>本朝地理志略と隠州視聴合紀の竹島
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/26 00:42 投稿番号: [10207 / 18519]
allarefriends2000さん
興味深い史料の紹介とユニークな御説を、いつも楽しませていただいています。
>しかし鳥取藩との関係もあり、敢えて無視したのであろう。
これは、鳥取藩が竹島の領有を主張することも考えられるので、松江藩としては竹島を隠岐の一部とすることには慎重になったということですよね。
しかし、国代記の場合は単に竹島が日本の北西境だと述べるだけなので、竹島が隠岐の一部か鳥取藩付属かは関係無く、それほど松江藩首脳が難色を示すことはないような気もします。
また、御説に従うと、齋藤勘介としては竹島が隠岐に属すると明記することこそが、師の思いに応える上で重要だったのではないでしょうか。
なので、どうせトンデモ説なら思い切って次のように言う方が、もっともらしく面白いと思ったのですが、いかがでしょう。
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もともと齋藤勘介の提出した報告には、以下のように竹島を隠州の一部とする記述があり、したがって竹島を含んだ隠州を西北境と考えていた。
其の巽地に在るを島前と言うなり。知夫郡海部郡これに属す。
其の震地に位するを島後と言うなり。周吉郡穏地郡これに属す。
別に乾の方に竹島松島あり。
しかし、報告を受け取った松江藩首脳は、竹島を隠州の一部と記述することで鳥取藩との間に揉め事が起こることを恐れ、最後の1行を勝手に削除した。
その結果、島前が南東で島後が東という不可解な位置説明と、竹島の説明の後で「此州」が西北境であると述べる曖昧な文章表現を残したまま、この文書は世に広まることとなった。
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これは メッセージ 10197 (allarefriends2000 さん)への返信です.
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