史料解釈はきちんと丁寧に
投稿者: kaebul 投稿日時: 2005/07/25 07:50 投稿番号: [10204 / 18519]
「羅山は、その中の隠岐國の最後に、「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」と記した。」の部分から、
「羅山は、竹島を隠岐國の一部とし、しかもそれを朝鮮國信使に贈呈した日本國地理書中に明記したのである。」と論ずることは不可能です。「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」なる文章は、「隠岐の海の向こうに竹島がある」ことを書いたまでです。それ以上は読み取れません。
なお、「林羅山は、慶長10(1605)年徳川家康に見えてから、その博識と文筆の才によって重用され、幕府文書の管理にも携っていた」も疑問符を付けておきます。そうした側面があったことは認めます。けれど、1633年まで、幕府の対外関係文書を最終的に統括していたのは以心崇伝であって、羅山ではありませんでしたよね?違いますか?
これは メッセージ 10197 (allarefriends2000 さん)への返信です.
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