Re: 明治政府の島名混乱の収束1
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/24 23:09 投稿番号: [14796 / 18519]
>肉眼でパッと見には似ているように思えても、定規を当てると、明らかに違う事が歴然としており、『大日本沿海略図』と『大日本全國略圖』とでは、全く別の位置に描かれていると判定すべきでしょう。
どうやら第三者の方に判定していただくほかはなさそうです。『大日本沿海略図』と『大日本全國略圖』がほとんど同様に記されているか、あるいは大谷家地図が『大日本全國略圖』に近いのかどなたか判定していただけないでしょうか。
>そもそもが『大日本全國略圖』が『大日本沿海略図』を参照したと思われる経緯もなく、また、参照すべき合理的根拠も考えづらい事から、両図を結びつけるべき理由すら不明とするのが、慎重な科学的態度と云うべきと思われます。
文部省や陸軍の地図で鬱陵島が二つに画かれ、アルゴノートとダジュレー島の面影が見えているらしい(実物未見)ことも、一つの合理的な根拠となりうることでしょう。
『大日本全國略圖』が『大日本沿海略図』を参照したということが大事なのではなく、鬱陵島付近で二島が認識されたこと、おそらくはこの時期の明治政府においてアルゴノートとダジュレー島の位置で二島が認識されたことが大事なのです。
これは メッセージ 14795 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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