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獨島問答 Q49

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/01/25 13:47 投稿番号: [3262 / 18519]
獨島問答Q49.(鬱陵島再開拓)
   そうであれば朝鮮国王と大臣たちはこの時どのような対応をしたのか?   鬱陵島「空島政策」と「捜討政策」を廃棄して「再開拓政策」を採択して施行したのか?

ANS.朝鮮の朝廷は、まず駐朝鮮の日本公使・花房義質に抗議書を送り、ついで従来の鬱陵島「空島政策」を廃棄すると同時に鬱陵島「再開拓政策」を採択した。
   鬱陵島検察使の李奎遠は 1882年陰暦6月5日、国王に復命書を呈して謁見する席において、日本人が鬱陵島に「日本国松島」云々の標木を立てたことにたいして駐朝鮮の日本公使・花房と日本の外務省に抗議文書を発送することを建議した。
   国王はこれを採択し、政府をして即刻日本公使と日本外務省に抗議文書を送るよう命じた。しかし 1882年7月「壬午軍乱」がおき、すべての政策が一時停止になった。「壬午軍乱」がいったん収拾されるや、領議政・洪淳穆は鬱陵島「再開拓」が急務であるとし、1882年陰暦8月20日、鬱陵島再開拓方案を国王に建議した。

   その要旨は
(1) 鬱陵島は絶海のなかにあっても土地が肥沃なので、まず志願する民を募集し、農耕地を開墾するようにし、
(2) 開墾した農耕地にたいし5年間免税する特恵を与え、次第に民を増やし集落をなし、
(3) 嶺南と湖南の漕運船(歳穀を運ぶ船)が鬱陵島に入り材木を切るのを公的に許可し、
(4) 鬱陵島官吏には、検察使・李奎遠の推挙を受け堅実な者を島長に任命し、移住民の規律と秩序を保つようにし、
(5) まず設邑(邑の設置)した後、つぎに設鎮(軍事駐屯地を設置)する意向をあらかじめ講論し、江原道観察使に命じて移住民保護の準備をさせる、
というものであった。国王は即刻この建議を允許した。

   こうして 1882年陰暦8月20日、鬱陵島「空島政策」は廃棄され歴史的な鬱陵島「再開拓政策」が採択された。朝鮮の朝廷は李奎遠の推挙を受け、咸陽で朝鮮人参と薬材を求めて早くから鬱陵島に出入りしていた全錫奎を島長に任命して、鬱陵島再開拓事業を準備した。
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