を試みたのみで、実際の探査は実施しませんでした。高所での目視はやはり失敗でした。現在でも鬱陵島から竹島=独島をみるのは条件がかなりよくないと見えないものです。
松竹島については現地の人間は竹嶼にあてて言っていたことでしょう。そして于山島は観音島の可能性が高いものと思われます。しかし、李奎遠はより大きな島であり、もう少し距離的にも離れた島を考えていたのでしょう。現地の人々の話をそのまま確定できるだけの根拠があるわけでもなく、安易な確定は避けたのでしょう。
地図において、李奎遠が採ったのは「竹島」と「島項」でした。で、それぞれの島について触れておくと、まず「松竹島」という名はそもそもおかしいので「竹島」という呼び方はこれで問題はないものと思います。現地の人もそう呼んでいたのでしょう。
次に観音島ですが、李奎遠はなぜ「島項」と記したのでしょう。現在、これはむしろ観音島の対岸側でしょう。当時はどうだったのでしょうか。おそらく李奎遠は「于山島」の名を避けて意図的にこの観音島のあたりを広く指す地名をとりあえずの名称としてつけたのではなかったでしょうか。
半月城さんが認めるように、これは島の名ではありません。歴史的に由緒ある「于山島」の名前を、李奎遠としては住民の言葉どおりに安易に近傍の小島に名づけることはできなかったのでしょう。
なお、島には全羅道からきて鬱陵島に十年以上も住む人もいました。李奎遠はそういう人々から話を聞いており、しかも、隊員は総勢102名です。住民からかなりの情報を仕入れたはずです。
しかし、独島の話は一言も出てきません。独島はかけらほども意識されていません。二日間船で島の周りをまわろうと、天気の晴れ渡った日に山に登って海の果てを見ようと、居住10年以上の誰の話を聞こうと、独島の話は出てきません。于山島がその海の向こうにあるという話もありません。あるのは、
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松竹于山などの島を現地仮住の同胞たちは、みな近傍の小島をこれに当てている。しかるに根拠となる地図もなく、また案内の指標もない。晴れた日に高いところに登って遠くを眺めると千里を窺うことができたが、ひとかけらの石も一握りの土もなかった。すなわち鬱陵を于山と称するのは、済州を耽羅と称するごとくである(注2)
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だけでしょう。では、これをどう読むか。簡単に読むとこうです。「松竹島と于山島について現地民は近傍の小島[おそらく竹嶼と観音島]を当てている。でも根拠がない話だ。で、[ほかにちゃんとした島がないのかと]高い山に登ってみたが、何も見えない」程度でいいでしょう。松竹島と于山島を同列で考えるならばそう読まざるを得ません。
于山島(仮に独島として)に関して何かを聞いていれば、李奎遠がこういう書き方をするわけがありません。独島は、認識されていなかったのです。そして、こうした認識(于山島=観音島)はそのままラボーテの調査(1989)にまで引き継がれたともいえるかもしれません。
>李(マクロ的に2島、ミクロ的に3島認識)、鬱陵島=芋山島、松竹島=松島+竹島
李にはマクロもミクロもありません。二島論でしょう。「松竹島のほかに松島竹島があるということではありません」と言っているのですから。
>ちなみに「島項」は訓読みにすると「島のうなじ」になりますが、これに相当する韓国語の Seom Mokは現在でも鬱陵島と観音島間のノドのような場所の名として使われています。
鬱陵島の岸のところではないですか。
>ahirutousagi2さんの憶測に反して、李奎遠が記した島「島項」は于山島とは無縁です。それとは別に于山島や松竹島について李奎遠はこう記しました。
あいにくですが、憶測からあまり外れていません。まさかここに于山島と出ているとはもとより考えていませんでしたから。「島項」という地名で満足です。地図の東側がどの画像を見ても切れているのは不満ですが。何か意図でもあるのでしょうか。
>李奎遠は松竹島=松島竹島については竹嶼に比定することを避け、不明なままとしました。もし松島竹島のうち「竹島」を竹嶼にしたら、「松島」をどうするのか、これを観音島にするわけにもいかないので、扱いがむずかしかったためと思われます。
>一方、于山島についても高所からの単なる目視を試みたのみで、実際の探査は実施しませんでした。高所での目視はやはり失敗でした。現在でも鬱陵島から竹島=独島をみるのは条件がかなりよくないと見えないものです。
松竹島については現地の人間は竹嶼にあてて言っていたことでしょう。そして于山島は観音島の可能性が高いものと思われます。しかし、李奎遠はより大きな島であり、もう少し距離的にも離れた島を考えていたのでしょう。現地の人々の話をそのまま確定できるだけの根拠があるわけでもなく、安易な確定は避けたのでしょう。
地図において、李奎遠が採ったのは「竹島」と「島項」でした。で、それぞれの島について触れておくと、まず「松竹島」という名はそもそもおかしいので「竹島」という呼び方はこれで問題はないものと思います。現地の人もそう呼んでいたのでしょう。
次に観音島ですが、李奎遠はなぜ「島項」と記したのでしょう。現在、これはむしろ観音島の対岸側でしょう。当時はどうだったのでしょうか。おそらく李奎遠は「于山島」の名を避けて意図的にこの観音島のあたりを広く指す地名をとりあえずの名称としてつけたのではなかったでしょうか。
半月城さんが認めるように、これは島の名ではありません。歴史的に由緒ある「于山島」の名前を、李奎遠としては住民の言葉どおりに安易に近傍の小島に名づけることはできなかったのでしょう。
なお、島には全羅道からきて鬱陵島に十年以上も住む人もいました。李奎遠はそういう人々から話を聞いており、しかも、隊員は総勢102名です。住民からかなりの情報を仕入れたはずです。
しかし、独島の話は一言も出てきません。独島はかけらほども意識されていません。二日間船で島の周りをまわろうと、天気の晴れ渡った日に山に登って海の果てを見ようと、居住10年以上の誰の話を聞こうと、独島の話は出てきません。于山島がその海の向こうにあるという話もありません。あるのは、
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松竹于山などの島を現地仮住の同胞たちは、みな近傍の小島をこれに当てている。しかるに根拠となる地図もなく、また案内の指標もない。晴れた日に高いところに登って遠くを眺めると千里を窺うことができたが、ひとかけらの石も一握りの土もなかった。すなわち鬱陵を于山と称するのは、済州を耽羅と称するごとくである(注2)
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だけでしょう。では、これをどう読むか。簡単に読むとこうです。「松竹島と于山島について現地民は近傍の小島[おそらく竹嶼と観音島]を当てている。でも根拠がない話だ。で、[ほかにちゃんとした島がないのかと]高い山に登ってみたが、何も見えない」程度でいいでしょう。松竹島と于山島を同列で考えるならばそう読まざるを得ません。
于山島(仮に独島として)に関して何かを聞いていれば、李奎遠がこういう書き方をするわけがありません。独島は、認識されていなかったのです。そして、こうした認識(于山島=観音島)はそのままラボーテの調査(1989)にまで引き継がれたともいえるかもしれません。
これは メッセージ 3138 (hangetsujoh さん)への返信です.
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