死刑廃止議連・・亀井静香議員
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/02/03 00:52 投稿番号: [16111 / 17759]
★死刑に犯罪抑止力はない
私は、警察におりましたころから死刑は廃止すべきだと思っていました。
政治家になってからの話ではありません。ですから、設立当初から議員連盟に入りました。
私は基本的に、人間のいのちや自然環境というものを大事にする社会でないと、それは健全な社会ではないと思うのです。
国家権力が死刑囚を抵抗できない状態にして――言葉は悪いですが――絞め殺すなんてことは、あってはならないと思います。
「凶悪犯人だからしかたないじゃないか」と言う人もいます。
【生まれながらにして社会的に危険な人もいるかもしれませんが、それはどちらかというと病理学の世界に属するごく一部です。】
【本人の心得違いもありますが、ほとんどは生まれ育った環境とか、社会の状況のなかで凶悪犯罪に走っていく場合が多いのです。もし、そういう人がまったく別の環境にあったとしたら、必ずしも凶悪犯罪を起こすわけではありません。やはり、社会的要因も非常に大きいと思います。】
ですから、そういう犯罪者を抹殺することによって社会が健全化し、犯罪がなくなるということにはならないのです。
死刑があるから犯罪を起こさず、死刑がなければどんどん人を殺してしまうというような、そのような理性的な判断をもとに犯罪を起こすようなことは、ほとんどないと思います。
ごくわずかな例外はあるでしょうが、多くの人間にとっては、死刑制度の有無と犯罪を起こす、起こさないということには関係がないと思います。
国家による報復から決別を
被害者の報復感情を満足させるという考えは大昔からあります。人間ですから。
しかし、報復感情を個人としてもっているということと、国家としてそれを認めるということは別の問題です。私たちは、国家が否応なしに、被害者に代わって報復するということと決別すべきです。
・・
常にある冤罪の可能性
それと、
【私自身が警察に在籍していてつくづく思ったのは、やはり今の司法制度の下では、依然として自白が「証拠の王」ということです。それは変わりません。】
法曹一元というけれども、裁判官は本来、当事者主義のもと無罪推定を前提にしていかなければならないのに、
【ともすれば公判廷の被告人の供述より検面調書を優先】します。
やはり裁判官には伝統的に国家権力への信頼があって――それが悪いとは言いませんが――今の刑事訴訟の立場からいうと、当事者対等・無罪推定の原則で公判廷に立って公平に行われているかと言えば、決してそうではありません。
そうしたなかで被疑者が勾留・取り調べを受けると、異常心理に陥ることが現実に、非常に多いのです。
私が立ち会った取り調べでもありました。
【いわゆる拘禁性ノイローゼにかかって、取調官との関係が王様と奴隷のような心理状態になってしまうのです。絶対的権力を握られてしまい、取調官のまったくの言いなりになる被疑者がかなり多くいます。】
そして、そういう警察での供述をもとに今度は検察が調書を録っていきます。
【公判廷で、いくら被告人が「あれはウソだった。勘違いだ。誘導されたんだ」と言ったところで、検面調書には証拠能力がありますから、それが優先されていきます。】
そういう実態が今の刑事司法のなかにあり、そんななかでは冤罪の可能性があると思います。これは陪審制など、どんな制度であっても存在するものなのです。
他者の犠牲の上に立つ幸福や安全などない
人によっては、そんなことはほんの何万分の一の確率だから、社会防衛上しかたがないなどと言いますが、
無実で処刑される人にとっては、何万分の一じゃなく100パーセントの話なのです。
そういうことを同じ人間がやっていいなんて、ゆるされるべきことではありません。・・
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_kamei.html
私は、警察におりましたころから死刑は廃止すべきだと思っていました。
政治家になってからの話ではありません。ですから、設立当初から議員連盟に入りました。
私は基本的に、人間のいのちや自然環境というものを大事にする社会でないと、それは健全な社会ではないと思うのです。
国家権力が死刑囚を抵抗できない状態にして――言葉は悪いですが――絞め殺すなんてことは、あってはならないと思います。
「凶悪犯人だからしかたないじゃないか」と言う人もいます。
【生まれながらにして社会的に危険な人もいるかもしれませんが、それはどちらかというと病理学の世界に属するごく一部です。】
【本人の心得違いもありますが、ほとんどは生まれ育った環境とか、社会の状況のなかで凶悪犯罪に走っていく場合が多いのです。もし、そういう人がまったく別の環境にあったとしたら、必ずしも凶悪犯罪を起こすわけではありません。やはり、社会的要因も非常に大きいと思います。】
ですから、そういう犯罪者を抹殺することによって社会が健全化し、犯罪がなくなるということにはならないのです。
死刑があるから犯罪を起こさず、死刑がなければどんどん人を殺してしまうというような、そのような理性的な判断をもとに犯罪を起こすようなことは、ほとんどないと思います。
ごくわずかな例外はあるでしょうが、多くの人間にとっては、死刑制度の有無と犯罪を起こす、起こさないということには関係がないと思います。
国家による報復から決別を
被害者の報復感情を満足させるという考えは大昔からあります。人間ですから。
しかし、報復感情を個人としてもっているということと、国家としてそれを認めるということは別の問題です。私たちは、国家が否応なしに、被害者に代わって報復するということと決別すべきです。
・・
常にある冤罪の可能性
それと、
【私自身が警察に在籍していてつくづく思ったのは、やはり今の司法制度の下では、依然として自白が「証拠の王」ということです。それは変わりません。】
法曹一元というけれども、裁判官は本来、当事者主義のもと無罪推定を前提にしていかなければならないのに、
【ともすれば公判廷の被告人の供述より検面調書を優先】します。
やはり裁判官には伝統的に国家権力への信頼があって――それが悪いとは言いませんが――今の刑事訴訟の立場からいうと、当事者対等・無罪推定の原則で公判廷に立って公平に行われているかと言えば、決してそうではありません。
そうしたなかで被疑者が勾留・取り調べを受けると、異常心理に陥ることが現実に、非常に多いのです。
私が立ち会った取り調べでもありました。
【いわゆる拘禁性ノイローゼにかかって、取調官との関係が王様と奴隷のような心理状態になってしまうのです。絶対的権力を握られてしまい、取調官のまったくの言いなりになる被疑者がかなり多くいます。】
そして、そういう警察での供述をもとに今度は検察が調書を録っていきます。
【公判廷で、いくら被告人が「あれはウソだった。勘違いだ。誘導されたんだ」と言ったところで、検面調書には証拠能力がありますから、それが優先されていきます。】
そういう実態が今の刑事司法のなかにあり、そんななかでは冤罪の可能性があると思います。これは陪審制など、どんな制度であっても存在するものなのです。
他者の犠牲の上に立つ幸福や安全などない
人によっては、そんなことはほんの何万分の一の確率だから、社会防衛上しかたがないなどと言いますが、
無実で処刑される人にとっては、何万分の一じゃなく100パーセントの話なのです。
そういうことを同じ人間がやっていいなんて、ゆるされるべきことではありません。・・
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_kamei.html
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