Re: セミ鯨枯渇原因1986年大村論文
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/29 08:01 投稿番号: [37573 / 62227]
[DISCUSSION AND CONCLUSION/検討と結論]
以上の記述から、網取り捕鯨の時代にはセミクジラの二つの
個体群が日本沿海を回遊していたということがわかる。
太平洋個体群は三重、和歌山、高知各県の南側を回遊し、日本海
個体群は京都から山口県の北側および九州の西沿岸を回遊する。
双方とも冬には南方へ向かい、春には北方へ向かう。
和歌山県太地では南へ向かう回遊が9月から12月にかけて
見られ、北行回遊は2月から4月にかけてあらわれる。
出産海域は知られていないがはるか南方、おそらく琉球諸島
周辺であろう。丘の上の見張り所から、交尾が観察された
ことはない。
Table 5
Catch ratio against total number of right whales sighted by Ukitsu
whaling group in years 1880, 1882 and 1883 (Hattori, 1887-1888)
___________________1880___1882___1883___Total
Total number sighted____7______9______1____17
Catch________________1______0______1_____2
Escaped, breaking net___0______0______0_____0
Escaped, beneath net___2______4______0_____6
Escaped, round net_____0______1______0_____1
Sighted, but not operated_4_____4______0_____8
Sighted, rough weather__4_____4______0_____8
Sighted, offshore_______0_____0______0_____0
第5表
1880、1882、1883年に浮津鯨組によって目視されたセミクジラ
総数に対する捕獲比率(服部1887-1888)
_________1880__1882__1883__Total
目視総数______7___9___1___17
捕獲数_______1_____0_____1______2
網を破って逃亡___0_____0_____0______0
網の下から逃亡___2_____4_____0______6
網を回避して逃亡__0_____1_____0______1
目視したが非操業__4___4___0___8
目視、悪天候____4___4___0___8
目視、沖合_____0___0___0___0
この個体群の北への回遊は日本の海岸線に沿って更に北へ
継続するようである。Omura, Ohsumi, Nemoto, Nasu and
Kasuya (1969) は日本の捕鯨船による北太平洋でのセミ
クジラ目撃例 (1941-68)を示しており、ソ連の目撃例は
Klumov (1962)から引用している。これらのことから太平洋
個体群は4月に北海道の南東側に到達し、さらに北東方向へ
向かってクリール(千島)諸島に至ること、いくらかは
ベーリング海に入るということが推定される。
この個体群あるいはその一部がアラスカ湾に入るかどうかは
わからない。
日本海個体群も長い回遊経路をたどり、春には北へ移動して
おそらくオホーツク海で夏を過ごすと考えられるが、私は
この仮説を支持する証拠を持っていない。冬には遠く南の
出産海域に移動し、おそれくこれは琉球諸島近辺と思われる。
この二つの個体群からのセミクジラ最大年間捕獲数は19世紀
中盤以前はそれぞれ50頭と推定される。
総目視数とその捕獲数の正確なデータは残っていないが、
服部(1887-88) は高知県浮津グループ3年間 (1880, 1882
および1883年) のセミクジラ漁の結果を報告している。
総数17頭のセミクジラが目視され、2頭あるいは総目視数の
12%が捕殺された。7頭が網を逃れたが、おそらくそのうちの
いくらかには銛が命中していると思われる。このようにして
逃げた動物の死亡率は知られていない。
以上の記述から、網取り捕鯨の時代にはセミクジラの二つの
個体群が日本沿海を回遊していたということがわかる。
太平洋個体群は三重、和歌山、高知各県の南側を回遊し、日本海
個体群は京都から山口県の北側および九州の西沿岸を回遊する。
双方とも冬には南方へ向かい、春には北方へ向かう。
和歌山県太地では南へ向かう回遊が9月から12月にかけて
見られ、北行回遊は2月から4月にかけてあらわれる。
出産海域は知られていないがはるか南方、おそらく琉球諸島
周辺であろう。丘の上の見張り所から、交尾が観察された
ことはない。
Table 5
Catch ratio against total number of right whales sighted by Ukitsu
whaling group in years 1880, 1882 and 1883 (Hattori, 1887-1888)
___________________1880___1882___1883___Total
Total number sighted____7______9______1____17
Catch________________1______0______1_____2
Escaped, breaking net___0______0______0_____0
Escaped, beneath net___2______4______0_____6
Escaped, round net_____0______1______0_____1
Sighted, but not operated_4_____4______0_____8
Sighted, rough weather__4_____4______0_____8
Sighted, offshore_______0_____0______0_____0
第5表
1880、1882、1883年に浮津鯨組によって目視されたセミクジラ
総数に対する捕獲比率(服部1887-1888)
_________1880__1882__1883__Total
目視総数______7___9___1___17
捕獲数_______1_____0_____1______2
網を破って逃亡___0_____0_____0______0
網の下から逃亡___2_____4_____0______6
網を回避して逃亡__0_____1_____0______1
目視したが非操業__4___4___0___8
目視、悪天候____4___4___0___8
目視、沖合_____0___0___0___0
この個体群の北への回遊は日本の海岸線に沿って更に北へ
継続するようである。Omura, Ohsumi, Nemoto, Nasu and
Kasuya (1969) は日本の捕鯨船による北太平洋でのセミ
クジラ目撃例 (1941-68)を示しており、ソ連の目撃例は
Klumov (1962)から引用している。これらのことから太平洋
個体群は4月に北海道の南東側に到達し、さらに北東方向へ
向かってクリール(千島)諸島に至ること、いくらかは
ベーリング海に入るということが推定される。
この個体群あるいはその一部がアラスカ湾に入るかどうかは
わからない。
日本海個体群も長い回遊経路をたどり、春には北へ移動して
おそらくオホーツク海で夏を過ごすと考えられるが、私は
この仮説を支持する証拠を持っていない。冬には遠く南の
出産海域に移動し、おそれくこれは琉球諸島近辺と思われる。
この二つの個体群からのセミクジラ最大年間捕獲数は19世紀
中盤以前はそれぞれ50頭と推定される。
総目視数とその捕獲数の正確なデータは残っていないが、
服部(1887-88) は高知県浮津グループ3年間 (1880, 1882
および1883年) のセミクジラ漁の結果を報告している。
総数17頭のセミクジラが目視され、2頭あるいは総目視数の
12%が捕殺された。7頭が網を逃れたが、おそらくそのうちの
いくらかには銛が命中していると思われる。このようにして
逃げた動物の死亡率は知られていない。
これは メッセージ 37572 (aplzsia さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834578/a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa_1/37573.html