> 水の一滴は血の一滴(1)
投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/23 22:25 投稿番号: [1228 / 2453]
はじめまして、sevenwhitebirdさん
ご紹介されている内容は、情報が不足しているようなので補っておきます。
「イスラエルは1948年直後に水利計画を再開した。Huleh湿地からの取水、ヨルダン川の迂回、輸送網の構築を含んだ包括的な全イスラエル計画51年に完成した。後に国営水輸送網に統合されたこの計画は、イスラエルの水利計画の基本原理─ヨルダン流域から海岸平野とネゲヴ砂漠へ引き込む─となった。」、特にHuleh湿地はシリアとの非武装地帯に位置するため、イスラエルは国営水輸送網の最初の区間を遅らせたが、挑発的な行為だったため工事の妨害、ゲリラ、正規軍による衝突を引き起こした。イスラエルはJisr Banat Yaqubでの大規模な計画を国際的な非難を恐れ工事を停止した。
1950年代の初めまでにヨルダンとUNRWAの両者は、ヨルダンの農業改善、パレスチナ難民を再定着化のために潅漑計画を練り、53年から実施する協定を結んだ。6月にはヨルダン・シリア間でYarmoukを共有することで一致したが、イスラエルが横やりを入れた。
53年7月、イスラエルは非武装地帯のJisr Banat Yaqubの工事を開始、シリアが国連に抗議し、国連がイスラエルに中止命令を出すがイスラエルは無視。米国が資金援助を使って恫喝し、イスラエルは計画を変更。変更の見返りにヨルダン-UNRWAの潅漑計画が中止を余儀なくされる。
米国はジョンストン特使を派遣、統合計画を関連国に提案。
「統合計画はイスラエル、アラブ連盟双方の技術委員会によって承認された。1955年7月イスラエル内閣は、決議を取らずに計画を討議した。9月にアラブ専門委員会は計画を認可し、最終的な承認のためアラブ連盟会議に委託した。10月11日、会議は計画を批准しないと決定した。ジョンストンを含めた殆どのオブザーバーによるとアラブの否決は完全な拒絶ではなかった、つまり政治的には承認に失敗したが、技術的詳細を支持する決心でいた。公正な監視については解決しておらず、将来、問題になることだった」。
*統合計画が政治的な合意にいたらなかった理由は不明だが、この年はアラブ民族主義が台頭しつつあり反イスラエル感情が高まってきた頃。国連安保理が初のイスラエル非難決議を採択している。翌年、イスラエルは英仏の侵略行為に加担、ハンガリーがその犠牲となる。
http://domino.un.org/UNISPAL.NSF/561c6ee353d740fb8525607d00581829/680b6e63dd886506852560c20070c932!OpenDoc ument
統合計画をイスラエルが保留し、アラブが批准しなかった結果、イスラエルとヨルダンがそれぞれ独自の計画を実施。
http://www.unu.edu/unupress/unupbooks/80858e/80858E0m.htm
地方によって水の供給量が異なるので、それを解決するため国内の水資源はほとんど1つの配水網に統合されている。その中心が「ナショナル・ウォーターキャリアー」と呼ばれる国営水輸送網で、1964年に完成した。
http://www.israelembassy-tokyo.com/about/people/
*64年に国営水輸送網がヨルダン川からの取水を開始。それにアラブは抗議するが無視され、取水箇所より上流で工事を行おうとした。
> そもそも1967年の第3次中東戦争は、ヨルダン川上流でシリアが水路工事*を
> やろうとしたのを、「ガリラヤ湖への水の流入に重大な影響がある」として
> イスラエルが猛反発し、先制攻撃を仕掛けたのが引き金だった。
> 戦争後、イスラエルが西岸地区とゴラン高原を占領したのは、明らかに水資源戦略上の狙いからだ。
> まさに「水の一滴は血の一滴」で、中東紛争の背景には水資源の問題が根深く横たわっている。
あまり詳しくないのですが、水問題の流れは、こんな感じだったはずです。
ご紹介されている内容は、情報が不足しているようなので補っておきます。
「イスラエルは1948年直後に水利計画を再開した。Huleh湿地からの取水、ヨルダン川の迂回、輸送網の構築を含んだ包括的な全イスラエル計画51年に完成した。後に国営水輸送網に統合されたこの計画は、イスラエルの水利計画の基本原理─ヨルダン流域から海岸平野とネゲヴ砂漠へ引き込む─となった。」、特にHuleh湿地はシリアとの非武装地帯に位置するため、イスラエルは国営水輸送網の最初の区間を遅らせたが、挑発的な行為だったため工事の妨害、ゲリラ、正規軍による衝突を引き起こした。イスラエルはJisr Banat Yaqubでの大規模な計画を国際的な非難を恐れ工事を停止した。
1950年代の初めまでにヨルダンとUNRWAの両者は、ヨルダンの農業改善、パレスチナ難民を再定着化のために潅漑計画を練り、53年から実施する協定を結んだ。6月にはヨルダン・シリア間でYarmoukを共有することで一致したが、イスラエルが横やりを入れた。
53年7月、イスラエルは非武装地帯のJisr Banat Yaqubの工事を開始、シリアが国連に抗議し、国連がイスラエルに中止命令を出すがイスラエルは無視。米国が資金援助を使って恫喝し、イスラエルは計画を変更。変更の見返りにヨルダン-UNRWAの潅漑計画が中止を余儀なくされる。
米国はジョンストン特使を派遣、統合計画を関連国に提案。
「統合計画はイスラエル、アラブ連盟双方の技術委員会によって承認された。1955年7月イスラエル内閣は、決議を取らずに計画を討議した。9月にアラブ専門委員会は計画を認可し、最終的な承認のためアラブ連盟会議に委託した。10月11日、会議は計画を批准しないと決定した。ジョンストンを含めた殆どのオブザーバーによるとアラブの否決は完全な拒絶ではなかった、つまり政治的には承認に失敗したが、技術的詳細を支持する決心でいた。公正な監視については解決しておらず、将来、問題になることだった」。
*統合計画が政治的な合意にいたらなかった理由は不明だが、この年はアラブ民族主義が台頭しつつあり反イスラエル感情が高まってきた頃。国連安保理が初のイスラエル非難決議を採択している。翌年、イスラエルは英仏の侵略行為に加担、ハンガリーがその犠牲となる。
http://domino.un.org/UNISPAL.NSF/561c6ee353d740fb8525607d00581829/680b6e63dd886506852560c20070c932!OpenDoc ument
統合計画をイスラエルが保留し、アラブが批准しなかった結果、イスラエルとヨルダンがそれぞれ独自の計画を実施。
http://www.unu.edu/unupress/unupbooks/80858e/80858E0m.htm
地方によって水の供給量が異なるので、それを解決するため国内の水資源はほとんど1つの配水網に統合されている。その中心が「ナショナル・ウォーターキャリアー」と呼ばれる国営水輸送網で、1964年に完成した。
http://www.israelembassy-tokyo.com/about/people/
*64年に国営水輸送網がヨルダン川からの取水を開始。それにアラブは抗議するが無視され、取水箇所より上流で工事を行おうとした。
> そもそも1967年の第3次中東戦争は、ヨルダン川上流でシリアが水路工事*を
> やろうとしたのを、「ガリラヤ湖への水の流入に重大な影響がある」として
> イスラエルが猛反発し、先制攻撃を仕掛けたのが引き金だった。
> 戦争後、イスラエルが西岸地区とゴラン高原を占領したのは、明らかに水資源戦略上の狙いからだ。
> まさに「水の一滴は血の一滴」で、中東紛争の背景には水資源の問題が根深く横たわっている。
あまり詳しくないのですが、水問題の流れは、こんな感じだったはずです。
これは メッセージ 1215 (sevenwhitebird さん)への返信です.
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