舩杉氏への批判?1
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/05 17:07 投稿番号: [15634 / 18519]
私は全く知らなかったのですが、舩杉氏が私がここでずっと展開してきた説明と全く同じ立場であるとは驚きました。やはり、普通に考えれば、そうなのだろうと確信を深めた次第です。
>しかしながら、これらの地図は「日本政府」の地理的認識を知るには大半が二次的な意味しか持ちません。文部省や陸軍などが竹島=独島に関していかなる認識を持とうとも、それは政府部内の一機関の認識にすぎず、地理や領土問題の担当外である政府機関の認識は決して日本政府の公式見解にはなりえません。
二次的な資料であっても、複数の政府機関から発行された地図が、当時の日本政府の理解を考える、それなりの手がかりになることに疑いはありません。
当時の複数の政府機関から発行された地図で、いずれも竹島・松島の認識がアルゴノート・ダジュレーにあったことは注目すべきであり、逆に松島をリアンクール岩とした理解を見ることができないことに気をつける必要があります。
もちろん地理局発行の地図が何より重視されることは言うまでもありません。当たり前のことです。ですから「大日本府県分轄図」(1881)の竹島・松島がアルゴノート・ダジュレーの位置で記されていることも大変に重要なものです。
一方、「大日本府県管轄図」(1879)と「大日本国全図」(1880)で、竹島・松島が記されていないことも何の不思議もありません。仰るとおり、竹島・松島は日本とは関係のない土地とされたわけで記す必要はないものです。
では、なぜ「大日本府県分轄図」(1881)では竹島・松島が記されたか。私は無主地としての提示であったと理解しています。さらなる検討は必要ですが、少なくとも「朝鮮領」として記されたようには見えません。
さて、半月城さんのご意見に、次のような記述があります。
----------------------
このふたつの地図(「大日本府県分轄図」?と「磯竹島略図」:引用者注)を並べると、竹島と松島の位置が似かよっていることに気づくはずです。それもその筈です。数ある地図の中で松島と竹島の位置情報が詳細に記されている地図は「磯竹島略図」くらいしかないので、内務省はそれを参考にしたようです。「磯竹島略図」に両島などの位置関係がこう記されました(注3)。
隠岐と松島間; 隠岐 島後の福浦より松島を隔てる北東[北西の誤り:引用者]80里(320km)ばかり
松島と竹島間; 松島より磯竹島を隔てる北東[北西の誤り:引用者]40里(160km)ばかり
竹島と朝鮮間: 磯竹島より朝鮮国を遠望する西北西に当り、海上およそ50里(200km)ばかり
この距離や方向にもとづいて「大日本府県分轄図」に竹島と松島が描かれたようです。その結果、両島の位置は朝鮮寄りになりました。
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これは、ごり押しというか、牽強付会というか、そういう類のものであるといわなければなりません。
第一に、「大日本府県分轄図」は鬱稜島の部分に松島が描かれていますが、隠岐から鬱稜島までは245kmです。経緯度までもが記された地図において、上記の説明の誤差は大きすぎるものです。
さらに、よく見てみると「大日本府県分轄図」では松島・竹島は、厳密には北西の位置にはありません。むしろ、西北西に近いものです。この距離や方向に基づいて「大日本府県分轄図」が描かれたという主張は、かなり無理があるとすべきでしょう。相当のこじ付けが必要です。
むしろ「大日本府県分轄図」の竹島・松島が、アルゴノート・ダジュレーと位置が完全に一致していることをそのまま認めれば何の問題もないことです。
たとえば、1867年 勝海舟「大日本国沿海略図」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-japan.html
で、「大日本府県分轄図」と全く同じ位置に竹島・松島が描かれていることが確認できます(それぞれ経緯度の単位が違うので注意)。こちらとの関係や、その他の政府機関の地図と一致することを考えたほうが妥当です。
「大日本府県分轄図」と「磯竹島略図」には、かなりのずれがあります。しかし「大日本府県分轄図」と「大日本国沿海略図」に見られるアルゴノート・ダジュレーの位置は完全に一致しています。
どちらが正しい主張であるかは、地図を一目見れば分かることです。
>しかしながら、これらの地図は「日本政府」の地理的認識を知るには大半が二次的な意味しか持ちません。文部省や陸軍などが竹島=独島に関していかなる認識を持とうとも、それは政府部内の一機関の認識にすぎず、地理や領土問題の担当外である政府機関の認識は決して日本政府の公式見解にはなりえません。
二次的な資料であっても、複数の政府機関から発行された地図が、当時の日本政府の理解を考える、それなりの手がかりになることに疑いはありません。
当時の複数の政府機関から発行された地図で、いずれも竹島・松島の認識がアルゴノート・ダジュレーにあったことは注目すべきであり、逆に松島をリアンクール岩とした理解を見ることができないことに気をつける必要があります。
もちろん地理局発行の地図が何より重視されることは言うまでもありません。当たり前のことです。ですから「大日本府県分轄図」(1881)の竹島・松島がアルゴノート・ダジュレーの位置で記されていることも大変に重要なものです。
一方、「大日本府県管轄図」(1879)と「大日本国全図」(1880)で、竹島・松島が記されていないことも何の不思議もありません。仰るとおり、竹島・松島は日本とは関係のない土地とされたわけで記す必要はないものです。
では、なぜ「大日本府県分轄図」(1881)では竹島・松島が記されたか。私は無主地としての提示であったと理解しています。さらなる検討は必要ですが、少なくとも「朝鮮領」として記されたようには見えません。
さて、半月城さんのご意見に、次のような記述があります。
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このふたつの地図(「大日本府県分轄図」?と「磯竹島略図」:引用者注)を並べると、竹島と松島の位置が似かよっていることに気づくはずです。それもその筈です。数ある地図の中で松島と竹島の位置情報が詳細に記されている地図は「磯竹島略図」くらいしかないので、内務省はそれを参考にしたようです。「磯竹島略図」に両島などの位置関係がこう記されました(注3)。
隠岐と松島間; 隠岐 島後の福浦より松島を隔てる北東[北西の誤り:引用者]80里(320km)ばかり
松島と竹島間; 松島より磯竹島を隔てる北東[北西の誤り:引用者]40里(160km)ばかり
竹島と朝鮮間: 磯竹島より朝鮮国を遠望する西北西に当り、海上およそ50里(200km)ばかり
この距離や方向にもとづいて「大日本府県分轄図」に竹島と松島が描かれたようです。その結果、両島の位置は朝鮮寄りになりました。
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これは、ごり押しというか、牽強付会というか、そういう類のものであるといわなければなりません。
第一に、「大日本府県分轄図」は鬱稜島の部分に松島が描かれていますが、隠岐から鬱稜島までは245kmです。経緯度までもが記された地図において、上記の説明の誤差は大きすぎるものです。
さらに、よく見てみると「大日本府県分轄図」では松島・竹島は、厳密には北西の位置にはありません。むしろ、西北西に近いものです。この距離や方向に基づいて「大日本府県分轄図」が描かれたという主張は、かなり無理があるとすべきでしょう。相当のこじ付けが必要です。
むしろ「大日本府県分轄図」の竹島・松島が、アルゴノート・ダジュレーと位置が完全に一致していることをそのまま認めれば何の問題もないことです。
たとえば、1867年 勝海舟「大日本国沿海略図」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-japan.html
で、「大日本府県分轄図」と全く同じ位置に竹島・松島が描かれていることが確認できます(それぞれ経緯度の単位が違うので注意)。こちらとの関係や、その他の政府機関の地図と一致することを考えたほうが妥当です。
「大日本府県分轄図」と「磯竹島略図」には、かなりのずれがあります。しかし「大日本府県分轄図」と「大日本国沿海略図」に見られるアルゴノート・ダジュレーの位置は完全に一致しています。
どちらが正しい主張であるかは、地図を一目見れば分かることです。
これは メッセージ 15630 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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