>>横レス>>個人補償求 yakuruto1さん
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/01/22 20:34 投稿番号: [601 / 3669]
>李朝には土地の近代的所有権はあったのですか
基本は公地公民です。
しかし官田、宮田、駅田、軍田というような私有地的な土地が増加李朝後期には両班等の貴族階級が土地を取得、私田が増加しました。
農民は耕作する権利を売買していました。
身分制度に流動性が始まり
両班であっても農民として耕作する人や
奴隷であっても両班になる人が現れたのです。
>土地の近代的所有権の確立は土地調査事業によってですが
この結果土地が担保となり、日本の金貸しの不法な取立てにより、土地が朝鮮人から
日本人へ変わったということです。
例えば不法な取立ての一例として
金を朝鮮人が返却してきた場合
時計の針を進めておく
返却にきたら約束の時間が過ぎているといって返却を認めず土地を取り上げる
又東洋拓殖の人間が高台に上って良いと思う土地にめぼしをつけ杭を打ちつけ囲う
申告にこなければ土地を総督府の土地としてその払い下げを受ける
総督府が土地を売りにだしても、日本人が買いにくるまで朝鮮人が先に買いたいと言っても受け付けない、最後は日本人に売る
朝鮮人の役人に圧力をかけ農民のしらないうちに土地が総督府に売られている
とか色々な手法で土地が日本人に渡りました。
未開耕地は日本人が開発すればそれは日本人のものになります。
このような結果からも日本人の地主は増加しました。
先日TVでしていましたが、
村の半分は日本人が取得、その地主は小作料だけで3階建ての屋敷にすみ一万坪の庭園
で優雅に生活していたそうです。
>四民平等」のスローガンの下に姓氏を与えたり
これはたてまえでしょうね。
創始改名は日本人意識を植え付けるものであり、日本人と平等に扱うためにしたとは
思えませんね。
日本人の下に置こうとしたという説もあります。
私はそこまでしようとしたとは思っていませんが。
>両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・ハングル混じりの文章を体系化させました。
日本人が最初にしたのではありません。
ハングルは李開成時代できたといわれているように古い歴史があります。
朝鮮民衆は長いあいだハングル語を使って
いました。
国の正式な文書は漢文ですね。
日本も同様に正式な文書は漢文で表していました。
朝鮮人自身の手で辞典や体系的に研究していました。
民衆に普及していたハングルを利用して
日本語を教育したのでしょう。
総督府がハングルの普及をしたのは
日本語を教える上で不可欠だったからです。
目的は日本語を教えるためです。
決してハングルを教えるのを目的としたのではないのです。
>李朝時代の農民は豊かだったという文献はありますか?
豊かとはなにを基準に考えるかでしょうね。
米を食えた状態をいうのか
小作料を払えば2,3ヶ月の生活しか残らない
状態をいうのか
私は朝鮮を理解するのは李朝時代の農民の生活、両班の権力抗争、儒教の影響、
そういった事柄についての結論を自分なり
にださないことには、単純に李朝時代が豊かであったどうかの結論はだせません。
ただ日本の進出により、朝鮮農民は苦しく
なったということはいえますね。
自作農から小作農へ
小作農から労働者へと変化し
戦後国へ帰っても一から出直しを余儀なくされたのですから
>これも李朝からですね。地方官史がごっそり抜いて農民の手元には残らなかったそうです
そうですね。ただいえることは朝鮮総督府がなんら改善しなかったことでしょう。
ここで小作料を総督令で下げるなりすれば
これはど日本は戦後憎まれなかったのでは
ないですか
朝鮮農民振興運動でもしたことは家計簿のつけ方を進めただけで
資金を農民の為に投与してません。
総督府は農民の生活改善には何等寄与していない。
植民地に対して住民の生活向上の為になんてどこの列強もしてませんが
>朝鮮人のあまりに急激な人口増加も原因ですね
人口増加というより、日本への移出が生産高に対して増加し続けていること
人口増加は朝鮮総督府の資料であり、
年間90万前後増加したり、数万しか増加しないときもあり、この統計は疑わしい
主食が減少しているのに、これだけの増加は無理であると考えますが
最初の1910年の人口が実際より少なすぎる
のに原因があると思われます。
基本は公地公民です。
しかし官田、宮田、駅田、軍田というような私有地的な土地が増加李朝後期には両班等の貴族階級が土地を取得、私田が増加しました。
農民は耕作する権利を売買していました。
身分制度に流動性が始まり
両班であっても農民として耕作する人や
奴隷であっても両班になる人が現れたのです。
>土地の近代的所有権の確立は土地調査事業によってですが
この結果土地が担保となり、日本の金貸しの不法な取立てにより、土地が朝鮮人から
日本人へ変わったということです。
例えば不法な取立ての一例として
金を朝鮮人が返却してきた場合
時計の針を進めておく
返却にきたら約束の時間が過ぎているといって返却を認めず土地を取り上げる
又東洋拓殖の人間が高台に上って良いと思う土地にめぼしをつけ杭を打ちつけ囲う
申告にこなければ土地を総督府の土地としてその払い下げを受ける
総督府が土地を売りにだしても、日本人が買いにくるまで朝鮮人が先に買いたいと言っても受け付けない、最後は日本人に売る
朝鮮人の役人に圧力をかけ農民のしらないうちに土地が総督府に売られている
とか色々な手法で土地が日本人に渡りました。
未開耕地は日本人が開発すればそれは日本人のものになります。
このような結果からも日本人の地主は増加しました。
先日TVでしていましたが、
村の半分は日本人が取得、その地主は小作料だけで3階建ての屋敷にすみ一万坪の庭園
で優雅に生活していたそうです。
>四民平等」のスローガンの下に姓氏を与えたり
これはたてまえでしょうね。
創始改名は日本人意識を植え付けるものであり、日本人と平等に扱うためにしたとは
思えませんね。
日本人の下に置こうとしたという説もあります。
私はそこまでしようとしたとは思っていませんが。
>両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・ハングル混じりの文章を体系化させました。
日本人が最初にしたのではありません。
ハングルは李開成時代できたといわれているように古い歴史があります。
朝鮮民衆は長いあいだハングル語を使って
いました。
国の正式な文書は漢文ですね。
日本も同様に正式な文書は漢文で表していました。
朝鮮人自身の手で辞典や体系的に研究していました。
民衆に普及していたハングルを利用して
日本語を教育したのでしょう。
総督府がハングルの普及をしたのは
日本語を教える上で不可欠だったからです。
目的は日本語を教えるためです。
決してハングルを教えるのを目的としたのではないのです。
>李朝時代の農民は豊かだったという文献はありますか?
豊かとはなにを基準に考えるかでしょうね。
米を食えた状態をいうのか
小作料を払えば2,3ヶ月の生活しか残らない
状態をいうのか
私は朝鮮を理解するのは李朝時代の農民の生活、両班の権力抗争、儒教の影響、
そういった事柄についての結論を自分なり
にださないことには、単純に李朝時代が豊かであったどうかの結論はだせません。
ただ日本の進出により、朝鮮農民は苦しく
なったということはいえますね。
自作農から小作農へ
小作農から労働者へと変化し
戦後国へ帰っても一から出直しを余儀なくされたのですから
>これも李朝からですね。地方官史がごっそり抜いて農民の手元には残らなかったそうです
そうですね。ただいえることは朝鮮総督府がなんら改善しなかったことでしょう。
ここで小作料を総督令で下げるなりすれば
これはど日本は戦後憎まれなかったのでは
ないですか
朝鮮農民振興運動でもしたことは家計簿のつけ方を進めただけで
資金を農民の為に投与してません。
総督府は農民の生活改善には何等寄与していない。
植民地に対して住民の生活向上の為になんてどこの列強もしてませんが
>朝鮮人のあまりに急激な人口増加も原因ですね
人口増加というより、日本への移出が生産高に対して増加し続けていること
人口増加は朝鮮総督府の資料であり、
年間90万前後増加したり、数万しか増加しないときもあり、この統計は疑わしい
主食が減少しているのに、これだけの増加は無理であると考えますが
最初の1910年の人口が実際より少なすぎる
のに原因があると思われます。
これは メッセージ 582 (yakuruto1 さん)への返信です.
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