Re: 明治政府の島名混乱の収束2
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/24 17:58 投稿番号: [14794 / 18519]
>これは曲解が過ぎます。私の考えを正しく理解したいのなら、まず私の語った言葉を正しく引用することから始めてください。私の考えをいうなら、そもそも太政官のありようは「・・・・と分からなかったはずがない」などと云々するような性格の部署ではありません。
これは、何度も半月城さんは仰っていますが、たとえば、
>明治政府は「版図の取捨は重大之事件」との緊張感を持って竹島、松島を版図外にしました。それを ahirutousagi2さんは「その地理的な位置理解は、いわゆるアルゴノートとダジュレーに該当」と決めつけていますが、それでは明治政府の官僚をあまりにも見くびりすぎるのではないでしょうか。かれらはそれほど無能ではないと思います。14664
こういう発言のことを指しているのですよ。
>しかし、73年に内務省が設置されたのに伴い、臨時の太政官地誌課は同省へ移管され、前述の地理寮になりました(注3)。したがって、その時から太政官の「地理(位置)的な理解」はそのままそっくり内務省へ移りました。
内務省の地理的な理解でよろしいのではないでしょうか。その内務省が竹島・松島を鬱陵島・リアンクール岩には比定しておらず、しかも、当時の外務省、文部省、陸軍、海軍までもそうは捉えていないと申し上げているのです。
>結局、1877年、太政官は内務省の伺書を承認したことにより、内務省の松島・竹島に関する認識をそのまま承認して版図外と布告したのでした。
それでよろしいかと。
今、時間が無いので「明治政府の島名混乱の収束3」についてはのちほど返事をいたします。
これは メッセージ 14791 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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