Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 07:41 投稿番号: [37568 / 62227]
[CATCHES OF RIGHT WHALES/セミクジラの捕獲]
セミクジラは二つの別々の地帯で網取り法によって捕獲され
ていた。南沿岸(三重、和歌山、高知)では太平洋系群が
捕獲され、京都から山口にかけての北岸と九州の西では
日本海系群が獲られていた。
<太平洋系群>
日本の南沿岸ではセミクジラが冬から春にかけての季節に
捕られていた。他に捕鯨されていた鯨種はザトウクジラ、
コククジラ、ニタリクジラ (Balaenoptera edeni)、ナガス
クジラ(B. physalus)、そしてシロナガスクジラ(B. musculus)
であった。
和歌山の太地ではマッコウクジラも捕られていた(Physeter catodon)。
コククジラとマッコウクジラは手投げ銛で捕獲され、網は
使われなかった。三重県ではセミクジラとその他のヒゲクジラ
が捕られたが、通常銛による捕獲だった。
和歌山県と三重県については捕獲統計は無いに等しい。
太地では明治維新後も捕鯨が続いたが、1878年12月24日、
子連れのセミクジラを追ううちに強い嵐に遭い、100名が
死亡するという悲劇的な事件が起きた。この事故が事実上
太地の古いスタイルの捕鯨を終わらせた。
高知県では寛永年間(1624−43)に銛突き捕鯨が記録され、
1683年に太地から導入された網取り捕鯨が行われた。
高知沿岸では浮津と津呂の二つの鯨組が西側と東側の漁場を
分け合っていた。高知には東側に足摺岬、西側に室戸岬という
二つの半島がある。東の漁場は室戸岬の東側(冬あるいは
9月おわりから12月)と西側(春、あるいは2月から4月)
であった。西の漁場は足摺岬の東側で冬(南へ向かう鯨)も
春(北へ向かう鯨)この漁場だった。
Table 1
Catches of whales by net-whaling in Kochi prefecture (summarized
from Appendix Table I). * Recorded as Iwashi kujira, which usually
means sei whales, but in this case Bryde's whales (Omura, 1977).
____________________________Hump-
__________Group__Gray__Right__back_Bryde 's*_Others__Tota
1800-1835_Ukitsu___144___259__521_____5______10___959
1849-1865_Tsuro ___101____19__209____35________6___370
1874-1896_Tsuro____99____23__134____72_______56___384
1875-1896_Uki tsu___64____21__126____81_______78___370
Average per year
1800-1835__Uki tsu__4.0___7.2___14.5___0.1_____0.8___26.6
1849-1865__Tsuro___5.9___1.1___12.3___2.1_____0.4___21.8
1874-1896__Tsuro___4.3___1.0____5.8___3.1_____2.4___16.7
1875-1896__Ukitsu___2.9 ___1.0___5.7____3.7_____3.5___16.8
第1表
高知の網取り捕鯨 (Appendix Table1より要約)
イワシ鯨と記されているものは通常sei whalesだが
ここではニタリクジラを意味する(Omura, 1977).
___________
_____鯨組_コク_セミ_ザトウ_ニタリ*_その他_合計_
1800-1835_浮津__144_259_521_ 5____10___959
1849-1865_津呂 _101_ 19_209_ 35____ 6__370
1874-1896_津呂_ 99_ 23_134_ 72_______56__384
1875-1896_浮津_ 64_ 21_126_ 81____78__370
年平均
1800-1835__浮津_4.0_ 7.2_14.5_ 0.1_____0.8___26.6
1849-1865__津呂_5.9_ 1.1_12.3_ 2.1_____0.4___21.8
1874-1896__津呂_4.3_ 1.0_ 5.8_ 3.1_____2.4___16.7
1875-1896__浮津_2.9_ 1.0_ 5.7_ 3.7_____3.5___16.8
浮津組と津呂組は毎年東漁場と西漁場を交互に使い分けていた。
西漁場で操業する年には乗員と、操業にかかわるその他の人々は
操業シーズン中移住滞在していた。
双方の組とも、鯨種別に良好な記録を残しており、ここから
高知での捕鯨のトレンドが見て取れる。まとめを第1表として
示した(高知県の捕獲の詳細はAppendix Table 1に示してある)。
セミクジラは二つの別々の地帯で網取り法によって捕獲され
ていた。南沿岸(三重、和歌山、高知)では太平洋系群が
捕獲され、京都から山口にかけての北岸と九州の西では
日本海系群が獲られていた。
<太平洋系群>
日本の南沿岸ではセミクジラが冬から春にかけての季節に
捕られていた。他に捕鯨されていた鯨種はザトウクジラ、
コククジラ、ニタリクジラ (Balaenoptera edeni)、ナガス
クジラ(B. physalus)、そしてシロナガスクジラ(B. musculus)
であった。
和歌山の太地ではマッコウクジラも捕られていた(Physeter catodon)。
コククジラとマッコウクジラは手投げ銛で捕獲され、網は
使われなかった。三重県ではセミクジラとその他のヒゲクジラ
が捕られたが、通常銛による捕獲だった。
和歌山県と三重県については捕獲統計は無いに等しい。
太地では明治維新後も捕鯨が続いたが、1878年12月24日、
子連れのセミクジラを追ううちに強い嵐に遭い、100名が
死亡するという悲劇的な事件が起きた。この事故が事実上
太地の古いスタイルの捕鯨を終わらせた。
高知県では寛永年間(1624−43)に銛突き捕鯨が記録され、
1683年に太地から導入された網取り捕鯨が行われた。
高知沿岸では浮津と津呂の二つの鯨組が西側と東側の漁場を
分け合っていた。高知には東側に足摺岬、西側に室戸岬という
二つの半島がある。東の漁場は室戸岬の東側(冬あるいは
9月おわりから12月)と西側(春、あるいは2月から4月)
であった。西の漁場は足摺岬の東側で冬(南へ向かう鯨)も
春(北へ向かう鯨)この漁場だった。
Table 1
Catches of whales by net-whaling in Kochi prefecture (summarized
from Appendix Table I). * Recorded as Iwashi kujira, which usually
means sei whales, but in this case Bryde's whales (Omura, 1977).
____________________________Hump-
__________Group__Gray__Right__back_Bryde 's*_Others__Tota
1800-1835_Ukitsu___144___259__521_____5______10___959
1849-1865_Tsuro ___101____19__209____35________6___370
1874-1896_Tsuro____99____23__134____72_______56___384
1875-1896_Uki tsu___64____21__126____81_______78___370
Average per year
1800-1835__Uki tsu__4.0___7.2___14.5___0.1_____0.8___26.6
1849-1865__Tsuro___5.9___1.1___12.3___2.1_____0.4___21.8
1874-1896__Tsuro___4.3___1.0____5.8___3.1_____2.4___16.7
1875-1896__Ukitsu___2.9 ___1.0___5.7____3.7_____3.5___16.8
第1表
高知の網取り捕鯨 (Appendix Table1より要約)
イワシ鯨と記されているものは通常sei whalesだが
ここではニタリクジラを意味する(Omura, 1977).
___________
_____鯨組_コク_セミ_ザトウ_ニタリ*_その他_合計_
1800-1835_浮津__144_259_521_ 5____10___959
1849-1865_津呂 _101_ 19_209_ 35____ 6__370
1874-1896_津呂_ 99_ 23_134_ 72_______56__384
1875-1896_浮津_ 64_ 21_126_ 81____78__370
年平均
1800-1835__浮津_4.0_ 7.2_14.5_ 0.1_____0.8___26.6
1849-1865__津呂_5.9_ 1.1_12.3_ 2.1_____0.4___21.8
1874-1896__津呂_4.3_ 1.0_ 5.8_ 3.1_____2.4___16.7
1875-1896__浮津_2.9_ 1.0_ 5.7_ 3.7_____3.5___16.8
浮津組と津呂組は毎年東漁場と西漁場を交互に使い分けていた。
西漁場で操業する年には乗員と、操業にかかわるその他の人々は
操業シーズン中移住滞在していた。
双方の組とも、鯨種別に良好な記録を残しており、ここから
高知での捕鯨のトレンドが見て取れる。まとめを第1表として
示した(高知県の捕獲の詳細はAppendix Table 1に示してある)。
これは メッセージ 37567 (aplzsia さん)への返信です.
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