竹島

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Re: 『公文録』の大谷家「図面」

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/25 15:35 投稿番号: [14665 / 18519]
外一島に対する半月城さんの理解の根拠は、どうやら位置認識はどうでもよく、当時の資料(図)に現在の竹島・鬱陵島の姿が見受けられ、島の大きさも比定しうるということ、また「かれら(明治政府官僚)はそれほど無能ではない」ということに尽きているようです(9638,9639でも言及)。

>明治政府は「版図の取捨は重大之事件」との緊張感を持って竹島、松島を版図外にしました。それを ahirutousagi2さんは「その地理的な位置理解は、いわゆるアルゴノートとダジュレーに該当」と決めつけていますが、それでは明治政府の官僚をあまりにも見くびりすぎるのではないでしょうか。

別に決め付けではありませんよ。資料を整合的に考えればそうなると言うことですよ。

まず、地図としてご提示の『公文録』も随分と距離がずれていることは確認できるかと思います。これはそれだけ不正確な要素を含んだ資料と言うべきであり、当時の太政官の認識もその誤解の恐れを伴うものであったとすべきでしょう。

また、陸軍参謀局の朝鮮全図(1875)、文部省の日本全図(1877)では鬱陵島が二つに描かれて竹島・松島とされています。勝海舟の地図も同様であることは言うに及びません(1867)。

さらに、内務省とて同様にそうした理解から外れるものではありません。

地理局の「大日本府県分轄図」(1881)で伺われる竹島・松島も、まさにアルゴノート・ダジュレーの位置で示されていることが確認できます。(9509で提示された地図の4ページ目を開いて見てください。)

この資料が天城の調査を反映していないことは若干の問題を含むにせよ、内務省地理局の竹島・松島の地理的な認識がやはりアルゴノート・ダジュレーの位置として認識されていた証拠とはなるでしょう。

結局、当時の陸軍、勝海舟、文部省、内務省の地図で、竹島・松島の地理的な認識がアルゴノート・ダジュレーにあることとなります。

決定的な事実としては、太政官判断の三年後に竹島=竹嶼、松島=鬱陵島、と、実測調査の上で確認までされているのです。1883年の太政大臣三条実美の鬱陵島渡航禁止令もこの調査に則った記述でしょう。

こうしたことを踏まえれば、最低限でも太政官判断において竹島・松島を放棄したとしてもそれは地理的な正確性は欠如していたこと(つまりアルゴノート・ダジュレーに該当)、少なくとも松島が現竹島(独島)の位置認識として認識された可能性はまずないと考えてよいことでしょう。

どうして半月城さんが、太政官が正確に松島=現竹島の位置において認識していたとお考えになるのか、私にはどうしても理解できないのです。「図面の島の様子が現在の竹島と似ている」「明治政府官僚がそんな無能なはずはない」、それ以外に、何か根拠はあるのでしょうか。
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