Re: 明治政府の島名混乱の収束3
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/29 00:21 投稿番号: [14812 / 18519]
>古来の竹島松島と確定で差し支えないでしょう。
だから、古来の竹島・松島と、この時期(太政官判断前後)の竹島・松島認識とは別物ですってば。名称はたしかに古来から二島があってきた。しかし古来のそれとこの時期の二島は、別の島を指している。
だから、天城の調査を経て鬱陵島たる松島は「古来の竹島」と言われたりしているわけです。
>1875年当時には位置認識の混乱は認められません。むしろ重要なのは、その時期に西洋伝来の考え方が流入したことによる、獨島の法的地位の混乱を考えるべきです。
岩という認識については私も注目していますが、この岩はこの時期(太政官判断前後)、竹島でも松島でもありませんでした。それを混乱として申し上げているのです。
>島の名称が表すように、江戸時代までの松島がリアンコート岩へと変遷したことを見落とすべきではありません。
正確に言うと、この時期に江戸時代までの松島が正式の形でリアンクール岩へと変遷したことはありません。松島はダジュレー島であり、また、鬱陵島所属の竹嶼を指しています。
これは メッセージ 14807 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/14812.html