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Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 08:00 投稿番号: [37572 / 62227]
九州の捕鯨はいくつかの一族あるいはグループによって行われた。
呼子と小川島の中尾一族(佐賀県)、壱岐島の土肥一族(長崎県)、
そしてもっとも大きかったのが平戸と生月の益富一族だった(長崎県)。

1725年、強力な一族の益富又左衛門によってグループが組織
されてから1874年に操業を停止するまで、2万1790頭の鯨が
捕られた(Yoshihara, 1977)。この一帯の捕獲地を統合して
年平均では150頭である。グループは九州の何カ所かで
操業し、時には見島や通(双方とも山口県)でも捕鯨した。
この捕鯨グループは操業中には3000名を雇用し、約200の漁船を
稼働させていたと言われている。

益富グループの年平均捕鯨150頭という数字の内訳は知られて
いない。しかし18%がセミクジラであったという仮定(通の
1699-1768の比率)をするならば、セミクジラの年間捕獲数は
27頭となる。九州沿岸と山口の年間セミクジラ捕獲数を推定
する素材はこの他にはないが、双方合わせて50頭を越えた
ことはないと考えられる。

益富グループの捕鯨操業は「勇魚取絵詞」という1829年に出版
された書籍で説明と図解がなされている。ホーレイ(1958)は
出版年次を1832年としているが、この期日は最近訂正された。
この書籍の英語訳が最近出版されたが (Yamada, 1983)、
残念ながらいくつかの誤訳を含んでいる。この本の正しい
書名はヨウギョトルエシではなくイサナトリエコトバであり、
著者はヤマダ   ヨセイではなく「オヤマダ   トモキヨ」である。

近年、この本を編纂したのが平戸と生月で捕鯨を営んでいた
益富又左衛門であり、1829年のことだということがわかった。

この本の中に「南から北へ回遊する鯨は上り鯨、北から南へ
やってくる鯨は下り鯨と呼ばれる」という記述がある。
このことから九州西海岸のセミクジラは回遊中のものであり、
出産海域はより南方にあるということが明らかである。

山口県ではセミクジラ、ザトウクジラ、ナガスクジラおよび
コククジラが網取り捕鯨の主要捕獲種だった。このうちで
肉量と油生産が最も多いのがセミクジラであり、従って最重要
種となっている。川尻での1879年から1888年までの10年間の
各鯨種の一頭あたり平均価格を第4表に示した。
セミクジラはザトウクジラの3倍の価値を有していた。
九州の網取り捕鯨は19世紀末に和歌山と高知同様ほぼ終焉した。
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