竹島

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そうですか

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/28 12:44 投稿番号: [10240 / 18519]
どう言い繕うとも事実の提示はないわけですな。

表現なんて代物は程度の差の問題ですから、根本となる事実の提示がない以上、愚生は観音島説に関わるつもりは全くありません。
事実に基づく整合性と、推測に基づく整合性は全く別のものですね。

さしあたり

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/07/28 12:29 投稿番号: [10239 / 18519]
観音島が朝鮮語では名前が必ずしも一定していないこと、さらにその見かけはまさに「石島」であり、前後の資料とも脈絡がつながるということで充分に可能性としては検討対象となるものと言わねばなりません。

一方、独島という呼び名があり、それがどうやら方言でドルソム=石島と関連しうる可能性があり、実例として朝鮮半島にそうした例があるということだけで、石島=独島を確定はできません。あくまで参考事項。

かりに100の実例があろうとも、そばに石島とも言うべき形状の島が存在し、しかもそちらの方が資料的な脈絡がつながりうる(観音島)とすれば、独島=ドクソム=石島はあくまで選択肢の一つとして強い推測の域を出ない話になるのです。

繰り返しになりますが、所詮は以下の通りの話です。

観音島:前後の資料から整合的に理解可能。
独島:方言と吏読を組み合わせればそう読めないことも無い。

簡単な話です

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/28 12:08 投稿番号: [10238 / 18519]
観音島が過去に「石島」或いは発音の如何を問わずそう書きうる呼称で呼ばれていた事実を一つでもお示し頂ければ、議論にもなるでしょう。
愚生が申し上げているのは、何ら事実に基づかずに、推測を根拠とする粗雑な議論には興味がないということです。

ですから

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/07/28 11:53 投稿番号: [10237 / 18519]
>なんの根拠もない観音島説と比較すること自体が無理でしょう。

資料の脈絡に従えば観音島、無理やりでも何でも読めるぞというのが独島、ということです。

>ただし、韓国には言に石島と書いて「ドクト」と発音する実例があることが示されている。

その用例が独島にあてはまるかどうかは何ら根拠がないことです。それにしても于山島の名前はどこに消えたのでしょうね。

>ただし、韓国には言に石島と書いて「ドクト」と発音する実例があることが示されている。

どうでもいいことですが、方言で「ドクソム」と発音するのを石島と書いたり独島と書いたりした実例があるということではなかったですか。記憶がはっきりしないですが。

明らかな事実?

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/28 11:37 投稿番号: [10236 / 18519]
観音島が過去に「ドクト」又は「ソクト」若しくは「トルド」と呼ばれた事実でもあるのですかな。

獨島は1904年に日本海軍が確認した事実がありますな。
それが果たして石島と直接結びつくか否かですが、100%そうだとは誰も断言はしていない。
ただし、韓国には言に石島と書いて「ドクト」と発音する実例があることが示されている。

なんの根拠もない観音島説と比較すること自体が無理でしょう。

まずは

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/07/28 11:32 投稿番号: [10235 / 18519]
明らかな事実が存在しない以上は、とりあえずは資料の脈絡を整合的につき合わせてみるのは常道でしょう。

石島=独島には何の脈絡もありません。

整合的?

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/28 11:30 投稿番号: [10234 / 18519]
ものは云いようですな。

未だ事実の提示は皆無ですけど。

>観音島も獨島も同様

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/07/28 11:28 投稿番号: [10233 / 18519]
>観音島:何ら事実に基づかない
>獨島:一応事実に基づく説明がある

観音島:前後の資料から整合的に理解可能。
独島:方言と吏読を組み合わせればそう読めないことも無い。

資料的な流れを重要視するのであれば前者、ただ強引でも何でも読もうと思えばそう読めますよというだけの理由が後者。

観音島も獨島も同様

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/28 11:19 投稿番号: [10232 / 18519]
100%確実と云えない点ではね。

両者の違いは、

観音島:何ら事実に基づかない
獨島:一応事実に基づく説明がある

観音島説は事実に基づかない単なる憶測であるから検討に値しないわけで、その点が獨島の場合とは決定的に異なっています。

>事実、皆無です

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/07/28 11:12 投稿番号: [10231 / 18519]
>検討に値する事実が提示されたことは一度もありません。

これは観音島も独島も同様。ただ前後の資料の整合性から言えば前者の可能性が濃厚であるとは言えるでしょう。

>当時「観音島」は公式名称で「鼠項島」と呼ばれていました。(事実に基づく)

「島項」との記載もあります(どうもこの名前は島の名前ではなく、鬱陵島との接点あたりの地名ではないかと思われますが)。観音島の名前は朝鮮語では必ずしも一定していない。

「鼠項島」は複数の資料で確認できますか?それがある特定の資料に部分的に出てきたからと公式名称であると言えるかどうかも疑問です。

ちなみに、昔から大韓帝国に至るまで朝鮮の文献・地図に記されてきたと主張される于山島(=独島)との名称は、公式名称ではなかったのですか。

>石島と呼ばれていた事実はありません。(事実に基づかない=虚偽)

独島またしかり。

>吏読説も当時の大韓帝國で通常に行われていたことであり、事実に基づいています。

吏読が存在したことと、独島=石島にそれが適用できるかどうかと言うことは別問題です。しかも、この読みは通常の吏読の範囲を超えた方言説まで含んだクイズまがいの読みです。

独島=石島の根拠を裏付ける資料でも出てこないことには「事実」とは程遠いものといわざるを得ません。

案外、「石島」は、戦略的に付け加えた

投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/07/28 11:06 投稿番号: [10230 / 18519]
ものかも知れません。

将来、どこかに島が見つかれば、

それを「石島」にするつもりだったのでしょう。

勅令を書いた人に聞かないと、真相は不明ですけどね。




>意味の無いコメントに

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/07/28 10:45 投稿番号: [10229 / 18519]
>地元の感覚を「関係なし」かい?

関係なし。

さしあたり、あなたの意見の通りであれば、勅令41号を考えるにあたって観音島は地元の人の感覚では鬱稜島に属すると見るべき(つまり鬱陵全島に含む)いうことですね。

一方で、とすれば勅令に記されている竹嶼は地元民にとって鬱稜島の一部ではないということになり、つまり竹嶼は鬱陵島の属島ではなく、あわせて「石島」である独島も鬱稜島の属島でなはない、という理解は、それはそれで尊重しましょう。

>検討の対象を勘違いしてないか?

現在の地元民の意見が一番大事だと思っていらっしゃるのですか。そしてそれこそが検討の対象であると。それこそ検討の対象を誤っているのではないですか。

>そ^だとしたら、あんたが受け取った印象があんたのものでしかないことを、さっさと理解するんだね。

そういう姿勢はよろしくないですよ。議論をするなら議論をすればよろしいでしょうしその中から参考となるような話も出てこないとも限りません。

例えばあなたが使っていた「鬱竜島」という表現は私は今まで見たことがない表現ですが、これがどの資料で示されているかを提示してくださることもここの常連さんには勉強になることでしょう。

>じゃっ。

韓国人がこう言っていたからといってそれだけに意味を求めることは、間違っていますよ。多くの資料を読まれて、その上でご自分の考えをまとめられることを期待いたします。

>意味の無いコメントに

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2005/07/28 10:39 投稿番号: [10228 / 18519]
横レス失礼します

>地元の感覚を「関係なし」かい?

>君が韓国語でコミュニケーションやったことないひとなら、ま、しかたないか


「地元の感覚」は根拠論としては「関係なし」でしょう。

わたしもヘタながら多少の韓国語はわかります。
よく韓国(この掲示板で議論されている在日のかたではなく韓国の韓国人)のかたと竹島について話し合うと、われわれ韓国人はこんなに独島のことを愛し、われわれの領土だと強く思っている、韓国では子どもでも独島我が領土ということを知っている。
それに対して日本人はどれだけ竹島のことを思っているのかということを切々とおっしゃるかたがいます。

こんなに強く思っている、という思いは理解できるのですが、強く思っていれば自国の領土になるということではない。
「思い」と「根拠」が違うということが理解できていない人が少なくない。
韓国のかたの独島我が領土という強い思い、感情は理解できますが・・・

それと、ahirutousagiさんはネイティブ並みに韓国語がおじょうずで、韓国のかたともかなりコミュニケーションされていると思いますよ。

事実、皆無です

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/28 10:35 投稿番号: [10227 / 18519]
検討に値する事実が提示されたことは一度もありません。

当時「観音島」は公式名称で「鼠項島」と呼ばれていました。(事実に基づく)
石島と呼ばれていた事実はありません。(事実に基づかない=虚偽)

吏読説も当時の大韓帝國で通常に行われていたことであり、事実に基づいています。

>じつのところ

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/28 09:50 投稿番号: [10226 / 18519]
>実のところそう断定する根拠をだれももってないよね、ははは。

獨島=石島とする根拠よりはずっと多いよ。

たしかに、知らなかったと断定する根拠はない、あるはずがない。
知っていたけど言わなかったと言えばよいのだから。

そう言う場合は言われたほうが知っていた根拠を出さなきゃいけないのね。

>>岸辺で海草を採る程度の漁業だったので獨島にゆく動機がない。

>わーーーーーーそんな嘘どこで習ったの?

過去レスを読んでね。

皆無とはひどい。

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/28 09:41 投稿番号: [10225 / 18519]
>「石島」を「観音島」と結びつける根拠は皆無です。

断定する根拠がないだけで、結びつける根拠なら、圧倒的にありますよ。

勅令に鬱陵島以外に二島書いてあり、そしてそのうちの一島が
鬱陵島の属島二島の一つであれば、推定する根拠としては十分です。
断定する必要はないんです。
石島=獨島説に対して疑う十分な根拠であればよいのです。

韓国側に、石島を獨島だと断定する根拠が必要なだけであ
って、それこそ皆無なのです。
わずかに後出しの吏読説が推定する根拠としてあるだけです。
事実上ないに等しい根拠です。

横レス失礼

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/28 08:52 投稿番号: [10224 / 18519]
不戦親父さんwrote:
>>観音島しか知らなければ石島でおかしくない。

diedielove999さんwrote:
>実のところそう断定する根拠をだれももってないよね、ははは。

まったくその通りです。
「石島」を「観音島」と結びつける根拠は皆無です。
ただただ、そのことを印象づけようと躍起になっておられる方は大勢居られるようですが、単にそれだけの話であり殊更検討する価値もないでしょう。

>史料解釈はきちんと論理的に

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/28 08:11 投稿番号: [10223 / 18519]
kikousidayo さん

> 「此州」=「隠岐国」派は帰納的推理の好きな方々ともいえる。

そうでしょうか。

もしも「此州」という言葉で島を指す用例が見つかれば、「此州」=「竹島」と考える方も同様の議論をするのではないでしょうか。帰納的推論が、「此州」=「隠岐国」とする議論においてのみ目立つのは、単にそのような用例が見つかっていないというだけのことで、好き嫌いの問題ではないと思います。

実際のところ江戸時代の文献の中に、文章中に出てきた「○○島」と言う言葉を、その後「此州」で指し示すという例は有るのでしょうか。私の知識では有るとも無いとも判断できないので、詳しい方のご意見を伺いたく存じます。
特に、隠岐や対馬のように日本六十余州の一つとなっている島ではなく、普通の島についての用例を知りたいですね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ところで、そうは言っても、上の引用文に続く以下のご指摘はその通りだと思います。

> 帰納法の欠点は、全事例を網羅するか、それと同等の論理証明を
> しない限り、帰納した結論(帰結)は必ずしも確実な真理ではなく、
> ある程度の確率を持ったものに過ぎないのだからね。

私の小論『隠州視聴合紀における「州」の用法と「以此州為限矣」の解釈』 (#9648〜#9655) でも、隠州視聴合紀に出てくる「州」の用例を数えましたが、全部で 62例、もし国名の一部として使われる用例をまとめて 1例とみなすならばたったの6例、のサンプルしかありませんでした。ですから、それだけを理由に「以此州為限矣」の解釈を決め付けることはちょっと無理です。

しかし、6例とはいえ、サンプルの全てが「州」を「国」の意味で使っているということが、ある程度の確率で「以此州為限矣」の解釈に根拠を与えることも確かです。

私は、サンプル数の不十分な統計結果だけを根拠に結論を下すような馬鹿なことはしません。様々な観点から検討し、それらの結果を総合的に判断して結論を出すつもりです。

一つ一つの観点からは絶対的な結論が出なくても、ある程度の確からしさを持った結論が様々な観点の考察から得られて、それらが同じ結果を示しているのであれば、総合的に見て結論を下すことは可能です。

「州」の用例の統計は、そのような観点の一つと考えています。

ちなみに、上の小論では、州の用例の統計、島を指し示す表現、「州」の具体的用例についての個別の考察を踏まえて以下のように書きました (#9653)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
前章までの調査結果に基くと、国代記・地理の「此州」は隠州を指すと考えることが他の個所での用例と一致することになります。従って、それなりの理由がなければ、それ以外の解釈をすることは避けるべきだと私は考えます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

これは、「此州」が「この国」である可能性が高いとしながらも、それなりの理由があれば別の解釈もあり得るとしたもので、この時点では妥当な判断だと思いました。


なお、国代記の解釈に関する私の意見については、近いうちに総まとめの記事を投稿する予定です。そこで私の解釈の主な根拠を挙げますが、その中には「州」の用例の統計結果を含めないつもりです。
「此州」が竹島を指さないことについては、サンプル数の限られた統計結果を示すよりも蛸木浦の節の具体的な用例一つを示す方が遥かに説得力があり、また十分だと思うからです。


また、#10212 の残りの部分で kikousidayo さんは、竹島を韓国領とする韓国人の強引な論理について苦言を呈していらっしゃいます。
そちらについては私は不勉強ゆえコメントを控えますが、此州が隠州を指すという主張と現在の竹島が韓国領であるという主張は別のものであるということだけ、指摘しておきます。

じつのところ

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2005/07/28 01:44 投稿番号: [10222 / 18519]
>観音島しか知らなければ石島でおかしくない。

実のところそう断定する根拠をだれももってないよね、ははは。

>岸辺で海草を採る程度の漁業だったので獨島にゆく動機がない。

わーーーーーーそんな嘘どこで習ったの?

意味の無いコメントに

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2005/07/28 01:39 投稿番号: [10221 / 18519]
地元の感覚を「関係なし」かい?

検討の対象を勘違いしてないか?

君が韓国語でコミュニケーションやったことないひとなら、ま、しかたないか

そ^だとしたら、あんたが受け取った印象があんたのものでしかないことを、さっさと理解するんだね。

じゃっ。

君はね

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2005/07/28 01:36 投稿番号: [10220 / 18519]
史料というがそれ自体がメディアであることをわすれているよ・

>石島が観音島なんて

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/07/27 23:30 投稿番号: [10219 / 18519]
下條氏に対する批判は結構ですが、何ら根拠の無い暴論はおやめになったほうがいいですよ。ちなみに、私も石島は観音島であると思っていますが、それは前後の資料ともっとも整合性のとれる立場でもありますよ。

>よもぎ薬草がゆたかにとれますよ。

よもぎ薬草がとれることと「石島」であることとは全くの無関係なことです。「石島」にも植物はありましょう。

>現在でも観音島はほとんど鬱竜島の人にとっては島の一部という感覚のほうが強いです。

関係なし。むしろ、島の大きさから言って竹嶼と観音島が抜きんでていることが大切です。

ところで「鬱竜島」というのはどこから来たことばですか。

>ずっとむか〜しは観音島にある洞窟に海賊がねぐらをとっていたという伝承もあります。(半ば史実か)

関係なし。

>どこが石島なの。そういう形状じゃない。

写真ではどう見ても「石島」ですよ。もしかして、竹島問題については、あなたは半月城通信しか読んでいないのではないですか。

「観音島=石島」は、理解できる。

投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/07/27 21:33 投稿番号: [10218 / 18519]
>どこが石島なの。
>そういう形状じゃない。
>石島というにふさわしい形状の島というと、独島しかない。


チュクドから見た観音島は、岩だらけだし、漢字の「石」の字にも似ている。↓

http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/gwdo.htm
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9125

>そんな妄言はおやめなさい

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/27 18:10 投稿番号: [10217 / 18519]
>実効支配以前に知見を記録した、信頼できる文書、地図すらみあたらなくて何を根拠に”独島”なぞと云える。


これは   「日本の実効支配」の意味ですよね。「朝鮮国が実効支配したことは
ないので分かり切ったことを聞くでない。」なんて叱られそうだけど・・・・念のため。

妄言ですね。

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/27 09:32 投稿番号: [10216 / 18519]
形状からだとすると、吏読説が成立しないのが苦しいところですね。
獨島が本来の名前で石島が吏読のはずですからね。

別に観音島を石島と呼んでも全然不自然ではないですしね。
獨島と対比してどうのこうのというのは両方知っている人間の感覚であり、
観音島しか知らなければ石島でおかしくない。

そして、日本人が連れてゆくまで往来の必要がなかった証拠がある。
岸辺で海草を採る程度の漁業だったので獨島にゆく動機がない。

鬱陵島でさえ日本人に荒らされる状態では、獨島に行くこと自体困難だったでしょう。


石島が獨島である可能性は、論理的にはあるけれど、現実的には皆無です。

最大の理由は、アリバイがないこと。
その前の2回の調査に記録がないなど事前のアリバイがない。
そして、石島が獨島であれば、日本の領有宣言に対して、勅令を根拠に出さないわけがない。
戦後になって吏読説が登場するのでは、無理です。

裁判なら勝ち目はゼロでしょうね。

そんな妄言はおやめなさい(続)

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/27 07:08 投稿番号: [10215 / 18519]
17〜19世紀の竹島・松島にかかる史料・地図などは殆どが我が国の、文書、書籍、地図などに基づいている。

自国の文書、書籍、地図がないと云うことはこの時代、実際的知識、知見を持たなかったことの証左である。

実効支配以前に知見を記録した、信頼できる文書、地図すらみあたらなくて何を根拠に”独島”なぞと云える。

勅令41号で何が言い得るか、証明し得るか自分の言葉(史料の意味)で論理的に述べてごらん。

そんな妄言はおやめなさい

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/27 06:47 投稿番号: [10214 / 18519]
>どこが石島なの。
そういう形状じゃない。
>石島というにふさわしい形状の島というと、独島しかない。


お手前は、それを史料等から論理的に証明しうるかな?

それが出来ないことを承知で強弁するから妄言なのじゃよ。w

石島が観音島なんて

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2005/07/27 00:57 投稿番号: [10213 / 18519]
そんな妄言はおやめなさい。
珍解釈だ。

下條が勝手に言い出した言説だろう。

現地の感覚を知っていたら、そういう間違いはしないはず。下条は15年から韓国に居て、ただ韓国を通り過ぎてきただけじゃないのか。
得るものない人だな。

観音島を見た人、手をあげて!
どこが「石島」なんでしょ。
よもぎ薬草がゆたかにとれますよ。
現在でも観音島はほとんど鬱竜島の人にとっては島の一部という感覚のほうが強いです。
ずっとむか〜しは観音島にある洞窟に海賊がねぐらをとっていたという伝承もあります。(半ば史実か)

どこが石島なの。
そういう形状じゃない。
石島というにふさわしい形状の島というと、独島しかない。

史料解釈はきちんと論理的に

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/26 19:24 投稿番号: [10212 / 18519]
>飛騨国   昔此州出良匠、故号飛騨匠。
>安房国   有山傍海、自武野望視此州之山。

>これらは、それぞれ飛騨国、安房国の全文です。さて、文中にそれぞれ「此州」なる単語がありますよね。直近に「此」を受ける固有名詞は存在しません。それでも、これらは意味をなしたはずです。前者の此州は、飛騨国、後者の此州は安房国の意味です。

>隠州視聴合記・国代記の「此州」を読むに際しても、たいへん示唆的ですよね。直近に「此」を受ける単語が無くても、書物自体が「隠岐国」について書いたものだから、「此州」は、「隠岐国」として理解できる、と。

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勝手読みの好きな方々だな。文字というものは用法に従って決められた凡その約束事はある。文法に適えば如何なる読み方もできる。ただそれが書き手、場所、時等色々な条件によっても変化する。

「此州」=「隠岐国」派は帰納的推理の好きな方々ともいえる。帰納法の欠点は、全事例を網羅するか、それと同等の論理証明をしない限り、帰納した結論(帰結)は必ずしも確実な真理ではなく、ある程度の確率を持ったものに過ぎないのだからね。

「韓国の場合は「独島は<ウリ(我ら)>の地か否か」という問いを掲げてそれを検証するのではない。独島は<ウリ(我ら)>の地という当為の<理>がア・プリオリ(前提)にあって、それを理屈付けしてゆくのである。」という演繹法については先に述べた。

演繹法の欠点は、正しくない、あるいは使用するのが適切ではない前提を用いてしまうことがある。   先入観や偏見に基づいた間違った前提を適用してしまう場合や、ある限定された範囲でのみ正しい前提を全体に適用してしまうような場合などがそれにあたるわけだ。

それを、強調すると、今度は「帰納的推理」と言うわけですかな。

演繹法の欠点をいうのなら、閣老阿部豊後守正武が1696年正月自邸に宗義真を招き「竹島の地、因幡に属せりといへども、また我人居住の事なし、台徳君(将軍・秀忠)の時にありて、米子村の街人其島に漁せむ事を願ひしによりて此れを許されし也、云々」と「朝鮮通航大紀」巻八にある。幕閣は竹島は因幡に属すと考えていたと云うようなものだ。

「史料解釈はきちんと丁寧に」ということは論理学上からも云いえることだ。しかし韓国人の場合いは「牽強付会の説」が多く、先にナラサラン(愛国)無罪について云わして貰ったが、思いこみが強く始めに結論ありきで絶対的矛盾でもかまわず自己同一するあたりの強弁には感に堪えない。日本人も見習うべきかな。

この伝で行くと、17世紀から18世紀の竹島・松島の記載された史料・地図の類は圧倒的に日本のものばかりで、朝鮮のものといえば安の妄言に関するものと、勅令41号ぐらいなものであるから、日本の文献、資料類を捏造、歪曲、曲解、否定してゆき、であるから「独島は<ウリ(我ら)>の地」という「帰納的推理」を導くだろう。(藁

本朝地志略における此州

投稿者: kaebul 投稿日時: 2005/07/26 12:40 投稿番号: [10211 / 18519]
こんど「本朝地志略」を通読して気づいたのですが、この書物、たとえば以下のような文章から構成されています。

飛騨国   昔此州出良匠、故号飛騨匠。
安房国   有山傍海、自武野望視此州之山。

これらは、それぞれ飛騨国、安房国の全文です。さて、文中にそれぞれ「此州」なる単語がありますよね。直近に「此」を受ける固有名詞は存在しません。それでも、これらは意味をなしたはずです。前者の此州は、飛騨国、後者の此州は安房国の意味です。

隠州視聴合記・国代記の「此州」を読むに際しても、たいへん示唆的ですよね。直近に「此」を受ける単語が無くても、書物自体が「隠岐国」について書いたものだから、「此州」は、「隠岐国」として理解できる、と。

安龍福で韓国が証明しなければならないもの

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2005/07/26 12:37 投稿番号: [10210 / 18519]
国際司法裁判所のPulau Ligitan and Pulau Sipadan 島の判例
http://www.icj-cij.org/icjwww/idocket/iinma/iinmajudgment/iinma_ijudgment_20021217.PDF

Finally, Indonesia states that the waters around Ligitan and Sipadan have traditionally been used by Indonesian fishermen. The Court observes, however, that activities by private persons cannot be seen as effectivites if they do not take place on the basis of official regulations or under governmental authority.
------------------------------------------------------------------------
まず、安龍福がprivate personではない証明が必要だね。無理だけど。

まさかとは懸念していましたが…

投稿者: kaebul 投稿日時: 2005/07/26 12:25 投稿番号: [10209 / 18519]
「本朝地志略」○○国の項に配されておれば、その国に属するのだ、などという「超短絡的」な発想をしているのではないかと畏れていましたが、どうもそのようですね。史料解釈のイロハからやり直した方が宜しいんじゃないでしょうか。

たしかに「本朝地志略」○○国の項に記されている事項は、その○○国と縁の深い事項を挙げています。けれど、「縁が深い」ということと「そこに属している」ということとは同義ではありません。

「本朝地志略」陸奥国の項の末尾数行を掲げますので、ご検討ください。

「蝦夷島、船、自松前渡行、夷人皆長鬚、放毒矢、得禽獣、島多不知其数、遠行者、見陽鳥之所居、蓋与匈奴相接云」

よもや蝦夷島が陸奥国に所属しているなどと主張したりしませんよね?

>史料解釈はきちんと丁寧に

投稿者: allarefriends2000 投稿日時: 2005/07/26 08:08 投稿番号: [10208 / 18519]
kaebulさん

疑問点のご指摘有難うございます。

>「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」なる文章は、「隠岐の海の向こうに竹島がある」ことを書いたまでです。それ以上は読み取れません。

「隠岐の海の向こうに竹島がある」と書いたことが重要です。
「本朝地理志略」伊豆國には、「伊豆海有大島」として役小角や源為朝のことが書いてありますが、大島以外の伊豆諸島の記述はありません。

>1633年まで、幕府の対外関係文書を最終的に統括していたのは以心崇伝であって、羅山ではありませんでしたよね?

幕府の外交事務を統括していたのは、仰せの通り確かに崇伝です。しかし羅山も、朝鮮通信使との筆談などが良く知られていますから、朝鮮外交には重要な役割を果たしたと思います。

>本朝地理志略と隠州視聴合紀の竹島

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/26 00:42 投稿番号: [10207 / 18519]
allarefriends2000さん

興味深い史料の紹介とユニークな御説を、いつも楽しませていただいています。

>しかし鳥取藩との関係もあり、敢えて無視したのであろう。

これは、鳥取藩が竹島の領有を主張することも考えられるので、松江藩としては竹島を隠岐の一部とすることには慎重になったということですよね。

しかし、国代記の場合は単に竹島が日本の北西境だと述べるだけなので、竹島が隠岐の一部か鳥取藩付属かは関係無く、それほど松江藩首脳が難色を示すことはないような気もします。

また、御説に従うと、齋藤勘介としては竹島が隠岐に属すると明記することこそが、師の思いに応える上で重要だったのではないでしょうか。

なので、どうせトンデモ説なら思い切って次のように言う方が、もっともらしく面白いと思ったのですが、いかがでしょう。

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もともと齋藤勘介の提出した報告には、以下のように竹島を隠州の一部とする記述があり、したがって竹島を含んだ隠州を西北境と考えていた。

其の巽地に在るを島前と言うなり。知夫郡海部郡これに属す。
其の震地に位するを島後と言うなり。周吉郡穏地郡これに属す。
別に乾の方に竹島松島あり。

しかし、報告を受け取った松江藩首脳は、竹島を隠州の一部と記述することで鳥取藩との間に揉め事が起こることを恐れ、最後の1行を勝手に削除した。

その結果、島前が南東で島後が東という不可解な位置説明と、竹島の説明の後で「此州」が西北境であると述べる曖昧な文章表現を残したまま、この文書は世に広まることとなった。
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史料解釈

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/25 22:49 投稿番号: [10206 / 18519]
-------------------------- -(コピペ)
「羅山は、その中の隠岐國の最後に、「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」と記した。」の部分から、「羅山は、竹島を隠岐國の一部とし、しかもそれを朝鮮國信使に贈呈した日本國地理書中に明記したのである。」と論ずることは不可能です。「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」なる文章は、「隠岐の海の向こうに竹島がある」ことを書いたまでです。それ以上は読み取れません。

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国立国会図書館、都立中央図書館所蔵にある翌正徳年間(1643)に刊行された「本朝事跡考」の隠岐国条に記載のあることから、「竹島(鬱陵島)を隠岐國に所属させた」と云うは徒に誤りとは云えない。

ちなみに、鰒は、鳥取藩の献上品として「武鑑」にも記されている上、「和漢三才図 会」の伯耆国条では、産物五品の一つに数えられている。また「毛吹草」でも鬱陵(竹島)産の「串鰒」、「葦鹿」を隠岐国の名物として挙げている。

「羅山は、竹島を隠岐國の一部とし、しかもそれを朝鮮國信使に贈呈した日本國地理書中に明記したのである」との論拠に、「空島」になっていた鬱陵を遺棄されたモノとして隠岐の一部にみなす考えが存在したのは事実であろう。特に文禄の役以来、竹島一件(注1.−2.)の決着をみるまで、(或いはみた後も)この考えが一般化していた傾向が見られる。

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【参考】
竹島の地、因幡に属せりといへども、また我人居住の事なし、台徳君(将軍・秀忠)の時にありて、米子村の街人其島に漁せむ事を願ひしによりて此れを許されし也、今其地里を許る(計る)に、因幡を去るもの百六拾里許(ばかり)、朝鮮を距る四十里也、これ曾而彼が地界たる其の疑なきに似たり、国家若し兵威を以てこれに臨まば、何を求むとしてか得べからざむ、但無用の小島の故を以て、好を隣国に失する、計の得たるに非ず、然かも其の初此れを彼に取にあらざる時は、今また此れを返すを以て詞とすべからず、唯我人往き漁せるを禁ぜらるべきのみ、今朝議以前に同じからず、其の相争うてやまざらむよりは、各無事ならむにしかじ、宜しく此意を以て彼国に論すべし
(注−1.)


      --------------------------------
【参考】
先年松平新太郎因州伯州領知之節相窺之伯州米子之町人村川市兵衛大屋甚吉竹嶋江渡海至爾今雖致漁候向後竹島江渡海之儀制禁可申付旨被仰出之候間可被存其趣候    恐々謹言

正月廿八日
                           土屋相模守
                           阿部豊後守
                           大久保加賀守
松平伯善守殿
右御奉書之趣村川大屋両人江   申聞竹島渡海相止候事
(注−2.)

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注−1.「朝鮮通航大紀」巻八
注−2.(池田文書)

>新発見「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/25 10:49 投稿番号: [10205 / 18519]
>   この覚書をみると、安龍福は竹島(鬱陵島)や松島(竹島=独島)の位置をきちんと把握していたことがわかります。

こういう肝心なところで平気で大胆な飛躍をするのが半月城さんの特徴ですね。
引用した文章から、松島の位置を把握していたことにならないのは誰でもわかる理屈です。
富士山の地図を示して箱根だと言えば場所を把握してることになると言ってるのとおなじ。
富士山の横に箱根と書いてある地図があるなら話は多少ちがいますが。

>下條正男氏すら「安龍福が、于山島が松島(竹島)であると確信的に思いこんで述べていたことがよく分かる文書」と語り、それまでの自説を覆さざるを得なかったほどでした。

下條氏は、前から「    」内の意見であります。
自説を覆したわけではありません。
すでに私が指摘したにもかかわらず、反省の色無し。

>    書き付けのことが覚書に書かれているので、『実録』にいう「書契」は安龍福のまったくの作り話でもないようです。安龍福は、幕府でなくても鳥取藩あたりから何らかの重要な「書付」をもらっていた可能性が高くなりました。
   もしそれが発見されたなら、日韓間で第一級の史料になりそうです。ひょっとしたら、隠岐のどこぞやの土蔵に眠っているかも知れません。

藩の発行したものであっても、領有に関わる有利な書き付けなど出すはずがありません。
安龍福は日本漁民が国境侵犯の証拠とするために拉致したのです。
しかも一介の奴隷ですよ。
さらに、彼の書き付けが本物だとしたら朝鮮政府に申告しなかったことは重要です。
彼の偽証を裏付けるなによりの証拠ですね。

合理的妥当性から考えれば、この書き付けが偽造であるか、単に領有権とは無関係のものであるか
のどちらかです。

書き付けが出てきても、それはけして第一級の史料にはなりません。
偽証と偽称を重ねた人間が一度は無いと言った物ですからね。

史料解釈はきちんと丁寧に

投稿者: kaebul 投稿日時: 2005/07/25 07:50 投稿番号: [10204 / 18519]
「羅山は、その中の隠岐國の最後に、「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」と記した。」の部分から、
「羅山は、竹島を隠岐國の一部とし、しかもそれを朝鮮國信使に贈呈した日本國地理書中に明記したのである。」と論ずることは不可能です。「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」なる文章は、「隠岐の海の向こうに竹島がある」ことを書いたまでです。それ以上は読み取れません。

なお、「林羅山は、慶長10(1605)年徳川家康に見えてから、その博識と文筆の才によって重用され、幕府文書の管理にも携っていた」も疑問符を付けておきます。そうした側面があったことは認めます。けれど、1633年まで、幕府の対外関係文書を最終的に統括していたのは以心崇伝であって、羅山ではありませんでしたよね?違いますか?

現代版「香炉峰雪撥簾看」

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/23 20:17 投稿番号: [10203 / 18519]
とれぞ〜サマと貴公子様の取り組みに、塩   いや水が入るかと思ったら
大人の男同士であっさり話が通じた様子・・・

少し物足りないけど流石、日本男児は話が淡泊できれいだわね。
惚れたくなるようなシルビァ〜世代、燻し銀の味わいって素敵ね。

詳解・隠州視聴合紀「国代記」考

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/23 19:55 投稿番号: [10202 / 18519]
【引用開始】
隠州視聴合紀「国代記」

1667年8月、出雲松江藩の隠岐郡代・齋藤豊仙が、約2ヶ月を掛けて隠州を巡察した際、「視て」「聴いて」採録したものを記した近世隠岐の地誌である。

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1.隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、
其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、
其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、

2.従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、

3.戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、

4.此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、

-------------------------------- -

1.隠岐国は北海中にあるがゆえに(島名を)隠岐嶋という。   (割注)「按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。」   南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。
東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。

2.これより南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること五十八里、北から東に至る往くべき地無し。

3.戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。   (割注)「(俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。)(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)」

4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの州をもって限りとす。

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1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と隠岐の国の位置関係を述べた部分

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1.は斉藤豊仙が従来の隠岐の古紀を借文したものである。江戸時代(現代も同じ)の方位より45度から60度弱位、時計回りにズレがあることから推論される。エビデンスとして隠州視聴合記の付属の隠岐の地図を見れば明らかであろう。付属の隠岐の地図の方位に問題はない。従って、2.〜3.で隠岐を基点にした方位は、ほぼ現在の方位と同様である。また江戸時代は卯辰巳等12支で方位を表したが古は震兌坎艮等が用いられた。ということは、斉藤豊仙に依り新たに加えられた文書は、2.以降の部分の記載であろう。

即ち、隠岐の地誌に斉藤豊仙が隠岐に関して記述したのは「従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、」ということになる。

このことより「然則」で齋藤豊仙が強調したのは「日本の北西の地はこの州をもって限りとす。」から、則ち、「日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。」であるとの結論が自ずと導かれる。
【引用終わり】

了解しました。

>本朝地理志略と隠州視聴合紀の竹島

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/23 19:42 投稿番号: [10201 / 18519]
【引用開始】
齋藤勘介は、「戍亥間行二日一夜有松島又一日程有竹島俗言磯竹島多竹魚海鹿此二島無人之地見高麗如自雲州望隠岐」と「本朝地理志略」の簡を補い、竹島を詳述した。ところが最後で、「然則日本之乾地以齋藤勘介為限矣」と日本の西北境を隠州に後退させたのは何か不自然である。
【引用終わり】

後退させたと勝手読みするから、不自然なのだわ。
「然則日本之乾地以此州為限矣」は、此州(シマ)をもって「日本の西北のクニ境」とすると読めばよいのだわい。

「戍亥間行二日一夜有松島又一日程有竹島俗言磯竹島多竹魚海鹿此二島無人之地見高麗如自雲州望隠岐然則日本之乾地以此州為限矣」

隠岐の古紀などからの「隠岐三子島、凡四島、分曰、島前、島後、属島百七十九、総称曰隠岐小島、別有松島、竹島属之」に、齋藤勘介(豊仙)によって加えられた、上の文言の此州を隠州と無理読みしようとするから不自然なのださ。此二島を承けて此州(シマ)と読むべきなのじゃよ。解ったかい貴公子殿。
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