◆コリア関連書籍◆
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>『妓生−もの言う花の文化誌』
投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/01/30 21:14 投稿番号: [1320 / 3669]
お久しぶりです、犬鍋さん
此処の所、韓国語の勉強を少しだけ頑張ってます^^
『妓生−もの言う花の文化誌』
面白そうですね、さっそく御用達の本屋に注文出します。
Ж Kojo
これは メッセージ 1319 (bosintang さん)への返信です.
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川村湊『妓生−もの言う花の文化誌』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/01/19 00:29 投稿番号: [1319 / 3669]
これは メッセージ 317 (bosintang さん)への返信です.
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>南部令一『海隔つとも』
投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2003/01/11 11:28 投稿番号: [1318 / 3669]
見っとも無い、自虐史観的回想録の様ですな、読みたいとは思いませぬ!
これは メッセージ 1317 (bosintang さん)への返信です.
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南部令一『海隔つとも』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/01/03 00:46 投稿番号: [1317 / 3669]
植民地朝鮮の回想録をもう一つ。
南部令一『海隔つとも−韓国の教え子たち』(白地社,1984)
1940年から終戦まで,5年間,植民地朝鮮の中学校で国語を教えた教師の回想録。34年ぶりに韓国を訪問し,かつての教え子に温かく迎えられたことが出版の契機になったという。
教育に情熱をもつ23歳の教師が,朝鮮半島の若者を愛情をもって教育し,立派な人材に育てるべく奮闘する様子が描かれる。とはいえ,本の3分の2以上は,敗戦(光復)以後,帰国までの3カ月間の苦労話に費やされている。
植民地における支配者として権力をかさに着てえばりくさったり,あこぎな商売をする日本人,その日本人に取り入って立身出世を図り光復と同時に袋叩きにされる「親日派」,戦時朝鮮のさまざまな人間模様が興味深い。
この期間に実施された「志願兵制度」の「志願」の実態,「料亭」という名の売春宿を経営し,田舎出の少女を騙しては戦地の慰安所に送り込む日本人。植民地経験者の証言として,資料的価値もある。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=ffckdca4o2bf8na1a2hbfbeja47a4ja4a4a4
na4aba1a9&sid=1835396&mid=4159
自叙伝でもあり,自分のことは身びいきもあって,朝鮮人思いの「正しい日本人」として描かれるのはいたしかたないが,また実際そのとおりだったのではあろうけれど,34年ぶりの教え子たちとの邂逅の場面が印象的だ。
著者は,終始日本語で語り合いながら,教え子がついでくれる酒を左手で受けるという失態をおかし,相手が真っ赤になって怒る理由がわからない。韓国において左手で酒を受けることがいかに礼に反するか,知らなかったのだ。うろおぼえの「アリラン」を口ずさむが,その歌詞の意味はまったくわからない。朝鮮で5年間過ごしながら,一言も朝鮮語を解さない,解さなくても暮らして行けた……。これが当時の国語常用政策と,支配者として君臨していた日本人のうすら寒い実態なのだった。
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>倭館
投稿者: tuka_chan 投稿日時: 2002/12/30 13:22 投稿番号: [1316 / 3669]
ようやく読みました。
一番興味深かったのは以外に多かった当時の貿易量と、銀の流れでしょうか。
輸出する産物がある=朝鮮には技術があった
購入する銀がある=日本には資本があった
と考えると交流というのは一方的なものでは無いということが良く分かります。
明治維新後、倭館がどうなったのかを知りたくなりました。
これは メッセージ 1307 (kurukuruchoki さん)への返信です.
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トルクノフ『朝鮮戦争の謎と真実』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/12/20 00:06 投稿番号: [1315 / 3669]
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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age
投稿者: subsky707 投稿日時: 2002/12/19 23:42 投稿番号: [1314 / 3669]
の味噌汁・
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呉善花著:「韓国併合への道」-2
投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2002/12/11 13:21 投稿番号: [1313 / 3669]
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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訂正
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/12/05 09:52 投稿番号: [1312 / 3669]
>吏読の一形式である郷札で書かれた新羅の歌謡、郷札に注目し、
→吏読の一形式である郷札で書かれた新羅の歌謡、郷歌に注目し、
これは メッセージ 1311 (bosintang さん)への返信です.
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>「吏読」
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/12/04 23:44 投稿番号: [1311 / 3669]
外大の講師の方のHPでこんなのを見つけました。
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/kodai.html>「吏読」はどのように使われたのですか?
については、上のHPで概略がわかるのではないでしょうか。
>「吏読」だけで朝鮮の古文書は解読できますか?
「吏読」で表記されていたなら、なぜ上代の公文書などで古代朝鮮語が判明できないのでしょう。
これはたぶん、上代にあたる時代の古文書がそもそもほとんど残ってないからだと思います。
吏読の一形式である郷札で書かれた新羅の歌謡、郷札に注目し、それを解読したのは、日帝時代の朝鮮語学者、小倉進平で、それ以前には古代朝鮮語については何の関心ももたれていなかったようです。
古文書が残っていない理由について、朝鮮王朝が自分の手で処分したのではないか、という推測を池明観という人が書いていました。古文書には、朝鮮儒教では許しがたい近親結婚の例が多数記録されていたから、とのこと。
>中期朝鮮語の形跡が現代でも判るのは、ハングルが創設されたからですか?
そうだと思います。
>古代日本の「万葉仮名」は「吏読」を真似したものとの意見があったのですが、これは本当ですか?
ありうる話だと思います。
理由としては、発想がよく似ていること、吏読のほうが古いらしいこと、朝鮮半島と日本の交流がかなり活発だったこと。
これは メッセージ 1310 (kurukuruchoki さん)への返信です.
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「吏読」
投稿者: kurukuruchoki 投稿日時: 2002/12/01 13:39 投稿番号: [1310 / 3669]
トピズレですが、
他の掲示板で、古代日本の「万葉仮名」は「吏読」を真似したものとの意見があったのですが、これは本当ですか?
それから、「吏読」はどのように使われたのですか?
「ハングル以前の朝鮮語は、漢字の音・訓をあてる「吏読」という方法で表記されていた。
しかし、「吏読」とはあくまでも漢字を読むための補助的手段である」というところまでは判ったのですが。
「万葉仮名」に似た「吏読」だけで朝鮮の古文書は解読できますか?
「吏読」で表記されていたなら、なぜ上代の公文書などで古代朝鮮語が判明できないのでしょう。
中期朝鮮語の形跡が現代でも判るのは、ハングルが創設されたからですか?
質問ばかりですみません。
◎訂正
朝鮮通信使の番組は、「TVK」ではなくて「NHKBS2」です。
出演者には、脚本家のジェームス三木や、TV朝日の番組「やじうまプラス」の阿部美穂子など。
これは メッセージ 1309 (kurukuruchoki さん)への返信です.
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「和館」
投稿者: kurukuruchoki 投稿日時: 2002/12/01 12:16 投稿番号: [1309 / 3669]
>呉善花さんの本で、「倭館」を日本側では「和館」と表記していたというのを読みましたが、田代和生『倭館』に何かそれに関する記述があれば、お教えください。
日本側ではやはり、「倭館」ではなく「和館」と表記していたようです。
大正七年(一九一八年)に高橋章乃助が朝鮮の京城で刊行した『宗家と朝鮮』という本の口絵の「延宝六年七月釜山和館竣工図」には、著者の説明がないそうですが、年紀や「和館」という字、地形や建物の招き方や、その内容からみて、対馬藩内部で十八世紀中庸に制作されたとされているそうです(本書は新書版ですが、見開きでその図が見られます)。
それから、「倭館」の建設時に朝鮮側と交渉した普請奉行の佐治杢佐衛門が「館主は和館の守護人です。(その重大性がかわれて)貴国から経費も支給されています」と本書は日本側の資料から引用していて、そこにも「和館」というも記述があります(それ以外にも小川次郎右衛門(雅号、秋園戯艸)の『愚塵吐想』にも「和館」の文字が見えます)。
もともと「倭館」は通称名で、本来の施設名はではなく、中国使臣のための「太平館」、女真人のための「北平館」に対し、日本人用の客館は「東平館」だったそうです。
この前、TVKで朝鮮通信使の番組をやっていたときに、通信使は江戸までの岐路の途中には、宿泊施設に寺も使っていたそうで、通信使の中に自分の父親が通信使で来た時にも宿泊していたことを、その寺の住職に聞かされて、とても感動していたとの逸話が伝えているそうです(たしか、その通信使の父親が書き残した書を掛軸にしていたと思います)。
戦前は、寺にある朝鮮通信使の資料を処分すように、お上から言い渡されていたそうですが、時の住職が守りきったと、現在の住職が語っていました。最後まで番組を見ようとしたのですが、駐車場か公園で当時の衣装を着て、朝鮮通信使の再現をやっていた時、本国の人か在日の人かは判りませんが、朝鮮通信使の説明をはじめて、また「伝えてやった」「教えてやった」がはじまったのでチャンネル変えました。(笑
倭館は、途中から釜山の「草梁倭館」に一本化されましたが、19世紀中期の『朝鮮京城図』には「倭館洞(ウェグァンドン)」とあり、日本支配時代までその名前が残っていたそうです(一九〇八年の銅版印刷『京城図』にも、「倭館坊」とあり)。「倭館洞」は、日本支配時代には「大和町」に改名され、現在の地名はソウル市「忠武路(チュンムロ)」だそうです。
これは メッセージ 1308 (bosintang さん)への返信です.
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村井章介『中世倭人伝』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/30 23:00 投稿番号: [1308 / 3669]
(岩波新書、1993)
クルチョキさんが雪村さんだったころ、倭について議論しましたね。たしか漢字トピで。
そのときにも紹介しましたが、標記書にも室町期までの倭館について記されています。
その後、呉善花さんの本で、「倭館」を日本側では「和館」と表記していたというのを読みましたが、田代和生『倭館』に何かそれに関する記述があれば、お教えください。
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田代和生『倭館』
投稿者: kurukuruchoki 投稿日時: 2002/11/24 15:20 投稿番号: [1307 / 3669]
百済トピックで半月城さんが話されたいた「倭館」に関する本です。対馬藩は日朝間の貿易が生命線だったとはいえ、初期の頃は、日本幕府と朝鮮王朝の間を実にしたたかに渡っていますね。倭館というのは、いくつかあって、本書の中心は「草梁倭館」についてですが、「旧倭館」もついても最初に取り上げていて、中世から近世への時代の変化が読み取れます。そして対馬藩は、独占的に輸入販売していてドル箱だった輸入品が力を落とし、かつてのような貿易的繁栄が消えて行く…。
著者の田代和生は近世日朝関係史専攻の慶応の先生で、巻末に参考文献が書き添えられていますが、豊富な資料もさることながら、中にはとても素人では読みこなせそうもない資料もあります。こういう専門家が書く入門書はありがたい。
ポイントが絞られた本なので、実の多岐に渡って「倭館」について書かれていますが、まずはその広大な面積に驚く。敷地総面積10万坪。これは、長崎にあった「唐人屋敷」の10倍、出島と比較すれば実に25倍というから、いかに広大だったかが分かります(そのうえ外交交渉で最後には朝鮮側が折れるケースが多い)。
「倭館」は貿易のためにだけあるのではなく、朝鮮の実情を調べるためにも機能していました。私は東京の文京区出身なので、個人的に興味を引いたのは、徳川吉宗が朝鮮人参を国産化しようと悪戦苦闘する様子。ご存知の通り、文京区にある小石川植物園内には、時代劇のもよく出てくる小石川養生所があったところで、8代将軍吉宗が創設し、看病人のいない極貧の病人を収容し、無料で治療を行なったとされています。
吉宗は、高価だった朝鮮人参を国産化させ、日本の大量の銀が朝鮮に流入するのを防ぎ、地場産業を育成し、値段を引き下げて庶民の手の届くようにする。そのため朝鮮王朝時代の最高峰といわれる医学書「東医宝鑑」を取り寄せ、学者らに四苦八苦させながら邦訳しようとしたり、なんとか朝鮮半島から人参の苗を日本にもってこさせようと涙ぐましい努力をする。そして、対馬藩のなどに「絶対無理だ」といわれ、栽培が難しいとされた朝鮮人参の国産化に成功し、やがて大量生産時代が到来する。
それ以外にも、朝鮮国内の人口、朝鮮官僚の種類と役割ついてやその報酬、年貢などの税収の朝鮮と中国の比較、度量衡など、「倭館」を通して調べさせたものが、その後の「享保の改革」に結びついたという。
そして、これだけ広大な異人館が200年の長きに渡って存続したから、いろいろな人間模様も繰り広げられ、敷地内に虎が侵入して、命がけで虎退治をやったり、日本人男性が朝鮮人女性を連れ込んで外交問題になったりする。不思議なのは、日本の長崎の異人館の場合、遊女の出入りが認められ、子供が出来たら条件付ながら養育も認められたいるのに対し、「倭館」の場合、たとえ妓生(キーセン)であっても、現地の女性とつきあうことは許されない(仲介者も死罪)。
現在も、統一教会の合同結婚式の国際カップルの多くは、韓国人男性に対し日本人女性が多いそうだし、韓国のテレビドラマや映画も恋に落ちる主役は、韓国人男性と日本人女性のパターンが多いそうだし、北朝鮮に拉致された日本人男性も日本人女性と結婚しているし、「よど号」ハイジャック犯の「連合赤軍」の男性メンバーも偉大なる「主体思想」を信奉する共産主義革命同志であるにも拘わらず、現地の女性と結婚せずに日本人女性と結婚している。
余程、コリアン男性は、同胞の女性が日本人男性と結びつくのを嫌うと見た!?
「倭館」
田代和生
文春新書
http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=31042985
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『危険な隣国』ついて紹介
投稿者: kurukuruchoki 投稿日時: 2002/11/24 15:19 投稿番号: [1306 / 3669]
本ではなく雑誌ですが二冊紹介。
一冊目。
『別冊SAPIO
まるごと一冊
北朝鮮』
小学館
SAPIOという雑誌はタカ派の雑誌ですが、この別冊も表紙にも「日本は本当にこの国と国交を結ぶ必要があるのか」と、かなり挑発的な文字が躍っています。
横田めぐみさんが拉致された現場を再現したり、北朝鮮の強制収容所、武装工作船など、SAPIO名物の詳細な図解も各所に散りばめられています。私はこの手の本、雑誌は好きなのですが、その私が見てもかなりDeepな内容の仕上がりになっています。
個人的に興味深いのは、「抗日英雄、金日成はわたしがつくりあげた」という元ソビエト政治将校の証言。
冷戦時代は、日本では朝鮮戦争のきっかけは、進歩派を中心に「南の北進説」が唱えられていましたが、冷戦が崩壊してから旧ソビエト時代の内部資料が発覚して、急速に萎んでしまったのは記憶に新しいところ。
当雑誌で証言している元ソビエト軍中佐は、第2次世界大戦中に金日成が、中国・朝鮮の抗日戦線ではなくソ連内にいたことに、何の疑問もなく答えています。
http://www.s-book.com/plsql/sbc_mag2k_code?sho=094281&sha=1&type=sもう一冊。
『メディアが黙殺した「拉致事件」25年間の封印を説く』SPA!特別編集
扶桑社ムック
産経は他のメディアが見向きもしなかった「拉致事件」をかなり前から追っていました。
扶桑社は産経系列なので、拉致事件に関する資料は膨大でしょう。
中でも圧巻なのは、拉致問題に関して、今まで日本のメディア、政治家、官僚、言論人がいかなる発言をしてきたかが載っている箇所。しかも本人の写真と弁明つきで…。この分野での産経らしい粘り越し(?)が垣間見えます。主な発言主は、土井たか子、辻元清美、村山富市、田中真紀子、森喜郎、野中広務、青木宏之、中山正輝、鳩山由紀夫、志位和夫、田中均、阿南惟茂、槙田邦彦などの国賊がオンパレード。
言論人では、吉田康彦。この人、HPで「拉致を否定したことはない」と言っていたそうですが、97年の5月放送の『朝生』で「拉致はでっちあげだ」と主張したそうです。吉田は「噂の真相」でも見苦しい弁明をしていましたが、当ムックでは態度を豹変させた吉田を「言論人の風上にも置けない」とバッサリと斬られています。
http://www.fujisankei-g.co.jp/sankei-kaihatsu/book/categ3/0042.html
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内藤陽介『北朝鮮事典』
投稿者: kurukuruchoki 投稿日時: 2002/11/24 15:17 投稿番号: [1305 / 3669]
時節柄という訳けではありませんが、北朝鮮関連の資料を少し。
著者の内藤陽介は、週刊誌にも取り上げられたことのある人物で、切手を中心とした郵便資料を用いて、国家と社会、時代や地域のあり方を読み解く研究、著述、創作活動をやっているという実に珍しい経歴の持ち主。そして本書は、郵政学を駆使したという日本初の貴重(?)な新機軸の事典です。
しかし、北朝鮮のような閉ざされた国に於いては、切手などの国家が手がけられたものは、その内実を知るのにいい資料になります。とくに北朝鮮が発行した切手の種類は世界最大級といわれ、この前の金総書記と小泉首相の会談模様を切手にすぐ載せて発行するなど、実に熱心。中国やソ連などの大国の間を揺れ動く様子もよく観察するとわかります。
それから、朝鮮半島関連の事典類は大体、先方に迎合したものが出来上がりますが、この事典にはそのような記述が見当たらない。「主体農法」などの項は、北朝鮮における農業不振の大きな原因となったと、はっきり記述してあります(詳しい内容は本書にて)。
「高句麗」の項では、ただ、いついつの時代に建国し、だれそれが活躍したというだけではなく、北朝鮮では高句麗はどのような位置付けかとか、「金九」の項では、時代とともに評価が変わったなど北に絡めてよく書かれています。それに本書は、決して堅苦しい事典などではなく、内容はA・猪木の項があったりと、引く事典というよりもペラペラめくって読み込むという事典です。
私は、こういう他の書店では見られない本は、新宿の東急ハンズの横の紀伊国屋書店でよく見かけますね。
紀伊国屋書店といえば、二年半位前、明石書店の「韓国の歴史教科書」を発見したところ。
この前は、拉致被害者の曽我ひとみさんの家族にインタビューし、人権侵害ぶりを披瀝した、筑紫哲也、本多勝一、佐高信、落合恵子(学生時代に原宿で落合経営のクレヨンハウスで遭遇した記憶あり)など、粗相たる左巻きの御仁が編集委員を務めている「週刊金曜日」を購入しようとしましたが、「お品切れ」ということで手に入れられませんでした。
話がズレましたが、この事典の前小口を右にずらせば、偉大なる指導者、金日成主席が、そして左にズラせば、親愛なる領袖、金正日総書記が姿を現れます。共和国ではお二人の写真は新聞でも折り目を付けてはならないと聞きました。手垢がつくかもしれない事典を開く箇所に、このような細工を施してクレームが付かなかったのかと考えているのは私だけでしょうか?
『北朝鮮事典』
内藤陽介
竹内書店新社
http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=30783642
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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上野/文『日本の死体韓国の屍体』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/23 22:49 投稿番号: [1304 / 3669]
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呉善花著:韓国併合への道
投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2002/11/23 17:26 投稿番号: [1303 / 3669]
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村上春樹『海辺のカフカ』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/20 18:16 投稿番号: [1302 / 3669]
なんか,コリアとまるで関係ないですが。
村上春樹は韓国でもたくさん訳されていて,ノルウェーの森なんかは記録的なベストセラーということだけど,今度の最新作はどうなんですかね。
父殺し,近親相姦がテーマだし,韓国人が嫌いな猫やらカラスやらゲイやら出てくるから,ちょっと難しいかも。
舞台になってる「図書館」というのも韓国ではなじみがない。図書館は本を借りるところと認識してる人はあんまりいないみたい。自習室のイメージかな。
きっとどこぞの出版社がとんでもない契約金払って,翻訳中でしょうが。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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松尾茂『私が朝鮮半島でしたこと』 2
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/09 18:18 投稿番号: [1301 / 3669]
終戦後は,それまでとうってかわって,権力を握った朝鮮人に連行され略奪を受けたりした。やがてソ連軍の進駐。
「ソ連軍が進駐してくる前に朝鮮側から,「日本人は将来のこともあるので若い女性20人をソ連軍に出すように」と申し入れがあったという。人身御供である。しかし,日本人会の小山田会長は申し入れをなんとかやりすごし,ソ連軍進駐と同時に司令官に直接面会を求め,人道的な処置を願い出た。さいわい司令官は「自分たちは,けっしてそのような要求をしたことはない」と返事してくれた。あとで聞くと,司令官は敬虔なクリスチャンだったという。
しかし,ソ連兵の来襲はやまず,夜ごと四,五人で,「マダムを出せ」とやってきた。朝鮮人が手引きをしていた。日本の娘は子どもに見えたのか,彼らは若い人妻を要求した。女性を外に逃がし,だれかが司令部に走っているあいだ,時間を引き延ばすために,なけなしの金で求めた焼酎をすすめて,憲兵が到着するのをひたすら待った。そういうことが何回もあった。
あるときは出入り口を朝鮮人に固めさせ,日本人全員を中庭に鶏でも追い出すようにして集め,目ぼしい女性を引き出そうとしたこともある。そのつど,男性陣は時間の引き延ばしに務め,ソ連軍憲兵の急行を求め,助けられた。だから,クリスチャンの司令官には感謝したものである」
このあたりは,北朝鮮にいた日本人の中では幸運な部類に入るでしょう。当時,38度線の北と南で,日本人の運命に大きな違いがあったようです。
やがて,自らが囚人のために作った刑務所用の建物に収容され,他の日本人400人とともに,一年以上の強制労働,収容生活を送る。
前途の展望もなく,シベリア送りの噂が高まるなか,家族を含む50数名で逃亡。義足をつけたまま,38度線めざして昼夜なく歩きつづけ,途中,頻繁に持物検査,金銭強要,略奪を受けながらも,一人の脱落者を出すこともなく,38度線の南に逃げ延びる。
「九月一日に安州の日本人収容所を脱出してから,ちょうど10日で約76里(304キロ)を逃げてきたことになる。途中,トラックで約25里(100キロ)を移動したが,よく歩いたものだ。子どもたちも偉かった。幼い芳子や弘子は両方から手をつながれて,半分眠りながら,引きずられるようにして歩いてきた。ひとりも欠けることなく連れて帰れたのは何よりだった。
道中を振り返ると,どこの保安署も持物検査は形だけで,薬品と刃物だけが取り上げられた。中年以上の朝鮮人は,みんな同情の目で私たちに接し,親切だった。迫害を加えたのは青年たちだった。朝鮮建国基金のためといって,金銭や持物を強要強奪したのは,保安隊,自警団と称する二十代の青年ばかりだった。しかし,実際に日本の政治を悪くいえるのは中年以上の人で,それを味わった人たちのはずなのだが」
このような目にあいながらも,朝鮮の人々に対する恨み節は聞こえてこない。かえって,窮乏が伝えられる北朝鮮の人々に対する気遣いが記される。
「戦後五十五年以上たってから,このような文を書く気になったのは,あの当時の安州の人たちや,工科学校に勉強にやった朝鮮の青年たちの顔がしきりと思い出されるからにほかならない。彼らは飢えることなく,飯をちゃんと食べているのだろうか。鴨緑江のほうでも食べるものがないという話を聞くと,やはり心が波立つ。いまの私にできることは,彼らの無事を祈ることだけだ」
回想録は,こと自分に関わる部分は美化されがちだから,少し差し引いて考える必要があろうけれど,これを読むかぎり,あの時代,日本人と半島の人々はけっこううまくやっていたように思えます。
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松尾茂『私が朝鮮半島でしたこと』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/09 18:17 投稿番号: [1300 / 3669]
以前,compactbox02さんとtuka_chanさんから紹介していただいた本を,遅ればせながらよみました。
松尾茂『私が朝鮮半島でしたこと−1928年〜1946年
架橋・農地改良・道路建設・鉄道工事』((草思社,2002)
18歳で朝鮮半島に渡り,その後18年間,朝鮮各地を渡り歩きながら各種土木工事を手がけた著者,91歳の回想録です。
鉄道工事ではトロッコに足を轢かれて以来,義足をつけて現場を指揮。でもそのおかげで兵役を免れた。このあたり,塞翁が馬の逸話を思い出します。
「摩擦はほとんどなく,私たちはほんとうに朝鮮の人のなかに溶けこんでくらしていた。いま考えると不思議なくらい何の不安もなく毎日が過ぎていった。
戦後になって歴史の本を読むと,抵抗運動とか暴動がいろいろあったとか書かれているが,さいわいその種の反抗にはあわなかった。身近で危険な目にあった話でも聞けば,用心したかもしれないが,そういうこともなかった。
もっとも終戦になったとき,作業員のなかに隠れていた共産党の幹部がバーッと出てきたことがある。牛車引きになりすまして,もぐり込んでいたらしい。ほんとうは危険があったのかもしれないのに,私たちが気づかなかっただけかもしれない。
しかし,昭和5,6年のころにくらべると,昭和12,3年には,反日感情の雰囲気もずいぶん違ってきていた。朝鮮の人たちも,あまり日本人に反感をもったり逆らうようなことをしたのでは結局,損になると気づいたのだろう。
裏ではどういっていたかしらないが,いつまでも日本人に反抗したり,いやがらせをしていても,自分が除け者にされるだけで,結局はついていかなければいい給料ももらえないと思ったのではなかろうか。自然と日本人にもなじむようになり,雰囲気はよくなっていった」
戦争が始まったあとの41年には,大河,鴨緑江に全長1000メートルの,当時としては最大規模の清城大橋の建設工事を請け負う。急流の難工事で,足場がくずれ,川に落下したものの九死に一生をえるというような経験もする。
最後の仕事は,安州の水利事業。広大な干潟の干拓で,完成すれば50万石(7万5000トン)の増収になるはずだったという。労務動員の朝鮮人や最後には刑務所の囚人などまで使って作業を進めたが,ついに未完のまま終戦を迎える。
「朝鮮半島には,それまでに日本はずいぶん金をつぎこんでいた。三十余年かかって半島に金と手を加えてきた成果が,ようやく実を結び始めていた。それは渡鮮以来18年を過ごした私が,実感として感じていたことだ。そして,これからいよいよ花開くというときに,終戦になってしまった。もしあのまま工事がつづいていたら,北朝鮮の食料事情はずいぶん違うものになっていたのではなかろうか。これからというときに残念なことをした,そういう思いが私のなかにある」
これは メッセージ 944 (tuka_chan さん)への返信です.
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司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/09 13:36 投稿番号: [1299 / 3669]
これは メッセージ 1298 (bosintang さん)への返信です.
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荒山徹「故郷忘じたく候」
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/09 12:33 投稿番号: [1298 / 3669]
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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梨大卒の女性との議論
投稿者: asian_waves 投稿日時: 2002/11/03 22:11 投稿番号: [1297 / 3669]
>日本だと、歴史教科書に載ろうが載るまいが、天皇の戦争責任でも、従軍慰安婦でも、南京事件でも、731部隊でも、手軽な新書版でしっかりした情報が得られるけど、韓国にはその手の教養書、啓蒙書がないからね。
確かに書籍文化はお粗末ですね。
>2ヵ月ぐらいやってたから多岐にわたったけど、韓国カテの住人にはお馴染みのテーマがおおかったですよ。日本の賠償問題とか、慰安婦問題、ベトナム派兵、日帝時代の教育政策、教科書問題……。
先日また韓国人と歴史問題について議論になりました。彼女は梨大の才媛なんですが、いわゆる日帝期を国策反日洗脳教育よろしく完全なる暗黒の時代と捉えています。よく韓国人が引き合いに出す「ドイツは戦争犯罪をちゃんと謝罪し反省したのに日本はちゃんと戦後処理をしていない」がその彼女の口から繰り返されました。
ナチのユダヤ人抹殺と日本による朝鮮半島の植民地支配を同列に扱っていました。
「日本は韓国にちゃんとした謝罪を一度もしていない」と言い、日本人は韓国人に嫌われて当たり前だと断じました。毎度お決まりのパターンに終始してしまいました。
相手の知識が不足しているため議論になりませんでした。感情論に振り回されるばかりで歴史的事実を論証しながら議論することができないお約束のパターンに陥ってしまいました。現在の価値観で過去を断罪する愚をその梨大卒の彼女は大多数の韓国人と同じように犯していました。
>冷麺食べてシウォナダはわかりやすいけど、テンジャンチゲもシウォナダ、あついお風呂に入ってもシウォナダ、憎い奴のはらわた踏みつぶしてもシウォナダとくると、理解不能。
否定的な文言でも「シウォナゲ」は使われるんですね。お手洗いで用を済ませた後よく「シウォンシウォンハダ」と言いますよね。
これは メッセージ 1256 (bosintang さん)への返信です.
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黒田勝弘氏の著作
投稿者: asian_waves 投稿日時: 2002/11/03 21:50 投稿番号: [1296 / 3669]
黒田勝弘氏の著作には読むたびにその深い洞察に感心させられます。黒田氏の著作は感嘆のため息が出る程冷徹かつ的確に韓国社会を分析・考察していますね。
特に「韓国人の歴史観」「韓国社会を見つめて〜似て非なるもの」には脱帽しました。
韓国のナショナリズムや儒教的排他性などを論理的に批判した内容は韓国社会にとっても有益なのでは。黒田氏からは韓国への愛を感じます。
新刊が楽しみです。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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ならば
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/02 23:44 投稿番号: [1295 / 3669]
これは メッセージ 1294 (hehenonomoheji さん)への返信です.
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>>空手バカ一代といえば
投稿者: hehenonomoheji 投稿日時: 2002/11/02 23:29 投稿番号: [1294 / 3669]
いえいえ、極真空手でしたよ。
名前もハングルで「おおやまますたつ」
私が、読んだ物は、弟子が、「しこく」の「えひめ」で支部を作る話でした。
その弟子の名前も、日本名でした。
私は、空手バカ一代は、ほとんど読んでいなかったので、
それが、空手バカ一代のコピーかどうかは、判らないのですが。
これは メッセージ 1293 (bosintang さん)への返信です.
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>空手バカ一代といえば
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/02 23:14 投稿番号: [1293 / 3669]
主人公が韓国人で、空手ではなくテコンドウの話になってませんでしたか?
38歳の韓国人から、以前そのように聞きましたが。
まあ、大山倍達が韓国人なのはそのとおりだけど。
これは メッセージ 1292 (hehenonomoheji さん)への返信です.
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空手バカ一代といえば
投稿者: hehenonomoheji 投稿日時: 2002/11/02 23:09 投稿番号: [1292 / 3669]
30年近く前 (韓国の話になるとこの時期に飛びます、この頃、韓国に夢中でしたので(笑) )、
東大門市場横の古本屋で、
韓国漫画を買い込んで、日本へ持ち帰ったのですが、その中に、
絵は、つたない、韓国風でしたが、
極真空手の話の漫画がありました。
同じコピーするなら、絵を書き換えているのだから話の筋ぐらい変えて、
場面を韓国すればよいものを、日本のままでした。
あれは、どうなんでしょう。
日本のままの方が、かえって、読者に喜ばれるのでしょうか。不思議な感じでした。
これは メッセージ 1291 (bosintang さん)への返信です.
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>>>>辞書
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/02 22:23 投稿番号: [1291 / 3669]
>バカボンのパパは、私のあこがれだったのだ。(笑)
そうだったんですか。
わたしはてっきりのらくろかと……。
古すぎ?
>週刊マガジン、サンデーは、私の世代の青春後期の愛読書の筈です。
私はマガジン一筋でした。小学生のとき兄と35円ずつ出し合って買ってたおぼえがありますから、当時70円か。
あしたのジョー、巨人の星、空手バカ一代あたりが好きだったなあ。
これは メッセージ 1286 (hehenonomoheji さん)への返信です.
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新自修英文法でしたか
投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2002/11/02 21:45 投稿番号: [1290 / 3669]
英文典でしたか。わすれました。山崎。これは読みづらいので結局やりませんでしたね。
新々英文解釈は今でも本棚にあります。1979年改定版のものです。これは教えるために新たに買ったものです。
最初の例文の、The bamboo is a kind of grass.
は、結構珍重して、今でも教えるときに使っています。例文は The dog is a kind of mammal.
あたりになおしていますが。
The
dog
という具合に、普通名詞の単数にtheがついたときは、「犬というものは」という意味(その種に属する物すべてをあらわす場合)と、「その犬は」の意味の二つがある。これは英文を読むときには絶対必要なことなので、theプラス名詞が出てきたときは、どちらかを瞬時にみきわめなければならい、と教えています。
結構このところが分からないみたいで、
大学生や院生あたりにもしつこくいっています。
これは メッセージ 1289 (bosintang さん)への返信です.
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古文と英語
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/02 21:18 投稿番号: [1289 / 3669]
>小西甚一の「古文研究法」(洛陽書房)
私も買いましたよ。でもやらなかった。
新自修英文典、新々英文解釈研究といっしょに飾ってありました。
だから、いまでも古文と英語が苦手なんだ(笑)。
赤城さん、ぜんぶやってたりして。
これは メッセージ 1284 (shinkuuboakagi555 さん)への返信です.
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つついづつは
投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2002/11/02 21:02 投稿番号: [1288 / 3669]
小学校の頃から知っていました。先輩の女の子が、ませている子のことをこういっていたようなので、ませてることをそういうのだろうと思っていました。
中学校では子の言葉はほとんど使いませんでしたが。
これは メッセージ 1287 (hehenonomoheji さん)への返信です.
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>特に古文は皆目ダメでした。
投稿者: hehenonomoheji 投稿日時: 2002/11/02 20:45 投稿番号: [1287 / 3669]
そうなんです。
小西甚一の「古文研究法」読まなかったのです。
買って、机の横に積んでは、ありましたが。(笑)
ところで、赤城氏、「筒井筒」は知っていました?正直なところ・・・。
これは メッセージ 1284 (shinkuuboakagi555 さん)への返信です.
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>>>辞書
投稿者: hehenonomoheji 投稿日時: 2002/11/02 20:34 投稿番号: [1286 / 3669]
残念ながら、バカボンのパパは、私のあこがれだったのだ。(笑)
週刊マガジン、サンデーは、私の世代の青春後期の愛読書の筈です。少なくとも、私は、そうでした。(笑)
卒業したのは、ジャンプのあられちゃんを読んで、ジャンプに鞍替えしたときでした。(笑)
ごめんなさいね、コリア関連書籍とは関係ないことでした。
これは メッセージ 1283 (bosintang さん)への返信です.
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バカボンのパパ
投稿者: u26699 投稿日時: 2002/11/02 19:58 投稿番号: [1285 / 3669]
ついつい、つられて飛び出してしまったのだ。。それで、いいのだ。
ところで、「賛成の反対」って、「反対」ニカ??
ありゃ!?「反対の賛成」だったニカ???
これは メッセージ 1283 (bosintang さん)への返信です.
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特に古文は皆目ダメでした。
投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2002/11/02 17:22 投稿番号: [1284 / 3669]
そりゃ、小西甚一の「古文研究法」(洛陽書房)を読まなかったから。
昭和30年が初版。先日、本屋の受験本の棚これを見つけたときは、まだ出てるのかと、おどろいた。おそらく改訂もほとんどせずに40版か50版くらいはいっているはず。
不得意な古文がこれで得意になった。まだ手許にあって、ごく時々使っている。
これは メッセージ 1282 (hehenonomoheji さん)への返信です.
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>>辞書
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/11/02 11:59 投稿番号: [1283 / 3669]
>そうなのだ、該博な知識の塊のような犬鍋先生は、「筒井筒」を知らなかったのだ。
ふーむ、一世代近くの歳の差なのだ。その落差は、大きいのだ(笑)。
「東京大学で上代文学の講義をされていた五味智英先生は、私の旧制高校の先生です。その縁で先生と『万葉集』の注釈のため数年いっしょに研究したことがあります。その途中に、古い注釈書の文章で自分に読めない字があったとき、漢和辞典を引かないで直接先生にうかがうと、先生は読めた。そんなことが、二、三回ありました。先生と自分とは漢字の理解の幅が違うなあと思ったことでした。先生と私の年の差は十一年です。ところが、五味先生の十二年年上の麻生磯次先生は、江戸時代の水墨画の賛の漢文をすらすらとお読みになりました。五味先生にはそれはむずかしいとのことでした。麻生先生より、十年ほど年上の安倍能成先生は、漢詩を作ったりなさったようです。麻生先生はそれはおできになりませんでした。つまり、漢字・漢文の能力は、安倍・麻生・五味・大野と十年ずつぐらいの隔たりで、一歩一歩落ちていったのです。(大野晋『日本語練習長』)
古文の能力も似たようなものなのでしょう。安倍能成は一時、京城帝国大学の学長をやっていましたね。
ところで、ヘノヘノモヘジさんの文を読んで、私はバカボンのパパを思い出したのだ。一世代近く年上のヘノヘノモヘジさんにはおわかりにならないかもしれないのだ(笑)。
これは メッセージ 1282 (hehenonomoheji さん)への返信です.
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>辞書
投稿者: hehenonomoheji 投稿日時: 2002/11/01 18:30 投稿番号: [1282 / 3669]
そうなのだ、該博な知識の塊のような犬鍋先生は、「筒井筒」を知らなかったのだ。
ふーむ、一世代近くの歳の差なのだ。その落差は、大きいのだ(笑)。
私は、高校時代、国語が苦手で、特に古文は皆目ダメでした。
しかし、その私ですら、伊勢物語の「筒井筒」は、知っているのに、という気持ちがあの文の背景にあります。
私の幼稚な驚きをぶつけた相手は、私よりもさらに一世代上の、方だったので、よかった。
思いこみが、ひどいようで、なんとなく、恥ずかしい。
高価なので、持っていませんが、本屋で見かける、小学館『朝鮮語辞典』はいい辞書ですね。
いい時代になったものです。
これは メッセージ 1280 (bosintang さん)への返信です.
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筒井筒
投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2002/10/31 20:36 投稿番号: [1281 / 3669]
二十三段
むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でてあそびけるを、大人になりにければ、おとこも女も、恥ぢかはしてありけれど、おとこはこの女をこそ得めと思ふ、女はこのおとこをと思ひつゝ、親のあはすれども、聞かでなんありける。さて、この隣のおとこのもとよりかくなん。
筒井づつの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
女、返し、
くらべこし振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰があぐべき
などいひいひて、つゐに本意のごとくあひにけり。
さて、年ごろ経るほどに、女、親なくたよりなくなるまゝに、もろともにいふかひなくてあらんやはとて、河内の国、高安の郡に、いきかよふ所出できにけり。さりけれど、このもとの女、悪しと思へるけしきもなくて、出しやりければ、おとこ、異心ありてかゝるにやあらむと思ひうたがひて、前栽の中にかくれゐて、河内へいぬる顔にて見れば、この女、いとよう化粧じて、うちながめて、
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらん
とよみけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内へもいかずなりにけり。
まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいゐがひとりて、笥子のうつわ物に盛りけるを見て、心うがりていかずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
君があたり見つゝを居らん生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
といひて見いだすに、からうじて、大和人来むといへり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、
君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬ物の恋ひつゝぞふる
といひけれど、おとこ住まずなりにけり。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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