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甘粕

投稿者: saru_timbanco2000gt_turbo 投稿日時: 2003/02/17 12:34 投稿番号: [1360 / 3669]
うーん、今まで抱いていたイメージと全然違った。
また新たな発見ができました。
皆さんに感謝です。

re>ムルデカみました

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/02/17 08:55 投稿番号: [1359 / 3669]
インドネシアカテでも、嘘っぱちだと言う左翼系がいましたが、何人かの経験者にきくと、誇張はそれ程無い、といっていました。この映画に付いてはある自称映画評論家とメールを通じて論争しました。

あの島崎中尉のバンドン要塞一人乗り込みは、まったくの実話なんですね。実名は柳川中尉というそうですが。

以下、相手のメールの一部です。・・に人名が入ります。

映画瓦版の・・です。

>> 韓国カテでもインドネシアカテでも面白いという人のほうが多
>> かった。私はムルデカは活劇だと思っているし、映画なんてそ
>> んなもんじゃない?

もちろん僕も『ムルデカ』を活劇映画だと思っています。その上で、
この映画をつまらないと言っているのです。岡本喜八の『独立愚連
隊』に比べてどうでしょう。スピルバーグの『プライベート・ライ
アン』に比べてどうでしょう。『ムルデカ』の馬鹿馬鹿しさやスト
ーリーの安直さは、『パール・ハーバー』とどっこいですし、演出
のつたなさに至っては映画学校の生徒が作る卒業制作以下です。

僕は『ムルデカ』が「インドネシアの独立戦争に関わった日本兵」
というモチーフを映画化したことだけは「面白い」と思いましたが、
映画作品としてはまったく観るに耐えない駄作だと断言できます。
これは「歴史認識」云々とはまったく無関係なのです。素材はよく
ても、それを料理する人の腕が悪すぎます。

もっともこのようなことを言っても、5年に1度しか映画を観ない
人にはまったくわからない話でしょう。そもそも映画に「完成度」
など求めないのかもしれませんけれど……。

アメリカ映画『コレリ大尉のマンドリン』はまだビデオになってい
ませんが、『ムルデカ』とほぼ同じような素材を映画化しています。
第二次大戦中ギリシャに駐留したイタリア軍が、イタリア敗戦後も
母国に戻ることなくドイツ軍と戦って大勢が死んだという実話の映
画化です。僕は『コレリ大尉〜』が特別素晴らしい映画だとも思い
ませんが、『ムルデカ』で僕が感じた不満点はすべて解消されてい
ます。機会があったら、ふたつの映画を比較してみることをお薦め
します。活劇やメロドラマはかくあるべし、という見本です。

もちろんどんな駄作でも、それを面白いと思う人はいるでしょう。
『千年の恋/ひかる源氏物語』だろうが『ソウル』だろうが、それ
を面白がる人はいるわけですからね。『ムルデカ』を面白がるのも、
どうぞご勝手にとしか言えません。



しつこいようですが・・です。

>> 観てもらうというのは物理的に多くのひとが映画館にくるとい
>> うことでなくて、言いたいことを理解するということですね。

観客不在の映画は作っても無意味だと思いますが……。映画を作る
には大金がかかります。大勢の人がその仕事に関わります。作った
からにはそれを誰かに観てもらわなければなりません。より多くの
人が映画館に来ることを望まない映画が、いったいどこにあるので
しょうか?

>> 「見て」感動したという人が多かったとおもうけど。大多数の
>> 日本人とはいえないと思う。その大多数はただ単に歴史的な事
>> 実さえ知らない人が多いんじゃないかな。何度も言う韓国カテ
>> で、ここにきて初めて歴史を知ったという若い人たちが多かっ
>> たけど。

あなたのおっしゃる「感動したという人」はいったいどこにいるの
でしょうか?   少なくとも僕の周囲の映画ファンで、あの映画に感
動したという人は皆無です。韓国カテだか何だか知りませんが、僕
はそんなところに興味がないので知りません。あなたが参加してい
るごく小さなコミュニティの中でたまたま『ムルデカ』が評価され
ているように見えたからといって、なぜそれを映画を観た観客一般
にまで敷衍して語れるのでしょう。

そもそも『ムルデカ』はあまり観られていない映画です。『ムルデ
カ』の興収は公式発表で5億5千万円です。これは同じ東宝系で公
開された『クレヨンしんちゃん』の3分の1、『ドラえもん』の6
分の1、『ポケモン』の7分の1、『千と千尋の神隠し』の55分
の1です。これが現在の日本映画界の姿です。この中で『ムルデカ』
に感動した人が「多かった」と言えるでしょうか?

『ムルデカ』を製作した人たちは、その前に『プライド/運命の瞬
間(とき)』という東京裁判の映画を作っています。その時の配収
は11億ですから、『ムルデカ』の4倍ほどは入場者があった計算
になります。(配収は興収の約半分だと考えます。)

>ムルデカみました

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/17 08:40 投稿番号: [1358 / 3669]
レンタルビデオです、感動しましたね。
20世紀に日本世界を相手に歩んだ歴史の評価に賛否が分かれても良いのですが、
否=ばかりで、賛=がない、そんな偏った見方しか出来ない社会は可笑しいと思います。

人材派遣会社の人が言ってましたが

インドネシアの人々は礼儀が正しくて指示に良く従うし勤勉だし
古いタイプの日本人青年を見るようだ。
もし採用するならインドネシアの研修生をお勧めしますと言ってました。

実際、近所の同業の工場に数名働いてますが
とても、勤勉に仕事をする様子を見かけます。

Ж Kojo

yakurutoさんとはニアミスが

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/02/17 07:06 投稿番号: [1357 / 3669]
おおいですね。

今日は早起きです。
これからジョッギングです。

まじですか?

投稿者: yakuruto1 投稿日時: 2003/02/17 06:52 投稿番号: [1356 / 3669]
もしかして同じ回だったかも(笑)
あそこは全席指定だから客が少なくてもみんな真ん中に集中して座ってるのがなんか滑稽でした(笑)
私は池袋に遊びに行く時には都電で東池袋まで出てましたよ。
池袋で遊んでサンシャインの西友で買い物して帰るというパターンが多かったな。
都電の周辺は古い街並も残ってるみたいですね。

私もそこでムルデカみました

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/02/17 06:39 投稿番号: [1355 / 3669]
アムールトラのいた反対側のところですね。

3回ほどインドネシア語の練習を兼ねてみたのですが、ま、インドシア語は映画用ですから簡単で、全部わかりましたが。

これや、その他のテーマでインドネシアカテでsuzuなる人間と最近論争しましたが.(別HNで)

文芸座のほか、作家三角寛の経営するものに人生座も近くにあったそうですね。大学の一年のころ短期間東池袋に住んでました。サンシャインをちょっと都電方面に行くとバブル後の開発失敗で虫食い状態ですね。昔住んでいたアパートもわからなくなってました。

池袋の映画館は

投稿者: yakuruto1 投稿日時: 2003/02/17 05:57 投稿番号: [1354 / 3669]
サンシャイン通りの映画館しか行った事ないなあ。
二年くらい前に新しくシネコンができて、そこで「ムルデカ」見ました。
HPで見たら文芸座は東口の風俗街の近くにあるんですね。
あの辺はあんまり行かなかったので文芸座があるなんて知らなかったですね。
老舗で有名だから名前は知ってたけど。
ちなみに「プルサガリ」はレンタルビデオで見ましたよ。

>インターネット古書販売

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/16 14:14 投稿番号: [1353 / 3669]
kurukuruchokiさん、ありがとうございます

>古書ネット通販「紫式部」
http://www.murasakishikibu.co.jp/oldbook/

これは凄いです、古書好きとしてはお宝発見です。

「甘粕大尉」さっそく注文です。

そのほかにも、読みたい・探したい・手に入れたい書物は山ほどあるんです^^

また、教えてください。

Ж Kojo

インターネット古書販売

投稿者: kurukuruchoki 投稿日時: 2003/02/16 10:24 投稿番号: [1352 / 3669]
>ところで、古本をネット検索する方法って無い物でしょうか

角田房子の「甘粕大尉」(中公文庫)を二冊ほど見つけました。
ココは「現代用語の基礎知識」にも紹介されていると自慢しているところです。
(スーパー源氏というところで、検索してみてください)

でもインターネット古書販売は、当然のことながら古書を手にとっては見れず
当たり外れが分からないので、購入の際は そこら辺を考慮して下さい。

私も利用したことがありますが、一冊はケース付の見事な上製本だったのですが、
もう一冊はブックレットだったせいか「日焼け」が凄かったです(安かったから 納得しましたが)。

古書ネット通販「紫式部」
http://www.murasakishikibu.co.jp/oldbook/


古城さんの文芸座の話はいいですね。
私の父親から聞く若い頃の池袋の話しは、ビックリガード付近に売春婦がいたとか、
伊藤ゆかりがジャズ喫茶で歌っていて、それを先輩と見に行ったとかそんなところです(笑)。

池袋といえば、先週の日曜日に西武のイルムス館で「江戸川乱歩展」を見に行ってきました。
四十回以上もの引越し魔であった乱歩も、池袋は終の棲家にしたところ。

出口付近で乱歩の資料を売っているのですが、来場者の購買力は凄まじい。
ある中年男性なんか数万円も買い込んでいるんですが、それを横目に
私は1700円の公式ガイドブックを一冊手に入れただけです…。

やはり、本や資料の蒐集とは、触手が伸びたときに手に入れなくては駄目ですかね。
以前は、共産党系の出版社が出した「三十八度線の北」という北朝鮮「マンセー」の本を
見かけたのですが、「拉致問題」がクローズアップされてから見かけなくなりました。

この本がきっかけとなって、北に帰還した在日も多い。
共産党が買い占めていたりして。

うつし夜は夢、夜の夢こそまこと

「プルサガリ」。。。うん見たかった

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/16 02:17 投稿番号: [1351 / 3669]
東京・池袋に文芸座ってのが有ってね

Kojoが恋人の居ない時代にオールナイトで明け方まで時間を潰したんです

   明け方に文芸座を出た四辻にオカマのお姉さんが
   「お兄さん、映画見たの〜遊びに行こうよ〜」なんて近づいて来る^^;時代だった

文芸座は経営不振で閉めたのですが。。。その跡を

なんと。。。マルハンが買い取ったのです

ああ、此処は在日のパチンコ屋になるのか。。。

でも、あのパチンコ屋。。。ちゃんんと四階?に文芸座を復活したではないか。。。見直した

エレベーターは前も後もドアがあるんです、五階はになると後のドアが開いて事務室になるんだって
従業員も「おれ応募に来た時はビックリした〜」なんて言ってた。

時々、映画特集なんてのもやってるようで

怪獣映画特集で「プルサガリ」も予定に入ってました

仕事の都合で見れなかったのが残念だった。。。でも、映画より仕事、仕事より愛する家族だから^0^

韓国映画は

投稿者: yakurut1 投稿日時: 2003/02/16 01:55 投稿番号: [1350 / 3669]
「シュリ」と「ユリョン」しか見たことないです。
あと北朝鮮映画の「プルサガリ」っていう怪獣映画も見たな。

ところで韓国映画「2009ロストメモリーズ」

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/16 01:50 投稿番号: [1349 / 3669]
みなさん見ましたか。

韓国人が作った映画としては。。。良く作ったと思うし、
内容が重いところが好きになりました
相変わらず韓国アクション映画のムダ弾撃ちすぎは。。。ね

皆さんの感想は如何ですか

ネット情報によると、日本でも公開されるようですが。。。ヒットするかな?

Ж Kojo

   トピずれですが。。。たまにはババン〜ト韓国映画の話題を^^

甘粕は

投稿者: yakurut1 投稿日時: 2003/02/16 01:35 投稿番号: [1348 / 3669]
東條と仲がよかったみたいですね。
士官学校時代の教官と生徒だったかな。
幸せかどうか分からないがやっぱ軍人を続けたかたんじゃないでしょうかね。
怪我がなかったら憲兵になる必要も無かったのだから。

>甘粕は

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/16 01:27 投稿番号: [1347 / 3669]
>経営者としての手腕は抜群だったみたいですね

そうなんですよ「自分は何か」なかなか判らない物なんです

何時だったかな、甘粕が満州時代のスナップ写真が(「フライデー」みたいな)雑誌に載っていた事がありました

もと軍人か〜?と思うくらいにリックスした写真でした

彼は、軍人辞めてからの時代は幸せだったのでしょうか?

田山花袋なども陸軍士官学校を目指していた、その当時すでに予備校があったそうです。
中島敦は現役の軍人をやっていて、それの経験による作品もあります。。。でも、彼って本当に軍人する性格だったのかな?

時代の雰囲気、空気でしょうね。。。それと、軍人になれば食いぱぐれなしだったから

Ж Kojo

甘粕は

投稿者: yakuruto1 投稿日時: 2003/02/16 01:06 投稿番号: [1346 / 3669]
経営者としての手腕は抜群だったみたいですね。
福利厚生も充実させて満映の社員にも人気があったとか。

中公文庫文庫も

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/02/16 00:52 投稿番号: [1345 / 3669]
絶版ですか。

古書会館の頁でもヒットしないようですね。ま、古書とはいえないかもしれませんが。

機会があれば神保町の古本屋街などで見つかる可能性もありますね。

>>甘粕大尉 角田房子著 中公文庫

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/16 00:20 投稿番号: [1344 / 3669]
残念ながら、79年に絶版になったようです

ちょっと残念です。

>3人虐殺は甘粕の仕業ではなく、部下のやったことを甘粕が責任をとったものだ

上司であるなら、責任は当然でしょう

でも、彼が自らは「黙して語らず」なら、武士道にのっとり天晴れと思いますね

昨今、不祥事の責任を部下に押し付け自らはしらっぱくれてる

ああ、どうしてこんな世の中になったのでしょう

ところで、古本をネット検索する方法って無い物でしょうか

絶版となると、逆に読みたくなる^^

Ж Kojo

>甘粕大尉 角田房子著 中公文庫

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/02/15 10:16 投稿番号: [1343 / 3669]
>勿論、甘粕による大杉虐殺はトンでもない事件としても
偏った評価ばかりでなく別な角度から知りたい人物の一人です。

読む前に結論をいって、もうしわけないですが、角田房子の結論は、3人虐殺は甘粕の仕業ではなく、部下のやったことを甘粕が責任をとったものだということだったと記憶してますが。甘粕を知る人間はみな甘粕はそんなことをやる人間ではないといっているみたいです。

かなりまえ、読売にこれを裏付ける資料がでたのですが、切抜きをわすれました。

甘粕大尉 角田房子著 中公文庫

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/15 08:09 投稿番号: [1342 / 3669]
これは、いつもながら赤城さん^^有り難うございます

早速本屋に注文出します。
私が、甘粕大尉を知ったのは、左翼系の本でしたね
   (なにしろ、学生や若者が多少でも左でないとバカだ、なんて雰囲気のある時代でしたから
    時代の、空気ってのは恐ろしい物です)
例のあれですよ・・・だから極悪人ってやつです

次に甘粕を知ったのは、李香蘭のドキュメントのテレビ
彼は、満州映画会社に関係した
ここで、甘粕が出てきてびっくり仰天でした

またヤングジャンプだったけ「龍(ロン)」??
なる、漫画にも甘粕が出てきていた。。。よね確か^^

勿論、甘粕による大杉虐殺はトンでもない事件としても
偏った評価ばかりでなく別な角度から知りたい人物の一人です。

Ж Kojo



(1)甘粕大尉   角田房子著   中公文庫

現在、もっとも手に入りやすいと思われる甘粕関係の本。

甘粕のあまり知られていなかった、満州での能史としての活躍を知らしめた

功績は大きい。非常に読みやすく、何より感情移入のしやすい良い本。

森繁は

投稿者: yakuruto1 投稿日時: 2003/02/15 01:29 投稿番号: [1341 / 3669]
勝手に甘粕のツケで酒を飲んでたらしいですよ(笑)

>森繁は甘粕についても

投稿者: tabi_ha_matazure 投稿日時: 2003/02/15 01:26 投稿番号: [1340 / 3669]
森繁久弥は甘粕大尉について、かなり以前ですが、日経新聞の「私に履歴書」で書いていたように思います。「私の履歴書」をまとめた本がありますので、読めると思います。

森繁は甘粕についても

投稿者: shinkuuboakagi00 投稿日時: 2003/02/15 00:03 投稿番号: [1339 / 3669]
語ってますね。

http://homepage2.nifty.com/tanizoko/amakasu.html

saru_さん、難しいところですね

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/14 23:59 投稿番号: [1338 / 3669]
>当時の日韓関係が隷属関係ではなかった事がさり気なく感じられました。

いまじゃ、日本を代表する俳優森繁さんですから
お若い時代も、崔承喜さんのように才能にあふれた人を心から尊敬できたと思います。

山本七平著作「洪思翊中将の処刑」
朝鮮系日本陸軍中将が戦犯として処刑されるまでを書いた物がありありますが

その中に
(旧軍隊において)
「公式に(差別)はない。しかし実情は、一言で言えば、人による」
と彼は短く答えた。これは差別という問題における簡単で明確な答えであろう。(31ページ)

ほんとうに、そう思います。。。「人による」

Ж Kojo

テレビ見ました

投稿者: saru_timbanco2000gt_turbo 投稿日時: 2003/02/12 21:46 投稿番号: [1337 / 3669]
若き日の森繁が付き人というか、世話係を担当してたそうで。
彼女の事を確か「先生」と呼んでたし、当時「〜〜しても宜しいでしょうか?」などと敬語・丁寧語で話し掛けてたようなので、
当時の日韓関係が隷属関係ではなかった事がさり気なく感じられました。

以前テレビじゃ、北朝鮮で殺された

投稿者: shinkuuboakagi00 投稿日時: 2003/02/12 20:47 投稿番号: [1336 / 3669]
などというのもやっていたが。

利用価値が出たと思って『名誉回復』?

「半島の歌姫・崔承喜」69年に死去

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/12 20:35 投稿番号: [1335 / 3669]
朝鮮中央テレビ放送、崔承喜さん、烈士陵安置

【ソウル=白川義和】
11日のラジオプレスによると、北朝鮮の朝鮮中央テレビは9日、戦前の日本で「半島の歌姫」とうたわれた朝鮮出身の舞踏家、崔承喜さんの遺体が、平壤の「愛国烈士陵」に安置される模様を伝えた。墓誌には「舞踏家同盟中央委員長」「人民俳優」の肩書きと共に、「1969年8月8日と、記されていた。

崔さんは1911年、日本の植民地支配下にあったソウルで生まれ、前衛舞踏家の石井獏に師事し、渡日。朝鮮民族の伝統舞踊をモダンダンスを融合した創作舞踊で世界的名声を博し、日本名を拒むなど民族色も強く打ち出した。戦後は故郷のソウルに戻ったが、「親日派」として糾弾され、北朝鮮に渡った。当初は人民俳優の称号を受け、北京やモスクワで公演をするなど北朝鮮で歓待を受けたが、夫の失脚が伝えられた後、67年から消息を絶ち、粛清説も出ていた。

2000年には崔さんの足跡を追ったドキュメンタリー映画「伝説の歌姫」が公開されるなど、日本でも数奇な人生に関心が高かった。

愛国烈士陵は北朝鮮の英雄が安置される墓地であることから、異例の報道は、崔さんの34年ぶりの名誉回復である可能性が高い。

(読売新聞2003年2月12日)

推薦のことば

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/02/12 12:01 投稿番号: [1334 / 3669]
  妓生の歴史が,一異邦人の目で復元されて,本場であるこの地に帰ってきた。日本の著名な文芸評論家かつ法政大学教授である川村は,この本において,古代から近代にいたるまでの妓生と,近代以後の妓生,そして昔の妓生とは違う意味合いの現代版キーセンの文化と歴史を,じっくりと掘り下げている。彼はまた,膨大な歴史的史料,資料をもとに几帳面かつ注意深く,妓生を植民地主義とセクシュアリズムおよびその歪曲によって形成された特殊な文化として,解剖した。
  わが国の文化と歴史をわれわれ自身が研究し究明できなかったことは,面目ないし残念なことだ。ここに著者の出身の限界,特に侵略を恣にした植民主義日本の目でわれわれの文化と歴史を見ているのではないかという疑いも,また拭いさることができない。妓生と公娼を連続線上におき,そのような面において高麗時代から現在のキーセンまで,その有用性にまるで違いがないというのは,著者も「韓国語版刊行に寄せて」で言及したように誤解と曲解による短見ではないかと思う。
  しかし,この本の随所には,著者の卓越した識見と韓国に対する愛情のこもった視線でなければ見いだせない,わが国の歴史の陰影が,整然とした論理で螺鈿を刻むかのように展開されている。教養書としてのみならず,われわれ自身を振り返る契機としても重要な本になるだろう。

李文烈

>妓生と公娼を連続線上におき,そのような面において高麗時代から現在のキーセンまで,その有用性にまるで違いがないというのは,著者も「韓国語版刊行に寄せて」で言及したように誤解と曲解による短見ではないかと思う。

韓国人の中には,「妓生」が「公娼化」したのは,日帝時代の公娼制導入のあとであって,朝鮮時代の妓生は,「芸は売っても身は売らず」だった,と信じたいという願望による思い込みがあるけれど,李文烈も例外ではないみたい。黄真伊,論介の逸話や春香伝などの創作で,朝鮮時代の妓生は美化されてるからね。

訳者後記(抄訳)

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/02/12 12:01 投稿番号: [1333 / 3669]
  川村教授が「韓国語版発刊によせて」で明らかにしたように,私もこの本を読みながら,彼がアメリカの女性社会学者の書いた『芸者』を読んで感じた恥ずかしさと腹立ちを,同じように感じないわけにはいかなかった。いや,川村教授が感じた若干の恥ずかしさと腹立ちより,もっと強い羞恥心を感じた。
  まず「妓生」という存在が,けっしてわが国の誇らしい文化ではないという,そのような認識のために,いまだ誰も,学問的であれ,社会現象としてであれ,まともな研究がなかったということだ。まさにこれを,日本人学者が,植民地時代の日本の知識人たちの植民史観意識を鋭く抉りだしたという事実に,私は強い自傀の気持ちを抱いた。韓国人が研究し発表すべき事柄が,日本人教授によって書かれたという事実が,何よりも限りなく恥ずかしかった。
  しかし,一方ではいくばくかの安心もした。なぜなら,「妓生」という存在が,ややもすれば興味本位に流れたり,一方的に貶められやすいテーマだったからだ。さらに言えば,日本人が認識している「妓生」のイメージとは,70年代の「キーセン観光」程度であり,日本人によって「妓生」の話が書かれるということは,いろいろな面で危険性が内包されていた。
  けれども川村教授が書いた『妓生』は,このような憂慮をきれいさっぱり洗い流してしまった。
(中略)
  このような点で,『妓生』の韓国語版出版は,韓国読者たちに,驚き,反省,刺激など,たくさんのことを考えさせてくれる本になるだろう。われわれのもの,われわれの文化に対するわれわれの無関心,無知,無視などが,いかにわれわれの姿を貧弱にしているか,この本が赤裸々に感じさせてくれるだろう。

柳在順

韓国語版に発刊に寄せて

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/02/12 12:00 投稿番号: [1332 / 3669]
  この本の完成までの詳しい経緯は省き,この本が,日本人読者を対象に韓国の「妓生」の存在を大まかに紹介する目的で書かれたということを,もう一度確認しておきたい。
  数年前,アメリカの書店で,英語で書かれた「ゲイシャ」という本を見つけ,買ったことがある。アメリカの女性社会学者が日本の「ゲイシャ」を調査,研究し,その歴史,社会生活,さらに実際の芸者が生活するところに体験入門したことを,社会学的な学術書として出版した本だった。
  そのとき私は,芸者の本場である日本においてさえ「芸者」についてこのように詳細に研究した本がないということに,日本人として多少の恥ずかしさと腹立ちをおぼえた(これはいささか国粋主義的,感情的な反応だったと,今になって思っているが)。
  本書を手に取った韓国人の読者も,やはりそのときの私のような恥ずかしさと軽い腹立ちを感じるかもしれない。
  さほど名誉と思えない自分の国の「歴史・文化」が,外国人によって書かれたという二律背反的なつらさ,そして当然なことだが,そこには,いくら注意しても残るほかない無知,誤解,曲解による「誤り」が,著者である私が感じているより以上に多く存在しているだろうからだ。
  本文でも述べたように,私が「妓生」の歴史を調べてみたところ,参考になる先行文献は李能和の『朝鮮解語花史』という本しかなかった。それも漢文調の文章で,読むだけでも難しく,正確に理解できているか,今も自信がない。無知や誤解については,読者の是正を望みたい。
  「文化誌」「文化史」または「社会史」として「妓生」の存在が研究され,書かれるべきだと思うが,現在まで韓国の学問世界では,どうしても時期尚早のようだ。
  日本人の読者のために,特にその中でも日本の植民地文化研究の一端として「妓生」が書かれるべきではないか。それを私自身がしてみようと考えたのは,はや5,6年前のことであり,どこまでも「本場」韓国における「妓生研究」の補助的な意味合いだった。
  幸い,絵はがき,写真帳などの視覚資料も少ないながら手に入ったため,それを紹介するのも,今後の研究の糸口,または刺激になると思ったのだ。
  妓生をテーマにすること自体,多少不真面目に映るかもしれないが,私はただ,読んで面白い本であることを切に願うだけだ。
  最後に,柳在順氏をふくむ翻訳スタッフ,ソダム出版社のみなさんに感謝する。
  韓国で「物言う花」としての「妓生」の歴史的・文化的研究が進展することを願いつつ。

2002年4月20日   川村湊

>フォラツェン『北朝鮮を知りすぎた医者』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/02/12 09:42 投稿番号: [1331 / 3669]
前に紹介した『北朝鮮を知りすぎた医者』の著者の近況。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/02/11/20030211000034.html

韓国では人気ない。

川村湊『もの言う花−妓生』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/02/11 15:54 投稿番号: [1330 / 3669]
先に紹介した本の韓国語版が出ていたのを発見しました。

川村湊著/柳在順訳『もの言う花−妓生』(ソウル,ソダム出版,2002年5月)


訳者柳在順は,女性ルポライターで10年以上日本に滞在している。
田麗玉のベストセラー『日本はない』は,盗作だと騒いで自ら『下品な日本人』を著したが,こっちはあまり売れなかった。

韓国文壇の大御所,李文烈が序文を寄せているなど,著者川村の韓国人脈の厚さを思わせる。

図版として入っていた朝鮮春画が,無修正で載っていたのは驚き。「青少年有害図書」指定はされないんだろうか。

>朝鮮出身・梁川八星のことは

投稿者: kitunetuki38 投稿日時: 2003/02/07 10:08 投稿番号: [1329 / 3669]
インドネシアにおけるオランダによるBC級戦犯の裁判の様子をみれば今のオランダ人は恥ずかしくなってしまうと思うのですが、某半島国と同じで自分たちの受けた被害だけを表に出しますね。職場の同僚のおばさんのご主人でオランダからの移民してきた方は当時2歳でなにも覚えてないがご両親は大変ひどい目にあったという話をしていました。インドネシアで貿易商をしていたのが独立によってすべてを失ったのでそれを機会にアメリカに移民したといっていました。この人と会話するときは日常の挨拶以上には進まず今一つ闊達明瞭とはいきません。
話は変わりますが、この前、Discovery channel だったかHistory Channelだったかをみていたら、タイのクワイ川鉄橋架設の話をやったました。その中で東京から来た技師はみんなゼントルマンだったが朝鮮人の看守による虐待はひどかったと言ってましたので当時の実体が少しは正確に報じられるようになったかと思います。

朝鮮出身・梁川八星のことは

投稿者: kuuboakagi123 投稿日時: 2003/02/07 04:51 投稿番号: [1328 / 3669]
以前bosintang兄のレスがあったとおもいますが。(七星とするものもあり)。

独立戦争中にオランダ軍の捕虜になり、西ジャワ・ガルットで処刑された3人の元日本兵のひとり。   どうも、この話をもって、韓国はインドネシアの独立を助けた、などという話があるのはおわらいだとおもうけど。

同書の85Pの
「板垣、寺内マレーにあり。ビルマより転じた兵、未だマレー、タイ国境に4万あり。日本は本国と離れて、ここに南方日本として独立、ジャワ義勇軍を友軍として決起する」というのは、村上龍の「5分後の世界・降伏しない日本」の種本みたいな感じがした。まあ、偶然アイデアが一致したんでしょうが。

歌をつくろうかな

投稿者: kitunetuki38 投稿日時: 2003/02/06 09:48 投稿番号: [1327 / 3669]
初めまして。皆さんの話興味深く読んでおります。今までRomばかりしていましたが、このスレ上げついでにカキコします。
随分前ですが赤城艦長が推薦しておられた秘録大東亜戦史、蘭印編が手元にあります。このなかで朝鮮人の出てくるくだりで印象的なものがありますのでご紹介します。

秘録   大東亜戦史   蘭印編
発行者   森高繁雄
編集者   田村吉雄
昭和28年10月15日発行   338頁
富士書苑

死刑囚   (72ー83頁)

朝日新聞社企画部次長     河合   政

歌をつくろうかな   (78ー79頁)

  曽根大尉に死刑の判決のある直前、法廷は同じく抑留所(スマラン)で、激しく抑留者を殴った木村成坤君(25)の公判をはじめていた。この明瞭そのものの朝鮮青年は、自分のやったことには絶対まちがいも不法もないと主張しつづけ、日本軍人の命令でやったことだからというように弁明させるべく、平賀弁護人が、懸命に説いたがついに主張をつづけて、9月9日公判そして11日には死刑の宣告をうけてしまった。
「なぜ殴ったか」
  という裁判長に、
「生意気だからだ」
  と応じ、
「竹棒で殴ったか」
  に対し、
「イヤもっと固い棒だ」
  と答えるこの青年を救うみちは全くなかったのだ。
  あまり相手を怒らしてはと平賀氏が制しても、「いいんですよ、覚悟してるんだから、僕は悪いなんて決して考えやしませんよ」と言うばかりだった。
  死刑は明らかであったし、しかも相手はいそいでいた。
  11日に死の宣告をうけた成坤君は翌日から独房に移され、厳重な監視下におかれたが、最後まで朗らかで「なにを言ってやがんだい」と言ったような調子、しかし、9月14日平賀弁護人が「何か書いておきなさい」とペンと紙を渡すと「歌をつくろうかな」と笑って、次の手記をのこした。
  11日宣告を受けて翌12日より独房に移さる。あさ毎の起床合図の空砲の音に、今朝も目ざめて窓越しに望楼の方を見やれば、衛兵のもてる銃の先よりかすかに煙り立ちて消えぬ。このときふと思い出でたるままにしるす。
  銃声に
ふるさとの夢破れて
  煙の如く消ゆ
  思い出の山川
  そのすがた変らねど
  変わりたる我がすがた
  死はおそれずといえども
  友の情けに我は哭くかな

  死刑判決の日、平賀弁護人が待っている部屋へ、”お早うございます”と快活に言って入って来た彼は、キリッとした軍属の服装の肩から正しく水筒をつるしていた。
  今まで例のないことだったので、
「ホウ、水筒ですね」
  と平賀氏が言うと、彼はニコニコしながら、
「エエ、おなかをこわすといやですから、熱いお茶をつめて来たんです」
  と答えたという。それまでこらえた平賀氏は、この答えでもう胸がいっぱいになり、何も言えなくなったと語っていた。
  木村成坤君が第2回目の死刑執行だった。
  目かくしを拒んだ彼は、それまで一度も、口に出さなかった”朝鮮独立万歳”を叫んで死んでいった。

>支配者の子たる中島の心情は

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/02 23:44 投稿番号: [1326 / 3669]
その部分は、いつも疑問に思うのです。

日本人は反韓(あえて、朝鮮蔑視)の%は凄く多いと思うのです。

ですが、良識的(博愛的)人々も居る、
時として、それらの人々は盲目的に擁護派になる弊害もあるが。。。

でも、その多様性と、主張できる土壌(←とことん抹殺しない)それこそが日本民族の底力と昨今思います。

Ж Kojo

中島敦「悟浄出世」と・・・

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/02 23:15 投稿番号: [1325 / 3669]
中島敦が朝鮮生活における、様々な体験や感慨

中島の「悟浄出世」は特に印象に残ってます。

孫悟空のように天真爛漫でもなく、ちょはっかいほどまるっきりバカでもなく
どことなく、気が弱いが・・・それでも妖怪、つまり妖怪としてはやさしすぎる。

悟浄が「自分とは何ぞやと」様々な妖怪のボスに教え乞いに回る。。。結論は得られない

そして、最後に玄奘三蔵の寝顔を覗きながら「自分は自分でしかない」と悟る。

中島の彼の感性は、彼の天性と思春期の朝鮮時代の体験からでてるのだ。。。な

今回「悟浄出世」の、なにか判らない部分が晴れたような気がします。

Ж Kojo

失礼、編者は

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/02/02 22:41 投稿番号: [1324 / 3669]
黒田じゃなくて黒川でした。

黒田創編『〈外地〉の日本語文学選3

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/02/02 22:40 投稿番号: [1323 / 3669]
  朝鮮』(1996,新宿書房)に,

中島敦『巡査のいる風景−一九二三年の一つのスケッチ』
があります。
  1920年,父(教師)の転勤にともない,11歳で朝鮮に渡った中島は,26年に,中学校を卒業,内地で一高,帝大に進みます。これは,一高の『校友会雑誌』に,29年に発表されたもの。

  時は1923年,舞台は半島,主人公は朝鮮人の巡査。

  電車の中で日本人の女が朝鮮人青年に席を譲ろうとするが,朝鮮人は女が使った「ヨボ」(朝鮮人への蔑称)という言葉を聞きとがめる。
  府会議員選挙演説で,たった一人の鮮人候補の演説に「黙れ,ヨボの癖に」と野次がかかる。
「彼の気持ちは近頃「何か忘れ物をした時に人が感じる」あのどことなく落ち着かない状態になった。果たされない義務の圧迫感がいつも頭のどこかに重苦しく巣くっているという感じでもあった。しかしその重苦しい圧力がどこから来るかということに就いては,彼はそれを尋ねようとしなかった。」
  言い訳に思いつくのは妻と子ども。

  高官らしき日本の紳士から丁寧な言葉で道を尋ねられ,教えると頭を下げてお礼を言われた。
「−俺は,俺は今知らないうちに嬉しくなっていはしなかったか。−と彼はぎょっとしながら自分に尋ねてみた。」
  毎朝,数人の行き倒れの出る南大門。凍る漢江。川沿いの林から薪を盗んでいく貧民。牛の顎の下のつらら。乞食の切断された大腿部。売春窟に入ってきた新米。

1923年,京城の冬は汚く凍っていた。

  内地で「独立自尊の精神」を説いていた校長が,京城に赴任するとうってかわって「従順の徳」を説く。日本史の時間,若い教師は幾分困惑しながら遠慮がちに征韓の役を話す。「−こうして,秀吉は朝鮮に攻め入ったのです」。ほかの国の話でもあるような風に鈍い反応しかみせない朝鮮人生徒。

  東京から帰ってきた総督を京城の役で狙撃する朝鮮人。すかさずその腕を抑える主人公。とたんに日頃の圧迫感が20倍の重みでやってくる。
「捕らわれたものは誰だ。捕らえたものは誰だ」

  東京に出稼ぎに行った亭主が震災に遭ったため淫売に身を落とす女。客から,震災での虐殺の噂を聞き,半狂乱になって,道行く人々に事件のひどさを訴え,巡査に取り押さえられる。
「−何だ,お前だって,同じ朝鮮人のくせに,おまえだって」

  朝鮮人学生と日本人学生の喧嘩の始末をめぐって上司と言い争い,失職する主人公。家に帰れず,精算した最後の給料でカルボチプで夜を明かす。
一瞬,裏通りの一室でのひそひそ声の会話が頭に浮かぶ。「京城−東京−上海」。
  殖産銀行の前に群がるチゲ担ぎをゆさぶる。
「お前たちは,お前たちは。この半島は……この民族は……」


  朝鮮人からも日本人からも孤立する巡査の鬱屈と,植民者,支配者の子たる中島の心情は、どう重なりあったんでしょうか。

↓ 感想 2

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/02 18:44 投稿番号: [1322 / 3669]
とくに、印象を持った部分ですが

191ページ(2   男と女の植民地)
宗主国―植民地という政治的、経済的、軍事的支配―被支配の関係は、男女の性差と両性関係に転化される。そこには、その支配―被支配的関係を、明白な「自然」的なものでるかのように装い、文化的な、融和な「関係」であるかのに見せかけることが主眼となっている。

なるほどと思いました。
昨今、日韓共同ドラマが話題になり「フレンズ」「ソナギ」などを、見ました。
主演の男性は韓国人俳優、主演の女性は日本人俳優の設定です。
まあ、どちらかかどちらでないとドラマが成立しませんが
どうしてそうなのかと疑問に思っていました。
男性は韓国であると、あらねばならない事
かって、被支配の側の韓国側が「主演は韓国側が男性」にしたい、
そうでなければ共同しないとの韓国側の心理、
日本はそれに妥協してしまう、そんな事が反映してるのかと。

・・・が・・・素人の感想ですから・・・お笑いください(^0^*おっほほ

Ж Kojo

↓ 感想 1

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/02 18:21 投稿番号: [1321 / 3669]
とても、面白かったです
アダルトな朝鮮画を挿入してあり・・・びっくりです^●^

解放以前に朝鮮に渡った、作家たちの目で
見た当時の朝鮮の様子が紹介されている。

中島敦や田山花袋が朝鮮に渡り、彼らと妓生との交わりが
小説や紀行文から抜粋してあります。

中島や田山は個人的にも好きな作家です
特に中島敦が小中学生の時代を朝鮮で成長しているのには驚きました。
彼の作品は数点読んでますが、解説は余り読んでませんので。。。

Ж Kojo
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