竹島
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Re: 石島は観音島
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/26 22:32 投稿番号: [14678 / 18519]
>その記録はいつ書かれたものですかね。まさかとは思いますが、1906年
の通知以降のものではありませんよね?
またご本人から返答があるものと思いますが、横レスさせていただくとすれば、この回想が出ているのは大韓公論社編『独島』(1965年)で、当時90歳代の古老の証言を収めたものなのか、過去の証言をこの本に収めたものなのかは本を見ないと分かりませんが、少なくとも戦前の回想ではないのではないかと予想します。
ところでこの堀論文ですが、私は学術論文としては客観性を欠いており、さほど評価すべきものとは考えていません。たとえば、
…さらに19世紀末、朝鮮政府が鬱陵島の開発に着手すると、于山島への認識はより正確になった。その時点の朝鮮側の認識を示すものが、図1に掲げた大韓帝国学部編「大韓與地図」(1899年奎章閣所蔵)であり、古地図としては鬱陵島と于山島がほぼ正しい位置に画かれている。(pp.100-101)
という記述はこの論文の価値を喪失させるものであると考えます。堀氏の目にこの地図の位置が「ほぼ正しい」(古地図としては、ということではあっても)と感じるのであれば、それは学術的には客観性を失ったものと言うべきでしょう。
竹島が日本領であろうと韓国領であろうと、いずれにしても学者に望まれるのはできるだけ客観的な視角であり、読むものを首肯させうるだけの根拠ある記述であってほしいものです。
>1899年の大韓全図によれば、于山島=chukdoですね。「石島=于山島=chukdo」ということでしょうか?
私の私見では、どうも于山島は竹嶼であったり観音島であったり、あるいは鬱陵島そのものであったりある意味で変幻自在に資料に登場するように見受けられます。
李奎遠の調査を考えればおそらく地元の人は観音島を于山島にあてたのではないか。それは禹用鼎の調査に伴う皇城新聞の記事にも整合的に考えうるものであり、さらに、大韓全図も私は于山島=観音島ではないかと考えています。
これは メッセージ 14675 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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Re: 『公文録』の大谷家「図面」
投稿者: puracyaka 投稿日時: 2006/06/26 22:26 投稿番号: [14677 / 18519]
概ねahirutousagi2様の考察に同意します。
ただ、このあたりの経緯に深入りしても、あまり有意な結論は得られないと考えています。なぜなら、地図の混乱から確たる結論は得難いですし、以前どなたかが書いていたように、1877年の太政官判断が仮に今の竹島だとしても、それは当時の日本政府が勝手にそう思っただけのことであって、朝鮮が何等実効支配に及んでいない以上、法的意味は全く無いからです(勝手な判断だから、勝手に取り消せる。)。その後、1883年に鬱陵島への日本人渡航が問題となった時も、朝鮮政府は松島への渡航は全く問題にしていませんし、日本政府も松島への渡航は禁止していません。当時、肝心の朝鮮政府が何等松島に対する権利を主張していない以上、今になって韓国が1877年の太政官判断を援用できるはずもないのです。
これは メッセージ 14666 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/06/26 22:05 投稿番号: [14676 / 18519]
te2222000さん
>確認させて欲しいのですが、もしも「多竹魚海鹿」を本文にして以下のように
>書いた場合、「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である」という意味に読み
>取られる恐れがある、というのがshuku_remusさんのお考えだということで
>よろしいでしょうか?
それでよいです。「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である」と読み取られ、
「斉藤豊仙はそのような "正当な論理とは言えないこと" を主張している」と見做される
ことを恐れ、そう読み取られないよう「多竹魚海鹿」を割注にしたものと考えました。
>よろしかったら、言い換えを割注とするのが普通である理由についても考察して
>いただけると幸いです。
二つの言い方がある場合、本文では、或いは通常はどちらを主として使用する
かを分かりやすくため、簡便な方法として、例えば副次的な言い方の方を割注に
するのは、割注の普通の使い方です。
shuku_remus
これは メッセージ 14673 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: 石島は観音島
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2006/06/26 21:56 投稿番号: [14675 / 18519]
>1883年頃鬱陵島に移住した洪在現(62年生れ)の回想「開拓当時鬱陵島人
>はすぐ独島を発見し、ワカメやアワビ、またはアシカをとりにしばしば独
>島に出漁し、自分も十数回往来した」を記録しています。
その記録はいつ書かれたものですかね。まさかとは思いますが、1906年
の通知以降のものではありませんよね?
問題が顕在化した後の「証言」を遡及してるのではないでしょうね?
なおかつ洪在現は、役人ですか?中央政府に報告したのでしょうか?
国際法上、私人は関係ありませんからね。
>「韓国内部視察官」として1900年5月鬱陵島に派遣された禹用鼎は、鬱陵島
>附属の島嶼中最も著しい「于山島」が、鬱陵島民の間でソノモノズバリの
>「石島」と呼ばれていることを知りました。
http://toron.pepper.jp/jp/take/image/koujou.jpg
皇城新聞には「石島と呼ばれている」とする記録はないようですね。この
ように断言される禹用鼎の記録を提示願えますでしょうか?
更に言えば、1899年の大韓全図によれば、于山島=chukdoですね。「石島
=于山島=chukdo」ということでしょうか?
これは メッセージ 14668 (ararenotomo さん)への返信です.
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Re: 石島は観音島
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2006/06/26 10:14 投稿番号: [14674 / 18519]
こんにちは、横から失礼して感想を。
>1883年頃鬱陵島に移住した洪在現(62年生れ)の回想「開拓当時鬱陵島人はすぐ独島を発見し、ワカメやアワビ、またはアシカをとりにしばしば独島に出漁し、自分も十数回往来した」を記録しています
空地政策のために鬱陵島はワカメアワビの宝庫だったはずで、わざわざ行くことに疑問を感じます。
この記録自体が戦後の物ですので、史料としての価値は下がるでしょう。
それはともかく、証言が事実であるなら、獨島を石島と呼んでいたという証言がでてきてもよさそう。
于山島と呼んでいたという証言も出てきてよさそう。
石島=獨島説が出てきてから、当時の住人の証言がないのは、前から不思議でした。
すくなくとも、この住人は、説が出た後に証言したにもかかわらず、石島=獨島とも于山島=獨島とも言ってないようですね。
これは メッセージ 14668 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14674.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/06/26 01:03 投稿番号: [14673 / 18519]
shuku_remusさん
お返事ありがとうございます。
○竹島をめぐる日朝間の緊張の有無について
>>>
間接的な状況証拠ではなく、事実に基づいた推測です。
(事実)竹島(鬱陵島)から高麗(朝鮮)を望む
と記載されています。
(推測)その海域に出漁していた隠州地元漁民は、朝鮮を望むところで、緊張・
不安を感じていたことは当然と思われます。
<<<
私は「当然」だとは思いませんが、shuku_remusさんが異なるお考えだということは了解しました。
>>>
記録に残るような衝突がなくとも、漁業協定がある訳でもない外国に近づく
だけで、緊張・不安を感じるのは当り前です。
<<<
私は「当り前」だとは思いませんが、shuku_remusさんが異なるお考えだということは了解しました。
これらは主観的な判断の違いで、お互いに一致する結論を得ることは難しいと思うので、相違点が明らかになったところで議論を打ち切る方が良いかなと感じています。
○割注の使い方について
>>>
斉藤豊仙(地元漁民)にとって「多竹魚海鹿」こそが重要です。しかし日本の
国境を論ずるとき、「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である。」では、国境
を主張する何の "正当な" 論理にもなりません。豊仙は、「竹魚海鹿が多いから
ここまでは日本である。」とあからさまに読みとられることのないないよう割注
にしたものと考えました。
<<<
確認させて欲しいのですが、もしも「多竹魚海鹿」を本文にして以下のように書いた場合、「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である」という意味に読み取られる恐れがある、というのがshuku_remusさんのお考えだということでよろしいでしょうか?
(1) 戌亥間行二日一夜有松島
(2) 又一日程有竹島
(3) [割注]俗言磯竹島
(4) 多竹魚海鹿
(5) 此二島無人之地
(6) 見高麗如自雲州望隠岐
(7) 然則日本之乾地、以此州為限矣
>>>
また「俗言磯竹島」は言い換えですから、この場合は割注とするのが普通です。
<<<
よろしかったら、言い換えを割注とするのが普通である理由についても考察していただけると幸いです。
これは メッセージ 14654 (shuku_remus さん)への返信です.
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Re: 石島は観音島(追加)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/25 23:39 投稿番号: [14672 / 18519]
ちなみに、過去に遡りますと、以前に私の意見は3290ですでに書いたことがあります。ご参考いただければ幸いです。私は于山島=観音島という理解にはさほど違和感がないのです。
皇城新聞には「蔚珍之東海に一島が有り、曰く鬱陵である。其の附属した小六島の中で最著なのは于山島・竹島であるが、大韓地誌に曰く、鬱陵島は古の于山国である。四方が百里あり、三峰が律兀たるが、所産は…」とあります。
「最著」は最も目立つ、ぐらいの意味。もしも于山島が竹島(独島)であるとすればいくつかの疑問が生じます。
1.なぜ竹島が「蔚珍之東海に一島が有り」となるのか。「二島が有り」となるべきではないか。
2.付属の小六島に竹島(独島)が含まれるのは自然であるか。また「最著」というのは妥当か。
3.なぜ、竹島(独島)についての言及が一切無いか。もしも竹島であれば小六島の中でもかなり特殊であり、当然に何らかの言及はあっていいはず。
などです。私の意見の傍証として大韓帝国学部編『大韓全図』『大韓輿地図』(ともに1899年)もあげられます。
恐れ入りますが、私にはどうも理解できませんので、禹用鼎の調査における于山島=竹島(独島)の何らかの客観的な根拠をお教えいただければ幸いです。よろしくお願いします。
これは メッセージ 14668 (ararenotomo さん)への返信です.
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4/1NO109ひ弱なプライドの日本人
投稿者: kpgc11015 投稿日時: 2006/06/25 23:24 投稿番号: [14671 / 18519]
乞食はなんでも人が持ってるものを欲しがる。朝鮮も一緒だ。
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Re: 石島は観音島
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/25 22:55 投稿番号: [14670 / 18519]
>、鬱陵島附属の島嶼中最も著しい「于山島」が、鬱陵島民の間でソノモノズバリの「石島」と呼ばれていることを知りました。そこで禹用鼎は、その形状から鬱陵島民の共通認識となった「石島」の名を、今までの曖昧な「于山島」に代えて、大韓帝国政府に報告しました。
横から失礼します。よく分からないのですが、皇城新聞に鬱陵島付属の島として竹島(竹嶼)と于山島が挙げられていますが、この于山島を現在の竹島(独島)と規定する根拠は何でしょうか。
私は観音島としても全く違和感はないものと思いますが、なぜ竹島(独島)でなければならないのでしょうか。もしよろしければご教授いただければ幸いです。よろしくお願いします。
これは メッセージ 14668 (ararenotomo さん)への返信です.
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>Re: >Re: >Re: 石島は観音島か
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/06/25 22:47 投稿番号: [14669 / 18519]
jaian918さん
早速のレス有難うございます。相変らずの遅延お許し下さい。
>私も熱烈な「石島=観音島」支持者というわけではありません。
しかし、「石島=獨島」とすると、沈興澤の「獨島」という報告で、中央政府側が「石島」と認識することが難しいのではないかと思うだけです。
私も熱烈な「石島=獨島」支持者というわけではありません。
しかし、「石島=観音島」とすると、観音島は石島に相応しくないので、誰もが「石島」と認識することが難しいのではないかと思うだけです。
>「石島=獨島」だとすると、「獨島」を中央政府は「石島」と認識できたでしょうか?認識できたとすると、どうして「石島」の事だとわかったと思われますか?
henchin_pokoider01さんへの返信(No.14668)で書きましたが、中央政府から派遣された禹用鼎は、今まで于山島とされていた鬱陵島附属の島を、鬱陵島民の共通認識であった「石島」という名で中央政府に報告しました。于山島は、古くは人の住める島とも見做され、竹島(chuk-do)或いは鬱陵島に比定されたこともあったので、禹用鼎は島自体の形状に基づき誰が見ても分る「石島」を採用したものと思います。「石島」は鬱陵島民に多い全羅道出身者の発音から「獨島」とも書かれました。1904年には「獨島」と書く方が一般的になったようです。また、jaian918さんが示された沈興澤の報告書(No.14556)は「本郡所属獨島は本郡の外洋百余里許に在る」と記していますから、沈興澤らしく随分と鬱陵島に引寄せてはいますが、これからも中央政府は、「石島=観音島」ではなく「石島=獨島」と認識できたと思います。
終りに、
「石島=獨島」に関する詳しい文書記録が少ないのは大きな弱点です。しかし、これは「石島=観音島」も同じです。既存の証拠から私は「石島=獨島」は「石島=観音島」より理があると思っています。ただし、No. 14528で書いたように、観音島は見事な海食崖に囲まれているので、それから「石島」のヒントが得られるかもしれません。大西俊輝『日本海と竹島』(東洋出版, 2003)は「
--
石島とは石仏島のことで、すなわち観音島であると。」示唆しました。「石島=観音島」のブレークスルーを期待しております。
これは メッセージ 14628 (mikenekonomanma さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14669.html
Re: 石島は観音島
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/06/25 22:40 投稿番号: [14668 / 18519]
henchin_pokoider01さん
いつもながらの鋭いご指摘有難うございます。
>詳しい調査どころか調査記録自体がない。
確かに韓国は日本ほど詳しい調査記録を残していないようです。それでも、堀和生(「一九〇五年日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』No.24, 1987)は、大韓公論社編『独島』(ソウル, 1965)からの引用として、1883年頃鬱陵島に移住した洪在現(62年生れ)の回想「開拓当時鬱陵島人はすぐ独島を発見し、ワカメやアワビ、またはアシカをとりにしばしば独島に出漁し、自分も十数回往来した」を記録しています。
>現代の私たちは竹島を石島と呼んでも違和感は感じないだろう。しかし、それは竹島の写真や地図やTVによって実際の竹島の状況を認識しているからである。
洪在現の回想にあるように、19世紀末独島を発見した鬱陵島人は、写真や地図やTVによって実際の竹島の状況を認識している現代の私たち同様、すぐに「岩だらけの島」即ち「石島」と認識しました。そしてこの名は忽ち鬱陵島民の間に普及したでしょう。
>問題は当時の大韓帝国が「竹島が岩だらけの島」という認識を得ていたかどうかである。当然、それには少なくとも竹島が岩だらけの島という報告が大韓帝国政府になされている必要がある。
「韓国内部視察官」として1900年5月鬱陵島に派遣された禹用鼎は、鬱陵島附属の島嶼中最も著しい「于山島」が、鬱陵島民の間でソノモノズバリの「石島」と呼ばれていることを知りました。そこで禹用鼎は、その形状から鬱陵島民の共通認識となった「石島」の名を、今までの曖昧な「于山島」に代えて、大韓帝国政府に報告しました。政府はこの報告を受け入れて、勅令41号で「于山島」を「石島」として管轄区域に含めたものと思います。
これは メッセージ 14626 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14668.html
ちょっと考えてみました
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/25 22:37 投稿番号: [14667 / 18519]
以前にすでに言明しているように、島根県の資料は現在の鬱陵島と竹島を反映したものであり、太政官もまたそこに記された竹島と松島を版図外としたのだと私は認識しています。
ただし、前後の資料的な脈絡から太政官の地理的な認識はアルゴノート・ダジュレーで考えられる(あるいは考えるべき)との立場です。
私は資料にある隠岐から両島80里40里のそれぞれの距離はかなり不正確なものであると考えますが、一方で、先に記したように海里での計算においてはこの資料がほぼ現実に近いものという点はあらためて考慮すべきかとも思われます。
そこで、島根県の資料が現在の鬱陵島・竹島をそのまま正確に竹島・松島として反映しており、距離的にも現実と一致していると考え、また太政官がそれについて「版図外」としていると考えてみます。
とすれば以下のような理解が可能です。
1.各省の地図如何にかかわらず、あくまで太政官はリアンクール岩を松島として認識し放棄した。
2.各省の地図如何にかかわらず、島根の資料をもとに、当該距離に存在するであろう竹島・松島の存在を版図外とした。
どちらをとるにせよ、問題点として、ではどうして天城の調査で鬱陵島が松島になり、竹嶼が竹島になったのかの整合性はとれません。
こうした理解では、天城の調査は、要するに、日本側がリアンクールを松島にすることが都合が悪くなったのでこじつけであとから鬱陵島を松島にすることにした、または勘違いということにでもしなければなりません。
上記の1・2いずれにしても、こうした不合理な調査結果は明治政府に許されるものではないはずです。三条実美による渡航禁止令の記述も矛盾してしまいます。どうも不自然です。
とすると、考えられるのは、太政官の判断はリアンクール岩の位置まではもとより含むべきものとして考えられていなかったということです。
島根県の資料にある竹島・松島を版図外としつつも、そこで意識されたのは位置的には現在の鬱陵島の位置までが版図外であるとの認識です。
そう考えれば、陸軍・文部省の地図はもちろん、天城の調査、三条の禁止令、内務省地理局の地図、すべてつながってくるのです。また、この時期の明治政府の正式の立場は、この天城の調査に規定される、鬱陵島=松島、竹嶼=竹島に収斂されると考えるべきと思われます。
地理的理解が不明瞭であった当時において、島根県の資料がどれほど現在の鬱陵島と竹島を明確に、かつ正確に反映していようと、極端な話、それは問題ではないのです。
太政官がそれに対して版図外としたにせよ、太政官が版図外としたのは結局は竹島・松島という島(日本海にある二島)の存在であり、それはリアンクール岩の位置で考えられたとは整合的には考えにくいものなのです。
1881年
内務省地理局「大日本府県分轄図」も、私の理解とまったく合致するものなのです(この地図では全国図ではアルゴノート・ダジュレーの位置に竹島・松島が描かれていますが、島根県の項目に竹島・松島は含まれていません。太政官判断が影響しているのでしょう)。
これは メッセージ 14666 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: 『公文録』の大谷家「図面」
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/25 16:28 投稿番号: [14666 / 18519]
一応、言及したものについて年代順に並べます。ほかにも援用できそうな地図などはありそうですが。
1867年
勝海舟「大日本国沿海略図」
アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-japan.html1875年
陸軍参謀局「朝鮮全図」
鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島が描かれる(アルゴノート・ダジュレーに比定可能)
1877年
文部省「日本全図」
鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島(アルゴノート・ダジュレーに比定可能)
1877年
太政官判断。
「公文録」では磯竹島から朝鮮まで95里、松島から磯竹島まで40里、隠岐から松島まで80里と記録。実際は、それぞれ、130km, 87km, 157km程度(海里ではそれぞれ70浬、47浬、85浬)。
1880年
軍艦天城の調査で竹嶼が竹島、鬱陵島が松島と確定。
1881年
内務省地理局「大日本府県分轄図」
アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島
1883年
太政大臣三条実美による鬱陵島渡航禁止令に「北緯37度30分、東経130度49分に位置する日本称する松島、一名竹島、朝鮮称する鬱陵島」との記録あり。
以上のような経緯から、太政官がリアンクール岩を松島と考え、それを放棄したとの可能性はほとんどないと判断しました。
かろうじて、仮に太政官が陸軍・文部省・内務省などの理解とは別に島根県提出の資料のみを通じて島を把握し、しかもその距離的な理解が「海里」であったとすればそれなりにありうることかもしれませんが、その場合、1880年以降の調査、内務省地理局の理解、三条実美の禁止令の記述と整合性を取りづらくなります。
いずれにしても、この時期の竹島・松島理解は、結局は1880年の天城の調査に収斂するものと思われます。
これは メッセージ 14665 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14666.html
Re: 『公文録』の大谷家「図面」
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/25 15:35 投稿番号: [14665 / 18519]
外一島に対する半月城さんの理解の根拠は、どうやら位置認識はどうでもよく、当時の資料(図)に現在の竹島・鬱陵島の姿が見受けられ、島の大きさも比定しうるということ、また「かれら(明治政府官僚)はそれほど無能ではない」ということに尽きているようです(9638,9639でも言及)。
>明治政府は「版図の取捨は重大之事件」との緊張感を持って竹島、松島を版図外にしました。それを ahirutousagi2さんは「その地理的な位置理解は、いわゆるアルゴノートとダジュレーに該当」と決めつけていますが、それでは明治政府の官僚をあまりにも見くびりすぎるのではないでしょうか。
別に決め付けではありませんよ。資料を整合的に考えればそうなると言うことですよ。
まず、地図としてご提示の『公文録』も随分と距離がずれていることは確認できるかと思います。これはそれだけ不正確な要素を含んだ資料と言うべきであり、当時の太政官の認識もその誤解の恐れを伴うものであったとすべきでしょう。
また、陸軍参謀局の朝鮮全図(1875)、文部省の日本全図(1877)では鬱陵島が二つに描かれて竹島・松島とされています。勝海舟の地図も同様であることは言うに及びません(1867)。
さらに、内務省とて同様にそうした理解から外れるものではありません。
地理局の「大日本府県分轄図」(1881)で伺われる竹島・松島も、まさにアルゴノート・ダジュレーの位置で示されていることが確認できます。(9509で提示された地図の4ページ目を開いて見てください。)
この資料が天城の調査を反映していないことは若干の問題を含むにせよ、内務省地理局の竹島・松島の地理的な認識がやはりアルゴノート・ダジュレーの位置として認識されていた証拠とはなるでしょう。
結局、当時の陸軍、勝海舟、文部省、内務省の地図で、竹島・松島の地理的な認識がアルゴノート・ダジュレーにあることとなります。
決定的な事実としては、太政官判断の三年後に竹島=竹嶼、松島=鬱陵島、と、実測調査の上で確認までされているのです。1883年の太政大臣三条実美の鬱陵島渡航禁止令もこの調査に則った記述でしょう。
こうしたことを踏まえれば、最低限でも太政官判断において竹島・松島を放棄したとしてもそれは地理的な正確性は欠如していたこと(つまりアルゴノート・ダジュレーに該当)、少なくとも松島が現竹島(独島)の位置認識として認識された可能性はまずないと考えてよいことでしょう。
どうして半月城さんが、太政官が正確に松島=現竹島の位置において認識していたとお考えになるのか、私にはどうしても理解できないのです。「図面の島の様子が現在の竹島と似ている」「明治政府官僚がそんな無能なはずはない」、それ以外に、何か根拠はあるのでしょうか。
これは メッセージ 14664 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14665.html
『公文録』の大谷家「図面」
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/06/25 13:59 投稿番号: [14664 / 18519]
半月城です。
下條正男氏は、明治時代の太政官が竹島=独島を版図外にしたことをついに認めましたが、ahirutousagi2さんはどうしてもその史実を認めがたいのでしょうか。
Re:14650, ahirutousagi2さん
>私は何度も書いていますが、太政官は松島と竹島を版図外と判断したと思っていますよ。そして、その地理的な位置理解は、いわゆるアルゴノートとダジュレーに該当します。
事実を認めないための口実として架空のアルゴノート島や軍艦「天城」の調査などを持ちだすあたり、あえて言うなら、ブラジルの「勝ち組」を連想させます。敗戦後、何十年たっても日本が敗戦した事実を信じようとせず、ひたすら敗戦の事実にかすかにでも矛盾しそうな疑問を重視し、頑として自己の信じたいものだけを信じる姿勢は薩摩隼人かイゴッソウあたりの面目でしょうか。
話かわって、田中邦貴さんが得意になって『公文録』内務省之部を公開しているようですが、内容に問題があります。まさか資料隠しではないのでしょうが、その資料では最も重要な付属地図が抜けており、画竜点睛を欠きます。
肝心の地図「磯竹島略圖」を下記の半月城通信に公開します。
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/map/koubunroku_map.pdf
この地図、『公文録』にいう大谷家「図面」からわかるように、太政官が領土外とした「竹島外一島」はまぎれもなく竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)をさします。
ただ、地図中の説明文に「磯竹島より朝鮮国を遠望する 酉戌に当り海上九五十里許(ばかり)」とありますが、九五十里は 九十五里の書きまちがいではないかと思われます。もし 950里なら、九百五十里と書くはずですが、地図の距離感からいっても九百五十里ではありえません。
明治政府は「版図の取捨は重大之事件」との緊張感を持って竹島、松島を版図外にしました。それを ahirutousagi2さんは「その地理的な位置理解は、いわゆるアルゴノートとダジュレーに該当」と決めつけていますが、それでは明治政府の官僚をあまりにも見くびりすぎるのではないでしょうか。かれらはそれほど無能ではないと思います。
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 14650 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14664.html
韓国人のマナーの悪さに対馬島民はうんざり
投稿者: piece_of_asia 投稿日時: 2006/06/25 11:32 投稿番号: [14663 / 18519]
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14663.html
Re: 日本のマスコミも
投稿者: komattakomao 投稿日時: 2006/06/25 10:19 投稿番号: [14662 / 18519]
日本の行為に対する抗議デモを
あたかも韓国全体が反日感情にあふれているように
繰り返し繰り返し放映する日本のマスコミ。
韓国旅行のリピーターが、どんどん増えていることをとっても
韓国ドラマや映画が、日本映画やドラマと同じように、日本人になじんできたことをとっても
反日や嫌韓が決して増えていないといえます。
掲示板への嫌韓書き込みがあると、それをたしなめる書き込みがあることも
ありのままに報道しているし
韓国マスコミが「反日感情を煽る目的で」報道しているのではないとも思います。
関心を持ち始めたことが嫌韓を生んだと思いますが、ドラマを見たり旅行に出かけたりしてもっともっと知っていけば、
日本にもいいところも悪いところもあり、韓国にもいいところも悪いところもあると、ごく自然な受け止め方ができるようになると思います。
韓国ドラマって、本当に面白いです。
これは メッセージ 14660 (uyokujanaimonn さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14662.html
韓国は紛れもなく「嫌悪すべき国」
投稿者: uyokujanaimonn 投稿日時: 2006/06/24 21:24 投稿番号: [14661 / 18519]
補足したいと思いますが、今日の日本の「嫌韓」ブームは、韓国の反日に対する単純な反作用ではないというのが私の理解です。
韓国の「反日」が、あまりにも欺瞞に満ちており、あいつらの立場に立って考えてみても、到底受け入れがたいデタラメや虚偽やペテンから成り立っているために、そうしたおぞましく愚かな「反日」に、「嫌悪」と「軽蔑」で返してやっているというのが実態でしょう。
「竹島不法占拠」のような犯罪や「日本海名称変更運動」のような妄動民族主義のほかにも、ウルトラ級のバカとしか言いようのないことはたくさんあります。
北朝鮮による日本人拉致に対して、「韓国には何十万人もの「めぐみ」がいる」と言ってみたり、昨年4月には、ノムヒョンがドイツで「ドイツは歴史を反省しているのでナチスによるユダヤ人数百万人虐殺は許せるが、日本は許せない」という趣旨の発言をしてみたり(ドイツのユダヤ人団体に批判される)。そして、それらをほとんど批判もなく支持する韓国人。
こういった、欺瞞に満ちた国に対して「嫌悪」はごく自然な、あり得べき反応です。
これは メッセージ 14660 (uyokujanaimonn さん)への返信です.
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Re: 朝鮮日報=民族主義妄言新聞
投稿者: uyokujanaimonn 投稿日時: 2006/06/24 20:45 投稿番号: [14660 / 18519]
掲示板に「犬を2匹食ったか」とか「東京ドームはキムチ臭い」という投稿があっても、私はそういう投稿をとりたてて批判しようとは思いません。(もちろん、場合によっては(脈絡によっては)間違った罵倒のときもあるでしょう。また、そういう表現がいつも適切だとは限りませんから、私は別段、どんどんそうしようと薦めはしませんよ。)
なぜなら、そういう投稿のほとんどは、イ・スンヨプという個人に向けられているのではなく、「嫌悪すべき韓国」という存在に向けられている「嫌韓」の表現だからであり、「嫌韓」には、そうなって当然の無数の正当な根拠があるからです。
たとえば、「竹島不法占拠」もそう。「日本海名称変更運動」もそう。韓国と言う国は、国家ぐるみで嘘をつき、国家ぐるみでデタラメな画策を世界中でコソコソとやっている。
そうかと思えば、韓国政府と韓国マスコミは「日本は歴史認識が間違っている」などと、高慢極まりない他国非難で自己満足に耽っていたりする。このようなアホの極みとしか言いようのないコントラストを、「嫌悪」以外のどんな反応で返してやったらいいのでしょうか。
「犬を食う」ことを伝統文化と開き直って主張したのだから、我々が、それを軽蔑の理由にして何が悪いでしょうか。「キムチ」が韓国食文化の象徴なら、それは同時に「嫌悪すべき国家=韓国」の象徴でもあって、我々日本国民が当然の権利として、怒りと軽蔑の気持ちを「キムチ」に唾棄する行動で表現してよいはずです。
韓国のメディアは、その新聞記事を日本語版に掲載し、それとなく日本人を批判しようとしているのですが、噴飯ものですよ。あの韓国サッカー界のボスであるチョン・モンジュンが先頭に立って、「犬を食うのは韓国の食文化」と開き直って正当化したいじょう、「嫌韓」の立場の日本国民のなかに、「犬を2匹食って、ホームラン2発」と揶揄する者がいたからといって、それを間違いだと言う資格は韓国人にはないのです。
これは メッセージ 14656 (uuuu5555nb さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14660.html
週刊紙『前進』とは???
投稿者: uyokujanaimonn 投稿日時: 2006/06/24 19:50 投稿番号: [14659 / 18519]
極左テロ集団「中核派」の機関紙のようだ。
半月城も、こんな頭のいかれた妄想集団に頼るとは落ちたものだな。
ノムヒョンもかなり精神に異常を来たして、「海上戦力増強」を口走るまでになっているが、君等は、ついに日本の過激派の助けを借りようと?
イ・スンマンの嘘と妄想ではじめてしまった竹島不法占拠の後処理は、後の世代に押し付けられているが、気が狂って暴れるしか脱出できないようだな(笑
これは メッセージ 14644 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14659.html
日本政府は巡視船出動を検討
投稿者: uyokujanaimonn 投稿日時: 2006/06/24 19:31 投稿番号: [14658 / 18519]
事前通報もなく了解もなしに日本のEEZに不法侵入するものは、取り締まるのが当然だ。
ましてや、半世紀以上も竹島不法占拠を続け、その上、捏造のうえにさらにメッキを塗って世界の目を欺こうという悪巧みなど、許されようはずがない。
韓国ノムヒョン政権の最近の思い上がった態度に教訓を与えるためにも、日本政府は、必要な武力行使を躊躇すべきではない。
韓国の竹島周辺「海流調査」、政府が巡視船出動を検討
政府は23日、韓国が7月に竹島周辺海域で予定している「海流調査」への対応策の検討に入った。
同日、内閣官房、海上保安庁などの担当者が協議し、韓国側調査船が日本の主張する排他的経済水域(EEZ)内で調査を実施した場合は、海上保安庁の巡視船を出動させ、無線などを通じて中止を求めることや、外交ルートを通じて韓国政府に抗議することなどを確認した。
今後の韓国側の動きについては、〈1〉調査を見送る〈2〉日本の主張するEEZを除いた海域に限定して調査する〈3〉予定海域の全域で調査する――などが予想されるため、それぞれのケースに応じて事前に政府全体で対応策を確認しておく必要があると判断した。今回の調査をめぐっては、今月12、13日に外務省で開かれた日韓EEZ境界画定交渉で、日本側がトラブルを回避するため、「事前通報制度」の導入を提案したが、韓国側が受け入れなかった。
(2006年6月24日3時1分 読売新聞)
これは メッセージ 14597 (uyokujanaimonn さん)への返信です.
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Re: 事実を伏せて欲しい・・・・?
投稿者: komattakomao 投稿日時: 2006/06/24 07:33 投稿番号: [14657 / 18519]
これは メッセージ 14656 (uuuu5555nb さん)への返信です.
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朝鮮日報=民族主義妄言新聞
投稿者: uuuu5555nb 投稿日時: 2006/06/23 21:03 投稿番号: [14656 / 18519]
まずこれを見てほしい。程度が低い新聞だ。幼稚だ。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/06/22/20060622000043.html
匿名の掲示板の内容を一般紙が記事にするのか
韓国では!
これを記事にする事で日本の悪イメージを正当化する目論見か?
悪意を感じるし子供じみた幼稚さを感じるのは私だけでないだろう。まさにあおってる。韓国の掲示板では日本の事がものすごくひどく書かれてるっていうじゃないか。
この 韓国民の民族盲目主義をあおっている新聞。異常だよ、また危険だよ。竹島領土問題でもほとんどの日本人は韓国が大騒ぎしてるメディアを見て初めて知ったぐらいなのに韓国では戦争でも始めるかのような記事(民族意識をあおり駆り立てる論調ばかり)。教科書問題でも日本を肯定かする意見は韓国では非国民扱い。とにかく民族の事になると回りが見えない。感情的で且つ
超右翼新聞だ。とにかく露骨だ。また対日本になると妄言でっち上げのオンパレード。かつてユーゴスラビアが内戦に陥り分裂したのはメディアが民族主義をあおったからだ。大昔の紛争(憎しみ)を掘り下げこれまでお互い仲良く居住していた異民族同士が血で血を争う紛争へと進んでしまった。
韓国のメディアはおかしいよ。メディアでない
盲目民族主義新聞だ。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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韓国も日本固有の領土である
投稿者: eru_eru_4021 投稿日時: 2006/06/23 20:37 投稿番号: [14655 / 18519]
常識だろ?
民度の低いチョンなんかに
固有の領土があるわけない
貸してあげてるだけで感謝しろ
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/06/22 21:44 投稿番号: [14654 / 18519]
te2222000さん
>間接的な状況証拠に基いた推測でしかないので、「当然」と断定することは
>無理だと思います。
間接的な状況証拠ではなく、事実に基づいた推測です。
(事実)竹島(鬱陵島)から高麗(朝鮮)を望む
と記載されています。
(推測)その海域に出漁していた隠州地元漁民は、朝鮮を望むところで、緊張・
不安を感じていたことは当然と思われます。
記録に残るような衝突がなくとも、漁業協定がある訳でもない外国に近づく
だけで、緊張・不安を感じるのは当り前です。
両国漁民とも竹島(鬱陵島)近海への出漁の経緯がそれまであったのですから、
遭遇の機会もあり得ました。だから、後に「竹島一件」が起こりました。
>しかし、ご自身でおっしゃっているように「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である」
>では何の論理にもならず、辻褄が合いません。
斉藤豊仙(地元漁民)にとって「多竹魚海鹿」こそが重要です。しかし日本の
国境を論ずるとき、「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である。」では、国境
を主張する何の "正当な" 論理にもなりません。豊仙は、「竹魚海鹿が多いから
ここまでは日本である。」とあからさまに読みとられることのないないよう割注
にしたものと考えました。
このような豊仙の筋の通し方について、私は「その気持ちよく分かる」とします
が、te2222000さんは「辻褄があわない」ので分からないとしています。
「此二島無人之地」にはそのような "込められた意味" はありません。
また「俗言磯竹島」は言い換えですから、この場合は割注とするのが普通です。
shuku_remus
これは メッセージ 14651 (te2222000 さん)への返信です.
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Re: これって半ケツの主張そのままじゃない
投稿者: soyuz_tma2 投稿日時: 2006/06/21 17:09 投稿番号: [14653 / 18519]
外務省の売国奴はそうだが、日本政府は司法の結果を受け入れると言っているのだ。
朝鮮人に自信があるなら司法の場に出れば良いだろ。
竹島が韓国領と言う根拠は?。
鬱稜島の博物館みたいに捏造するか?。
自信があるなら出て来いよ。
無いから来ないんだよな。
そろそろノーベル症の季節だな。
これは メッセージ 14652 (y_scale2002 さん)への返信です.
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これって半ケツの主張そのままじゃない
投稿者: y_scale2002 投稿日時: 2006/06/21 13:43 投稿番号: [14652 / 18519]
民団新聞
<独島の領有問題>国際司法裁判所裁定について 2006-06-21
太政官、日本の領土外布告
領有権問題をめぐって国際司法裁判所裁定を委ねる方法があり、日本は国際司法裁判所にもっていきたいが、韓国が拒否しているのではないかと思っている人が多いかもしれません。
しかし、これは誤解です。韓国だけでなく、日本の現在の外務省も国際司法裁判所での解決を望んでいないのです。もし国際司法裁判所での論戦ともなれば日本の外務省の立場が苦しくなることは必定です。たとえば、明治時代の最高国家機関の太政官が、竹島=独島を朝鮮との関係では日本の領土外と布告した事実が明らかになり、日本外務省の「固有領土」説が危うくなります。
拓殖大学の下条正男教授によれば、外務省の見解は日韓条約を結んだ1960年代当時の認識のままであり、80年代以降の竹島=独島問題の資料にはあえて触れようとはしないのです。
外務省の古くからの見解を表すホームページでは、大谷・村川両家が「幕府から竹島を拝領していた」などと幕藩体制ではあり得ないことを書いています。江戸時代町人が領地を幕府から「拝領」できるはずがありません。
50年代の日本政府は架空の「松島(竹島=独島)渡海免許」を「固有領土」の有力な証拠の一つとし、韓国政府と竹島=独島論争をくりひろげました。
今日では「松島渡海免許」の存在はほぼ否定されました。それどころか幕府は竹島=独島の存在をほとんど知らなかった事実すら判明しました。
日韓条約に反する行動
そんな外務省の実状からすると、日本国民に対するポーズにすぎず、国際司法裁判所での解決を提案することはありえないと思われます。また、外務省が国際司法裁判所による解決を提案することは日韓条約に反するので無理な話です。
同条約の交換公文は、外交で解決できない紛争は「両国政府が合意する手続きに従い、調停によって解決を図るものとする」と定めており、国際司法裁判所へ提訴する前に第3国へ調停を依頼する必要があります。これは韓国政府の主張を強く反映した結果でした。
半可通の評論家は国際司法裁判所による解決を口にしますが、それは日韓条約にも反する非現実なものだけに、所詮はテレビや雑誌で評論家が自己の存在をアピールするための単なる手段にすぎないようで厳しく見るべきでしょう。
■□
独島(竹島)の領有権問題をめぐる国際司法裁判所裁定について、ホームページ「半月城通信」(朴炳渉氏)
http://www.han.org/a/half-moon/ を要約して紹介する。
(2006.6.21
民団新聞)
http://mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=2036&corner=2
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14652.html
Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/06/21 08:51 投稿番号: [14651 / 18519]
shuku_remusさん
お返事遅くなりました。
>>>
竹島(現鬱陵島)から高麗(朝鮮)を望むのですから、もし朝鮮側との遭遇が
なかったとしても、その海域に出漁していた隠州地元漁民が緊張・不安を感じて
いたことは当然と思われます。
<<<
間接的な状況証拠に基いた推測でしかないので、「当然」と断定することは無理だと思います。
推測だけならば「40年に渡って朝鮮と衝突した記録がないのだから、緊張・不安を感じていた筈がない」という議論も成り立ちます。竹島をめぐる日朝間の緊張についてもっと直接的な証拠が示されない限り、上の議論には同意し兼ねます。
>>>
朝鮮の「空島政策」とは竹島(現鬱陵島)からの居住民の移住でしたが、近海
での漁船同士、又は島に上陸した際の漁民同士遭遇の機会はあり得たと言えます。
<<<
仮に朝鮮側との関係に不安を感じている漁民がそのような事態に遭遇したならば、すぐに鳥取藩へ報告して善処を求め、藩や大谷家、村川家の記録に残ったのでは無いでしょうか。
>>>
現に「竹島一件」は、そのような懸念が後に現実になったことを示しています。
<<<
懸念が現実になったのか、想定外の事態が起こったのかは、分かりませんね。当時の受取り方を推測できる史料があると良いですが。
====================
=
>>>
>お考えが正しいものとすると、「此二島無人之地」も割注になっていなければ
>ならないと思います。その点は、いかがでしょうか。
「此二島無人之地」は、本文の筋「ここから高麗を望むからここが日本の限り
である。」と紛れることはありません。わざわざ割注にする必要もありません。
<<<
「多竹魚海鹿」だけが本文の筋と紛れる可能性があるということですね。
これは言い換えると「多竹魚海鹿 → 然則日本之乾地…」という間違ったつながり方で読まれる可能性があるということですね。
しかし、ご自身でおっしゃっているように「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である」では何の論理にもならず、辻褄が合いません。しかも「多竹魚海鹿」と「見高麗…」の間には、「此二島無人之地」という、shuku_remusさんのお考えでは本文の筋と関係ない句が挾まっている訳で、この文脈で「多竹魚海鹿 → 然則日本之乾地…」のような誤読があり得るとは思えません。
なので、「多竹魚海鹿」が本文の筋と紛れるからという理由には説得力が無いと思います。
ちよっと視点を変えますが、「俗言磯竹島」が割注になっているのはどういう理由だと思いますか?
「多竹魚海鹿」がそれと同じ理由で割注になっていると考えて何か不都合があるでしょうか?
これは メッセージ 14643 (shuku_remus さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14651.html
Re: 判断の変更は有り得ること
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/19 21:58 投稿番号: [14650 / 18519]
私は何度も書いていますが、太政官は松島と竹島を版図外と判断したと思っていますよ。そして、その地理的な位置理解は、いわゆるアルゴノートとダジュレーに該当します。実際に、その後の天城の調査でも、結局は鬱陵島と竹嶼がそれ(竹島・松島)に比定されて規定されたものと考えます。
これは メッセージ 14649 (chaamiey さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14650.html
Re: 判断の変更は有り得ること
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/06/19 21:49 投稿番号: [14649 / 18519]
ahirutousagi2氏の論は、1877年の太政官決定は、現在の竹島(独島)を正確に認識した上で版図外と判断したものではないから、1905年に判断を「変更」したと考える必要はない、というものでしょうかね?
1877年の太政官決定に言う「外一島」がどこを指すかについては、まだ良く調べていませんから差し当たり意見は書きませんが、実は竹島(独島)のことではなかったとの結論が成立するのであれば、それはそれで結構なことだと思っていますよ。
これは メッセージ 14648 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14649.html
Re: 判断の変更は有り得ること
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/18 20:45 投稿番号: [14648 / 18519]
仰るとおり、1877年の判断は朝鮮政府と別段関係はないものですが、一方で「後になって判断を変更」という見方も再検討を要します。
そもそも3年後の1880年に、松島・竹島は軍艦天城による正式の調査によって鬱陵島と付属の竹嶼として確定しています。
これをどう考えるかは議論がありうるでしょうが、この時期の明治政府の正式の理解(地理的認識)はこの天城の調査に収斂するものと思われます。
ちなみに、李奎遠が鬱陵島を調査したのは、その2年後のことでした。しかし彼らは独島の存在を把握できていませんでした。
これは メッセージ 14647 (chaamiey さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14648.html
判断の変更は有り得ること
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/06/18 17:56 投稿番号: [14647 / 18519]
明治政府が1877年に竹島(独島)を版図外と判断したにせよ、それは、朝鮮政府と何かを取り決めたものではないから、後になって判断を変更することを禁ずるものではありません。
したがって、1877年の決定は1905年の竹島(独島)領土編入決定に、別段の影響を及ぼすことはないと考えます。
これは メッセージ 14644 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14647.html
・・・『前進』って、何の雑誌?
投稿者: tinopure 投稿日時: 2006/06/18 16:45 投稿番号: [14646 / 18519]
『前進』記事の歴史認識にほとんど問題はない
『前進』記事の歴史認識にほとんど問題はない
『前進』記事の歴史認識にほとんど問題はない・・・
問題はない・・・
問題はない・・・
ポイ
つシ
これは メッセージ 14645 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14646.html
独島(=「竹島」)は朝鮮の領土だ2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/06/18 14:44 投稿番号: [14645 / 18519]
○ 1905年に略奪閣議決定
130年前の1875年に、日本の明治絶対主義政府は測量名目で江華島沿岸に雲揚号を出し、朝鮮に江華島条約を押しつけ、植民地支配の足掛かりをつくった。そして歴史上初の帝国主義戦争だった日露戦争のただ中で、100年前の1905年、独島を「日本領土」と閣議決定して島根県に編入した。独島を歴史的に略奪したのだ。
日帝は日露開戦と同時に、韓国に「日韓議定書」を強要し、事実上の「属国」とした。以降、1904年8月「第1次日韓協約」、1905年11月「第2次日韓協約」(乙巳保護条約)、1907年7月「第3次日韓協約」と、韓国の内政も外交もすべて奪っていき、1910年の韓国併合で植民地化を完成した。まさに1905年の独島略奪こそ日帝の朝鮮植民地支配の起点であり、朝鮮人民にとって「屈辱の象徴」なのである。
重要なことは、日本は江戸時代と明治時代に、二度にわたり「竹島」の領有を否定していることだ。
(1) 徳川幕府は1696年に鬱陵島への渡海を禁じた。これによって「竹島」に行く者も途絶えた。
(2) 明治になって1876年には鬱陵島に渡った日本人から島の開発申請が出されたことに対し、明治政府は鬱陵島ほか一島(竹島)は「本邦とは関係ない」という太政官決定を下した。日本は領有を一度も主張してはいない。
他方、1900年に大韓帝国の勅令で鬱陵島を韓国領と宣言し、属島の「石島」(独島)を管轄するとした。この時点で独島の韓国領有は国際的にも確定していたのだ。
こうした歴史的・国際法的関係を逆転させ、日帝が独島を略奪し、朝鮮植民地支配の転機となったものこそ、1905年の閣議決定だったのだ。
戦後においても以上のような歴史事実を受けて、連合国軍総司令部(GHQ)は、1946年の二つの「覚書」で、「竹島」への日本の行政権を停止し、日本漁船の操業区域から「竹島」を除外している。
このように独島=朝鮮領はあらゆる意味で明白だ。
(後略)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『前進』記事の歴史認識にほとんど問題はないのですが、「日帝」の策動を弾劾する同紙が帝国主義列強間の「国際法」について何の批判もないのが気になります。紙幅の制約のため「狼どもの国際法」に対する批判を割愛したのでしょうか。
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 14644 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14645.html
独島(=「竹島」)は朝鮮の領土だ1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/06/18 14:43 投稿番号: [14644 / 18519]
明治政府の国家最高機関である太政官が竹島=独島を版図外とした史実などが日本でも徐々に浸透しているようです。
先日は、拓殖大学の下條正男教授がついにその史実を認めたことを紹介しましたが、今回は週刊紙『前進』の記事を紹介します。
その記事において同紙は、独島(=「竹島」)は「朝鮮の領土」という主張をかかげており特に注目されます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「日帝・小泉=海上保安庁の独島略奪策動を弾劾する」
「独島(=「竹島」)は朝鮮の領土だ」
『前進』2006.5.8
○ 測量船を待機させ屈服迫る
(前略)
4月19日、海上保安庁の測量船「明洋」と「海洋」が鳥取県の境港に入港、待機態勢に入る中、日帝・小泉政権は韓国側の反応次第では20日にも調査を始めるという強硬姿勢で韓国に譲歩を迫った。
25日に韓国 盧武鉉(ノムヒョン)大統領は「日本が独島に対する権利を主張することは韓国の完全な解放と独立を否定する行為」「物理的挑発には断固対応する」と表明。これは日帝の軍事行動にすさまじい怒りを噴出させる朝鮮人民の闘いによって押し出された発言だ。小泉首相の靖国神社参拝や「つくる会」教科書をめぐるアジア侵略戦争と植民地支配を肯定し、再び侵略戦争を構える日帝の軍事挑発に、昨年来の朝鮮人民の怒りが沸騰しているのだ。
この朝鮮人民の怒りに麻生外相は「歴史問題とは関係ない。領有権の問題だ」(25日、参院外交防衛委)と居直り、小泉・安倍は「(韓国に)冷静な対応を望む」などと盗人たけだけしく言い放ったのだ。
これが軍事挑発でなくてなんなのか!
韓国側の対応いかんで日本海に展開する海自の巡洋艦がいつでも急行するという一触即発の事態だった。この時、舞鶴沖では自衛隊の軍事演習中だったのだ。
小泉政権と海上保安庁は今回、6月のドイツでの国際会議で韓国が独島周辺の日本名の海底地形を韓国名に変更する動きをみせていることを口実に、海洋調査を突如設定し、測量船2隻を境港に待機させる挙に出た。そしてこの圧力を背景に谷内外務次官が訪韓、国際会議で海底地名の変更提案を行わないことを韓国に約束させた。それを条件に日帝も調査を中止することで「合意」が成立した。
日帝の今回の海洋調査の狙いは、歴史的にも国際法上も完全に朝鮮領であり、韓国が現に実効支配する独島を「日本固有の領土」と強弁し国際問題化して、新たに独島略奪策動を強めることにあったのだ。
(つづく)
これは メッセージ 14352 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: shuku_remus 投稿日時: 2006/06/16 22:50 投稿番号: [14643 / 18519]
te2222000さん #14634
>緊張関係は全く無かったと思います。
>
>元禄の竹島一件以前に両国漁民が衝突したという記述を見たことがありません。
>朝鮮人の往来の有無は島の帰属を論ずる上で重要ですから、記録があるならば
>必ずどこかで取り上げられて、不勉強な私の目にも入ると思います。
竹島(現鬱陵島)から高麗(朝鮮)を望むのですから、もし朝鮮側との遭遇が
なかったとしても、その海域に出漁していた隠州地元漁民が緊張・不安を感じて
いたことは当然と思われます。
朝鮮の「空島政策」とは竹島(現鬱陵島)からの居住民の移住でしたが、近海
での漁船同士、又は島に上陸した際の漁民同士遭遇の機会はあり得たと言えます。
現に「竹島一件」は、そのような懸念が後に現実になったことを示しています。
te2222000さん #14635
>お考えが正しいものとすると、「此二島無人之地」も割注になっていなければ
>ならないと思います。その点は、いかがでしょうか。
「此二島無人之地」は、本文の筋「ここから高麗を望むからここが日本の限り
である。」と紛れることはありません。わざわざ割注にする必要もありません。
shuku_remus
これは メッセージ 14635 (te2222000 さん)への返信です.
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なるほど・・・
投稿者: tinopure 投稿日時: 2006/06/16 08:47 投稿番号: [14642 / 18519]
これは メッセージ 14639 (torezojp さん)への返信です.
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Re: 田中さんへ(Re:よく分かる隠州視聴合記
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/06/16 06:58 投稿番号: [14641 / 18519]
田中さん
ご返答ありがとうございます。
>>>
冒頭の文章はロケーションを述べているのであって、行政府を述べているのではありません。後述とは別物です。
<<<
ちょっとおっしゃる意味が分かり兼ねるのですが、「冒頭の文章」というのは以下の(1)のことですか?
それとも(1)〜(5)全体を指していますか?
(1) 隠州在北海中故云隠岐島、
(2) [按倭訓海中言遠幾故名歟]、
(3) 其在巽地言嶋前也、知夫郡海部郡屬焉、
(4) 其位震地言嶋後也、周吉郡穩地郡屬焉、
(5) 其府有周吉郡南岸西觶豊崎也、
(5)の「其」が、(1)の「隠州」を指していることは、よろしいですよね。
つまり、(5)は次のように書けますよね?
(5') 隠州府有周吉郡南岸西觶豊崎也
そして(5')においては、「隠州」の意味として「隠岐島」よりも「隠岐国」の方が適切だと思うのですが、そうは思われませんか。
ところで、もう一度口語訳を見直すと「故云隠岐島」を訳してないのですね。
ひょっとして、「故云隠岐島」の部分も含めて(1)全体を意訳し、「隠岐島は北海(日本海)の中にある」としたということなのでしょうか。それなら分からないでもないですが、ここだけ意訳するというのも変ですね。
これは メッセージ 14637 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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ヤフーの日本地図に竹島登場
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2006/06/16 00:53 投稿番号: [14640 / 18519]
島根県の地図に登場、やっとヤフーも認めた
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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よくわかる 隠州視聴合紀「国代記」
投稿者: torezojp 投稿日時: 2006/06/16 00:36 投稿番号: [14639 / 18519]
1667年8月、出雲松江藩の隠岐郡代・齋藤豊仙が、約2ヶ月を掛けて隠州を巡察した際、「視て」「聴いて」採録したものを記した近世隠岐の地誌である。
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1.隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、
其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、
其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、
2.従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、
3.戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、
4.此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、
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1.隠岐国は北海中にあるがゆえに(島名を)隠岐嶋という。
(割注)「按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。」
南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。
東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。
2.これより南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること五十八里、北から東に至る往くべき地無し。
3.戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。
(割注)「(俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。)(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)」
4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。然らば則ち、日本の北西の地はこの州(シマ)をもって限りとす。
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1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と、隠岐の国の位置関係を述べた部分
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1.は斉藤豊仙が従来の隠岐の古紀を借文したものである。江戸時代(現代も同じ)の方位より45度から60度弱位、時計回りにズレがあることから推論される。エビデンスとして隠州視聴合記の付属の隠岐の地図を見れば明らかであろう。付属の隠岐の地図の方位に問題はない。従って、2.〜3.で隠岐を基点にした方位は、ほぼ現在の方位と同様である。また江戸時代は卯辰巳等12支で方位を表したが古は震兌坎艮等が用いられた。ということは、斉藤豊仙に依り新たに加えられた文書は、2.以降の部分の記載であろう。
即ち、隠岐の地誌に斉藤豊仙が隠岐に関して記述したのは「従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、」ということになる。
このことより「然則」で齋藤豊仙が強調したのは、「日本の北西の地はこの州(シマ)をもって限りとす。」であるとの結論が導かれる。古(いにしえ)には「隱州戌亥之極地昧暗也」とされたこともあったが、隠州視聴合紀が記述された時代には、日本の戌亥の最果ての地は竹島となることへの斉藤豊仙の感慨がひしひし伝わってくるではないか。
それにしても「然らば則ち、日本の北西の地はこの州(シマ)をもって限りとす。」の伏線として、後の巻二・周吉郡・元谷村の節で「按此日月の祭古之遺法歟
書曰味谷寅餞納日
本朝亦曾行此禮歟
隱州戌亥之極地昧暗也
與元立日相近也
上古於是餞納日
亦未可知焉
爲好古人姑記備之」の文言をさりげなく記述したところなぞ、レトリックとして、まさに心憎いばかりである。
これは メッセージ 14582 (kana_ikeuchi さん)への返信です.
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