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李御寧『「縮み」思考の日本人』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/01/23 00:52 投稿番号: [619 / 3669]
>「縮み・・・」の方は以前読んでみたことがありますが(パラパラっと見たくらいですが)、ちょっと論理飛躍が多すぎるな、というのが正直な感想でした。

私は「読み物」として、面白く読みました。

ネットで見つけたものですが、柄谷行人は次のような批判をしているそうです。

「一九七〇年代以後、日本人・日本文化論のブームがあり、日本人によってであれ、西洋人によってであれ、無数の本が出版された。しかし、その中で、私の感心を惹いた唯一の本は、韓国の批評家李御寧(イ・オリヨン)の『「縮み」思考の日本人』であった。日本の文化の特徴は「縮み」への思考にあると、彼は言う。彼はそれを、文学における和歌や俳句、庭園における借景や縮景、枯山水、さらに茶室、生け花、人形といった「伝統文化」にそれを見出すだけでなく、現代日本のハイテクにおける小型化にそれを見出している。

  人と動物を主語として考えれば、その間には大きな隔たりがありますが、かりに「走る」と述語を中心に見れば、人が走っても、馬が走っても、または自動車が走っても、「走る」という力学的現象においては同じものになりうるのです。これと同様に、俳句であれ、職人であれ、みんな異なった文化を作るように見えますが、「縮める」という視角から見ると、十七文字に圧縮された俳句と数個の石で作られた石庭は、同じ共通性を持つものです。主体を入れ換えたように、今度はその対象(目的語)を変えても同じことです。縮める対象が、花のような自然になれば生け花になり、それが何か人工的な物になれば、トランジスタになるのです。こういった方法論でいけば、古代の伝統文化と現代の物質文化を同じ視座から観察できますし、可視的な物質文化を不可視的な精神文化と同じコンテクストに置いて、分析することが可能になるのです。(李御寧『「縮み」思考の日本人』 講談社文庫、一二二−二三頁)

  李御寧の考察は細部にわたり首尾一貫している。しかし、彼の「方法論」は、他の多くの「日本人論」と同様に、非歴史的な文化本質論である。たとえば、日本人がテクノロジーにおいて小さなものを目指したのは、敗戦後の非軍事化の体制のなかでそうするほかなかったからである。その結果、巨大なものを志向していたアメリカやソ連のテクノロジーが後れをとった。とはいえ、戦前の日本では巨大化が志向されていたし、また、その過程で蓄積されていた技術や生産関係なしに、戦後日本の経済成長もありえない。こうした歴史的な結果を、エッセンシャルな民族性によって説明することは無意味である。たとえば、日本はなぜ東アジアにおいて、というより非西洋において唯一、近代産業資本主義的発展に成功したのかという問いがあり、それに関して様々な説が立てられている。それをすべて「縮み志向」から説明するのは無理である。
(『批評空間』II-17「借景に関する考察」より)


>>在日特派員である4人の記者たちによって書かれた
>これは間違い。

いえいえ、書評氏のミスです。
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