頑張れイスラエル!

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

>> 間抜け(2)(1)

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/28 09:13 投稿番号: [1240 / 2453]
>>>もう一つある。分割決議後の12月、「パレスチナ・アラブ人の社会の破壊と住民の追放」を目的としたダレット計画を立案、3月10日に更新。確約後の4月には第一段階として「ナハション作戦」を実施、この流れの中で4月9日から翌10日にかけて「デイル・ヤシンの虐殺」が起こる。
>>>http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1234

>> ▲『この流れの中で4月9日から翌10日にか・・・理想的になる』
>>
>> も、ヤシン村の事件前にアラブ人がユダヤ人に対してやったことの歴史
>> の間を抜くなって。
>> 分割案が国連に承認されたとはいえ、まだ英国の統治下であり、あたま
>> 数でもアラブ人が優勢であるから、それはユダヤ人の一部の過激派地下
>> 組織によるものとなるのです。

>違いますよ、一連の攻撃はユダヤ機関から直接の指令だよ。


▲で、その答えがヤシン村の「ヤ」の字も出ないURLを翻訳かい。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1238

あのさ、都合の良いように歴史を歪曲するなって(笑)。

シオンの架け橋ってURLを前に参照しておきながら、ここは無視。   パレスチナ・シンパが良く使う手だよね(苦笑)。

// --
【デイル・ヤシン村の虐殺 】
独立直前の1948年に発生した事件で、エルサレムのユダヤ人をアラブ軍が包囲したため、封鎖拠点の一つとなっていたデイル・ヤシン村をイルグンとレヒの特攻隊が攻撃したが、村民に多数の犠牲者が出た。ユダヤ側は直ちに謝罪声明を出したが、アラブ側は後々までこの事件を政治宣伝に利用した。
-- //
http://www.zion-jpn.or.jp/scripts/keyw.cgi?key1=%83%84%83V%83%93

// --
【反英独立地下活動】
英国委任統治時代、三つのユダヤ人地下運動が活動していた。
最大規模のハガナ(創設1920年)は、ユダヤ人社会の自衛組織として、ユダヤ側の公的機関によって設置された。1930年代の中頃からアラブの反ユダヤ攻撃に反撃するようになり、英国当局が移民を制限するようになると、大衆デモやサボタージュで抵抗した。
エツェル(創設1931年、イルグンとも称される)は修正シオニズム派に属し、ユダヤ指導部がハガナに課した対英活動の自制を拒否し、アラブ及び英国軍警に対して独自の行動をとった。
地下運動のなかで一番小さかったが最も戦闘的なグループが、レヒであった。一貫して反英姿勢を変えず、1940年にエツェルから分離して独立した。第二次大戦中、ユダヤ指導部がすべての武力闘争を禁じ、エツェルがこれに従ったのを不服としたグループが、分裂してできたのである。この三つの組織は、1948年5月にIDF(イスラエル国防軍)が編制されるに伴い解体された。
-- //
http://www.israelembassy-tokyo.com/about/history/01.html


▲あ〜ぁ、marchingpeople さんの公的機関が作ったハガナも知らない頓挫(間抜け)を年末に、良い正月が迎えられそうです   m(_ _)m

> 間抜け(2)(2)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/28 00:12 投稿番号: [1239 / 2453]
> 英国が統治のサジを投げた理由の間を抜く marchingpeople さんである
> ことが明らかとなった形だ♪

> ▲marchingpeople さん、この
>
> 『3月12日パレスチナ国連特別委員会は英国委任統治が終了すれば、
> 現地で流血の惨事が起こるだろうと懸念。』
>
> の、時代背景を無視しちゃダメだよ。   都合の良いように「間を抜く
> な」って(笑)。
> もう一度なぞってよ。

  英国の撤退、治安の崩壊は、ユダヤ人テロリストの活躍です。



> ▲marchingpeople さんの
>
> 『万一戦争に負けても当時のユダヤ人への同情から分割案に準じた独立
> は果たせるだろうと考えたはず。だからシオニストはアラブと同様に戦
> 争を求めた』
>
> は、フセイニの民族運動が高まった時期でもあり、PLO主流派ファタ
> ハの記章(イスラエル全土になっているのはどういうこと?)からも、
> 後から独立出来ると思ったなんて言わないでおくれ(苦笑)。
> http://www.fateh.net/

  独立に向けた国連信託統治の動きを忘れずに。



> 「シオニストは戦争を求めた」には、プッですな(笑)。
> 独立宣言直前までパレスチナの治安を無視しちゃダメだよ。   それまで
> 英国軍が治安を受け持ち、英国軍の撤退に合わせて治安はアラブ人に
> 取って代わっていたのでは。
> だから、小火器の武器しか持たないユダヤ人に対し、戦車などの重火器
> を擁するアラブ連合軍は『アラブ連盟の書記長は、シオニストが独立宣
> 言をすれば「この戦争は絶滅のための戦争であろう」と警告』と脅しを
> 入れたんだろうに。
> まあ、アラブ側の民族運動の高まりを考慮すれば、独立のチャンスはそ
> のときしかない、との結論に達したのだと思っております。
>
> 無理して、当時の軍事バランスの間を抜く marchingpeople さんである
> ことが明らかとなった形だ♪
>
>
> ▲都合の悪いときは一握りのユダヤ人が多数派の土地を奪ったと少数派
> であることを訴えながら、戦争では少数派が勝てるとしたたかな目論み
> と偏向思考の marchingpeople さん、
>
> バーチャルゲームで戦争がやれるとトンデモ妄想の marchingpeople さ
> んであることが明らかとなった形だ♪

  治安の崩壊は、バルファア宣言を無視したユダヤ人テロリストが原因。少数派が戦争を求めたから大胆な賭だと思いますよ。でもね、治安を崩壊させれば、無制限に人も武器も入手出来ると考えたのでしょう。保険もあったしね。軍事バランスから考えれば、エルサレムより、一人でも多くのユダヤ人の安全確保を主眼とするべきですよね。



> >それでも、勝敗を決したのは、オスマン・トルコからの解放から曲がり
> なりにも独立を果たし喪失感を経験していなかったアラブに対し、全て
> を失い生き残ることに総てを賭けたユダヤ人たちの意志が、聖地奪還に
> 燃え上がるアラブ人の情熱に勝っていたのだと思う。
>
> ▲ウンウン、全然わからないよ(笑)。
>
> 良く日本史にも出てくる「背水の陣(火事場のバカちから)」すら知ら
> ない marchingpeople さんであることが明らかとなった形だ♪♪♪

  普通のユダヤ人はそうですね。




> ▲だから理解できないようなので、一度暴漢に襲われるべきなのです、ハイ(笑)。
>
> 暴漢に襲われた marchingpeople さんの言い訳:   『私がしたたかに暴漢に襲われるよう計算したわけだが...。』
>
> なんて言わないでおくれ(爆)。

  この考え、かなりいい感じになってきたよ。ガンバって!


でわ、良いお年を

> 間抜け(2)(1)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/28 00:11 投稿番号: [1238 / 2453]
こんにちは、ojin_8823さん


> ▲『この流れの中で4月9日から翌10日にか・・・理想的になる』
>
> も、ヤシン村の事件前にアラブ人がユダヤ人に対してやったことの歴史
> の間を抜くなって。
> 分割案が国連に承認されたとはいえ、まだ英国の統治下であり、あたま
> 数でもアラブ人が優勢であるから、それはユダヤ人の一部の過激派地下
> 組織によるものとなるのです。
> だからノイズって言われるんだよ(嘲)。

  違いますよ、一連の攻撃はユダヤ機関から直接の指令だよ。ベギンは『当日の命令を、ヨシュア記のような高揚した気持ちを込めて伝達した。「素晴らしい制圧行為に対するわたしの賛辞を受けられよ。(中略)デイル・ヤシーンでのように、至る所でわれわれは敵を攻撃し殲滅する。神よ、神よ、あなたは征服のためにわれわれを選ばれた」。(ユダヤ人の歴史)』と言ってます。

「ナハション」作戦
》   英国撤退に伴い、ユダヤ国家として割り当てられた地域の統治を獲得することは、ユダヤ人に
》 とって避けられなくなった。その様な対応はアラブ諸国が侵略した際の足場の確保となるもの
》 だった。
》   この目的のために、ダレット計画("Plan D")は考案された。この計画は、英軍の撤退と方法に
》 応じて、段階的に遂行されるだろう。


》   ダレット計画の第一の目的はエルサレムに至る回廊を開くことだった。この目的のため、ナハ
》 ション作戦が考案された。作戦名「ナハション」は、出エジプト記に登場する最初に紅海に飛び
》 込んだ“Nachshon Ben Aminadav”の名前に由来する。
》   ナハション作戦は多くの点で初の試みだった。ハガナにとって初の大規模な作戦であり、最初
》 の旅団編成によるものだった。それまでハガナは中隊単位の軍事行動だけだった。旅団は、この
》 作戦のために特別に編成され、3つの大隊と1500名の民兵で構成されていた。
》   民兵はチェコ製兵器で武装していた。これらの兵器はハガナのメンバーが死に物狂いで密かに
》 持ち出したもので、4月1日に南部の秘密滑走路から密輸された。

》   2つの重要な作戦がナハション作戦より先行していた。一つ目はRamleで起こった。ハガナは、
》 ムフティ警護隊のHassan Salame司令部を爆破した。この攻撃はSalame軍が海岸平野でのハガナの
》 準備行動を妨害することを阻止した。
》   2つ目の作戦は、ハガナ軍がエルサレムとKyriat Anavimの間に位置し、エルサレムへの進入を
》 閉鎖する、アラブ人の村、カステルを接収する事だった。

》   ナハション作戦それ自身は4月6日に、Latrun地域でのハガナ軍のWadi al-Sarrar camp, Arab
》 HuldaとDeir Muheisinの接収により始まった。これと平行して、Bab el Wad地域のBeit Machsir
》 村がPalmach軍によって攻撃された、その結果エルサレムまでの山道が一掃された。
》   60台のPalmach軍トラックがエルサレムまで運行して補給品を運んだ。4月7・8日、アラブ
》 軍はMotza地域で最初の報復を開始した。カステルの戦いが激烈だった。6日間、アラブ、ユダヤ軍
》 の猛攻が続いた。ユダヤ軍は押し戻された。

》   劇的な逆転は、(ダマスカスの戦いから帰還した)アブデル・カーデル・エル・フセイニーの
》 戦死で起こった。この知らせはアラブ軍壊走のきっかけとなり4月10日、直ちに撤退が開始さ
》 れた。エルサレムへの補給品は確保され、4月20日までには5つの護送団と援軍が街に到着し
》 た。
》   しかしながらこの状態は短期間で終わった。それ以来直ぐに街への補給品は途絶えがちになり、
》 エルサレムへの回廊は再び不通になり護送団は引き返した。エルサレムは包囲されることとなっ
》 た。
http://www.idf.il./english/history/nachshon.stm (イスラエル軍のサイトから)

  このように、ダレット計画、ナハション作戦もイスラエル軍が公認しています。ところで、エルサレムは決議案で国連統治となる場所なのに、なんで決議後直後に立案し、確約後に実施したのですが?
  随分アグレッシブな作戦ですが、決議案に従った境界内で防衛に徹し、アラブ地域のユダヤ人の救出が先決だと思いますよ。待っていれば、米軍が介入して国連信託統治が始まるのは確実だったのですからね。
   それからね、当時の状況、文化の違いを無視して言葉だけ取り出してもダメだよ。冒頭のベギンの言葉も「ユダヤ人の歴史」では、『ベギンは【襲撃の詳細について知らされる前に、】当日の命令を、ヨシュア記・・・。』となっています

間抜け(2)

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/27 18:19 投稿番号: [1237 / 2453]
>アラブが戦争を求めたのは事実だ、ヨルダンに領土的野心があったのも事実だ。しかし、シオニストも戦争を切望していた。相当大胆な賭けであったが確実な保険─『1948年5月のイスラエル独立宣言から数時間とたたぬうちに、トルーマン米大統領はこの新国家の事実上の承認を表明した。「あの老博士[ワイツマン]もいまとなってはこの私を信じるだろうよ」とトルーマンは笑った。(燃え続けた20世紀   A・L・サッチャー著)』─も掛けていた。アラブは純粋だったがシオニストはしたたかだった。

▲都合の悪いときは一握りのユダヤ人が多数派の土地を奪ったと少数派であることを訴えながら、戦争では少数派が勝てるとしたたかな目論みと偏向思考の marchingpeople さん、

バーチャルゲームで戦争がやれるとトンデモ妄想の marchingpeople さんであることが明らかとなった形だ♪



>それでも、勝敗を決したのは、オスマン・トルコからの解放から曲がりなりにも独立を果たし喪失感を経験していなかったアラブに対し、全てを失い生き残ることに総てを賭けたユダヤ人たちの意志が、聖地奪還に燃え上がるアラブ人の情熱に勝っていたのだと思う。

▲ウンウン、全然わからないよ(笑)。

良く日本史にも出てくる「背水の陣(火事場のバカちから)」すら知らない marchingpeople さんであることが明らかとなった形だ♪♪♪



>> ▲やっぱりノイズだね(笑)。
>> 相手に重症を負わせておいて、ただまた顔を合わせただけで、仲が良い(和平)?
>> marchingpeople さん、一度暴漢に襲われた方が良いのでは。

>私もここまでの経緯があって、なんでアラブが和平会議に出席したのか不思議に思います(笑)。

▲だから理解できないようなので、一度暴漢に襲われるべきなのです、ハイ(笑)。

暴漢に襲われた marchingpeople さんの言い訳:   『私がしたたかに暴漢に襲われるよう計算したわけだが...。』

なんて言わないでおくれ(爆)。

間抜け(1)

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/27 18:17 投稿番号: [1236 / 2453]
どうも marchingpeople さん、師走だというのに本音をご苦労さん   :-)


>アラブ側はロンドン会議の結果からシオニストに妥協する意志がないことを完全に悟る。さらに、国連─当時は日本も加盟しておらず、戦時中の原加盟国+6カ国での決議だから訳語としては連合国の方が実状を表している─によるアラブから見たら不当な決議阻止も不可能と判断、アラブ連盟は決議の1カ月前に武力闘争で阻止すると決断、アラブ連盟の書記長は、シオニストが独立宣言をすれば「この戦争は絶滅のための戦争であろう」と警告。
>しかし、ここで気づくのは、国連と米国が分割に向けた信託統治を行う意志があり、宣言を遅らせればもっと穏やかな分割独立の可能性が高かった。では何故、シオニストは英国委任統治が終了する時点で独立を宣言したのか?

>ここでもう一度、シオニストから見た分割案の問題点を列記する。
>・領土が狭い、エルサレムが含まれていない。
>・決議案はユダヤ国家宣言に際して主に以下を求める、宗教の自由、公共目的以外の土地収用の禁止、市民権の保証。

>領土拡張は交渉では不可能、アラブ住民の移住も補償金を考えると難しく、そもそも住民に移住の意志がなければ不可能だった。そしてもし、信託統治が始まってしまえば、武力闘争の道もふさがれる。ユダヤ系アメリカ人の支援金を当てにしていたシオニストにとって国連軍、すなわち米軍との戦いは不可能だからだ。
>故に、問題解決が可能なのは、国連が介入する以前の武力闘争だけだった。48年3月18日に米国の承認の確約を得ていたシオニストは、万一戦争に負けても当時のユダヤ人への同情から分割案に準じた独立は果たせるだろうと考えたはず。だからシオニストはアラブと同様に戦争を求めた。


▲marchingpeople さん、この

『3月12日パレスチナ国連特別委員会は英国委任統治が終了すれば、現地で流血の惨事が起こるだろうと懸念。』
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1233

の、時代背景を無視しちゃダメだよ。   都合の良いように「間を抜くな」って(笑)。
もう一度なぞってよ。


▲marchingpeople さんの

『万一戦争に負けても当時のユダヤ人への同情から分割案に準じた独立は果たせるだろうと考えたはず。だからシオニストはアラブと同様に戦争を求めた』

は、フセイニの民族運動が高まった時期でもあり、PLO主流派ファタハの記章(イスラエル全土になっているのはどういうこと?)からも、後から独立出来ると思ったなんて言わないでおくれ(苦笑)。
http://www.fateh.net/

「シオニストは戦争を求めた」には、プッですな(笑)。
独立宣言直前までパレスチナの治安を無視しちゃダメだよ。   それまで英国軍が治安を受け持ち、英国軍の撤退に合わせて治安はアラブ人に取って代わっていたのでは。
だから、小火器の武器しか持たないユダヤ人に対し、戦車などの重火器を擁するアラブ連合軍は『アラブ連盟の書記長は、シオニストが独立宣言をすれば「この戦争は絶滅のための戦争であろう」と警告』と脅しを入れたんだろうに。
まあ、アラブ側の民族運動の高まりを考慮すれば、独立のチャンスはそのときしかない、との結論に達したのだと思っております。

無理して、当時の軍事バランスの間を抜く marchingpeople さんであることが明らかとなった形だ♪



▲『この流れの中で4月9日から翌10日にかけて「デイル・ヤシンの虐殺」が起こる。この虐殺に震え上がったパレスチナ・アラブ人は戦果を逃れて難民となる。その結果、停戦時のユダヤ:アラブの人口比が理想的になる』

も、ヤシン村の事件前にアラブ人がユダヤ人に対してやったことの歴史の間を抜くなって。
分割案が国連に承認されたとはいえ、まだ英国の統治下であり、あたま数でもアラブ人が優勢であるから、それはユダヤ人の一部の過激派地下組織によるものとなるのです。
だからノイズって言われるんだよ(嘲)。

英国が統治のサジを投げた理由の間を抜く marchingpeople さんであることが明らかとなった形だ♪

滅びろユダ公!

投稿者: hanbeitarou 投稿日時: 2002/12/27 14:52 投稿番号: [1235 / 2453]
滅びろ!
アメ公の飼い犬となり
虐殺と差別と略奪を繰り返す
悪魔のユダ公!

キチガイ民族に自由など与えるな!
頑張れパレスチナ!

殺戮国家イスラエルをを徹底的に
破壊せよ!
奪われた自由と国家を取り戻せ!

負けたよ、このハゲ野郎(笑)。

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/26 22:05 投稿番号: [1234 / 2453]
  アラブ側はロンドン会議の結果からシオニストに妥協する意志がないことを完全に悟る。さらに、国連─当時は日本も加盟しておらず、戦時中の原加盟国+6カ国での決議だから訳語としては連合国の方が実状を表している─によるアラブから見たら不当な決議阻止も不可能と判断、アラブ連盟は決議の1カ月前に武力闘争で阻止すると決断、アラブ連盟の書記長は、シオニストが独立宣言をすれば「この戦争は絶滅のための戦争であろう」と警告。
  しかし、ここで気づくのは、国連と米国が分割に向けた信託統治を行う意志があり、宣言を遅らせればもっと穏やかな分割独立の可能性が高かった。では何故、シオニストは英国委任統治が終了する時点で独立を宣言したのか?

  ここでもう一度、シオニストから見た分割案の問題点を列記する。
・領土が狭い、エルサレムが含まれていない。
・決議案はユダヤ国家宣言に際して主に以下を求める、宗教の自由、公共目的以外の土地収用の禁止、市民権の保証。

  領土拡張は交渉では不可能、アラブ住民の移住も補償金を考えると難しく、そもそも住民に移住の意志がなければ不可能だった。そしてもし、信託統治が始まってしまえば、武力闘争の道もふさがれる。ユダヤ系アメリカ人の支援金を当てにしていたシオニストにとって国連軍、すなわち米軍との戦いは不可能だからだ。
  故に、問題解決が可能なのは、国連が介入する以前の武力闘争だけだった。48年3月18日に米国の承認の確約を得ていたシオニストは、万一戦争に負けても当時のユダヤ人への同情から分割案に準じた独立は果たせるだろうと考えたはず。だからシオニストはアラブと同様に戦争を求めた。
  もう一つある。分割決議後の12月、「パレスチナ・アラブ人の社会の破壊と住民の追放」を目的としたダレット計画を立案、3月10日に更新。確約後の4月には第一段階として「ナハション作戦」を実施、この流れの中で4月9日から翌10日にかけて「デイル・ヤシンの虐殺」が起こる。この虐殺に震え上がったパレスチナ・アラブ人は戦果を逃れて難民となる。その結果、停戦時のユダヤ:アラブの人口比が理想的になる(アラブ人が0では国連も何らかの対応が必要になる)。こうして決議案よりも領土が広く、「ユダヤ人のための」国家が成立した。

  アラブが戦争を求めたのは事実だ、ヨルダンに領土的野心があったのも事実だ。しかし、シオニストも戦争を切望していた。相当大胆な賭けであったが確実な保険─『1948年5月のイスラエル独立宣言から数時間とたたぬうちに、トルーマン米大統領はこの新国家の事実上の承認を表明した。「あの老博士[ワイツマン]もいまとなってはこの私を信じるだろうよ」とトルーマンは笑った。(燃え続けた20世紀   A・L・サッチャー著)』─も掛けていた。アラブは純粋だったがシオニストはしたたかだった。
  それでも、勝敗を決したのは、オスマン・トルコからの解放から曲がりなりにも独立を果たし喪失感を経験していなかったアラブに対し、全てを失い生き残ることに総てを賭けたユダヤ人たちの意志が、聖地奪還に燃え上がるアラブ人の情熱に勝っていたのだと思う。

  「戦争は領土獲得の機会だ」という考えは既に、37年の第20回世界シオニスト機構会議でベングリオンが、「ユダヤ国家が攻撃されることになった場合、シオニスト運動には国境変更を要求する固有の権利があるだろう」と述べている。これが第一次から三次までの戦争の根底にあり、意図的とまでは言い切れないが侵略を繰り返す要因となっている。
  だから、第四次中東戦争はイスラエルの慢心ではなく、シオニストの領土的満足感が戦争へのモチベーションを低下させていたと言った方が当を得ている。しかも常々「占領地は安全保障上、必要なもの」と繰り返し主張していたのとは裏腹に、サダトの平和のための戦争では一切、役に立たなかった。それにもし、米国によるTOWミサイルなどの支援がなければ壊滅的な打撃を被っていたと思う。
  近年では国境を接していない国からミサイルが飛来する事を経験したイスラエルは、シオニストの平和と安全が偽りのものと認識したはずだ。



> ▲やっぱりノイズだね(笑)。
> 相手に重症を負わせておいて、ただまた顔を合わせただけで、仲が良い(和平)?
> marchingpeople さん、一度暴漢に襲われた方が良いのでは。

  私もここまでの経緯があって、なんでアラブが和平会議に出席したのか不思議に思います(笑)。

負けたよ、このハゲ野郎(笑)。

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/26 22:03 投稿番号: [1233 / 2453]
1948年
2月12日、フォレスタル国防長官は国家安全保障会議の場で、如何なる分割の実施も米軍の派遣を必要とするだろうと意見。
2月19日、マーシャル長官は記者会見で米国は分割を支持するのかと尋ねられ、まだ考慮中と答える
2月22日、大統領、国務長官に緊急時の国連信託統治の可能性を指示、これは分割支持からの後退を示唆するもの。
3月8日、クリフォード大統領顧問、分割は米国の政策と完全に一致すると大統領に意見。
3月9日、国務長官、オースティン国連大使に、臨時総会が招集されれば、米国は国連信託統治を支援すると伝える。
3月12日パレスチナ国連特別委員会は英国委任統治が終了すれば、現地で流血の惨事が起こるだろうと懸念。
3月13日、大統領、ジェイコブソンの懇願を聞き入れる「負けたよ、このハゲ野郎。彼と合おう。」
3月18日、大統領、ワイツマンと会見。決議に準じた独立宣言がされれば、承認すると約束。
* ジェイコブソンはトルーマンの旧友のユダヤ人。第一次大戦前からの知り合いで大戦中は同じ砲兵隊に所属、退役後は
  共同事業を行う。ユダヤ人組織「神約の子ら」が彼の存在を知り、トルーマンの説得とトルーマン-ワイツマン会見の実現を
  託す。
    このタイムテーブルを見れば分かるように、私はトルーマンが言われるほど政治的打算からイスラエル建国を支持したとは
  思えない。もっと個人的な部分が彼の決断を導いたのだと思う。
    ちなみに48年の大統領選はトルーマンの所属していた民主党が分裂し、リベラル派の進歩党と、公民権政策に反対の
  州権民主党の3つに分裂。それぞれ、トルーマン、ウォーレス、サーモンドを、一方の共和党はデゥーイを大統領候補とする。
  そのため大方の予想はデゥーイだったが、大票田のニューヨーク州などを制したトルーマンが「奇跡の大逆転」を起こした。
  「デゥーイ、トルーマンを破る」という一面を飾った新聞を掲げ、トルーマンが勝利を喜んでいる写真はあまりにも有名。
  しかし、慢心したデゥーイに対し、トルーマンがそれより熱心な選挙活動をしたのも事実。
3月18日、現地の混乱を考慮し、国連特別委員会は国連信託統治を勧告。
3月19日、オースティン国連大使は米国の立場として分割は不可能と表明。
3月20日、国務長官、米国は国連との協力を模索している、それは分割までの臨時の信託統治であると公表。
3月25日、大統領も同じ主旨のことを発言。
5月12・13・14日、クリフォード大統領顧問とロヴェット国務次官がユダヤ国家を承認するべきかで討議。
5月14日、東部時間5月14日午後6時11分、米国は『合衆国政府に、「パレスチナでユダヤ国家が宣言された」と通知が
  あった。それについて、暫定政府による承認要請があった。合衆国は暫定政府を事実上の新イスラエル国家の権力として
  承認する。』と発表。直後に、オースティン国連大使が抗議の辞任。
http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/israel/large/1947.htm

負けたよ、このハゲ野郎(笑)。

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/26 22:03 投稿番号: [1232 / 2453]
こんにちは、ojin_8823さん
これが言いたかったから、面倒でも順を追って発言していました。しっかり準備してましたよ(笑)。


  国連総会は少数案の連邦制か多数案の分割かを総会(勧告)決議で分割案を採択したのですが、ユダヤ機関はこれを「受諾できるぎりぎりの限度」と答えています。彼らが問題にしていた点は主に2点だったであろうと考えています。
・領土が狭い、エルサレムが含まれていない。
・決議案はユダヤ国家宣言に際して主に以下を求める、宗教の自由、公共目的以外の土地収用の禁止、市民権の保証。
  一つ目は容易に理解できると思いますが、二つ目はつまりユダヤ国家がユダヤ人のため国家を必ずしも意味していないことです。よく知られているように、領土については6%程度の所有だったものが決議では57%となっているのでかなり優先されています。しかしその分、元々ユダヤ人は全体の1/3程度の人口だったのでユダヤ国家ではアラブ人51万、ユダヤ人50万とユダヤ国家とは名ばかりのものになってしまうのです。

  さて、独立に貢献した米国の流れをトルーマン・ライブラリーで見ると。。。
1947年
9月17日、マーシャル・プランで有名なマーシャル国務長官は国連演説で分割を支持しないと表明。
9月22日、国務省中近東担当ヘンダーソン局長はメモで、国務長官に分割案には反対と意見。
10月10日、統合参謀本部は分割は中東の石油を喪失させ、ソヴィエトの支配を招くと憂慮。
11月19日、ワイツマンはトルーマン大統領にネゲヴ地域が将来のユダヤ国家にとって重要と主張。
* ピール分割案と違い、ネゲヴがシオニストに割り振られるようにあらゆる努力をした一つの現れ。この地域のユダヤ人口は
  当時1%程度、それも委員会の視察に合わせて入植を急遽行った結果。それによって、分割案はアカバ湾に達し、紅海への
  アクセスを可能にする程、シオニストにとって重要な政治的判断。
11月29日、総会決議
12月2日、大統領、モーゲンソー元財務長官に書簡を送り、元長官のユダヤ人の友人を励ます。

>> 迫害の歴史が生んだ「兵営国家」

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/26 08:36 投稿番号: [1231 / 2453]
>これもよく言われるのですが、第一次中東戦争の国連による個別の休戦協定が成立するのと平行して、米、仏、トルコによるローザンヌ会議が開かれています。参加国はエジプト、ヨルダン、シリア、レバノンのイスラエルに接する隣国全てと、イスラエルが参加しています。会議の主旨は「分割決議を討議の基礎とする領土調整問題」も対象にしています。
>つまりパレスチナ・アラブを除き現実には隣国全てがイスラエルを認めているのです。イスラエルにもテロリストとシオニスト以外に政治家もいるはずですから、この点に気づいていたはずです。それを、安全保障がどうしたこうしたと言ってイスラエルは拒絶します。

▲やっぱりノイズだね(笑)。
相手に重症を負わせておいて、ただまた顔を合わせただけで、仲が良い(和平)?
marchingpeople さん、一度暴漢に襲われた方が良いのでは。

> 迫害の歴史が生んだ「兵営国家」

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/23 22:28 投稿番号: [1230 / 2453]
> イスラエルに住むユダヤ人たちは、建国以来、下手をすれば国がなくなるかもしれないという究極の危機感のなかで生きている。
> そこまでギリギリの状態で国家の存亡について考えつづけている国は、世界中のどこを探しても他にないだろう。

  これもよく言われるのですが、第一次中東戦争の国連による個別の休戦協定が成立するのと平行して、米、仏、トルコによるローザンヌ会議が開かれています。参加国はエジプト、ヨルダン、シリア、レバノンのイスラエルに接する隣国全てと、イスラエルが参加しています。会議の主旨は「分割決議を討議の基礎とする領土調整問題」も対象にしています。
  つまりパレスチナ・アラブを除き現実には隣国全てがイスラエルを認めているのです。イスラエルにもテロリストとシオニスト以外に政治家もいるはずですから、この点に気づいていたはずです。それを、安全保障がどうしたこうしたと言ってイスラエルは拒絶します。
  しかし、本当に安全保障に拘るのなら、戦争で獲得したわずかばかりの土地に固執せず、その数十倍の非武装地帯と監視体制を要求する方が現実的です、領土が狭ければ国土全体を要塞化することもできますし。まさかイスラエルも暖かく迎えてもらおうとは思ってなかったでしょうが、冷たい平和ぐらいは求めることも出来たはずなんですけどね。

  その後も安全保障を口実にイスラエルが侵略していることはご存知だと思います。サダトが平和のための戦争をするまでは。もちろんアラブにも侵略の口実を与えた責任はありますし、イスラエルが意図的に侵略したかまでは分かりません。


  だから「一度負けたら国が無くなる」は「欲しがりません、勝つまでは」みたいなもんですね。確かに「イスラエルの頭脳」とはよく言ったもんです(苦笑)。

> 水の一滴は血の一滴(2)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/23 22:26 投稿番号: [1229 / 2453]
> 最近、死海の推移がどんどん下がっていると指摘されるが、これは
> ≪旧ソ連から大量移民に伴って≫、イスラエル全体で水の消費量が増えたことに
> 対応するため、ヨルダン川上流のガリラヤ湖での取水を増やしたのだが、
> それでヨルダン川から死海への流入量が減ってしまったというわけなのだ。

これは深刻らしく、地中海から海水を引く計画もあるそうです。


> イスラエルの国民1人当たりの水消費量は、パレスチナ人の3倍以上といわれる。
> 中東の水源をがっちり握っているイスラエルのことを、
> シリアやヨルダンやパレスチナの人々は苦々しい思いで見ている。

ここはもう少し詳しい話がありますね。。。
》 イスラエル占領下のヨルダン川西岸にあるパレスチナ人の町、ヘブロンやベツレヘムでは、水道
》 の蛇口から水が出るのは2週間に一回、数時間程度しかない。市内全域に供給できる分の水がない
》 ため、日によって水を流す地区を順番に変えているためだ。残りの日は給水車を待つか、市内に
》 散在する井戸まで水を汲みに行かなければならない。

》   ところが、パレスチナ人居住地域から少し離れたユダヤ人入植地では、子供たちがプールで水
》 を跳ね上げて遊んでいる。水をやらないと枯れてしまう芝生も青々としており、もちろん蛇口を
》 ひねれば、いつでも水が出る。

》   西岸地域に点在する貯水池や水源のほとんどは、イスラエルの管理下にあり、西岸の自治権を
》 与えられつつあるはずのパレスチナ人は、水の管理権をほとんど持っていない。

》   イスラエル当局は、水を優先的にユダヤ人入植地に流しているだけでなく、西岸以外の国内の
》 他地域にも、パイプラインを通して西岸の水を流している。すぐ近くに住んでいて、本来は真っ
》 先に水をもらう権利があるパレスチナ人は、後回しにされているのである。

》   パレスチナ自治政府によると、西岸のパレスチナ人は、イスラエル人(ユダヤ人)の3分の1し
》 か水をもらっていない。こうした不公正に怒るパレスチナ人の中には、イスラエルが作ったパイ
》 プラインにこっそり穴を開け、水を盗み出す「水インティファーダ」を展開する人々もいる。
http://tanakanews.com/990802water.htm


> ともあれ、水資源に乏しいという条件が、イスラエルの産業育成にとって大きな足カセとなったことは間違いない。
> 水がなければ、農業だけでなく、工業製品を作るのだって圧倒的に不利だ。

不利にならないように努力しています。。。
》   イスラエルの上水道は現在、地下の帯水層および雨水が水源となっているが、帯水層からの供
》 給が枯渇する心配がある。帯水層は広い地域にまたがっているため、問題は地域的であると同時
》 に国家的なものとなる。シリアとの和平会議の席では、ガリラヤ湖、および他の多数の水源の利
》 用が問題にされる可能性がある。また、イスラエルはパレスチナ側からも圧力を受けている。パ
》 レスチナ人は、ヨルダン川西岸地区の下を通る大規模な帯水層を支配下に納めたいと考えている。
》 しかしイスラエルは、飲料水としても農業灌漑用水としても、この帯水層に頼っている。

》   事実、農業部門はイスラエルで最も多量の水を消費する部門である。現在の使用量は、真水が
》 ほぼ8億立方メートルである。国内の年間供水量は約20億立方メートルであるが、これは飲料用水
》 (真水)と主に農業用に使われる地下水(汽水)を合計したものである。農業用水の使用量を減
》 らす試みに対しては、農民が水資源を利用しやすいようにすべきであると主張する強力なロビー
》 勢力が、猛烈に反対している。
http://www.google.co.jp/search?q=cache:TCpkJ1Xjf2MC:www.maff.go. jp/soshiki/keizai/kokusai/kikaku/2000/20000315middleeast12a.htm (農林水産省、グーグルのキャッシュ)



こうしてシオニストご自慢の「奇跡」の農業と、入植者の「幸福」が維持されています。

> 水の一滴は血の一滴(1)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/23 22:25 投稿番号: [1228 / 2453]
はじめまして、sevenwhitebirdさん
ご紹介されている内容は、情報が不足しているようなので補っておきます。


「イスラエルは1948年直後に水利計画を再開した。Huleh湿地からの取水、ヨルダン川の迂回、輸送網の構築を含んだ包括的な全イスラエル計画51年に完成した。後に国営水輸送網に統合されたこの計画は、イスラエルの水利計画の基本原理─ヨルダン流域から海岸平野とネゲヴ砂漠へ引き込む─となった。」、特にHuleh湿地はシリアとの非武装地帯に位置するため、イスラエルは国営水輸送網の最初の区間を遅らせたが、挑発的な行為だったため工事の妨害、ゲリラ、正規軍による衝突を引き起こした。イスラエルはJisr Banat Yaqubでの大規模な計画を国際的な非難を恐れ工事を停止した。
1950年代の初めまでにヨルダンとUNRWAの両者は、ヨルダンの農業改善、パレスチナ難民を再定着化のために潅漑計画を練り、53年から実施する協定を結んだ。6月にはヨルダン・シリア間でYarmoukを共有することで一致したが、イスラエルが横やりを入れた。
53年7月、イスラエルは非武装地帯のJisr Banat Yaqubの工事を開始、シリアが国連に抗議し、国連がイスラエルに中止命令を出すがイスラエルは無視。米国が資金援助を使って恫喝し、イスラエルは計画を変更。変更の見返りにヨルダン-UNRWAの潅漑計画が中止を余儀なくされる。
米国はジョンストン特使を派遣、統合計画を関連国に提案。
「統合計画はイスラエル、アラブ連盟双方の技術委員会によって承認された。1955年7月イスラエル内閣は、決議を取らずに計画を討議した。9月にアラブ専門委員会は計画を認可し、最終的な承認のためアラブ連盟会議に委託した。10月11日、会議は計画を批准しないと決定した。ジョンストンを含めた殆どのオブザーバーによるとアラブの否決は完全な拒絶ではなかった、つまり政治的には承認に失敗したが、技術的詳細を支持する決心でいた。公正な監視については解決しておらず、将来、問題になることだった」。
*統合計画が政治的な合意にいたらなかった理由は不明だが、この年はアラブ民族主義が台頭しつつあり反イスラエル感情が高まってきた頃。国連安保理が初のイスラエル非難決議を採択している。翌年、イスラエルは英仏の侵略行為に加担、ハンガリーがその犠牲となる。
http://domino.un.org/UNISPAL.NSF/561c6ee353d740fb8525607d00581829/680b6e63dd886506852560c20070c932!OpenDoc ument
  統合計画をイスラエルが保留し、アラブが批准しなかった結果、イスラエルとヨルダンがそれぞれ独自の計画を実施。
http://www.unu.edu/unupress/unupbooks/80858e/80858E0m.htm
  地方によって水の供給量が異なるので、それを解決するため国内の水資源はほとんど1つの配水網に統合されている。その中心が「ナショナル・ウォーターキャリアー」と呼ばれる国営水輸送網で、1964年に完成した。
http://www.israelembassy-tokyo.com/about/people/

*64年に国営水輸送網がヨルダン川からの取水を開始。それにアラブは抗議するが無視され、取水箇所より上流で工事を行おうとした。

> そもそも1967年の第3次中東戦争は、ヨルダン川上流でシリアが水路工事*を
> やろうとしたのを、「ガリラヤ湖への水の流入に重大な影響がある」として
> イスラエルが猛反発し、先制攻撃を仕掛けたのが引き金だった。
> 戦争後、イスラエルが西岸地区とゴラン高原を占領したのは、明らかに水資源戦略上の狙いからだ。
> まさに「水の一滴は血の一滴」で、中東紛争の背景には水資源の問題が根深く横たわっている。

あまり詳しくないのですが、水問題の流れは、こんな感じだったはずです。

一切ねぇ(3)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/23 22:24 投稿番号: [1227 / 2453]
*英国が統治を断念する事を決定した、ピール委員会に劣らぬ重要な会議
【第二回ロンドン会議】

  招聘を拒否したパレスチナ・アラブ、ユダヤ両代表欠席のまま始まった新ロンドン会議は1946年9月から47年2月まで開催された。参加したアラブ国家は州提案に反対し、独自案を英国政府に提出した、要旨は;
(a)   パレスチナは恒久的なアラブ多数者の単一国家とする、そのために英国統治下で短期(2,3年)の移行期間の後、
    独立を達成する。
(b)   この単一国家内では、パレスチナ市民権(資格は国内で10年間、在住とする)を得たユダヤ人は他のパレスチナ人
    と同等の完全な市民権を持つ。
(c)   特別保護官がユダヤ社会の宗教と文化的権利を保護するために用意される。
(d)   ユダヤ社会はパレスチナ立法府において(定義された)ユダヤ市民の数に比例した議席を得る権利がある。
    ただしユダヤ人代表は議会の1/3を超過しない。
(e)   移民と土地の譲渡に関するすべての立法は、立法府のアラブ多数派による表明といったパレスチナのアラブ人の
    同意が必要とされる。また、ユダヤ社会に用意される保護官の変更も同様である。

  一方、バーゼル宣言から50年経った1947年バーゼルで開催されたシオニスト会議では、「英国委任統治の焼き直し」であり、かつ、いかなる形式の委任統治も退けるとして自治州案を拒絶した。会議は要求する;
    (a)   パレスチナは民主主義的世界の枠に組み込まれるユダヤ国として建設されること
    (b)   パレスチナの門戸をユダヤ移民に開くこと。
    (c)   ユダヤ機関に国家建設のための必要な権限とパレスチナへの移民を管理する権限を付与されること

  その後英国政府は1947年2月に、後から代表に加わったパレスチナ・アラブ執行部および英国政府と非公式交渉を始めたユダヤ機関に英国案を提示した。両者は提案を拒絶した。
  新たに合法、非合法の大規模な移民よって強化されたユダヤ機関は暴動に対して指導部と外国の強力な支援によって準備されたユダヤ警護隊でよく備えた。ユダヤ機関は長年の目的─パレスチナのユダヤ国家─に向かって後一歩まで近づいた状態で、妥協の用意はなかった。
  他のアラブ人の支援と共にパレスチナ・アラブ人は国の保持と防衛と、止まらないユダヤ移民によるこれ以上の支配を阻止しようと決意した。完全に行き詰まりだった、パレスチナに大規模な暴動が迫っていた。
http://domino.un.org/UNISPAL.NSF/561c6ee353d740fb8525607d00581829/aeac80e740c782e4852561150071fdb0!OpenDoc ument

*アラブ指導部はこの統合案を受け入れ、アラブ機関に英国当局との交渉権限を与えた。一方シオニスト側は一切の妥協を拒み、いかなる統合にも反対した(笑)。

  「アラブの恐〜いお兄さん達」も事態を静観しているわけにいかず、現状に即した統一案を提示しているんですよ。市民権の資格に10年というのは長い感じもしますが、それまでの37〜47年までに激増した不法入国者に対応したものでしょう。ま、提案ですから、シオニスト側がこの線で詰めれば「暫定統治」を経て統一国家になっていたでしょう。もしかしたら、交渉に長けた民族だからもっと有利な連邦国家も夢じゃなかったかも知れませんね。
  しかしながら、シオニストは分離独立のつながる話し合いには応じたが、そうでなければ激烈な武力闘争によって国家という目的のために虐殺、強制退去を組織だって敢行したわけです。アラブの反シオニスト感情からのものとこの点が大きく違う点です。
  国家の名の下にあらゆる事を正当化したナチズムと、自然発生的なポログロムの違いと言えばf3nasaさんにはご理解いただけると思います。
  まあ、国家なんてものは多かれ少なかれそういう部分があるでしょう。しかし、その問題を解決する姿勢を民主主義国家は求められます。

一切ねぇ(2)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/23 22:09 投稿番号: [1226 / 2453]
【穏健派ナシャシービー】
  委員会は暴動が頻発する中、設立された。過去3年で最も深刻なアラブ人とユダヤ人との衝突が1936年に発生していた。委員会は、暴動の原因の断定と両者の申し立ての裁定を委ねられた。ハイム・ワイツマンはシオニストのために心を打つ印象的な演説を行った。エルサレムのムフティ(法官)であるハジ・アミン・アルフセイニーは委員会での証言を拒絶した。代わりに、ユダヤ移民の全面中止を要求した。アラブ人は委員会のボイコットを公式には続けていたが、説得力のあるワイツマン演説に応じようとする緊迫感があった。そうして元エルサレム市長のラゲブ・ベイ・アル・ナシャシビーは非公式のチャンネルと通じてアラブの観点を弁明するために派遣された。
http://www.wzo.org.il/home/politic/peel.htm


*だから、「ユダヤ指導部はこの分割案を受け入れ、ユダヤ機関に英国当局との交渉権限を与えた。一方アラブ側は一切の妥協を拒み、いかなる分割にも反対した。」は事実に反している。
  シオニストは分割という考えに賛成、分割案には反対。アラブは非公式ながらナシャシービーが分割案に賛成だったし(イスラエル建国物語を参照)、アブドゥラ国王は賛成していた。


------------------
*他にも交渉があった。
【英米委員会】
  英国と米国は窮状調査に協調して、「英米調査委員会」を制定した。1946年4月に委員会は、パレスチナはアラブ、ユダヤ双方のいずれも優勢ではないという勧告を提出した。勧告は、国家創設や独立が市民戦争に帰着するだろうと結論を下した。つまりユダヤ・アラブの双方を導くように国連による信託統治を設立すべきで、それはパレスチナへの完全なユダヤ移民が許可され、そして2つの自治州はエルサレム、ベツレヘムおよびパレスチナ南端区域のネゲヴを統治する強力な中央政府と共に設立されるという事だった。
  英国政府、アラブ人とユダヤ人は勧告には承諾しないと答えた。
http://www.archives.gov/digital_classroom/lessons/us_recognition_of_israel/us_recognition_of_israel.html

*つまり、皆反対。

一切ねぇ(1)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/23 22:07 投稿番号: [1225 / 2453]
【大使館の歴史】
  英国政府は、対立する二つの民族主義運動がそれぞれの目的を有することを認め、1922年委任統治領分割に続き、1937年には新たな分割を提案した。つまり、ヨルダン川以西の地域をユダヤ、アラブの二カ国に分割するのである。ユダヤ指導部はこの分割案を受け入れ、ユダヤ機関に英国当局との交渉権限を与えた。一方アラブ側は一切の妥協を拒み、いかなる分割にも反対した。

「1937年には新たな分割を提案した。」とは?
【ピール委員会分割計画地図】
  パレスチナ分割案は領域を3エリアに分けた。海岸平野とガリラヤはユダヤ人に割り当てられた。アラブ人は順次、ガザ、(ヨルダン川)西岸とネゲブを統治するはずだった。エルサレムは地中海まで達する領域を加え、英国委任統治領として残されるはずだった。
  提案へのユダヤ人の反応は様々だった。ベングリオン、ワイツマン、シャレットは分割の原則を受け入れた。しかしながら、両国の最終的な国境を交渉する権利は維持した。ヤボンスキー、アシュケナージ、カッツネルソンやメイヤといった他のシオニスト指導者は提案に反対した。意見の相違がありながらも、シオニスト運動がパレスチナ分割を支持することによって、妥協案が採用された。

  大部分のアラブ人は分割を拒絶した。過激な立場を維持してアラブ指導者らはユダヤ人移民の終了を要求し続けた。トランスヨルダン国王アブドゥラ大公だけが、分割案を支持した。提案に対する抗議として再開されたアラブの暴動は一層の関係悪化を招き、結局、計画が実施されることは無かった。
http://www.wzo.org.il/home/politic/peel2.htm
ちなみにピール分割案とそれ以前のユダヤ共同体分布図を見れば、英国がハイファ港を確保して石油の積み出しとかしようと目論んでたことが分かります。
http://www.us-israel.org/jsource/History/yishuv.html

*別な反応2つ
【第20回会議─チューリッヒ、1937】
  1936年春に、パレスチナでアラブの蜂起が勃発した後に、英国政府は、アラブ-シオニスト紛争の解消を図るため委任団を急送した。(後に議長として知られる)ピール委員会の主な勧告は、パレスチナをユダヤ国家とアラブ国家に分割するものだった。シオニスト機構は、この提案へのシオニスト運動の立場を決定するよう求められた。

  運動内に生じた重大局面は、何日も組織を揺さぶったいわゆるウガンダ論争に匹敵するものだった。シオニスト各派は党派間だけでなく内部でも分裂した。例えば:

・マパイ(労働党)では、バール・カッツネルソンとイサク・タベンキンが反対していた一方、
  ベン・グリオンは提案を支持した。
・(世界シオニスト機構から離脱した修正主義者)メナハム・アシュケナージ率いる野党は、
  提案されたユダヤ国家は、潜在的なユダヤ移民の吸収と、アラブからの攻撃を防御するには小さすぎ、
  シオン(エルサレム)が除外されていると主張した。
・彼らに反対してワイツマンとベングリオンは、ユダヤ国家には無条件の移住と国家主権が
  存在すると訴えた。先行き不明な状況で、彼らは英国人が提案を改善することに疑問を
  抱いていたが、危険に晒された欧州のユダヤ人には即時解決が必要だった。ベングリオンは、
  ユダヤ国家が攻撃されることになった場合、シオニスト運動には国境変更を要求する固有の
  権利があるだろうと訴えた。

  とにかく、議会はピール委員会に勧告された具体的な国境を拒絶することを決定したが、執行部にパレスチナへのユダヤ人国家について、より有効な計画を交渉する権限を与えた。
http://www.us-israel.org/jsource/Zionism/zionman.html

> 対話で和解

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/23 22:06 投稿番号: [1224 / 2453]
こんにちは、f3nasaさん


> 食物連鎖の頂上にある肉食獣ほど生々しくはないけれど、人間一人一人
> もそれぞれ一生命体として、何らかの形で生き残りを賭けて戦っている
> 事には違いない。
>
> そうした観点からは、アラブの恐〜いお兄さん達にぐるりと取り囲まれ
> たイスラエルが、自らの生存の為に行っている戦いは何時だって正戦で
> すよ。

せっかくソクラテスまで持ち出して法の重要性を説いてくれたのに。これじゃあ、「ゲルマン民族の生存圏」みたいです。


> パレスチナの方々には申し訳ないが彼等は、アラブの矢面に立たされて
> 割を食ってるだけでしょう。一部の狂信的なアラブ信奉者にはパレスチ
> ナを盾として利用しているアラブの実態も感じて欲しいですね。

これは盾というより矛としいる感じですね。が、彼らの土地を没収したイスラエルが原因ですからね。


> それより二十一世紀の感覚では、戦争の勝利者による領地拡大意志を何
> 処まで認めるのが相応しいのか、とか。そういった論点を期待したいん
> ですけど。

クェート侵攻するには10年程早すぎた?、なんだか、世界中の国境が紛争地帯になりそうですね。


> もっと上手い言い訳を用意しておくべきですネ。
>
> まぁイスラエル大使館には僕からメールを出しておきましたから、彼等
> が返事を出してくれるかどうかはまだ判りませんが、楽しみにしておい
> て下さい(笑

助かります、返事が来ないと言っても僕には証明できませんから。別なら一緒に内容を精査しましょう。
  ちなみに民族自決を掲げていた米国は講和会議が決定する前に現地を調査。キング・クレーン委員会はシオニズムに好意的な先入観を持ちながらと調査したがと前置きして、1919年に報告。
・パレスチナにユダヤ人の無制限移民を行おうとする、シオニストの極端な計画は大幅に修正すべきである。
・ユダヤ人の代表たちによって、シオニストたちがさまざまな手段で土地を購入し、その結果パレスチナの非ユダヤ系住民の
  事実上の完全な追い出しをしようとしていることが明らかとなった。
http://www.mideastweb.org/kingcrane.htm


  ついでにバルファア宣言について「イスラエルの建国はバルフォア宣言の履行と、後の国連の決議により正式に採択されたものですが、」と宣言とその履行を誤解をされている方もいるようなので一応確認しときますね。
それと、他に用意しといた資料もに別発言で載せておきます、参考にして下さい。
でわ、結果待ちということで(^^)/。




バルフォア宣言
》 英国政府はパレスチナにユダヤ人のための民族郷土を設立することに賛成、この目的の達成を容
》 易にするため最善の努力を払う。ただし、パレスチナに現住する非ユダヤ社会の市民的、宗教的
》 権利および他の諸国におけるユダヤ人の享受する権利と政治的地位を損なうことはしないむね明
》 確に了解される。

これをフランスが支持、第一次大戦後、パリ講和会議から対トルコなどの戦後処理を委託されたサン・レモ会議で日英伊仏の列強が「パレスチナはバルフォア宣言に基づいて統治される。」と決定。これを国際連盟が承認して英国による委任統治が行われる。

チャーチルによる22年白書が出る。
http://www.wzo.org.il/home/politic/white.htm
白書の中で、宣言はパレスチナ全土にユダヤ国家設立ではなく、パレスチナに民族郷土を建設を目的にしたものと説明。
これを受けてパレスチナの民政機関が組織され、ユダヤ側はパレスチナ・シオニスト行政機関を設立、つまり白書の承認。

マクドナルドによる39年白書が出る。
http://www.wzo.org.il/home/politic/white39.htm
10年以内にパレスチナ国家を独立させる、当時の状況を反映して構成はアラブ7、ユダヤ3。


*ユダヤ人にとって厳しい内容になっていくのだか、増加する移民への反感を考慮して、委任統治国である英国が現地の治安に対応したに過ぎない。もちろん親アラブの政策だが。
  白書の内容は宣言の主旨には反するが宣言の内容を忠実に履行している。そして、シオニストは政治的に目的を達成することが不可能と判断して武力闘争に転じる。英国はシオニストへの態度をさらに硬化させていく。

いずみたくって

投稿者: sevenwhitebird 投稿日時: 2002/12/23 21:27 投稿番号: [1223 / 2453]
参議院議員で、共産党だったかな。

でも、「手のひらを太陽に」は大好きな曲♪

Steps Up Preparations for Gulf War

投稿者: f3nasa 投稿日時: 2002/12/23 10:10 投稿番号: [1222 / 2453]
米軍部隊1000人がイスラエルへ

【カイロ=松尾博文】イスラエル放送によると、ドイツ駐留の米軍部隊約1000人が数日中にイスラエル入りする。イスラエル軍との防空演習が目的と説明しているが、演習後も駐留を続ける見通しだ。米海軍のフリゲート艦もイスラエル沖に移動する予定。イラク攻撃をにらんだ米軍の中東展開の一環とみられる。

イスラエル軍筋によると、軍は空軍部隊や迎撃ミサイル部隊に1月中旬までに実戦への準備を終えるよう指示した。湾岸戦争でイラクはイスラエルにスカッドミサイルを撃ち込んでおり、今回も警戒を強めている。 (18:51)

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20021223AT2M2200B22122002.html

Israel Steps Up Preparations for Gulf War

Israel has stepped up preparations for a possible U.S. war against Iraq, scheduling joint exercises with U.S. forces and gas mask lessons for schoolchildren, Israeli officials said on Sunday.

Israeli media reported Israel would go on high alert from January 15 in anticipation that hostilities would erupt in the Gulf some time between January 27 and February 26.

The Defense Ministry would not confirm the date, but said Israeli security forces have been preparing for a possible Iraqi attack.

Israel is concerned that Iraqi President Saddam Hussein will respond to any U.S. strike by launching missiles armed with chemical or biological warheads against the Jewish state which has been fighting a Palestinian uprising since September 2000.

Some 1,000 U.S. troops are expected in Israel this week for an exercise involving U.S.-made Patriot missiles, which were largely ineffective in intercepting the 39 Scud missiles that Iraq fired at the Jewish state in the 1991 Gulf War.

http://www.reuters.com/newsArticle.jhtml?type=topNews&storyID=1948734

No Israeli flag in Baghdad

Like an ostracized kid whom the others don't want to allow into the game, Israel has been told to drop the idea of attacking Iraq in the event that it is attacked. This is a war of the big boys, Washington is saying, and in an international conflict the Israeli flag is a disruptive factor. The United States wants to foment a world war against Iraq in which as many countries as possible will participate, to mobilize the support - or at least the neutrality - of the Arab states, to forestall a situation of instability in the Islamic countries, to eliminate Saddam Hussein, to establish a local regime in Iraq and to continue to preserve its status in the Middle East.

http://www.haaretz.com/hasen/pages/ShArt.jhtml?itemNo=243500&contrassID=2&subContrassID=4&sbSubContrassID=0&listSrc=Y

♪♪♪♪♪

合衆国によるイラク攻撃が想定される日時が具体的に記載されています。以前、田中宇氏が示唆されていたイスラエル国防軍によるヨルダン通過は無さそうな気配ですね。

手のひらを太陽に

投稿者: f3nasa 投稿日時: 2002/12/22 23:32 投稿番号: [1221 / 2453]
手のひらを太陽に

やなせたかし氏作詞 いずみたく氏作曲

僕らはみんな生きている
生きているから歌うんだ
僕らはみんな生きている
生きているから悲しいんだ
手の平を太陽に透かしてみれば
真っ赤に流れる僕の血潮
ミミズだって、オケラだって、アメンボだって
みんなみんな生きているんだ友達なんだ

僕らはみんな生きている
生きているから笑うんだ
僕らはみんな生きている
生きているから嬉しいんだ
手のひらを太陽に透かしてみれば
真っ赤に流れる僕の血潮
蜻蛉だって、蛙だって、蜜蜂だって
みんなみんな生きているんだ友達なんだ



♪♪♪♪♪

いやはや、『手のひらを太陽に』の作者があのアンパンマンの作者と同一人物だったとは僕も初めて知りました。そういや同じ感性で作られているような気がしますねー。

質問

投稿者: sevenwhitebird 投稿日時: 2002/12/22 20:46 投稿番号: [1220 / 2453]
>イスラエルとアラブ双方に良い顔しなきゃならない立場にある日本ですから、、

なぜ双方に良い顔をしなきゃならないのですか?

すみません

投稿者: sevenwhitebird 投稿日時: 2002/12/22 20:40 投稿番号: [1219 / 2453]
>アラブ諸国に教われるかわからないし

→アラブ諸国に襲われるかわからないし…です。

>水の一滴は血の一滴

投稿者: f3nasa 投稿日時: 2002/12/22 18:53 投稿番号: [1218 / 2453]
皮肉なもので、中東諸国の多くが豊富な石油資源を持ちながら水資源が枯渇しているという問題を抱えていますネ。

日本の中東諸国に対する政府開発援助の大きな柱にも水資源開発の項目が含まれておりますし、国際支援の元に設立された、中東淡水化研究センターの最も重要な技術である海水淡水化プラントも日立造船製であったと思います。

イスラエルとアラブ双方に良い顔しなきゃならない立場にある日本ですから、このような地味なところで貢献させていただくのが賢明なのカモ、です。

まちがい

投稿者: sevenwhitebird 投稿日時: 2002/12/22 09:32 投稿番号: [1217 / 2453]
死海の推移→死海の水位

迫害の歴史が生んだ「兵営国家」

投稿者: sevenwhitebird 投稿日時: 2002/12/22 09:30 投稿番号: [1216 / 2453]
1947年11月29日、発足したばかりの国連は、パレスチナの分割決議を採択した。
その翌日から、独立をめざすユダヤ人と、土地を負われる危機感を抱いたパレスチナ人との間で紛争が始まった。
パレスチナの地で勃発したこの紛争は、1948年5月14日、イスラエルが建国を宣言すると同時に一気に拡大した。
その翌日にシリア、ヨルダン、レバノン、イラク、エジプトのアラブ5カ国の正規軍が介入し「パレスチナ戦争」に発展したからだ。
イスラエルは半年をかけてこの戦争に勝ったが、まわりは敵だらけで、おまけに多勢に無勢という絶対不利な状況に変わりはなかった。
いつまたアラブ諸国に教われるかわからないし、今度は勝てないかもしれない。そうすれば、またこの土地を追われることになる。
せっかく約束の地へやって来て自分達の国を作ったのに、それではかなわない。
以後、イスラエルにとって「国防力強化による安全保障の確立」は国家的大命運となった。
経済的発展も、道路や水道、港湾、電気、通信といったインフラの整備も、国家が存続しなければ意味がない。
国の礎である農業振興とともに、最優秀の人材が軍に集められたのは当然だった。
ここに「兵営国家・イスラエル」の歴史が始まる。

イスラエルに住むユダヤ人たちは、建国以来、下手をすれば国がなくなるかもしれないという究極の危機感のなかで生きている。
そこまでギリギリの状態で国家の存亡について考えつづけている国は、世界中のどこを探しても他にないだろう。

                                                      「イスラエルの頭脳」

水の一滴は血の一滴

投稿者: sevenwhitebird 投稿日時: 2002/12/22 09:14 投稿番号: [1215 / 2453]
イスラエルは、かくも水資源に乏しい。そのため、
ずっと海水の淡水化や廃水の再利用、大胆な節水などに積極的に取り組んできた。
しかし、絶対的な水不足は変わらず、水源のほぼ半分を、依然として
ヨルダン側西岸やゴラン高原に依存している。
西岸地区の年間降雨量はイスラエル全体の約40%を占め、
ゴラン高原には淡水湖であるガリラヤ湖がある。

そもそも1967年の第3次中東戦争は、ヨルダン川上流でシリアが水路工事を
やろうとしたのを、「ガリラヤ湖への水の流入に重大な影響がある」として
イスラエルが猛反発し、先制攻撃を仕掛けたのが引き金だった。
戦争後、イスラエルが西岸地区とゴラン高原を占領したのは、明らかに水資源戦略上の狙いからだ。
まさに「水の一滴は血の一滴」で、中東紛争の背景には水資源の問題が根深く横たわっている。

最近、死海の推移がどんどん下がっていると指摘されるが、これは
旧ソ連から大量移民に伴って、イスラエル全体で水の消費量が増えたことに
対応するため、ヨルダン川上流のガリラヤ湖での取水を増やしたのだが、
それでヨルダン川から死海への流入量が減ってしまったというわけなのだ。
イスラエルの国民1人当たりの水消費量は、パレスチナ人の3倍以上といわれる。
中東の水源をがっちり握っているイスラエルのことを、
シリアやヨルダンやパレスチナの人々は苦々しい思いで見ている。
宗教対立と同時に、水をめぐる対立も存在しているのだ。
中東和平が進んでいるとは言っても、根本的な解決は、なかなか容易なことではない。

ともあれ、水資源に乏しいという条件が、イスラエルの産業育成にとって大きな足カセとなったことは間違いない。
水がなければ、農業だけでなく、工業製品を作るのだって圧倒的に不利だ。
これだけ水の豊かな日本でも、戦後の工業化過程では工業用水を確保するために巨大なダムをいくつも作った。
水はモノ作りには絶対欠かせない資源なのである。
イスラエルが、最終的に量産思考の組立型産業ではなく、
頭脳型ハイテク産業へと進路を定めた背景には、天然資源がないとか
国内市場が小さいということに加え、この水不足という問題も大きかったはずだ。

2000年6月   「イスラエルの頭脳」

2chの祭「TIMEの表紙にアラファト」を阻止

投稿者: gcr789 投稿日時: 2002/12/21 20:04 投稿番号: [1214 / 2453]
現在、日本の掲示板
"http://private.rocketbeach.com/-mms1667/xxx/upload/upload.cgi"

TIMEの"Person of the Year"での投票において
"Yasser Arafat"に連続投票するためのツールが開発され
配布されています。

"http://live.2ch.net/test/read.cgi/festival/1040382681/"
で連絡を取り作戦が練られています。
  通報したい人は私の稚拙な英文でよければコピペしてください。

件名The tool for controlling the vote in "Person of the Year"
Now, in vote by Web page"Person of the Year" of your company,
the tool for carrying out continuation vote is developed
and distributed with the Japanese bulletin board.
It is developed to vote"Yasser Arafat".

"http://live.2ch.net/test/read.cgi/festival/1040382681/"
-- It contacts in this place and strategy is kneaded.

"http://private.rocketbeach.com/-mms1667/xxx/upload/upload.cgi"
-- The tool is distributed in this place.
I desire disposal which repeals the contribution to "Yasser Arafat."
通報したくない人は無視してください。

おもしろく読みました。

投稿者: major_yosarian 投稿日時: 2002/12/19 21:04 投稿番号: [1213 / 2453]
marchingpeopleさん。一連の投稿読みました。私も多分同じような思いかな。Meir Stieglitzの論説とか読むとほっとするわけで。またの投稿楽しみにしてます。

そこまで

投稿者: khaver2002 投稿日時: 2002/12/19 18:31 投稿番号: [1212 / 2453]
言うならあなたがハマスやイスラム聖戦の武装組織のメンバーになって対イスラエル抗戦してみれば。

日本男児を自称し偉そうなことをおっしゃる以上そのぐらいの覚悟あるんでしょう。

まさか最前線にたって「怖いよー」なんて半べそかくんじゃないでしょうね。

どうせ出来ないんだからキャンキャン吠えてないの!。みっともない。

まともに議論したかったらmarchingpeopleさんへ弟子入りしたら?

反イスラエルのテクニックは身に付くかもね。

滅びろ!アメ公の飼い犬!

投稿者: hanbeitarou 投稿日時: 2002/12/19 16:08 投稿番号: [1211 / 2453]
滅びろ!アメ公の飼い犬!ユダ公!

文明社会を破壊し、
過去の悲劇を恨みまくって
故郷(Zion)を取り戻すという
名を借りた
ワケわからんサギ行為(虐殺)
ために、自由な生活を破壊し、無実の人々を殺戮ている。
諸悪の根源!イスラエル。
アメ公の子分!

今日も悪の道にまっしぐら!

頑張って虐殺を繰りかえせ!

でもいつか、張り倒してやるからな!
おぼえてやがれ!人殺しめ!

>>対話で和解

投稿者: f3nasa 投稿日時: 2002/12/17 21:49 投稿番号: [1210 / 2453]
>私たちもこれにならって、イスラエルにとって正戦になった瞬間を探ってみませんか?

食物連鎖の頂上にある肉食獣ほど生々しくはないけれど、人間一人一人もそれぞれ一生命体として、何らかの形で生き残りを賭けて戦っている事には違いない。

そうした観点からは、アラブの恐〜いお兄さん達にぐるりと取り囲まれたイスラエルが、自らの生存の為に行っている戦いは何時だって正戦ですよ。

パレスチナの方々には申し訳ないが彼等は、アラブの矢面に立たされて割を食ってるだけでしょう。一部の狂信的なアラブ信奉者にはパレスチナを盾として利用しているアラブの実態も感じて欲しいですね。

それより二十一世紀の感覚では、戦争の勝利者による領地拡大意志を何処まで認めるのが相応しいのか、とか。そういった論点を期待したいんですけど。


>いえ無いです、合理的な説明が付くものが他にあればそれでいいです。
>それに大使館に答えられる人がいるのでしょうか?、まあ、ヘブライ語の
>HPぐらいは紹介してくれると思いますが。

もっと上手い言い訳を用意しておくべきですネ。

まぁイスラエル大使館には僕からメールを出しておきましたから、彼等が返事を出してくれるかどうかはまだ判りませんが、楽しみにしておいて下さい(笑

スナップ写真

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/16 08:15 投稿番号: [1209 / 2453]
なかなかこういう写真が報道されることが少ないので
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021215-00000336-reu-int.view-000

>記念講演

投稿者: tohzainanboku 投稿日時: 2002/12/15 20:30 投稿番号: [1208 / 2453]
suiheisen2002さま
レスが遅くなりましたが、
守口市の記念公演のご報告、ありがとうございました。

小生も日イ親善協会に入会しましたが、
まだイベントには顔を出しておりません。
そのうち機会があればと思っております。

ありがとうございました。

教えてください

投稿者: kazetokomorebi 投稿日時: 2002/12/13 23:22 投稿番号: [1207 / 2453]
①どうして、ヨルダン西岸が問題になるのですか?
②どうして、ヨルダン西岸やイラクに日本赤軍が関わっているのですか?
③イラクのフセインって、預言者ムハンマドの子孫?

有り難うございました、ojin_8823さん

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 20:22 投稿番号: [1206 / 2453]
  実はジャボティンスキーの発想が今こそ必要ではないかと考えています。「哀れで可哀想なパレスチナ人」ではなく、「生きた民族」だという認識が我々に必要な気がするのです。
  そこにいるのは人間として、狡猾さ、激しい憎悪、復讐心、喜び、涙、涙、怒り、怒り、怒りを持った「生きた民族」だと思います。暴力に満ちた無法地帯で、人の哀れみにすがっても、土を食べても、生まれた大地で生き残ろうと決意した「生きた民族」だと思います。それがパレスチナ人を見て不快に感じるイスラエル兵への「生きた民族」に持つことが許された、最初の抵抗であり、イスラエルの一瞬の気のゆるみを一日千秋の思いで待ち続ける姿のような感じがします。

  彼らが如何なる独立への希望も失い、あらゆる平和への希望を失ったとき、民族として「絶対にユダヤ人との共存は不可能」と決意したとき、何が起こるか恐ろしいのです。すべてのユダヤ人がたった一つの希望に死力を尽くしたとき、独立国家が出来たのですから。

  また、「鉄の壁」が存在しない限り、シオニストは民族郷土を無意識に求めてしまいます。「戦争も終わった、占領地をどうするか」、ここで躊躇いが生じます、民族郷土ですから。そこに暴動が知らせが入ります、「やはりしばらくは、我々が管理せねば」と考えるでしょう。テロが起こります、「早く和平を実現せねば。そうだ、過激な奴が入植とか言ってたな、やってみよう。アラブ人も土地が減っていくのを見れば、交渉に応じるだろう。その時返せばいいさ。」と考えるでしょう。そうやって何か口実があると無意識に民族郷土を求め、行動をエスカレートさせるのではないでしょうか?

  しかし、パレスチナ人にとって、そのすべての行動がイスラエルに共存する意志がないと感じるのではないでしょうか?。結局、「われわれを皆殺しにするか追っ払うつもりではないのか?」、「われわれを虐殺するか海に追い落とすつもりではないのか?」という相互不信があり、先ずそれを扇動家が確信して行動する。そして、パレスチナにいるすべてのユダヤ人、アラブ人が確信して、真実となる、「鉄の壁」が存在しない限りは、行き着くところは全面衝突しかあり得ないのでは?、と感じるのです。

  だから、私はパレスチナ人のすべてがテロリストだと考えています。「哀れで可哀想なパレスチナ人」の朝日新聞では解決しません、イジメが終わればそれでいいのですから。「鉄の壁」の必要性を伝える事こそが、ジャーナリストの責務だと思います。残念ながら、日本にはその様な姿勢の報道がありません。

  ojin_8823さん、是非、今後も歪んだアラブ・シンパの「哀れで可哀想なパレスチナ人」像を破壊して下さい。
  出来れば、ojin_8823さんに怒りが向けられないような、アラブ・シンパがパレスチナ人を不快に、怒りの対象にさせるようなスタイルで発言していただくと。例えば「私もパレスチナ人に同情していたのですが、最近信じられないのです。。。」とシンパを装うような(^^;



  大変失礼な発言を繰り返したこと、心からお詫び申し上げますm(_ _)m。
  言い訳させていただきますと、お気づきとは思いますが私は親イスラエルから、シオニストを批判する立場で参加しています。だからアラブのタブーもシオニストのタブーも私にはありません、っていうか何も守ろうとしていません(笑)。圧倒的に有利な立場なのですが、物量を投じて挑発を繰り返すことで失言を引き出したかったのです。すみませんでした。

  こちらからは言いにくいのですが、ojin_8823さんとやり取りを終了させていただけないでしょうかm(_ _)m?、年末ですし、これ以上手の内を見せると今後が。。。(^^;


  f3nasaさんもありがとうございました。ちょっとお休みします(^^;

有り難うございました、ojin_8823さん

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 20:21 投稿番号: [1205 / 2453]
【ジャボティンスキー他、残りについて少々】
  ジャボティンスキーの言動はかなり過激だったようで、1931年の世界シオニスト会議で『ベン・グリオンはジャボティンスキーを「ウラディミール・ヒトラー」と呼んだ。(ユダヤ人の歴史   ポール・ジョンソン)』そうです(^^;
  自警団の名は「ハガナー」ですよね、私は見たことないのですが、ジャボティンスキーが暴動を止めるのにやや過剰な行動に出たのかな?と今のところ考えております。また、初期の入植者には、ガッツの足りないところが見受けられ、話が大げさになる傾向があったようです。(繰り返しになりますが、まだ少人数のユダヤ入植者集団にとって防衛は可能だったとしても、耐えに耐えて一切の挑発行為は取らなかったのだと思います。ただ建国前夜、純粋な独立心からとは言い難い要素が混じってしまったのは仕方がないですね。)
  それが感じられるのは英国によって、彼らが熱望するユダヤ系英国人でワイツマンとは別行動でしていたが、やはりシオニストとしてイスラエル国家を目指していたハーバート・サミュエル=初代パレスチナ高等弁務官が任命されたときの様子です。それは、『ユダヤ人は歓喜して勝利を宣言し、サミュエルが到着すると一斉に苦情と要求を突きつけた。ヴァイツマンは激怒した。「すっかりうんざりしたサミュエル氏が他の人々と同様ユダヤ人共同体に背を向け、われわれは絶好の機会を逃してしまうだろう」と、彼はパレスチナのシオニスト事務局でエドゥ博士に書いた。(ユダヤ人の歴史   ポール・ジョンソン)』からです。
  ただし、入植者も当時プロトコルと持っていた?(か読んでいた)すべての英国兵からは、「ロシアから来た屑ども」として扱われていましたので難しいところです。
  その様子を見て着任したサミュエルは、ユダヤ人である前に英国人として公平に振る舞おうとしてジャボティンスキーを釈放するには、フセイニーの解放も必要だと考え行動したそうです。さらにアラブ人の不満を解消するためにフセイニーを任命しました。

  このように入植者にとっては結局、初めから親ユダヤ政策とはならなかったようです。元々英国はペルシャに持つ油井からパイプラインを引いて地中海側に終端を設置しようとしていた時に、シオニストの話が「ユダヤ人でも同じ西洋人に任せる方が簡単だ」と聞こえたようです。これが成功すれば、1956年にスエズ運河の契約満期を控えていた英国にとって、イラク、ヨルダン、パレスチナと実質的には統治国を通し、安全に石油という戦略物資を確保できたはずなのです。ところが、アラブの反対があまりに強く、ドイツとの戦争を現実の物と感じるようになった英国は、親ユダヤ政策をあっさり捨て、親アラブとなったのです。また、後の第一次中東戦争におけるヨルダンの怪しげな動き、第二次中東戦争の植民地政策むき出しの介入として現れたようです。

  余談ですが、その後は日本の建造技術による、スエズ運河の航行不能なスーパー・タンカーの登場で、運河の戦略的な価値が無くなったこと、北海油田が発見されたと、大英帝国では無くなったことが英国の野心を断念させたようです。入れ替わるようにやってきた米国は当初100%の自給率で単に競合する外資系石油会社のバックに国がついていたので、自国企業の保護のため国務省が先ず介入。輸入国に転じてからは、軍事的な支援。輸入量が経済を左右するようになってからは直接介入となっています。ようするに国家安全保障上、絶対必要量──東京-大阪間の移動に50リットルガソリンが必要なら、1リッター100円でも1000円でも購入しなければならない。石油が持つ性質(逆に安くなってもコストは変わらないので産油国は売りまくる)──を下回ることが出来ないからです。

有り難うございました、ojin_8823さん

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 20:20 投稿番号: [1204 / 2453]
> 当然、協定もその中に入ってくるでしょう。   しかし、協定だけがすべてではないこともわかって欲しいのです。

  文献には、宗教以外の要素が説明されているのですが、「ほとんど宗教だろ」っと思ってました、主張しているうちに思っていることと、知っていることがやっと一致してきました(^^;   ありがとうございます、ojin_8823さん。

  だいたい、アラブ人言うことが大げさだから。イスラエルを殲滅するといった発言を繰り返していたナセル、サダム・フセインも、ナセルは6日で、フセインは地上戦を100時間で止めちゃいましたからね(笑)。負けるとわかれば、COOOLな奴らです。「最期の血の一滴まで戦う」精神はどこにあるんだよぉ〜って感じです。しかし、現在の査察に関して、瀬戸際でごねりまくる姿を見ていると、あれだけ交渉できれば、日本の戦争も違ったかなって感じもします。ユダヤ人もその文明もを受け入れたことで、アラブ人も昔から賢いみたいです(笑)。
  まあ、言葉だけだと本気なのか、分かり難いです。「キリスト教徒を海に追い落とせ!」って12・3世紀に叫びまくってたのですが、戦争中は本気みたいなんですがって感じです。


> この時代の西欧の産業革命を受けて先進国が、まだそれを知らない産業
> が遅れた遊牧民主体のアラブ。   関係の無いところで宣言・協定が勝手
> に行われ、それがアラブの運命を決めていく。   それを目の当たりにし
> たのがアジ・アミン・アル・フセイニであると思っています(偏見だと
> いわれるでしょうが)。

  全く同感です。我が国の近代化に父たち、トルコのケマル、ある意味ではイスラエルのシオニストたちは近代国家を作った。扇動家のフセイニーは闘争を選んだのだと思います。それがパレスチナ人の不幸だった。


> イスラム穏健派が、ことごとく圧制されたのもこの時代ではないでしょうか。

  実は、フセイニーはユダヤ人よりアラブ人を多く殺したらしいです(苦笑)。まさに生粋のテロリスト。が、彼の建国の父とテロリストの分岐点は何だったのか、考えるときもあります。


  それから「鉄の壁」の英文、ありがとうございましたm(_ _)m。

** ル・モンドの記事を利用して、一部、補ってみました。
》   私が言いたいのは、パレスチナのアラブ人との合意が、どんなものであれ完全に論外だという
》 ことではない。彼らの心の中に、いつか我々を追い払うことができるだろうというかすかな希望
》 の光がある限り、どんな美辞麗句や魅力的な約束も、彼らにその希望を捨てさせるには至るまい。
》 それはつまり、彼らが卑しい下層民などではなく、生きた民族であるからだ。そして、生きた民
》 族である以上、『我々を追い払う』という希望が完全に失われ、『鉄の壁』に一部の隙も見出せ
》 なくなるまでは、その存亡にかかわる問題を前にして譲歩することはないだろう。
》   我々を追い払う希望を失った時だけが、我々と共存する話を持ち込むだろう。希望を失った時
》 だけが、現実を直視して、我々の生存と国家を認める協定を結ぶだろう。

》   私には見える、アラブ人が我々の生存を完全に認める協定をさえ持てば、良き隣人としてお互い
》 平和のもとで暮らす様子が。   だがしかし、その協定とは『鉄の壁』だけであり、それは如何なる形
》 でもアラブの支配を受けない強固なイスラエル政府と呼べるものだ、アラブと十分戦えると呼べ
》 るものなのだ。言いかえれば、我々にとって、将来に向けた協定へのただ一つの選択は、今
》 ある如何なる協定への試みも、絶対に拒絶する事だ。

【参考】フランスについて
  1895年1月5日フランスで、ユダヤ人の大尉がただユダヤ人というだけで、犯人に仕立てられ軍を罷免されました。これをジャーナリストとして目撃したテオドール・ヘルツルがその後にシオニズムの創設者となったのです。これがドレフェス事件と呼ばれるもので、近代ユダヤ民族史でもとくに重要な事件です。後にでっち上げと判明したフランスのとっても衝撃的な事件でした。
  故に、バルフォア宣言に対して、『フランスは、全力を挙げてシオニストの主張を支持した。外務省事務総長ジュール・カンボンの1917年6月14日付の手紙は、1918年2月14日、外務大臣ステファン・ピコンの宣言によって確認された。(イスラエル アンドレ・シュラキ著)』程、ユダヤ人に理解を示していたのです。その後の対独協力の反省から差別的なフランス人(これにもナショナリズム発祥の地としての訳があるのですが)なのですが、反ユダヤ主義には厳しい政策をとっているはずです、ユダヤ人の人口調査も法律で禁じていますから。

>フセイニー

投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2002/12/13 08:52 投稿番号: [1203 / 2453]
▲ marchingpeople さん、こちらこそ返事ありがとうございます。

こうしてやりとりをしていて思ったのですが、あなたと私の食い違いは、宣言や協定で動くパレスチナ対民衆の慣習を含めた動きにあるようですね。

私もあなたに認めねばならないのは、イスラムのコーランは kill とか slay とか fight といった言葉が並ぶ過激なものですが、庶民レベルではそこまで深入りして読みあさる人は少なく、今でいう法律を代返していたのがイスラム教であるように思っています。   つまり、marchingpeople さんが前に発言された、イスラムは異教徒に寛容であったように思っています。   だからエルサレムでユダヤ人が生き延びてこられたのでしょう。

しかし、どうも第一次世界大戦が終わったエルサレムの宗教指導者フセイニの辺りから(1、2年のズレはありますが)、アラブ庶民の感情が急変したように思っています。   そこで登場するのが、きちんと教育を受けた良家のアジ・アミンです。
この時代の西欧の産業革命を受けて先進国が、まだそれを知らない産業が遅れた遊牧民主体のアラブ。   関係の無いところで宣言・協定が勝手に行われ、それがアラブの運命を決めていく。   それを目の当たりにしたのがアジ・アミン・アル・フセイニであると思っています(偏見だといわれるでしょうが)。
で、どうするか。   民衆蜂起という彼の結論に達したのではないでしょうか。   そして、その矛先がまずは身近なユダヤ人が対象となった。   また、それは「異教徒と戦え」というコーランの教えとも合致する。   イスラム教に立っている限り、この思想を止めるものは何もありません。   そのことが、金キラ金のエルサレムのモスク復興に現れたのではないでしょうか。

なお、【当初】は意地を張っておりますが、当然、協定もその中に入ってくるでしょう。   しかし、協定だけがすべてではないこともわかって欲しいのです。
何故なら、ユダヤ人がエルサレムに居られたのは寛容なイスラム圏であったからに他ならないからです。   それはイスラムの中に穏健派という方たちがいたということでもあります。
イスラム穏健派が、ことごとく圧制されたのもこの時代ではないでしょうか。

>対話で和解

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 00:31 投稿番号: [1202 / 2453]
こんにちは、f3nasaさん
== =f3nasaさんの返事 == =

『悪法も法』である、と答えておきます。(ちなみにこの発言は、国連決議が悪法であるとの趣旨を含めた事を意味するものではありません。)

ソクラテスとその弟子クリキントンの対話を某 Webmaster が要旨に纏めたものを引用すると、

ソ「どんなにしても、故意に不正を行ってはならないということになる。」
ク「無論、そうだ。」
ソ「そうすると、たとえ不正な目にあったとしても、不正の仕返しをするということは、世の多数の者が考えるようには、許されないことになる。」
ク「それは、明らかにそうだ。」
ソ「ところで、どうかね。害悪を加えると言うことは、クリトン、なすべきことなのかね。それとも、なすべからざることなのかね。」
ク「無論、なすべからざることだと思うね。」
ソ「で、どうだね。害悪を受けたら、仕返しに害悪を与えると言うことは、世の多数の者が主張しているように正しいことなのだろうか。それとも、正しくないことなのだろうか。」
ク「それは、決して、正しいことではない。」
ソ「つまり、人に害悪を与えるとということは、不正な目にあわすということと、ちっとも違ってはいないからだ。」
ク「君のいうことは、本当だ。」

http://www.infoibis.ne.jp/~ecr33/akuhou.htm


……いやはや、流石はソクラテス。なかなか含蓄の有る言葉でございますな(笑



>だからアラブも戦争に踏み切ったのでしょうね。

歴史の if の部分、すなわちもしもアラブが中東戦争に勝利していたならば、
イスラエルは既に地図上には無く数十万人規模の犠牲者がパレスチナの土と
化した事であろうかと想像されますが marchingpeople 氏の御意見では、
やはりあれはアラブの大儀に基づいた戦いであり、聖戦という名に相応しいと
お考えでしょうか?

==================== =

  聖戦なるものがこの世にあるとは思えませんが、正戦はあると思います。ソクラテスは「法」について語っておりますから、勧告決議に従わないのは問題なく、集団的自衛権を行使したことになります。当然、第51条に従って「とった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない」ですけどね。
  ということで、アラブ側は初めから正戦なのですが(1948年5月22日の安保理決議までですけど)、イスラエルに自衛権が発生するのは独立国家となってからです。少なくとも、分割決議のイスラエルと示された範囲を超えて攻撃するのは違法です。

  ところでプラトンは「クリトン」の中で、f3nasaさん紹介していただいた内容の続きでソクラテスが、『不正を行うことも、不正に報復することも、我々が禍害を加えられたとき禍害をもってこれに答えることによって自ら防御することも、すべて正しくないという原則から出発して、』といって問答を続けています。

  どうでしょう?、私たちもこれにならって、イスラエルにとって正戦になった瞬間を探ってみませんか?、f3nasaさん。ですが、クリトンになった気持ちでf3nasaさんには「止めた方が良い」と助言しておきます(^^;

  もっとも、悪法も法なりと考え、黙って処刑されたソクラテスの話に納得するユダヤ人などいるとは思えませんので、やっぱり法の問題じゃないですよね。


> この件に関しかなり拘りが有るようにお見受けしますので、一度イスラエル大使館に
> 直接お尋ねになられては?

  いえ無いです、合理的な説明が付くものが他にあればそれでいいです。それに大使館に答えられる人がいるのでしょうか?、まあ、ヘブライ語のHPぐらいは紹介してくれると思いますが。

> 結果をこの掲示板に掲載して下さる事を楽しみにしているのは、僕だけでは無いと思われます。

  別に正史を作るわけではありませんけど、あの段落について終わったらメールしてみようかと思ってます。それにもしかしたら、「絶対探し出してやる」と気合いを入れてくれる人がいれば十分です。イスラエルへの理解が深まりますからね。

フセイニー

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 00:29 投稿番号: [1201 / 2453]
お返事ありがとうございます、ojin_8823さん
== =ojin_8823さん返事 == =

>同書から、アラブ穏健派について。
>》 実際そこここで、いくつもの案が出されていた。穏健派のアラブ人指導者たちは、ムフティの手
>》 先からの暗殺の脅しを受けながらも、パレスチナをアラブとユダヤの二つの国家に分割する解決
>》 策の可能性を、外交筋を通じて明らかにしていた。また、スイスのようないくつかの州からなる
>》 連邦政府を作ってはどうか、という案もあった。ヘブライ大学学長のイェフダー・マグネスの率
>》 いるグループは、アラブ人とユダヤ人の「連合国家」樹立をめざして奔走していた。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1195

▲ヤケクソで添付されたらしい↑の資料だけど(逆に利用させて頂き、ありがとうございます   :-))、 marchingpeople さんさ、それをアラファトの叔父フセイニは↓のように奨励したんでしょうに(嘲笑:また斜め読みですか?)。


>> 彼はさらに、アラブとユダヤ人の協調はイスラエル郷土発展の貴重な機
>> 会にだけ在ると確信した、すべてのアラブ人への拷問と殺戮を奨励した。
                    **引用元は英文(marchingpeople)**

だから、イスラエル大使館の「【当初】シオニスト側はアラブとの対話で和解の道をさぐろうとしたが、結局うまくいかなかった」で良いのと違いますかねぇ♪

======================
↑私の目にはこんな感じに映るのですが。。。


  ご紹介させていただいた内容は分割案が話題になる30年代の話です。初期の入植の様子として『ヘルツルはパレスチナをよく知っているホルマン・ハントが「アラブ人は芝刈りと水くみをする者でしかない。ユダヤ人に非常に便利なサービスを提供してくれるだろう。だから彼らを追い立てる必要などない」という言葉を信じた。(ユダヤ人の歴史   ポール・ジョンソン)』とあります。だから違いませんか?

  なお、ジョンソン氏は別の著作「アメリカ人の歴史」でユダヤ系アメリカ人のキッシンジャーから賞賛されてます。また例のミルトス本「イスラエル vs.アラブ   真実と誤解」で「西側は反シオニズムであった」という箇所で氏の記事を引用されている方です。

  ちなみに、甥のアラファトについて語るとき、良かったら↓のもう一人の甥についての人物評を参考にして下さい。
》 彼(フセイニ)は、エルサレムの名家の出身である。父親のアブデルカデル・アル・フセイニは
》 48年の第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)で戦死した伝説のパレスチナ人闘士である。宗
》 教上の元指導者ムフティの甥でもあるファイサル・フセイニはほぼ20年間にわたり、占領地域
》 のPLOの政治部門ファタハで陰の指導者を務めている。シャミル首相はファタハとの関わりを
》 理由に、フセイニをテロリストだとみなしていた。これについては私たちの情報では確かたる証
》 拠はないのだが、イスラエル側は信じて疑わなかった。フセイニはおそらくもっとも信頼できる
》 パレスチナ人だが、イスラエルは彼をパレスチナの代表としては決して認めないと思われる。
    ──シャトル外交   激動の四年   ジェームス・A・ベーカーIII 他著──

  父親ブッシュ大統領の国務長官だったベーカー氏は、マドリッド会議開催の大立役者です。弁護士出身のベーカー氏の交渉相手を見極める能力と、情熱がなかったら開催は不可能だったでしょう。大使館もマドリッド会議の開催はかなり良い評価をしていると思います、「イスラエルは現在162ヵ国と国交をもつが、うち70ヵ国は1991年のマドリード会議開催以来新たに加わった国である。」
http://www.israelembassy-tokyo.com/peace/fop/index.html


他は別の日に(^^;
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)