さあ!諸君!捕鯨問題だ!

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Re: ブルーム在住日系人女性。

投稿者: whalemeatlove 投稿日時: 2009/08/30 20:24 投稿番号: [37600 / 62227]
これこれ↓   貴重な証拠はきっちりとってあんの・w

おまけにこの書き込み   削除依頼して消えてやがんの。w

そうなればもう本人でしょう。w

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Re: IWC専門家パネルによるJARPN II審議 2009/ 5/ 7 20:01 [ No.34176 / 34667 ]

投稿者 :
y_yamana2001

こっちに投稿するならそれなりに書き直せ。

げんた
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セミ鯨の枯渇原因/NHK

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/30 18:06 投稿番号: [37599 / 62227]
>そもそも。大村論文とグラハム説には大きな違いは無い。
>グラハムは「コンビネーション」説を唱えているだけで、責任の加担比率が
>ゼロではない仮説であるに過ぎない。
>大村説はグラハム説自身が示している様に”単純化”された仮説。
>その程度の”違い”の話であり、これは査読有無の話ではない。

何か事件や事故が起きた時、自分たちも共同加害者だったのか、
100%被害者だったのかで、本人たちの意識や事後の対処の仕方が
全然違うでしょ?

NHK教育の担当者もこの二つを一緒くたにして、たいした違いは無い
みたいな言い方をしているけれど、こういういい加減さで裁判員に
なっても、まともな判断はできないでしょうねえ。

その事後対策の仕方の一例が1931年国際連盟のセミクジラ、母子クジラ、
未成熟クジラの捕獲を禁止する条約だったのだけれどね。

本当は共同加害者なのに主観的に100%被害者だったから、日本はこの
条約を拒否し、その後の改訂国際合意には外交レベルで賛同しておきながら、
国内法未整備で尻抜けをするという不誠実な態度をとるんだね。

この戦前の捕鯨取締条約(原住民生存捕鯨の許容を明示的に含む)をめぐる
経緯を、NHKは「その時歴史は壊れた!」で取り上げてほしいですねw

Re: イルカがキンメを食う、だから?

投稿者: koimo0072 投稿日時: 2009/08/30 08:56 投稿番号: [37598 / 62227]
>この解決法の場合、獲物の魚も針にかかる量が減る場合があるわけですが、
そこは今後主流になると思われるEU共通農業政策型の戸別所得補償
で補償するというやりかたでいいんじゃないですかね。

>環境保護のために所得補償をするという場合、生産/輸出奨励型補助金と
は逆方向だから、WTOもダニエル・ポーリーも文句言いません。

あくまでそれはEUでのハナシなんで、三宅島のキンメ漁師さんの損失は何で埋めるの?って事ですw

鯨類を愛護動物にしちゃってるヨーロッパは政府歳出で両氏の損失を補填しても日本が同じ事をする必要はありません。

イルカ資源に悪影響が無い範囲ならばキンメ漁獲低減はイルカさんに贖ってもらいましょう♪

そもキンメは漁獲量の少ない高級魚なので消費者にとってもこれ以上水揚げが減れば良い事は一つもありませんから。

現場の漁師さんが、

「キンメ漁には腕がいる。深場に鉄の仕掛けを沈めて釣るんだ。それをあいつら食っちまう。おれたちにとっては敵だよ」。漁労長は肩をすくめた。
http://mainichi.jp/life/ecology/news/20090829ddm012040066000c.html

と言ってる以上、「イルカによる食害」の有無が明確でなくとも、予防原則としてキンメの漁獲低減はイルカさんのお肉で贖って貰いましょうw

「イルカ食害の科学的な証明」を待って人間様が飢える訳にはいきません・・・

それはしょうがないことなのです。

穴埋めの為の収入をイルカ漁で得る事が、結果としてキンメ漁獲量の回復につながれば儲けモノ、ってなモンです♪

頭のいいイルカさんは漁を逃れる為に回遊ルート変えてくれるかもしれないしねw




三宅島のあたりって今までイルカ漁はやってないみたいだから、岩手から現役の漁師さん呼んで指導を請いましょう。
伊豆のイルカ漁のが近いけど、キンメ狙いのイルカなら突きん棒の方がいいだろうしw

房総なんかでもタレなんか親しまれてるから消費の宛もあるでしょう。

それはしょうがないことなのです。

もちろん。グラバム説を以ってしても・・・

投稿者: nobu_ichi95 投稿日時: 2009/08/30 07:52 投稿番号: [37597 / 62227]
太地の時代に続いて、アメリカ式捕鯨が大量捕獲を継続できた事実の否定は出来ない・・・よね?。

タウンゼントとモーリーの海図の違いは見てみたいけれど。
その差は、拡大解釈を排除して素直に読めば、グラハムの結論でも明らかな”差”でしか無い・・・はずなんだけどね。

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: nobu_ichi95 投稿日時: 2009/08/30 07:33 投稿番号: [37596 / 62227]
それはおかしいですね。
査読の問題ではないよ。これは。
そんなことは論じていないし、これで問題はより明らかにはなった(苦笑)。

そもそも。大村論文とグラハム説には大きな違いは無い。

グラハムは「コンビネーション」説を唱えているだけで、責任の加担比率がゼロではない仮説であるに過ぎない。

大村説はグラハム説自身が示している様に”単純化”された仮説。

その程度の”違い”の話であり、これは査読有無の話ではない。

両者の仮説からは、太地の様な小規模かつローカルな捕鯨ダケでは”枯渇しない”という結論は導き出せても、太地の捕鯨で既に枯渇していた・・・という結論は出てこない。

”その程度の違い”を拡大解釈して、太地=枯渇責任⇒NHKを嘘吐き呼ばわり・・・する様な確証バイアスの徒が一番問題なんだよ。

Re: イルカがキンメを食う、だから?

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/30 02:48 投稿番号: [37595 / 62227]
どうも漁師さんの言い方からすると、魚が減るというよりも仕掛け、漁具を
壊されるなり食われるなりしてるということのようですね。
よくわかんないですけど。

鉄製の漁具を食うとなるとイルカ(ミナミバンドウ?)のほうも
体にいいわけないわけで、これは漁具に工夫をして回避するというのが
いちばん賢いな。

ハンドウとキンメじゃないけど、南半球で延縄に引っ掛かったマジェラン
アイナメをシャチやマッコウクジラが食うという問題があって、場合に
よると鯨側も大けがをするわけですが、延縄にクジラを誤摩化すような
スリーブ(ボロ切れ?)を付けたらかなり問題が減ったという記事を
読んだことあります。米国の哺乳類学会誌だったと思う。

この解決法の場合、獲物の魚も針にかかる量が減る場合があるわけですが、
そこは今後主流になると思われるEU共通農業政策型の戸別所得補償
で補償するというやりかたでいいんじゃないですかね。

環境保護のために所得補償をするという場合、生産/輸出奨励型補助金と
は逆方向だから、WTOもダニエル・ポーリーも文句言いません。

水研や大学の水産系はどういう仕掛けにしたらいちばん効果的か研究する
というほうが、変な統計操作して自分でもわけわかんなくなるような
小細工してるより健康的だと思う。

Re: イルカがキンメを食う、だから?

投稿者: koimo0072 投稿日時: 2009/08/30 00:47 投稿番号: [37594 / 62227]
だ・か・ら・♪

「科学的な証明」なんて一切必要ないの。

「予防原則としてイルカを捕る」或いは「キンメ漁獲損失をイルカで贖う」

という事です♪

というか、この場合は資源全体への食害による脅威ではなくて、明らかに仕掛けに対するピンポイント被害なんだからそれが出来るのはイルカしか居ない、という点で証明は済んだ様なもんだよねw↓



現場の漁師さんが、

「キンメ漁には腕がいる。深場に鉄の仕掛けを沈めて釣るんだ。それをあいつら食っちまう。おれたちにとっては敵だよ」。漁労長は肩をすくめた。
http://mainichi.jp/life/ecology/news/20090829ddm012040066000c.html

と言ってる以上、「イルカによる食害」の有無が明確でなくとも、予防原則としてキンメの漁獲低減はイルカさんのお肉で贖って貰いましょうw

「イルカ食害の科学的な証明」を待って人間様が飢える訳にはいきません・・・

それはしょうがないことなのです。

穴埋めの為の収入をイルカ漁で得る事が、結果としてキンメ漁獲量の回復につながれば儲けモノ、ってなモンです♪

頭のいいイルカさんは漁を逃れる為に回遊ルート変えてくれるかもしれないしねw




三宅島のあたりって今までイルカ漁はやってないみたいだから、岩手から現役の漁師さん呼んで指導を請いましょう。
伊豆のイルカ漁のが近いけど、キンメ狙いのイルカなら突きん棒の方がいいだろうしw

房総なんかでもタレなんか親しまれてるから消費の宛もあるでしょう。

それはしょうがないことなのです。

Re: ブルーム在住日系人女性。

投稿者: koimo0072 投稿日時: 2009/08/30 00:38 投稿番号: [37593 / 62227]
アレ、げんたちゃんだったんですかw

別のID使ってて換え忘れたままレスしたのか。

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/30 00:12 投稿番号: [37592 / 62227]
>で、大変でしたけれど全部読みました。
>貴方の結論を聞かせてくださいな?。
>読んでるなら、分かりますよね(苦笑)。

制度的、形式論的には結論は簡単ですよ。

「日本沿岸セミクジラ激減の主要因は米国、外国捕鯨のせい」説を、唯一
国際的に発表している1986年大村論文は、IWCの国際会議で発表され、
IWCの論文集に掲載されているとはいえ、これはプロシーディングであって
査読学術論文ではないです。(#)

それに対してIWCが1999年以来発行している『JOURNAL OF CETACEAN
RESEARCH AND MANAGE』は国際査読論文誌ですから、同一テーマに
関して異なった表記があれば、後者が「現段階における最良の知見」と
なります。

NHKのような公共放送の教養、教育番組だったら、まず最初にこの前提を
第一次接近として認めなければなりません。異論があればそれが学界の
定説に対する異論であることをはっきりことわらなければなりません。

その「後者」、前回和訳をしてなかったと思うので改めて翻訳しておきます。
=======
「19、20世紀の捕鯨および目視に示された北太平洋セミクジラ(Eubalaena
japonica)の分布」フィリップJ.クラパム他
.....
<Western North Pacffic/西部北太平洋>
大村(1986)は西部北太平洋に明瞭に二つの個体群があるという
立場をとっている。「日本海」系群と「太平洋」系群である
(ここでは個体群を「下位個体群/sub-populations」の意味ととっておく)。
日本の沿岸集落による歴史的捕獲データは両個体群とも、秋には
南方へ、春には北方へ移動することを示しており、それぞれ
ピークとなる月は9月から12月、2月から4月である。
..........
北太平洋西部に明瞭な二つの下位個体群があったのか(あるいは
現在もあるのか)ということについては不明確なままである。
川尻(日本海側の山口県の捕鯨村落)での日本式網取り捕鯨による
セミクジラ捕獲は1859年以後急激に低下しており、大村(1986)
はこの状況を「アメリカ(式)捕鯨船の操業」に起因するものとして
いる。これはやや単純化した解釈であろう。日本海でのセミクジラ
の消滅はおそらくヤンキー捕鯨と沿岸捕鯨のコンビネイションに
よるものであり、20世紀の回復が、どの程度の寄与率になったの
かははわからないが、ソ連によるオホーツク海摂餌海域での違法
捕鯨のために抑制されたと推定される。
(ソース:JOURNAL OF CETACEAN RESEARCH AND MANAGE. 6(1):1-6, 2004
'Distribution of North Pacific right whales (Eubalaena japonica)
as shown by 19th and 20th century whaling catch and sighting
records' by PHILLIP J. CLAPHAM, CAROLINE GOOD, SARA E. QUlNN,
RANDALL R. REEVES, JAMES E. SCARFF AND ROBERT L. BROWNELL, JR.)
=======

内容的な違いに少し触れとくと、1980年代の大村報告が北太平洋全体
のセミクジラ分布状況に関しては、有名な1935年タウンゼント鯨チャート
だけに依存しているのに対して、クラッパム他は1850ー53年の
モーリー鯨チャートとその元になった各捕鯨船のログブックの検証
成果をベースにしているという違いがあります。
詳しくはいずれ触れますが...

(#)プロシーディングと査読学術論文の違いは
http://www5d.biglobe.ne.jp/~hasumi/doc2/mono160.html
に簡潔に書いてあります。サンショウウオ類に関する国際的業績評価は
抜群の人なのだけれどねえ...

Re: イルカがキンメを食う、だから?

投稿者: r13812 投稿日時: 2009/08/29 23:59 投稿番号: [37591 / 62227]
イルカのせいにする暇があるのなら

あんな“ちっこい”キンキのまで獲るのを止めるほうが先決でしょ?

Re: イルカがキンメを食う、だから?

投稿者: r13812 投稿日時: 2009/08/29 23:50 投稿番号: [37590 / 62227]
本当にイルカがそんなに大量のキンメを食っているのか?

少なくともそれを科学的に“証明”した者はいないのである。

このことはよーく覚えておこう、諸君。

Re: イルカがキンメを食う、だから?

投稿者: r13812 投稿日時: 2009/08/29 23:46 投稿番号: [37589 / 62227]
なんか色々と調べて見ると

こういうことを言っているのは基本的には“漁業者側”なんだな。




「イルカがいると漁獲高が減る」。

でもそれは「イルカがいなかったら減ることはなかった」ということの“証明”にはならないのですよ。

あくまでも状況証拠に過ぎないのです。

Re: げんた メモリアル上げ

投稿者: whalemeatlove 投稿日時: 2009/08/29 23:36 投稿番号: [37588 / 62227]
殺す殺すなでさんざん逃げ回ったあげく
遁走した。YAMANAさん。w




①げんたWROTE   >殺さなくても食べられるなら食べてもいい。
            ↓
殺さなくても食べられるならOKというのは植物ぐらい
            ↓  
②>しかし食べなくても(油を取る為でも、スポーツの為でも)
>殺すのなら反対だ。
            ↓
反対のはずなのに闘牛などは文化だから認める・・・のはおかしい。
闘牛は殺しているのは事実。
            ↓

③>私は少なくとも食べるなとは言ったことが無い。
>殺すなと言っているだけです。

鯨は食べるなと言いいながら殺すなは論理破綻です。
            ↓

④そして・・・ついに尻尾が出て
遁走を見事にお認めになられました
            ↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話が複雑化して
2006年2月24日 12:28:58 げんた(genta)
ついていけません。

Re: ブルーム在住日系人女性。

投稿者: whalemeatlove 投稿日時: 2009/08/29 23:33 投稿番号: [37587 / 62227]
>YAMANAって以前私の投稿にレス付けた、ブログでサッカー記事な
>んか書いてる人ですよね?あの後どこかで書いてやがったんですか?

ひょんなことで尻尾が出たんですよ。いつもはaugatibiapy=

げんたなんですが   なにか怒り心頭であわててy_yamana2001 のHNで

書いたというわけ。調べてみるとスペイン語女性翻訳家。

このアホはいままで結構スペイン語に精通していて他のものがわかりも

しないのにスペイン語のURLをぺたぺた貼り付けていたんですよ。

なんだか変わった奴だな。てね。80%は本人だよ。きっと。

それとよく読むと変に男性表現を力んで書いてあるし、そのくせ

赤ん坊とか自然の雄大さなど女性特有のTOPICがすきなんですねこれが。

まぁ、反捕鯨であるのはいたしかたないとしても   とにかくこのアホは

SSに寄付していたり応援するのが絶対に許しがたい。

これからもSSの件についてはひつこく追跡する。

Re: ブルーム在住日系人女性。

投稿者: koimo0072 投稿日時: 2009/08/29 23:17 投稿番号: [37586 / 62227]
ブルーム市の件は周辺からの外圧で已む無く姉妹都市解消させられてるんで現地の、特に日系人にとっては腹立たしい事でしょうねぇ・・・



YAMANAって以前私の投稿にレス付けた、ブログでサッカー記事なんか書いてる人ですよね?

あの後どこかで書いてやがったんですか?

Re: イルカがキンメを食う、だから?

投稿者: whalemeatlove 投稿日時: 2009/08/29 23:08 投稿番号: [37585 / 62227]
君らの言うあたまのいい   イルカちゃん   なんだから   「ここでは金目を食っては

いけないよ人間様がたべるから。君らはあちらで鰯をたべてね。」

といえばすむことなのでは?

人間優先はあたりまえ。万物の霊長だから。

Re: ブルーム在住日系人女性。

投稿者: whalemeatlove 投稿日時: 2009/08/29 23:02 投稿番号: [37584 / 62227]
イルカはかわいいからたべるなんてとんでもない!

という風潮が存在するのは理解できるし誰だって残酷シーン

は見たくない。しかしだからといって獲るな、殺すなは異常ですね。

イルカ殺しが残酷なら、いつも思いますが   スペインの闘牛などは

文化といいながら殺戮を美化し芸術とするのはまこと勝手なものだと

おもいますなぁ。以前ここに現れる   げんた=YAMANAのドアホに

スペインの闘牛はいいんかい?と問えばあれは芸術だからいいのだ

そうだ。おまけに牛は家畜だからOKなんだってよ。w

こたえられなくて   話が複雑だからわかりません   と逃げやがった。

まことかってきわまる反捕鯨のエゴですわ。

なんならその時のログがありますよ。アホが騒ぐとそれをひっぱり

だして糾弾するのが趣味なんで。w

イルカがキンメを食う、だから捕りましょw

投稿者: koimo0072 投稿日時: 2009/08/29 22:47 投稿番号: [37583 / 62227]
>科学的にどの程度まで分かってるのですか?

現場の漁師さんが、

「キンメ漁には腕がいる。深場に鉄の仕掛けを沈めて釣るんだ。それをあいつら食っちまう。おれたちにとっては敵だよ」。漁労長は肩をすくめた。
http://mainichi.jp/life/ecology/news/20090829ddm012040066000c.html

と言ってる以上、「イルカによる食害」の有無が明確でなくとも、予防原則としてキンメの漁獲低減はイルカさんのお肉で贖って貰いましょうw

「イルカ食害の科学的な証明」を待って人間様が飢える訳にはいきません・・・

それはしょうがないことなのです。

穴埋めの為の収入をイルカ漁で得る事が、結果としてキンメ漁獲量の回復につながれば儲けモノ、ってなモンです♪

頭のいいイルカさんは漁を逃れる為に回遊ルート変えてくれるかもしれないしねw




三宅島のあたりって今までイルカ漁はやってないみたいだから、岩手から現役の漁師さん呼んで指導を請いましょう。

房総なんかでもタレなんか親しまれてるから消費の宛もあるでしょう。

それはしょうがないことなのです。

イルカがキンメを食う、だから?

投稿者: r13812 投稿日時: 2009/08/29 21:50 投稿番号: [37582 / 62227]
イルカだって霞を食ってるわけじゃありません。

それはしょうがないことなのです。

で、どの程度食ってるのですか?

科学的にどの程度まで分かってるのですか?




東京・三宅島:再生、イルカと   「漁場荒らし」を観光資源に
http://mainichi.jp/life/ecology/news/20090829ddm012040066000c.html

C重油はダメよ

投稿者: r13812 投稿日時: 2009/08/29 21:18 投稿番号: [37581 / 62227]
ってことはA重油に切り替える。

でその差額は?

もちろん税金おねだりよ。

「捕鯨は我が国の古からの文化である!」と言っとけば問題なし。




南極海での重油使用を禁止 日本の調査捕鯨に影響大
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1251509863/

ブルーム在住日系人女性。

投稿者: koimo0072 投稿日時: 2009/08/29 11:31 投稿番号: [37580 / 62227]
騒ぎが町に降ってきた   和歌山イルカ漁   豪自治体が姉妹都市停止

http://sankei-express.iza.ne.jp/blog/entry/1189923

  姉妹提携停止の決定に動物保護団体「アニマル・オーストラリア」はそのサイトで、<サポーターたちの大量のメールで圧力をかけたおかげだ>とし、<ビクトリー!>の文字を掲げた。イルカ漁を真珠湾攻撃に例えた穏やかならぬブログもある。

  世論に訴えるのは運動団体の常だが、文化に根ざす問題は感情的な対立に発展しやすい。日本人もまたネット上で<あれこれ言われる筋合いはない><豚は食べるだろう>といった、けんか腰の意見が目立つ。


  そんななかでブルームを含むキンバリー地域のニュースサイトに、興味深い記事が掲載されていた。「文化的な非寛容性」と題したこの記事によると、太地からの移民を父に持つ女性が町議会に対し、姉妹関係の停止は太地町を侮辱するものだと訴えたという。女性は<何を知っているかではなく、何を見たかによって動かされている人々によって、両町の関係がずたずたにされている>と嘆く。


  豪紙オーストラリアンによると、ブルーム町議会は太地町に対し、「イルカが殺されている間は姉妹関係を続けられないと、“丁重に忠告する”」のだという。議員たちにとってイルカ漁の是非はさして問題ではない。移民2世の女性が「議会は町のイメージを心配している」と言うように、問題は降りかかる火の粉なのだ。回りくどい今後の対応に、この場を何とかしのぎたい議員たちの困惑ぶりが伝わってくる。

  (坂本英彰)

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

イルカ・クジラ基地外の人達は、太地・ブルーム両地域の繋がりがどんな物であったのか、なんて当然全く考えません。

只「オマエラ、イルカ殺しなんかと仲良くしてたら許さねぇぞ!!」という脅しで要求を通せた、という事に幼児的な達成感を感じて<ビクトリー!>なんて言っちゃってる訳です。

救い様の無い馬鹿ばかりですな・・・

因みにブルーム市は日系人とアボリジニが多い地域です。

白豪の文化圧力なんて言わずもがな・・・

Re: NHK「日本くじら物語」←提灯番組!

投稿者: gondawara_yuji 投稿日時: 2009/08/29 10:11 投稿番号: [37579 / 62227]
●相変わらず馬鹿投稿やっとるのぉ〜変態アール!^^;
人がどのような番組をみようと、どのような解釈しようとかってだよ!

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: koimo0072 投稿日時: 2009/08/29 09:09 投稿番号: [37578 / 62227]
>総数17頭のセミクジラが目視され、2頭あるいは総目視数の
>12%が捕殺された。7頭が網を逃れたが、おそらくそのうちの
>いくらかには銛が命中していると思われる。このようにして
>逃げた動物の死亡率は知られていない。

半矢、所謂「手負い」の問題、コレは重要ですよねぇ・・・

現代捕鯨の場合、捕鯨砲と高速キャッチャーという現在技術をもってすれば、仮に一撃で仕留められなくとも第2矢・3矢で確実に止めを刺して捕獲出来ますが、陸上の狩猟、特にブッシュの奥に逃げられたり、鳥だと追跡出来ない所まで飛ばれると、もうヒトの手では止めを刺してあげられません。

ニュージーランドはハンターのパラダイス
http://www.aloft.co.nz/activity/hunting/paradise.htm

強硬な反捕鯨国であるニュージーランドさんは、同時に世界最大級のスポーツハンティングで世界中(主に欧米だけどw)から観光客を集める国でもあります。

しかもニュージーランドでは銃のライセンスが無くてもハンティングを行うことが可能です。
これはズブの素人さんが獣や鳥に発砲して半端な怪我を負わせる確率が非常に高い、という事です。

rくんをはじめ、世界中の反捕鯨ちゃんは「致死時間の長さ」「即死率の『低さ』(何と比べて?)」を捕鯨の問題点として挙げますが、素人ハンターに半端な怪我を負わされて何時間、時には幾日も苦しんで死んでいくであろう、世界中で年間数万頭は居る、そんな獣や鳥達については全く気になさらないようです・・。w

確実に止めを刺してもらえる、商業再開時でも高々数千頭レベルのクジラさんと、「素人ハンターのスポーツハンティング」の為に苦しみ抜いた挙句、野垂れ死にしてしまう何万頭もの獣・鳥。

「鯨の苦痛」を理由に捕鯨反対してる人達がこの辺の実情を知ればその活動エネルギー・資金の多くをスポーツハンティング撲滅へと振り向けるでしょうか?

この仕組み↓が出来上がってる現状じゃあ、ちょっと難しいよなぁ・・・w

<スーパー・ホエール   −   環境保護運動における作り話とシンボルの利用>

http://luna●.pos●.to●/whale/jpn_hna_super_w.html

(例によって●抜いて検索)

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: nobu_ichi95 投稿日時: 2009/08/29 08:38 投稿番号: [37577 / 62227]
で、大変でしたけれど全部読みました。
貴方の結論を聞かせてくださいな?。

読んでるなら、分かりますよね(苦笑)。

Re: 19世紀北太平洋ヤンキー捕鯨セミ鯨漁

投稿者: nobu_ichi95 投稿日時: 2009/08/29 08:33 投稿番号: [37576 / 62227]
というか、同時代にアメリカ捕鯨船が獲った事実記録を(自分で出しておいて)どうして忘れてしまえるのかなあ(苦笑)。

事実をご都合主義で剽窃するの止めてくれない?。

パプアの原住民捕鯨で枯渇したなら、のちの大量捕獲が出来たのはなぜ?。

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 08:05 投稿番号: [37575 / 62227]
Table 6
Catches of right whales by modern whaling in waters around Japan and
Korea (rearranged and corrected from Kasahara, 1950). The areas*
referred to are: A - Kuril Islands, south coasts of Hokkaido, and
Sanriku (northeast coast of Honshu); B-South coast of Honshu,
Shikoku and east coast of Kyushu; C- Bonin Islands; O-Okhotsk Sea;
E- West Coast of Kyushu; F -Coast of Korea. In addition, one right
whale and three right whales were taken in 1940 and 1941 respectively
by pelagic operations in the North Pacific.
表6
近代捕鯨による日本および朝鮮周辺水域におけるセミクジラ捕獲
(Kasahara, 1950より再編、修正)
海域/Area*はそれぞれ以下を示す:
A - 千島列島、北海道南沿岸、三陸(本州東北沿岸);
B - 本州南沿岸、四国および九州東沿岸
C - 小笠原諸島;
D - オホーツク海;
E - 九州西沿岸;
F - 朝鮮沿岸
これに加え、北太平洋遠洋操業で1940年と1941年にそれぞれ
1頭と3頭のセミクジラが捕獲された。
______________Area*__________
Year__A___B___C___D___E___F__Sum
1911___-___2___-___-___-___-___2
1912___-___3___-___-___-___-___3
1913___-___-___-___-___-___1___1
1914___1___-___-___-___-___-___1
1915___5___1___-___-___1___-___7
1916___5___3___-___-___-___-___8
1917___2___1___-___-___-___-___3
1918___2___-___-___-___-___-___2
1919___4___1___-___-___-___-___5
1920___1___3___-___-___-___-___4
1921___1___3___-___-___2___-___6
1922___1___3___-___-___-___-___4
1923___4___2___-___-___1___-___7
1924___3___1___-___-___-___-___4
1925___9___-___-___-___-___-___9
1926___7___-___-___-___-___-___7
1927___9___-___-___-___-___-___9
1928___4___1___-___-___-___-___5
1929___5___-___-___-___-___-___5
1930 ___5___-___-___-___-___-___5
1931___-___-___-___8___-___-___8
1932__14___-___-___-___-___-___14
1933___1___-___2___-___-___-___3
1934___-___1___1___-___-___-___2
1935___2___-___-___-___-___-___2
1936___4___-___-___-___-___-___4
1937___2___1___2___-___-___-___5
1938___2___-___-___-___-___-___2
1939___-___-___-___-___-___-___-
1940___-___-___-___-___-___-___-
1941___-___-___2___-___-___-___2
1942___5___-___-___-___-___-___5
1943__12___-___1___-___-___-__13
1944___1___-___-___-___-___-___1
1945___1___-___-___-___-___-___1
1948___1___-___-___-___-___-___1
Total_113__26___8___8___4___1___160

============

[謝辞]

私はP.B.ベスト博士(南ア、ケープタウン、水産研究所)と
R.L.ブラウネル氏(カリフォルニア、サンシメオン、米国
水産野生生物局)のこの仕事に関する激励と援助に多くを
負っている。またデールW.ライス氏とジェイムズE.スカーフ
氏の草稿に対する批判的なコメントにも負うている。

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 08:04 投稿番号: [37574 / 62227]
すでに述べたように、セミクジラの捕獲数は19世紀後半に
日本の西岸および南岸の双方で著しく低下した。これは
アメリカの捕鯨船の操業に起因すると考えられる。
日本グラウンド(マッコウクジラ漁場)は1820年頃発見され、
アジア沿海沖合での北のセミクジラ漁は日本海からオホーツク
海の先端およびカムチャツカ半島の東側に沿って広がったが、
これには千島列島東側で東経170°にまで至る顕著な沖合捕鯨
も含まれるということはタウンゼント(1935)のチャートC
が示すところである。

柏原(1891)によると、九州の捕鯨は天保(1830)のはじめから
弘化、嘉永(1844-48)にかけて最も繁栄したが、捕獲数は安政
(1854)から減少し、慶応(1865)と明治(1868)の頃に
最低となった。この減少は北方における外国捕鯨船の操業に
よって起った。

嘉永および安政年間には外国の銛に当たった鯨の死骸や、
皮脂をはぎ取られた鯨の死骸が九州の五島列島に漂着した。
日本沿岸直近で外国捕鯨船が操業したという記録は存在し
ない。

日本の近代スタイルの捕鯨は1893年、Saikai-maruが建造された
時に始まる。これは木造船であり3頭の鯨を捕獲した(Akashi,
1910; Tonnessen and Johnsen, 1982)。
近代捕鯨は最初に朝鮮半島東水域、九州西部、本州南沿岸で
行われたが次第に三陸(本州東北部)、北海道南沿岸、そして
千島列島へシフトした。すなわち冬漁場から夏漁場への移行
である。

笠原(1950)は1911年以降日本周辺で行われたすべての捕鯨
の統計を示しており、捕鯨漁場を16海域に区分している。
海域を簡略化して表6にセミクジラの捕獲を示した。
セミクジラは千島列島から三陸にいたる海域で最も多く捕獲
されており、これに続くのが本州南部と四国である。小笠原
諸島周辺でもいくらかのセミクジラが捕られている。これら
すべては太平洋個体群に属する。

オホーツク海での唯一の捕獲は1931年の8頭のセミクジラのみ
であり、これに1968年の科学的調査目的のための2頭が加わる。
九州西沿岸では4頭のセミクジラが捕られたのみである。朝鮮
沿岸沖合では1頭のセミクジラ捕獲だが、1955年と1963年の
間に黄海の Hai Yang島付近で、中国の捕鯨者により2頭のセミ
クジラが捕獲された(Wang, 1978)。以上から日本海個体群が
太平洋個体群より強く削減されたと結論しうる。

1956年から1968年の間に鯨類研究所は13頭のセミクジラを
科学調査のために捕獲することを認められた。調査結果は大村
(1958)および大村他(1969)において報告されている。
これらのクジラのうち1頭は三陸、鮎川、1頭は北海道南岸
キリタップ、2頭が稚内あるいはオホーツク海で捕獲された。
残りの内訳は3頭がアラスカ湾、6頭がベーリング海である。

日本の漁獲で捕られるすべてのクジラは地域的に完全に利用
され、他国とのクジラ製品取引は知られていない。しかがって
これらの捕獲数は他国の生産高から導かれるものとは独立である。

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 08:01 投稿番号: [37573 / 62227]
[DISCUSSION AND CONCLUSION/検討と結論]
以上の記述から、網取り捕鯨の時代にはセミクジラの二つの
個体群が日本沿海を回遊していたということがわかる。
太平洋個体群は三重、和歌山、高知各県の南側を回遊し、日本海
個体群は京都から山口県の北側および九州の西沿岸を回遊する。
双方とも冬には南方へ向かい、春には北方へ向かう。
和歌山県太地では南へ向かう回遊が9月から12月にかけて
見られ、北行回遊は2月から4月にかけてあらわれる。
出産海域は知られていないがはるか南方、おそらく琉球諸島
周辺であろう。丘の上の見張り所から、交尾が観察された
ことはない。

Table 5
Catch ratio against total number of right whales sighted by Ukitsu
whaling group in years 1880, 1882 and 1883 (Hattori, 1887-1888)
___________________1880___1882___1883___Total
Total number sighted____7______9______1____17
Catch________________1______0______1_____2
Escaped, breaking net___0______0______0_____0
Escaped, beneath net___2______4______0_____6
Escaped, round net_____0______1______0_____1
Sighted, but not operated_4_____4______0_____8
Sighted, rough weather__4_____4______0_____8
Sighted, offshore_______0_____0______0_____0
第5表
1880、1882、1883年に浮津鯨組によって目視されたセミクジラ
総数に対する捕獲比率(服部1887-1888)
_________1880__1882__1883__Total
目視総数______7___9___1___17
捕獲数_______1_____0_____1______2
網を破って逃亡___0_____0_____0______0
網の下から逃亡___2_____4_____0______6
網を回避して逃亡__0_____1_____0______1
目視したが非操業__4___4___0___8
目視、悪天候____4___4___0___8
目視、沖合_____0___0___0___0


この個体群の北への回遊は日本の海岸線に沿って更に北へ
継続するようである。Omura, Ohsumi, Nemoto, Nasu and
Kasuya (1969)   は日本の捕鯨船による北太平洋でのセミ
クジラ目撃例 (1941-68)を示しており、ソ連の目撃例は
Klumov (1962)から引用している。これらのことから太平洋
個体群は4月に北海道の南東側に到達し、さらに北東方向へ
向かってクリール(千島)諸島に至ること、いくらかは
ベーリング海に入るということが推定される。
この個体群あるいはその一部がアラスカ湾に入るかどうかは
わからない。

日本海個体群も長い回遊経路をたどり、春には北へ移動して
おそらくオホーツク海で夏を過ごすと考えられるが、私は
この仮説を支持する証拠を持っていない。冬には遠く南の
出産海域に移動し、おそれくこれは琉球諸島近辺と思われる。

この二つの個体群からのセミクジラ最大年間捕獲数は19世紀
中盤以前はそれぞれ50頭と推定される。
総目視数とその捕獲数の正確なデータは残っていないが、
服部(1887-88) は高知県浮津グループ3年間 (1880, 1882
および1883年) のセミクジラ漁の結果を報告している。
総数17頭のセミクジラが目視され、2頭あるいは総目視数の
12%が捕殺された。7頭が網を逃れたが、おそらくそのうちの
いくらかには銛が命中していると思われる。このようにして
逃げた動物の死亡率は知られていない。

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 08:00 投稿番号: [37572 / 62227]
九州の捕鯨はいくつかの一族あるいはグループによって行われた。
呼子と小川島の中尾一族(佐賀県)、壱岐島の土肥一族(長崎県)、
そしてもっとも大きかったのが平戸と生月の益富一族だった(長崎県)。

1725年、強力な一族の益富又左衛門によってグループが組織
されてから1874年に操業を停止するまで、2万1790頭の鯨が
捕られた(Yoshihara, 1977)。この一帯の捕獲地を統合して
年平均では150頭である。グループは九州の何カ所かで
操業し、時には見島や通(双方とも山口県)でも捕鯨した。
この捕鯨グループは操業中には3000名を雇用し、約200の漁船を
稼働させていたと言われている。

益富グループの年平均捕鯨150頭という数字の内訳は知られて
いない。しかし18%がセミクジラであったという仮定(通の
1699-1768の比率)をするならば、セミクジラの年間捕獲数は
27頭となる。九州沿岸と山口の年間セミクジラ捕獲数を推定
する素材はこの他にはないが、双方合わせて50頭を越えた
ことはないと考えられる。

益富グループの捕鯨操業は「勇魚取絵詞」という1829年に出版
された書籍で説明と図解がなされている。ホーレイ(1958)は
出版年次を1832年としているが、この期日は最近訂正された。
この書籍の英語訳が最近出版されたが (Yamada, 1983)、
残念ながらいくつかの誤訳を含んでいる。この本の正しい
書名はヨウギョトルエシではなくイサナトリエコトバであり、
著者はヤマダ   ヨセイではなく「オヤマダ   トモキヨ」である。

近年、この本を編纂したのが平戸と生月で捕鯨を営んでいた
益富又左衛門であり、1829年のことだということがわかった。

この本の中に「南から北へ回遊する鯨は上り鯨、北から南へ
やってくる鯨は下り鯨と呼ばれる」という記述がある。
このことから九州西海岸のセミクジラは回遊中のものであり、
出産海域はより南方にあるということが明らかである。

山口県ではセミクジラ、ザトウクジラ、ナガスクジラおよび
コククジラが網取り捕鯨の主要捕獲種だった。このうちで
肉量と油生産が最も多いのがセミクジラであり、従って最重要
種となっている。川尻での1879年から1888年までの10年間の
各鯨種の一頭あたり平均価格を第4表に示した。
セミクジラはザトウクジラの3倍の価値を有していた。
九州の網取り捕鯨は19世紀末に和歌山と高知同様ほぼ終焉した。

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 07:58 投稿番号: [37571 / 62227]
山口県の北岸でも捕鯨は営まれていた。東の通(かよい)と西の
川尻がこれにあたる (Tokumi, 1957; Tada, 1978)。

現在長門市に含まれる通では向岸寺という寺に、捕獲した鯨それぞれの
仏教名が記録として保存されている。これにより、鯨種別の捕獲
状況が得られる(Kimura, 1956)。1802年から1850年にかけて
308頭の鯨が捕られ、116頭がナガスクジラ、105頭がザトウクジラ、
59頭がセミクジラ、28頭がコククジラだった。一年平均では6.3頭
が捕獲され、セミクジラは19%だった。

川尻では捕獲統計が鯨種別に10年集計で、捕鯨の始まった
1699年以降1901年まで利用可能である(Anon., 1890; Tada,
1978)。この統計は付表2と要約で第3表に示してある。

川尻の捕鯨は19世紀中頃まで主要にザトウクジラとセミクジラ
を捕獲しているが、1859年以降この両種、特にセミクジラの
減少が著しく、1884年以後はセミクジラはまったく捕られて
いない(Tada, 1978)。この両種の減少を補完する形で1859年
以降ナガスクジラの捕獲が増えている。

通と川尻の他、山口県では萩市北西45kmの小島嶼集落、見島
等、いくつかの村で捕鯨が行われていた。これらの漁村での捕鯨
は1680年頃はじまり、19世紀のおわり頃まで続いたが、やや
小規模なものだった。残念ながら捕獲の詳細はわからない。

九州西岸の多くの場所でも捕鯨は行われていた。
九州の捕鯨は手銛を用いた小さな鯨組で始まった。網取り
の発明以来、この技術は九州西岸一帯に広がり、ここが
もっとも繁栄した捕鯨地帯となった。

___________
Table 4
川尻における各年の鯨一頭あたり価格
インデックスはザトウクジラを1とした比率
子鯨に関しては鯨種の区別が無い
Average price in year per whale, Kawajiri, 1879-1888 (Anonymous,
1890). For the Index, the humpback = 1. No distinction to species is
made for calves

Species___Price___Index______Species__Price__Index
Right______4,362___3.09_______Gray____479___0.34
Hump back_1,411___1.00_______Calves____44___0.03
Fin________1,044___0.74

鯨種_______価格__インデックス
セミクジラ___4,362___3.09
ザトウクジラ__1,411___1.00
ナガスクジラ__1,044___0.74
コククジラ____479___0.34
子鯨_______44___0.03
___________________

環境問題と「環境保護団体」問題。NEW!!

投稿者: koimo0072 投稿日時: 2009/08/29 07:57 投稿番号: [37570 / 62227]
<N2O>オゾン層破壊の主犯「規制強化を」米研究チーム

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090828-00000024-mai-soci

  肥料の使用や化学物質の製造過程で出る「亜酸化窒素(N2O)」が、現時点でオゾン層を最も破壊する物質であることを、米海洋大気局の研究チームが突き止め、28日付の米科学誌「サイエンス」で発表した。N2Oは温室効果ガスとして先進国に排出規制が課せられているが、オゾン層保護の規制対象ではない。研究チームは「排出制限はオゾン層保護と温暖化抑制の両方に有益」と、厳しい規制を求めている。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

最近、温暖化そのものや温暖化人為説はかなり怪しくなってきてますが、オゾン層への影響もある、となるとその環境影響は見過ごせませんなぁ・・・
その影響を最も大きく受けるのは豪州の白色人種なんだけど、彼等は自分達の皮膚癌発症リスク増大よりも日本のイルカ漁が気になってるみたいだけどw

さて前投稿でも河川汚染に「肥料」の影響有り、という事でしたが件のFAO報告書以外でも一般ジャーナリズムが指摘しだしてるこの問題、「環境保護」団体はどれぐらい対応して見せるんだろうか?

肥料運搬船に体当たり、ぐらいはやってほしいよねぇ・・・

クジラさん問題で忙しいから無理か?w

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 07:43 投稿番号: [37569 / 62227]
第1表は19世紀前半の主要な捕獲鯨種がザトウクジラとセミクジラ
であったことを示しており、これが総捕数の80%を占めている。
その後この二種の捕獲量が低下し、特にセミクジラでは著しく、
両鯨組とも年捕獲数1頭程度に落ち込んでいる。
浮津組と津呂組では捕獲状況がほぼ同様であると確かに言える
( Appendix Table 1, c and d参照)。

両組で1850年以前のセミクジラ捕獲数は年に約15頭である。
和歌山と三重でも同等のセミクジラ捕獲があったとすると、
19世紀後半に入る以前には日本の南側沿岸で年に50頭か、やや
それを下回るセミクジラが捕獲されていたということになる。
和歌山県では捕鯨の密度が高知県と同水準だったと考えられるが、
三重の漁師は鯨よりも魚の漁業に依存する度合いが強かった。

<日本海個体群>

日本海沿岸での捕鯨はいくつかの集落で行われており、セミクジラ
が捕獲されていた。京都府の伊根では古い時代から捕鯨が行われ、
おそらく天文年間(1532−54)に遡ることができる。
伊根集落は伊根湾という小さな入り江に面しており、ここへ鯨が
偶発的に入り込んでいた。鯨が来ると伊根の漁師たちは入り江の
入り口を塞ぎ、手持ちの銛と網を使用して鯨を獲った。

伊根捕鯨の捕獲記録は1656年から1913年にかけて鯨種別に
残されている(Yoshihara, 1976b)。第2表によると、ザトウクジラ
とナガスクジラが主要捕獲種だったことがわかる。セミクジラは
全体の11%である。コククジラは捕られておらず、「ナガスクジラ」
はおそらくミンククジラ(Balaenoptera acutorostrata)を含んでいる。

ミンククジラが日本海へ回遊していたということはありうるが、
私は鯨に関する日本の古い文献でミンククジラの日本語名を見いだす
ことはできなかった。現在ミンククジラを示す日本名の一つが
minkuであることは驚くに値しないだろう。もう一つの和名は
コイワシクジラであり、これは'little piked whale'の翻訳である。

Table 2
Catches of whales at Ine, 1656-1913 (prepared from Yoshihara,
1976b) * Possibly includes minke whale.
1656-1913   伊根における捕鯨数(吉原1976bより作成)
* ミンククジラを含む可能性あり
Years_____Humpback_Fin*____Right____Total
1656-1700___42_____25_______6______73
1701-1750___36_____35_______3______74
1751-1800___33_____26______14______73
1801-1850___34_____28______10______72
1851-1900___22_____31_______7______60
1901-1913____-______3_______-________3
Total_______167____148______40_____355
_%________47.0___41. 7 _____11.3____100.0


_______________________
Table 3
Catches of whales by net-whaling at Kawajiri
(summarized from Appendix Table 2)
川尻における網取り捕鯨捕獲数(付表 Table 2より要約)
__コククジラ_セミクジラ_ザトウクジラ_ナガス_その他_計
_________Gray__Right_Humpback_Fin_____Others____Total
Total catch
1699-1768__110___166___591____22______28______917
1769-1818___?_____?_____?_____?_______?_______582
1819-1858___73___119___229____28______109_____558
1859-1888___97_____9___138___227_______7______478
1894-1901____7_____0____28____55_______9_______99
Average per year
1699-1768___1.6____2.4___8.4___0.3 _____0.4____13.1
1769-1818____?_____?_____?____?_______?_____11.6
1819-1858___1.8 ____3.0___5.7___0.7_____2.7_____13.9
1859-1888___3.2____0.3___4.6___7.6_____0.2_____15.9
1894-1901___0.9 ____0.0___3.5___6.9_____1.1_____12.4
____________________

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 07:41 投稿番号: [37568 / 62227]
[CATCHES OF RIGHT WHALES/セミクジラの捕獲]

セミクジラは二つの別々の地帯で網取り法によって捕獲され
ていた。南沿岸(三重、和歌山、高知)では太平洋系群が
捕獲され、京都から山口にかけての北岸と九州の西では
日本海系群が獲られていた。

<太平洋系群>
日本の南沿岸ではセミクジラが冬から春にかけての季節に
捕られていた。他に捕鯨されていた鯨種はザトウクジラ、
コククジラ、ニタリクジラ (Balaenoptera edeni)、ナガス
クジラ(B. physalus)、そしてシロナガスクジラ(B. musculus)
であった。

和歌山の太地ではマッコウクジラも捕られていた(Physeter catodon)。
コククジラとマッコウクジラは手投げ銛で捕獲され、網は
使われなかった。三重県ではセミクジラとその他のヒゲクジラ
が捕られたが、通常銛による捕獲だった。

和歌山県と三重県については捕獲統計は無いに等しい。
太地では明治維新後も捕鯨が続いたが、1878年12月24日、
子連れのセミクジラを追ううちに強い嵐に遭い、100名が
死亡するという悲劇的な事件が起きた。この事故が事実上
太地の古いスタイルの捕鯨を終わらせた。

高知県では寛永年間(1624−43)に銛突き捕鯨が記録され、
1683年に太地から導入された網取り捕鯨が行われた。
高知沿岸では浮津と津呂の二つの鯨組が西側と東側の漁場を
分け合っていた。高知には東側に足摺岬、西側に室戸岬という
二つの半島がある。東の漁場は室戸岬の東側(冬あるいは
9月おわりから12月)と西側(春、あるいは2月から4月)
であった。西の漁場は足摺岬の東側で冬(南へ向かう鯨)も
春(北へ向かう鯨)この漁場だった。


Table 1
Catches of whales by net-whaling in Kochi prefecture (summarized
from Appendix Table I). * Recorded as Iwashi kujira, which usually
means sei whales, but in this case Bryde's whales (Omura, 1977).
____________________________Hump-
__________Group__Gray__Right__back_Bryde 's*_Others__Tota
1800-1835_Ukitsu___144___259__521_____5______10___959
1849-1865_Tsuro ___101____19__209____35________6___370
1874-1896_Tsuro____99____23__134____72_______56___384
1875-1896_Uki tsu___64____21__126____81_______78___370
Average per year
1800-1835__Uki tsu__4.0___7.2___14.5___0.1_____0.8___26.6
1849-1865__Tsuro___5.9___1.1___12.3___2.1_____0.4___21.8
1874-1896__Tsuro___4.3___1.0____5.8___3.1_____2.4___16.7
1875-1896__Ukitsu___2.9 ___1.0___5.7____3.7_____3.5___16.8

第1表
高知の網取り捕鯨 (Appendix Table1より要約)
イワシ鯨と記されているものは通常sei whalesだが
ここではニタリクジラを意味する(Omura, 1977).
___________
_____鯨組_コク_セミ_ザトウ_ニタリ*_その他_合計_
1800-1835_浮津__144_259_521_    5____10___959
1849-1865_津呂 _101_   19_209_   35____   6__370
1874-1896_津呂_   99_   23_134_   72_______56__384
1875-1896_浮津_   64_   21_126_   81____78__370
年平均
1800-1835__浮津_4.0_   7.2_14.5_   0.1_____0.8___26.6
1849-1865__津呂_5.9_   1.1_12.3_   2.1_____0.4___21.8
1874-1896__津呂_4.3_   1.0_   5.8_   3.1_____2.4___16.7
1875-1896__浮津_2.9_   1.0_   5.7_   3.7_____3.5___16.8
浮津組と津呂組は毎年東漁場と西漁場を交互に使い分けていた。
西漁場で操業する年には乗員と、操業にかかわるその他の人々は
操業シーズン中移住滞在していた。
双方の組とも、鯨種別に良好な記録を残しており、ここから
高知での捕鯨のトレンドが見て取れる。まとめを第1表として
示した(高知県の捕獲の詳細はAppendix Table 1に示してある)。

Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 07:40 投稿番号: [37567 / 62227]
見晴らしの良い丘の上の小屋から、見張り役が海面の鯨の潮吹きを
探索していた。範囲内で鯨が見つかると、見張り人は旗か狼煙
で鯨種、位置、鯨が泳いでゆく方向を知らせた。指令者が命令を
出すと船は整然と行動を開始した。

勢子船は鯨を一方向から囲み、適切な位置へ動いて網を張って
いる網舟の方向へ追い立てた。網にかかった鯨は勢子船から銛で
突かれた。何種類かの銛が使われた。どの鯨もはじめは重さ
200g、長さ55cmの銛先に3.8mの木製の柄の突いた軽い銛で
突かれた。銛の重さは次第に増やされ、最後には3kgの銛が
投げられた(Taiji, 1937)。

  多数の銛で鯨が十分に弱ると、水夫が水に飛び込んで鯨の
頭に這い上がり、小刀で噴気穴の隔膜に穴をあけてこれに綱を
通した。尾に近い背中の脂肪層にも似たような方法で穴が
穿たれた。どちらの場合にも水夫は突き刺さった銛の柄を
つかんで滑りやすい鯨体の表面に乗り続けた。銛は網が滑って
外れることを妨げるのにも役立った。しかるのち、鯨は二隻の
タグボート(持双船)の間に結ばれて長い劔で心臓を突かれた。

網取り法の発明は日本の漁村経済にとって重要な出来事だった。
捕鯨は何百人もの生活を支えた。これには鯨体を処理する
作業者、網造り、その他さまざまな関連業種や水夫を支えた。
捕鯨はその準備にも操業にも多額の資金を要した。従って
網取り式捕鯨は和田家のような有力な一族によって取り仕切られた。

網取り捕鯨はすぐに太地の近くの古座のほか、熊野地方の
他の場所にも導入された(現在の三重県、和歌山県の一部)。
1683年にはこの方法は土佐(現在の高知県)にももたらされた。
ここではすでに浮津および津呂という鯨組が操業していた。

続く年には西九州の大村から深沢義太夫という名の捕鯨親方
が太地を訪れ、頼治から網取り法を学んだ(Hashiura, 1969)。
深沢が九州に帰ると間もなく、網取り捕鯨は九州西岸と山口
県北岸に広がった。

捕鯨は日本の他のところでも行われていた。最も有名なものは
勝浦(現在、千葉県)で醍醐一族によって営まれていたもの
だった(Yoshihara, 1976a)。ここの捕鯨は遅くとも明暦年間
(1655−57)にはじまっており江戸あるいは徳川時代末期
(1867)まで続いた。ツチクジラその他の小型歯鯨類が
手投げ銛で捕獲されていた。この捕鯨では網取りは行われず、
ヒゲクジラ類が獲られたこともなかった。

<地図の説明>
Fig. 1. Chart showing migration routes of right whales around Japan and places where they were taken by net-whaling (shaded). Place names appearing
in the text are indicated by numerals as follows: 1. Katsuyama, Chiba prefecture; 2. Morosakl, Alchl pref; 3. Taijil, Wakayama pref; 4. Tsuro,
Kochi pref; 5. Ukitsu, Kochi pref; 6. Ine, Kyoto pref; 7. Mishima, Yamaguchi pref; 8. Kayoi, Yamaguchi pref; 9. Kawajiri, Yamaguchi pref;
10. Ogawajima, Saga pref; II. Iki. Nagasaki pref; 12. Yobuko, Saga pref; 13. Ikitsuki, Nagasaki pref; 14. Hirado, Nagasaki pref; 15. Goto, Nagasaki pref.
以上、地図上に15カ所の捕鯨地点が描かれ、セミクジラが列島沿岸の
両側直近を南北に移動するという経路が示されている。

セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 07:38 投稿番号: [37566 / 62227]
REP. INT. WHAL. COMMN (SPECIAL ISSUE 10) 35
<1986年/著作権の主張無し>
History of Right Whale Catches in the Waters around Japan
HIDEO OMURA
Whales Research Institute, 3-32- 11, Ojima, Koto-Ku, 136, Japan

[SHORT HISTORY OF WHALING IN JAPAN
日本の捕鯨史概略]

日本周辺海域での捕鯨は長い歴史をもっている。小舟と初歩的な
漁具を使った捕鯨は10世紀よりも前まで遡ることができる。
セミクジラ(Eubalaena glacialis)の髭板で作られたいくつ
かの道具が奈良の正倉院宝物殿に保存されている。ここは
奈良の宮廷で使用されていた物品、装飾品が1200年間に
わたって保存されてきたところである (Shindo, 1978)。
このことはすくなくとも奈良時代(A.D.710-784)にはセミクジラ
の体が人々によって使用されていたこと、皇室においてさえ
利用されていたことを示している。しかし積極的な捕鯨が
行われていたのか、あるいは座礁、漂着した鯨が利用されて
いたのかは定かではない。

元亀(1570−73)年間には伊勢湾に面する三河と尾張(現在の
愛知県)の村落で捕鯨が営まれていた。これは7−8隻の船で
チームを作り、手投げ銛(hand harpoons)を使う漁法である(Otsuki, 1808)。
この捕鯨の中心地は知多半島南端の村、師崎(もろさき)だった。
これが、知られる限り日本史上最古の捕鯨である。
獲られていた鯨種は知られていないが、コククジラ(Eschrichtius
robustus)がもっとも普通の捕獲種であったろうと推定される。

手銛による捕鯨は伊勢、熊野地方へと海岸沿いに広がった
(現在の三重県、和歌山県)。更に四国、九州を含む西日本
への拡大があった。慶長11年(1606)、当時強力だった
和田一族の総帥、頼元が熊野、太地に五つの鯨組を成立させた。
頼元が師崎の伝次という人物の補佐をうけて全体を指揮したが、
伝次は熟練した銛手であったと思われる(Hashiura, 1969)。

1675年には頼元の孫で後に角右衛門と改名する頼治が、網を
利用する新方法を発明した。何重にも巡らされた網にひっかかった
鯨は容易に銛で突くことができた。はじめは藁でつくった網が
用いられたが弱すぎたので、のちに麻の網に変えられた。

  網の使用は日本の捕鯨史にとって革命的なことだった。
ザトウクジラ(Megaptera novaeangliae)その他、ナガスクジラ科
の鯨が捕獲可能になり、セミクジラも以前より容易に獲る
ことができるようになった。
しかし網捕り法はより多くの船と人力、多くの漁師の共同作業を
必要とした。太地では五つの鯨組が一つに統合され、和田頼治が
指揮を執った。

操業グループは鯨を追い立て、殺傷する15から20隻の勢子船
(beater boats)、6隻の網船(netting boats)4隻の持双舟
( tug boats)等全部で25−30隻から構成され、約400人の
人員を擁していた。

Re: 19世紀北太平洋ヤンキー捕鯨セミ鯨漁

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 07:34 投稿番号: [37565 / 62227]
>18世紀後半か19世紀初頭か・・・を争って何か意味でも?。
>”加速度の違い”論再出ということは、ミナミセミクジラ枯渇の元凶は、
>例えばパプアやアボリジニ原住民のせい・・・・とでも?

捕鯨史に関する基本的な文献をお読みになっていない方の「通説」を
信じて講釈をお垂れになっておられますな。

パプアやアボリジニじゃないからイカンとか、お叱りをうけそうですが、
南アで、バスク沿岸捕鯨や日本の「古式」捕鯨とまったく同じパターンの
資源枯渇現象が見られたという記述があります。

1830年代に英国捕鯨船に乗って世界一周し、博物誌を書いたFREDERICK D.
BENNETTという人の本の一節です。
__________
喜望峰の英国植民者は一定規模のセミクジラ漁を営んでいる。
彼らは見晴らしの効く高台に展望台を建てたところの
浜辺から出漁する。クジラが見えるとこれをアタックするために
船を出す。死んだクジラは陸揚げされ皮脂がはがされて
油の煮出しも行われる。テーブルベイは以前はセミクジラが好んで
集まるところだった。1832年に私はケープタウンの浜辺で、
この怪物の断片が惜しげも無く散らかされているのを見た。
最近ではしかし、彼らのこのスポットへの訪問は稀になり、
捕鯨者たちは同じ沿岸の別の湾で操業するほうが利益が大い
と考えた。残念ながら浜辺から漁をするというこのやり方は、
ほとんどいつも雌鯨とその子供を滅亡させるということである。
これはこの鯨種の数を大きく減らす傾向とならざるをえず、
捕鯨者たちにそれを補償するアドバンテージを与えることは
ない。
______
The British colonists at the Cape of Good Hope are
engaged to some extent in the capture of the Right
Whale. They carry on the fishery from the shore,
where an observatory is erected on a commanding
height. Upon whales being seen, the boats are launched
to attack them; and the dead whales are brought to
the land, where the operations of flensing and boiling
the oil are also performed. Table Bay was formerly a
favourite resort of the Cape Whale: in the year 1832,
I noticed fragments of these monsters strewn profusely
on the beach at Cape Town. Latterly, however, their
visits to this spot have become rare, and whalers find
it more profitable to pursue their occupation in other
bays, on the same coast. It is to be regretted, that this
method of fishing from the shore involves almost solely
the destruction of female whales and their calves, and
must tend greatly to diminish the number of the
species, without any compensating advantage to the
whaler.
========
BIBLIOTHECA AUSTRALIANA #47復刻本シリーズ
元著者:FREDERICK D. BENNETT
NARRATIVE OF A WHALING VOYAGE ROUND THE GLOBE
FROM THE YEAR 1833-1836 Volume 2, 1849, LONDON
[ ZOOLOGY_CETACEANS.]
p. 229-231
CHAPTER VIII. SOUTHERN WHALES (concluded).
The Cape- Whale-Hump-back-Black-Fish-Right Whale Porpoise-
Dolphin-Grampus-Fin- backs-Cow - Fish-Killers-Bone-Sharks,
THE CAPE WHALE.
(Balaena Australis, Desmoulins. Right Whale of the South-Sea Whalers.)
______

あとのいろいろな「御攻撃」はかなり面白い論点を含んでいるのですが、
今日は他にやることがあるのでさわりだけ。

たとえば1931年の条約を拒否した後、後の修正条約に合意したという
後日談があります。ところがこの国際合意の成立にもかかわらず、日本
政府がそれを実施するための国内法を整備しなかったため、日本の
捕鯨船はあいかわらずセミクジラを捕獲して、何らの規制を受けることも
なかったと、国際捕鯨委員会年報1991年版Scarf論文に書いてあります。
最近のミナミマグロ事件とそっくりだな。基本的なところで全然変わってない。

Re: NHK「日本くじら物語」←提灯番組!

投稿者: nobu_ichi95 投稿日時: 2009/08/29 07:32 投稿番号: [37564 / 62227]
>前にも書きましたがNHKの捕鯨問題に関しての基本的スタンスは
>“大本営(水産庁)そのまま”です。

おや?
”文化論だけ”とは随分違うね(苦笑)。

まあ、君の場合は観ていたとしても、”その程度”ということかな。

Re: 「強硬に反対」「敗北を覚悟」

投稿者: r13812 投稿日時: 2009/08/29 06:38 投稿番号: [37563 / 62227]
モナコ クロマグロ全面禁輸を
http://www.nhk.or.jp/news/k10015168251000.html

08月29日06時05分
すしネタや刺身で日本では人気のクロマグロが絶滅するおそれがあるとして保護を求める声がヨーロッパで広がるなか、規制の旗振り役として知られるモナコのアルベール2世公は、国際取り引きの全面的な禁止を実現したいとの考えを示しました。

モナコの国家元首、アルベール2世は自然保護活動に熱心なことで知られ、モナコは、大西洋クロマグロをワシントン条約で定める絶滅のおそれがある野生生物に加えて輸出入を全面的に禁止するよう、来年3月の締約国会議で提案することにしています。アルベール2世はNHKのインタビューに対し、「3年から5年後には地中海のクロマグロの個体群が崩壊すると科学者が警告している。国際取り引きをいったん止めて個体数が回復するのを待つしか方法はない」と述べ、従来の漁獲規制だけでは不十分で、国際取り引きを全面的に禁止することが欠かせないという考えを示しました。アルベール2世は、日本のすし文化には理解を示しながらも「クロマグロは危機に直面しているので、ぜひいっしょに守ってほしい」と述べて、モナコの提案への日本側の理解を求めました。モナコの提案は、フランス、イギリス、ドイツといったヨーロッパ主要国で支持が広がっており、ワシントン条約の締約国会議で可決されれば、クロマグロの最大の消費国である日本が大きな影響を受けるのは避けられないとみられます。モナコがクロマグロの全面的な輸出入の禁止を求めていることについて、水産庁資源管理部の宮原正典審議官は、受け入れられないとする立場を明記した書簡を、今週、モナコに送ったことを明らかにしました。宮原審議官は「クロマグロは1匹で卵を何千個も産む魚で、数が減ったといっても、毎年、何万トンもの漁獲に耐えている。ワシントン条約で輸出入が禁止されているジュゴンやシーラカンスのようにほんとうに絶滅にひんしている種類とはまったく別だ」と述べました。そのうえで、「クロマグロ漁のいちばんの問題点は違法な漁獲が横行していることで、まず、それを規制するべきだ」として、漁獲規制によってクロマグロの数は維持できるという考えを示しました。さらに、「モナコの提案にある禁輸は過剰な措置だ」と述べ、日本としては断固反対し、各国にも理解を呼びかけていく方針をあらためて示しました。

Re: NHK「日本くじら物語」←提灯番組!

投稿者: r13812 投稿日時: 2009/08/29 05:52 投稿番号: [37562 / 62227]
>>3倍食べるということに関しては99年3月鯨類研究所の大隅清治博士と
>>田村力博士によって発表された「世界の海洋における鯨類の食物年間消費量」
>>という科学論文があります。

>と、これも査読論文じゃないからまともな学術レベルで批判に合うことが
>少なく、批判論文も国際査読論文誌に載りにくいという状態だったんだね。
>そのために逆に無責任な宣伝で大手を振って利用されたという曰く付きの
>文書だ。


実は「海洋ニッポン−未知の領域に挑む人びと」足立倫行(岩波書店)P214によると

そもそも“論文”でさえなく単なる“インフォメーションペーパー”だったようです。

(1999年の発表時)

まあ本人自らが「基本データが不充分」と言っているくらいですから

とてもじゃないけど“論文”として発表するなんてことはできなかったのでしょうね。




>>1986年の商業捕鯨モラトリアム実施以降、年率4%程度増えていることが
>>知られるくじらは

>も、今年のIWC専門家パネルに提出した日本側の論文で自分で否定してるのに
>いっさいおかまいなしだなあ。鯨研の論文とか、全然読んでないんでしょうね。


鯨研が世界に誇る例の南極海ミンククジラ急上昇グラフを見ると

もうすでに1970年ごろから先はほぼ平行線になっておられます。w

Re: NHK「日本くじら物語」←提灯番組!

投稿者: r13812 投稿日時: 2009/08/29 05:25 投稿番号: [37561 / 62227]
前にも書きましたがNHKの捕鯨問題に関しての基本的スタンスは“大本営(水産庁)そのまま”です。

これは多分、現在この捕鯨問題というものにあまり興味がないがため(つまりマイナー)、かつ基本的に

担当の人間が水産出(情報源は大本営発表)であるがためだと思われます。


ある程度この捕鯨問題ってものを知ってる人間は乗せられることはないのですが、

(つーかあまりの印象操作ぶりに怒りを覚えるくらいなのですが)

なにしろ公共放送、しかも教育番組ときてる。

したがってよく知らない人は信じてしまいます。


主張している人間はそう信じて発言しているのでしょう。

でも公共放送で発言する以上、責任というものがあるべきだと思います。

一方の側からの理屈だけを信じ込み、それを臆面もなく言い放つ。

“危険”なことだと思います。
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