明治政府の島名混乱の収束1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/23 22:04 投稿番号: [14790 / 18519]
半月城です。引きつづき、ahirutousagi2の質問に答えることにします。
ahirutousagi2さん、Re:14777
>2.竹島・松島がアルゴノート・ダジュレーの位置で示されている内務省地理局「大日本府県分轄図」(1881)をどう考えるか。
質問に答える前に、簡単に地理局の地図をレビューすることにします。1875(明治9)年、島根県に竹島(欝陵島)の地籍編纂伺いを出した内務省の地理寮は、その二年後に省内で地理局と名を改め、79年に初めて『大日本府縣管轄圖』を、ついで 80年に『大日本國全圖』を出版しました。
ただ、タイトルは「大日本」とはいえ、北海道は前者の地図では記載がなく、後者の地図では南端のみ画かれました。北海道の調査が遅れていたのでした。
その両図において、竹島(欝陵島)・松島(竹島=独島)はもちろん記載されませんでした。1877年、両島を版図外とする布告が太政官から内務省に通知されたので当然です。
1881年、地理局は北海道を含めた日本地図『大日本府縣分割圖』を出版しました。そのデジタル版が国会図書館から公開されましたが、その冒頭に極東全体を描いた地図「大日本全國略圖」が挿入され、そこに「竹島」「松島」の二島が隠岐の沖合に記載されました(注1)。
といっても、内務省は両島を日本領と認識したわけではありません。両島は、それまでの同省の地図同様に日本領とは認識されていないので、各府県の詳細図にはどこにも画かれませんでした。
同図における松島・竹島の位置は、内務省伺「竹島外一島地籍編纂方伺」付属の「大谷家地図」に描かれた磯竹島(竹島)・松島の位置とほぼ同じです。これは当然の流れであり、同省がダジュレー島や存在しないアルゴノートを記した誤った地図を参照した形跡は見られません。
もし誤った地図を参照したとしても、隠岐の沖合には二島しか存在しないということを内務省も大谷家地図などをとおして信頼していたので、三島を画いた誤った地図の信憑性を疑ったことでしょう。
ちなみに、大谷家地図に記された竹島・松島の位置関係は次のようになります(注2)。
隠岐ー(80里)ー松島ー(40里)ー竹島ー(50里)ー朝鮮
このように、大谷家地図では竹島が実際よりかなり朝鮮寄りに描かれました。日本には海路の測量技術や器械が普及していなかった時代の地図なので、正確な距離は望むべくもありません。海路の距離は不正確で当たり前でした。
それでも大谷家は実際に両島へ渡航して経済活動をした実績を持つので、同家の地図に描かれた竹島、松島が今日の欝陵島と竹島=独島をさすことは、ここの会議室でも誰しも異存はないようです。
(つづく)
ahirutousagi2さん、Re:14777
>2.竹島・松島がアルゴノート・ダジュレーの位置で示されている内務省地理局「大日本府県分轄図」(1881)をどう考えるか。
質問に答える前に、簡単に地理局の地図をレビューすることにします。1875(明治9)年、島根県に竹島(欝陵島)の地籍編纂伺いを出した内務省の地理寮は、その二年後に省内で地理局と名を改め、79年に初めて『大日本府縣管轄圖』を、ついで 80年に『大日本國全圖』を出版しました。
ただ、タイトルは「大日本」とはいえ、北海道は前者の地図では記載がなく、後者の地図では南端のみ画かれました。北海道の調査が遅れていたのでした。
その両図において、竹島(欝陵島)・松島(竹島=独島)はもちろん記載されませんでした。1877年、両島を版図外とする布告が太政官から内務省に通知されたので当然です。
1881年、地理局は北海道を含めた日本地図『大日本府縣分割圖』を出版しました。そのデジタル版が国会図書館から公開されましたが、その冒頭に極東全体を描いた地図「大日本全國略圖」が挿入され、そこに「竹島」「松島」の二島が隠岐の沖合に記載されました(注1)。
といっても、内務省は両島を日本領と認識したわけではありません。両島は、それまでの同省の地図同様に日本領とは認識されていないので、各府県の詳細図にはどこにも画かれませんでした。
同図における松島・竹島の位置は、内務省伺「竹島外一島地籍編纂方伺」付属の「大谷家地図」に描かれた磯竹島(竹島)・松島の位置とほぼ同じです。これは当然の流れであり、同省がダジュレー島や存在しないアルゴノートを記した誤った地図を参照した形跡は見られません。
もし誤った地図を参照したとしても、隠岐の沖合には二島しか存在しないということを内務省も大谷家地図などをとおして信頼していたので、三島を画いた誤った地図の信憑性を疑ったことでしょう。
ちなみに、大谷家地図に記された竹島・松島の位置関係は次のようになります(注2)。
隠岐ー(80里)ー松島ー(40里)ー竹島ー(50里)ー朝鮮
このように、大谷家地図では竹島が実際よりかなり朝鮮寄りに描かれました。日本には海路の測量技術や器械が普及していなかった時代の地図なので、正確な距離は望むべくもありません。海路の距離は不正確で当たり前でした。
それでも大谷家は実際に両島へ渡航して経済活動をした実績を持つので、同家の地図に描かれた竹島、松島が今日の欝陵島と竹島=独島をさすことは、ここの会議室でも誰しも異存はないようです。
(つづく)
これは メッセージ 14777 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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