Re: 石島は観音島
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/06/25 22:40 投稿番号: [14668 / 18519]
henchin_pokoider01さん
いつもながらの鋭いご指摘有難うございます。
>詳しい調査どころか調査記録自体がない。
確かに韓国は日本ほど詳しい調査記録を残していないようです。それでも、堀和生(「一九〇五年日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』No.24, 1987)は、大韓公論社編『独島』(ソウル, 1965)からの引用として、1883年頃鬱陵島に移住した洪在現(62年生れ)の回想「開拓当時鬱陵島人はすぐ独島を発見し、ワカメやアワビ、またはアシカをとりにしばしば独島に出漁し、自分も十数回往来した」を記録しています。
>現代の私たちは竹島を石島と呼んでも違和感は感じないだろう。しかし、それは竹島の写真や地図やTVによって実際の竹島の状況を認識しているからである。
洪在現の回想にあるように、19世紀末独島を発見した鬱陵島人は、写真や地図やTVによって実際の竹島の状況を認識している現代の私たち同様、すぐに「岩だらけの島」即ち「石島」と認識しました。そしてこの名は忽ち鬱陵島民の間に普及したでしょう。
>問題は当時の大韓帝国が「竹島が岩だらけの島」という認識を得ていたかどうかである。当然、それには少なくとも竹島が岩だらけの島という報告が大韓帝国政府になされている必要がある。
「韓国内部視察官」として1900年5月鬱陵島に派遣された禹用鼎は、鬱陵島附属の島嶼中最も著しい「于山島」が、鬱陵島民の間でソノモノズバリの「石島」と呼ばれていることを知りました。そこで禹用鼎は、その形状から鬱陵島民の共通認識となった「石島」の名を、今までの曖昧な「于山島」に代えて、大韓帝国政府に報告しました。政府はこの報告を受け入れて、勅令41号で「于山島」を「石島」として管轄区域に含めたものと思います。
これは メッセージ 14626 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14668.html