Re: ahirutousagi2さん凄い!
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/21 00:10 投稿番号: [14785 / 18519]
お恥ずかしい限りで、竹島問題に関心を持ってたしかまだ二年半ほどです。読んでいない資料も随分とあります。時間にも限界がありますしプロ野球とかサッカーとかほかに関心が移って竹島のことをすっかり忘却しているような時期もしばしばあるような状態です。
このたびの「外一島」の件ですが、残念ながら半月城さんとは話がまったくかみ合いません。私の書き方がまずいのか、どれだけ丁寧に書いたつもりでも言っていることさえ理解していただけない状況です。
そもそもの出発点が違うせいなのではないかと感じています。
半月城さんは演繹法的(こういう言い方が正しいのかどうか分かりませんが)に外一島を規定しているのではないでしょうか。つまり、島根県から提出された一連の資料はどう見ても現在の鬱陵島・竹島を画いているとしか思えない。したがって、太政官が放棄したのは鬱陵島・竹島にほかならないと。
これが大前提。そして、それ以外の天城の調査や外務省の態度、その他のことはすべてこの大前提から論じられていくのです。
大前提「太政官は鬱陵島・竹島を放棄したのだ」
小前提「外務省・海軍は鬱陵島=松島、竹嶼=竹島としている」
結論「外務省・海軍は間違っている」「内務省から照会があっても外務省は何も言わなかった」「内務省の正しさを外務省も理解していた」
しかし、この話では内務省地理局の地図が矛盾し、また「内務省の正しさを外務省も理解した」にもかかわらず数年後には太政大臣三条実美が鬱陵島を松島に規定していたりおかしな現象が発生します。
演繹法の危なさは先入観による誤った大前提を適用してしまうことにあるといいます。半月城さんも例外ではないのではないでしょうか。
一方、私が考えていたのは「太政官は果たしてどの島を版図外としたか」という問いにほかなりません。そして、その根拠となる資料を、島根県の資料および前後の政府関係の資料・前後の明治政府のさまざまな態度や記述などから整合的に結論を導きました。
こうしたやり方はある意味で帰納法的とも言えるやり方かもしれません(こういう言い方が正しいかどうか知りません)。
事例収集「島根県の資料を含む前後の政府関係の資料」
因果関係「1878年の天城調査までは竹島・松島の位置認識は一定していなかったが、その後、鬱陵島=松島、竹嶼=竹島とされた」
結論「太政官の理解は島根の資料が「現在の目」からどう見えるかではなく、事例の整合性からそれはアルゴノート・ダジュレーであったと考えるのが妥当」
といったところでしょうか。
半月城さんが私の話を理解できないのは、分からないでもありません。「太政官は鬱陵島・竹島を放棄したのだ」が半月城さんの出発点なのですから、そこからはずれることは想像の範疇にもないことなのかと思います。
私は半月城さんはそれでもいいかという気もしています。しかし、どうにも分からないのが堀和生というお方の立場です。彼の論文はどうも学術的な客観性を喪失しているように見えるのです。
このたびの「外一島」の件ですが、残念ながら半月城さんとは話がまったくかみ合いません。私の書き方がまずいのか、どれだけ丁寧に書いたつもりでも言っていることさえ理解していただけない状況です。
そもそもの出発点が違うせいなのではないかと感じています。
半月城さんは演繹法的(こういう言い方が正しいのかどうか分かりませんが)に外一島を規定しているのではないでしょうか。つまり、島根県から提出された一連の資料はどう見ても現在の鬱陵島・竹島を画いているとしか思えない。したがって、太政官が放棄したのは鬱陵島・竹島にほかならないと。
これが大前提。そして、それ以外の天城の調査や外務省の態度、その他のことはすべてこの大前提から論じられていくのです。
大前提「太政官は鬱陵島・竹島を放棄したのだ」
小前提「外務省・海軍は鬱陵島=松島、竹嶼=竹島としている」
結論「外務省・海軍は間違っている」「内務省から照会があっても外務省は何も言わなかった」「内務省の正しさを外務省も理解していた」
しかし、この話では内務省地理局の地図が矛盾し、また「内務省の正しさを外務省も理解した」にもかかわらず数年後には太政大臣三条実美が鬱陵島を松島に規定していたりおかしな現象が発生します。
演繹法の危なさは先入観による誤った大前提を適用してしまうことにあるといいます。半月城さんも例外ではないのではないでしょうか。
一方、私が考えていたのは「太政官は果たしてどの島を版図外としたか」という問いにほかなりません。そして、その根拠となる資料を、島根県の資料および前後の政府関係の資料・前後の明治政府のさまざまな態度や記述などから整合的に結論を導きました。
こうしたやり方はある意味で帰納法的とも言えるやり方かもしれません(こういう言い方が正しいかどうか知りません)。
事例収集「島根県の資料を含む前後の政府関係の資料」
因果関係「1878年の天城調査までは竹島・松島の位置認識は一定していなかったが、その後、鬱陵島=松島、竹嶼=竹島とされた」
結論「太政官の理解は島根の資料が「現在の目」からどう見えるかではなく、事例の整合性からそれはアルゴノート・ダジュレーであったと考えるのが妥当」
といったところでしょうか。
半月城さんが私の話を理解できないのは、分からないでもありません。「太政官は鬱陵島・竹島を放棄したのだ」が半月城さんの出発点なのですから、そこからはずれることは想像の範疇にもないことなのかと思います。
私は半月城さんはそれでもいいかという気もしています。しかし、どうにも分からないのが堀和生というお方の立場です。彼の論文はどうも学術的な客観性を喪失しているように見えるのです。
これは メッセージ 14781 (atsui4444 さん)への返信です.
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