竹島

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史料解釈

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/25 22:49 投稿番号: [10206 / 18519]
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「羅山は、その中の隠岐國の最後に、「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」と記した。」の部分から、「羅山は、竹島を隠岐國の一部とし、しかもそれを朝鮮國信使に贈呈した日本國地理書中に明記したのである。」と論ずることは不可能です。「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」なる文章は、「隠岐の海の向こうに竹島がある」ことを書いたまでです。それ以上は読み取れません。

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国立国会図書館、都立中央図書館所蔵にある翌正徳年間(1643)に刊行された「本朝事跡考」の隠岐国条に記載のあることから、「竹島(鬱陵島)を隠岐國に所属させた」と云うは徒に誤りとは云えない。

ちなみに、鰒は、鳥取藩の献上品として「武鑑」にも記されている上、「和漢三才図 会」の伯耆国条では、産物五品の一つに数えられている。また「毛吹草」でも鬱陵(竹島)産の「串鰒」、「葦鹿」を隠岐国の名物として挙げている。

「羅山は、竹島を隠岐國の一部とし、しかもそれを朝鮮國信使に贈呈した日本國地理書中に明記したのである」との論拠に、「空島」になっていた鬱陵を遺棄されたモノとして隠岐の一部にみなす考えが存在したのは事実であろう。特に文禄の役以来、竹島一件(注1.−2.)の決着をみるまで、(或いはみた後も)この考えが一般化していた傾向が見られる。

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【参考】
竹島の地、因幡に属せりといへども、また我人居住の事なし、台徳君(将軍・秀忠)の時にありて、米子村の街人其島に漁せむ事を願ひしによりて此れを許されし也、今其地里を許る(計る)に、因幡を去るもの百六拾里許(ばかり)、朝鮮を距る四十里也、これ曾而彼が地界たる其の疑なきに似たり、国家若し兵威を以てこれに臨まば、何を求むとしてか得べからざむ、但無用の小島の故を以て、好を隣国に失する、計の得たるに非ず、然かも其の初此れを彼に取にあらざる時は、今また此れを返すを以て詞とすべからず、唯我人往き漁せるを禁ぜらるべきのみ、今朝議以前に同じからず、其の相争うてやまざらむよりは、各無事ならむにしかじ、宜しく此意を以て彼国に論すべし
(注−1.)


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【参考】
先年松平新太郎因州伯州領知之節相窺之伯州米子之町人村川市兵衛大屋甚吉竹嶋江渡海至爾今雖致漁候向後竹島江渡海之儀制禁可申付旨被仰出之候間可被存其趣候    恐々謹言

正月廿八日
                           土屋相模守
                           阿部豊後守
                           大久保加賀守
松平伯善守殿
右御奉書之趣村川大屋両人江   申聞竹島渡海相止候事
(注−2.)

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注−1.「朝鮮通航大紀」巻八
注−2.(池田文書)
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