竹島

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竹島問題研究会の品位、下條氏への批判2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/08 21:59 投稿番号: [15642 / 18519]
   このように下條氏は冒頭の説を変更して、安龍福のいう于山島は竹島=独島であると断定しました。ところが最近になって下條氏はまたまた変説をおこなったようです。驚いたことに竹島問題研究会の最終報告書において下條氏はこう記しました。

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  では安龍福は、何故「于山島は松島なり」としたのか。それを知る手がかりは、最終報告書に収録した「竹島紀事」にある。幕府の命を受け、朝鮮側と交渉した対馬藩は、交渉の経緯を文献を中心に編年体にまとめ「竹島紀事」としていた。
  その中には、対馬藩の取調べを受けた安龍福の証言も記録されており、于山島に対する安龍福の知見を知ることができる。それによると、安龍福は、欝陵島より「北東に当たり大きなる嶋あり」、彼島を存じたるもの申し候は于山島と申し候」と証言している。この証言から見ても、安龍福が主張する于山島は、今日の竹島ではない。安龍福が見たのは、地図上に「所謂于山島」とされたチクトウ(竹島)である。チクトウは安龍福が漁撈活動をしていた欝陵島の苧洞から東北に位置し、竹島は欝陵島の東南にあるからである。だが于山島を松島とした安龍福の証言は、「東国文献備考」の分註に載せられ、歴史的事実とされてしまった(注4)。
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   このように下條氏はみずからの解釈や主張を再度変え、今度は安龍福の于山島像をチュクト(竹島)にしました。最初の段階で下條氏はチュクト説を捨てていたのですが、それをひっくり返したようです。何とも人騒がせな変説です。
   そうなると、自己の当初の指摘「船で一日の距離」あるいは「欝陵島より頗る大きな島」という考察をどう処理するのでしょうか?   チュクトは欝陵島からわずか数kmの位置なので、船で一日どころか、一時間の距離であり、しかも欝陵島より「すこぶる小さな島」になります。
   下條氏の再度の変説は、いかにも支離滅裂のように見受けられます。しかし、このような見方は私だけではなかったようです。名古屋大学の池内敏氏は、下條氏の隠岐島説を「荒唐無稽」であるとしてこう記しました。
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   安龍福を虚言癖の男と評価する流れは、近年では下條正男に代表される。しかしながら、たとえば安龍福が見た松島(竹島=独島)は竹島/独島ではなく隠岐島だったとする下條正男の主張は荒唐無稽である。
   安龍福が竹島(鬱陵島)および隠岐諸島と区別された島として松島(竹島/独島)を認知していたことは隠岐・村上助九郎家文書によりはっきりしたが、そもそもから右主張は『邊例集要』の誤読にもとづく誤謬であった。こうした誤謬がもたらされた背景には、安龍福を虚言癖の男とする評価への過剰なこだわりがある(注5)。
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   池内氏は、下條氏が「安龍福を虚言癖の男とする評価への過剰なこだわり」から「誤読」をおかしたと批判しましたが、まさにそのとおりと思われます。安龍福の朝鮮における供述は基本的に手柄話・自慢話なので、それを割り引いて真偽を究明する必要がありますが、その努力が欠けているようです。
   ちなみに、竹島=独島問題の先駆的な研究者である田保橋潔は、安龍福は「徒に大言を弄する嫌はあるが、(供述は)大體において事實と信ぜられる」と評しました(注6)。これについては、さらなる検討を要します。
(つづく)
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