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辞書
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/31 19:46 投稿番号: [1280 / 3669]
これは メッセージ 1277 (hehenonomoheji さん)への返信です.
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>朝鮮総督府の功績
投稿者: korea_sono 投稿日時: 2002/10/31 18:46 投稿番号: [1279 / 3669]
現在朝鮮総督府の建物はバラバラにされて、天安(チョナン)の独立記念館にあります。
しかし、屋外にあるため野ざらしになっていて、一部破壊されたり風化したりしています。このあたり、ぱっと見た感じはギリシアかどっかの遺跡のようですが、一番低いところに置かれた総督府のさきっちょを見ればそれと分かるでしょう。
記念館の少し外れにあるので、見学者もあまりいません。直接見たい方は一度足を運んでみてください。
これは メッセージ 1278 (sennin_4012 さん)への返信です.
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朝鮮総督府の功績
投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2002/10/31 12:18 投稿番号: [1278 / 3669]
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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>金素雲
投稿者: hehenonomoheji 投稿日時: 2002/10/30 22:26 投稿番号: [1277 / 3669]
以前、犬鍋先生が紹介していた、韓日辞典、高麗書林、金素雲編は、
私が30年近く前に、韓国語を学習したとき、初めて、購入した辞書でした。
金素雲の名前は知っていても、残念ながら、現在に至るまで、その著作を目にしたことは、無いのですが、
その辞書の冒頭の「おぼえがき」の印象が今でも鮮明にあります。
それは、辞書作成の苦労話の紹介でしたが、
「幼なじみ」と「筒井づつ」の関係が判らないと言う物でした。
東京の知人に問い合わせて、それが伊勢物語にあると、知るわけですが、
日本人の私には、筒井筒の語源が判らない
辞書作成者なんだと言うことで、非常に驚いた記憶があります。
ある時、ある人に、その話をしますと、
「だから、日本人で、朝鮮語の辞書を作らなくっちゃ」というものでした。
なんとなく、同感でした。
その後、韓国語は全然、上達せずでした。
これは メッセージ 1264 (bosintang さん)への返信です.
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李容九
投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2002/10/30 13:52 投稿番号: [1276 / 3669]
一進会長臣李容九等一百万会員二千万の臣民を代表し、誠恐誠惶頓首々々謹んで百拝して、大韓皇帝陛下に上言し奉る。
今我大韓国を以て之れを病人に擬せんに命脈の絶ゆるや已に久し。臣等の之れに呼号するは徒らに死屍を抱きて慟哭するのみ。
幸にして我の日本と本と同族に出づ、未だ枳橘の迥異を生ぜず、今相鬩ぐの未だ甚だしからざるに及び、廓然疆域を撤して痛く両隣の攀籬を戔除し、両民をして自由に一政教下に遊びて、均しく同居同治の福利を享けしめば、誰か弁ぜん、此れは兄にして此れは弟なることを。
矧んや、日本天皇陛下の至仁なる、其我が二千万同胞を化育して善く同等の民たらしめ給ふや必せり。
保護劣等国民の名実を蝉脱して、一超して新大合衆、世界一等民族の列に上らば、曇華始めて開き景星鳳凰相見ると謂ふべきなり。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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朴鉄柱
投稿者: us_999 投稿日時: 2002/10/26 09:53 投稿番号: [1275 / 3669]
朴鉄柱「日本が心という字に見える」
「ソウルから日本を眺めていると、日本が心という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、
心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の皇室を頂き、歴史に断絶がない。
それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくして見ることはできない。」
「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は、決して日本から
仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートを
つきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。「事態ここに至る。座して死を待つよりは、
戦って死すべし」というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、
日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争、この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、
アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を
持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのは
クラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、聖なる
戦争であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに
回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社
に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」
(平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所
昭和四十二年十月)
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任文桓5
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 21:58 投稿番号: [1274 / 3669]
「やがて外国に亡命していた独立志士達が,老齢の身を以て故国に帰り政権を掌握するに及んで,この老人達と国民の間の激しい断絶が,国の政治を限りなく悪化させるに及んで,バウトクは新しい戦いを開始せざるを得なかった。
このときの韓国民は,この老人達が国から亡命した三十年前の民衆とは質が変わっているのに,老人達にはこれを評価するだけの能力がなかった。日本体制のさむらいとしての日本人は,理のみに走って無性に冷酷であり且つ陰凶であったが,私人としての日本人は情にも流されることのある,勤勉で節約を信じ,団結を尊ぶ良き手本であった。これを,三六年間の日本統治を通じて,日本体制からではなく,日本人から学び取った韓国民の価値観は,旧韓末の黒い霧におおわれた世の中で,遊泳と策略のみに価値を認めていた時代と比べると,はるかに民族の充実に希望のもてるものに昇華していた。このすばらしい変化を見抜く能力を欠いた老人達の政治策略は,国民の価値観を後退低下させる危険性を含むものであった。
例えば李承晩博士は大統領就任演説の中で,財務部長官が国務総理よりも重要な地位であると明言して,国民の失笑を買ったのであるが,笑ってのみ済ませることではなかった。金を握っているものが最も大事であるという半世紀前の政治感覚で統治されるであろう国民は,その断絶に抵抗して初めのうちは戦うであろうが,疲れてくると,それに巻かれる可能性は十分にある。
バウトクは,団結・勤勉・節約という日本統治三六年間に培養された国民の価値観を守るために,戦いを展開せざるを得なかった。人生とは皮肉に充ちたものである。彼は日本体制の吏僚であった間じゅう,その体制の退却を願い,日本的なものを憎しみ通した。それが,日本が退却した今日になってからは,日本人から学んだ日本的な価値観を守り立てるために戦わなければならないのである」
反日の旗幟を鮮明にした李承晩も,独立後の人材難の中,植民地時代の官吏たちの協力を仰がざるをえなかった。任文桓は,独立後間もない時期に政府に登用され,農林部長官などを歴任した。
自伝の最終章には,60代になったバウトクの日常生活が綴られる。
激動の歴史を生き抜き,老境に至ってもなお日本への思いを断ち切れない任文桓。好天ならはるかに対馬が望める釜山に居を構え,海峡を隔てた日本の,韓国に比べて濃い緑に思いを馳せる。ホテルの経営者として悠々自適の生活を営みながら,夜には日本のテレビを楽しむ(釜山には電波が届く)。息子たちは,日本のテレビの影響で坂本九の「上を向いて歩こう」を上手に歌い,相撲取りの名前もたくさん知っている。
任文桓の文章を読んで,私は前に読んだ本の一節を思い出しました。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=99
これは メッセージ 1273 (bosintang さん)への返信です.
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任文桓4
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 21:54 投稿番号: [1273 / 3669]
その後,任文桓は新聞配達夫,人力車夫,牛乳配達夫と職を転々としながら予備校に通い,同志社中学への編入学試験に合格。ところが一学期の授業料が納められない。名前が掲示板に貼り出され,恥ずかしくて学校に行けずにいると,数日後,同胞学生が救いの手を差し伸べてくれた。バウトクの人生は,危機が訪れるたびに不思議と誰かが助けてくれる。二学期からは特待生となり授業料を免除され,また良い友や師にもめぐまれた。3年時の担任,原忠雄は特に彼に目をかけ,仕事の世話までしてくれる。医大教授の自宅の庭園と室内掃除夫である。これで,バウトクの生活は一息つく。高校入試のための時間的余裕を得ただけでなく,家の主人の紹介で後にバウトクを幾度も危機から救ってくれることになるさまざまな名士の知遇を得る。
その後,バウトクは東京帝国大学に進み,高等文官試験合格という,日本人も羨むエリートコースをひたはしり,1935年には故国朝鮮に赴任,38年には京畿道の郡守に着任する。
「一視同仁の新付日本人というのが,日本国における彼の身分であったが,これは体制上の言い分であって,その実は鮮人(賤人に通ず)と呼ばれるのが一般に通用するものであった。鮮人の中にも金持ちはいたので,その息子達の大勢が,文明開化を慕って日本に留学した。しかし鮮人の中にはもちろん,日本人の中にも,彼のような職業に従事しながら,彼のようなエリートコースを突き抜けた若者は,彼の周囲には一人も見当たらなかった。
新付日本人である朝鮮人のくせにこれができたのは,彼の努力もさることながら,日本人の援助によるものであった。体制にしいたげられながら,その体制に属する人達から恩顧をこうむった。こうした客観に取りまかれて,小骨を太らせた人間の日本に対する思い出と意識は,複雑にならざるを得ない。つまり愛憎がこんがらがって並存するのだ。(略)
日本の植民地となり,大日本帝国主義の大陸前進基地の役目を果たしていた故国朝鮮に帰り,日本体制の役人になった彼は,1935年から45年までのまる10年間を,深淵の上でのブランコ乗りとして,曲芸の世界で生き抜いた。というのは,日本体制は,その限りなき膨張のために,彼の同胞である植民地人に限りない犠牲と奉仕を追求した。この追求機関に属していた彼としては,同胞と自分に対する情愛から,その政治的自由を回復するために,彼にできる限りの曲芸を演じて,追求の手をゆるめる工夫をしなければならなかったのである。
ところが,1945年8月15日,彼の年齢が38歳に達した日から,事態はがらりと変わった。日本の無条件降伏を知って町にあふれ出た彼の同胞達が,到る所に群をなして,独立の歓喜に酔いしれている中で,彼は,親日民族反逆者の群の中の一人として,脱日本の世に圧され,罪を待つ身となった。日本体制の中にあって,生命がけの曲芸に挺身し,小さいものではあったが,同胞の利益を心がけた,と言ってみたところで,聴き入れられるご時勢ではなかったし,その事実を知っている人々の中からも,これを証言してくれるほどの勇気ある人間は,一人も出て来なかった。
挑戦に対する彼の生涯の応戦は,いつも一人ぼっちであった。やっとのことでそこを切り抜けはしたものの,日本体制の番犬であった人間としての,汚れた履歴書と,無節操漢としての烙印だけは,ついに切り捨てることができず,今日に至るまで彼の一生をますます苦しいものにした」
これは メッセージ 1272 (bosintang さん)への返信です.
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任文桓3
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 21:51 投稿番号: [1272 / 3669]
任文桓が京都から東京に向かおうとして1923年9月1日,突然,木造二階建てがきしみ始めた。関東大震災である。バウトクは東京行きを断念,京都のある工場で働き始める。そこにはすでに李という職工が働いていた。
まず,職場の人の呼び名を覚えることから始まった。旦那はん,おくさん,たいしょう(長男),ぼんぼん(次男),伊藤はん…,李どん,仙吉どん…。かんじんのバウトクは,「にん(任)どん」は呼びにくいから「じん(仁)どん」にしなはれ,というおかみさんの一言で,「じんどん」に決まる。
「彼の故郷では約束にたがえば,姓を変えるというくらいで,改姓は犬畜生にも劣ると見られる。(略)バウトクは顔を真っ赤にして,こんな意味の抗弁を述べてみたけれども,おくさんは「旦那はんのおくさんの命令は,きくもんや」の一言でどんぴしゃりであった。以来バウトクには,このおくさんが好きになれなかった。これ即ち,虐げられた少年の,挑戦に対する応戦の激流から湧き上がる感情のしぶきである。おくさんに,軽蔑など,いささかもないことを承知しながら,このしぶきを押さえられない」
このようにして始まった日本暮らしだが,主人の家族と従業員合わせて10人の下っぱとして,あらゆる雑用を命じられるがままにこなしつつも,意外にバウトクの精神は安定している。
「支配民族と被支配民族の対峙が,この工場にはないからだ。その証拠に,先任の李どんは,仙吉どんを完全に押さえているではないか。「仙吉,仙吉」で年は同年輩でも,余すところなくこき使っている。バウトクの故郷で,こんな生意気な鮮人が仮りにもあったら,なんらかの口実で直ちに監獄にぶち込まれよう。このような精神的満足に勇気付けられ,バウトクの両頬はりんごのようにふくれ上がり,今までの栄養不足による発育の遅れを取り返すかのように,日ごとに張り切っていった」
これは メッセージ 1271 (bosintang さん)への返信です.
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任文桓2
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 21:50 投稿番号: [1271 / 3669]
勉学への情熱を絶ちきれないバウトクは,1923年,故郷の友人と二人で日本に渡る。
次は,釜山から下関を経由して京都行きの列車の中の体験である。
「もとより予想していたことではあるが,こんなに多くの支配民族に取り囲まれてみると,おのずから二人の少年の心は不安になるのであった。二人は,仲間は二人だけだということを切々と意識しながら,おしのごとく黙って,ひたすらに恐縮していた。新付日本人(朝鮮人)の言葉で話し合っても,または下手な日本語で話し合うにしても周囲の支配民族から「鮮人奴(め)が」と,どなられるに決まっていると信じたからである。
いくら恐縮していても,お腹が空くのには勝てない。二人の少年は仕方なしに,開けてあった窓からプラットホームを売り歩いている駅弁を買い入れた。(略)
ふたを取った木箱の中には,白いお米の御飯が一杯詰めてあり,隅のほうにおかずが上品に盛られてあった。これくらいなら,いくら初めて見る日本の駅弁でも,十分に理解がいくところが,御飯の真ん中あたりに,杏(あんず)に似た果物が一個詰め込まれており,形は杏より少々小さく,色は杏の黄色に反し,鮮やかな朱紅である。一目見ただけで,ほれぼれするほど美味しそうだ。
バウトクはいきなり,これを口の中に入れて,杏を食べた時と同じ要領で,奥歯でやんわりと噛んだ。まさにその瞬間,かつて味わったことのない酸味がバウトクの全身に突っ走り,体全体が激しく震えだした。極端に驚き慌てた彼は,走っている汽車の窓から外に向かってこれを吐き捨て,引き続き口の中の唾液が悉く乾くまで,つばを吐き続けた。(略)
向こう側に座っていた支配民族のねんかみさん(老年の男性に対する尊称)とおかみさんが,バウトクのこの慌て振りを見て笑い出した。それからバウトクが窓から首を引っ込めるのを待って,「どこからどこへ行くのか」と問うた。それをきっかけに,バウトクを驚かした梅干しの説明から,彼の故郷の山河へと,話がはずんで行った。たどたどしい日本語でも,とにかく東京の標準語を勉強したのだから,相手に十分通じるようであった。
そのうちに,バウトクは意外な事実に感動し始めるのである。被統治民族である彼は,己に対する軽蔑については,それがいかに微細なものであっても,余すところなくそれを感得できる動物的本能を身につけていた。物心ついて以来,受け続けて来た日本人による差別扱いが,彼の動物的本能を肥培成熟させたのである。それゆえに,対等の人間として無理を強いられることは何とも思わないのだが,支配民族の軽蔑のこもった視線に出会うと,たとえそれが微かであっても激して,必ず仕返しを誓う彼になっていた。死ぬ前に,いつかは復讐して見せる,と物言えぬ心に誓うのが,新付日本人達の精一杯の反抗であったのだ。(略)
ところが,三等席の向かい側に座っているねんかみさんとおかみさんの体からは,軽蔑らしい陰翳すら見られない。バウトクが梅干しの失敗を演じたときも,二人の日本人は目から涙がこぼれるほど笑いはしたけれども,本当に可笑しいので,腹をかかえて笑いころげている人間の純真さが,バウトク自身をすらその笑いの中に引き込むほど,貴いものであった。日本人に接したかぎりにおいて,過去には体験を絶した明朗なものである。(略)
時がたつにつれて,車内にいる乗客へ全体が,向かい側に座っている二人の日本人と同じ人間であることがはっきりして来た。彼が小用のため通路を歩いて行っても,鮮人のくせに,生意気な,という眼光を投げかける人間など一人もいない。同じ日本人でありながら,錦山の町に流れついた日本人とは,まるで人種が違うかと思えるほどであった。(略)
この車内で発見した驚くべき世界は,バウトクのその後においても,ほぼ真実であった。と言うのも,この後も彼が日本にいるかぎり,たまに体制の仕打ちにより鮮人であることを思い知らされる以外に,日本人個人によって刺戟されることは絶えて稀であった。しかし,ひとたび郷里に帰ると,自然を除いたあらゆるものが,鮮人意識を燃え上がらせる燃料となった。その中でも,執拗な追打ちをかけるのが,警察と称する体制と,長いこと朝鮮に住みついた日本人ならびにその子孫どもであった」
これは メッセージ 1270 (bosintang さん)への返信です.
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任文桓1
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 21:48 投稿番号: [1270 / 3669]
任文桓の『愛と民族−ある韓国人の提言』(同成社,1975年)は,鄭大均が「植民地世代が残したもっとも劇的ですぐれた自叙伝」と高く評価し,その紹介にもっとも多いページ数を割いている。
以下に,その概略を紹介します。
任文桓は1907年,韓国併合以前の全羅北道錦山に生まれた。自伝では,まず併合初期,日本人と新付日本人(朝鮮人)の教育機会に大きな差があったことが語られる。入学条件の一つに頭を丸刈りにするというのがあり,兄はそれを拒んだために入学できず,一生を後悔したという。教育は無償ではなかったが学費は払わなくてもいくらでも待ってくれたこと,4学年の中に9歳から最高24歳までの雑多な生徒がいたこと,先生は日本人と朝鮮人が半々で二人の朝鮮人を除いて全員が腰に剣をぶらさげていたことなど,あまり知られていない事実が述べられていて興味深い。
教育機会は都会と田舎でも差別があった。田舎の普通学校は4年制,京城のような都会では6年制。田舎出のバウトク(任文桓の幼名)は,京城の高等普通学校(朝鮮人用)に進みたかったが,6年制の普通学校を出た都会の子には勝てず,かといって中学校は日本人専用。田舎には日本人用の尋常小学校(6年制)の上に付設高等小学校があったが,これも日本人専用で,がら空きなのに入れてくれない。バウトクはしかたなく簡易農業学校に進んだ。入ってみるとほとんど学校とはいえない。2年間に,教科書一巻,ノート一冊,鉛筆一本手にしたことがなく,教室もない。あるのは100坪の養蚕室と便所のみ。バウトクはひたすら養蚕の実習をさせられた。
これは メッセージ 1267 (bosintang さん)への返信です.
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恐れ入ります,犬鍋大兄
投稿者: grosser770 投稿日時: 2002/10/20 08:42 投稿番号: [1269 / 3669]
これは メッセージ 1268 (bosintang さん)への返信です.
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grosserさん、どうも
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 00:35 投稿番号: [1268 / 3669]
これは メッセージ 1263 (grosser770 さん)への返信です.
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咸錫憲『苦難の韓国民衆史』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 00:10 投稿番号: [1267 / 3669]
われわれがまず明らかにしなければならないことは,この解放が盗人のように不意に訪れたということだ。
解放後の腹立たしいこと,醜いざまは一つ二つではないが,その中でもほんとうに腹立たしいのは,この解放を盗もうとするやつらが多いことだ。彼らは,自分たちだけはこのことを早くからわかっていたと宣伝する。それは彼らがこの盗人のようにやってきた解放を,さも自分が送り込んだようにして盗もうとするためである。
それは嘘だ。もし彼らがあらがじめわかっていたなら,それほど先見の明があったなら,どうして八月十四日までへりくだって服従していたのか。その時一言でも予告して民衆を慰め,勇気をひきしめさせていたなら,いまになってことさら宣伝しなくても民衆は指導者としてお迎えしたことだろう。
そういうことはやめて率直になろう。
君も僕もみな知らなかったのだ。みんな眠っていたのだ。神社参拝しろといわれれば腰が折れんばかりに拝み,姓を改めろといわれると競い合って改め,時局講演といえばありったけの才能を傾けて語り,米英を罵倒し,転向しろといわれれば実にアッサリ転向し,よく見られようと聖書も直し,教会も売り,信用が得られるとなると四つん這いになり,犬の鳴き声もしてみせた。
この国の志士思想家・宗教家・教育者・知識人・文人に,また海外流浪何十年と格好はよいが,その実,互いに博士派・先生派・なになに派・なになに系・なになに団と,ハワイやサンフランシスコではアメリカ人の召使いをしながら勢力争いをし,重慶・南京ではとうもろこし粥をもらって食いながら地位争いをしていた人たちが,なにをあらかじめわかっていたというのか。思想はなんの思想で,政治はなんの政治運動をしたというのか。
この国が解放されるとあらかじめわかっていた人など一人もいないのだ。
咸錫憲『意味から見た韓国史』(日本語版『苦難の韓国民衆史』新教出版社,1980年)
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金素雲3
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 00:04 投稿番号: [1266 / 3669]
再び『こころの壁』より
釜山の街の屋台店で,私が日本語を使った。主人は半生を満州で暮らした六十がらみの老人,おかみさんは片言も韓国語を知らぬ日本婦人である。避難民でゴッタ返している動乱さ中のある日,親分とか,兄貴とかいわれる種類の,威勢のいい男が一人,この屋台店で私の日本語を聞き咎めて食ってかかった。
「お気に障ったかね」
私が穏やかにそういうと,その男は眼を怒らしながら昂然と言い放った。
「あっしゃあ日本に怨みがあるんでね」
「バカヤロウ!」と私が大喝した。
「どんな怨みか言ってみろ。お前の顔に書いてあるぞ,日本が旭日昇天の頃,尻っぽがチギレるほど振りましたと。どうだ。おれの占いは当たるだろ」
呆気にとられて「愛国者」は返事がない。シンから腹が立つと楽な口が利ける。私はつづけてエンゼツをぶった。
「怨みを知るほどの人間なら,敵が大怪我をしてブッ倒れたとき,土足で踏んづけるような真似はせんもんだ。相手の弱り目につけ込むような,そんな卑劣なヤツが,もともと怨みなど知るわけがないじゃないか。どうだ,〈敗戦日本〉を見下しながら仇呼ばわりをするのはいい気持ちだろ。なにしろ相手がピンピンしているときは尻っぽを振るので忙しかったからね」
何か犬のような呻き声を一つ残して,その勇ましいアニさんは屋台店から姿を消した。彼にも一片の廉恥はあったのである。(略)
間違っても私は日本びいきのせいで啖呵を切ったわけではない。そうした手軽な処方で愛国者がつくられてゆく自分の国の出鱈目さに腹が立ったのである。もとより日本を憎むに値する人の,正当な理由による憎しみを私はとやかくいうのではない。しかしながら真に怒りを知り,怨みを知る者は,敗戦日本を相手に旧債を取り立てることに汲々としないであろう。韓国にも韓国の良識はあってよいのである。
(金素雲『こころの壁』サイマル出版会,1981年)
これは メッセージ 1265 (bosintang さん)への返信です.
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金素雲2
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 00:03 投稿番号: [1265 / 3669]
これは,雑誌に発表した文章のようです。
数えて十五年になります。そのころ私は京城に住んでいて,たまたま東京へ旅行中でした。
ある日,宿である東京鉄道ホテルに東京駅から電話がかかりました。東京駅から私へ電話のかかる用事などは思い当たりません。誰か名前の似た人へ掛け違ったのではないかと危ぶみながら,私はその電話に出ました。
「実は,あなた様へ宛てられた電報が,こちらに配達されておりますが,あちこち問い合わせましたところ,そちらに御滞在ということで,それでお知らせするようなわけです。もう追っかけ二時間にもなるのですが――」
(略)私は恐縮しながらも電報と聞いては心が急いで,
「それはとんだ手数をおかけしました。申しかねますが,御面倒ついでに一つ電文を読んでいただけませんか」と,頼み言ったことでした。
「よろしいですとも,ちょっとお待ちになって――」
何かためらう気配が見えて四,五秒経ちました。
「いまお読みしますが――どうかお気を落とされませんように――,あまりいいお報せではないようですが――」
受話器を通して聞こえる打ち沈んだ憂わしげな声――,京城を発つ前に小さい男の子を入院させて来たばかりです。直感で,私には電文の内容が分かった気がしました。
「ありがとう,御心配要りませんから,どうぞ読み上げて下さい」
落ち着いたつもりでそうは答えたものの,その時,私の声は心持ち震えていたかもしれません。
電文はやはり想像の通りでした。入院中の男の子が息を引き取ったと報せてありました。
十年経ち,十五年経っても,私にはその日その鉄道職員の声を忘れることができません。他人の不幸,他人の悲しみを,そのまま自分のものとなすことのできる――その真情,その良識こそは,私が命をかけて,わが郷土,わが祖国に移し植えたいと願うところのものです。そのゆえに敢えて私は,日本の「善」を識ると自負するのです。
金素雲『中央公論』1951年11月号
これは メッセージ 1264 (bosintang さん)への返信です.
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金素雲1
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 00:02 投稿番号: [1264 / 3669]
次は,このトピックでも再三紹介してきた金素雲です。
私の生まれた牧の島(絶影島)と釜山の市街とは,いまは開閉式の鉄橋になっているが当時は八トンのポンポン蒸気が往復しながら人を運んでいた。ある日,その渡船の中で,私の前に腰掛けていた朝鮮の青年が一人(島でも指折りの知識人であるが――),靴履きのまま片脚を膝へのせたという理由で,同じ牧の島の米常商店という米屋の十八,九になる日本人の小僧から,「キタナイじゃないか,バカヤロー!」といいざま,下駄履きの足で蹴りつけられるという侮辱を受けた。
瞬間,真っ白なツルマキ(周衣)を着たその青年が,米常の小僧をつまみ上げて海に投げ込むものとばかり思ったが,それは物心づかぬ,まだ七つ八つの子供の計算で,当の青年はもとより,渡船に乗り合わせた朝鮮人の誰一人,この無法者を制裁する者がない。当人は憤りに顔を真っ赤にほてらしながらも黙ってうつむき,同船の白衣族は顔をそむけてあらぬ方へ目をやっている。面をまっすぐに向けているのは,乗り合わせた四,五人の日本人だけである。
米常の小僧を私は憎んだが,それにもまして私は同族のその不甲斐なさ,意気地なさを憎んだ。「大きくなったら,真っ先に憤る者になろう」――その日,小さい胸に刻まれたこの誓いは五十を目の前にした今日只今まで少しも変わるところがない。殺人強盗はゆるせても傲慢無礼はゆるせない――生きてゆく上に厄介千万な私のこの性格,損な気質は,根をたずねれば四十年前のある日,米常商店の小僧君から授かったものだ。
(金素雲『こころの壁』サイマル出版会,1981年)
これは メッセージ 1262 (bosintang さん)への返信です.
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拝啓 犬鍋大兄
投稿者: grosser770 投稿日時: 2002/10/19 23:47 投稿番号: [1263 / 3669]
初めまして,grosser770と申します.
大兄の投稿,常日頃より興味深く読ませていただいております.
鄭大均さんの著書の紹介ですか.
私も今年3月購入いたしましたが,著者の言葉どおり「第三章」は出色の出来栄えですな.
「李相琴」「任文恒」の登場を楽しみにしております.
果たして引用されるか?それもまた,楽しみに.
これは メッセージ 1259 (bosintang さん)への返信です.
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河瑾燦
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/19 23:35 投稿番号: [1262 / 3669]
次は,1931年生まれの作家,河瑾燦(ハ・グンチャン)の文章。
幼い頃,私が初めて見た映画は,日本のサムライ映画だった。国民学校一年の時だったから,今から五十年前のことである。もちろん日帝時代である。その頃は映画のことを「活動写真」と呼んでいたが,なるほど確かに動いている写真を見て,私は不思議でたまらなかった。その中に登場するサムライたちの姿も珍しかったし,特にチャンバラを繰り広げる場面は私を魅了してしまった。
映画を見た後,私はいつまでも「サムライ」たちとその剣術が忘れられなくて,一体そのような人たちが住んでいるところはどこだろうか,実際にそんな世界があるのだろうかと疑いに落ち込んだりもした。なぜなら,私ははその頃大邱に住んでいたが,私たちの大邱という都市では,そのような人たちを見かけることができなかったからだ。それが日本という国の歴史の中に登場する武士たちだということを知ったのは,何年か経ってからである。
私が初めて見た絵本も,やはり日本の「講談社の絵本」であった。「四十七士」という題名であったが,憤懣やるかたなく死んだ藩主の復讐を敢行する武士たちの話で,どれほど面白く,胸をドキドキさせたか。私はその絵本をランドセルの中に入れて学校へまで持ち歩き,一年に買ったものを,三,四年になるまで大切に保存しながら,遊びに来た友達に見せて,自慢したりした。(略)
私が初めて読んだ漫画もやはり日本の「ノラクロ」という漫画だった。動物を擬人化して日本軍――その頃は皇軍――の優秀性をそれとなく表した,そんな漫画だったが,それもやはり面白かった。その漫画を読みながら,私も早く大きくなってノラクロのような勇敢なヘイタイサンにならなければということまで考えた。それは三年生か四年生の時だったと思う。
それからまた,私が初めて読んだ小説もやはり日本の時代ものだった。「雲隠才蔵」という少年小説であったが,ご飯を食べるのも忘れるほどだった。「サムライ」小説の味を覚えた私は,吉川英治が書いた「宮本武蔵」全六巻を,国民学校六年の時読破した。それは父親の本箱に並んであった。
父親が転勤して,その頃は田舎に住んでいたが,私たちの村には国民学校が二つあった。一つはわれわれが通う学校で,もう一つは日本の子供たちが通う学校だった。私たちの学校は教室が十くらいあり,日本人の学校は教室といっても二つだけだった。学生数もわが校は六,七百名くらいいたが,日本人学校はせいぜい三十名ほどしかいなかった。それほど大きいわが校には,学級文庫というのがなく,図書館のようなものもなかった。学生たちのための本というものは,一冊も備えられていなかった。しかし,日本人学校には二つの教室の両方ともに数百冊もの本が並べられている大きな本箱が,一面の壁面をすっかり占めるようになっていた。大きなわが校と小さな日本人学校の奇妙な対照といわざるをえなかった。
河瑾燦『文芸』1988年夏季号
これは メッセージ 1261 (bosintang さん)への返信です.
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鮮于輝2
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/19 23:33 投稿番号: [1261 / 3669]
ある冬の休暇に家に帰ったところが,父は真夜中にひそかに私を起こした。できれば家族にも見られたくない素振りであった。
星空の庭におりたった父は,納屋からツルハシとシャベルをもってこさせて,私を裏の栗林までつれていった。そして栗の大木の地面を指さしながら一緒に穴を掘ろうといった。
私はすぐそれが何を意味するのかを察して,
「お父さんもこういうことをするんですか」
となじった。答えない父に私はおっかぶせた。
「お父さん,こういうことをしていいんですか」
すると父はいった。
「いいも悪いもない。今はそういっている場合じゃない」
それでも私はひるまなかった。学校で教わった通り行うのが善であり,その時の現実をあまり疑わなかった私である。
「お父さん,これは法にたがうことなんですよ」
その時,父の激しい言葉がかえって来た。
「法を守れば飢えて死ぬんだ。死んでまで守る法などあってたまるか」
そうまで激しい言葉を聞くとは露ほども思わなかった私は,さすがに驚いて二の句がつげなかった。
その時の父の脳裏には,骨身に沁むほど経験した李朝末の無法と,日本の戦争遂行のための無法が重なったに違いない。
その後,面書記とか警官が米供出の督促にくると父は普段の「善良な農民」にもどって見るも哀れな表現と卑屈な態度で,
「ナリニム(官吏に対する敬語),私には,他に米一粒残っていません。私は生涯一度も嘘をいったことのない人間です」
と九十度以上に頭を下げたのである。
私が,その父を見て戦慄すると同時に感じたのは,おしひしがれた人間の卑屈さの強度は,不敬さの強度と同じだということであった。
鮮于輝/司馬遼太郎他『日韓ソウルの友情』(中公文庫1988年)
息子と父の葛藤は,以前紹介した在日作家,金時鐘の文章を思い出させます。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&action=m&mid=968&mid=
これは メッセージ 1260 (bosintang さん)への返信です.
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鮮于輝1
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/19 23:31 投稿番号: [1260 / 3669]
まずは,小説家でもあり,「朝鮮日報」の主筆も歴任した鮮于輝(ソヌ・ヒ,1922年生まれ)の文章。
父は七十歳頃までも,米一俵位は,両手でもって軽くなげる位の体力をもった人であった。朝鮮人が中国人によって大量虐殺されたという,謀略的万宝山事件(1931年7月)の時は,激昂した人達に追い詰められて助けをもとめて来た山東出身の中国農民三十余名を家にかくまって,襲撃に来た人達と小川をはさんで渡り合い,遂に中国人農民を虐殺から救ったほどの父であったが,その父が生涯を通じて恐れたのは,実に日本人の警官であった。
一緒に歩いていたところ,急にかしこまった父が低く頭を下げるのを見てその相手が誰であるかを知っては,よく幻滅を感じたものである。ほとんどの場合それが若い日本人警官であったからである。
年頃になった私が「何も悪いことをしていないのに,そんなにまでへり下る必要がありますか」と問いただしたところ,父は泰然とした顔で,「人間というものは,巡査の恐ろしさを知らなくちゃ」と答えたのである。父の言葉に含まれた意味は「人間は法を守ることが大切だ」という遵法精神であったように思われるが,若い時分は,父のそういう態度が只只恥ずかしいだけであった。
そういう父の「善良性」がだんだん変わっていったのは,いわゆる満州事変,支那事変,大東亜戦争とますます戦争状態が甚だしくなったのと正比例する。
その原因は日常生活が実際におびやかされるようになったことと,韓国人としての伝統的生き方の基本がだんだんおかしくなって来たことによると思う。
太平洋戦争がすすむにつれて,父は,警官を恐れながらも,だんだん警官のいうことをきかなくなっていった。いわば法を守らなくなったのである。
これは メッセージ 1259 (bosintang さん)への返信です.
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鄭大均『韓国ナショナリズムの不幸』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/19 23:29 投稿番号: [1259 / 3669]
鄭大均『韓国ナショナリズムの不幸−なぜ抑制が働かないのか』(小学館文庫,2002
年)
第一章
日韓は歴史から自由であれ
第二章
韓国ナショナリズムの不幸
第三章
植民地時代と日本の友
この本の白眉は,植民地世代が残した文(その多くは現在絶版)の引用により構成される第三章。中公新書『日本のイメージ』に加筆されたものです。
植民地時代を実際に知る者が少なくなり,子,孫の世代による糾弾,謝罪の「田舎芝居」が繰り広げられるなか,植民地世代の肉声は貴重だと思います。
そのなかから,いくつかを,得意の無断引用でご紹介しましょう。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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昔から書籍文化不在の朝鮮
投稿者: onyanko 投稿日時: 2002/10/16 00:47 投稿番号: [1257 / 3669]
>言論統制もほとんどない今、出版社の怠慢かといえば、そうとも言い切れない。人口が日本の半分以下であるうえに、読書量が日本人の3分の1。6分の1ぐらいの市場規模だから、地味な本は売れない。売れない本は出せない。出版社の経営基盤は非常に弱いから、編集者の待遇も悪い。いい人材が集まらないから、良質の本が出ない。悪循環です。
これは昔からの朝鮮の悪弊ですね。
江戸時代の、将軍吉宗の1719年に来日した、申維翰『海游録』(東洋文庫)は、大坂の出版状況に驚きを示しています。
「そのなかに書林や書屋があり、膀をかかげて、曰く柳枝軒、玉樹堂などなど。古今百家の文籍を蓄え、またそれを復刻して販売し、貨に転じてこれを蓄える。中国の書、我が朝の諸賢の撰集も、あらざるはない。」と、出版が経済的に成り立っていることも記し、「大坂の書籍の盛んなること、じつに天下の壮観である。」と評しています。
付篇の『日本聞見雑録』には、「国内の書籍は、我が国から往ったものが百をもって数え、南京から海商たちが持って来るものが千をもって数える。古今の異書、百家の文集にして書肆で刊行されたものは、我が国に比べて十倍どころではない。」と、日本の出版文化の圧倒的な拡がりを記載しています。
清末から民国初にかけて活躍した中国人思想家・梁啓超は以下のように述べています。(崔基鎬・韓国加耶大学客員教授の自由7月号の論文より)
「両班は徒党を組んで私腹を肥やし、殺し合う。政治が何であるかも世界の大勢も知らない。事大主義で、親中、親露、親日と、そのつどころころと変わり、留学生が千人いても猟官運動に忙殺される以外には、社会がどうなろうとも、いっさい顧みることがない。新しい学校の一つも作らず、一冊の本さえも書かない。翻訳の一つもしない有様だ。」
これは メッセージ 1256 (bosintang さん)への返信です.
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韓国ヤフー
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/16 00:22 投稿番号: [1256 / 3669]
これは メッセージ 1252 (asian_waves さん)への返信です.
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あんたかて「アホ」やろ、
投稿者: aho_2nd_edition 投稿日時: 2002/10/15 16:40 投稿番号: [1255 / 3669]
うちかて「アホ」や。
ホナ、さいなら!!!
これは メッセージ 1254 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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ああ結構
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2002/10/15 16:35 投稿番号: [1254 / 3669]
世界一有名な阿呆とでも何でも好きなように呼ぶがいい。
>不公正な、独善的な、掲示板じゃ!
「手前勝手な思いこみに基づく誹謗中傷」を暴露されたら、逆恨みかい?
これは メッセージ 1253 (sennin_4012 さん)への返信です.
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>Am I AHO 1st ?
投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2002/10/15 16:28 投稿番号: [1253 / 3669]
Yes you are the most famous AHO(阿呆) in the world !!!
これは メッセージ 1251 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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本当に疲れますね。
投稿者: asian_waves 投稿日時: 2002/10/15 16:00 投稿番号: [1252 / 3669]
今はもう書けない韓国ヤフー、
懐かしいですね。
住民登録番号導入以前は僕もよく書き込んでました。
>実社会においてはしません。若い人は歴史について無知だから,こちらが疲れるだけ。
そうですね、僕も非常に疲れます(笑)。
韓国人(特に若者)って本当に何も知らないんですよね。(歪曲されていない)歴史のこと、日本のこと。
知らないくせに日本を悪く言いますよね。
社会全体において洗脳が行き届いているというか・・・・。
>歴史の議論はしばしば,永久に友情関係を壊しちゃうし
経験済みです。
過去に、僕もある386世代の韓国人男性と歴史や政治の議論をした後、段々と疎遠になっていきました。今では絶縁状態です。その人は従軍慰安婦の件で「日本人がいきなり村に来て若い娘をトラックでむりやり連れて行った」と信じて疑わない人でした。
>ネット上では,韓国ヤフーの山猫さんの作ったトピで韓国の若者と激しくやりあって,はらわたをひきずりだしてやるとか言われたり,検察に告発されたりしました(検察が相手にしてくれなかったらしくて事なきを得ましたが)。
具体的にどのような発言をなさったのですか?そこまで韓国人を激させたトピックとは?
これは メッセージ 1248 (bosintang さん)への返信です.
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議論?
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2002/10/15 15:49 投稿番号: [1251 / 3669]
>中央日報の翻訳掲示板「歴史討論掲示板」に時々投稿するが、韓国にとって都合の悪い投稿内容の記事は翻訳しなかったり、投稿できなかったりする。
単なる、無許可転載じゃないのか。
削除されて当然だな。
補身湯氏が、日本のヤフで日本語版で削除されている部分の翻訳文を公開するのとは違って、原著では当該部分は韓國語で載っているわけだな。
著者のキム・ワンソプ氏の許可もなく、ましてや猟奇的な18禁の文章をコメント抜きにコピペしただけの代物が、何の議論?
繰り返すが、管理人のしっかりした掲示板なら当然削除されるだろう。
これは メッセージ 1249 (sennin_4012 さん)への返信です.
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和夫の死
投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2002/10/15 14:13 投稿番号: [1250 / 3669]
これは メッセージ 1249 (sennin_4012 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1250.html
>歴史の議論
投稿者: sennin_4012 投稿日時: 2002/10/15 14:01 投稿番号: [1249 / 3669]
これは メッセージ 1248 (bosintang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1249.html
歴史の議論
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/15 13:28 投稿番号: [1248 / 3669]
>bosintang氏は韓国人と歴史について議論したりしますか?
実社会においてはしません。若い人は歴史について無知だから,こちらが疲れるだけ。
歴史の議論はしばしば,永久に友情関係を壊しちゃうし。
日帝時代を知る高齢者からその当時の話を聞いたり,なじみの焼肉やの主人から,ベトナム参戦時の話を聞いたりはしますが。
ネット上では,韓国ヤフーの山猫さんの作ったトピで韓国の若者と激しくやりあって,はらわたをひきずりだしてやるとか言われたり,検察に告発されたりしました(検察が相手にしてくれなかったらしくて事なきを得ましたが)。
今はもう書き込めませんね,韓国ヤフー。
これは メッセージ 1247 (asian_waves さん)への返信です.
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それなりの勢力を持つに至るでしょうか?
投稿者: asian_waves 投稿日時: 2002/10/15 12:25 投稿番号: [1247 / 3669]
日本の植民地支配を善悪というパターンで見るのではなく、多様な視点から検証していこうという動きが最近ぼちぼち出てきましたね。キムワンソプ氏しかりアンビョンジク氏しかり。
ただこのような勢力が韓国社会でどの程度受容されるか、それともそっけなく傍流として見過ごされるか、韓国社会の成熟度と客観性が試されるところでしょう。
僕は時に386世代や20代などの韓国人といろいろなトピックについて議論しますが、彼らはやはり反日洗脳教育のせいで視野が狭く一方的な視点からしか歴史的事実を見ることができません。「日本の植民地支配は悪」という概念が韓国人一般の議論の大前提にあって、全ての議論の出発点がそこにあり、それを基本に議論が展開していく傾向にあります。
歴史の事実を一つづつ様々な側面から多元的に検証していくという考え自体がないんですよね。韓国人の頭の中には日韓併合当時の東アジアの複雑な様々な国の利害がからんだ国際情勢や植民地下における一般庶民の普段の日常史が考慮に入れられることがないんです。このソウル大の教授が言うように「抵抗史観」の一点張りなんです。
ですから毎回同じようなパターンになってしまいますね。議論が感情的になってしまう事も多々あります。
親日派の件に関しても、韓国人とたまに議論しますが、紋切り型の意見しか言いません。「昔日本に国を売った売国奴」だと言うだけです。現在韓国の政界で親日派名簿の暴露合戦の応酬など非常に無益な政争が行われていますが、現在の価値観や視点で過去の歴史を判断する矛盾とその不誠実さに韓国人たちは気づいていません。
ですから毎回韓国人との議論において発展性がありません。
いつも同じことの繰り返しになってしまいます。
bosintang氏は韓国人と歴史について議論したりしますか?
これは メッセージ 1244 (bosintang さん)への返信です.
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「日帝を見る二分法的な認識」2
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/15 10:46 投稿番号: [1246 / 3669]
当時の生の具体的な眺望が必要
面白いことに,最近,脱植民主義研究では、民族と民族主義が本質的に抑圧的であって総体化する性向を持つ巨大ダム論と言う批判が提起されている。 民族主義は、その社会の「ブルジョアに属する男性」の規範であるにすぎず、 女性や下層農民、そして行李などを作って売る白丁のような疎外された人々は、民族主義について同じようには結びついていなかったという指摘である。果たして1920年代を生きた平凡な女性がその時代をどのように認知して評価したのか、われわれはほとんど知らないままだ。いま、彼らの生を具体的に覗く作業が必要だ。それがすんだあとに,われわれは初めて、日帝時代について、より包括的な判断を下すことができよう。
これは メッセージ 1245 (bosintang さん)への返信です.
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「日帝を見る二分法的な認識」1
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/15 10:46 投稿番号: [1245 / 3669]
朝鮮日報2002年10月11日
日帝を見る二分法的認識−朴枝香ソウル大教授-西洋史
帝国主義が最高潮に達した20世紀初頭、西洋のいくつかの強大国は、地球表面積の80%を植民地もしくは保護領の名で支配していた。大英帝国と言う名にふさわしく、イギリス一国だけでも全世界の人口と土地の4分の1を支配した。 これは、現在地球上に居住する人口の大多数が植民主義を経験した社会に住んでおり、彼らの生活の多くの部分が、あいかわらず植民支配が残した効果によって影響を受けていると言うことを意味する。
植民主義の二つの顔「文明と野蛮」
植民支配は、本質上、協力者を必要にする。 どんなに強力な武器を所持していたとしても、異邦人である支配者たちは、窮極的に少数であるから、統治のために必ず現地人たちの協力が必要になる。 現地人たちの中で,誰が協力者になったのだろうか?
その中には、個人的な栄達のために協調した人々ももちろんいたが、一部は、外国勢力の力を借りてでも自身の社会を近代の段階と引き上げることが急務だと信じた近代論者たちであった。 植民主義が「文明と野蛮」と言う構図を持って周辺部の社会に浸透したとき、祖国の近代化を渇望する知職人は、植民主義が伴った近代の理想に眩惑されるしかなかった。だからといって彼らが無計画に植民主義に協力したのではなかった。 彼らは「躊躇する協力者」たちであった。 彼らは近代性を一定部分受け入れながら、植民主義者たちを適切に利用し、統制することが可能だと信じた。 彼らの楽観的な理想は結局虚像であることが判明したが、当時の状況で、彼らはその道が最善であると考えたのだろう。
われわれの社会でも、親日派問題が、ともすれば政治的な脈絡で提起され、利用されている。しかし親日派として一括りに罵倒される人々の中には、間違いなく「躊躇する協力者」たちがいたはずだ。日帝時代の韓国人のうち一部が,自身と家族を犠牲にして独立闘争に献身する英雄的な生を生きたとすれば、 植民主義が携えてきた近代的、物質主義的な進展や恩恵に魅了され、日帝の支配をほめたたえた人々も確かにいた。 そしてこの両極端の間には、多様な政治的なスペクトルを見いだすことができる。 しかし、われわれの社会は、植民支配について多様な対応と立場があったことを認めようとしない。 われわれはこれではなければあれ式の、二分法的な認識に慣れており、日帝時代を眺める時もこのような視角が圧倒的である。
従属民たちがいかにして支配者たちを「憎悪しながら同時にそんなにも羨むことができようか」という問題が、反植民主義理論家であるアルベール・メンミによって提起されて以来,この問題は絶えず重要な争点であり続けた。 植民支配者を「憎みながら模倣する」従属民の揺れるイメージが、最近大きく認識されていることは、人間の生が現実的に内包する複合性を見過ごすまいとする努力の反映である。 このような多元的な視角で見れば、ある人物の生涯全体を眺望することなく、特定時期の行為だけを問題視することや、功は認めず過だけを強調することも正しい接近法になりえない。 たとえば春園・李光スの場合
は、 彼の初期の小説群が、この地のどれほど多くの若者の胸にあかりを灯したかを見過ごしたまま、親日行為のみを認識させては,彼を全体的に理解することはできない。さらにわれわれは、彼を親日派と簡単に見なしてしまったまま、彼がどんな思想的な軌跡を通じて民族主義から親日に至ったのかを、きちんと知らせるわけでもない。
これは メッセージ 1244 (bosintang さん)への返信です.
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朴枝香「日帝を見る二分法的な認識」
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/15 09:39 投稿番号: [1244 / 3669]
2002/10/14
(産経新聞朝刊)
日本統治協力「近代論者だった」
韓国ソウル大教授論評に注目
文明性評価など多元的研究訴え
韓国で最近、過去の日本による植民地時代を肯定的な面を含めて客観的に研究すべきだとする主張が登場しているが、今度は植民地支配に協力した人々について「(彼らは)外国勢力の力を借りてでも自分たちの社会を近代社会に引き上げることが急務だと信じていた近代論者だった」と、肯定的に評価するソウル大教授の論評が有力紙の朝鮮日報(十一日付)に掲載され注目されている。(黒田勝弘)
西洋史が専門の朴枝香教授の「日帝を見る二分法的な認識」と題された寄稿文で、同教授は韓国社会が過去の日本支配の歴史について、一部の反日独立闘争への称賛と親日派に対する糾弾という極端な「二分法」で見てきたことを批判。植民地支配の近代性や文明性に対する評価など複雑、多様な側面を認め、多元的な視覚で研究すべきだとしている。
これは先ごろ安秉稷ソウル大教授(西洋史専攻)が「韓国歴史学会創立五十周年記念国際会議」で発表した論文で「歴史記述は明暗織り成す歴史の両面性、多様性に留意し均衡感覚を持つべきだ。日帝治下の韓国人の生活に表れた肯定的な面は無視してはならない」などと主張したことに続くものだ。
これは日本統治時代を全否定でしか考えない韓国における民族主義的な歴史研究の現状を厳しく批判したもので、日本で翻訳出版され話題の「親日派のための弁明」(金完燮氏著)の内容とも一脈通じるところがある。
朴教授は植民地支配について「文明と野蛮」「憎しみと羨望(せんぼう)」といった両面性を指摘し、さらに韓国で戦後、糾弾され、今なお非難の対象になっている「親日派知識人」についても対日協力という「過ち」ばかり強調する見方を批判し、近代化への寄与など「功績」も認めるべきだと主張している。
朴教授は女性だが、民族主義は男性中心のもので女性や下層農民など疎外された人々とは関係がないとしたうえで、日本統治時代について「その時代の平凡な女性たちがどのように生き、どのようにその時代を評価したか具体的に知る作業が必要だ」とも述べている。
同教授は結論で「日帝時代に関するより包括的な判断」の必要性を強調している。これは日本支配に対する抵抗闘争を中心に描かれている現在の反日的歴史観への間接的な批判だが、日韓近代史を扱う学者の間にはまだこうした自己批判の動きは表面化していない。
原文はここ。
http://www.chosun.com/w21data/html/news/200210/200210100395.html
これは メッセージ 1234 (bosintang さん)への返信です.
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鄭銀淑『馬を食べる日本人、犬を…
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/14 18:29 投稿番号: [1243 / 3669]
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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朝鮮同胞に対する内地人反省資録
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2002/10/10 14:46 投稿番号: [1242 / 3669]
逆さに見ると面白い。
若い頃、日本人の悪たれ共に酷いことをしたことを反省せねば。
これは メッセージ 1241 (sarushimanodon さん)への返信です.
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在日は植民者では無い
投稿者: sarushimanodon 投稿日時: 2002/10/10 14:27 投稿番号: [1241 / 3669]
ドサクサ紛れに入り込んだ侵略者だ、それも本国人の使い捨て。
>昔の事をグダグダ言っても
コレコレ、それを言っていたのはアンサンだろ。
一番阿呆師匠、得意の摩り替え勉強させて貰いました。
これは メッセージ 1238 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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