『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/15 10:20 投稿番号: [15672 / 18519]
半月城です。
前回、舩杉氏に対し「磯竹島略圖」などの重要な地図をなぜ「最終報告書」で取りあげなかったのかと苦言を呈しましたが、同氏への疑問はこれだけではありません。
舩杉氏は人文地理学(歴史地理学)の専門家であるとのふれこみですが、それなら『大日本府縣分轄圖』と同時期の資料である内務省の地誌をなぜ取りあげなかったのか、はなはだ疑問です。公的機関にて作成された地誌は地図以上に重要であるといっても過言ではありません。
その公的な地誌に竹島・松島がどのように記述されたのか、どのように認識されていたのかを紹介しますが、その前にまず、地理・地誌を公的に担当した機関の変遷を簡単に次に示します。
1869(明治2)年 民部省に地理司戸籍地図掛を設置
1871(明治4)年 民部省の廃止にともない、太政官 正院(せいいん)の地誌課となる
1874(明治7)年 内務省の地理寮となる
1877(明治10)年 同省の地理局となる
1877(明治10)年3月、太政官は「竹島外一島」を版図外にする指令をだしましたが、その時の地理担当機関の認識は、その前年の10月に地理寮から島根県へ提出された地籍編纂の伺い書から知ることができます。そこにおいて地理寮は竹島・松島をこう認識していました。
「隠岐(おき)国のかなたに、従来、竹島と呼ばれる孤島があると聞いております。もとより旧鳥取藩の商船が往復した船路もあります(注1)」
地理寮からの伺い書が島根県で処理される過程において、大谷家の「磯竹島略図」が島根県から内務省への伺い書に添えられました。したがって、地理寮はその知見も得ることになりました。その「磯竹島略圖」に竹島・松島の位置は次のように記載されました(注2)。
隠岐と松島間; 隠岐 島後の福浦より松島を隔てる北西80里(314km)ばかり
松島と竹島間; 松島より磯竹島を隔てる北西40里(157km)ばかり
竹島と朝鮮間: 磯竹島より朝鮮国を遠望する西北西に当り、海上およそ50里(197km)ばかり
竹島・松島の位置について、内務省は磯竹島略圖の記述と同じような認識をもっていたことが、明治時代の官撰地誌から知れます。すなわち、1878(明治11)年1月に発刊された『日本地誌提要』の「巻之五十、隠岐」に竹島・松島はこう記されました。
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島嶼
島津島。・・・
松島。一名島山。海士郡豐田村ニ屬ス。・・・・・・
大森島。・・・
○本州ノ屬島。知夫郡四拾五。海士郡壹拾六。周吉郡七拾五。穩地郡四拾三。合計壹百七拾九。之ヲ総称シテ隠岐ノ小島ト云。
○又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ。土俗相傳テ云フ。穩地郡福浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町(注3)。
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(つづく)
前回、舩杉氏に対し「磯竹島略圖」などの重要な地図をなぜ「最終報告書」で取りあげなかったのかと苦言を呈しましたが、同氏への疑問はこれだけではありません。
舩杉氏は人文地理学(歴史地理学)の専門家であるとのふれこみですが、それなら『大日本府縣分轄圖』と同時期の資料である内務省の地誌をなぜ取りあげなかったのか、はなはだ疑問です。公的機関にて作成された地誌は地図以上に重要であるといっても過言ではありません。
その公的な地誌に竹島・松島がどのように記述されたのか、どのように認識されていたのかを紹介しますが、その前にまず、地理・地誌を公的に担当した機関の変遷を簡単に次に示します。
1869(明治2)年 民部省に地理司戸籍地図掛を設置
1871(明治4)年 民部省の廃止にともない、太政官 正院(せいいん)の地誌課となる
1874(明治7)年 内務省の地理寮となる
1877(明治10)年 同省の地理局となる
1877(明治10)年3月、太政官は「竹島外一島」を版図外にする指令をだしましたが、その時の地理担当機関の認識は、その前年の10月に地理寮から島根県へ提出された地籍編纂の伺い書から知ることができます。そこにおいて地理寮は竹島・松島をこう認識していました。
「隠岐(おき)国のかなたに、従来、竹島と呼ばれる孤島があると聞いております。もとより旧鳥取藩の商船が往復した船路もあります(注1)」
地理寮からの伺い書が島根県で処理される過程において、大谷家の「磯竹島略図」が島根県から内務省への伺い書に添えられました。したがって、地理寮はその知見も得ることになりました。その「磯竹島略圖」に竹島・松島の位置は次のように記載されました(注2)。
隠岐と松島間; 隠岐 島後の福浦より松島を隔てる北西80里(314km)ばかり
松島と竹島間; 松島より磯竹島を隔てる北西40里(157km)ばかり
竹島と朝鮮間: 磯竹島より朝鮮国を遠望する西北西に当り、海上およそ50里(197km)ばかり
竹島・松島の位置について、内務省は磯竹島略圖の記述と同じような認識をもっていたことが、明治時代の官撰地誌から知れます。すなわち、1878(明治11)年1月に発刊された『日本地誌提要』の「巻之五十、隠岐」に竹島・松島はこう記されました。
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島嶼
島津島。・・・
松島。一名島山。海士郡豐田村ニ屬ス。・・・・・・
大森島。・・・
○本州ノ屬島。知夫郡四拾五。海士郡壹拾六。周吉郡七拾五。穩地郡四拾三。合計壹百七拾九。之ヲ総称シテ隠岐ノ小島ト云。
○又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ。土俗相傳テ云フ。穩地郡福浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町(注3)。
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(つづく)
これは メッセージ 15671 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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