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一切ねぇ(3)

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/23 22:24 投稿番号: [1227 / 2453]
*英国が統治を断念する事を決定した、ピール委員会に劣らぬ重要な会議
【第二回ロンドン会議】

  招聘を拒否したパレスチナ・アラブ、ユダヤ両代表欠席のまま始まった新ロンドン会議は1946年9月から47年2月まで開催された。参加したアラブ国家は州提案に反対し、独自案を英国政府に提出した、要旨は;
(a)   パレスチナは恒久的なアラブ多数者の単一国家とする、そのために英国統治下で短期(2,3年)の移行期間の後、
    独立を達成する。
(b)   この単一国家内では、パレスチナ市民権(資格は国内で10年間、在住とする)を得たユダヤ人は他のパレスチナ人
    と同等の完全な市民権を持つ。
(c)   特別保護官がユダヤ社会の宗教と文化的権利を保護するために用意される。
(d)   ユダヤ社会はパレスチナ立法府において(定義された)ユダヤ市民の数に比例した議席を得る権利がある。
    ただしユダヤ人代表は議会の1/3を超過しない。
(e)   移民と土地の譲渡に関するすべての立法は、立法府のアラブ多数派による表明といったパレスチナのアラブ人の
    同意が必要とされる。また、ユダヤ社会に用意される保護官の変更も同様である。

  一方、バーゼル宣言から50年経った1947年バーゼルで開催されたシオニスト会議では、「英国委任統治の焼き直し」であり、かつ、いかなる形式の委任統治も退けるとして自治州案を拒絶した。会議は要求する;
    (a)   パレスチナは民主主義的世界の枠に組み込まれるユダヤ国として建設されること
    (b)   パレスチナの門戸をユダヤ移民に開くこと。
    (c)   ユダヤ機関に国家建設のための必要な権限とパレスチナへの移民を管理する権限を付与されること

  その後英国政府は1947年2月に、後から代表に加わったパレスチナ・アラブ執行部および英国政府と非公式交渉を始めたユダヤ機関に英国案を提示した。両者は提案を拒絶した。
  新たに合法、非合法の大規模な移民よって強化されたユダヤ機関は暴動に対して指導部と外国の強力な支援によって準備されたユダヤ警護隊でよく備えた。ユダヤ機関は長年の目的─パレスチナのユダヤ国家─に向かって後一歩まで近づいた状態で、妥協の用意はなかった。
  他のアラブ人の支援と共にパレスチナ・アラブ人は国の保持と防衛と、止まらないユダヤ移民によるこれ以上の支配を阻止しようと決意した。完全に行き詰まりだった、パレスチナに大規模な暴動が迫っていた。
http://domino.un.org/UNISPAL.NSF/561c6ee353d740fb8525607d00581829/aeac80e740c782e4852561150071fdb0!OpenDoc ument

*アラブ指導部はこの統合案を受け入れ、アラブ機関に英国当局との交渉権限を与えた。一方シオニスト側は一切の妥協を拒み、いかなる統合にも反対した(笑)。

  「アラブの恐〜いお兄さん達」も事態を静観しているわけにいかず、現状に即した統一案を提示しているんですよ。市民権の資格に10年というのは長い感じもしますが、それまでの37〜47年までに激増した不法入国者に対応したものでしょう。ま、提案ですから、シオニスト側がこの線で詰めれば「暫定統治」を経て統一国家になっていたでしょう。もしかしたら、交渉に長けた民族だからもっと有利な連邦国家も夢じゃなかったかも知れませんね。
  しかしながら、シオニストは分離独立のつながる話し合いには応じたが、そうでなければ激烈な武力闘争によって国家という目的のために虐殺、強制退去を組織だって敢行したわけです。アラブの反シオニスト感情からのものとこの点が大きく違う点です。
  国家の名の下にあらゆる事を正当化したナチズムと、自然発生的なポログロムの違いと言えばf3nasaさんにはご理解いただけると思います。
  まあ、国家なんてものは多かれ少なかれそういう部分があるでしょう。しかし、その問題を解決する姿勢を民主主義国家は求められます。
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