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>yakuruto1 さんへ

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/24 20:47 投稿番号: [640 / 3669]
>補償問題と経済援助は別の話だったとでもいうの

いいですか
政府は韓国と戦争したのではないから
賠償をする必要がないといっているのですよ。

補償のつもりで経済援助したのでは
ないことは明らかでしょう。

それをどうしてあなたは補償のつもりで
経済援助を行ったというのですか

事実と違うことをあなたは主張しておられる。
あえて言わして頂ければ、あなたのような主張を捏造というのではないですか

>>近代以降の朝鮮(1)

投稿者: yakuruto1 投稿日時: 2002/01/24 18:54 投稿番号: [639 / 3669]
補償問題がなかなか解決しないので打開策として経済援助という方法を取ったんだよ。
それを逆手に取って補償してないと言い張るのはどういう事?
補償問題と経済援助は別の話だったとでもいうの?

>近代以降の朝鮮(1)

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/24 18:43 投稿番号: [638 / 3669]
御丁寧なレス恐れ入ります。
あなたのご意見と一致する箇所もありますが又違うところもあります。

少しずつ検証してみましょう。

>日本国民に謝罪・賠償を求める目的で事実のあやふやなことを繰り返すことは歴史以前に捏造、道義的な脅迫と表現されてもしかたないと思いますよ。

私は日本は苦しいときに補償を行ったという投稿が多いので、補償の決まった過程を調べ日本が行った経済協定が、どのように韓国で使われたのか調べたのです。

その結果投稿しましたように、補償問題は途中で暗礁に乗り上げ結論が出ていない。
そして日本政府は韓国とは戦争したのではないので、賠償する必要はないと
そしてこれは分離独立の祝い金であって
経済援助であり、朝鮮戦争後の日本経済が復興したあとであり、大きな負担にもならなかったと言っているのが分かったのです。

あなたが捏造といわれるのならどこが
事実と違うのかご指摘願いたいのですが、

韓国トビでは日本は苦しいのに補償をした
という意見が多いですが、事実は補償など
していない。日本政府が賠償などする必要がないといっていたのにどうして
補償したという意見が多いのか

補償したという意見のほうが事実とは違うのですから、こちらの意見の方が捏造では
ないでしょうか

>訂正

投稿者: paminami00 投稿日時: 2002/01/24 01:12 投稿番号: [637 / 3669]
>どうも申し訳ありません

これはKmechanさんへのレス作成後に気づきました。
あなたとは主義主張が違いますが、web上の議論とはいえ誤りを認める立派な態度は尊敬します。

私は今週ちょっと多忙なので、Kmechanさんの後半の投稿へのレスは後日あらためます。

近代以降の朝鮮(1)

投稿者: paminami00 投稿日時: 2002/01/24 01:10 投稿番号: [636 / 3669]
昨夜Kmechanさんにレスしようとしたところ何度も失敗し、投稿も消えてしまった。
Kmechanさんの怨念か、はたまた甲申政変で誅殺された朝鮮志士の呪いか。

Kmechanさん説
>実質日本の官憲支配の体制により、奴隷状態に近い状態であったのではないかとの認識
>日本人による土地収奪は開国と同時に始まり
>朝鮮人はむしろ改革をいやがったとはいえない

近代以降の朝鮮情勢を時代順にまとめてみました。
1.大院君政権   1863〜73   腐敗官僚の処罰、儒教的価値観を固守、鎖国攘夷。悪貨鋳造により極度のインフレ、重税により民衆の支持喪失。
2.閔妃派政権   1873〜1882   大院君は流刑。保守勢力が復活、腐敗が深刻化する。農民は税金以外に私税を徴収され過酷な重税にあえぎ、李氏王朝は末期的状態だった。
3.日朝修好条規(江華島条約   1876)   開国
4.壬午軍乱(1882)   開国後の軍備拡張により財政事情が苦しくなり、大院君派が決起。しかし宗主国の清国軍が介入、大院君を天津に連行。わずか1ヶ月で閔妃派政権が復活。
5.甲申政変(1884)危機感をつのらせた朝鮮の親日派若手官僚(独立党)が閔氏政権を打倒するクーデタを敢行。中心は金玉均・朴泳孝ら。日本は支援を約束(竹添進一郎公使)。日本の明治維新を模範とした朝鮮維新である。
甲申政変の14か条の政綱(抜粋)・・・清国への朝貢を廃止。人民平等。門閥を廃止し才能によって官吏を登用。地租法を改革し、奸吏を根絶し、窮民を救済。軍隊の改革。内閣の創設。
6.清軍が介入し改革はわずか3日間で打倒される。清軍の攻撃により日本は撤退。主導者43名中、洪英植ら34名惨殺・処刑、金玉均らは日本に亡命。閔妃派政権が復活。
このように強国の力に頼って保身をはかることを事大主義という。
7.甲午農民戦争(東学党の乱)(1894.5)   社会不安がつのる中、農民への弾圧に対し農民たちは東学の幹部、全ポンジュンを指導者に選び蜂起。閔妃派政権は袁世凱に清の出兵を要請、清軍が派遣されると日本は朝鮮に大軍を送りこんだ。そして日清戦戦争が勃発する。(1894.7)
8.日本の後援により閔氏政権を倒すクーデター勃発(1894.7)   開化派中心の政権が成立する。日本は朝鮮の「内政改革」を要求。
9.甲午改革(1894.7)   甲申政変を継承した近代化政策を推進。洪範14条・・・清との宗属関係廃止、政治機構の改編(国政と王室分離)、財政改革(財政機関一元化、国家予算編成、銀本位制)、身分制度の廃止(奴婢解放)、教育改革(学校設立)

開国前後の朝鮮は腐敗しきった官僚制で、農民は重税と悪政にあえぎ、日本の統治によって奴隷状態になったと主張するほどそれ以前が良好な状況だったとはとても思えません。
また、甲申政変の14か条の政綱や洪範14条は成文化され、身分制度の廃止や窮民救済など朝鮮民族の厚生向上のための改革を日本が後押ししたのは紛れもない史実であり、当時の社会が改革政策と正反対の状況であったことは疑いようはありません。
それに1922年末の日本人農業者土地所有面積は全耕地面積の6%弱だったのに、なぜ1876年の開国と同時に「日本人による土地収奪が始まった」のでしょうか?
日本国民に謝罪・賠償を求める目的で事実のあやふやなことを繰り返すことは歴史以前に捏造、道義的な脅迫と表現されてもしかたないと思いますよ。

> 日本の戦後補償について、補足します。

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/23 16:16 投稿番号: [635 / 3669]
>日本の外貨準備高は当時、約18億ドル、その中からの5億ドルの支払い。

では外貨準備高約18億ドルとはいつからいつまでの金額ですか

また当時の日本政府が対した負担にならなかったと言っているのに
現在と比較して大変な金額であったというのは説得力が乏しいと考えます。
当時とくらべものにならないのだから
あなたのような計算すれば大きくなるのは
当たり前
逆に当時より、準備高が減少していれば
こんどは少なくなるのですよ。

>その他にも、各国に準賠償として接収された日本の在外資産は総計308億59百万ドル、
正に当時の日本人は裸一貫、丸裸の状態から今日の日本を築き上げたのです。
誇らしいじゃないですか、同じ日本人として。素直に賞賛しましょうよ、我々の先人を。

それは無理だ。当時朝鮮併合時代日本と半島の貿易高は半島からの輸出が大きい
単純に考えれば半島の資産が日本へ向かったということ
このことから在外資産はこのような利益からなりたっており、いわば朝鮮人から利益をすいとったようなもの
そのような資産は泥棒したものを、
被害者へ返却しただけのこと。
裸一環といっても総督の融資や日本の軍部・官憲の保護のしたで日本人に有利な条件のもとで築いたものであり、正当に得たものではない。

>こんな事を本気で言われるならば、やはり拠って立つところが違うのですかね?

日本がどのようにして進出、どのようにして資産を築いたか
私は正当な努力や競争で得たものではない
日本人有利な総督府体制の下で築いたものであり、当然このような資産は返却すべきです。

> Kmechanさん、先日の

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/23 15:50 投稿番号: [634 / 3669]
>民族の団結などと在日を煽り心情的に帰化を邪魔しつつ、恩給、補償などには配慮しない。
韓国政府の不誠実な姿勢を、改めて非難したいと思います。

この条約の影響を在日が受けない
韓国政府は在日に関しては責任を負っていないということ。
日本政府と在日とが話しあって決め手ほしいということです。

韓国政府が在日に被害を与えたわけではないのだからどうして韓国政府が支払う義務があるのですか
在日が半島出身の在韓国人であっても
この条約からは除外されている
無償・有償は韓国に対して支払われたのであるから、この資金から韓国政府が半島南部に住む韓国人に補償したが、在日に関してはなんら日本政府から供与されていない。
よって韓国政府が払う理由はありません。
日本政府が在日に関して補償と言う名目が使えないのならなんらかの形でそれなり
の行為をすべきなのです。
怠慢なのは韓国政府ではなく、かって日本人軍人・軍属として被害にあいながら
しかも条約からも除外されている人達を
日韓条約で解決済みというのが間違いなのです。
在日にかんしては除外されているのだから
解決などしていないのです。

日本の戦後補償について、補足します。

投稿者: ilovejapan01 投稿日時: 2002/01/23 13:26 投稿番号: [633 / 3669]
>>外貨準備高の約3分の一に相当する「独立の祝い金」を送ったのではありませんよ

>最初の年の外貨準備高と無償・有償の支払総額を比較して言われているのだと思いますが
10年の分割払いですから
最初の年は5000万ドル   外貨準備高と比較すると30分の1弱ですか

と矮小化されているようですが、改めて、
日本の外貨準備高は当時、約18億ドル、その中からの5億ドルの支払い。
平成13年12月末における我が国の外貨準備は、4,019億ドル
単純に比較する訳にもいかないだろうが一つの目安として、
当時の5億ドルは現在の1,116.39億ドルに相当する大変に大きな金額である。

事に加えて、終戦時の在外資産として

半島全土では61億4百万ドル
内訳は
北朝鮮に32億28百万ドル
南朝鮮に28億76百万ドル
(GHQの調査なので日韓基本条約締結時の1965年ではなく、
サンフランシスコ平和条約の1952年での評価だと思います。)
という膨大な資産を、準賠償として払っていることをご承知おきください。
(御参照ください。)
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sugimoto/zaigaishisan.html

その他にも、各国に準賠償として接収された日本の在外資産は総計308億59百万ドル、
正に当時の日本人は裸一貫、丸裸の状態から今日の日本を築き上げたのです。
誇らしいじゃないですか、同じ日本人として。素直に賞賛しましょうよ、我々の先人を。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=ffckdca4o2bf8na1a2hbfbeja47a4ja4a4a4 na4aba1a9&sid=1835396&mid=18812

こんな事を本気で言われるならば、やはり拠って立つところが違うのですかね?

裁判の経緯3

投稿者: ilovejapan01 投稿日時: 2002/01/23 13:09 投稿番号: [632 / 3669]
1994年   2月   5日   第8回口頭弁論
【原告側最終準備書面】

1 援護法が「日本の国籍を失ったとき」を障害年金を受ける権利の消滅事由としていることは「国家補償の精神」に基づいて制定された援護法の目的に反している。
2 かつて日本人とされていた旧植民地出身戦争従事者を,旧宗主国が補償するのは,世界の慣例であり,国際人権規約B規約26条「法の前の平等」によっても保証されている。

(裁判長から「附則2項の合法性判断ということでよろしいか」と確認あり)


1994年   7月15日   判決(秋山寿延裁判長)
【判決文要旨の内容】
原告の訴えを棄却する。


1 附則2項は,援護法が自国民のみを援護の対象とし朝鮮半島出身者に対しては適用を除外することを明確にしたものなので,十分な合理性があるから憲法14条にも国際人権規約にも違反しない。
2 「当分の間」という字句は,近い将来における特定の事柄の発生(=問題の解決)を予想したものではない。だから日韓協定以降も附則は失効していない。
3 原告らのような在日韓国人が日韓両国のいずれからも何らの補償も受けられない状態になっていることは,立法不作為の状況にあるというべきであり,立法機関等において論議されるべき問題を裁判所が軽々に意見を述べることは適当ではない。

裁判の経緯2

投稿者: ilovejapan01 投稿日時: 2002/01/23 13:08 投稿番号: [631 / 3669]
1993年   5月18日   第4回口頭弁論
ビデオ『忘れられた皇軍』を証拠として上映)
【原告側本人尋問】

(石さん)「戦後,傷痍軍人会をつくり,総理府等に何度も足を運んだが,全く受け入れられなかった。会員のほとんどは帰化して補償を受けるようになったが私は韓国人であることを放棄することの屈辱感から帰化を拒否。日韓請求権協定さえ成立すれば補償を受けられると期待したが,協定が成立しても私たちには何の連絡もなく,日本の外務省は『あなたたちのことは既に解決済み』,韓国外務部は『日韓請求権協定とは無関係なので韓国内の援護法によっては救済できない』と言う。厚生省への障害年金請求・異議申立も却下された」

(陳さん)「日本は私たち朝鮮人を勝手に日本人にしておいて,自分たちの都合の悪いときには私たちを韓国人だというのはあまりにも自分勝手すぎる話です。生きている間に,日本の誠意を示してほしい」


1993年   7月20日   第5回口頭弁論
原告側証人尋問】(田中宏氏)

1 1991年発行の岩波新書の中で援護法と恩給法の矛盾を指摘したところ,今年5月12日になって、厚生省は、「帰化すれば適用」とした1962年の通知を取り消してきた。しかしこの間に発見した『恩給法ハンドブック』によると、恩給法も「帰化すれば適用」となっており,今回の通知は新たな矛盾を招いたことになる。
2 恩給法9条の「日本国籍を失ったときは権利消失」は“国籍法に基づく日本国籍喪失者”が対象。だが“国籍法に基づく日本国籍喪失者”とは自己の意志により日本国籍を喪失した人たちのことであり,在日韓国・朝鮮人はこれにあてはまらない。
3 密入国者への被爆手帳交付請求裁判では「自己の意志によらず国籍喪失したという事実を鑑みても国家的道義から交付すべきである」として一審〜最高裁まで勝訴している。
4 都庁に問い合わせたところ,5・12通達の後も援護行政に特に変化はなかった(ただ,今後,北朝鮮・台湾国籍者が帰化しても適用されなくなる)。今回の通知のようにいったん裁定されたことを変更するということはシステムとしてはない。
5 難民条約の批准により国民年金法や児童手当法等の国籍条項は撤廃された。広義の社会保障の中で未だに国籍条項をつけているのは援護13法だけである。
6 恩給法は戦前のやり方をそのまま続けているにすぎない。国籍条項を続ける積極的かつ合理的理由はなく、国家補償の精神に反している。


1993年11月19日   第7回口頭弁論
【原告側証人尋問】(田中宏氏)
「当分の間」とは,「日韓の特別取決によってこの問題に決着がつくまで」を指し,援護法制定時においては,日韓協定で何らかの解決がなされることを予想して,同協定までの期間を指していたと思われる。従って,日韓条約効力発効の日で「当分の間」は終わっている。しかし実際には日韓協定は2条2項Aで在日韓国人をはずしており,問題の解決にはならなかった。この人たちは積み残されてしまったのだから,戸籍条項を無効としてもう一度考え直す必要がある。



【被告側第5準備書面】


1 援護法適用開始の時点では,朝鮮半島・台湾出身者の国籍の帰属は法的に明らかではなかった。事実上外国人と同様に取り扱われていた彼らを,援護法による給付の対象としないことを明らかにするため,戸籍条項が規定された。なお同条項が「当分の間」としたのは,援護法の立案中や国会での審議中に,旧植民地出身者の日本国籍の喪失時期が明らかではなかったこと,サンフランシスコ条約がいつ発効するか不明であったことによる。戸籍条項は「旧植民地出身者に1952年4月分の年金を受ける権利を発生させない」というところに意義があり,現在も依然としてその存在意義は失われていない。また,「当分の間」には2つの意味がある。1つは「1952年4月1〜27日」を指し,もう1つは「この法律が廃止されるまで」である。
2 日韓請求権協定2条3項を受け,わが国は「措置法」という国内法を制定して処理したが,在日韓国人の財産,権利及び利益は,同法による処理の対象とならなかった。日韓協定2条3項にいう「請求権」とは,実体的権利ではない,いわゆる「クレイムを提起する地位」を意味し,従ってかかる「請求権」については国内法によって処理すべき問題は発生せず,国内法上の処理を行う必要がなかったものである。

(続く)

も〜犬鍋先生〜

投稿者: saru_timbanco2000 投稿日時: 2002/01/23 13:07 投稿番号: [630 / 3669]
中学1年の女の子に、「シブラル」の意味を調べる手助けしちゃダメですよぅ!(笑


でも、韓カテという巣窟に迷い込んだ中学生の彼女について、ビアンキさんといろいろ話した結果、私は「従軍慰安婦」は中学生に教えるべき内容ではないと、改めて思いましたね。

裁判の経緯1

投稿者: ilovejapan01 投稿日時: 2002/01/23 13:06 投稿番号: [629 / 3669]
前の投稿のURLに在ったHPですが、今日になって開こうとしても繋がらないようなので、
ちょっと長いのですが全文を投稿します。

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裁判の経緯

石さん・陳さん裁判の経過(東京地裁)
事件名 平成4年(行ウ)第145号
概   要 日韓国・朝鮮人元傷痍軍属への遺族等援護法の適用(障害年金の給付)
原   告 当事者 石成基,陳石一
弁護士 金敬得,新美隆,梁文洙
支援団体 在日の戦後補償を求める会

被   告 厚生大臣 裁判所   東京地方裁判所
請求の主旨 (1) 障害年金請求却下処分の取消


1992年   8月13日   提訴
【訴状の内容】 原告らは当時日本の植民地支配下にあった朝鮮半島で生まれ,徴用によって日本軍軍属となり戦地で負傷,障害を負った。1991年,原告らはそれぞれ厚生大臣に対し,援護法に定める障害年金請求をしたが,厚生大臣は援護法附則第2項(「戸籍法の適用を受けない者については,当分の間,この法律を適用しない」)により請求を却下した。この処分は以下の理由により違法なので,取消を請求する。

1 援護法は公務上の負傷・死亡に対して補償するのが目的で,戸籍法の適用によって差別する合理的理由がない。
2 用されるときには戸籍法の適用は問題にされなかったのに,補償のときにだけ問題にするのは,正義の観念に反する。
3 国家補償の精神に照らせば,植民地支配という国家の違法行為によって犠牲となった韓国・朝鮮人を日本人より不利益に扱うことは許されない。
4 現状回復の精神に基づけば,日本国は少なくとも彼らに日本人と同等の国家補償をなす義務がある。
5 援護法は「日本の国籍を失ったとき」を障害年金受給権の消滅事由にしているが,1962年厚生省援護局援護課長通達は「個人の意志に関係なく国籍を喪失したときにはこれにあたらない」としている。在日国・朝鮮人は個人の意志に関係なく日本国籍を喪失している。
6 則第2項は法の下の平等を定めた憲法第14条に違反する。
7 附則第2項は内外人の平等を定めた国際人権規約に違反する。
8 日韓協定は個人の日本国に対する請求権を消滅させるものではない。しかも日韓協定も大韓民国の対日民間請求権補償も在日を排除している。
9 附則第2項にいう「当分の間」とは,在日韓国人に関する限り,日韓協定の署名日以後は失効したものと解釈されなければならず,少なくとも署名締結の日以後は在日韓国人には援護法が適用されるべきであった。


1992年10月19日   第1回口頭弁論
【原告側求釈明】
「援護法」は「恩給法」に準じるものであるが,戦前は朝鮮人も恩給法により恩給をもらっていた(既得権を奪ったことになる)。また,援護法=厚生省は「自己の意志による国籍喪失でなければ権利喪失の対象にならない」といい,恩給法=総務庁は「なる」といっており,矛盾している。恩給を本来もらっていた,もらうはずだった,または帰化してもらった朝鮮人の数を出せ。

【被告側第2準備書面】


1 戦争被害について国がその損害を補償すべきか,どんな補償をするかは,高度の政治的判断を要する立法政策の問題。また,現在の世界の実情では,各自に生活援助をするのはそれぞれの国民の所属する国家の責任。よって援護法に国籍・戸籍条項を設けることは合理的である。
2 日本国と,いわゆる「分離独立地域」の住民の間の財産・請求権の問題は,国家同士で取り決めるもの。こうした補償が国家間の取り決めの主題となることを予想してあらかじめ国籍条項を設けたことは,不合理とはいえない。
3 日韓間の両国の国民の間の財産・権利・利益の請求権は1965年の日韓協定で完全かつ最終的に解決している。
4 合理的な差異は憲法14条・国際人権規約B規約に違反しない。
5 「当分の間」という法律上の文言は,その法律が改廃されない限り有効。在日韓国人については,日韓協定署名以後は失効と解するべき。

(続く)

Kmechanさん、先日の

投稿者: ilovejapan01 投稿日時: 2002/01/23 13:00 投稿番号: [628 / 3669]
先日の話題の続きなのですが、どうしても解せない事があります。

Kmechanさんほど日韓関係に詳しい方が、
「在日を含む半島出身者が、自ら日本国籍を捨てたことをご存じなかったのか?」
という事なのです。

もし、今までお読みになった文献や資料に記載されていなかったとしたら、
それが日韓関係を語る物であれば、ある一定の方向に意図的なバイアス
がかかっていると考えたほうがいいのではないでしょうか?

さて、なぜ今更のように、この「自ら日本国籍を捨てた」に拘るかというと、
この国籍が、在日の元軍人・軍属への恩給や補償に大きく関わってくるからなのです。

要は、今、巷で論じられている在日外国人の選挙権と同様、在日の元軍人・軍属は
日本に帰化さえすれば、他の日本人と同じように恩給や補償が受けられるからです。

http://www.twics.com/~hobbs/TrialJ.htm
障害年金請求却下処分の取消を求めた裁判なのですが、その判決に至る過程まで詳細に書かれています。
御一読ください。


【原告側本人尋問】
(石さん)「戦後,傷痍軍人会をつくり,総理府等に何度も足を運んだが,
全く受け入れられなかった。会員のほとんどは帰化して補償を受けるようになったが
私は韓国人であることを放棄することの屈辱感から帰化を拒否。日韓請求権協定さえ
成立すれば補償を受けられると期待したが,協定が成立しても私たちには何の連絡も
なく,日本の外務省は『あなたたちのことは既に解決済み』,韓国外務部は『日韓請
求権協定とは無関係なので韓国内の援護法によっては救済できない』と言う。厚生省
への障害年金請求・異議申立も却下された」

などを、読んでもらえば判っていただけると思います。

民族の団結などと在日を煽り心情的に帰化を邪魔しつつ、恩給、補償などには配慮しない。
韓国政府の不誠実な姿勢を、改めて非難したいと思います。

また、補償について不満をお持ちの在日の方や半島出身者の方は、
筋から言っても、帰化されるか、韓国政府の対応を変えるよう運動なさったほうが問題解決の近道であると申し上げたい。


PS
司法の果たすべき役割についても、先日、遣り取りがありましたが、
この裁判を担当された秋山寿延裁判長は、
「立法機関等において論議されるべき問題を、裁判所が軽々に意見を述べることは適当ではない。」
と結んでいる事も御一考くだされば幸甚です。

Kmechanさんや皆さんには周知の事実でしょうが、私にとりましては新しい発見だったもので投稿させていただきます。

> >>横レス>個人補償求

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/23 06:42 投稿番号: [627 / 3669]
>ださなかったのではなくて出せなかったのです。
制海権と制空権をほぼ完全に奪われたのですから。
何か輸送の方法はありましたか?

神風などで飛行機やパイロットを失うのなら輸送隊を編成して残った海軍で守り
上空は飛行機を動員、パイロットは本土から集めれば可能だったでしょう。

でも無理だな   途中で撃滅されるな
兵力が違いすぎるからね。

>李朝

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/23 06:34 投稿番号: [626 / 3669]
韓国の歴史教科書は次のように書かれています。
「社会不安の高まり   支配体制の矛盾は19世紀になって極度に深下し、朝鮮社会はもはや政治、経済、社会、思想などあらゆるめんで既存の体制を清算しなければならなくなった。
勢道政治が始まってからあらゆる部門で腐敗が深刻となった。
この時期に頻繁に発生した災難と病気は農民の苦痛をさらにあおった。コレラの流行、旱魃等により全国各地で飢民と流民が続出数十万人が餓死した。
又各地で盗賊が出没、さらに西洋勢力の接近により危機意識を高めた」とあり
このときは勢道政治の最も悪い時でしょう。

>>>横レス>個人補償求 yakuruto1さん

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/23 06:15 投稿番号: [625 / 3669]
>なんか矛盾してません

総督府がハングルを教えたのは事実ですが
それは事前にハングルが民衆の言葉となっていっためであり、ハングルを読み書きできない朝鮮人も多くいたため、総督府が読み書きを教えたといいたいのです。

ハングルは長い歴史がありますが
民衆の言葉として使用されたのは事実であり、ハングルで書かれた書物が多くあります。

>>>横レス>個人補償求 yakuruto1さん

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/23 06:07 投稿番号: [624 / 3669]
>李朝末期には、土地の圧倒的部分は貴族によって所有され、彼らはソウルや地方都市に住み、完全に不在地主化していた。耕作農民と所有者の間には幾層にも中間的な管理人が介在し、小農は独立生産者というよりは農業労働者に近い状態で、彼らの下に隷属していたといわれる。そして耕す農民が土地を所有するという農民的土地所有権は確立しておらず、いつでも国家の収用により没収される不安な状態にあった

基本的に土地は国家の所有物であり
農民は耕作権を持っていたのに過ぎない。
李朝後期には私田が増加し不在地主が多かったということです。
高い小作料により実質農業労働者であったという解釈も成り立つでしょう。

>創始改名は国策としての強制ではありません

届けなくても良かったのですが、その場合は戸主の姓を氏としました。
朝鮮の姓は男系の血族集団を表し、又一族の発祥地名を表す本貫からなっていました。
それを日本の家制度を導入したのです。
届けようと届けまいと、日本の家制度が導入されましたから、これは強制ではないかと考えるのです。

>朝鮮総督の南次郎も強制はしてはならないと訓告をしています。

確かにそのように言ってますが、
制令第19号「朝鮮民事令中改正の件」
制令第20号「朝鮮人の氏名に関する件」
総督府令第220号「朝鮮戸籍令改正の件」
総督府令第221号「朝鮮人の氏の設定に伴う届出及び戸籍の記載手続きに関する件」
総督府令第222号「朝鮮人の氏名変更に関する件」
総督府訓令第77号「朝鮮人の氏の設定に伴う戸籍事務取り扱い方に関する件」
等により進められたのが本当のところです。
最初の半年での届出はわずか7.6%
そこで国民精神総動員朝鮮連盟などを通じて積極的に運動した結果3ヶ月で約70%が
届けました。
このように後半多くの届出がされたのはそれなりの強制的な運動の結果ではないでしょうか

改名は一戸に50銭必要なため改名した人は少ない。

創氏とは朝鮮人に氏を創るということです。
朝鮮人には本貫+姓+名からなっており、これに氏を創るのが創氏です。
「自己の姓以外の姓は氏として、これを用ふることを得ず」
この規定により日本式の姓か自己の姓を氏
としなければならなかった。

>朝鮮総督府が

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/23 04:44 投稿番号: [623 / 3669]
>どこの誰に正当性を主張する必要がある?

資料というのはどのような背景で、どのような目的で書かれているか、又似た他の資料でも比較検討することが、必要ではないでしょうか
ただ併合時代は資料が少なく、総督府資料でもって判断しなければならないという一面があります。

>それとあなたの調べた50万朝歩は100%信用できる数字なの?

申し訳ありません。50万町歩は1920年〜1940年の間の増加数でした。
1920年は耕地面積全体で約450万町歩です
(韓国の人口と経済   金   哲著   岩波書店)

訂正>>Kmechanさんご苦労様です(1)

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/23 04:25 投稿番号: [622 / 3669]
>私の調べでは当時耕地面積は約50万町歩
といわれています。
総督府資料による計算では150万町歩もあったようになりあすね

1920年耕地面積は約450万町歩です
このうち日本人   地主の取得がどれぐらいかはっきりした資料がありません。
総督府資料の6%という数字は全体からいえば合致します。ただ土地取得はさらに進んでいったと考えますが、証明できる資料は
ありません。
調べて正確なところをはっきりさせたいと
思います。

どうも申し訳ありません。

サイマル

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2002/01/23 02:07 投稿番号: [621 / 3669]
サイマル・インターナショナルは通訳・翻訳会社・語学学校経営としてはまだ存続しているみたいです。更生会社なんですかね。出版からは手をひいているみたいですが。

1890年代ー1910年

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2002/01/23 01:41 投稿番号: [620 / 3669]
ちょうどこの時期に私のひいじさんがひいばあさんと一緒に朝鮮にいたころ。

小学生のころ、ひいばあさんから朝鮮の話時々聞いていたけど、当時の朝鮮人の暮し向きがどうかなどはこっちが興味がなかったせいで聞いてなかった。

ひいじいさんは土方の親方やってたらしいんだけど、ひいばあさんによると、じいさん、朝鮮人の土方を一言もしかったりしたことがなかったといってたな。

李御寧『「縮み」思考の日本人』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/01/23 00:52 投稿番号: [619 / 3669]
>「縮み・・・」の方は以前読んでみたことがありますが(パラパラっと見たくらいですが)、ちょっと論理飛躍が多すぎるな、というのが正直な感想でした。

私は「読み物」として、面白く読みました。

ネットで見つけたものですが、柄谷行人は次のような批判をしているそうです。

「一九七〇年代以後、日本人・日本文化論のブームがあり、日本人によってであれ、西洋人によってであれ、無数の本が出版された。しかし、その中で、私の感心を惹いた唯一の本は、韓国の批評家李御寧(イ・オリヨン)の『「縮み」思考の日本人』であった。日本の文化の特徴は「縮み」への思考にあると、彼は言う。彼はそれを、文学における和歌や俳句、庭園における借景や縮景、枯山水、さらに茶室、生け花、人形といった「伝統文化」にそれを見出すだけでなく、現代日本のハイテクにおける小型化にそれを見出している。

  人と動物を主語として考えれば、その間には大きな隔たりがありますが、かりに「走る」と述語を中心に見れば、人が走っても、馬が走っても、または自動車が走っても、「走る」という力学的現象においては同じものになりうるのです。これと同様に、俳句であれ、職人であれ、みんな異なった文化を作るように見えますが、「縮める」という視角から見ると、十七文字に圧縮された俳句と数個の石で作られた石庭は、同じ共通性を持つものです。主体を入れ換えたように、今度はその対象(目的語)を変えても同じことです。縮める対象が、花のような自然になれば生け花になり、それが何か人工的な物になれば、トランジスタになるのです。こういった方法論でいけば、古代の伝統文化と現代の物質文化を同じ視座から観察できますし、可視的な物質文化を不可視的な精神文化と同じコンテクストに置いて、分析することが可能になるのです。(李御寧『「縮み」思考の日本人』 講談社文庫、一二二−二三頁)

  李御寧の考察は細部にわたり首尾一貫している。しかし、彼の「方法論」は、他の多くの「日本人論」と同様に、非歴史的な文化本質論である。たとえば、日本人がテクノロジーにおいて小さなものを目指したのは、敗戦後の非軍事化の体制のなかでそうするほかなかったからである。その結果、巨大なものを志向していたアメリカやソ連のテクノロジーが後れをとった。とはいえ、戦前の日本では巨大化が志向されていたし、また、その過程で蓄積されていた技術や生産関係なしに、戦後日本の経済成長もありえない。こうした歴史的な結果を、エッセンシャルな民族性によって説明することは無意味である。たとえば、日本はなぜ東アジアにおいて、というより非西洋において唯一、近代産業資本主義的発展に成功したのかという問いがあり、それに関して様々な説が立てられている。それをすべて「縮み志向」から説明するのは無理である。
(『批評空間』II-17「借景に関する考察」より)


>>在日特派員である4人の記者たちによって書かれた
>これは間違い。

いえいえ、書評氏のミスです。

チョン・テリュン『韓国の辱説百科』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/01/23 00:41 投稿番号: [618 / 3669]
rei_sasさん、はじめまして。

シブちゃんのHNについては、すでに解決したようですね。

以前、どこかのトピで、シブちゃんとブラデビさん(最近来てるのでしょうか?)が二人称の罵倒表現について話してたけど、いちばんきつい罵倒語は「チョッカットゥンノム」だそうだ。
「チョッ」は「シプ」の反対語ですね。

チョン・テリュン『韓国の辱説百科』(韓国文苑、1997)は、伝統的な辱説(罵倒語)から現代の若者が使う隠語、俗語までを網羅した解説書。

ネットでも、こんなのがあります(前に来訪者さんが教えてくれました)。
http://dcslab.snu.ac.kr/~ilhwan/articles/pumped/yok.txt

〈ご参考〉
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=4z9qa5aba5fa54a5ja4kbb22ca47a4bfa43a 4ha4a2a4kbfma1a2a43a43a4g&sid=1835396&mid=455

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=4z9qa5aba5fa54a5ja4kbb22ca47a4bfa43a 4ha4a2a4kbfma1a2a43a43a4g&sid=1835396&mid=460

出典は、長璋吉『私の朝鮮語小辞典』

>金東祚『韓日の和解』

投稿者: bigboy_satan0 投稿日時: 2002/01/23 00:24 投稿番号: [617 / 3669]
bosintangさんお久しぶりです。


>このところ、日韓条約の話題が熱いですが、日韓交渉についてはやはり、金東祚『韓日の和解   日韓交渉の14年 の記録』(サイマル出版会1993)がお勧め。

そうですか、探してみます。実は、はづかしながら私、コリアを主題とした本をまだ一冊も読んでいないのです(ToT)
だいたいレスを見て知識を得てきただけですので、ちょっとサボりすぎました。反省してます。
コリア関連書籍というトピに乱入してしまい、ちょっと気が引けてました。


私はかつての人口問題の後、軍事の大日本帝国に戦争をさせた張本人はトピで1000辺りからレスをしていました。
こちらもかなり深い部分まで議論が進んでいて当時の列強の関係がよく判ると思いますよ(日韓以外の世界情勢等)。最近私はちょっとネタがきれかけているのですが・・・

>朝鮮日報編『韓国人が見た日本』

投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2002/01/23 00:19 投稿番号: [616 / 3669]
bosintangさん、情報ありがとうございます。
書評の方読ませていただきました。
たしかに、15年以上前の本なので、情報の古さは否定できませんが、それを鑑みても面白そうな本ですね。
近年の韓国から見た日本論と比較しても面白いかもしれません。

「縮み・・・」の方は以前呼んでみたことがありますが(パラパラっと見たくらいですが)、ちょっと論理飛躍が多すぎるな、というのが正直な感想でした。

>>在日特派員である4人の記者たちによって書かれた

>これは間違い。

失礼いたしました。
なんかでみた情報をそのまま載せたのですが、確認するべきでした。

>サイマルはたしか倒産したはずだから、入手はむずかしいかな。

つぶれてしまったんですか?
私のほうでは、私が現在も利用権を持っている日本の某大学図書館のカタログに発見しましたので、今度帰国した折にでも借りてみるつもりです。

若槻泰雄『韓国・朝鮮と日本人』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/01/22 23:54 投稿番号: [615 / 3669]
yakuruto1さん、こんにちは。

>若槻泰雄『韓国・朝鮮と日本人』(原書房1989)

私もこのカテで、この本をしばしば引用しました。

列強の植民地支配の実態が、資料的裏付けとともに詳述されていて、日本の植民地支配を「相対化」するのに有益な本ですね。

まえに、韓国のマスコミが若槻氏を「極右教授」などと評していましたが、同じ著者が『日本の戦争責任   上・下』(原書房1995、小学館ライブラリー2000)のなかで、「天皇の日本国民への謝罪と贖罪は、日本が侵略した被害国に対しても速やかに果たさなければならない。それは、天皇制を廃止することである」などと書いていることは知らないらしい。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/contents/-/books/4094601341/250-1286417-5739437
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/reviews/-/books/409460135X/ref=ed_er_dp_1_1/250-1286417-5739437

※   韓国でヤクルトが日本のものだと知っている人は少ないです。

金東祚『韓日の和解』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/01/22 23:29 投稿番号: [614 / 3669]
bigboy_satan0さん、こんにちは。

>韓日謝罪トピ542からと、いいかげんにしろ日本人トピ119から

なつかしいですね。
このトピのMsg282~297でも、ひとしきり盛り上がりました。Kmechanさんの見つけた本では、日帝35年間に、人口は倍増ではなく「1.78倍」なんだそうです。

このところ、日韓条約の話題が熱いですが、日韓交渉についてはやはり、金東祚『韓日の和解   日韓交渉の14年 の記録』(サイマル出版会1993)がお勧め。

交渉当事者による、詳細な記録です。
互いの国益をかけた、熾烈な外交交渉の全貌がわかります。

朴〜全政権は、軍事独裁などと言われましたが、外国との約束はきっちりと守った。その信用があったために、外国(おもに日米)の援助をとりつけることができ、「漢江の奇跡」を達成できたのだと思います。

でも、文民政権になってから、その面で一抹の不安が……。

まあ、日韓条約の見直しなんていう非常識なことは、いくらなんでも言い出さないと思いますが。

>>横レス>個人補償求

投稿者: bigboy_satan0 投稿日時: 2002/01/22 23:03 投稿番号: [613 / 3669]
>あなたの言われるとうり大日本帝国を守る為です。
最終的には本土もっと最終的にいえば
天皇を守る為に戦ったのです。
モツダム宣言受諾するかどうか
で問題となったのは国体が認められるかどうかであり
日本国民が守られるのかどうかであったのではなかった事に注意が必要です。
国体つまり天皇を中心とする体制です。

日本兵が日本人を守らないとは、とても思えません。
朝鮮半島の人々も当時日本人でした。彼らも日本軍に守られる人々に含まれます。
普通はどこの国でも、首都が占領されれば負けです。東京を最重要拠点として守るのは当然です。
仮に首都をソウルや北京に遷都していたとしたら、ソウルや北京をもっとも重点的に守ったでしょう。

>朝鮮半島の移住者国内移住まで含めると
と約600万人が移住したとの説もあります。
人口25000万としても4人に一人が故郷を捨てなければ生活できなかったということです。
日本人がこれだけ移住しなければ生活できないとされましたか
特別扱いうんぬんというより、この事実を冷静に眺める必要があると考えますが

1960年の韓国の人口2385万人に対してソウルは164万人。1997年の韓国の人口4599万人に対しソウル1034万人。この37年間だけでソウルの人口が870万人も増加しています。周辺の衛星都市まで含めると、更に多いでしょう。韓国の人口は多いのですが、この程度の人口移動は現在の韓国でも進行中ですよ。更に釜山や仁川、田舎〜田舎間の移動も含めたら、むしろ現在の方が移動が激しいのでは?

>それは満足な食事もあたえず、賃金ももちろんですが、そのため逃亡する朝鮮人が多くいたこと
現在のように労働基準法で守られているのとは条件が違うのです。

戦地では、餓死や病死した人が多かったので、戦地よりはましだったでしょう。
現在でも労働基準法が守られていない職場はかなりありますよ。

>沖縄はもう日本本土はすぐそこでしょう。
しかし沖縄が陥落まじかになっても
応援部隊はだしませんでしたね。
海軍が最後もう戦う場がないと考え
特攻作戦をたてましたが
ほとんど意味がなかったですね。

戦艦大和でさえ沖縄に到達出来なかったのです。輸送船(兵隊を乗せた)が到達できるわけありません。

>朝鮮総督府の資料を良くみて各年度の増加を検証してみてください。
90万も増加した年があれば数万しか増加していない年もあります。
何か恣意的なものを感じますが
2倍となるのは1910年の人口が実際より少ないからです。
1910年はまだ日本の力は末端まで及んでいなかったと考えられます。
>貧しさの為ですね。
貧しい国は現代でも人口増加は多いですね。
日本の支配により一層貧しくなったと考えられます。

最近私は朝鮮トピを御無沙汰していたのですが、人口の問題はもうとっくに1年半前に解決済みですよ。
韓日謝罪トピ542からと、いいかげんにしろ日本人トピ119から読んでね。

朝鮮日報編『韓国人が見た日本』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/01/22 23:01 投稿番号: [612 / 3669]
>ちょっと伺いますが、どなたか、
「韓国人が見た日本−日本を動かしているもの」朝鮮日報編、サイマル出版会
という本を読まれた方は居られるでしょうか?

日本に置いてきたと思っていたものを、さきごろ発見しましたので、遅ればせのレスです。
84年に出た本ですね。
こちらに書評があります。
http://www.mie-kyobun.or.jp/Tayori/Book2/Bo2085.htm

>在日特派員である4人の記者たちによって書かれた

これは間違い。
著者は、評論家李健、「統一日報」論説主幹李承牧、民族学者金両基、朝鮮日報駐日特派員李度ヒョンの4人。

解説によれば、もとになったのは、朝鮮日報の連載記事「克日の道−日本を知ろう」で、韓国では本として刊行されてはいないようです。

1984年といえば、82年の第一次教科書問題(侵略→進出誤報事件)の興奮さめやらない時期。連載中から「日本賛美」という批判が多かったというのもうなずけるほど、日本のよい点をとりあげています。
日本論といえば、82年に出た李御寧教授のベストセラー『縮み思考の日本人』が有名ですが、本書も、日本人の民族性を歴史にからめて論ずるあたり、かなり「縮み…」を意識しているようです。

4人の共著であるため、本全体の一貫性にかける憾みがあること、また当時の時事的エピソードも多いため、今となっては古さが目立ちますが、当時の知日派韓国人(金両基は在日)が日本をどう見ていたかがわかって、おもしろいかもしれません。

サイマルはたしか倒産したはずだから、入手はむずかしいかな。

>>横レス>個人補償求

投稿者: yakuruto1 投稿日時: 2002/01/22 21:46 投稿番号: [611 / 3669]
>沖縄はもう日本本土はすぐそこでしょう。
しかし沖縄が陥落まじかになっても
応援部隊はだしませんでしたね。

ださなかったのではなくて出せなかったのです。
制海権と制空権をほぼ完全に奪われたのですから。
何か輸送の方法はありましたか?

>横レス>個人補償求

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/22 21:40 投稿番号: [610 / 3669]
>大日本帝国を守る為です。朝鮮半島は含まれます

あなたの言われるとうり大日本帝国を守る為です。
最終的には本土もっと最終的にいえば
天皇を守る為に戦ったのです。
モツダム宣言受諾するかどうか
で問題となったのは国体が認められるかどうかであり
日本国民が守られるのかどうかであったのではなかった事に注意が必要です。

国体つまり天皇を中心とする体制です。

>移住したのは朝鮮半島出身者だけではありません。朝鮮半島出身者だけ特別扱いしてほしいんですか?

朝鮮半島の移住者国内移住まで含めると
と約600万人が移住したとの説もあります。

人口25000万としても4人に一人が故郷を捨てなければ生活できなかったということです。
日本人がこれだけ移住しなければ生活できないとされましたか
特別扱いうんぬんというより、この事実を冷静に眺める必要があると考えますが

>軍施設建設やダム工事は、そんなに過酷なのですか?

それは満足な食事もあたえず、賃金ももちろんですが、そのため逃亡する朝鮮人が多くいたこと

現在のように労働基準法で守られているのとは条件が違うのです。

>じゃあ日本本土じゃない沖縄戦をどう説明されるんですか?
沖縄では地上戦だけで、軍人軍属、戦闘参加者14万9千人(他に民間人9万5千人)が犠牲になってます。
戦艦大和や、1900機ものカミカゼも投入されています。それでも日本本土でなかった沖縄や朝鮮は守る意志がなかったと

沖縄はもう日本本土はすぐそこでしょう。
しかし沖縄が陥落まじかになっても
応援部隊はだしませんでしたね。
海軍が最後もう戦う場がないと考え
特攻作戦をたてましたが
ほとんど意味がなかったですね。

>違います! 日本時代の36年間に人口が2倍になったからですよ

朝鮮総督府の資料を良くみて各年度の増加を検証してみてください。
90万も増加した年があれば数万しか増加していない年もあります。
何か恣意的なものを感じますが
2倍となるのは1910年の人口が実際より少ないからです。
1910年はまだ日本の力は末端まで及んでいなかったと考えられます。

>朝鮮半島という限られた土地しかないところで、先の事を考えず子供を作りまくった朝鮮人自身の行いの為に、貧しくなったのです。日本人のせいにしないでね!

貧しさの為ですね。
貧しい国は現代でも人口増加は多いですね。
日本の支配により一層貧しくなったと考えられます。

ダム、鉄道、港湾、道路
こんなのいくらつくろうが、今日食べる食べ物がない朝鮮民衆になんの役になりますか

朝鮮総督府がすることは飢饉がおきれば、
食料を朝鮮人に配布する。
伝染病がはやれば薬を配布する。
高い利息で困っていれば低利の融資を行う

生活改善の為このようなことをしたといのであれば良いですが
それに対したインフラ整備したなど
なんの役になりますか
総督府自身が朝鮮人の生活向上になんら
寄与しなかったからこそ
親日派が批判されるのでしょう。

>貧しかった李朝時代には、余分な赤ん坊を間引きしてたんじゃないの

これはそのととうりです。
日本でも東北地方には間引きの習慣がありましたね。

しかし日本の支配により、李朝時代より、もっと貧しくなったということです。
李朝時代こんなに移民は起きていません。
ただまったくなかったわけではなく
農民として生活できない人達が増加しました。
これが農民戦争との原因ともなります。

李朝

投稿者: yakuruto1 投稿日時: 2002/01/22 21:28 投稿番号: [609 / 3669]
>まあこのあたり調べてみます。
1890年代から1910年にかけては
一番朝鮮が混乱していた時代ですから
この時代を見て単に朝鮮の李朝時代はひどかったとはいえないと考えています。

フランス人宣教師のシャルル・ダレは、当時の朝鮮王国のがんこな鎖国政策について、こう書いている。
「1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかに は、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもい た。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人か の朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、 「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。   しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを 放置しておく道を選んだ。」(朝鮮事情・平凡社東洋文庫)

>>横レス>>個人補償求 yakuruto1さん

投稿者: yakuruto1 投稿日時: 2002/01/22 21:18 投稿番号: [608 / 3669]
>民衆に普及していたハングルを利用して
日本語を教育したのでしょう。
総督府がハングルの普及をしたのは
日本語を教える上で不可欠だったからです。

なんか矛盾してません?
ちなみに以下の文章の引用先は極左の明石書店です。

酷かったのは、この文字が創制されてから50余年が過ぎた燕山君(在位1494〜1506)の時のことです。彼は李朝第十代の国王ですが、暴君として悪名高く、その横暴を誹謗した文書がハングルで書かれていたために、それを教えることも学ぶことも禁止したのです。またハングル本およびハングルによる訳文も集めて焚書することを命じ、ハングルを使用した者も、それを告発しない者も、厳しく処罰しています。「朝鮮の歴史と文化」 姜在彦   1993年   明石書店

朝鮮軍

投稿者: yakuruto1 投稿日時: 2002/01/22 21:11 投稿番号: [607 / 3669]
>2個師団駐留したのは、
日本の防衛線であったこと
北満州の抗日軍の備え
いくら討伐しても、ソ連領や中国軍に合流し消滅することはできなかったこと
又対ソ戦の備えでもあったこと
満州、についで日本の死守する防衛ラインと考えられていたこと
などからです。


いいですか?
抗日軍があろうとなかろうと2個師団は朝鮮半島に駐留します。
それは朝鮮が日本の領土だったからです。
朝鮮軍2個師団の終戦時までの駐留=抗日軍のせい
ではないのです。

>>横レス>>個人補償求 yakuruto1さん

投稿者: yakuruto1 投稿日時: 2002/01/22 21:05 投稿番号: [606 / 3669]
>身分制度に流動性が始まり
両班であっても農民として耕作する人や
奴隷であっても両班になる人が現れたのです。

李朝末期には、土地の圧倒的部分は貴族によって所有され、彼らはソウルや地方都市に住み、完全に不在地主化していた。耕作農民と所有者の間には幾層にも中間的な管理人が介在し、小農は独立生産者というよりは農業労働者に近い状態で、彼らの下に隷属していたといわれる。そして耕す農民が土地を所有するという農民的土地所有権は確立しておらず、いつでも国家の収用により没収される不安な状態にあった。「韓国・朝鮮と日本人」   若槻泰雄   89年   原書房

>これはたてまえでしょうね。
創始改名は日本人意識を植え付けるものであり、日本人と平等に扱うためにしたとは
思えませんね。


創始改名は国策としての強制ではありません。役人の点数稼ぎの為にしつこい勧誘はあったようで事実上強制に近い形にはなった様です。
しかし、改名しなかった人も多くいた訳で、朝鮮総督の南次郎も強制はしてはならないと訓告をしています。
それと姓氏を与えるのと創始改名は別問題です。

>国家補償と連邦補償

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/22 21:03 投稿番号: [605 / 3669]
>>くどいようですが、国家補償は解決済み。個人補償はできません。

交渉経過をみれば補償問題は結論がでていない。
よって解決済みとはいえないが
請求権は放棄した
よって補償問題を国家レベルで提起することはできない。

個人補償は保護権は放棄したが
個人では請求できるということでしょう。

>アジャパー。最終的に解決してないのよ

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/22 20:58 投稿番号: [604 / 3669]
国家間においては解決したが
個人においては解決していない。
請求権は国は保護しないが
個人の請求はご自由にと
いうことでしょう。

>Kmechanさんご苦労様です

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/22 20:55 投稿番号: [603 / 3669]
>最近ではエスカレートして在日朝鮮人は参政権を要求していないだとか

朝鮮人団体が要求していたとしても
大半の在日は毎日の生活に追われそれどこらではなかったといいたいのです。

>朝鮮駐留2個師団は抗日軍の抵抗が強かったから終戦まで半島に居たんだとか言ってますけど(笑)

2個師団駐留したのは、
日本の防衛線であったこと
北満州の抗日軍の備え
いくら討伐しても、ソ連領や中国軍に合流し消滅することはできなかったこと
又対ソ戦の備えでもあったこと
満州、についで日本の死守する防衛ラインと考えられていたこと
などからです。

>>横レス>>個人補償求 yakuruto1さん

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/22 20:47 投稿番号: [602 / 3669]
>北鮮では元々粟を食する事が多く、米よりも雑穀の栽培面積のほうがずっと多かったそうです。

北鮮ではといってますが
当時北鮮の人口は朝鮮人全体ではどれぐらいだったのでしょう。
北鮮は50%以下ではないですか
そこで栗を食するのが多かったとしても
全体では栗を主食するのが多いとは言えないのではないですか

>イザベラ・バードの書物
は当時のドルと朝鮮の貨幣があまりに
差があったためでしょう。

>通常の意味での「交易」は朝鮮中部と北部のおおかたには存在しない。つまり、ある場所とほかの場所とのあいだで産物を交換し合うことも、そこに住んでいる商人が移出や移入を行うこともなく、供給が地元の需要を上回る産業はないのである。このような状態は朝鮮南部、とくに全羅道でもある程度見られる。平壌をのぞいては、わたしの旅した全域を通して「交易」は存在しない。

これは1894年かあるいはそれ以後の状態でしょう。
列強の進出により影響を受けた結果だともいえますね。

まあこのあたり調べてみます。
1890年代から1910年にかけては
一番朝鮮が混乱していた時代ですから
この時代を見て単に朝鮮の李朝時代はひどかったとはいえないと考えています。

>>横レス>>個人補償求 yakuruto1さん

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/22 20:34 投稿番号: [601 / 3669]
>李朝には土地の近代的所有権はあったのですか

基本は公地公民です。
しかし官田、宮田、駅田、軍田というような私有地的な土地が増加李朝後期には両班等の貴族階級が土地を取得、私田が増加しました。
農民は耕作する権利を売買していました。
身分制度に流動性が始まり
両班であっても農民として耕作する人や
奴隷であっても両班になる人が現れたのです。

>土地の近代的所有権の確立は土地調査事業によってですが
この結果土地が担保となり、日本の金貸しの不法な取立てにより、土地が朝鮮人から
日本人へ変わったということです。
例えば不法な取立ての一例として
金を朝鮮人が返却してきた場合
時計の針を進めておく
返却にきたら約束の時間が過ぎているといって返却を認めず土地を取り上げる

又東洋拓殖の人間が高台に上って良いと思う土地にめぼしをつけ杭を打ちつけ囲う
申告にこなければ土地を総督府の土地としてその払い下げを受ける

総督府が土地を売りにだしても、日本人が買いにくるまで朝鮮人が先に買いたいと言っても受け付けない、最後は日本人に売る

朝鮮人の役人に圧力をかけ農民のしらないうちに土地が総督府に売られている

とか色々な手法で土地が日本人に渡りました。
未開耕地は日本人が開発すればそれは日本人のものになります。
このような結果からも日本人の地主は増加しました。
先日TVでしていましたが、
村の半分は日本人が取得、その地主は小作料だけで3階建ての屋敷にすみ一万坪の庭園
で優雅に生活していたそうです。

>四民平等」のスローガンの下に姓氏を与えたり

これはたてまえでしょうね。
創始改名は日本人意識を植え付けるものであり、日本人と平等に扱うためにしたとは
思えませんね。
日本人の下に置こうとしたという説もあります。
私はそこまでしようとしたとは思っていませんが。

>両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・ハングル混じりの文章を体系化させました。

日本人が最初にしたのではありません。
ハングルは李開成時代できたといわれているように古い歴史があります。
朝鮮民衆は長いあいだハングル語を使って
いました。
国の正式な文書は漢文ですね。
日本も同様に正式な文書は漢文で表していました。
朝鮮人自身の手で辞典や体系的に研究していました。

民衆に普及していたハングルを利用して
日本語を教育したのでしょう。
総督府がハングルの普及をしたのは
日本語を教える上で不可欠だったからです。
目的は日本語を教えるためです。
決してハングルを教えるのを目的としたのではないのです。

>李朝時代の農民は豊かだったという文献はありますか?

豊かとはなにを基準に考えるかでしょうね。
米を食えた状態をいうのか
小作料を払えば2,3ヶ月の生活しか残らない
状態をいうのか

私は朝鮮を理解するのは李朝時代の農民の生活、両班の権力抗争、儒教の影響、
そういった事柄についての結論を自分なり
にださないことには、単純に李朝時代が豊かであったどうかの結論はだせません。

ただ日本の進出により、朝鮮農民は苦しく
なったということはいえますね。
自作農から小作農へ
小作農から労働者へと変化し
戦後国へ帰っても一から出直しを余儀なくされたのですから

>これも李朝からですね。地方官史がごっそり抜いて農民の手元には残らなかったそうです

そうですね。ただいえることは朝鮮総督府がなんら改善しなかったことでしょう。
ここで小作料を総督令で下げるなりすれば
これはど日本は戦後憎まれなかったのでは
ないですか
朝鮮農民振興運動でもしたことは家計簿のつけ方を進めただけで
資金を農民の為に投与してません。
総督府は農民の生活改善には何等寄与していない。
植民地に対して住民の生活向上の為になんてどこの列強もしてませんが

>朝鮮人のあまりに急激な人口増加も原因ですね

人口増加というより、日本への移出が生産高に対して増加し続けていること

人口増加は朝鮮総督府の資料であり、
年間90万前後増加したり、数万しか増加しないときもあり、この統計は疑わしい

主食が減少しているのに、これだけの増加は無理であると考えますが

最初の1910年の人口が実際より少なすぎる
のに原因があると思われます。
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