竹島問題研究会の品位、下條氏への批判4
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/08 22:20 投稿番号: [15644 / 18519]
この批判に対する下條氏の反論ですが、ちょっと首をかしげざるをえません。下條氏はさきの問題発言につづけてこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
それは池内氏の研究が、これまで日本側が『隠州視聴合記』の「此州」を欝陵島と解釈し、江戸時代にも竹島を日本領としていたとする見解を、根底から覆すものだったからだ。池内氏は、「此州」を隠岐島と解釈し、鬱陵島を日本の西北限とする日本側の主張は成立しないとしたのである。
だが「此州」を隠岐島と解釈したのは、池内氏の初歩的なミスである。『隠州視聴合記』を編述した齋藤豊仙は、隠岐島の位置を説明する方法として、島後の西郷を基点とし、各方位にあたる地名を挙げた。
基点の西郷から「北西の間」に松島と竹島があり、「此州」から朝鮮がみえるのは、出雲から隠岐島が見えるのと同じであるとしたのである。松島と竹島の内で、朝鮮を見ることができる位置にあるのは、欝陵島の外にない(注4)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
下條氏の説はつづくのですが、ここまで書いただけで下條氏の問題点は明らかです。下條氏は、<「此州」から朝鮮がみえるのは、出雲から隠岐島が見えるのと同じ>と書きましたが、これは池内氏の批判を受けて、「日本領」を「此州」に書き改めたようです。
しかし『隠州視聴合記』にはそのような記述はありません。また、高麗の見える竹島・松島は『隠州視聴合記』の文脈上で「此州」に含まれません。そもそも、両島が「此州」に含まれると解釈されるのなら、日本の限界が文脈上「此州」にせよ、あるいは竹島・松島にせよ、どちらでも日本の限界は「此州」の中の竹島・松島ということになり、日韓間で「日本の限界」論争が起きる余地はありません。
両国政府共に竹島・松島が「此州」に含まれないと解釈したからこそ、そのような論争が生じたのでした。これには研究者間でも異論はないようです。結局、<「此州」から朝鮮がみえるのは・・・・>などという下條氏のくだりは、これもやはり「誤読」といえます。
以上のようにたび重なる変説をしてきた下條氏が、実証的な研究で論説にほとんどブレがない池内氏の論説に対し「初歩的なミス」などとのたまうのは滑稽にみえます。竹島=独島問題の本当の障害は、たび重なる変説や迷走で世人を惑わせてきた御仁にあるのではないでしょうか。
(注1)下條正男「竹島論争の問題点」『現代コリア』P31,1998年7,8月号
(注2)半月城通信<安龍福の于山島像・竹嶼編、下條正男氏への批判>
http://www.han.org/a/half-moon/hm119.html#No.897
(注3)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書,P65,2004
(注4)竹島問題研究会『「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』P4,2007
(注5)池内敏「隠岐・村上家文書と安龍福事件」『鳥取地域史研究』第9号,2007,P14)
(竹島=独島論争)http://www.kr-jp.net/ronbun/ikeuchi/ikeuchi2007.pdf
(注6)田保橋潔「鬱陵島 その発見と領有」『青丘学叢』第3号,1931,P20
(竹島=独島論争)http://www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/tabohashi1931.pdf
(注7)池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」『青丘学術論集』第25集,2005,P145
半月城通信<『隠州視聴合記』の最新解釈>
http://www.han.org/a/half-moon/hm113.html#No.844
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
それは池内氏の研究が、これまで日本側が『隠州視聴合記』の「此州」を欝陵島と解釈し、江戸時代にも竹島を日本領としていたとする見解を、根底から覆すものだったからだ。池内氏は、「此州」を隠岐島と解釈し、鬱陵島を日本の西北限とする日本側の主張は成立しないとしたのである。
だが「此州」を隠岐島と解釈したのは、池内氏の初歩的なミスである。『隠州視聴合記』を編述した齋藤豊仙は、隠岐島の位置を説明する方法として、島後の西郷を基点とし、各方位にあたる地名を挙げた。
基点の西郷から「北西の間」に松島と竹島があり、「此州」から朝鮮がみえるのは、出雲から隠岐島が見えるのと同じであるとしたのである。松島と竹島の内で、朝鮮を見ることができる位置にあるのは、欝陵島の外にない(注4)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
下條氏の説はつづくのですが、ここまで書いただけで下條氏の問題点は明らかです。下條氏は、<「此州」から朝鮮がみえるのは、出雲から隠岐島が見えるのと同じ>と書きましたが、これは池内氏の批判を受けて、「日本領」を「此州」に書き改めたようです。
しかし『隠州視聴合記』にはそのような記述はありません。また、高麗の見える竹島・松島は『隠州視聴合記』の文脈上で「此州」に含まれません。そもそも、両島が「此州」に含まれると解釈されるのなら、日本の限界が文脈上「此州」にせよ、あるいは竹島・松島にせよ、どちらでも日本の限界は「此州」の中の竹島・松島ということになり、日韓間で「日本の限界」論争が起きる余地はありません。
両国政府共に竹島・松島が「此州」に含まれないと解釈したからこそ、そのような論争が生じたのでした。これには研究者間でも異論はないようです。結局、<「此州」から朝鮮がみえるのは・・・・>などという下條氏のくだりは、これもやはり「誤読」といえます。
以上のようにたび重なる変説をしてきた下條氏が、実証的な研究で論説にほとんどブレがない池内氏の論説に対し「初歩的なミス」などとのたまうのは滑稽にみえます。竹島=独島問題の本当の障害は、たび重なる変説や迷走で世人を惑わせてきた御仁にあるのではないでしょうか。
(注1)下條正男「竹島論争の問題点」『現代コリア』P31,1998年7,8月号
(注2)半月城通信<安龍福の于山島像・竹嶼編、下條正男氏への批判>
http://www.han.org/a/half-moon/hm119.html#No.897
(注3)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書,P65,2004
(注4)竹島問題研究会『「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』P4,2007
(注5)池内敏「隠岐・村上家文書と安龍福事件」『鳥取地域史研究』第9号,2007,P14)
(竹島=独島論争)http://www.kr-jp.net/ronbun/ikeuchi/ikeuchi2007.pdf
(注6)田保橋潔「鬱陵島 その発見と領有」『青丘学叢』第3号,1931,P20
(竹島=独島論争)http://www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/tabohashi1931.pdf
(注7)池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」『青丘学術論集』第25集,2005,P145
半月城通信<『隠州視聴合記』の最新解釈>
http://www.han.org/a/half-moon/hm113.html#No.844
これは メッセージ 15643 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15644.html