Re: 明治政府の島名混乱の収束3
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/07/27 23:36 投稿番号: [14805 / 18519]
>1867年
勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1875年
陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年
文部省「日本全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年
太政官判断。
ハッキリ云って不十分ですね。
その当時は、一般的な日本地図として高い信頼を得ていた赤水図の劣化コピー版が出回っていた影響もあって、竹島松島とも一括して隠岐に含めるとする俗信も流布されていた時代です。
俗信に影響された民図の殆どは、「大日本国沿海略図」には全く影響された形跡なく、竹島松島を一括して隠岐図に含める例が多いのだから、当時の日本には一般的に島名の混乱はなかったと見るのが妥当でしょうね。
太政官判断で重要なのは、島の位置ではなく、島の帰属と見るべきでしょう。この場合、島の位置そのものに、さしたる重要性があるとは思えませんが、アルゴノートに影響された明白な証拠は見いだせていません。
また、陸軍の地図では、私の記憶が確かならば、竹島は存在を疑う破線で描かれて(専門用語で「疑存」と云います。存在そのものを肯定する場合は「疑位」と云い実線で描くことになるでしょう。)いたと記憶しており、政府レベルでも1875年当時にはアルゴノートの存在は否定されていたと見て差し支えないものと思われます。
これは メッセージ 14801 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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