頑張れイスラエル!

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

有り難うございました、ojin_8823さん

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/13 20:21 投稿番号: [1205 / 2453]
【ジャボティンスキー他、残りについて少々】
  ジャボティンスキーの言動はかなり過激だったようで、1931年の世界シオニスト会議で『ベン・グリオンはジャボティンスキーを「ウラディミール・ヒトラー」と呼んだ。(ユダヤ人の歴史   ポール・ジョンソン)』そうです(^^;
  自警団の名は「ハガナー」ですよね、私は見たことないのですが、ジャボティンスキーが暴動を止めるのにやや過剰な行動に出たのかな?と今のところ考えております。また、初期の入植者には、ガッツの足りないところが見受けられ、話が大げさになる傾向があったようです。(繰り返しになりますが、まだ少人数のユダヤ入植者集団にとって防衛は可能だったとしても、耐えに耐えて一切の挑発行為は取らなかったのだと思います。ただ建国前夜、純粋な独立心からとは言い難い要素が混じってしまったのは仕方がないですね。)
  それが感じられるのは英国によって、彼らが熱望するユダヤ系英国人でワイツマンとは別行動でしていたが、やはりシオニストとしてイスラエル国家を目指していたハーバート・サミュエル=初代パレスチナ高等弁務官が任命されたときの様子です。それは、『ユダヤ人は歓喜して勝利を宣言し、サミュエルが到着すると一斉に苦情と要求を突きつけた。ヴァイツマンは激怒した。「すっかりうんざりしたサミュエル氏が他の人々と同様ユダヤ人共同体に背を向け、われわれは絶好の機会を逃してしまうだろう」と、彼はパレスチナのシオニスト事務局でエドゥ博士に書いた。(ユダヤ人の歴史   ポール・ジョンソン)』からです。
  ただし、入植者も当時プロトコルと持っていた?(か読んでいた)すべての英国兵からは、「ロシアから来た屑ども」として扱われていましたので難しいところです。
  その様子を見て着任したサミュエルは、ユダヤ人である前に英国人として公平に振る舞おうとしてジャボティンスキーを釈放するには、フセイニーの解放も必要だと考え行動したそうです。さらにアラブ人の不満を解消するためにフセイニーを任命しました。

  このように入植者にとっては結局、初めから親ユダヤ政策とはならなかったようです。元々英国はペルシャに持つ油井からパイプラインを引いて地中海側に終端を設置しようとしていた時に、シオニストの話が「ユダヤ人でも同じ西洋人に任せる方が簡単だ」と聞こえたようです。これが成功すれば、1956年にスエズ運河の契約満期を控えていた英国にとって、イラク、ヨルダン、パレスチナと実質的には統治国を通し、安全に石油という戦略物資を確保できたはずなのです。ところが、アラブの反対があまりに強く、ドイツとの戦争を現実の物と感じるようになった英国は、親ユダヤ政策をあっさり捨て、親アラブとなったのです。また、後の第一次中東戦争におけるヨルダンの怪しげな動き、第二次中東戦争の植民地政策むき出しの介入として現れたようです。

  余談ですが、その後は日本の建造技術による、スエズ運河の航行不能なスーパー・タンカーの登場で、運河の戦略的な価値が無くなったこと、北海油田が発見されたと、大英帝国では無くなったことが英国の野心を断念させたようです。入れ替わるようにやってきた米国は当初100%の自給率で単に競合する外資系石油会社のバックに国がついていたので、自国企業の保護のため国務省が先ず介入。輸入国に転じてからは、軍事的な支援。輸入量が経済を左右するようになってからは直接介入となっています。ようするに国家安全保障上、絶対必要量──東京-大阪間の移動に50リットルガソリンが必要なら、1リッター100円でも1000円でも購入しなければならない。石油が持つ性質(逆に安くなってもコストは変わらないので産油国は売りまくる)──を下回ることが出来ないからです。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)