Re: 石島は観音島
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/26 22:32 投稿番号: [14678 / 18519]
>その記録はいつ書かれたものですかね。まさかとは思いますが、1906年
の通知以降のものではありませんよね?
またご本人から返答があるものと思いますが、横レスさせていただくとすれば、この回想が出ているのは大韓公論社編『独島』(1965年)で、当時90歳代の古老の証言を収めたものなのか、過去の証言をこの本に収めたものなのかは本を見ないと分かりませんが、少なくとも戦前の回想ではないのではないかと予想します。
ところでこの堀論文ですが、私は学術論文としては客観性を欠いており、さほど評価すべきものとは考えていません。たとえば、
…さらに19世紀末、朝鮮政府が鬱陵島の開発に着手すると、于山島への認識はより正確になった。その時点の朝鮮側の認識を示すものが、図1に掲げた大韓帝国学部編「大韓與地図」(1899年奎章閣所蔵)であり、古地図としては鬱陵島と于山島がほぼ正しい位置に画かれている。(pp.100-101)
という記述はこの論文の価値を喪失させるものであると考えます。堀氏の目にこの地図の位置が「ほぼ正しい」(古地図としては、ということではあっても)と感じるのであれば、それは学術的には客観性を失ったものと言うべきでしょう。
竹島が日本領であろうと韓国領であろうと、いずれにしても学者に望まれるのはできるだけ客観的な視角であり、読むものを首肯させうるだけの根拠ある記述であってほしいものです。
>1899年の大韓全図によれば、于山島=chukdoですね。「石島=于山島=chukdo」ということでしょうか?
私の私見では、どうも于山島は竹嶼であったり観音島であったり、あるいは鬱陵島そのものであったりある意味で変幻自在に資料に登場するように見受けられます。
李奎遠の調査を考えればおそらく地元の人は観音島を于山島にあてたのではないか。それは禹用鼎の調査に伴う皇城新聞の記事にも整合的に考えうるものであり、さらに、大韓全図も私は于山島=観音島ではないかと考えています。
これは メッセージ 14675 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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