Re: よく分かる『隠州視聴合記』
投稿者: te2222000 投稿日時: 2006/06/21 08:51 投稿番号: [14651 / 18519]
shuku_remusさん
お返事遅くなりました。
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竹島(現鬱陵島)から高麗(朝鮮)を望むのですから、もし朝鮮側との遭遇が
なかったとしても、その海域に出漁していた隠州地元漁民が緊張・不安を感じて
いたことは当然と思われます。
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間接的な状況証拠に基いた推測でしかないので、「当然」と断定することは無理だと思います。
推測だけならば「40年に渡って朝鮮と衝突した記録がないのだから、緊張・不安を感じていた筈がない」という議論も成り立ちます。竹島をめぐる日朝間の緊張についてもっと直接的な証拠が示されない限り、上の議論には同意し兼ねます。
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朝鮮の「空島政策」とは竹島(現鬱陵島)からの居住民の移住でしたが、近海
での漁船同士、又は島に上陸した際の漁民同士遭遇の機会はあり得たと言えます。
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仮に朝鮮側との関係に不安を感じている漁民がそのような事態に遭遇したならば、すぐに鳥取藩へ報告して善処を求め、藩や大谷家、村川家の記録に残ったのでは無いでしょうか。
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現に「竹島一件」は、そのような懸念が後に現実になったことを示しています。
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懸念が現実になったのか、想定外の事態が起こったのかは、分かりませんね。当時の受取り方を推測できる史料があると良いですが。
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>お考えが正しいものとすると、「此二島無人之地」も割注になっていなければ
>ならないと思います。その点は、いかがでしょうか。
「此二島無人之地」は、本文の筋「ここから高麗を望むからここが日本の限り
である。」と紛れることはありません。わざわざ割注にする必要もありません。
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「多竹魚海鹿」だけが本文の筋と紛れる可能性があるということですね。
これは言い換えると「多竹魚海鹿 → 然則日本之乾地…」という間違ったつながり方で読まれる可能性があるということですね。
しかし、ご自身でおっしゃっているように「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である」では何の論理にもならず、辻褄が合いません。しかも「多竹魚海鹿」と「見高麗…」の間には、「此二島無人之地」という、shuku_remusさんのお考えでは本文の筋と関係ない句が挾まっている訳で、この文脈で「多竹魚海鹿 → 然則日本之乾地…」のような誤読があり得るとは思えません。
なので、「多竹魚海鹿」が本文の筋と紛れるからという理由には説得力が無いと思います。
ちよっと視点を変えますが、「俗言磯竹島」が割注になっているのはどういう理由だと思いますか?
「多竹魚海鹿」がそれと同じ理由で割注になっていると考えて何か不都合があるでしょうか?
お返事遅くなりました。
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竹島(現鬱陵島)から高麗(朝鮮)を望むのですから、もし朝鮮側との遭遇が
なかったとしても、その海域に出漁していた隠州地元漁民が緊張・不安を感じて
いたことは当然と思われます。
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間接的な状況証拠に基いた推測でしかないので、「当然」と断定することは無理だと思います。
推測だけならば「40年に渡って朝鮮と衝突した記録がないのだから、緊張・不安を感じていた筈がない」という議論も成り立ちます。竹島をめぐる日朝間の緊張についてもっと直接的な証拠が示されない限り、上の議論には同意し兼ねます。
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朝鮮の「空島政策」とは竹島(現鬱陵島)からの居住民の移住でしたが、近海
での漁船同士、又は島に上陸した際の漁民同士遭遇の機会はあり得たと言えます。
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仮に朝鮮側との関係に不安を感じている漁民がそのような事態に遭遇したならば、すぐに鳥取藩へ報告して善処を求め、藩や大谷家、村川家の記録に残ったのでは無いでしょうか。
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現に「竹島一件」は、そのような懸念が後に現実になったことを示しています。
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懸念が現実になったのか、想定外の事態が起こったのかは、分かりませんね。当時の受取り方を推測できる史料があると良いですが。
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>お考えが正しいものとすると、「此二島無人之地」も割注になっていなければ
>ならないと思います。その点は、いかがでしょうか。
「此二島無人之地」は、本文の筋「ここから高麗を望むからここが日本の限り
である。」と紛れることはありません。わざわざ割注にする必要もありません。
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「多竹魚海鹿」だけが本文の筋と紛れる可能性があるということですね。
これは言い換えると「多竹魚海鹿 → 然則日本之乾地…」という間違ったつながり方で読まれる可能性があるということですね。
しかし、ご自身でおっしゃっているように「竹魚海鹿が多いからここまでは日本である」では何の論理にもならず、辻褄が合いません。しかも「多竹魚海鹿」と「見高麗…」の間には、「此二島無人之地」という、shuku_remusさんのお考えでは本文の筋と関係ない句が挾まっている訳で、この文脈で「多竹魚海鹿 → 然則日本之乾地…」のような誤読があり得るとは思えません。
なので、「多竹魚海鹿」が本文の筋と紛れるからという理由には説得力が無いと思います。
ちよっと視点を変えますが、「俗言磯竹島」が割注になっているのはどういう理由だと思いますか?
「多竹魚海鹿」がそれと同じ理由で割注になっていると考えて何か不都合があるでしょうか?
これは メッセージ 14643 (shuku_remus さん)への返信です.
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