竹島

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Re: 邪悪な「竹島報告書」に対抗すべし

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/07/18 22:43 投稿番号: [15682 / 18519]
(続き)
3.韓国側が独島と言う 1900年の大韓帝国勅令 41号に記録された <石島>は当時の地図,地誌,現地調査結果現在の竹島(独島)である可能性がほとんどなくて鬱陵島の落島である観音島である可能性が高い.
(反論)東海で日本と韓国の間にある島は 3個である.鬱陵島と付属島,独島,隠岐島だ.鬱陵島の付属島である観音島は鬱陵島と事実上付いている状態でどんな理由でも石島と記録される島ではない.代わりに独島は今は一人きり毒(独)者を使うが本来ドルソムだと呼ばれた.そのドルソムが全羅道なまりで毒だ.朝鮮時代から独島と鬱陵島には慶尚道より全羅道人が圧倒的に多かったから全羅道なまりであるドックソムが使われたのだ.だから勅令でドックソムすなわちドルソムを直訳して石島と呼んだのだ.鬱陵島にブッオイッダシピした観音島が天気が晴れると見られる島であることはない.
残り項目たちもその歪曲の程度が少しも減らない.こんな虚偽工作次元の文書を研究結果引揚包装するために竹島研究会は労心焦思 2年の間労力して来た.私たちはその結果があまりでたらめだと相対する価値がないと無視して移る危険が高い.
しかし今日の独島危機を作り上げたことはまさにこれらの邪悪な悪巧みをくぐって見られずに緩くて怠惰な心理で無視して移った安逸な私たちの対応がもたらした結果なのを必ず憶えなければならないでしょう.事実なのかアニニャが重要ではない.ある主張がけんかを作り上げてどんな方式の主張が無関心な外国人たちにもっと球が良くて減らすのかというのだ.もうこれ以上安易な姿勢で独島を危機に追いこんではいけないだろう.

独島本部のホームページ
http://www.dokdocenter.org
独島本部のホームページの該当ページ
http://www.dokdocenter.org/new/know/operation_main_detail.htm?tb=openb_state ment&idx=85&mode=r
Yahoo!ウェブ翻訳
http://honyaku.yahoo.co.jp/url


それにしても、“日本国民と世界人がこれらが出した報告書の真偽可否を選り分ける専門性はない.日本国民は国民性向上これらの報告書をそのまま信じるはず”とあるのには唖然とさせられました。政府の主張をそのまま信じているのはむしろ韓国国民ではないかと。。。
“似以非学術行事やマスコミ報道研究報告書などの形式で各国で広く広がって世界人たちに誤った情報を提供するようになるでしょう.”これはノムヒョン大統領の肝入りで発足した北東アジア歴史財団のことかと。。。
   世界の碩学ら、学術大会で「韓国の独島領有権認定を主張」
   http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15577

Re: 邪悪な「竹島報告書」に対抗すべし

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/07/18 22:38 投稿番号: [15681 / 18519]
独島本部のホームページから元ネタを見つけてきました。機械翻訳をそれなりに修正して紹介します。

[論評] 竹島研究会の最終報告書提出意味
独島ガングタルウィした詭弁用意
日本島根県が作って建てた竹島研究会が 2007年 7月 12日日本外務省を尋ねてこの研究会が整理した最終報告書を提出したと言論は伝えている.竹島問題を所管する同県総務課の藤原孝行課長と、研究会の座長を務めた下條正男・拓殖大教授が同省北東アジア課を訪問‘竹島を自国領とする韓国側の主張に根拠は見いだせない’と言う研究会の結論を説明した後下條正男座長が“領土問題は国が解決すべきもの”と言って日本外務省の積極的な関与を要求した.
山田重夫日本外務省北東アジア課長は竹島報告書の内容を勉強し、活用できる部分は外務省のホームページに掲載したいと肯定的な姿勢を見せたと言論は伝える.
今度報告書を出した竹島研究会は日本島根県が 2年前に設立した研究会だ.関係分野専攻学者はなくて島根県周辺の極右侵略性向人物たちが研究者で参加している.その間竹島研究会は何回も研究集まりを持ったし竹島の日行事を含めて島根県の独島強奪雰囲気造成に先に立って来た.2006年 11月初下條正男を含めて研究会関係者たちが鬱陵島で現地調査を行った.
この日竹島研究会が日本外務省に報告した最終報告書の内容は正常な学問的論理としては到底説明することができない怪変の羅列に過ぎなかった.これらは結局こんな怪変を研究成果と言い張ってまるで学問的な成果が出たように各言論機関に知らせて言論報道を通じて日本国民と国際社会の中だから出たのだ.皆が犯罪心理の持ち主たちだ.話になろうがだめだか事実でも偽りでもこれらには重要ではない.まるで事実であるように日本国民と世界を欺く道具で使えばいいと思うのだ.
日本国民と世界人がこれらが出した報告書の真偽可否を選り分ける専門性はない.日本国民は国民性向上これらの報告書をそのまま信じるはずでしたがってその影響が世界へ広がって行くでしょう.そして満ちることと偽りの間の判別不可能な退屈な論争が付くでしょう.日本政府と外務省もこれらの主張を韓国との談判で使うでしょう.また全世界に送ったこれらのいわゆる研究結果というのが日本のお金と力を土台で似以非学術行事やマスコミ報道研究報告書などの形式で各国で広く広がって世界人たちに誤った情報を提供するようになるでしょう.結局独島が日本の領土だと思うようにするでしょう.
減らず口ならオトリャ.言い張る素材さえあればいいのだ.これらはそれを狙ったのだ.
もう竹島研究会が報告した内容をよく見てその内容がどうして詭弁なのかを一度計算して見る事にする.全部嘘だがあまり長くなるようになるのでぴったり 3街だが反論を書く事にする.
1.1667年の隠州視聴合記にある竹島,松島の記載解釈多くの説があるが少なくとも朝鮮領土とは記録されなかったと主張した.
(反論)この主張は形式論理では当たることもできるが内容を計算すれば完全に虚偽主張に過ぎない.隠州視聴合記にはこんなに書いている.日本之乾地以此州為限矣(日本の乾地は隠州としてその限界とする).乾は西北方向を言う.日本と韓国の間にはただ 3個の島しかない.鬱陵島,独島,隠州(オキ)だ.この本で隠州として日本西北の方の限界をすると明らかに記録している.それなら鬱陵島,独島は当然日本領土ではなくて韓国領土と認めたのだ.ところで独島が朝鮮領土という記録がないと言い張っている.それでは隠州(オキ)として限界をするという記録は一体何の言葉か.しかしこの本にはそれに対する明白な反論が積まれてもうある.<この二つの無人島で高麗を見ることが雲洲で隠州を眺めることとようだと >.この表現は正しく二つの無人島が高麗すなわち朝鮮の領土なのをもう認めた表現が明らかではないか.
しかし利子たちはこんなに主張したいだろう.独島は朝鮮が支配したことがないと.本当にそうなのか.
2.1877年(明治 10年)の大政官文書で <竹島外一島>は日本と関係ないと記載しているが朝鮮領土とは記載していない.(下の部分減らし)その主張している.
(反論)この問題も上の条項と違うことがない.日本中央政府が異聞制に答えなければならなかった理由は朝鮮との領土紛争を念頭に置いたからだ.ところで日本と関係ないと中央政府で明らかに,それも膨脹主義に浮き立っていた明治時代に日本と関係ないと返事をしたにも朝鮮領土と記録しなかったと言い張る審査は果してどんな心理現象だろう. (続く)

邪悪な「竹島報告書」に対抗すべし

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/07/17 17:40 投稿番号: [15680 / 18519]
「邪悪」かつ「詭弁」かつ「でたらめ」らしいですよ。

その一例が「隠州視聴合記の、少なくとも朝鮮領土とは記録されていない」という解釈らしいです。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=89367&servcode=200&sectcode=200
市民団体である独島(トクト、日本名竹島)本部は17日、声明を通じて「日本の島根県が作った竹島研究会が最近“最終報告書”を外務省に提出し、領土問題に対する積極的関与を要求した。これらの邪悪な行為に対し、これ以上安逸な対応はだめだ」と明らかにした。

独島本部は「竹島研究会は島根県の独島強奪の雰囲気づくりに先頭に立ってきた上、今回の報告書で正常な学問の論理として説明することができない詭弁を並べているが、国際社会で日本の金と力をもとに世界の人々に誤った情報を提供している」として韓国政府の力強い対応を促した。

また「詭弁の例とは、1667年『隠州視聴合記』を挙げて『竹島、松島の記載の解釈に多くの説があるが、少なくとも朝鮮領土とは記録されていない』と主張しているが、この本には『日本之乾地以此州為限矣』となっていて鬱陵島(ウルルンド)、独島が韓国領土であることを認めている」と指摘した。

独島本部は「残りの項目も歪曲の程度は同じようなものだが、我々はその結果がでたらめだとして相対する価値もないと無視し、すませてはいけない」とし「どんな主張が無関心な外国人によくわかってもらえるか悩み、安逸な姿勢で独島を危機に追いこんではいけない」と強調した。

一方、竹島研究会は2005年、島根県が独島領有権論理を開発するために設立し、右翼性向人物たちが研究者として参加、研究会を含め2006年11月、鬱陵島現地調査など活動をして整理した最終報告書を12日、日本の外務省に送った。

『唐土歴代州郡沿革地図』の松島竹島

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2007/07/16 22:33 投稿番号: [15679 / 18519]
江戸時代最高の地理学者である長久保赤水は、『唐土歴代州郡沿革地図』所収「亜細亜小東洋圖」で「松島竹島」を日本領と明示しました(No.15627)。その地図が早速、関心を引き、広く知られるようになったことを嬉しく思います(No.15633)。
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=407741006
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/06/1877-different-japanese-views-on.html

「亜細亜小東洋圖」は織田武雄・室賀信夫・海野一隆氏によって『日本古地図大成─世界図編』(講談社, 1975)で寛政元(1789)年の初版が紹介されています。初版図も「松シマ」「竹シマ」を含む「日本国」は際立つよう赤く彩色し、鮮明な画像が公開された神戸大学図書館の天保6 (1835)年版と全く同じです。ただし、永(永良部島)と琉球の島々が灰青色であることが異なります(タ子シマ・ヤクシマ・硫黄は赤)。上程記事に、国立国会図書館蔵の初版本では、日本領は薄茶色に塗られ、現在の竹島と鬱陵島にも薄茶色の彩色があり、と記されていますから、彩色は図によって違うかもしれません。

東洋で最初の着彩歴史地図帖である『唐土歴代州郡沿革地図』は何度も版を重ね、海野一隆氏は「明治に入ってもなお命脈を保っている」と述べました(『東洋地理学史研究日本篇』清文堂, 2005)。『國書總目録』(岩波書店, 1969)によると、これには寛政元年・同9年・文政2年・同12年・天保6年・嘉永7年・安政2年・同4年の版があります。今回、山陰中央日報で紹介された安政4(1857)年版は二宮惶軒補とされているものですが、「松島竹島」を明確に日本領として彩っていることに変りはないようです。このような地図が山陰地方の民家から発見されたことは極めて重要でしょう。

長久保光明氏は「この中国歴史地図帖(一三図)は評判がよく江戸後期に各藩の藩士教育や、私塾や家塾(藩の指示による)などの漢籍学習の必見書であった。その例に、長門国萩藩の志士吉田松陰も、松下村塾で使用(北条重直『水戸学と維新の風雲』修文館昭和七年)。- - 昭和五六年七月二六日松蔭神社参拝のときに遺品の中にあった。」と書いています(『地図学通論』暁印書館, 1992)。

松下村塾で『唐土歴代州郡沿革地図』を使っていたとは大変興味があります。吉田松陰は安政5(1858)年2月19日付の桂小五郎宛の書簡で竹島開墾論を唱えました。松蔭は後に、元禄期の交渉で竹島が朝鮮の帰属となったことを知りますが、松蔭の死後、桂小五郎・村田蔵六は、竹島を日本の属島として、「竹島開拓建言書草案」を老中久世広周宛に提出しています(岸本覚:幕末海防論と「境界」意識.『江戸の思想』9, ペリカン社, 1998)。

さらに岸本氏は、竹島開墾を計画していた坂本龍馬に、下関で竹島の情報を伝えたのは井上聞多であることを明らかにしました。龍馬は慶応3(1867)年3月6日付印藤肇宛書簡で次のように書いています。「彼竹島ハ地図を以て側算すレバ、九十里斗なるべし。先頃井上聞太、彼島ニ渡りし者ニ問しニ、百里ナリ、とおふかた同じ事ナリ。其島ニ渡る者の咄しニ楠木ニよく似てありしもの、広くハ新木在之、其外、壱里余より弐里もあらん平地ありしと也。島の流レハ十里斗なりと、」(『坂本龍馬全集』光風社出版, 1988)。

幕末維新の時期、日本海西部沿岸地方の人々は、「竹島」を日本領と信じて渡航していました。これには、「松島竹島」を隠岐と同様に彩色した弘化3(1846)年以降の『改正日本輿地路程全図』(No.14939)など、特に、二つの赤水図が重要な役割を果したかもしれません。そして、松蔭の薫陶を受けた木戸孝允や井上馨らは、極少数の旧幕臣を除く明治新政府の誰よりも、「竹島」について知悉していたことでしょう。

Re: 『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批

投稿者: yukitanhanatan 投稿日時: 2007/07/16 00:00 投稿番号: [15678 / 18519]
ahirutousagi2 さんへ。
まったく同意です。
こんばんは。横から失礼します。
久々にココを見ました。ざっと、斜め読みしましたが、相変わらず
突っ込みどころ満載のようで、いつまでやってるのかいなって感じでした。
ちょっとタチ悪い感じがしますが、涙ぐましい努力は何て申しましょうか、
ある意味、ほめてあげたい気持ちもあります。
自分の導きたい方向に行くまで、何が何でもって感じでしょうか?

Re: 『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/15 21:12 投稿番号: [15677 / 18519]
>又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ。土俗相傳テ云フ。穩地郡福浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町

この文章から、

>ここで注目すべきは、竹島・松島の一対が「本州の属島」とされなかったことです。両島は「本州の属島」でなければ、日本の領土外になります。

という結論を導き出すところが驚きです。『日本地誌提要』に記された島嶼であるにも拘わらず「○○の属島」と記してないから「日本の領土外」というのは、飛躍であるとすべきでしょう。

この資料では島嶼について○○郡に所属、○○村に所属、と提示しているのが見受けられますが、竹島・松島は「土俗相傳テ云フ」とあるようにそれは不詳であったという程度までしかここではいえないはずです。

また、この記述は、言うまでもなく「巻之五十、隠岐」に記されたものでもあり、日本の領土外としてのものであるよりは、むしろ、日本の領土としての認識を反映したものと考えたほうがむしろ妥当であると言えるくらいのものです。

あらかじめ、竹島=韓国領との結論を前提として資料分析に入れば、こういう読み方になるという驚くべきケースを、また、見せていただいたようです。

>ま、土俗の伝えにせよ、大谷家の伝えにせよ、竹島は現在の欝陵島、松島は現在の竹島=独島とされているので、内務省は公的な地誌においても竹島=独島が本州の属島でない、すなわち日本領でないと確認したことになります。

意味不明です。

>さらに特筆すべきは、内務省が架空のアルゴノート島を描いた地図に惑わされた形跡がみじんもないことです。

なぜにこう断言できるのか理解に苦しみます。文部省・海軍・陸軍の地図などからその形跡を確認できるにもかかわらず、内務省だけはそれに惑わされていない、しかも、牽強付会とも言うべき「磯竹島略圖」の位置関係を根拠とするというのは、明らかに客観性を喪失しています。

>内務省の認識、すなわち「日本政府の地理的認識」は、江戸時代に竹島・松島へ渡海し、漁業・商業活動をおこなっていた人たちに伝承された地理的認識や地図にもとづくものであり、誤った西洋の地図に書かれたアルゴノート島に惑わされた痕跡は皆無です。

二次資料として文部省らの一連の地図が確認される以上、これは、何の根拠もない、単なるご都合主義による解釈と言うべきものでしょう。こうした主張は二次資料が存在しない場合にのみ成立しうるものです。

百歩譲っても、内務省もダジュレー島の位置で松島を把握していたことに何ら変わりはありません。それがリアンクール岩をさすという根拠は何もないのです。

日本海に「島」は二つ認識されていた(リアンクール岩は不詳)。偶然か否かはともかく、それが存在しない島の位置と鬱陵島の位置でそれぞれが認識された。分かることはそこまでです。

それが、1878年以降、とりわけ1880年の天城の調査によって明確に島が規定(松島=鬱陵島)されるにいたり、のちにそれまで所有が明確でなかったリアンクール岩についてあらためて島根県によって編入されるにいたった、という理解が妥当かと。

繰り返しますが、半月城さんの資料解釈は、客観性を喪失していると言わざるをえないようです。単なる掲示板での書き込みならまだしも、書籍まで出している方が、こういうやり方で資料を扱うことは、私は誠実さに欠けると思いますよ。

Re: 『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批

投稿者: kkgwsthm 投稿日時: 2007/07/15 21:07 投稿番号: [15676 / 18519]
涙ぐましい努力(あがき?)を続けるね。
ここで何を主張しようとも、それは言論の自由だから良いけど
ここで論破された話を「無かったことにして」
書籍や講演でしゃべるのは良くないな。
君の人間性を疑うよ。

Re: 『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批

投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2007/07/15 18:00 投稿番号: [15675 / 18519]
>すなわち、1878(明治11)年1月に発刊された『日本地誌提要』の「巻之五十、隠岐」に竹島・松島はこう記されました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>島嶼
  島津島。・・・
  松島。一名島山。海士郡豐田村ニ屬ス。・・・・・・
  大森島。・・・
  ○本州ノ屬島。知夫郡四拾五。海士郡壹拾六。周吉郡七拾五。穩地郡四拾三。合計壹百七拾九。之ヲ総称シテ隠岐ノ小島ト云。
  ○又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ。土俗相傳テ云フ。穩地郡福浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町(注3)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(略)

>ここで注目すべきは、竹島・松島の一対が「本州の属島」とされなかったことです。両島は「本州の属島」でなければ、日本の領土外になります。これは、前年に太政官から内務省へ「竹島外一島」を版図外にするとの指令があったので、それに従ったようです。

『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判1 No.15672
『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判2 No.15673

**************************************************************


上の論述で半月城君が言いたかったのは、『日本地誌提要』のなかで竹島・松島は日本の版図外と記載されているということであろうが、残念ながらその逆の結論しか導き出せない。

『日本地誌提要』の「巻之五十、隠岐」には、半月城君の述べるとおり、竹島・松島は隠岐の地誌に明らかに記載されている。

このため、当然のことながら竹島・松島の一対が「本州の属島」とされることはない。彼の言うとおり「本州の属島」とされることはなかった。

ところで、”両島は「本州の属島」でなければ、日本の領土外になります。”という彼の論旨は、論理の飛躍であって、導かれるのは雲州、因州などの本州に帰属するのでなくて隠岐に属するということである。

したがって竹島・松島は日本の版図として隠岐の項に記載され、彼の言うように日本の領土外になることはありえない。

(   以上   )

『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/15 10:53 投稿番号: [15674 / 18519]
   話かわって、以前、話題になった『大日本史』ですが、そこに書かれた竹島・松島の位置を『日本地誌提要』とくらべると意外な類似や相違点が浮かびあがります。『大日本史』は両島の位置を口語訳でこう記しました。

「案ずるに隠地郡の福浦より松島に至るには海上69里、竹島に至るには100里4町である(注4)」

   これをみると、隠岐と竹島(欝陵島)間の距離 100里4町は『日本地誌提要』とピッタリ一致します。しかし、隠岐と松島(竹島=独島)間の距離は69里まで一致して、それ以下の35町が一致しません。また『日本地誌提要』は竹島・松島を日本領としなかったのですが、『大日本史』は「すでに竹島といい、松島といい、我が版図となした」と記しました。
   これから察するに、『大日本史』は竹島・松島の記述を『日本地誌提要』から引用したのではなさそうです。その一方、おそらく「竹島に至るには100里4町」という記述は、両者とも共通な資料から引用したものと思われますが、これは大西教保の『隠岐古記集』などにもなく、出所はまだ不明です。

(注1)半月城通信「明治政府、竹島=独島の版図外確認」
http://www.han.org/a/half-moon/hm113.html#No.846
(注2)『公文録』付属地図「磯竹島略圖」
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/map/koubunroku_map.pdf
(注3)『日本地誌提要』巻之五十、隠岐
http://www.kr-jp.net/meiji/meiji_msc/chishi-teiyou.pdf
  編纂は、巻之一〜巻之三十五は内務省地誌課、巻之三十六〜巻之七十七は元正院地誌課。
(注4)『大日本史』巻308,志3、隠岐国4郡
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/dainihonshi.pdf

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/15 10:22 投稿番号: [15673 / 18519]
   重要な最後の段落を口語訳にします。
  ○また、西北にあたり松島・竹島の2島がある。土俗が伝えている。穩地郡の福浦港から松島に至る。海路はおよそ69里35町(275km)。竹島に至る。海路およそ100里4町(393km)。朝鮮に至る海路およそ136里30町(537.3km)。

   ここで注目すべきは、竹島・松島の一対が「本州の属島」とされなかったことです。両島は「本州の属島」でなければ、日本の領土外になります。これは、前年に太政官から内務省へ「竹島外一島」を版図外にするとの指令があったので、それに従ったようです。
   この距離や位置関係はそのまま『大日本府縣分轄圖』中の「大日本全國略圖」(1881)に反映されました。同一の担当機関がその地図を作成したので当然の結果です。
   『日本地誌提要』に書かれた島相互の距離を「磯竹島略圖」と比較すると、「磯竹島略圖」のほうが全体的に少し長くなっています。それでも両者はほぼ似たような位置関係にあります。
   この時、『日本地誌提要』は「磯竹島略圖」が記述した数値を採用しなかったのですが、理由は「磯竹島略圖」の情報を古いと判断したのでしょうか。しかし、より確かだと信じた情報源が「土俗の伝え」とは頼りない話です。もともと「本州の属島」ではない話題なので真剣味が薄かったようです。

   ま、土俗の伝えにせよ、大谷家の伝えにせよ、竹島は現在の欝陵島、松島は現在の竹島=独島とされているので、内務省は公的な地誌においても竹島=独島が本州の属島でない、すなわち日本領でないと確認したことになります。同時に、内務省は隠岐の沖合にはその2島しかないと認識していたことも注目されます。
   さらに特筆すべきは、内務省が架空のアルゴノート島を描いた地図に惑わされた形跡がみじんもないことです。アルゴノートは、勝海舟の「大日本國沿海略圖」ですら偽存の島として点線で描かれていただけに、地図・地誌の専門機関がそれに惑わされなかったのは、さすがというか当然というべきか、とにかく順当な判断です。

   以上のような考察の結果からすると、舩杉氏の下記の指摘は的はずれではないでしょうか。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   明治初期における日本政府の地理的認識は、地図の分析から、竹島はアルゴノート島(実在しない島)、松島はダジュレー島(鬱陵島)にあったと考えるのが妥当であり、いわゆる「外一島」が現在の竹島を指していたかどうかは極めて疑わしいといえる(P155)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   内務省の認識、すなわち「日本政府の地理的認識」は、江戸時代に竹島・松島へ渡海し、漁業・商業活動をおこなっていた人たちに伝承された地理的認識や地図にもとづくものであり、誤った西洋の地図に書かれたアルゴノート島に惑わされた痕跡は皆無です。
   それにもかかわらず、あえて舩杉氏がアルゴノートをもちだしたのは、下條説の根拠を模索したからでしょうか?   下條正男氏は、島根県がいう「外一島」は現在の竹島=独島であるが、太政官のいう「外一島」は現在の欝陵島であると強弁しました。
   舩杉氏はその下條説を支持するつもりでしょうか?   また「外一島」を一体どこに比定するつもりでしょうか?   肝心なところが不明です。

   舩杉氏に対する疑問をさらにつづけます。前回書いた「里」と「浬(カイリ)」問題の続きですが、上記にみられるように『日本地誌提要』でも36町を1里としていることが明白です。したがって、同書に書かれた「里」は決して「浬」とは解されません。ところが、舩杉氏は、同書の里数と大差ない「磯竹島略圖」の「里」を「浬」と断言しましたが、これは明白な誤りではないでしょうか?
   舩杉氏がそのような解釈をするところをみると、同氏はそもそも地誌課の『日本地誌提要』を知らないように見えます。しかし、地理の専門家なら『日本地誌提要』を知らないはずはないので、同氏はその資料を意図的に排除したと見るべきかも知れません。いずれにせよ、核心になる資料にふれないで「日本政府の地理的認識」を大上段に説く舩杉氏の論説は、私には支離滅裂なようにみえます。
(つづく)

『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/15 10:20 投稿番号: [15672 / 18519]
   半月城です。

   前回、舩杉氏に対し「磯竹島略圖」などの重要な地図をなぜ「最終報告書」で取りあげなかったのかと苦言を呈しましたが、同氏への疑問はこれだけではありません。
   舩杉氏は人文地理学(歴史地理学)の専門家であるとのふれこみですが、それなら『大日本府縣分轄圖』と同時期の資料である内務省の地誌をなぜ取りあげなかったのか、はなはだ疑問です。公的機関にて作成された地誌は地図以上に重要であるといっても過言ではありません。

   その公的な地誌に竹島・松島がどのように記述されたのか、どのように認識されていたのかを紹介しますが、その前にまず、地理・地誌を公的に担当した機関の変遷を簡単に次に示します。

  1869(明治2)年   民部省に地理司戸籍地図掛を設置
  1871(明治4)年   民部省の廃止にともない、太政官 正院(せいいん)の地誌課となる
  1874(明治7)年   内務省の地理寮となる
  1877(明治10)年   同省の地理局となる

   1877(明治10)年3月、太政官は「竹島外一島」を版図外にする指令をだしましたが、その時の地理担当機関の認識は、その前年の10月に地理寮から島根県へ提出された地籍編纂の伺い書から知ることができます。そこにおいて地理寮は竹島・松島をこう認識していました。

  「隠岐(おき)国のかなたに、従来、竹島と呼ばれる孤島があると聞いております。もとより旧鳥取藩の商船が往復した船路もあります(注1)」

   地理寮からの伺い書が島根県で処理される過程において、大谷家の「磯竹島略図」が島根県から内務省への伺い書に添えられました。したがって、地理寮はその知見も得ることになりました。その「磯竹島略圖」に竹島・松島の位置は次のように記載されました(注2)。

  隠岐と松島間;   隠岐 島後の福浦より松島を隔てる北西80里(314km)ばかり
  松島と竹島間;   松島より磯竹島を隔てる北西40里(157km)ばかり
  竹島と朝鮮間:   磯竹島より朝鮮国を遠望する西北西に当り、海上およそ50里(197km)ばかり

   竹島・松島の位置について、内務省は磯竹島略圖の記述と同じような認識をもっていたことが、明治時代の官撰地誌から知れます。すなわち、1878(明治11)年1月に発刊された『日本地誌提要』の「巻之五十、隠岐」に竹島・松島はこう記されました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
島嶼
  島津島。・・・
  松島。一名島山。海士郡豐田村ニ屬ス。・・・・・・
  大森島。・・・
  ○本州ノ屬島。知夫郡四拾五。海士郡壹拾六。周吉郡七拾五。穩地郡四拾三。合計壹百七拾九。之ヲ総称シテ隠岐ノ小島ト云。
  ○又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ。土俗相傳テ云フ。穩地郡福浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町(注3)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)

Re: 島根県の最終報告書、舩杉氏への批判2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/15 10:17 投稿番号: [15671 / 18519]
   半月城です。
   私の書き込み No.15630の一部において方向を書き損じたり適切でない部分があったので、下記部分を削除します。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   このふたつの地図を並べると、竹島と松島の位置が似かよっていることに気づくはずです。それもその筈です。数ある地図の中で松島と竹島の位置情報が詳細に記されている地図は「磯竹島略図」くらいしかないので、内務省はそれを参考にしたようです。「磯竹島略図」に両島などの位置関係がこう記されました (注3)。

  隠岐と松島間;   隠岐 島後の福浦より松島を隔てる北東80里(320km)ばかり
  松島と竹島間;   松島より磯竹島を隔てる北東40里(160km)ばかり
  竹島と朝鮮間:   磯竹島より朝鮮国を遠望する西北西に当り、海上およそ50里(200km)ばかり

   この距離や方向にもとづいて「大日本府県分轄図」に竹島と松島が描かれたようです。その結果、両島の位置は朝鮮寄りになりました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   削除した代わりに、新材料を加味して、この書き込みに続けて書きます。

Re: 防衛白書で「独島は日本領」とうそぶく

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/14 20:25 投稿番号: [15669 / 18519]
私は話し合いを続けるべきという立場を取っているが、一方で新しい転換が要請されているのも確かだろうと思う。その一つの手段として、国会両院での竹島決議があっていいのではないかとも思い始めている。「紛争解決としての竹島問題への対応を韓国に求める決議」と言う感じ。

間違いなく、韓国は感情的に対応してくることだろう。それを逆手にとって紛争地域としての認定をさらに客観的に深めるようにすればよろしい。さらに切手の発行や国立公園化も、将来的な視野に含めておけば、それはそれでいいと思う。そうした葛藤の一方で、政府がしっかりと韓国側とパイプを保って、議論を重ねることが大事である。

で、私がこうした決議を通してみてみたいのは、誰が賛成して、誰が賛成しないかである。民主党の白議員などはまず賛成しないだろう。民主党左派の連中はほぼ賛成しないのではないか。共産党は決議案の内容如何では賛成するだろう。本当に竹島問題のことや国の利益について考えているのは誰かということがあぶりだされることにもなるだろう。

決議案の中身は、1.日韓会談に則った紛争の解決の道筋をつける要求、2.国際司法裁判所への付託へと道筋をつける要求、3.新漁業協定の実効的な運用、などである。

安倍総理、こういう決議案を出してくれないかなぁ。

Re: 防衛白書で「独島は日本領」とうそぶく

投稿者: docomokashicomoahobakari 投稿日時: 2007/07/13 23:31 投稿番号: [15668 / 18519]
軍事的に片付けられないから面倒なんだよな。

韓国に先制攻撃でもさせれば面白いんだが

もうひとつ

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2007/07/12 22:22 投稿番号: [15667 / 18519]
日本が一方的に譲歩する必要は全くありません
そこは毅然とした態度が必要です
しかしながら現実的な解決(歩み寄り)はあると思います
ただし韓国側の歩み寄りがあってこそです

ヘンポコさんのヴィジュアル感覚に敬意!

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2007/07/12 22:12 投稿番号: [15666 / 18519]
やはり図で見ると一目瞭然ですね

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/12 17:20 投稿番号: [15665 / 18519]
言うまでもなく、日本の立場は一貫して竹島=日本領とすべきです。それを粛々と主張していく、という姿勢は正しいものです。国際司法裁判への働きかけもあっていいでしょう。

そこに譲歩はある必要はありません。

ただ、一個人の私として、将来の竹島問題の解決は、結局は、紛争の解決としての話し合いと新漁業協定の有効な運用の延長線上に、その道筋を見出すのが望ましいという考えがあり、また、その先の竹島の将来の望ましいあり方は、日韓で半分ずつ共同管理する、という、相互利益から考えるのが理想であるという「感情」を持っています。

>私は、こういう状態での日本側からの譲歩案は百害あって一利なしだと思います。

おそらく、そうなのだろう、と思います。この話はやめておくことにいたします。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/07/12 15:07 投稿番号: [15664 / 18519]
>ただ、韓国はそもそも「紛争」という立場をとりませんので、こればかりは
>仕方ありません。
>韓国の民度の問題かとも思っています。

  私は、こういう状態での日本側からの譲歩案は百害あって一利なしだと思います。国際法学者の芹田が行った国際法的に日本領としておきながら、「日本による過去の植民地支配に対する反省」という根拠のない精神論から「竹島韓国領を認めよう」とした政治的かつ個人的主張さえ、正当化の道具として「日本の国際法学者さえ竹島は韓国領と認めた」と利用するわけです。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/12 13:01 投稿番号: [15663 / 18519]
ご批判は覚悟していましたが、何ら論理もないわけではありません。私たちには話し合い(日韓会談:紛争の解決)という「知恵」があるのであり、新漁業協定の有効な運営という政治的な積み上げが今後なされた上で、竹島のより冷静な扱い方が見えてくるのだと考えます。

国際司法裁判も選択肢ですが、こうした方向性も一つの選択肢です。私としてはどちらでもいいのですが、前者はスピード解決、後者は、それこそ何十年かかる交渉、ということになるでしょう。両方で構えればそれでよろしいのではないでしょうか。その中から現実的な解決が見えてくることでしょう。

ただ、韓国はそもそも「紛争」という立場をとりませんので、こればかりは仕方ありません。韓国の民度の問題かとも思っています。偏狭な民族主義を脱却する時代が来たときには、何らかの手がかりが見えてくるのかもしれません。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2007/07/12 00:28 投稿番号: [15662 / 18519]
>まぁ、あくまで個人的な感情です。

このようにお断りを入れさえすれば


>私としては、個人的には、竹島は、半分で線を引いて分けて、日韓で共同管理をすればよいとの思いを持っています。狭い日本海でいがみあっても仕方ありません。ともに、利益を享受すればよいのではないかと。韓国側はこういうことは死んでも認めないでしょうが、100年後ぐらいには、割と変わっているかもしれません。

論理の飛躍どころか、論理無視の感想文もありってことになるのかしら。
すこし、論客風に論旨を展開していただけに、ふぅ・・・・。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/11 23:30 投稿番号: [15661 / 18519]
ご紹介ありがとうございます。私はどうも体力がなくて、論文を読むと骨が折れます。いずれゆっくり読みたいと思います。私は、今はどうも江戸時代の竹島問題にはあまり興味がなくて、明治期や、あるいは韓国側の資料のほうに関心があります。

韓国側の資料は、知れば知るほど、竹島=韓国領となるものは、皆無に近いですね。私が知る限り、それなりに説得力があるのは、唯一「于山は即ち倭の所謂松山なり」という記録だけです。そして、何ら実効支配も伴っていないし、そもそも島の存在を分かっていない。高宗の時代に至ってもです。

私は竹島が韓国領であるか日本領であるかは、結局は、国際法に照らすしかないとは思っていますが、ただただ、情けないのは、韓国の誰もが、自国の韓国側の意見に一切疑問を抱かず、むしろ日本の横暴を非難さえすることです。

残念です。客観的に見て韓国の主張はそれほど明快なものでもなければ説得力があるものでもありません。これに疑問を持たない国民性というのは、ある意味でとても不幸なものだと思うのです。植民地時代の心の傷跡があるにしても、こうしたあり方は、あまり望ましい姿とも思えません。

私としては、個人的には、竹島は、半分で線を引いて分けて、日韓で共同管理をすればよいとの思いを持っています。狭い日本海でいがみあっても仕方ありません。ともに、利益を享受すればよいのではないかと。韓国側はこういうことは死んでも認めないでしょうが、100年後ぐらいには、割と変わっているかもしれません。

まぁ、あくまで個人的な感情です。

日本としては粛々と領土としての意思表明をするしかないでしょうね。

GIF形式で画像加工して下さい

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/07/11 23:29 投稿番号: [15660 / 18519]
いつも通りの縮尺でお願いします。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/saninshinbun.pdf

出来ましたらメールに添付してお送り下さい。
よろしくお願いします。

Re: 総合的な位置関係 VS. たまたま合致

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/11 23:14 投稿番号: [15659 / 18519]
すごいですね。私の主張の裏づけ作業をしてくださり、どうもありがとうございます。これでもかなり良心的に近く考えるようにしたのではないでしょうか。普通に見れば大きくずれているのですが、半月城さんのフィルターをかけると近く見えるようです。

私としては、半月城さんについては、すでに個人的な結論をすでに持っています。半月城さんは、竹島がどこに属するか、どういう歴史があり、どのように考えることが可能か、ということには基本的には関心がなく、スタート地点に「竹島=韓国領」という前提がある、ということです。

ですから、議論は決して成り立ちません。「竹島=韓国領」を前提としてそれをどのように資料につなげることができるか、ということだけが、彼の主張だからです。私を含めて誰かに返事をするときも、揚げ足取りか、ありえないとの理由なきごり押ししかありません。

これはとても残念なことです。

ほっとけばいいのですが、本まで出している以上、困ったものだと思っています。いずれはあの著書についてもう少し、どこに問題があるかを、ここで私なりの考えを書きたいと思っています。当分、忙しいので無理でしょうが、少なからず問題を感じているのも確かです(体力がないので、皆さんで分担して問題点を考えてみるのもいいかもしれません)。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/07/11 13:19 投稿番号: [15658 / 18519]
>池内氏の論文は読んでいないので、どんな感じで書かれているかは分かりませ
>んが
半ケツ通信に掲載されてます。
http://www.han.org/a/half-moon/mokuji.html#ronbun

>堀和生という方の「1905年に本の竹島領土編入」という論文
京大経済史専攻ですか。確か内藤 正中も同じでは。。。

総合的な位置関係 VS. たまたま合致

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/07/11 03:14 投稿番号: [15657 / 18519]
半ケツが、「偶然の一致」と言う「大日本府県分轄図」と「アルゴノート島の位置」の対比。
http://homepage2.nifty.com/oppekepe/takeshima/eng/japan/img/Interior.gif

半ケツが、「総合的な位置関係において合致」と言う「大日本府県分轄図」と「磯竹島略図」の対比。
http://homepage2.nifty.com/oppekepe/Work/isotake.html

半ケツばりに身辺周辺の時空が歪んでない人は、わかってるとは思いますが大日本府県分轄図の竹島と半島間が近すぎるんですな。なにせその竹島はアルゴノート島に「偶然」一致する位置にあるわけですから当然ですな。しかし、半ケツは更に続けます。
----------------------------------------
No.15645
それも含めて朝鮮と竹島間の距離など、総合的な位置関係に着目しています。
----------------------------------------
いい年して、恥ずかしくないのかしらん。

Re: 防衛白書で「独島は日本領」とうそぶく

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2007/07/10 22:30 投稿番号: [15656 / 18519]
いや、そんなこと言われてもさ、お互い領土主張をすることを黙認するって約束したんだからさ、つべこべ言うのはやめてよ。

日本は大分遠慮して、毎年形ばかりの抗議にとどめていたのに、そっちが盛り上がって日本を刺激したんだよ。

>日本という国の横に位置することになった不幸

ほんとに気の毒だとは思うよ。
中韓の側を下にして極東地図をみるとさ、この列島はホントに邪魔だ。
ほんとうっとうしい国だよね日本は。存在自体が悪だよね。
みんな詰めて座ってるのに、荷物をぽんぽんなげて座席取りしてるような国だね。

だから、獨島ぐらい気にすんなよって言いたくなるでしょ?
そのとおりだから、気にしてなかったんだよ。
それなのに韓国が火をつけたんだよ。
自業自得だということと北朝鮮の日韓離間策だってことを知れ。

参議寺島外務卿の印

投稿者: take_8591 投稿日時: 2007/07/10 21:55 投稿番号: [15655 / 18519]
>   この部分については、以前に、14664, 14826あたりですでに論議したことがあるものです。

   [ No.14772 ]に次の半月城さんの認識が載っていました。
      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   太政官が竹島(欝陵島)と松島(竹島=独島)を版図外とした指令は、伺書が提出された内務省に対して回答されたので、外務省や海軍などがそれを直接知るのは困難です。他部署がそれを公式に知ることができるのは、内務省からそれについての通知があった場合のみです。実際、外務省はそうした公式通知で太政官指令を知ったようで、堀和生氏はこう記しました。・・・・・
      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   どうやら、半月城さんは、岩倉具視と前島密だけの間で隠密裏に「竹島外一島を版図外とする」決定がなされたと考えておられるようです。「版図の取捨は重大事件」でありながら、「外務省や海軍などがそれを直接知るのは困難です」とも言われています。しかし、外務卿が「版図の取捨にかかる重大事件」を知らずに仕事が出来るでしょうか。ありえない事実認識です。

   公文録内務省の部を参照すると、大臣の下には「岩倉」の印があり、参議の下には「●島宗則」の印があります。
   http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/002.jpg
   この事実は、「竹島外一島を版図外とする」決定に寺島宗則外務卿が関わっていたことを示しています。

   半月城さんとか堀和生氏は、当時の明治政府が「ダジュレー島=松島」と捉えていた事実を認めたくないのでしょう。だから、この「隠密裏の決定」というありえない前提を設けて論を進めているのだと思います。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/10 20:57 投稿番号: [15654 / 18519]
池内氏の論文は読んでいないので、どんな感じで書かれているかは分かりませんが、ご指摘の部分は、確かにちょっとどうかという印象ですね。一般に韓国側の立場に立とうとする日本人論者の視角と言うのは、どこか、不自然な部分がついて回るようです。

私は個人的には堀和生という方の「1905年に本の竹島領土編入」という論文は、部分的にかなりひどい偏向性を見せていると思っています。大韓帝国学部編「大韓輿地図」を論じて、曰く、

「…さらに19世紀末、朝鮮政府が鬱陵島の開発に着手すると、于山島への認識はより正確になった。その時点の朝鮮領の認識を示すものが、図1に掲げた大韓帝国学部編「大韓輿地図」であり、古地図としては鬱陵島と于山島がほぼ正しい位置関係に描かれている。(p.100)」

ちなみに、ここで提示された「大韓輿地図」は、鬱陵島の近辺にいくつかの小島を記してその一つに「于山」と書いた「大韓全図」と同様のものです。

こういう書き方一つで、この人の論文の客観性はすでに喪失していると私は判断しています。一事が万事かと。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/07/10 12:14 投稿番号: [15653 / 18519]
>「公的な活動・認可」というものの例が、どれほどに正確にあげられるか

公的な活動・認可及び領有意志の断絶に関する判例として以下があります。

東グリーンランドの判例では、グリーンランド人が殺人を行った場合、ノルウェー国王に罰金を払う約束があったとするS・トルダーソンの記録が管轄権行使の証拠として認められています。ただ、S・トルダーソンなる人物の正体は判例には書かれておらず不明です。他の判例では、北ボルネオ会社の海亀卵の採取許可や東インド会社に生産物を売った金で税金を払った記録が証拠として採用されてます。
また、グリーンランドでは植民地が消滅してことによって実効支配や領有の意志表示が2世紀ほど断絶するのですが、国王の明確な放棄の意志を示す証拠がないことを論拠に「植民地の消滅後始めの2世紀ほどの間、グリーンランドとの交通は何もなかったようであり、そしてそれに関する知識も減っていった。しかし、国王の見地の伝統は存続し、17世紀初期に関心が復活した。」としてます。パルマス島の判例では、1700年に東インド会社の地方総督が当該島を視察し宗主権の行使が認められているのですが、そのことをすっかり忘れて1895年に当時の総督が「自分が当該島を訪れた最初の植民庁官吏」と言ってしまっているのですが、委棄されていたとは認定されてません。


しかし、池内の論理は惨いな〜。
「公儀御目見と、そこに形成された幕閣とのつながりを誇る由緒が競合者を排除する役割を補完した」と公儀御目見の実施と実効を認めながら、「仲介者(阿部)が継続の努力を払って初めて維持されるものであった。とすれば、幕府と大谷・村川両家との関係は必ずしも公的・継続的なものではなく、代々の阿部四郎五郎による仲介の努力によって維持された私的・不定期なものであった」としてます。彼は、政治家へのロビーや陳情を反映した立法や行政の行為を「私」としてしまうつもりなのだろうか?角栄道路なんか「私」の権化といったところか。重要なのは寺社奉行も承認の上、公儀御目見が実施されたことであり、これを「公」と言わず何を「公」というのだろう。「不定期」で何を主張したいんだろうか?不定期だったら「私」なのか?彼の主張がさっぱりわかりません。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/09 20:30 投稿番号: [15652 / 18519]
コメントをどうもありがとうございます。

>国際法では、公的な活動が実効支配の証拠となると共に領有意志の表明にもなります。漁民の活動でも公的機関による許可がなされている場合は、権原の証拠(領有意志の表明+主権の発現)として有効です。改めて「ここは俺の領土だ」と宣言している例のほうが少ないのではないのでしょうか。

ご指摘の部分もいちおう念頭にはありましたが、「公的な活動・認可」というものの例が、どれほどに正確にあげられるか、私には分からない部分もありましたので、いずれにしても積極的な領土表明はない、という形で書きました。

ただ、なるほど、言われてみれば、「ここは俺の領土だと宣言している例のほうが少ない」と言うのはその通りかな、とも思いました。ありがとうございます。

>池内が何故に幕府の家来たる阿部を「私」と決めつけたがるのか意図がわかりませんが、国際法上は地方機関における権限の発現も「公」として認められらており、公儀、寺社奉行、鳥取藩の活動を「私」とする論理はありえません。

勉強になりました。ありがとうございます。幕府・地方側の認可というものを私もどちらかと言えばかなり否定的に捉えていました。また、参考にさせていただいて、いずれ考えを整理してみることにいたします。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/07/09 19:56 投稿番号: [15651 / 18519]
>ただし、無主地と言っても、日本にそれなりに近い島でもあり漁民の渡航も
>ありますので、領有意識はいちいち表明せずとも、日本の地に含まれるもの
>との考え方は自然とあったかもしれません。

国際法では、公的な活動が実効支配の証拠となると共に領有意志の表明にもなります。漁民の活動でも公的機関による許可がなされている場合は、権原の証拠(領有意志の表明+主権の発現)として有効です。改めて「ここは俺の領土だ」と宣言している例のほうが少ないのではないのでしょうか。
------------------------ -
Eritrea-Yemen仲裁裁判
The modern international law of the acquisition (or attribution) of territory generally requires that there be: an intentional display of power and authority over the territory, by the exercise of jurisdiction and state functions, on a continuous and peaceful basis.
(中略)
In order to examine the performance of jurisdictional acts on the Islands, the Tribunal must consider evidence of activities on the land territory of the Islands as well as acts in the water surrounding the Islands. This evidence includes:(中略)the licensing of activities on the land of the Islands(略)
------------------------ -

現竹島に関する公権力の発現(公的な許可)として認められる可能性があるものとして、以下があります。
・1660年:亀山庄左右衛門から大屋への手紙(松嶋への渡船の老中内意)
・1681年:幕府巡察使への請書の写し(竹島への道筋にある小嶋を阿部の取り持ちで拝領)
・1681年以前:公儀御目見に関する寺社奉行への申入(明確に松嶋に言及せず)
・1663年以前:鳥取藩からの借銀、鳥銃の貸し出し(明確に松嶋に言及せず)

まぁ「強い間接的推定」と判断される可能性のほうが高いとは思いますが、国際法では追認でも大丈夫ですのでこれらが公的機関の許可として認められる可能性は0ではないでしょう。他にも鎖国時に国際法の権原が通用するかといった問題もあるのですが、可能性を自ら捨てる必要はないと思ってます。

なお、池内は1681年に公儀御目見の取り持ちが阿倍家から鳥取藩に変わったことや大谷・村川の渡海を「寄合之所務」へ変更したことをもって「それまでなされてきた阿部家の竹島渡海への関与が私的なものであって、幕府意志を背景にした公的性格を帯びた関与ではなかったことを示唆していよう」としています。池内が何故に幕府の家来たる阿部を「私」と決めつけたがるのか意図がわかりませんが、国際法上は地方機関における権限の発現も「公」として認められらており、公儀、寺社奉行、鳥取藩の活動を「私」とする論理はありえません。

竹嶼、竹島、竹岩? 1918年の鬱稜島地図

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/07/09 16:39 投稿番号: [15650 / 18519]
http://homepage2.nifty.com/oppekepe/Work/1918_soutokufu_map.jpg
土地調査事業から総督府が作成した1918年の鬱稜島の地図です。
竹嶼は、竹島(チクトー)であり、南面所属です。
一本立島が「竹岩(テーアム)」その対岸は「竹岩(チュクアム)」となっているのが面白いですな。
更に「石」を使用した地名として「石圃洞(ソクポドン)」「石門洞(ソクモンドン)」、「石峰(ソクポン)」があります。
「石峰」は地理的な位置からも方言で石が獨に変化するのであれば「獨峰」となっていてもおかしくないのではないでしょうか。
あと、観音島の東に1つ、竹島の東に2つ石柱がポッキリ折れたっぽい跡があります。観音島の1つは、成宗の三峯島の記録「有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島」の中で不明だった「次巌石列立」に位置的にもピッタリです。

ところで、併合後も日本は竹島(獨島)を朝鮮所属として扱ったという人がいらっしゃいます。もし、そうであれば土地調査事業に基づく総督府の土地台帳に登録されてなければいけませんが、不思議なことに誰も調べてないようです。もしかしたら、東拓の悪辣な収奪地として登録されてるしれませんね(笑)。まぁこの地図や朝鮮地誌資料(臨時土地調査局編纂)も土地調査事業から作成したモノらしいですが、竹島(獨島)は何れの鬱稜島の面にも所属してません。ちなみに、島根県の土地台帳ではずっと島根県のままであり、竹島が台帳から削除された事実はないようです。。。

防衛白書で「独島は日本領」とうそぶく日本

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/07/09 14:43 投稿番号: [15649 / 18519]
  日本政府は6日、2007年防衛白書で独島(日本名竹島)について「日本の固有の領土」と主張した。日本政府は2005年の防衛白書から「日本の固有領土である北方領土と竹島の領土問題はいまだ解決していない」と記載し始めた。そして韓国政府がこれに抗議し、削除を要求したにもかかわらず黙殺する態度を取った。


  日本は2005年からにわかに独島についての領有権を主張する姿勢を強めている。島根県が「竹島の日」を制定し、駐韓日本大使がソウルで堂々と「竹島は日本の領土」と語ったのが始まりだった。文部科学省は公民や地理の教科書で「竹島は日本固有の領土」「韓国が不法占拠している」と明記するよう指針を出した。昨年の春には海上保安庁の調査船が独島近海を測量しようとしたこともあった。こうした一連の動きを指揮した人物こそ、当時官房長官だった安倍首相だ。


  これは日本政府の本音をよく示す動きだ。機会があるたびに独島の領有権を主張し、世界の注目を集めることで、ひとまず紛争地域に仕立て上げようとしているのだ。そうした上で、この問題を国際司法裁判所に提訴しようというわけだ。日本は自分たちの国力をもってすれば国際司法裁判所の判決に影響を及ぼすことが可能だと考えている。隣国に言い掛かりをつけ、その「血と肉」である固有領土を奪い取ろうとしているのだ。これがもし100年前なら、日本は間違いなく砲艦を送り込み、独島を制圧して仁川や釜山を砲撃していたことだろう。


  日本が国防政策の方向性を示す防衛白書を通じ、執拗(しつよう)に独島の領有権を主張するのは、一種の示威行動と見ることができる。2005年度の日本の防衛費は世界第2位となる469億ドル(約5兆8000億円)で、実際の軍事力でも世界第3位との評価を得ている。特に日本の海上軍事力はイージス艦4隻をはじめ、駆逐艦54隻、潜水艦16隻など152隻もの艦艇と205機もの戦闘機を保有している。対潜水艦戦、補給、機雷処理などの戦闘能力も世界最強レベルにある。


  だが日本政府がこうした対応を取れば取るほど、韓国政府および韓国国民は「日本という国の横に位置することになった不幸」を切実に感じるだけだ。そうした事実を日本側は十分理解しているのだろうか。隣国に対しこんな行動を取る日本が、国際社会の表舞台に立つために国連安全保障理事会の常任理事国を目指しているというのだから、まったく恐ろしい世の中になったものだ。

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20070709000001

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/09 14:29 投稿番号: [15648 / 18519]
>「江戸時代からの実効支配の権原が駄目なら明治の先占の権原」という2段構えの主張でいいと思います。

私は、個人的には、明治の島根県編入以前には、日本側はあまり積極的に竹島が日本領土であるとの認識を示してこなかったのは確かではないかと思っています。ただし、かと言って、それは朝鮮領土とは規定されておらず、むしろ日本近傍にある岩礁という程度の理解であったのではないかと。

また「隠州視聴合紀」についても私はずっと以前から提示しているように無主地(朝鮮領ではありません)としての竹島・松島が提示されたと見ています。つまり、江戸時代から明治初期に至るまで、日本側が竹島=独島に明確な領土意識を表明していたとは考えていません。

その所属をいちいち表明してこなかった島を、明治政府はのちに島根県に編入するに至るという理解です。

ただし、無主地と言っても、日本にそれなりに近い島でもあり漁民の渡航もありますので、領有意識はいちいち表明せずとも、日本の地に含まれるものとの考え方は自然とあったかもしれません。

いずれにせよ、少なくとも「隠州視聴合紀」では竹島・松島を朝鮮領であると考えたとはまったく読めませんし、明治期において政府がリアンクール岩を朝鮮領と規定したことは一度もないと、私は考えています。

*「岩礁」と書きましたが、この用語は適切でないかもしれません。「岩の塊」ぐらいがいいのかもしれません。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/07/09 12:20 投稿番号: [15647 / 18519]
>明治政府は、このリアンクール岩をのちに無主地として島根県に編入している
>からです。


  補足しておきますと日本政府は無主地の先占の立場はとっておらず、江戸時代から日本領土だった竹島を近代国際法のルールに基づき島根編入で再確認したという立場です。1933年外務省条約局作成の「國際法先例彙輯」でも竹島を編入事例としてません。
  釜山大学校の朴培根は「日本が先占のような追加的処置をとることは、近代国際法の観点から見ると論理的に可能なことであり・・・」としてます。ただ、朴は続いて実体的に先占なのだから、論理的に矛盾しないとしても日本は明治の無主地先占を主張すべきだともしています。
  結局、明治の編入が無主地先占なのか当時の国際法が要求した実効支配による権利の継続なのかは、編入時に「無主地」であったかどうかに帰着すると思われます。また、その判断は国際司法裁判によるしかないと思われます。江戸時代の実効的支配の権原が成立し、その後の日本の委棄が成立してないと判決されれば日本の主張のとおりとなります。
  朴教授は無主地先占を主張するように有難い提言をしているわけですが、わざわざ自分の選択肢を減らす必要はありません。「江戸時代からの実効支配の権原が駄目なら明治の先占の権原」という2段構えの主張でいいと思います。リギタン島とシパダン島の判例でもこのような複数の権原の主張は認められています。
  なお、半ケツが「明治政府が竹島を認識してなかったのでは」と言っているようですが、例え認識があまりなかったとしても国際法上はあまり意味がありません。東グリーンランドやクリッパートンの判例にあるとおり長期に渡る実効支配や領有意志の断絶があったとして明確な権原の委棄の意志表示が必要となるからです。

  細かいことを言っているようですが、国際法上の根拠に乏しい(というか全くない)韓国の主張の1つが「明治時代に無主地を編入したということは、江戸時代から日本領土だったことと矛盾する」なので。(だからといって、エストッペルに問えるわけでも、韓国の権原が証明されるわけでもありません。負け犬の遠吠えみたいなものでしょうね)

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/09 10:14 投稿番号: [15646 / 18519]
>そうだとしたら、日本の地理や地誌、国境を公的に画定する機関の内務省地理局は、当時、竹島=独島の存在を認識していなかったか、あるいは無視していたことになります。そのような島は日本領とは何らの関係もないし、領有権論争の対象にすらなりません。

何も描かれていない以上、地理局にリアンクール岩の認識があったかどうかは不明ですが、「大日本府県分轄図」と完全に位置が一致する勝海舟の地図などを見れば、認識していた可能性が高いですね。単なる岩礁のようなものとして。

リアンクール岩は竹島・松島として認識されていなかった。そして、それについては仰るように日本領土とも何とも規定されていない、というのが私の理解です。領有権論争の対象にすらならないとのご意見については、あいにく首肯できませんが。なぜなら、明治政府は、このリアンクール岩をのちに無主地として島根県に編入しているからです。

ところで、半月城さんのご意見では、つまり、地理局は松島をリアンクール岩と把握していた。そして、その位置は「磯竹島略図」に基づいて現在の鬱陵島の位置で把握され、「大日本府県分轄図」でもそのように描かれたということでしょうか。地理局がリアンクール岩を現在の鬱陵島の位置で理解したなど、私は、無茶苦茶だと思いますが。

あるいは、リアンクール岩のことはともかくとして、単純に日本海に二つの島があり、その二島が放棄された。それは「磯竹島略図」を基とした「大日本府県分轄図」でもうかがえる位置で認識されたのだ、ということでしょうか。私はそれでも構いませんが。結局、鬱陵島から向こうの二つの島を放棄した、ということでしょうから、私の理解と大差ありません。

>また、些細なことですが、ahirutousagi2さんは隠岐と松島間の距離だけに着目しているようですが、私は一部だけをみるのではなく、それも含めて朝鮮と竹島間の距離など、総合的な位置関係に着目しています。そうした相互の位置関係の結果として「大日本府県分轄図」が書かれたのだと考えていますので、念のため。

たまたま隠岐と松島間だけをあげましたが、総合的な位置関係を見て、全然ずれていると申し上げたのですよ。

まず、距離が滅茶苦茶です。方向もずれています。良心的に、距離を無視して距離の割合だけで考えてみても、なぜこの位置で考える必要があったのかは疑問です。

距離を無視して距離の割合(隠岐〜朝鮮のあいだで、隠岐〜松島:47%、松島〜竹島:23%、竹島〜朝鮮:30%程度)で考えるのならいくらでも場所の策定は任意でできるわけですが、わざわざ方向までずらして考える必要はありません。

所詮、半月城さんが、「大日本府県分轄図」は「磯竹島略図」を基にしていると考えないと都合が悪い、ということではないでしょうか。

Re: 舩杉氏への批判?1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/08 22:25 投稿番号: [15645 / 18519]
   半月城です。

   ahirutousagi2さん、
>むしろ「大日本府県分轄図」の竹島・松島が、アルゴノート・ダジュレーと位置が完全に一致していることをそのまま認めれば何の問題もないことです。

   そうだとしたら、日本の地理や地誌、国境を公的に画定する機関の内務省地理局は、当時、竹島=独島の存在を認識していなかったか、あるいは無視していたことになります。そのような島は日本領とは何らの関係もないし、領有権論争の対象にすらなりません。
   また、些細なことですが、ahirutousagi2さんは隠岐と松島間の距離だけに着目しているようですが、私は一部だけをみるのではなく、それも含めて朝鮮と竹島間の距離など、総合的な位置関係に着目しています。そうした相互の位置関係の結果として「大日本府県分轄図」が書かれたのだと考えていますので、念のため。

竹島問題研究会の品位、下條氏への批判4

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/08 22:20 投稿番号: [15644 / 18519]
   この批判に対する下條氏の反論ですが、ちょっと首をかしげざるをえません。下條氏はさきの問題発言につづけてこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   それは池内氏の研究が、これまで日本側が『隠州視聴合記』の「此州」を欝陵島と解釈し、江戸時代にも竹島を日本領としていたとする見解を、根底から覆すものだったからだ。池内氏は、「此州」を隠岐島と解釈し、鬱陵島を日本の西北限とする日本側の主張は成立しないとしたのである。
   だが「此州」を隠岐島と解釈したのは、池内氏の初歩的なミスである。『隠州視聴合記』を編述した齋藤豊仙は、隠岐島の位置を説明する方法として、島後の西郷を基点とし、各方位にあたる地名を挙げた。
   基点の西郷から「北西の間」に松島と竹島があり、「此州」から朝鮮がみえるのは、出雲から隠岐島が見えるのと同じであるとしたのである。松島と竹島の内で、朝鮮を見ることができる位置にあるのは、欝陵島の外にない(注4)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   下條氏の説はつづくのですが、ここまで書いただけで下條氏の問題点は明らかです。下條氏は、<「此州」から朝鮮がみえるのは、出雲から隠岐島が見えるのと同じ>と書きましたが、これは池内氏の批判を受けて、「日本領」を「此州」に書き改めたようです。
   しかし『隠州視聴合記』にはそのような記述はありません。また、高麗の見える竹島・松島は『隠州視聴合記』の文脈上で「此州」に含まれません。そもそも、両島が「此州」に含まれると解釈されるのなら、日本の限界が文脈上「此州」にせよ、あるいは竹島・松島にせよ、どちらでも日本の限界は「此州」の中の竹島・松島ということになり、日韓間で「日本の限界」論争が起きる余地はありません。
   両国政府共に竹島・松島が「此州」に含まれないと解釈したからこそ、そのような論争が生じたのでした。これには研究者間でも異論はないようです。結局、<「此州」から朝鮮がみえるのは・・・・>などという下條氏のくだりは、これもやはり「誤読」といえます。

   以上のようにたび重なる変説をしてきた下條氏が、実証的な研究で論説にほとんどブレがない池内氏の論説に対し「初歩的なミス」などとのたまうのは滑稽にみえます。竹島=独島問題の本当の障害は、たび重なる変説や迷走で世人を惑わせてきた御仁にあるのではないでしょうか。

(注1)下條正男「竹島論争の問題点」『現代コリア』P31,1998年7,8月号
(注2)半月城通信<安龍福の于山島像・竹嶼編、下條正男氏への批判>
   http://www.han.org/a/half-moon/hm119.html#No.897
(注3)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書,P65,2004
(注4)竹島問題研究会『「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』P4,2007
(注5)池内敏「隠岐・村上家文書と安龍福事件」『鳥取地域史研究』第9号,2007,P14)
   (竹島=独島論争)http://www.kr-jp.net/ronbun/ikeuchi/ikeuchi2007.pdf
(注6)田保橋潔「鬱陵島   その発見と領有」『青丘学叢』第3号,1931,P20
   (竹島=独島論争)http://www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/tabohashi1931.pdf
(注7)池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」『青丘学術論集』第25集,2005,P145
   半月城通信<『隠州視聴合記』の最新解釈>
   http://www.han.org/a/half-moon/hm113.html#No.844

竹島問題研究会の品位、下條氏への批判3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/08 22:01 投稿番号: [15643 / 18519]
   池内氏の痛切な批判に対し、下條氏はまさか意趣返しではないのでしょうが、池内敏氏の研究を「竹島問題の障害」と極言しました。その衝撃的な問題発言は次のとおりです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
竹島問題の障害
   最後に、「竹島問題研究会」が調査研究を進める中で、障害となったものがある。池内敏氏による一連の『隠州視聴合記』研究である。池内氏の論稿は、韓国側の『独島論文翻訳選2』に韓国側の主張を補強する文献として紹介された(注4)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   よりによって、碩学の研究に対して「調査研究をすすめる中で、障害になった」という放言は聞き捨てなりません。見解のことなる研究に「障害」とのレッテルをはるような手法は、真実を追究する姿勢とはほど遠いものです。しかも放言は下條氏個人の名ではなく、「竹島問題研究会」の名のもとになされたことは重大です。同研究会の品位を疑わせます。

   かくも下條氏にショックを与えた池内氏の論文については一年前に紹介したとおりです。そこで下條説に対する批判がこうなされました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   下條正男説は、結局のところ「見高麗如白雲州望隠岐、然則日本之乾地   以此州為限矣」だけを抜き出して読み、誤解した、田川孝三の同じ轍を踏んでいる。先述したように「見高麗如白雲州望隠岐」のどこにも竹島(鬱陵島)が日本領とは書いていないばかりか、「隠州視聴合記」すべてを精読してもそうした記述は出てこない。
   にもかかわらず、「「高麗を見ること雲州の隠州を望むがごとし」は、高麗(朝鮮)を見ている位置は当然日本領と認識しているわけで、竹島、欝陵島、隠岐島の中で雲州(島根)から隠岐島を見るように朝鮮が見えるのは、欝陵島だけしかない」[下條正男一九九六・六九頁]とか「日本領から高麗(朝鮮)を望めるのは、「国代記」の中では鬱陵島だけである」[下條正男二〇〇四・一七一頁]などとするのは、竹島(鬱陵島)が日本領と書いてあるとする思いこみである。
   そうした思いこみの補強説明として、「『隠州視聴合記』が書かれた当時の出雲藩には、竹島(鬱陵島)を日本領として認識するだけの事情があった」[下條正男二〇〇四・一七一頁]という。その主たる論拠は、米子の大谷・相川両家が竹島渡海を繰り返していた事実が「隠州視聴合記」に記載されているというところに求められている。
   たしかに、大谷・村川両家は、「竹島渡海免許」を受けて、年に一度、竹島(鬱陵島)へ渡海し、数ヶ月 同島に滞留しながら漁業活動を行った。大谷・村川両家は、竹島(鬱陵島)および松島(竹島/独島)を将軍家から拝領したと述べているから、これをもって日本領と認識したと考えがちである。
   しかしながら、「竹島渡海免許」は、大谷・村川両家が同業の競合者を排除するために、旗本阿部家を介して得た「渡海免許」であり、したがって竹島(鬱陵島)へ大谷・村川家および同家に雇われた者以外は渡海できなかった。また竹島(鬱陵島)へは毎年一度渡海したのみであって、漁期が終われば鳥取藩領に戻ったから、誰もそこに居住しなかった。こうした状態は、客観的にみたときに「日本領」であったとは言いがたい。
   また、少し後のこととなるが、元禄八年(一六九五)一二月、鳥取藩江戸藩邸は老中阿部正武の問いに対し「竹島は因幡・伯耆附属にては無御座候」と述べた。これを受けて翌年正月九日、対馬藩国元家老に対し、「(竹島は)因幡・伯耆江附属と申二而も無之」「日本人居住候か、此方江取候島に候ハハ今更遣しかたき事候得共、左様之証拠等も無之」などと述べた[池内敏二〇〇一・一九−二〇頁]。すなわち鳥取藩は、竹島(鬱陵島)を鳥取藩領としたことがないと述べ、幕府も自分の領土としたことがないと明言しているのである。
   大谷・村川家が竹島(鬱陵島)で排他的に漁業活動をしてきただけであって「日本領」ではなく、そのようにも認識されてはいなかった(注7)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)

竹島問題研究会の品位、下條氏への批判2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/08 21:59 投稿番号: [15642 / 18519]
   このように下條氏は冒頭の説を変更して、安龍福のいう于山島は竹島=独島であると断定しました。ところが最近になって下條氏はまたまた変説をおこなったようです。驚いたことに竹島問題研究会の最終報告書において下條氏はこう記しました。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  では安龍福は、何故「于山島は松島なり」としたのか。それを知る手がかりは、最終報告書に収録した「竹島紀事」にある。幕府の命を受け、朝鮮側と交渉した対馬藩は、交渉の経緯を文献を中心に編年体にまとめ「竹島紀事」としていた。
  その中には、対馬藩の取調べを受けた安龍福の証言も記録されており、于山島に対する安龍福の知見を知ることができる。それによると、安龍福は、欝陵島より「北東に当たり大きなる嶋あり」、彼島を存じたるもの申し候は于山島と申し候」と証言している。この証言から見ても、安龍福が主張する于山島は、今日の竹島ではない。安龍福が見たのは、地図上に「所謂于山島」とされたチクトウ(竹島)である。チクトウは安龍福が漁撈活動をしていた欝陵島の苧洞から東北に位置し、竹島は欝陵島の東南にあるからである。だが于山島を松島とした安龍福の証言は、「東国文献備考」の分註に載せられ、歴史的事実とされてしまった(注4)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   このように下條氏はみずからの解釈や主張を再度変え、今度は安龍福の于山島像をチュクト(竹島)にしました。最初の段階で下條氏はチュクト説を捨てていたのですが、それをひっくり返したようです。何とも人騒がせな変説です。
   そうなると、自己の当初の指摘「船で一日の距離」あるいは「欝陵島より頗る大きな島」という考察をどう処理するのでしょうか?   チュクトは欝陵島からわずか数kmの位置なので、船で一日どころか、一時間の距離であり、しかも欝陵島より「すこぶる小さな島」になります。
   下條氏の再度の変説は、いかにも支離滅裂のように見受けられます。しかし、このような見方は私だけではなかったようです。名古屋大学の池内敏氏は、下條氏の隠岐島説を「荒唐無稽」であるとしてこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   安龍福を虚言癖の男と評価する流れは、近年では下條正男に代表される。しかしながら、たとえば安龍福が見た松島(竹島=独島)は竹島/独島ではなく隠岐島だったとする下條正男の主張は荒唐無稽である。
   安龍福が竹島(鬱陵島)および隠岐諸島と区別された島として松島(竹島/独島)を認知していたことは隠岐・村上助九郎家文書によりはっきりしたが、そもそもから右主張は『邊例集要』の誤読にもとづく誤謬であった。こうした誤謬がもたらされた背景には、安龍福を虚言癖の男とする評価への過剰なこだわりがある(注5)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   池内氏は、下條氏が「安龍福を虚言癖の男とする評価への過剰なこだわり」から「誤読」をおかしたと批判しましたが、まさにそのとおりと思われます。安龍福の朝鮮における供述は基本的に手柄話・自慢話なので、それを割り引いて真偽を究明する必要がありますが、その努力が欠けているようです。
   ちなみに、竹島=独島問題の先駆的な研究者である田保橋潔は、安龍福は「徒に大言を弄する嫌はあるが、(供述は)大體において事實と信ぜられる」と評しました(注6)。これについては、さらなる検討を要します。
(つづく)
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