“平和ボケ”のお部屋
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Re: 自明?
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/11 20:05 投稿番号: [16136 / 17759]
>
他者を害すれば、他者は害される。
これは有り体に言えば、
「目には目を」
ということでいいですか?
これは メッセージ 16135 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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自明?
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/11 17:54 投稿番号: [16135 / 17759]
立証していますよ。
他者を害すれば、他者は害される。
↑が「理」です。
物理法則などは、法則性があったことを人間が認識し、理解したにすぎません。
これは メッセージ 16133 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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出てきませんよ。
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/11 17:26 投稿番号: [16134 / 17759]
不明という状態であることが明らかとなりますからね。
これは メッセージ 16133 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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Re: 間違ってますよ。
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/11 14:48 投稿番号: [16133 / 17759]
一点だけ
>真理はあります。
>理由は簡単。
>「真理がない」ことを仮定した場合、
>「真理がないこと」が真理となり、
>結果として、「真理がある」ことを意味する。
オオタグロさんのこれを読んだときに、「真理はあるかどうかわからない」と仮定するとどうなんだろう?と思いました。
そうすると、「真理があるかどうかがわからない」ということが、それが「真理であるかどうかわからない」ということになって、結果としては、依然として「真理があるかどうかわからない」というような曖昧な答えが出てきそうですよねえ。
私が虚無主義者であるということをオオタグロさんに初めていわれましたが、よくわからないので、そこで「虚無主義」を調べたら、ウィキペディアに「真理」論について全く同じようなことが書いてありました。
ああそうなんだ、私は虚無主義者という人と近い考え方をしているのかも知れないのかなあと思いました。
それはともかく、
私が感じている、理解できなく何度も伺っているところは、あなたに(私の理解にとって)足りないのは、「人権」とか「真理」とか「理」とか、それらがないもの(もしくはそれ以外のもの)と仮定するというということを前提として論立てを始めるから、それらの存在があたかも自明のこととして存在していることを確信しているように感じられ、そして結局(今のところ)最後までそのものについての言及がないということです。
実態のないものに着物を着せてもその衣は人間の形を現してはくれません。
私が未熟であることはいつも全く否定していません。私はオオタグロさんの文章を読んで、そこから出てくる疑問をあなたに伺っているにすぎません。
どうぞこれからもよろしくお願いします。
これは メッセージ 16129 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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多数決だから正しいのではない。
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/10 11:05 投稿番号: [16132 / 17759]
これは メッセージ 16131 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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少数意見の尊重?
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/10 10:59 投稿番号: [16131 / 17759]
理が疑わしいならば、少数意見を尊重すべきという理も疑わしいはずでは?
まず、「空港を建設するか否か」について多数決で決めている場合、
「空港を建設する」が多数であれば、「建設しない」という少数意見を取り入れる余地はありません。
>十分に少数の弱者を満足させることができていない
利己的欲望には必ずしも限りはないことから、少数の利己的欲望を十分に満たす必要はなく、
財産価値に相当し、且つ、慰謝料を上乗せして支払えば足ります。
>自分の父親の形見
買い手にとって、財産価値に影響を及ぼす要因ではありません。
>「いやだ」といって拒否できる」権利
拒否する権利は、公共施設の建設を妨げますから、
公共施設(水道、道路、港湾施設、裁判所等)を使用しないことを前提とします。
>一時期の堀江モンじゃあるまいし、金に換算できないものなどいくらでもあるでしょう?
別にかまいませんよ。
金銭による賠償を拒否しても、他の賠償方法が必ず認められることを意味しませんから、
特に、当事者の思いなるものは、当事者本人の脳内に於いて生じているにすぎないから、財物の有無とは無関係であり、
そもそも、同じ思いを賠償することは不可能であり、これを金銭に置き換えるのが慰謝料である。
>個人の価値観と法律とは何の関係もありませんよ。
>また法律で規制できるものであってはならないものです。
価値観は規制されていません。
表示しない限りに於いて、思うのは自由です。
他を害しませんから。
>法律上取り決められた賠償額なるものは、思い入れを持った人間に対しては全く無意味です。
無意味であるならば、金銭に換算する必要はなく、
結果、財物としての価値のみを金銭に換算すればよいことになります。
>「信教の自由」とか「内心の自由」がどうして認められなければならないのか
表示しない限り、他を害さないから認められているのですよ。
表示すると、表現の自由とプライバシーが矛盾対立する。
>現実をどのように受け取るか?
全く無意味です。
どう感じるかは個人の自由ですが、相手方と共通する理が伴わなければ他者に主張しても通用しません。
虚無主義は、虚無主義者間では通用するかもしれませんが、
相手方と共通する理を否定するならば相手にされず、結果、少数派になる。
理解する努力もせず、理解してもらう努力をも怠った結果、
理もなく、多数の理解者を集めることすらできずに、
自らの意思が尊重されない結果に陥るのは自業自得である。
これは メッセージ 16128 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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論理を解することができないようで…。
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/10 10:01 投稿番号: [16130 / 17759]
≫全ての者が理に適うように他者に対するならば、
↑は、条件を定めるものであって、現実に上記の状態にあることではありません。
条件を満たす場合に、
≫全ての者は他者から理に適わない仕打ちを受けることはない。
↑の結果に至ると解することが相当である、または、相当ではない、何れが一方に確定することが理にあたる。
X=1ならば、
X−1=0である。
との主張に対し、
Xは1ではない、0であると主張するがごときである。
そもそも、理を否定するならば、論理をも否定することを意味し、議論が成立する余地はない。
>ごもっとも・・・。ただ私個人は、おそらくは永遠に「悟り」とは縁がなさそうです。
いえいえ、悟りどころか、「理を解すること」と縁がないでしょう。
>※「無常」という考え方からすれば、「真理」などないはずですよねえ。
やはり、理を解していませんね。
「諸行無常」の「無常」が「諸行」とは独立しているとでも思っているのか…。
「諸行」、つまり、「因縁によって生じたこの世の一切の事物」には「常」は「無い」のである。
これは、「因(因果関係)」「縁(関係の助成)」という「理」があることを前提としている。
また、「常」に「無」であることは、「理」にあたる。
これは メッセージ 16127 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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間違ってますよ。
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/10 09:32 投稿番号: [16129 / 17759]
>実際的な問題として、
>成田闘争というのは、国家により「公共の福祉」を名目として、
>少数の弱者が虐げられたという歴史的な認識があるわけです。
公共の利便性向上を名目としてです。
日本に於いては、、公共の福祉と公共の利益の向上の区別ができない人が大部分を占めています。
公共の福祉に適合するには理に適っていなければなりませんから、
理に適っていることを確認するには、
最低二人の理を解することができる者が認めれば良く、多数決を必要としない。
これに対し、公共の利便性向上に於いては、利に適うか否かであるから、
多数派の利益が少数派の損益を上回れば認められる。
>「神の見えざる手」によって最終的には適正な状態に戻るとした理論は、
市場原理が真理だと思っているんですか?
絶対に変革されます。
最終的には人類の絶滅という結果に至ることによって。
>無為に費やすことを余儀なくされる人たち
↑の足を引っ張っているのが、無為に費やしていると評価して何もしない人たちですけどね。
そして、何もしないという不作為が大多数の国民の意思の表れであり、
なにもしないから、歪みが増すのである。
>結局情報を多く持つことのできる立場の人の都合によって、その人に有利な社会システムになる
有利なシステムになるのではなく、
原因にあたる情報を知ることができ、相当な結果を導き出す理を解し、適用すれば、相当な結果が予見できるのであるから、
情報収集を怠り、理を解せず、適用できず、
相当な結果を予見できない者が利益を得ることができないのは当然である。
>しかも太宰の書いた「絶望」は、おそらくは経済だけなどではなく、人類発生から延々と続いてきた社会的摂理のようなものとして感じているという節が伺えます。
弱者が情報収集を怠れば、死に至ることは自然界の理ですよ。
草食動物が、警戒を怠るがごときものであり、
警戒しても捕食されるのだから警戒しない。などと考える草食動物がいるならば、
容易に捕食されてしまうであろう。
>私は「真理があるかどうか疑わしい(おそらくは無いだろう)」という立場です。
真理はあります。
理由は簡単。
「真理がない」ことを仮定した場合、
「真理がないこと」が真理となり、
結果として、「真理がある」ことを意味する。
真理はある。
しかし、真理と思っているものが真理であるとは限らない。
よって、情報を収集し、分析する必要があるのであるが、
情報収集、分析を怠る虚無主義の輩は、
生命維持に必要なものを無駄に消耗させるだけの存在であり、
人間の場合は、他の動物の食料にすらならないから、存在する意味がない。
生命維持に必要な最低限の努力を怠る者が死ぬのは自然の理である。
君はレベルが低すぎる。
全てを信じることと、全てを信じないことは、検証しないことを原因として同じ結果に至る。
いずれも、無知故に、適切な情報収集、分析、予見、回避ができない。
>人類の共通認識としての普遍的な存在としてはあるかどうか疑わしい。
共通認識があるわけないじゃないか。
社会契約論を研究しなさい。
一般意志は必ずしも自覚を伴わない。
理があることと、理を全人類が認識できることとの区別すらつかないのか?
無知は理を認識していないか、誤認しているにすぎない。
認識できない者が理があることを疑うのは、ある意味当然である。
しかし、検証しない者が理の有無を確定させることができないこともまた理である。
よって、君は、虚無主義から脱しない限り、理を解することはないであろう。
これは メッセージ 16126 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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Re: 多数・少数
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/10 04:52 投稿番号: [16128 / 17759]
>さて、多数決を否定するのはかまいませんが、
>すると、少数によって決定することを認めることを意味します。
私は多数決を否定しているわけではありません。
多数決によって払われなければならないはずの「少数意見の尊重」という補足事項が無視されすぎていると書いているだけです。
そしてこの「尊重」という具体的な方策はいろいろな方法によってなされることが可能なはずなのですが、おそらくは今までのところ十分に少数の弱者を満足させることができていないということを指摘しているわけです。
つまりこれが充分になされてこそ初めて「公共の福祉」なるものの主張が許されるのではないだろうか?・・といつも思っています。
>私は、理に適いさえすれば、独裁をも容認します。
私の嫌いな評論家の勝谷という人が珍しく同意できること、たしか「あのオバマの演説とそれに陶酔する聴衆の関係は、あのヒトラーを彷彿させる」というような意味のことを話していました。
「理」とは具体的には何を担保して語られるものなのでしょうか?
>さて、成田闘争ですが、何が理に適っているのでしょうか?
「理」かどうかはわかりませんが、たとえば自分の父親の形見を「正当な金を出すから売ってくれ」といって、無理矢理に買おうとした人に、「これはかけがえのない金では買えないものだから「いやだ」といって拒否できる」権利くらい与えてやりましょうよ。・・・というくらいのものです。
>>ものの価値は当然「価格」では推し量れません。
>理由を示してください。
>ドラ
と同じ状態に陥っています。
理由などありませんよ。
一時期の堀江モンじゃあるまいし、金に換算できないものなどいくらでもあるでしょう?
>損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。
>民法に於いて定められています。
個人の価値観と法律とは何の関係もありませんよ。また法律で規制できるものであってはならないものです。
>思い入れは、所詮、財産的価値として算入されるものではなく、慰謝料部分として評価されるにすぎません。
>よって、賠償額に影響を及ぼすにすぎません。
これは強者からの一方向からの見方以外の何者でもありません。法律上取り決められた賠償額なるものは、思い入れを持った人間に対しては全く無意味です。
当人にとってみれば、「法律で決められたのであるからそれに従うべきだ」とするのは、全く話にもならないほど無意味で不愉快な考え方ですよね?
>>【「負担」と「利便」の要素が元々異なる】
>というのは、金銭に換算しないことを前提としなければ成り立たず、
>金銭に換算することによって同一要素となります。
当然そうですが、何度も書きますが、必ずしも金銭に換算したくない人にとってはこの考え方は「無意味」ですよ。
たとえば「信教の自由」とか「内心の自由」がどうして認められなければならないのか?という理由を考えれば容易にわかることですよね?
>また、「殺人」と「死刑」は「人命」について等価ですが、
「死刑」と「終審禁固」は費用について等価ではありません
ですからこのことも無意味です。
「終身禁固」という現実をどのように受け取るか?という感じ方次第で、「死刑」と等価にもそうでなくもなりうるという可能性を持っているということです。
>アメリカの軍事力を支えていたのは、米国債を購入していた日本であり、現在は中国である。
しかしこの軍事力を使うことによって苦難を乗り切ろうとする考え方があるというのは、ブッシュ政権の行為を見るまでもなく充分あり得ることで、今となっては一蓮托生の感のある日・中はおそらくはそれを支持することになるんでしょうね。
これは メッセージ 16124 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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Re: 「諸行無常」「方丈記」
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/10 04:02 投稿番号: [16127 / 17759]
>全ての者が理に適うように他者に対するならば、
>全ての者は他者から理に適わない仕打ちを受けることはない。
「ない」のではなくて、「許されてはならない」であって、現実には仕打ちを受けることがあり得るから、そこに「理不尽」が生じるわけですよねえ。理想主義に偏りすぎるとここら辺の隙間の中でかけがえのない人生を翻弄されている人たちの存在を見失いがちになるから、注意が必要ですよねえ。
>まずは、自らが悟ることである。
>自らが悟りを開けないのに、他者が悟りを開けないことを非難しても何も変わらない。
ごもっとも・・・。ただ私個人は、おそらくは永遠に「悟り」とは縁がなさそうです。
※「無常」という考え方からすれば、「真理」などないはずですよねえ。
これは メッセージ 16123 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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Re: 公共の福利 と 公共の利便性向上
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/10 03:41 投稿番号: [16126 / 17759]
>公共の福祉
と
公共の利便性向上
の区別ができていないのでは?
実際的な問題として、成田闘争というのは、国家により「公共の福祉」を名目として、少数の弱者が虐げられたという歴史的な認識があるわけです。
で、はじめに戻りますが、あの時代の「公共の福祉」の解釈が現代のそれと違うということであるとしても、しかしそれでも未だに未解決で、現在継続して闘争中であるという事実もあるわけで、近年の改良された解釈によっても依然として弱者が虐げられている・・。
また、比較的最近に起こった諫早湾の問題にしても、おそらくは多くの海苔生産業者が国策によって、「公共の福祉」の名の下にその生活権を奪われているという事実が存在しているわけです。
つまり、この国においては、「公共の福祉」と「公共の利便性の向上」というものが非常にご都合主義的に権力者によって使い分けられているということなのではないでしょうか?
>理に適っていない場合は絶対に変革されます。
>歪みによるエネルギーが蓄積されると、何らかのきっかけによってエネルギーは解放され、
>反動が生じた後、適正な状態に至ります。
ハハハ、私は門外漢ですが、それは「絶対」という言葉は使わない方がいいのではないでしょうか?
たとえば昨日書いた久米さんのラジオでも、中谷巌という人の、「私は間違えていた」という趣旨の本(題名は失念)の紹介部分で、おそらくはアダムスミスの国富論あたりから出てきているであろう市場原理「神の見えざる手」によって最終的には適正な状態に戻るとした理論は、それは結局は「上流階級による支配のためのツール」でしかないのではないだろうか?みたいなことが書かれているらしくて、昨今の新自由主義的な考え方は「幻想」にすぎないかもしれないというような見解もあるということでしたよねえ?
結局情報を多く持つことのできる立場の人の都合によって、その人に有利な社会システムになることが分かり切っているという意味で、私たちは「幻想」の中で不平等を恣意的に押しつけられているという意味で騙されているのでは無かろうか?というようなことを、書いている部分があるということを久米さんは語っていました。・・・これも私は前々からそういうことを感じていて、素直にうなずけます。
それでなくとも、仮に「絶対に変革される」ことが事実だとしても、いつとは知れぬ不公平な社会の中で是正されぬまま、最低でもその変革に費やされる時間を無為に費やすことを余儀なくされる人たちは必ず存在するわけです。
>経済的歪みは、恐慌を引き起こした後、適正な状態に戻ります。
しかも太宰の書いた「絶望」は、おそらくは経済だけなどではなく、人類発生から延々と続いてきた社会的摂理のようなものとして感じているという節が伺えます。
>真理を掴むだけでは意味がありません。
>真理から適正状態である基準を導き出し、
>歪みを少なくすることによって、反動を少なくする必要があります。
オオタグロさんの書き方は「真理はある」という考え方を示していますが、私は「真理があるかどうか疑わしい(おそらくは無いだろう)」という立場です。
つまりオオタグロさんの言うところの人権の定義を云々するという問題は、はじめから「人権」の存在を疑っていないという意味で、ドラさんと立場を同じくしていますよねえ?
私ははじめから、人権も真理と同じようで、人類の共通認識としての普遍的な存在としてはあるかどうか疑わしい(おそらくは無いだろう)ということを前提にして書いているわけです。
これは メッセージ 16122 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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訂正
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/09 18:01 投稿番号: [16125 / 17759]
>終審
終身
これは メッセージ 16124 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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多数・少数
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/09 17:39 投稿番号: [16124 / 17759]
理に適うか否かの判断に於いて、
理を解さない者たちによる判断では多数・少数は意味を持ちません。
一人でも理に適う可能性がありますが、検証不可能となるため、最低二人を必要とします。
さて、多数決を否定するのはかまいませんが、
すると、少数によって決定することを認めることを意味します。
私は、理に適いさえすれば、独裁をも容認します。
さて、成田闘争ですが、何が理に適っているのでしょうか?
公共施設を造るにあたり土地を提供しないと主張する者は、
他者が土地を提供したことによって現存する施設を全く使用しないのでしょうか?
自らは施設を使用するために他者に土地を提供させておきながら、
他者が施設を使用するためには自らの土地を提供しないという主張を認めることは公平でしょうか?
>ものの価値は当然「価格」では推し量れません。
理由を示してください。
ドラ
と同じ状態に陥っています。
損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。
民法に於いて定められています。
≫何処の場所でも成り立つ疑問であるため意味を持ちません。
思い入れは、所詮、財産的価値として算入されるものではなく、慰謝料部分として評価されるにすぎません。
よって、賠償額に影響を及ぼすにすぎません。
>【「負担」と「利便」の要素が元々異なる】
というのは、金銭に換算しないことを前提としなければ成り立たず、
金銭に換算することによって同一要素となります。
また、「殺人」と「死刑」は「人命」について等価ですが、
「死刑」と「終審禁固」は費用について等価ではありません。
>アメリカの武力はどこに向くのか?
アメリカの軍事力を支えていたのは、米国債を購入していた日本であり、現在は中国である。
いっそのこと、日中でアメリカを分割しますか♪
これは メッセージ 16121 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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「諸行無常」「方丈記」
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/09 16:56 投稿番号: [16123 / 17759]
公共の利便性の向上は流動変化しますが、
公共の福祉は定義を変更しない限り流動変化しません。
なぜならば、他者を害すれば、他者は害されることは理であって、変わることはありません。
全ての者が理に適うように他者に対するならば、
全ての者は他者から理に適わない仕打ちを受けることはない。
また、財物に執着しても、いつか失われるのが理であり、
無意味に財物を貯め込んで、他者が必要としている財物を取得できなくしてはならないこと
を諭すものである。
まずは、自らが悟ることである。
自らが悟りを開けないのに、他者が悟りを開けないことを非難しても何も変わらない。
これは メッセージ 16121 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/16123.html
公共の福利 と 公共の利便性向上
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/09 16:21 投稿番号: [16122 / 17759]
公共の福祉
と
公共の利便性向上
の区別ができていないのでは?
公共の福祉に合致するには、
任意に不利益を負担することを認めていないものに不利益を負担するよう強いることは認められません。
公共の利便性の向上は、
任意に不利益を負担することを認めていないものに不利益を負担するよう強いても、
他の利益が上回れば認められます。
前者は理に基づき、後者は利に基づきます。
___________________________________
>人間の心のひだの深い部分に対する感受性
感受性はありますよ。
受けた情報を細かく分類する必要がありますから。
受けた情報の処理方法が、
条件の成否を原因として、相当と認めるべき結果に至るというプログラム的な手法ですから、
機械的な印象をもつでしょうね。
>「アメリカ型の実力・能力主義重視を会社の雇用に当てはめて」、
私は、アメリカ型資本主義は理に適っていないから、歪みの反動で崩壊すると指摘してきました。
米ドルを基軸通貨としている体制が崩壊することも指摘しました。
>絶対に変革され得ないであろう社会への批判
理に適っていない場合は絶対に変革されます。
歪みによるエネルギーが蓄積されると、何らかのきっかけによってエネルギーは解放され、
反動が生じた後、適正な状態に至ります。
経済的歪みは、恐慌を引き起こした後、適正な状態に戻ります。
真理を掴むだけでは意味がありません。
真理から適正状態である基準を導き出し、
歪みを少なくすることによって、反動を少なくする必要があります。
これは メッセージ 16121 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/16122.html
Re: 契約しないのは自由ですよ。
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/09 04:29 投稿番号: [16121 / 17759]
オオタグロさんはもしかしたら私が最初に想像していたよりもずいぶんお若い方なのかもしれないと思うようになりました。若いということは必ずしも悪いことではないと思っていますが、たとえば、人間の心のひだの深い部分に対する感受性が未熟だという意味で、そこのところが自己決定の部分においてあまりにも表面上の合理性を形式的に受け止めるというような方向性に偏りがちな故になんかしらの冷徹さを感じることがあり、そういうことがオオタグロさんの文章の端々に見えるような気がします。
たとえば終身雇用制の良さを軽視して、アメリカ型の実力・能力主義重視を会社の雇用に当てはめてこれを合理的であると支持した人は、比較的若者たちに多かったという風に記憶していますが、その支持が実って今そうなってみると、そのときに支持した若者たちの中の多くの割合の方々が中年となりリストラの対象になってみると、やはり終身雇用制の安定型の社会システムの利点をようやく理解するようになるというような後悔をしている人も少なからず出始めました。
私がここでドラさんに言っていることの中の、「家庭の幸福は諸悪の根源である」という太宰治の言葉に似た社会状況は、若い太宰(まあしかし自殺する一週間前ですが)の依然として旧態を維持して、おそらくは彼の時代では絶対に変革され得ないであろう社会への批判(もしくは絶望)の言葉だろうと思っています。若者には、時として真理をつかむ感覚の鋭敏さとそれを受け入れられないであろう社会と自己との葛藤の中で絶望するというようなことがあると思いますが、そういう中で、人間って練り込まれていくのかなあ・・と思う今日この頃です。
間違えていたら申し訳ありません。まあしかしそれをも見越した真理を見据えておられるのかもしれませんね。
ちょうど先週に、久米宏氏のラジオで「諸行無常、方丈記の世界の日本に、人権というようなものの確固たる永続性みたいなことを求めようとしても無理だ・・。」みたいな読者からの投稿を読んでいたと記憶していますが、私には「さもありなん」と納得する部分がありました。
やっぱり人権なんぞは西洋的な合理主義でしか正確には理解できないんだろうかなあ?・・と思ったりもしました。
>制限できなければ、制限できない原状が国民の意思であるにすぎない。
>
現実に、制限すべく行動を起こしている国民は一部にすぎないことを意味する。
>
問題解決に進まないのも、国民の選択にすぎない。
私は前の投稿で、結果的に多数決的決定オンリーという従来型の民主主義では、少数意見を反映できないという意味のことを書きました。
・・・つまり常に少数(弱者の)意見は反映されないという宿命を持っているわけですから、成田闘争をはじめとする少数が多数に妥協を余儀なくされるという宿命にあることを回避できないということになるわけですよねえ?これを単に「国民の選択」だとするのはいささか乱暴では無かろうか?というのがおおかたの見方だったわけですよねえ?
つまり、結局「公共の福祉」なんて、多数(公共)の利益のために少数(弱者)が妥協させられるための装置でしかないということになりませんかねえ?
>>「負担」と「利便」の要素が元々異なるために
>当然、金銭に換算されます。
ものの価値は当然「価格」では推し量れません。
>>なぜ成田なのか?
>何処の場所でも成り立つ疑問であるため意味を持ちません。
ここの場所は確か、沖縄とか、他の地方からの人たちの開拓地で、苦労して手に入れた、非常に新しい住居があったわけで、その土地に思い入れのある人も多く、しかしまた、そういう事情故に、周辺住民から孤立しており、反対意見の黙殺をしやすかったという事情もあったのでは無かろうか?といわれていたんではなかったでしょうか?
・ ・・どちらにしろ、「どこの場所でも」同じというような事情ではなかったと記憶しています。
>>なぜ終生禁固刑という身柄拘束の自由剥奪とどうして釣り合わないか?
>禁固刑に必要な費用を国民が分担するのですか?
【「負担」と「利便」の要素が元々異なる】ことを容認するならば、必ずしも「殺人」と「死刑」ということだけを「等価」とする根拠がなくなるということを書いたまでです。
>アメリカは衰退しますから。
アメリカの武力はどこに向くのか?が怖いです。オバマさんの経済だって、これまで通りユダヤ人たちが行うわけですから、実質的に何の「CHANGE」もしないし、「反省」もしないという宣言にも見えますけどねえ?・・・・この詭弁を容認するムードが恐ろしいような・・。
これは メッセージ 16120 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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契約しないのは自由ですよ。
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/05 23:18 投稿番号: [16120 / 17759]
日本国籍を有することなく、日本国領内に入らない限りに於いて、日本国憲法に拘束されることはありませんから。
国民の意思を代弁していないのであれば、権限を剥奪すればよいのであり、
現実に剥奪していないのであるから、黙認していることを意味する。
勝ち取る必要は全くない。
なぜならば、既に有しているものを覆してまで新たに勝ち取る意思がないからである。
意思があるなら、勝ち取ればよいだけである。
勝ち取れたならば国民の意思であったことになり、勝ち取れなければ国民の一部の意思にすぎなかったことを意味する。
>それをただ単に「制限されなくてはならない」としても問題は解決しませんよ。
制限できなければ、制限できない原状が国民の意思であるにすぎない。
現実に、制限すべく行動を起こしている国民は一部にすぎないことを意味する。
問題解決に進まないのも、国民の選択にすぎない。
>それを支持するに必要なはずの「選挙」が行われないというのは、
国民の意思を反映するには、必ずしも、選挙は必要ありません。
「革命」も選択肢に含まれます。
無政府状態という選択肢もあり得ますが…。
>現実的には、「圧倒的な国民の支持」という形でこれまでの国会決議のすべてが了承されなくてはならないという図式が、オオタグロさんの説からは伺えるように思います。
承諾しなくても良いですよ。
「革命」でも起こせばよい。
成功すれば国民の意思、失敗すれば一部の国民の意思にすぎす、場合によっては犯罪者になりますが…。
>あまりにも上に立つものの倫理観の低下が目につく
当然でしょう。
倫理観の欠落した下の者たちが、倫理観の欠落した者を持ち上げて、
上に上がった倫理観の欠落した者が、倫理観の欠落した下の者を引き上げるのが、
日本のシステムですから。
>「負担」と「利便」の要素が元々異なるために
当然、金銭に換算されます。
相当する田畑を他の土地で購入した場合の価格にいくら上乗せされます。
>なぜ成田なのか?
何処の場所でも成り立つ疑問であるため意味を持ちません。
>なぜ終生禁固刑という身柄拘束の自由剥奪とどうして釣り合わないか?
禁固刑に必要な費用を国民が分担するのですか?
失業対策に使った方が良いと思いますが…。
>選定は常に曖昧であるのではないでしょうか?
要件を増やせばより正確になる。
曖昧だなどといっていると、結局は分類できなくなり、
分類できないのであるから全て同じ扱いとなる。
>欧米のグローバル化によって
アメリカは衰退しますから。
力を増すのは中国かな。
日本も国際的な影響力を増す良い機会なんですがねぇ〜。
これは メッセージ 16116 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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何もしないのに?
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/05 21:54 投稿番号: [16119 / 17759]
死刑囚は、既に、故意によって他者の命を奪っているんですがねぇ〜。
これは メッセージ 16115 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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Re: 死刑廃止に対して寄せられた質問の回答
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/05 06:07 投稿番号: [16118 / 17759]
>死刑に相当する犯罪が後を絶たないということは、少なくともそれらの事件には、犯罪を抑止する力が働かなかったということを示しています。
伺いたいのですが、死刑廃止国では、日本における死刑に相当するような凶悪犯罪は皆無になったのでしょうか?
>【死刑に他の刑罰以上の特別な犯罪抑止力があるかということについては、多くの研究が行われてきましたが、その存在は、証明されていません】
この手の統計学的な疑似科学的な詭弁を利用することも多いですね。
私は自分の胸に手を当てて考えてみるに、「罰が当たる」というばあちゃんの言葉が未だに胸に多少は残っています。「凶悪な殺人を犯せば死刑になる」というのは、私個人に関してはおそらくは抑制につながっていると思います。
>3.被害者遺族のあだ討ちを、国家が代行している死刑制度がなければ、被害者遺族が自己の判断によってあだ討ちを行ってしまう危険が高いと思われる。
>現在、世界の過半数を超える国で、もはや死刑は行われていませんが、あだ討ちが横行しているとは聞きません。
>わが国でも、殺人事件の大半は死刑にはなりませんが、そのことで被害者の遺族のあだ討ちは起きていません。
上記は非常にたちの悪い詭弁ですよねえ?
実際的には、遺族の仇討ちを国家が剥奪して代行しているということ自体が現実の客観的な問題であって、「仇討ちの危険性」というのは全体的な問題からすれば本筋からはずれており、取るに足らないはずですが、ここを意図的?に重要視して、ここを否定することで、死刑問題全体を否定したように感じさせるというようなトリックが使われていますねえ?
>元最高裁判事の団藤重光氏が死刑廃止を求める理由に、誤判の可能性を挙げておられることは、大変重いものがあります。
>犯罪が完全に証明されることを前提に議論をすることは、机上でしか成立たないものと思います
これも上記と同じで、こんな冤罪のことなど死刑廃止の理由にしないでほしいと思います。私の友人で、「宅間や秋葉事件の犯人だって、冤罪の可能性は否定できない」と話していましたが、もしそうだったとしたら、これは日本の法治国家としての存在自体を否定しているとしか考えられません。
もちろん冤罪の可能性のある事例については、死刑判決は控えるべきだし、実際そうなっていると最近のニュースでは感じていますがどうなんでしょうか?昭和20年代の判決が一番ひどかったということはよく言われることですが、私も冤罪の可能性のある事例に関しては死刑判決は反対の立場ですしそういう人は多いと思います。
ですからそれを理由にした死刑廃止論の展開は死刑論者全体を指していないという意味で卑怯です。
>私達は殺人に反対です。
殺人に反対の人が殺人者を容認しているということですね?
これは メッセージ 16114 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(1)
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/05 05:30 投稿番号: [16117 / 17759]
>結局【ボタンを押す刑務官の苦悩、人間的な交流があった看守、殺される死刑囚】は、他人事という事でしょ。
情に流されていい問題とそうでない問題があるということだと思います。
私が思うには、被害者家族がボタンを押すということができれば、ある程度この問題を解決できるとも思っています。看守も同席の中で、家族も含み全員がボタンを押せなければ、国家でこの死刑囚を終生拘束するということで納得させるということではどうでしょうか?
>世界的に【死刑廃止・停止】は主流ですし、死刑大国中国・米でも【死刑執行が減少してきた】のに、
>ただ日本だけここ数年【年に数十人の処刑(以前は3〜4人)】。
もう全く反捕鯨運動の人たちと同じ意見で驚きです。
こんなこと何の論拠にもなりませんよ。
「日本は何も考えないでアメリカのケツナメ路線に徹した方がいい」という意見と大差ないですよ。
>アッサラームさんは【国家的システムによって無念を晴らさないと】遺族・被害者が救われないと思うのですね?
何度も書きますが、まず「無念」をはらすすべを国家によって奪われているという現実があります。遺族が合法的に無念を晴らすとしたらそれしか選択肢は残されていないわけですよねえ?ですから「無念を晴らしたい遺族」にとっては、そういうことですが、それが全員そうだとも思っていません。しかしどうしても無念だ・・という人にとっての救済は、「死刑」という形で制度として残しておくべきだという考え方です。
>昔から【人殺しは悪】でしょう?
それをいうなら、ハンムラビ法典以前の「昔」から刑罰としての「死刑」も存在していました。
>【戦争にもルールを作り、出来るだけ無用な殺人をしないよう】と条約などで
>【人権】がクローズアップされてきたんじゃないの?
これは体のいいガス抜き以外の何者でもないですよねえ?
戦争にルールって、人殺しに「お墨付き」をつけてどうしろっていうんですかねえ?
苦肉の策でヤクザに税金をつけるのと同じように自己矛盾していますよねえ?
>【人間なら生まれながら持っているもの、それが人権】でしょう、無条件。
一時期「コスモポリタン」とかいって、多くの日本人が国境を度外視した博愛主義に傾いたことがありましたが、結局他国の驚異を主張し、「国益」なるものを持ち出してそれに対抗する勢力が出てきて、こういう意味でも無条件の人類愛の存在理由は依然曖昧なままです。自国の既得権を放棄する気概があることや、他国の脅威がある限り、それが意図的に何者かによって作られたものであろうとも、コスモポリタンは成立し得ないだろうし、同様にオオタグロさんが言うように、人間同士の対人関係においてはお互いの何らかの譲歩がなければ人権も成立し得ないのではないでしょうか?
>被害者も様々。
そうなんですよねえ?
様々であるからこそ、国家権力によって一様に「廃止」することは理にかなっていませんよねえ?
前々から書いているように、「恩讐の彼方」のような状況があれば、当然死刑にする必要など無いと思いますよ。
これは メッセージ 16112 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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Re: 人権とは何か?
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/02/05 04:47 投稿番号: [16116 / 17759]
>人権とは、社会契約によって保障される権利。
>当然、対応する義務を負担しなければならない。
これが建前化されて、「国民の意志を代表して行使されているもの」であるとすれば、ますます曖昧になりますよねえ?
現政権そのものが、国民の意思を代弁しているとはいえない状況であるわけですから、「主権」である国民を誰がどういう手続きで「契約」したのか?という疑問は常に曖昧に残るわけですよねえ?
ましてや日本人は、国民自ら勝ち取った記憶はないし、(誰とも)契約した歴史的事実もないわけですから、現行憲法を建前通り欧米の解釈をそのまま移行することには無理がありますよねえ?
これでいくと、日本の人権の実態は、やはり常に曖昧なのではないでしょうか?
>
「人間そのものの倫理観の問題として、それを改善する」というのは理想論にすぎない。
>
倫理観の問題だけで犯罪が無くなるとは考えられず、権利・権限の濫用も同様である。
>
権利・権限を濫用する者は、権利・権限の行使を制限されなければならない。
「理想論」といってしまえば、オオタグロさんも同じですよ。たとえば、成田闘争にしても、「権利、権限の行使の乱用」を問題にしましたが、それをただ単に「制限されなくてはならない」としても問題は解決しませんよ。
ましてや、
>「公共の利便性や利益享受者の不存在」を立証するだけでは意味はない。
>
一部を除く国民等に不利益を負担させることになることを立証し、
>
不利益を負担することになる者達が、負担させようとする者から権限を剥奪しなければ意味はない。
今までの経緯からしてみれば、弱者(少数)が故に「権限の剥奪」が不可能であり、問題解決へと進まないという「現実」をみれば、常に多数派が優位に決定権を持つという図式に変化をもたらせ得ないという意味で、あなたのこの記述は無意味ではないでしょうか?
現実の政治にしても、総理大臣が3人も替わるのに、それを支持するに必要なはずの「選挙」が行われないというのは、「国民の決定権」を語る民主主義の原則を無視した形で現実政権が存在し、何らかの重要政策が決定されるわけですが、オオタグロさんのおっしゃる「建前論」はもうすでに長い間にわたって崩壊しているといわざるを得ませんよねえ。
郵政民営化に賛同したからといって、小泉政権のすべてを支持しているわけではないはずなのに、現実的には、「圧倒的な国民の支持」という形でこれまでの国会決議のすべてが了承されなくてはならないという図式が、オオタグロさんの説からは伺えるように思います。
>「人間そのものの倫理観の問題として、それを改善する」というのは理想論にすぎない。
もちろん、私の書いている「倫理観」なるものは、昔の修身の存在の反省から考えて、かなり危険なものを含んでいる可能性はあるのですが、まあどちらかといえば、政治家等の倫理観が一般人の倫理観ほどもあれば、「よりまし」であるとでもいうのか、あまりにも上に立つものの倫理観の低下が目につくというほどのものです。
もっとも「一般人の倫理観」なるものの実態も非常に曖昧であることは事実ですが・・・・。
>「公共の利便性向上のために不利益を負担しない」ならば、
>
「向上した公共の利便性による利益を享受できない」。
成田闘争の場合は、地域住民の不利益は開拓した田畑を失うという「負担」であり、一般利用客の「公共の利便」とは、国際線航空機に乗車できるとか、空港建設による公共設備に伴う雇用の増大ということなどだろうと思いますが、このことは、「負担」と「利便」の要素が元々異なるためにその対価がどこで同等であるのか?という意味で解決できない問題を含んでいるし、「なぜ成田なのか?」という根本的な疑問にも答えられません。
死刑の問題に移しますと、凶悪殺人者への死刑判決および執行というものは、人間の命での引き替えという意味で、上記よりは多少の説得力を持つことは確かだと思いますが、しかし、なぜ終生禁固刑という身柄拘束の自由剥奪とどうして釣り合わないか?という疑問も常に残すことにならないでしょうか?
つまり、どういう代価が適当か?という無数にある候補に対する厳密な意味での選定は常に曖昧であるのではないでしょうか?
※ 私がおそれるのは、欧米のグローバル化によって下されるかもしれない、異端であると思われかねない日本の「人権」なるものの存在に対するバッシングです。前述しているように、アフガニスタンも、イラクも、ティモールにおいても、彼らなりの歴史や宗教によって作られてきた倫理観の(欧米との)相違によって、「正義のための虐殺」が正当化されたという事実です。
これは メッセージ 16110 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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Re: 論理の欠落した死刑廃止論者
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/02/05 01:02 投稿番号: [16115 / 17759]
>死刑の執行には、執行された死刑囚に対する再犯抑止力がある。
抑止力がないと主張する者は、
死刑執行により死亡した死刑囚が、死亡した後に死刑に値する犯罪行為を行った事例を挙げるべきである。
死刑囚の再犯を防ぐために【執行・・処刑する】
という事は、【何もしないのに、再犯可能性があるから殺す】という事で、
恐ろしい。
つまり一般の犯罪者でない者も【可能性】は否定できませんから、
この人たちも殺せることになりますね。
一人も人間がいなくなれば、犯罪可能性はゼロになるわけですね。
>>死刑に犯罪抑止力はない
>↑を立証した者が存在するならば示して頂きたいものである。
死刑廃止をしても、それによって犯罪が増加したという事はないようです。
日本では、【死刑になりたい若者・自衛官】などが、集団殺人や無差別殺人
を増加させています。
かえって逆効果のようですね、死刑制度は。
【15934】の投稿↓
>生命だけで考えた場合は、
親が、故意によって子を死に至らしめないようにすることが最低限の養育環境ということになる。
これは【虐待】に繋がります。
↑は、【養育】とは言わない。ただの【エサやり】です。
つまり死なない程度の【放置】でもいいわけだ。
これは【虐待】になりますよ。
家畜の【飼育】にも劣ります。
飼育は【果実】を得る為に、エサの栄養バランス・飼育環境・ストレスにまで配慮しますから。
>上記の意味に於いて平等ですよ。
自分の子を故意によって死に至らしめても殺人罪の対象となり得ますから。
太田黒さん、心(動物もそうですが)を殺された人間がどれだけ苦しむか、
以降の人生に多大なダメージをもたらすか、理解がないですね。
故意に犯罪において重要な鍵になる【心の問題】を無視しているんですか?
殺人者は、多かれ少なかれ、周囲から心身の虐待などを受けています。
犬猫でさえ、虐待された動物は、好意を持って近づいた人間にも中々安心感がもてないのですよ。
エサで体だけは成長できるでしょうけど、
周囲の愛情によって、子供は心身ともに成長することが出来る。
これは メッセージ 16113 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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死刑廃止に対して寄せられた質問の回答
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/02/05 00:08 投稿番号: [16114 / 17759]
アムネスティの回答
★ 回答
私達は、決して犯罪者の人権を優先して罪のない人の人権を軽んじているつもりはありません。凶悪犯罪者の人権ですらなぜ保護を、と言われますが、私達は、
人権とは全ての人間にあるもので良い人だけでなく悪い人であっても守られる必要があると思っています。
貴方が挙げておられる死刑制度の意味について考えてみたいと思います。
1.このような凶悪犯罪者をふたたび世に出すと、再び罪を犯す可能性があり、多くの人々が危険にさらされる。
再犯を防ぐには、殺さなくても閉じ込めておくことで足ります。現在、与党が導入を検討している仮釈放のない終身刑でもそれは十分です。
ただ、こうした再犯の可能性を理由に死刑であれ、終身刑であれ刑を科すことは、人を、その犯した罪ではなく、これから犯すかもしれない罪で裁くことになります。
【犯罪を犯す可能性は、過去に犯罪を犯したことのない者】にも全てあります。
2.凶悪犯罪を犯したものは死刑になる、という社会的見せしめより、犯罪を抑制している。
フランスが死刑を廃止したときの法務大臣R・バダンテール弁護士は、
【自分が担当した殺人犯から、かつて別の殺人事件で、裁判所を取り囲んで犯人に死刑判決を求めるシュプレヒコールに加わったことがあると聞いて驚いたそうです。】
日本を初め、現在まだ死刑が行われている国において、
死刑に相当する犯罪が後を絶たないということは、少なくともそれらの事件には、犯罪を抑止する力が働かなかったということを示しています。
【死刑に他の刑罰以上の特別な犯罪抑止力があるかということについては、多くの研究が行われてきましたが、その存在は、証明されていません】
。
3.被害者遺族のあだ討ちを、国家が代行している死刑制度がなければ、被害者遺族が自己の判断によってあだ討ちを行ってしまう危険が高いと思われる。
現在、世界の過半数を超える国で、もはや死刑は行われていませんが、あだ討ちが横行しているとは聞きません。
わが国でも、殺人事件の大半は死刑にはなりませんが、そのことで被害者の遺族のあだ討ちは起きていません。
貴方のご意見は、被告人の犯罪が事実であると完全に証明された場合を前提にもしておられますが、それは本当に可能なのでしょうか。
現在の刑事裁判は、有罪とするには、合理的な疑いを入れないまでの証明を求めています。この基準はそれ自体が、完全な証明が困難であることを意味します。
元最高裁判事の団藤重光氏が死刑廃止を求める理由に、誤判の可能性を挙げておられることは、大変重いものがあります。
【再審で無罪となった免田栄さんたち4人の例に限らず、】
既に執行された事件や現在死刑が確定している事件にも、多くの人から冤罪を指摘されている事件が少なからずあります。
犯罪が完全に証明されることを前提に議論をすることは、机上でしか成立たないものと思います。
【死刑の存在は、罪のない人の安全に役立ってはいません。人から更生する機会を奪うものであり、誤判により無実の人に科せられる怖れのあるものです。】
死刑は、【刑罰として残虐であり、それ自体が新たな殺人です】。
私達は殺人に反対です。
http://homepage2.nifty.com/shihai/QA2.html★死刑囚養母
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_masunaga.html
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論理の欠落した死刑廃止論者
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/02/03 02:07 投稿番号: [16113 / 17759]
死刑の執行には、執行された死刑囚に対する再犯抑止力がある。
抑止力がないと主張する者は、
死刑執行により死亡した死刑囚が、死亡した後に死刑に値する犯罪行為を行った事例を挙げるべきである。
>死刑に犯罪抑止力はない
↑を立証した者が存在するならば示して頂きたいものである。
これは メッセージ 16111 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(1)
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/02/03 01:15 投稿番号: [16112 / 17759]
>「死刑」については、根拠の曖昧な西欧の受け売りによる人権思想があり、冤罪や、看守という職業の人に対する同情の心を利用した、その本質とは違う方向性による印象操作による廃止論の啓蒙が存在しています。実際の日本国民としてのいわゆる「骨身にしみた」総意による決意のようなものは何もありません。
結局【ボタンを押す刑務官の苦悩、人間的な交流があった看守、殺される死刑囚】は、他人事という事でしょ。
>※ 死刑廃止論は、戦後日本などの比較的裕福な国においての行き過ぎた人権論による過保護的な擁護論であり、この誰にも(神というような権威という意味でも)是認されていないにもかかわらず、
世界的に【死刑廃止・停止】は主流ですし、死刑大国中国・米でも【死刑執行が減少してきた】のに、
ただ日本だけここ数年【年に数十人の処刑(以前は3〜4人)】。
>>被害者の心のわだかまりとか、感情を一切解消できるものが【死刑】でも不可能と思いますし、
>問題は、国家的な「システムとして」、一方的に「無念」をはらす機会が剥奪されてしまうということですよ。
アッサラームさんは【国家的システムによって無念を晴らさないと】遺族・被害者が救われないと思うのですね?
>>人権とは、やはり【殺さない・・どんな人間でも生きさせる】という事だと思います。
>何度も書きましたが、これは誰がそう決めたのですか?
さあ
昔から【人殺しは悪】でしょう?
そして国際的には、悲惨な戦争など繰り返すうちに、
【戦争にもルールを作り、出来るだけ無用な殺人をしないよう】と条約などで
【人権】がクローズアップされてきたんじゃないの?
【人間なら生まれながら持っているもの、それが人権】でしょう、無条件。
>>やはり【人権・・・生きる権利】とすれば、殺人者でも仕方ない・・国が殺すことは許せない事だと私は思っています。
>なんか被害者が納得できるようないい解決方法はありますか?
被害者も様々。
解決などないでしょうが、【何故殺人を?】とその経緯を追求すると、
加害者も被害者であったことを理解したり、
反対に加害者が被害者の悲嘆を知るにつれ、
更正するかもしれず。
リンチ殺人の遺族が【謝罪し続ける加害者へ、頑張れ】という手紙を出すま
でになった例もあるそうです。
勿論全て解決などできません。
これは メッセージ 15995 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/16112.html
死刑廃止議連・・亀井静香議員
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/02/03 00:52 投稿番号: [16111 / 17759]
★死刑に犯罪抑止力はない
私は、警察におりましたころから死刑は廃止すべきだと思っていました。
政治家になってからの話ではありません。ですから、設立当初から議員連盟に入りました。
私は基本的に、人間のいのちや自然環境というものを大事にする社会でないと、それは健全な社会ではないと思うのです。
国家権力が死刑囚を抵抗できない状態にして――言葉は悪いですが――絞め殺すなんてことは、あってはならないと思います。
「凶悪犯人だからしかたないじゃないか」と言う人もいます。
【生まれながらにして社会的に危険な人もいるかもしれませんが、それはどちらかというと病理学の世界に属するごく一部です。】
【本人の心得違いもありますが、ほとんどは生まれ育った環境とか、社会の状況のなかで凶悪犯罪に走っていく場合が多いのです。もし、そういう人がまったく別の環境にあったとしたら、必ずしも凶悪犯罪を起こすわけではありません。やはり、社会的要因も非常に大きいと思います。】
ですから、そういう犯罪者を抹殺することによって社会が健全化し、犯罪がなくなるということにはならないのです。
死刑があるから犯罪を起こさず、死刑がなければどんどん人を殺してしまうというような、そのような理性的な判断をもとに犯罪を起こすようなことは、ほとんどないと思います。
ごくわずかな例外はあるでしょうが、多くの人間にとっては、死刑制度の有無と犯罪を起こす、起こさないということには関係がないと思います。
国家による報復から決別を
被害者の報復感情を満足させるという考えは大昔からあります。人間ですから。
しかし、報復感情を個人としてもっているということと、国家としてそれを認めるということは別の問題です。私たちは、国家が否応なしに、被害者に代わって報復するということと決別すべきです。
・・
常にある冤罪の可能性
それと、
【私自身が警察に在籍していてつくづく思ったのは、やはり今の司法制度の下では、依然として自白が「証拠の王」ということです。それは変わりません。】
法曹一元というけれども、裁判官は本来、当事者主義のもと無罪推定を前提にしていかなければならないのに、
【ともすれば公判廷の被告人の供述より検面調書を優先】します。
やはり裁判官には伝統的に国家権力への信頼があって――それが悪いとは言いませんが――今の刑事訴訟の立場からいうと、当事者対等・無罪推定の原則で公判廷に立って公平に行われているかと言えば、決してそうではありません。
そうしたなかで被疑者が勾留・取り調べを受けると、異常心理に陥ることが現実に、非常に多いのです。
私が立ち会った取り調べでもありました。
【いわゆる拘禁性ノイローゼにかかって、取調官との関係が王様と奴隷のような心理状態になってしまうのです。絶対的権力を握られてしまい、取調官のまったくの言いなりになる被疑者がかなり多くいます。】
そして、そういう警察での供述をもとに今度は検察が調書を録っていきます。
【公判廷で、いくら被告人が「あれはウソだった。勘違いだ。誘導されたんだ」と言ったところで、検面調書には証拠能力がありますから、それが優先されていきます。】
そういう実態が今の刑事司法のなかにあり、そんななかでは冤罪の可能性があると思います。これは陪審制など、どんな制度であっても存在するものなのです。
他者の犠牲の上に立つ幸福や安全などない
人によっては、そんなことはほんの何万分の一の確率だから、社会防衛上しかたがないなどと言いますが、
無実で処刑される人にとっては、何万分の一じゃなく100パーセントの話なのです。
そういうことを同じ人間がやっていいなんて、ゆるされるべきことではありません。・・
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_kamei.html
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人権とは何か?
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/31 00:17 投稿番号: [16110 / 17759]
社会契約によって保障される権利。
当然、対応する義務を負担しなければならない。
漠然と「人権」と考えると理解できない。
「人権」の一つとして「公共の福祉に合致する自由」を想定する。
「他者を害さない限りに於いて認められる、他者から害されない自由」を「人権」とすると、
「人権にあたらないもの」とは「他者を害する自由」である。
前者は不利益を自ら負担する(自ら制限する)が、
後者は他者に不利益を負担させる(他者の自由を制限する)。
>結局「正当な補償」というものの換算の仕方は曖昧ですよねえ?
明確にしたいのならば、法で定めることになる。
法によって定めた場合、明確ではあるが、公平であるとは限らない。
>これでは、たとえば国家によって決められたことが、
>「公共の利便性」という名の下に強制力を持つ可能性はいつもつきまとうのではないでしょうか?
国家とは、
「永久的住民」「明確な領域」「政府」「外交能力」があることを要件とする国際法に基づく法人格であり、
「国家によって決められた」とは、「国民の意思によって決められた」ことを指します。
日本国憲法
前文には、
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」
とあり、上記原理を遵守している限りに於いては、国民の意思を代表して権力を行使していることになります。
問題は、
日本国憲法
第十五条
○2
すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
ということ。
一部に対して奉仕するために、その一部を除く国民に不利益を負担させることは許されない。
日本国憲法
第十五条
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
と定められているから、この権利を行使することとなる。
「公共の利便性や利益享受者の不存在」を立証するだけでは意味はない。
一部を除く国民等に不利益を負担させることになることを立証し、
不利益を負担することになる者達が、負担させようとする者から権限を剥奪しなければ意味はない。
「人間そのものの倫理観の問題として、それを改善する」というのは理想論にすぎない。
倫理観の問題だけで犯罪が無くなるとは考えられず、権利・権限の濫用も同様である。
権利・権限を濫用する者は、権利・権限の行使を制限されなければならない。
弱者は、結集することによって力を得る。
結集して選挙権を行使するなり、革命を起こすなりすればよい。
>また、「承諾」は誰がしていると決めたのでしょうか?
承諾は、立憲、及び、立法時に行っていることになる。
条項に於ける「義務」の部分に於いて定められている不利益を負担することを承諾している。
「条件」によって、「義務」の部分の効力が生じることを妨げているのであり、
条件を満たすことによって、「義務」の部分の効力が生じることを妨げている効力は解除され、
「義務」の部分の効力が生じる。
承諾していないならば、社会契約に於ける権利も取得していないことを意味する。
「公共の利便性向上のために不利益を負担しない」ならば、
「向上した公共の利便性による利益を享受できない」。
これは メッセージ 16108 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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Re: 社会契約としての憲法
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/01/30 23:00 投稿番号: [16109 / 17759]
>ただ、たとえば、人権とは何か?という問いかけに、人権とは人権以外のものによって制限されるというのは、トートロジーというのでしょうか、私には無意味に感じますがどうなんでしょうか?
ああ、これは「外在」の時の説明でしたね。
お馬鹿ですみません。(__;)
この書き込み自身が無意味でした、・・・ごめんなさい。
これは メッセージ 16108 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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Re: 社会契約としての憲法
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/01/30 21:03 投稿番号: [16108 / 17759]
いろいろありがとうございます。
「内在的」と「外在的」は何となく理解できたような無いような・・・。
ただ、たとえば、人権とは何か?という問いかけに、人権とは人権以外のものによって制限されるというのは、トートロジーというのでしょうか、私には無意味に感じますがどうなんでしょうか?
>公共の利便性向上のために不利益を負担させられた者に対して正当な補償を行うことを条件として、
>
公共の利便性向上のために、条件付で、私有財産を用いることができること
>
を日本国民は承諾していることを意味します。
結局「正当な補償」というものの換算の仕方は曖昧ですよねえ?
これでは、たとえば国家によって決められたことが、「公共の利便性」という名の下に強制力を持つ可能性はいつもつきまとうのではないでしょうか?
成田闘争や、諫早湾もそうですが、たとえば、不必要かもしれないダム建設のために沈んでいく我が家(村)を手放したくない人も、いくら公共の利便性や利益享受者の不存在、虚偽性を説いたところで、また、そこに実際に存在する政治家の不正の存在を指摘したとしても、あくまで突っ張れば、結局は国家が算出した一方的な「正当な報償」なるものを与えられて、一件落着・・・ということにはならないのですかねえ?原子力発電所なども同様ですよねえ?
これだと結果としては、昔と変わりないような気がするんですけど。
※もっとも、昔は、反対運動した人たちには、嫌がらせのように、全く不当な補償しか与えられなかった人もいたようですから、少しはましになったのかな?
結局システムや解釈を変えても、人間そのものの倫理観の問題として、それを改善するという考え方でとらえなければ、何の意味も無いどころか、歴史は何度も同じようなことを繰り返して弱者が泣くことには変わりのない実態ができあがってしまうだけではないでしょうか?
また、「承諾」は誰がしていると決めたのでしょうか?
下は、先のウィキペディアの「公共の福祉」からですが、
*********
このような事態が生じる場合に両者の調整を図るための概念が「公共の福祉」であり、公共の福祉は単に「社会全体の利益」を指すものではないと理解するのである。
* ********
この場合、昔はそれ自体が一つの何かを作用させることのできる「力」を持った概念だったものが、今は、そういう実在性が無く、両者間を調整する「装置」としての役目を持つものとなったとしていると理解しましたが、なんだかこれ自体は、私には単に視点を変えただけの「詭弁」のようにも聞こえてくるんですよねえ。
これは メッセージ 16107 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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社会契約としての憲法
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/30 09:55 投稿番号: [16107 / 17759]
日本国憲法
第二十九条
○3
私有財産は、正当な補償の下に、これを【公共のために】用ひることができる。
上記のように定められています。
憲法が社会契約であるならば、日本国民は日本国憲法(社会契約)に拘束されます。
【公共のために】とする文言は、
○2
財産権の内容は、【公共の福祉に適合するやうに、】法律でこれを定める。
↑に於ける【公共の福祉に適合するやうに】とは異なります。
公共の利便性向上のために不利益を負担させられた者に対して正当な補償を行うことを条件として、
公共の利便性向上のために、条件付で、私有財産を用いることができること
を日本国民は承諾していることを意味します。
これは メッセージ 16106 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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内在と外在
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/30 08:20 投稿番号: [16106 / 17759]
人権をXとする。
YをNotX(Xの集合に含まれない)とする。
X⊃A、X⊃Bとする。
A∩Bの条件を満たす範囲が存在するものとする。
内在説とは、A∩Bの部分について制限することであり、
A、B、A∩B、何れもXに含まれるのであり、人権は人権によってしか制限できないことを意味します。
外在説とは、Xに含まれるもの(AやB等)について、Xに含まれないYによって制限できることです。
つまり、人権には含まれないもの(Y)によって、人権は制限することができることを意味します。
これは メッセージ 16105 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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Re: 公共の福祉とは、
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/01/30 02:47 投稿番号: [16105 / 17759]
>人権相互の矛盾衝突を調整するために認められる衡平の原理のことをいう(一元的内在制約説・通説)。
ご教授ありがとうございました。
私はどうも、古い、「一元的外在制約説」という考え方を「公共の福祉」だと思っていたようですね。
・・・しかし、両者の違いが余りよくわからない・・・(^_^;
しかしそうだとしたら、「成田闘争」は未だに解決をみていないし、「諫早湾」の問題は、比較的最近の問題ですが、いずれも国の政策に対して「公共の福祉」を根拠に、一般住民の生活権や居住権が侵害されたと思うのですが、これらについてはどう思われますか?通説を踏襲していると考えられるのでしょうか?
これは メッセージ 16085 (t_ohtaguro_2 さん)への返信です.
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ほとぼりがさめるまで逃げるわけだ♪ww
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/29 11:41 投稿番号: [16104 / 17759]
>オレは明日から某地検へ出張だ♪♪♪♪
↑も根拠のない妄想だろうからねぇ〜♪
これは メッセージ 16096 (kaze_no_matakitazou さん)への返信です.
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ww
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/29 11:00 投稿番号: [16103 / 17759]
>社会契約だの人権だの、やったらむつかちいコトバ
○×4には難しすぎるわな♪
私は○×4とは違って、
無制限の自由と、他の無制限の自由との矛盾対立から論理を組み上げることができるからねぇ〜♪
これは メッセージ 16096 (kaze_no_matakitazou さん)への返信です.
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ww
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/29 10:48 投稿番号: [16102 / 17759]
無条件に優先されると思っているんですかぁ〜♪ww
基本法に於いて定められている内容と特別法に於いて定められている内容とが矛盾対立する場合、
且つ、特別法に於いて定められている条件を満たす場合
に優先されるにすぎないんですねぇ〜♪
民法
第九十五条と矛盾対立する特別法
の条項を挙げてみ♪
○○女は挙げることができなかったねぇ〜♪ww
これは メッセージ 16095 (kaze_no_matakitazou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/16102.html
ww
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/29 10:39 投稿番号: [16101 / 17759]
>オレが追求してんのはオマエのブザマな「パンツ丸見え音頭」なんであって、ウィキの記事じゃありませんからな♪♪♪♪
>これをいう為にウィキの記事を引いたのはオマエだねぇ〜♪♪♪♪
ww
なんと、1Msg.内で矛盾するカキコを行う○×4♪
1Msg.を作成する間ですら記憶を維持できない鶏頭らしい♪
これは メッセージ 16094 (kaze_no_matakitazou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/16101.html
ww
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/29 10:36 投稿番号: [16100 / 17759]
死刑存続論に於いて、私は支持されていますねぇ〜♪
○×4は支持どころか、相手にされておりませんな♪ww
これは メッセージ 16093 (kaze_no_matakitazou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/16100.html
ww
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/29 10:33 投稿番号: [16099 / 17759]
○×4のカキコには根拠が無いことを間接的に認めたようですな♪ww
○×4は、
>ちなみにオレにゃキョコンがありますな♪♪♪♪
↑のように主張しているから、根拠が無いことを意味する。
そして、○×4のカキコには根拠がないから、
>ちなみにオレにゃキョコンがありますな♪♪♪♪
↑も根拠がない。
結局、○×4は妄想を垂れ流しているにすぎない♪ww
これは メッセージ 16092 (kaze_no_matakitazou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/16099.html
ww
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/29 10:12 投稿番号: [16098 / 17759]
で?
>「本日、株式会社日本証券クリアリング機構の取締役会にて決議されたジェイコ
ム株式会社の株式に関する非常措置については、証券市場の決済における安定性
確保の観点から、大きな決断を機動的に行われたものと理解しております。
当社としては、この措置の下、関係当局、関係証券会社と協力の上、滞りなく
本件の手続きを行う所存でございます。」
(http:)//www.mizuho-sc.com/ja/news_releases/2005/pdf/20051212_01.pdf
↑の何処に「1円で61万株の売り注文」が「真意」だと書いてある?
また、「有効」の文言が何処にある?
無いよねぇ〜♪ww
○×4は「真意」、及び、「有効」と、「手続き」が同じだと理解しているってことですねぇ〜♪ww
未だに理解できないとは…。
できるわけないわな♪
○×4、且つ、日本語が理解できない、且つ、鶏頭ではねぇ〜♪ww
これは メッセージ 16091 (kaze_no_matakitazou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/16098.html
日本語が理解できない○×4♪
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2009/01/29 10:05 投稿番号: [16097 / 17759]
≫清
算
機
関
(
ク
リ
ア
リ
ン
グ
ハ
ウ
ス
)
>が
、
清
算
機
関
の
会
員
の
【
相
手
方
】
となって
↑には、清
算
機
関
(
ク
リ
ア
リ
ン
グ
ハ
ウ
ス
)
>が相手方であると書いている。
誰の相手方か?
清
算
機
関
の
会
員
の相手方である。
よって、清
算
機
関
の
会
員
の相手方とは、
清
算
機
関
(
ク
リ
ア
リ
ン
グ
ハ
ウ
ス
)である。
>相手方が清算機関の会員つまり清算参加者なんはアッタリマエじゃん♪♪♪♪
↑から、○×4は日本語すら理解できないことを露呈しましたねぇ〜♪
これは メッセージ 16090 (kaze_no_matakitazou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20_1/16097.html
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