林鐘国『ソウル城下に漢江は流れる』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/12/21 00:14 投稿番号: [317 / 3669]
>キーセンのことで分かったのでお知らせします。
金学順さんの証言にキーセンと出てくるのですが高麗時代の初期に官婢としての妓生(キーセン)が正式に登場、李氏朝鮮時代、制度的に設置された妓生が県に10〜20人、郡に30〜40人、府70〜80人いたという。
歌舞を披露することで遊宴に出た。
「金学順さんの証言より」
養父の家はキーセンの修行の出来る家だそうで決して女衒ではありません。
出所はこれですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4759262040/qid%3D1008859363/250-1440278-9691425
ただ、上の部分は誰が書いたのか知らないけど、平凡社『朝鮮を知る事典』の引き写しのようです。
キーセンについてなら、林鐘国『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』(平凡社、朴海錫・姜徳相訳1987)のなかの「夜の花―妓生と売春婦」が詳しい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/contents/-/books/4582474187/250-1440278-9691425
朝鮮時代の妓生は、賤民階級に属し、「芸は売れども身は売らず」の一牌妓生、住宅街に暮らしながら隠れ売春をしていた二牌妓生(隠君子)、一般の娼婦である三牌妓生に分かれていましたが、身分制度のなくなった日帝時代には、妓生といえば、三牌を指していました。金学順さんの通った「券番(日本式には検番)」は、日本でいえば芸者養成所のようなところで、生徒は「売春予備軍」といえます。
学順さんの証言はたくさんあって、どれも内容が食い違っています。以前、Kmechanさんが紹介してくれたのはこんな感じ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=260
私もネットで二つほど見つけたので、翻訳しておきます。
−養父がどのように日本軍部隊に慰安婦として売り渡したんでしょうか。その過程をお聞きしたいのですが。
−父が早くに死んだので、母の下で育ちました。父親を食い殺したやつと言われ、ひどくいじめられましたが、母が再婚した14歳のとき、養女として売られて行きました。養父が(私を)平壌のキーセン券番に送り、そこで3年間、歌舞を習い、16歳で卒業した41年、養父がほかの養女といっしょに、商売をしようと言って、満州に連れて行きました。養父が私たちを売り渡すとき、ただのキーセンとして売り渡されるのだと思っていました。でも、実際は、中国北地(?)鉄壁鎮にある小隊規模の日本軍部隊に慰安婦として私たちを売ったのでした。夢にも日本軍人の慰み物になるとは思っていませんでした。
(女性新聞1991年8月30日付、第138号)
http://www.women.or.kr/history/challenge/first/extras/kimhasfe.html
[証言]金学順/思い出すのも嫌な記憶
金学順
1924年中国吉林省出生。生後100日の祝いにもならないうちに父親が死に、母と平壌に戻る。その後養父の下で成長し、15歳で平壌券番に通い、17歳で卒業した。しかし、年が若く、営業許可がおりなかったため、中国へ渡り、北京に着くとすぐ軍部隊に連れて行かれ、慰安婦生活をするようになった。
(韓国挺身隊研究所)
http://truth.bora.net/cgi/read.cgi?board=pds2&y_number=25&nnew=2
母から学順さんを買った「養父」はやはり業者だと思います。
金学順さんの証言にキーセンと出てくるのですが高麗時代の初期に官婢としての妓生(キーセン)が正式に登場、李氏朝鮮時代、制度的に設置された妓生が県に10〜20人、郡に30〜40人、府70〜80人いたという。
歌舞を披露することで遊宴に出た。
「金学順さんの証言より」
養父の家はキーセンの修行の出来る家だそうで決して女衒ではありません。
出所はこれですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4759262040/qid%3D1008859363/250-1440278-9691425
ただ、上の部分は誰が書いたのか知らないけど、平凡社『朝鮮を知る事典』の引き写しのようです。
キーセンについてなら、林鐘国『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』(平凡社、朴海錫・姜徳相訳1987)のなかの「夜の花―妓生と売春婦」が詳しい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/contents/-/books/4582474187/250-1440278-9691425
朝鮮時代の妓生は、賤民階級に属し、「芸は売れども身は売らず」の一牌妓生、住宅街に暮らしながら隠れ売春をしていた二牌妓生(隠君子)、一般の娼婦である三牌妓生に分かれていましたが、身分制度のなくなった日帝時代には、妓生といえば、三牌を指していました。金学順さんの通った「券番(日本式には検番)」は、日本でいえば芸者養成所のようなところで、生徒は「売春予備軍」といえます。
学順さんの証言はたくさんあって、どれも内容が食い違っています。以前、Kmechanさんが紹介してくれたのはこんな感じ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=260
私もネットで二つほど見つけたので、翻訳しておきます。
−養父がどのように日本軍部隊に慰安婦として売り渡したんでしょうか。その過程をお聞きしたいのですが。
−父が早くに死んだので、母の下で育ちました。父親を食い殺したやつと言われ、ひどくいじめられましたが、母が再婚した14歳のとき、養女として売られて行きました。養父が(私を)平壌のキーセン券番に送り、そこで3年間、歌舞を習い、16歳で卒業した41年、養父がほかの養女といっしょに、商売をしようと言って、満州に連れて行きました。養父が私たちを売り渡すとき、ただのキーセンとして売り渡されるのだと思っていました。でも、実際は、中国北地(?)鉄壁鎮にある小隊規模の日本軍部隊に慰安婦として私たちを売ったのでした。夢にも日本軍人の慰み物になるとは思っていませんでした。
(女性新聞1991年8月30日付、第138号)
http://www.women.or.kr/history/challenge/first/extras/kimhasfe.html
[証言]金学順/思い出すのも嫌な記憶
金学順
1924年中国吉林省出生。生後100日の祝いにもならないうちに父親が死に、母と平壌に戻る。その後養父の下で成長し、15歳で平壌券番に通い、17歳で卒業した。しかし、年が若く、営業許可がおりなかったため、中国へ渡り、北京に着くとすぐ軍部隊に連れて行かれ、慰安婦生活をするようになった。
(韓国挺身隊研究所)
http://truth.bora.net/cgi/read.cgi?board=pds2&y_number=25&nnew=2
母から学順さんを買った「養父」はやはり業者だと思います。
これは メッセージ 315 (kazumi246 さん)への返信です.
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